Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

建中寺(2017年3月25日参拝)

2017年04月26日 | 東海三十六不動尊
本日は久しぶりに名古屋市内の寺社巡りです。

今まで名古屋に行く時は新幹線か近鉄特急を使ってましたが、
今回は初めて愛車を駆って行くことにした。

そういう訳で駅からちょっと遠い建中寺や日泰寺をメインに参拝します。


自宅から名阪国道と名古屋高速を走って2時間半で建中寺に到着。

こちらは尾張徳川家所縁の本山格の寺院です。


所在地:愛知県名古屋市東区筒井1-7-57
宗派:浄土宗鎮西派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶安4年(1651)
開基:徳川光友
開山:成譽廓呑上人
札所:阿弥陀如来四十八願所、東海三十六不動尊霊場、大名古屋十二支


【縁起】
慶安3年(1650)に逝去した初代尾張藩主義直公(家康の九番目の息子)の菩提を弔い、
尾張徳川家先祖代々の菩提寺として、尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、
第二代尾張藩主徳川光友卿が、慶安4年(1651)境内地約5万坪の敷地に、
本堂をはじめとして諸堂伽藍十棟を建立し、
茨城県結城市弘経寺の成譽廓呑上人を招請して開山した。

天明5年(1785)大曽根の大火に際して、火のついた布団が本堂の屋根に巻き付き、
総門、山門を残して灰燼に帰したが、天明7年(1787)に、
尾張藩と住職の努力によって創建当時のかたちに復興完成された。

開山廊呑上人は学徳一世に高く、御所参内して常紫衣の綸旨を排した。

江戸時代は無本寺(別格本山)として、塔頭寺院と末寺を有していた。
大政奉還によって尾張藩も廃藩置県により愛知県の一部となり、
明治5年(1872)に寺格を無本寺から知恩院の末寺へと降格させて今日に至っている。

第二次大戦の名古屋空襲を免れて堂塔伽藍は江戸時代の偉容を今に留めている。


【三門】




見事な三門です。

戦国時代や第二次世界大戦の戦火をくぐり抜けたもので、
創建当時のものが残っているなんて凄いですね。

名古屋も米軍によって相当爆弾を落とされたのに。


【葵の御紋】



【御成門】




元々は5代藩主五郎太廟にあった門で、
正徳4年(1714)建立されたもので、方丈門の跡地に移築したもの。

とても気品のある門です。

ちなみに5代藩主五郎太は僅か3歳で逝去。

昔は産むのも命懸けだし、
幼少で亡くなることも珍しくありませんでした。


【本堂】


ちょっと殺風景な境内に本山クラスらしい立派な本堂があります。




天明6年(1786)に建立されたもの。


【内陣】


この日は有名企業の法要が10時から始まるようだったので、
喪服を着た方々が忙しくされていました。

10時以降にお寺に到着していれば、内陣には入れなかっただろう。


【経蔵】


内部には八角輪蔵があるそうで、
ここだけは何故か拝観料300円必要です。

本堂が無料なのが助かりますが、
経蔵が有料なのはよっぽどお寺にとって重要なのかな。

文政11年(1828)建立されたもの。


【石仏】





【開山堂】




天明6年(1786)に建立されたもの。


【不動堂】




意外と小さな不動明王が祀られていました。


【おもかる石】





【地蔵堂】





【龍巻奥ノ院春日燈籠】



【地蔵尊】





【鐘楼堂】




天明6年(1787)に建立されたもの。


【建中寺幼稚園】



【総門】


三門と反対側に門が見えたので行ってみた。




数百メートル離れた場所に渋い門を発見。

昔はこの辺りまで境内だったのだろう。
今は公園になっていました。

慶安5年(1652)に建立されたもの。


【鎮守社】



【御朱印】
 

3種類の内2種類をいただきました。

常福寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月15日 | 東海三十六不動尊
そろそろ雪の心配も無くなるであろう3月の伊賀。

伊賀といえば忍者を思い浮かべる人がほとんどでしょう。

しかし、この伊賀には小さいお寺ながらも霊場の札所が多く、
とても信仰心の篤い地域です。

今日は忍者や伊賀城、名物の食べ物等は全く無視して、
ひさびさに伊賀上野界隈を巡りたいと思います。

まずは常福寺というお寺へ。

雪は全く無いですが、さすがに私の地元と比べると寒い。


所在地:三重県伊賀市古郡559
宗派:真言宗豊山派
御本尊:五大明王
創建:養老6年(722)
開山:徳道上人
札所:東海三十六不動尊霊場、三重四国八十八ヶ所霊場、伊賀四国八十八ヶ所霊場


【縁起】


総本山長谷寺の開基である徳道上人が、
長谷寺本尊の十一面観世音菩薩執行成就後に当地に於いて、
「南面が晴れて霊鷲山に良く似た名利の地である」として、
長谷寺本尊十一面観世音菩薩造立の余材を用いて、
稽文會・稽主薫の二人の仏師に命じて本尊五大明王を造り、
仏閣を修造した後、天平2年(730)聖武天皇に上奏して勅願寺に定められました。

興福寺末であった時代もあり興福寺官務帳には僧坊十八宇 交衆十人と、
相当有力な寺院であったことが記録されています。

天正伊賀乱において本尊のみを残し堂宇を悉く焼失。
その後、紀州根来より宥俊法印が入山し元和元年(1615年)に当寺を復興。
宥俊法印を中興開山の祖としております。

徳川時代は藩主藤堂家の祈願所として保護を受け、寺運も挽回し、
寛政8年(1796)慶応法印が現在の本堂を造営しました。

当山は伊賀を代表する古刹として現在もその姿を留めております。


【風景】


伊賀上野界隈は一部を除き、田園風景が広がる長閑な地域です。

常福寺があるお寺もまた長閑です。(^^


【全景】


なかなか良い雰囲気です。

結構期待は高まる。


【山門】


現在の山門は平成9年(1997)に新築されたもの。

車は石段前の道を左に進み上に行くとありました。
下の空き地にも2台ぐらいは停めれます。


【本堂】


観音霊場の雰囲気そのものです。

本堂に上がることが出来ます。


【内陣】




五大明王は普段秘仏で、正月三が日、4月3日、
8月18日に御開帳されるとのこと。

それにしても本堂内陣はこれがまた寒い。

足が冷えて仕方無い。






左右の奥には弘法大師や不動明王等の諸仏が祀られていました。


【弘法大師像】



【五鈷杵】



【広葉杉】




樹齢250年。


【稲荷社】



【鎮守社】



【修行大師像】


昭和59年(1984)寄進されたもの。


【石仏】



【鐘楼堂】


昭和17年(1942)に戦時供出され、
現在の鐘楼は篤信の方が昭和24年(1949)奉納したもの。

鐘楼堂は平成9年(1997)に新築されたもの。


【行者堂】




御本尊役行者と弘法大師が祀られていました。

昭和62年(1987)建立されたもので、休憩所でもあります。


【大師道】


お寺の背後の不動山には四国八十八ヶ所大師霊場、
西国三十三ヶ所観音霊場を移した石仏254体が各所に安置されてるとのこと。

約1.7キロもあるということで遠慮しといた。(^^;


【御朱印】


三種類の内、御本尊を頂きました。

七寺<長福寺>(2015年3月29日参拝)

2015年05月01日 | 東海三十六不動尊


大須観音から歩いて10分足らずで七寺に到着。

山門もなく何だか寂しい感じ。。。



所在地:愛知県名古屋市中区大須2丁目28-5
宗派:真言宗智山派
御本尊:聖観世音菩薩・勢至菩薩
創建:(伝)天平7年(735)
開基:(伝)行基菩薩
札所:東海三十六不動尊霊場、名古屋二十一大師、名古屋七福神


【縁起】
正式名は稲園山正覚院長福寺といい、奈良時代の天平7年(735)、
行基菩薩により尾張国中島郡萱津に正覚院が開創されたのに始まる
真言宗智山派の名刹。

七寺という呼称は延暦6年(787)、
紀是広によって七堂伽藍が建立されたところから来たもの。
是広によって建立された七堂伽藍は仁和3年(887)の水難や、
天慶4年(941)の兵火により荒廃した。

仁安2年(1167)に勝幡城主であった尾張権守大中臣朝臣安長が亡女の菩提の為に、
その婿豊後守親実と図って寺域を現在の稲沢市七ツ寺町に移し七堂伽藍と12僧坊を再建。

安元元年(1175)から治承2年(1178)に至る4年間に一切経を書写させる一方、
丈六の阿弥陀如来とその脇侍、観音・勢至の2躰を奉納。
名を稲園山長福寺と改め七寺と呼称させるようにしたと伝えられている。

その後、建武の兵乱により安長が建立した寺塔の大半を焼失したが、
天正19年(1591)太閤秀吉の命を受けて寺域を清洲に移し本堂を再建。
大塚村性海寺の寺僧良圓を迎えて中興開山した。

慶長16年(1611)徳川家康の命により寺域を現在の地に移転されるに当たって、
本堂が清洲から移築されたのをはじめ、諸堂が次々と再建された。

元禄13年(1790)には領主徳川光友の計らいにより三重塔が再建された。
これにより七堂伽藍の全てが整い大須観音、西別院ともに輪奐の美を誇るに至った。
享保15年(1730)には徳川藩主の祈願所となっている。

明治12年(1879)総本山智積院末になり、明治44年(1925)には準別格本山に昇格した。

幸にも昭和20年3月19日、太平洋戦争の戦火によって、
七堂伽藍の全てを焼失するという悲運に会い、僅かに経蔵一棟を残すのみとなった。

この時、かろうじて戦火を免れた観音・勢至の2躰及び勢至の光背と唐枢入一切経は、
その後昭和25年に改めて国より重要文化財の指定を受け、現在に至っている。


【本堂】


向かって右が本堂、左が豊川荼枳尼天です。

基本的に事前予約だが、
御住職がいらっしゃれば本堂拝観可能です。(拝観料500円)

本堂には重文の二体の菩薩様が並んで祀られています。

聖観世音菩薩と勢至菩薩が並んで祀られているのが不思議でしたが、
調べて見るとその理由がよく分かりました。

空襲で本堂が燃えた際、何とか助け出された仏様達が現在の御本尊で、
当時の御本尊阿弥陀如来や旧国宝の二天は惜しくも焼失してしまったそうだ。

その悔しさは筆舌に尽くせないでしょうね。

でも、二体だけでも現存させることが出来たのは、
せめてもの救いですね。


【阿弥陀如来坐像】


何だか痛々しい。
もっと綺麗に修復は出来ないのだろうか。

しかし、この如来様は空襲の時に真っ赤に燃えたそうだ。
真っ赤に燃えてもなお、今、こうして鎮座されておられる。

まさに戦争の生き証人ならぬ、行き証仏ですね。

ありがたや ありがたや。


【稲荷社】



【蔵】



【御朱印】



【旧伽藍】


恐らく大正時代の写真だと思われる。

巨大な本堂や美しい三重塔、出店の多さが、
往時の威容が分かるというもの。

良く見ると大日如来坐像も見えますね。

奥に見えるのが大須観音の本堂かな。

これらが全て灰燼に帰している。

戦争は全てを失う。
二度とあのような戦争を行ってはならない。

現在の七寺を訪れて強くそう感じました。

それを感じただけでも、このお寺を参拝した意義がありましたよ。
また訪れたいと思う。

大須観音<真福寺宝生院>(2015年3月29日参拝)

2015年04月30日 | 東海三十六不動尊
二週間前にエロな、いやもとい、
面白い寺社を堪能した愛知県再び。

今回は真面目な参拝となります。(笑)

本日のメインが「ひつまぶし」なのは、
ここだけの話。


まずは名古屋市内の大須観音へ。

名古屋駅から伏見駅経由で一駅の大須観音駅から近い。
これは有難い。



<2013年7月11日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/fe824d59b1ba2a45e68795bfbb0fae13



所在地:愛知県名古屋市中区大須2-21-47
宗派:真言宗智山派
御本尊:聖観音
創建:元弘3年(1333)
開基:能信
札所:東海三十六不動尊、尾張三十三観音


【仁王門】



【仁王像】



【本堂】



【翼楼】



【大提灯】



【内陣】



【御朱印】

寂光院(2015年3月15日参拝)

2015年04月23日 | 東海三十六不動尊
非常に面白かった桃太郎神社を後にし、
紅葉が美しいことで有名な寂光院へ。



所在地:愛知県犬山市大字継鹿尾字杉ノ段121
宗派:真言宗智山派
御本尊:千手観世音菩薩
創建:白雉5年(654)
開基:道昭和尚
勅願:孝徳天皇
札所:尾張西国三十三観音、尾張三十三観音、東海百観音霊場、東海三十六不動尊、
尾張三弘法霊場、七福神特別霊場


【縁起】
当寺は継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院と号します。
白雉5年(654)奈良の道昭和尚が孝徳天皇の勅願をもって七堂伽藍を建立した。

永禄8年(1565)織田信長公が当山に参詣のおり、
清洲城の鬼門鎮護の霊刹として黒印50石、山林50町歩を寄進された。

山頂に本堂、随求堂、縁結び弁天堂、蚕堂、
不動堂、筆弘法の諸堂、山腹には報恩殿、聖徳殿(研修道場)、
内仏堂、庫裡、法輪殿がある。

寺域は33万㎡(10万坪)、全山飛騨木曽川国定公園。
参道は山門より山頂まで1350メートル。

春は桜、つつじ、新緑、秋の紅葉は殊に有名で、
別名「もみじでら」と呼ばれている。



【お迎え地蔵】


無料駐車場の所にいらっしゃいました。

紅葉の時期は駐車場がいっぱいになって渋滞するそうです。


【スロープカー】


6人乗りで本堂まで200円で行けるようです。

乗ってみたかったけど我慢我慢。


【千体観音堂】



【恵比須坂】


七福坂といって七つの石段があります。
かなりしんどい坂が待っていると覚悟した。


【福徳稲荷】



【地蔵尊】



【福禄寿坂】


ここまで登ってくると、やっぱりしんどい。


【厄除不動尊】




東海三十六不動尊札所。

御本尊は弘法大師作と伝わっているそうです。


【本堂】


約10分ほどで到着。

320段あるとかで、なかなかええ石段やった。(^^;

疲れたので展望台でリフレッシュ休憩。


【筆弘法大師】



【風景】




木曽川や犬山遊園の観覧車が見れました。


【随求堂】



【本堂】


明治12年(1879)に再建されたもの。

秘仏千手観音菩薩は60年に一度の甲子年に御開帳されるそうで、
近年は昭和59年に御開帳されました。

平成大修理落慶記念等の例外が無い限り、
生きてる内に見ることは出来そうにありませんね。


【随求堂】


文化2年(1805)に建立されたもの。

本堂から渡り廊下で繋がっていて外陣から内陣を見ることが出来ます。






大随求菩薩が厨子に安置されていました。






西国でしょうか、三十三観音が祀られていました。




天井画。


【鐘楼堂】



【佛足・佛手】



【西国三十三観音石佛】



【愛の錫杖】


持ち上がれば恋愛成就するヤツですね。


【馬鳴堂】



【辯財天】



【おもかる地蔵尊】



【宝篋印塔】



【御朱印】




御朱印は全部で三種類ありました。

本堂ではなく下の庫裏でいただけます。


さて、国宝犬山城や成田山名古屋別院を華麗にスルーして、
これからおっぱい観音へ向かいます。

楽しみや♪