Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

東光寺(2017年10月1日参拝)

2017年10月31日 | 丹波七福神めぐり


50号線から走りやすい477号線を走り亀岡に到着。

水尾からこんなに近いとは知らなかったな。

ところで亀岡には丹波七福神めぐりがあります。



日本で一番早く巡れるとも言われる七福神めぐりと、
亀岡市観光協会は紹介してるけど、単純距離だと、
泉涌寺七福神巡りの方がもっと早く巡れると思います。(^^;

それはともかく、亀岡には何度か行っていますが、
丹波七福神めぐりは後回しになって、いつも参拝出来て無かったので、
今回は巡ることにした。

まずは7番の東光寺から。


所在地:京都府亀岡市千歳町千歳上ン所41
宗派:臨済宗興聖寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:祖渓
札所:丹波七福神めぐり、川東観音霊場


【縁起】



【コスモス】




お寺にはコスモスが咲く細い道を進まなくてはなりません。

車で行けるか不安でしたので、
最初は徒歩で確認したほど。

対向車が来たら終了ですが、
距離は短いし滅多に車は通らないと思います。

山門より少し上に行くと数台停めれる広場がありました。

丹波七福神を車で巡る人は道の狭さとの闘いでもあります。
御注意を。


【山門】


臨済宗らしい凛とした雰囲気を感じますね。


【境内】





【福禄寿】



【本堂】




これが本堂になるようです。


【撫で福禄寿】



【薬師堂】




厨子の中に薬師如来が祀られているようです。

手前に福禄寿もいました。(^^


【御朱印・スタンプ】


七福神めぐり用のスタンプと書置きの御朱印が置いてありました。


【稲荷神社】





【御朱印】


書置きです。

四所神社(2017年10月1日参拝)

2017年10月30日 | 神社
京都市内から遠い水尾の里から意外と近い亀岡を目指す。

あの酷道の50号線の反対方向だけど、
同じように細い道が続く。

暫く走っていると少し道が広くなった所で神社発見。

休憩がてら参拝することにした。


【棚田】


はっきり言ってどえらい田舎ですよ。

樒原宮ノ上町となっているけど、実際は完全に村。

というか、よくこんな所に住んでるなと思う。(^^;
それも9世紀からとか。



所在地:京都府右京区嵯峨樒原宮ノ上町
御祭神:火迦具土神、埴山姫命、伊邪那美命、火雷神
創建:天文21年(1552)
開基:幸海僧正


【由緒】



【鳥居】




神社には駐車場は無いので、
漏れなく広い所で路上駐車となります。

心配しなくても車は滅多に通らないし、
尚更警察は事件が無い限り来ないので安心してください。


しかし、ここでデジカメのバッテリーが終了。

仕方なくスマホで撮影続行。

でも、ギャラクシーは2560ぐらいの大きさなら画像が綺麗ですが、
500ぐらいに縮小すると画像は悪くなるね。

ブログアップ用の写真には向かないわ。


【境内】


小さな神社です。


【石碑】


何を書いているか不明。


【狛犬】



【両部鳥居】


鳥居は両部鳥居なので神仏習合の名残りがあるんでしょう。


【本殿】




神社には拝殿はありません。

覆屋で雪から守られているようです。


【末社】


左右に末社が祀られており、
向かって右が厳島神社です。






向かって左は子守神社です。


【境内社】


御祭神は不明です。


【御神木】


これにて参拝終了。

御朱印はございません。

円覚寺(2017年10月1日参拝)

2017年10月29日 | 仏閣
清和天皇社参拝後、目的の円覚寺へ。

徒歩で向かうも案内板が見つからず少し迷う。(^^;

小学校の方へ歩いて行くと偶然お寺を発見。
分かり難い。

小学校の真横にお寺があり、
校庭に車を停める事が出来ます。

あー、わざわず有料駐車場に停めなくても良かったのに。

しかしお寺に向かう最後の右折がかなり難しい。
軽自動車なら何とか大丈夫だけど。



所在地:京都府京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町58
宗派:浄土宗
御本尊:薬師如来
創建:不明
開山:不明


【縁起】


円覚寺は藤原基経(836-891)の山荘である粟田山庄を前身とする。

清和天皇は27歳で陽成天皇に譲位した後、
30歳の時に仏道修行のために近畿各地を回り、
その最後に水尾の山寺に入った。

清和天皇は水尾の地を終焉の地と考え、
31歳の時に洛東の円覚寺で崩御。

御遺骨は遺詔によって水尾の水尾山寺に葬られ、
清和天皇水尾山陵は集落から水尾川を渡って対岸にある
清和山の中腹に設けられている。

水尾の地には水尾山寺、円覚寺、貞観寺があり、
清和天皇と弔っていた。

次第に三カ寺は衰退し、室町時代の応永7年(1420)に焼失、
水尾山寺があったこの地に移され寺号を併称することにあったが、
円覚寺の名のみが残った。

後に水尾山寺が円覚寺として継承。

延宝7年(1679)に水尾の大火により焼失したが、
安永5年(1776)に村民により再建され、現在に至る。

清和天皇の護持仏とされる薬師如来を御本尊とする。


【水尾小学校】


水尾の地は限界集落となっていて、
小学校は現在休校です。

御住職の息子さん達が居た頃でも僅か2名だったとか。(^^;


【全景】




お寺の前に車は停めれます。


【宝篋印塔】




御住職によると清和天皇の供養塔で、
鎌倉時代辺りに建立されたものとか。


早速、本堂に上がらせていただく。

拝観料は志納ですので、
それなりの金額をお支払いください。

本堂は広くなく普通の家の畳の部屋といった感じ。

部屋の奥に仏間があり、厨子の中に安置された薬師如来、
左右に阿弥陀如来、地蔵菩薩が祀られていました。

清和天皇坐像が安置された厨子もありましたね。

御本尊は50年に一度の御開帳で、
次回は2052年とのことです。

2052年はさすがに無理かも。(^^;

仏間は撮影禁止でしたが、
御住職に確認すると襖絵は撮影OKでした。


【襖絵】








なかなか素晴らしい絵でした。(^^


【柚子茶】


接待でいただいた柚子茶。

美味しかったです。


【御朱印】


御住職は謙遜して字が下手だからということで、
公にしていないが、お願いされたら対応するとのこと。

15分程お話しをさせていただ有難うございました。

さて、この後はのんびり村を歩くとしよう。


【柿】



【清和天皇陵】


約1.5キロ、20分・・・

うーむ、どうしよう。


【清和山】


山道の1.5キロ歩くのはしんどいので回避。(^^;


【風景】


長閑です。(^^


【フジバカマ畑】


毎年9月末から10月始めの一週間程、
水尾フジバカマ鑑賞会が開催され、
花好きや写真愛好家の方々が多く訪れるそうです。

現に撮影するのに苦労するほどでした。

今日、水尾に訪れたほとんどの人がフジバカマ目的の方々で、
私のように参拝目的で来られた方は非常に少ないと感じました。

私はフジバカマというのを初めて知りました。(^^;


【アサギマダラ】




飛んでいるのがアサギマダラという蝶。

日本本土で発生したアサギマダラのうち、
多くの個体が秋になると南西諸島や台湾まで南下するとか。

蝶々がそんなに遠くまで移動するとは知らんかった。


【フジバカマ】





【コスモス】



これにて水尾を去ります。

フジバカマとアサギマダラの競演は予想以上に良かったです。

清和天皇社(2017年10月1日参拝)

2017年10月28日 | 神社
2014年から始められた京都浄土宗寺院大公開が、
今年も10月1日~15日まで開催です。

毎年何処に参拝しようかと色々チェックしますが、
平日しか日程が無かったり、一度参拝したけど、
もう参拝することは無いお寺があったり。

結局、清和天皇所縁の地、嵯峨水尾にある円覚寺に参拝することにした。
円覚寺は10月1日のみ公開とあって参拝するしかあるまい。(^^


ルートは二尊院、化野念仏寺界隈を走り、
愛宕神社一の鳥居を抜けて50号線を進む。

この辺りも狭い道路だから注意が必要です。




50号線は狭い道のオンパレードです。(泣)

後で円覚寺の御住職に聞いてみたら、
対向車が来ると崖に車体を擦る事が多いそうです。(^^;




こういう道を7キロ程走りようやく到着。

臨時駐車場があり500円です。

ちなみに10月1日には保津峡駅と水尾間に、
臨時のマイクロバスが走っています。


【水尾の里】


長閑な場所です

よくこんな所に住んでいるなという印象。(^^;

古くから嵯峨野と水尾と丹波を結ぶ旧街道や、
明智越えと呼ばれる古道があり、人の往来が多かったとか。

また、清和天皇がこの地を気に入り、
崩御後に遺言通り、水尾の里を終焉の地として水尾山に葬られ、
今もなお天皇陵が近くにあります。


水尾は柚子栽培発祥の地と言われ、
14世紀初頭に在位した花園天皇が水尾に柚子を植えたそうです。

限界集落となった今でも柚子を使った鶏の水炊きや、
柚子風呂を提供するお店が数軒あります。

ただし、4名様以上じゃないと食べれないのが難点ですね。


【丸太】


駐車場から少し歩くとあります。

かなり立派な石垣がある店です。


【清和天皇水尾山稜参道】



【シマヘビ】


私がガキの頃は家の近くでも見たものですが、
今は全く居なくなりましたね。


さて、10時まで時間があるので先に清和天皇社を参拝することに。


所在地:京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町
御祭神:清和天皇
創建:不明


【由緒】



【鳥居】




雰囲気満点です。(^^

観光地になっている神社には出せない雰囲気です。

鳥居はなかなか見れない両部鳥居です。
ということは、神仏習合の神社だろう。


【石段】



【社殿】




予想通り小さな社殿です。

だけど却ってこれがいい。

左が拝殿には見えない拝殿、右が本殿です。






左手内部は集会所みたいな感じでした。


【本殿】




左が清和天皇社本殿、右が摂社四所神社となります。


【神石】



【境内社】


八幡社・上神社・蛭子社・山神社。




大神宮・春日社・大国社・神明社・十羅社。


【京都市域編入記念碑】


読めたのは最初の皇神と最後の水尾乃里と名前の源吉明で、
他は読めませんでした。


【稲荷社】





【境内】


普段は無人ですが、
愛宕神社の宮司と村の氏子さんが守っているそうです。


【向寺地蔵尊】


石段途中に案内板が。








向寺は古にこの地にあったらしいが、
廃寺となり文献も残っていないのだろう。


これにて清和天皇社の参拝終了。

なかなか良い雰囲気の神社でした。

御朱印はございません。

知覧武家屋敷群 其の二(2017年9月25日拝観)

2017年10月27日 | 旅行、その他


【森重堅庭園】


一番端にあるのが7番の森重堅庭園です。

この門は屋根が二段だし格式の高さを感じますね。

それもそのはず、森家の祖先は代々重臣として、
名高い格式の高い家柄であったそうで、
領主がよく訪れていたそうです。




主家。

寛保元年(1741)建立されたもの。




右側が領主用で左側が家人用の玄関だそうです。


【花】





【土蔵】


こちらも寛保元年(1741)建立されたもので、
壁は粘土を固めて造っているそうです。

屋根は固定されずにシュロで作った縄で白壁に結んであり、
火災の時に屋根を取り外すとか。

凄い知恵です。


【中門】



【庭園】


寛保年間(1741~1744)の作庭で、
知覧武家屋敷群唯一の池泉庭園です。








今までの庭園は正直物足りなかったですが、
こちらは京都の塔頭寺院に負けない庭園です。


【主家】



【石敢当】




魔除けだそうです。


【本場場通り】


石垣とか見ると沖縄の影響があるように感じますね。

良い雰囲気です。

これから反対にある1番から3番の庭園を見に行きます。


【平山亮一庭園】


3番です。


【祠】



【主屋】



【水鉢】


手前の水鉢は一説には刀や槍の血のりを落とす為ののものとか。


【庭園】




こちらの庭園は他と違い石組みが無く、
母ヶ岳を望む借景庭園です。


【平山克己庭園】


2番です。








明和年間(1764~1771)の作庭。


【主屋】



【西郷恵一郎庭園】


端っこにある1番です。






江戸末期文化文政時代(1804~1829)の作庭。


【主屋】



【本場場通り】


1番と2番辺りからの雰囲気が一番良いと思います。

これにて知覧武家屋敷群の拝観終了。

武家屋敷というからもっと武士らしい家をイメージしてましたが、
平和な江戸時代に造られただけあって庭園がメインでしたね。

武家屋敷は金沢にもありますが、
あちらはコジャレた綺麗な庭園が多いですね。

しかし、こちらは無骨の薩摩隼人が沖縄の影響を受けて造った
男らしい庭園が多かったですね。


【光寿寺】




知覧武家屋敷近くにある浄土真宗のお寺です。






本堂は開いていました。(^^


【麹蔵河内】


鹿児島空港近くにある工場兼販売店で、
焼酎の試飲やウィンナーや焼き豚の試食等があります。

食べる甘酒も美味しかったです。


説明してくれる女性が綺麗でした。(^^




蒸留釜。






庭園。

これにて全ての観光終了。


【鹿児島空港】




空港で早い夕食をとって帰宅の途へ。

鹿児島空港って意外と食事するお店が充実してました。(^^


【伊丹空港】


お疲れ~。

知覧武家屋敷群 其の一(2017年9月25日拝観)

2017年10月26日 | 旅行、その他
鹿児島旅行も終盤戦。

最後の観光地として今回は特攻平和会館には行かず、
武家屋敷をオプションで見学することにした。




江戸時代の武家屋敷の雰囲気が今なお色濃く残る地域らしく、
薩摩の小京都として人気観光地になっています。

ちなみに駐車場は有料で三カ所あり、拝観料500円必要です。


【概要】
江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、
地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、
鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。

知覧もその一つです。

知覧麓の武家屋敷群は薩摩の麓の典型的な作例の一つで、
折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れ、
我が国にとってその価値は高いとして、
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されいます。

また、同時に地区内の7つの庭園が優れた意匠で構成されており、
その手法は琉球等庭園と相通じるものがあり、
庭園文化の伝播を知る上でも貴重な存在であるとして国の名勝に指定。

指定された7つの庭園の中で森重堅邸庭園のみが池泉式で、
他は全て枯山水式となっていて、
今に残る枯山水の伝統美と時代の息吹を感じさせてくれます。



【知覧型二ツ家】


武家屋敷のちょうど真ん中にあるゴマラー好みの屋根の家が見えたので、
一番最初に訪れました。

ここは7つある武家屋敷庭園とは違うようです。






はぁ、いいですね~。

この茅葺の屋根を見ると本当に落ち着きますね。






昭和天皇と皇后陛下の写真が飾られていました。

写真の下は私の親が言うには仏壇らしい。




ナカエと呼ばれる部屋で壷や昔の民具が置かれていました。

中には入れませんので御注意を。


【佐多美舟庭園】


4番の佐多美舟庭園に入ります。

屋根は二重構造となっており、
本家と分家、身分の高低等によって違うそうです。

当然ながら二重の屋根の方が身分は高いです。






知覧島津氏の本筋にあたり、
知覧庭園の中で最も豪華で広い庭園と言われ、
宝暦年間(1751~1764)の作庭と伝えられています。




書院。

武家屋敷というイメージとは違いますね。


【佐多民子庭園】


5番の庭園は4番の斜め前にあります。








寛保・寛延・宝暦(1741~1763)頃の作庭。




書院。


【花】







【佐多直忠庭園】


5番の隣の6番です。

佐多さんばっかりだなぁ。(^^;








大刈込式蓬莱石組庭園で作庭は寛保年間(1741~1744)。



主屋。


【河童】




ここは入ってはイケない家です。


【旧高城家住宅】


こちらは7つの武家屋敷とは違います。




この石像は沖縄の影響を感じますね。

何かよく分からないけど。




主屋。




庭園。










ゴマラー好みの茅葺屋根。

こういう建築はこの地独特で初めて見ました。








中は物凄い煙で燻されていました。


【井戸】



残り4つの武家屋敷ありますが、
長くなりましたので続きはまた明日。

知覧特攻平和観音堂(2017年9月25日参拝)

2017年10月25日 | 仏閣
知覧町護国神社の真横にあるのが特攻平和観音堂。

隣りの護国神社では戦死者は神として祀られ、
戦死者の魂と御遺族の心を慰める為に観音堂があります。


所在地:鹿児島県南九州市知覧町郡
御本尊:夢ちがい観音菩薩
創建:昭和30年(1955)
宗派:無宗派


【縁起】


太平洋戦争末期の沖縄戦において一千三十六名の特攻勇士が、
身を以って示した崇高至純の殉国精神の顕彰し、
世界の恒久平和を祈念する為、旧知覧飛行場跡地に特攻平和観音堂を、
昭和30年9月28日に建立し観音像を安置しております。

この観音像は大和法隆寺の夢殿に奉安してある秘仏夢ちがい観音像を、
特別のお許しを受けて謹鋳した一尺八寸の金剛像です。

知覧町では昭和30年奉安以来毎年5月3日、
知覧特攻基地戦没者慰霊祭を挙行し、御霊らの慰霊顕彰に努めています。

尚、観音像の体内には特攻勇士の芳名を謹記した霊名録が奉蔵されています。


【観音堂】



【観音堂内陣】


神式の祀り方をしているようですが、
中央に観音様が祀られていました。


【観音像】


こちらは木造の観音立像ですが、
かなり良く出来た観音様です。


【手水鉢】



【門柱】







【参道】



【石灯篭】


この辺りは本当に石灯篭が多い。

散華した特攻隊員1036人の御遺族の寄付等により、
今では1036を超える石灯篭があるそうです。


【母の像】



【隼】








平成19年(2007)に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で、
実際に撮影に使用される為に造られたレプリカです。

この映画は石原慎太郎が制作総指揮・脚本を手がけ、
主要キャスト窪塚洋介、主題歌B'z「永遠の翼」です。


B'z 永遠の翼 LIVE-GYM2008 ACTION



これにて知覧界隈の参拝終了。

やはりこの地を訪れると思うことが色々と出てきますね。


観音堂の御朱印はございません。

知覧特攻平和会館 三角兵舎(2017年9月25日見学)

2017年10月24日 | 旅行、その他
知覧町護国神社本殿の真後ろに三角兵舎の案内板がある。

どんなものなのでしょうか。

とりあえず行ってみましょう。


【縁起】
三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。
敵の目を欺くた為、松林の中に半地下壕をつくり、
屋根には杉の幼木をかぶせ擬装してありました。

各地から集まった隊員はニ~三日後には雲の彼方、
沖縄の空に散華されました。

出撃の前夜はこの三角兵舎で壮行会が催され、
酒を汲みかわしながら隊歌を唄い、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、
また別れの手紙等をしたためて、出撃して征ったのです。

ここに三角兵舎を復元して当時を偲ぶよすがとするものであります。


【三角兵舎】



【庄覧平和観音】


知覧ではなく庄覧となっていました。

庄覧というのがよく分かりませんね。


【兵舎内部】


山小屋よりはスペースがあって快適そうだ。

ちょっと不謹慎かな。(^^;




垂直尾翼。

本物かは分かりません。






彼等の笑顔が逆に悲しみを誘う。

馬鹿な軍部上層部と政治家によって彼等は特攻で散ってしまった。

生まれてくる時代が悪かったとしか言いようがない。


敗北は決定的なのが分かっていたのに、
日本民族が滅ぶまで戦争を続けようとした愚かな軍部と政府。

軍部上層部や政府によって、
どれだけの罪も無い老若男女が死んでいったことか。

さっさと7月26日にポツダム宣言を受諾していれば、
原爆による20数万人の死者が出ることも無かったし、
ソ連による北方領土を奪われることも無かったかも知れない。

当時のアメリカは原爆実験をしたくて仕方なかっただろうし、
ソ連は北海道まで侵略したかったから、
ポツダム宣言を日本が受諾したとしても、
歴史は変わらないのかも知れない。


だけど、無能で残忍な軍部上層部や政治家達によって、
多くの国民が死んだことに変わりは無い。

国民の命を虫けらのようにしか思っていなかった軍人や政治家達は、
靖国神社に神として祀るのは有り得ないと思っている。

純粋にお国の為に死んでいった戦士達は別ですけどね。


あ、言っておきますが私は左翼ではありませんよ。(^^;

真ん中よりちょっとだけ右曲りのダンディーです。(笑)


なんにせよ戦争は二度とやってはいけない。

そして尊い命を犠牲にした戦士達がいたことを、
我々は決して忘れてはならない。



池田湖~知覧町護国神社(2017年9月25日参拝)

2017年10月23日 | 神社
長崎鼻と龍宮神社を離れ、
ツアーバスは九州最大のカルデラ湖である池田湖へ。

この池田湖にはネッシーのような未確認生物が目撃され、
イッシーと呼ばれているらしい。(笑)

池田湖に到着すると池田湖パラダイスという
土産物屋に連れていかれる。


【イッシー】


完全に商売に利用してますね。(笑)


【大うなぎ】




池田湖パラダイスに入ると大きな水槽があり、
中に何匹か大うなぎがいました。

夜行性もあって朝は死んだかのようでした。(^^;


【母子観音菩薩】



【池田湖】




池田湖からも開聞岳が見れました。(^^

休憩と買い物を終え、昼食会場の知覧パラダイスというお店へ。

どうやら鹿児島の人はパラダイスが好きなようだ。(笑)

きっと中川パラダイスも好きなんでしょう。(笑)


【カンパチしゃぶしゃぶ定食】




味は普通。

やっぱり団体用の料理は期待してはいけませんね。(^^;


【甲冑】



今回のツアーではオプションで特攻平和会館ではなく、
武家屋敷を選んでいたので知覧パラダイスの近くをブラブラ。

これが吉と出る。(^^


【乙女の祈り像】




やっぱり全裸。

こういう像って何で絶対的に全裸なんでしょうね。

せめて股間は葉っぱでも当ててやってください。(笑)


時間があったので特攻平和会館に行ってみると、
戦闘機を発見。(^^


【T-3練習機】








特攻平和記念会館の横にあり、
見た瞬間高まりました。

実際に1978年~2007年に使用されていたものとか。

カッコええわ~。(^^


【特攻勇士の像】


とこしえにの像の後ろに神社発見。

グーグルマップによる事前チェックで、
この界隈に神社は無かったハズだが、
帰宅してからもう一度グーグルマップで調べてみると、
ズームしまくったら神社が出てきたわ。


所在地:鹿児島県南九州市知覧町郡17974
御祭神:戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者
創建:明治2年(1869)
社格:村社


【参道】



【鳥居】


意外と広い境内です。


【拝殿】


独特の形の拝殿ですね。

このタイプは初めて見たと思います。


【狛犬】



【本殿】





【社殿】


小さな護国神社とはいえ、
護国神社らしい雰囲気でした。

御朱印は無いと思われます。

長崎鼻(2017年9月25日見学)

2017年10月22日 | 旅行、その他


龍宮神社参拝後、長崎鼻を見学。




岬の先にある灯台へ歩いて行く。


【概要】
錦江湾(鹿児島湾)の出入口にあたる長崎鼻には、
薩摩長崎鼻灯台が立ち、海の綺麗さは絶景の地です。

開聞岳の眺望に加え沖に浮かぶ三島(竹島・硫黄島・黒島)の島影や、
空気の澄んだ日には年に数回屋久島や種子島まで望めるといいます。

また、長崎鼻は浦島太郎伝説の発祥の地としても知られていて、
浦島太郎が竜宮へ旅立った岬という言い伝えもあります。


【貝殻祈願】




やりたい人はどうぞ。(笑)


【開聞岳】





【薩摩長崎鼻灯台】





【高松宮殿下御成婚記念碑】



【薩摩長崎鼻灯台】





【錦江湾】



【長崎鼻】




行こうと思えば岬の先っちょまで行けますが、
こけて怪我しないようにね。


【薩摩長崎鼻灯台】



【開聞岳】


鳶が飛んでいたので何とか撮影成功。(^^








どっから見ても本当にいい山です。

素晴らしい。(^^

長崎鼻がここまで観光地となっているのは、
やはり開聞岳の存在が大きいね。(^^

今日は雨じゃなくてマジで良かったよ。(^^

龍宮神社(2017年9月25日参拝)

2017年10月21日 | 神社
我々を乗せた観光バスは長崎鼻へ向かう。

鹿児島なのに何故か長崎鼻という名前が付いている岬です。

また長崎鼻は浦島太郎伝説の発祥の地としても知られていて、
浦島太郎が竜宮へ旅立った岬と言い伝えられ、
竜宮鼻という別名があるそうです。

長崎鼻って全く知らなかったしので期待はしてなかったけど、
事前に調べてみると龍宮神社が近くに鎮座することが判明。

俄然行く気がわきました。(^^



所在地:鹿児島県指宿市山川岡児ケ水1578-8
御祭神:豊玉姫
創建:不明


【由緒】
薩摩半島の最南端に突き出た岬、長崎鼻の断崖絶壁の上に、
豊玉姫(乙姫)を御祭神として鎮座していました。

この頃は石の祠であったそうですが、
いつしか村人によって木造の屋根が被せられるようになりました。

しかし度重なる台風の被害により劣化が進み、
昭和31年(1956)に台風により倒壊した神社を当時の南薩鉄道が再建。

平成22年(2010年)9月、老朽化が進んだ為、
本殿を残し拝殿及び社務所を解体。

平成23年(2011年)3月、九州新幹線の鹿児島への乗り入れに伴う
竜宮伝説等のキャンペーンが指宿市全体で行なわれるに至り、
龍宮神社があった岡児ヶ水区では神社の再建を目指すことになり、
着工から2年、平成24年(2012年)5月に本殿を建立し、
落成の運びとなりました。

建設費用は岡児ヶ水区の積立金1,000万円余を用い、
本殿は約半年かけて広く募金活動を行い、
集まった1,300万円の浄財で再建、現在に至る。


【白蛇神社】


駐車場から長崎鼻に向かって歩いていると、
鳥居がありました。

柵の中には祠は見当たらず荒れていました。

セコムが虚しい。


【開聞岳】


はぁ、やっぱり開聞岳は何処から見ても良い山です。


【看板】


こんな看板ありましたが、お店は開いてました。(苦笑)

人気観光地らしく土産屋さんが結構ありましたね。
焼酎王国の鹿児島らしく色々な焼酎が売ってましたが、
魔王とか佐藤はプレミア価格でした。(苦笑)


【にしき屋本店】


駐車場から5分ほど歩いたでしょうか。

龍宮神社の鳥居前に店があり、
御朱印は何とこの店でいただけます。

しかも店員のおっちゃんの手書きです。(笑)


【亀】


亀はこの地では外せません。(^^


【ハイビスカス】



【鳥居】


小さい鳥居で大人はくぐろうと思えば屈まなければなりません。


【社殿】


紅白の社殿が良い感じ。(^^


【竜宮門】







【本殿】




普通なら日本酒が奉納されているのですが、
こちらには焼酎が奉納されていました。(^^


【貝殻祈願】






処分に困ったホタテの貝殻を上手く使ってるね。

100円必要ですが調達費と神社維持に使用してるとのこと。


【貝塚】





【境内社】




稲荷社かと思っけど近寄ってみると小さな石像が祀られていました。

恵比寿様かなぁ。


【水神】



【手水鉢】



【鳥居】





【開聞岳】



【長崎鼻】



【御朱印】


観光地化されていて神域感は全く感じませんが、
風光明媚な場所にあるだけあって、
観光で訪れるには良い神社だと思います。

普通に楽しめるこういう神社もたまにはいい。

JR日本最南端の駅 西大山駅(2017年9月25日見学)

2017年10月20日 | 旅行、その他
朝から露天風呂入って、朝食食ってホテルをチェックアウト。

今日はまずJR日本最南端の駅である西大山駅へ行って、
そこから見る開聞岳を撮影しに行きます。

ここは前から行きたかったので、
今回のツアーに参加したといっても過言では無い。

楽しみです。

指宿フェニックスホテルから15分程で駅に到着。


所在地:鹿児島県指宿市山川大山602
開業:昭和35年(1960)


【概要】
開業以来長らく日本最南端の駅だったが、
2003年の沖縄都市モノレール線開業に伴い、
同線の赤嶺駅にその地位を渡した。

その際、日本最南端の駅の標柱を本土最南端の駅に改めたが、
沖縄は本土ではないのか、との意見が寄せられたことから、
2004年に表記をJR日本最南端の駅へ変更している。

なお、鉄道事業法に基づく、現存する普通鉄道の駅としては、
従来どおり日本最南端であるが、2017年現在沖縄県でモノレールに続く、
新規路線を普通鉄道として建設する可能性が検討されたり、
2016年にJR九州の青柳社長が山川-枕崎間の廃止可能性について言及する等、
今後の成行きが注目されている。


【伍代夏子記念植樹石碑】


無料駐車場脇に発見。

金木犀の木は枯れたようで無かったです。


【幸せを届ける黄色いポスト】


幸せの黄色のハンカチならぬ、
幸せを届ける黄色いポストだそうです。

黄色いポストは初めて見ましたね。

奥に見えるのが開聞岳です。

この山がカッコいい。


【駅名標】







【ホーム】


無人駅で入場券は不要です。(笑)

記念入場券は山川駅と指宿駅で、
駅到着証明書は駅前にある直売所兼観光案内所で買えます。


【時刻表】


本数少な過ぎー。(^^;

基本的に学生の通学に合わせているそうです。


【運賃表】



【開聞岳】




これこれ、この風景を見たかったのよ。

天気が雨でなくて本当に良かった。(^^


【キハ40】




9時2分着の列車です。

旅行会社も時間を把握して西大山駅に連れてくれました。(^^

9時2分の次は14時18分まで電車は来ません。(^^;


【開聞岳】


薩摩富士と呼ばれる美しい山で、
標高924mの日本百名山の一つです。


【かいもん市場久太郎】


駅前のお土産屋です。


【招幸石】





これにて西大山駅の見学終了。

今年は年に二日だけ停車する津島ノ宮駅にも降りたし、
少し大人の階段を登った気がします。(^^

照国神社(2017年9月24日参拝)

2017年10月19日 | 神社
西本願寺鹿児島別院参拝後、
正月の参拝者数が鹿児島で一番多い照国神社へ。

ここは参拝出来ないかなぁと思っていたが、
ツアーのバスが大鳥居前に停まるというラッキーに恵まれ、
参拝出来ることに。(^^



所在地:鹿児島県鹿児島市照国町19-35
御祭神:照国大明神(島津斉彬公)
創建:文久2年(1862)
社格:別格官幣社、別表神社


【由緒】
御祭神の島津齊彬公は嘉永4年(1851)薩摩藩藩主を襲封され、
安政5年(1858)薨去されるまで僅か7年間の治世であったが、
生前の御遺徳を慕い崇敬の念を寄せる万民の願いにより、
神社設立の運動が起り、文久2年(1862)鶴丸城の西域である
南泉院の郭内に社地を選定し、翌3年(1863)勅名によって、
照國大明神の神号を授けられ一社を創建した。

元治元年(1864)社殿竣工、照國神社と称し、明治6年(1873)県社、
元治15年(1882)別格官幣社に列格。

元治34年(1901)正一位を賜り、今日では鹿児島の総氏神様として、
多くの人々に崇敬されています。


【大鳥居】





【境内】


天文館に近い立地にありながら、
無料駐車場がありました。

羨ましい。


【照国記念館】


ここは後で拝観することにしよう。


【神門】



【神紋】



【拝殿】


歴史の浅い神社でもあるし、
拝殿の雰囲気も相まって意外とあっさりとした雰囲気。

少し護国神社並みの雰囲気を感じますね。


【本殿】



【高倉】



【保食神社】





【島津齊彬公像】




島津家28代当主(11代藩主)。

天璋院篤姫は齊彬公の養女。

神号は照国大明神ですが、戒名もあり順聖院殿英徳良雄大居士。


【島津齊彬公】


こういうお顔をされていたそうです。


【社殿】



【護国神社頓宮】


こちらは照国神社の社殿では無く、
護国神社の頓宮でした。

護国神社は残念ながら少し遠かったので参拝出来ませんでした。



【照国記念館】




拝観料は無料ですが、パンフレットは志納で100円でした。

いろいろ展示されています。










切子は欲しいんだけど高いので貧乏人は手が出ない。(泣)




蝉耳付香炉。




國六十三代孫波平住大和守平朝臣行安。

近衛家(従一位近衛忠凞公)が照國神社御鎮座を寿ぎ、
社殿内の威儀用太刀として奉納されたもの。

明治10年(1877)の西南戦争の混乱期から行方不明になっていたが、
警視庁より照國神社の木札のついた刀剣があるとの照会があり、
調査後、平成23年(2011)に返還された太刀です。


他に照国神社は国宝の太刀國宗を所蔵していますが、
現在は近くの黎明館で保管され、1月と8月に特別展示されるそうです。


【御朱印】



【アリヨシ民芸品店】


天文館界隈を離れバスは屋久杉工芸品の店に到着。


【桜島】


店の前は国道26号線で鹿児島湾の向こう側に桜島。

うーん、残念。


【タンカー】


近くに東京ドーム40個分の広さを持つ、
原油中継備蓄施設がありました。

平日に見学も出来るようです。


【アリヨシ民芸品店】




中にはいろいろ屋久杉を使った商品の展示販売をしてます。

旅行会社のツアーではこういう場所で、
お金を落とすように連れていかれます。




一億円也。

この価格はあって無いようなもので、
売るつもりは無いんでしょうね。

万が一、売れたらラッキー的な感じだろう。




山田邦子とか懐かしいな。(遠い目)








屋久杉の箸と湯呑を購入。


【指宿フェニックスホテル】


本日のお宿。

画像はネットから拝借。




阪急交通社ではBランクのホテルだけど、
外観やロビーを見ると結構良いホテルだと思います。

ただ、部屋はそれなりでしたが。


【風景】


このホテルは全てオーシャンビューです。(^^


【ハイビスカス】


南国らしい花で綺麗でした。(^^


【夕食】


美味しかったです。

温泉入って寝よ。

西本願寺 鹿児島別院(2017年9月24日参拝)

2017年10月18日 | 仏閣
曽木の滝の次は鹿児島観光定番の城山展望台へ。

オプションを申し込んでる人達は仙巌園へ行っているのですが、
私の家族が仙巌園は一度行ってるから行かないということで、
城山展望台と天文館に行くことに。

駐車場に着く頃には無情の雨。

桜島も期待は出来んな。


【城山展望台】




やはり残念な結果に。(泣)

というか、天気が良くてもそんなに良い景色かなぁ。

港から見た方が近くて良いと思うんだけど。


【鹿児島市街】


真ん中に見えるのが鹿児島別院です。

天文館から近いので行くしかあるまい。(^^


【皇太子殿下御手植公孫樹】


大正9年3月26日と刻まれているので、
この皇太子殿下は昭和天皇のことですね。


【皇太子殿下御手植御手植樟】


明治四十年十月二十八日ということなので、
大正天皇が皇太子時代に来られたということです。


さて、お腹が空いたので天文館で食事でもしますか。


【むじゃき膳】




適当に入った「天文館むじゃき」という店で昼食。

黒豚しゃぶ(50g)、ハマチ刺身、鰹たたき、鶏飯、
ふくれ菓子という内容。

これが完全なるチョイスミス。




肉が薄いのなんの。

よくぞこれほど薄くスライス出来ると逆に感心するわ。(^^;

出汁は美味しかったんだけどね~。


鶏飯というのはは奄美地方の郷土料理で、
普通の鶏のササミが入ったそぼろ丼みたいなのを想像してたけど、
パパイヤ漬けと沢庵が入った出汁茶漬けといった感じ。

苦手な個性の強い漬物が二種類も入って、
トドメに大嫌いな刻んだ紫蘇が入っているからつらい。(^^;

紫蘇なんて食いモンじゃないよ。(苦笑)

そういう訳でこれは全く口に合いませんでしたね。

紫蘇と漬物が入って無かったら普通に美味しいと思いますが。

刺身は美味しかったです。


はぁ、普通に黒豚のトンカツにすればと後悔したよ。(^^;



さて、気を取り直して西本願寺の鹿児島別院へ。

地元のガイドさんによると鹿児島は真宗王国らしい。

鹿児島って伊勢地方に並ぶほど、
廃仏毀釈の時に寺院が徹底的に破壊された歴史がありますね。


所在地:鹿児島県鹿児島市東千石町21-38
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明治11年(1878)


【縁起】
室町時代末期から始まった薩摩藩による念仏禁制と弾圧、
幕末から全国的に起こった廃仏稀釈では、
薩摩藩に存在した仏教寺院は全て破却。僧侶も全員が還俗させられる等、
薩摩の念仏者達は禁が説かれるまでの約300年間、
隠れて手を合わさざるを得なかった歴史があります。

明治9年(1876)9月5日、鹿児島県参事の田畑常秋氏より、
「各宗旨ノ儀自今人民各自ノ信仰二任セ候条此段布達候条」と書かれた
一片の布達が出され、禁制に終止符が打たれた。

その後、本山・本願寺より開教使に任命された6名が鹿児島へ到着し、
石灯籠通りの柳田喜助氏の自宅を御本尊の仮懸所として、
鹿児島の開教が開始。

明治11年に現在地を取得し、紀州にあった性応寺を買得して移築、
ここに別院が建立されることになりました。

第二次世界大戦に米軍の鹿児島大空襲により灰燼に帰したが、
昭和24年に本堂は再建。

しかしながら、鹿児島別院としては長らく再建されませんでしたが、
くのご門徒の方々の協力を得て、昭和57年に鹿児島別院は再建されました。


【山門】


別院に相応しい立派な山門です。


【本堂】




これまた立派な本堂です。

屋根は耐久性と軽さを兼ね備えたチタン瓦が葺かれているそうです。

浅草寺の屋根もチタン瓦だとか。




境内は真宗らしく有料駐車場となっていました。


【寺務所・納骨堂】



【鐘楼堂】



【境内】



【内陣】






まさに荘厳。


【御本尊】


なまんだぶ なまんだぶ。

これにて鹿児島別院参拝終了。

内陣の雰囲気はとても良かったです。(^^

御朱印はございません。

清水神社~曽木の滝(2017年9月24日参拝)

2017年10月17日 | 神社


今日から一泊二日で鹿児島旅行。(^^

阪急交通社のツアーで25000円ポッキリ。

飛行機代、ホテル代、晩と朝食付きで、
この値段は安いよね。

ただ、10月の土日は35000円に跳ね上がりますが。(^^;






伊丹空港からビューンとひとっ飛びで鹿児島空港に到着。

鹿児島は二十数年振りです。


しかし天気が微妙。

雨降って欲しくないな。


まずは曽木の滝という所に行くらしい。


【曽木の滝】






滝幅210メートル、高さ12メートルの滝だとか。




今日は水量が多くて豪快な滝です。

これは見応えたっぷり。


【観音淵】




秀吉が島津義久と和睦が成立し、帰京する前に曽木の滝を見学。

その時、島津家臣新納忠元は隙があれば、
秀吉を観音淵に落とそうと画策。

殺気を感じた秀吉は新納忠元の袖を一時も離さず、
新納忠元は秀吉の人の心を見抜く力に心から感服したという。

こんな逸話があったとは知らなかったし、
秀吉がここに来ていたとは驚きです。

今の時代なら飛行機で1時間ちょっとで鹿児島まで来られますが、
昔だったら何日かかることやら。


【新曽木大橋】


向こうに見えるのが総工費30億円かけた新曽木大橋です。

川の名前は下から書いても上から書いても川内川。


【曽木の滝】


少し高台になった所から撮影。

これほど横幅の大きい滝は日本では珍しいですね。

ここに来れて良かったです。

そんでもって、この滝には小さな神社があります。

当然のことながら華麗にスルーするわけがない。(笑)



所在地:鹿児島県伊佐市大口宮人
御祭神:瀧津姫命
配合神:稲荷大明神
創建:不明


【由緒】



【鳥居】



【拝殿】



【本殿】



【絵馬】




絵馬やおみくじはありましたが、
御朱印は無かったです。

書置きでも置いてくれたらいいのに。