Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

薬師院(2016年10月8日参拝)

2016年10月23日 | 京都十二薬師霊場
大満足の転法輪寺から中京区へ移動。

京都十二薬師霊場の一つ薬師院を参拝します。

こちらのお寺は2年前にFACEBOOKで、
10月8日に限定の御朱印が出される情報があり、
是非ともいただきたいと思っていました。

しかし、平日は仕事がなかなか休めないので、
去年は諦めてましたが、今年は待望の土曜日。(^^

2年越しの念願の参拝です。

事前情報で御朱印の授与は昼の13時からだったので、
近くの有料駐車場に13時半頃到着。

駐車場はありますが月極のようでした。



所在地:京都府京都市中京区釜座通二条上ル大黒町694
宗派:黄檗宗
御本尊:薬師如来
創建:不明
開山:不明
再興:鉄面寂錬禅師
札所:京都十二薬師霊場


【縁起】
御本尊の薬師如来像は、桓武天皇の延暦元年(782)、
伝教大師最澄が一刀三礼彫刻された薬師仏七体中の一体尊。
 
現存するのは延暦寺根本中堂のものと二体のみ。

鎌倉時代の寛喜2年(1230)疫病が全国に広がった時、
住職の夢に薬師如来が現れて、一切病苦の衆生、我が前に来たらば
諸病ことごとく除くべきに、来ぬか、来ぬか、とのお告があり、
皆病気治癒したので、これ以降、「こぬか薬師」呼ぶ。

その後、織田信長が法蓮道三藤山城守より薬師如来のことを伝え聞き、
美濃から京都の現在地に移したという。

元治元年(1864)に起こった蛤御門の変で焼失。
緑樹院竺丈禅師、三井家、近衛家の外護により、
明治22年(1889)に再建されるも、戦後荒廃。

その後、住職、檀家により復興し現在に至る。


【大行列】


着いてみるとご覧の通りの大行列。

皆さん御朱印目当てです。(笑)

やっぱりあの御朱印は欲しいもんなぁ。(^^

しかし、これほどとはビックリしたよ。(^^;


【本堂】


本堂と庫裏のみといった小さなお寺です。

写していませんが、本堂奥をグルっと周って、
大行列の人達がいます。(^^;




テントの下では檀家さん達が集まり、
薬師如来開扉法要に参加されていました。




本堂内陣は残念ながら撮影禁止でした。


【御朱印】


約40分並んでいただきました。

この御朱印が欲しかったのよね。(^^

しかし、あれだけあった枚数も残り10枚ぐらいだったので、
めっちゃ焦ったよ。(^^;

今回いただけなかった人達の救済策として、
この御朱印に限り郵送していただけるようでした。

でも、何で葵の御紋なのか調べても、
よく分かりませんでした。

今度、お寺の方に聞いてみよう。




御本尊の御朱印。

売り切れた御詠歌と三種類とも書置きでした。

2年前の情報だと金紙以外の御朱印は御朱印帳に書いていただき、
尚且つ三種類あったんだけど、
あの行列を見たら土日はさすがに無理っすね。

書置きで正解です。

でも、普段は御本尊と御詠歌の御朱印は、
御開帳の印が無いだけで普通にいただけます。

蛸薬師堂<永福寺>~妙心寺(2016年6月17日参拝)

2016年07月11日 | 京都十二薬師霊場
京都の台所である錦市場に近い場所に、
蛸薬師と呼ばれ親しまれるお寺があります。

正式名は林秀院永福寺と言います。


<蛸薬師堂>
所在地:京都府京都市中京区新京極蛸薬師東側町503
宗派:浄土宗西山深草派
御本尊:蛸薬師如来
創建:養和元年(1181)
開基:林秀
札所:京都十二薬師霊場、京都 新京極 御朱印めぐり


【縁起】
養和元年(1181)安徳天皇の御世、室町に一人の富者がおり、
髪を落とし林秀と号していました。

林秀の夢枕に薬師如来様が現れ、お告げになられました。
「昔、伝教大師(最澄)が、私の姿を石に彫り、
比叡山に埋めている。これを持ち帰るがよい。」 
林秀は大喜びし、翌日薬師如来様の示された所を掘ると、
瑞光赫々とした立派な石の御尊像を得る事が出来ました。

この尊像を持ち帰り、六間四面のお堂を建立し、
永福寺と名付けましたのが蛸薬師堂の始まりです。

また、病気平癒や厄難消除に霊験のある蛸薬師如来様を
参拝する人々で賑わった参道を蛸薬師通と呼ぶようになりました。


【山門】


商店街にある小さなお寺です。

奥に進むとこれまた小さな本堂があり、
諸仏が祀られていました。

御本尊の他に不動明王や北向地蔵尊、
変なお顔と姿が印象的な福の神等が祀られていました。

仏像は撮影禁止でした。


【なで蛸】


京都らしく奥に細長い構造になっていて、
奥に妙心寺というお寺があります。


<妙心寺>
所在地:京都府京都市中京区新京極蛸薬師東側町503
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:松平信光
開山:教燃良頓上人


【縁起】
永福寺の南隣に圓福寺というお寺があったが、幕末の大火で焼失。
また明治維新に府の区画整理により寺域の大部分が没収され、
三河岡崎にあった妙心寺と寺号を交換した。

妙心寺は永福寺の境内に仮本堂を建て、妙心寺の本尊を安置し、
法性山無量寿院妙心寺となった。


【参道】


この奥に阿弥陀堂があります。

しかし、仏様はおろか境内は全て撮影禁止でした。

あちこちに張り紙があって、
撮影に関して非常に厳しい対応をされていましたね。


御本尊の阿弥陀様はとても良い表情をされていました。

必見と書くと仏様は見るものではなく、
拝むものだと怒られそうだけど。(苦笑)


【御朱印】


妙心寺の御朱印もあると事前チェックしていたので、
確認してみると蛸薬師堂でいただけるという。

いただいた御朱印をよく見ると妙心寺と書かれていた。

その阿弥陀如来と墨書きされた御朱印が妙心寺のものとなります。

蛸薬師堂には5種類の御朱印があって、
お薬師さんと阿弥陀さんの御朱印をチョイス。

その内の一つが妙心寺の御朱印だったというわけ。

御朱印には開基が松平信光だけあって、
葵の御紋が押されていました。