Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

如願寺(2015年10月4日参拝)

2015年11月30日 | 仏閣
智源寺でいただいた宮津散策マップを見ると、
如願寺というお寺の仁王門が良さげだったので急遽参拝。


所在地:京都府宮津市宮町73
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:万寿元年(1024)
開山:皇慶上人


【縁起】
如願寺は皇慶上人(比叡山延暦寺の僧)が開いたのが始まりと伝えられています。
丹後守護職一色氏の家臣小倉氏から庇護され寺運が隆盛しましたが、
一色氏と細川氏との兵火により30余りあった堂宇が尽く焼失したことで衰微します。

その後、領主となった細川忠興が天正年間(1573-1592)に再興、
寛文12年(1671)に当時の宮津藩主永井尚征が、
祈願所として庇護し堂宇を再建しています。

歴代宮津藩主から庇護されましたが、往時程は回復せず数多く擁していた子院も
江戸時代には6院のみになっています。



【双橋】




二つの橋の前に無料駐車場がありました。


【仁王門】


風情があっていい感じです。

元禄3年(1690)再建されたもの。


【仁王像】



【本堂】




はぁ~いいわ~。
渋くて癒されます。(^^

訪れて良かった。

現在の本堂は寛文12年(1671)に再建されたもの。


【火松地蔵尊】


真ん中の地蔵尊は割れているんですが、
落雷で朽ちた松を地蔵尊に合うように削られ、
地蔵尊を支えるようにしていました。

破損している地蔵尊だけなら悲しいものがありますが、
このように支え合っているのを見ると心が和みます。


【皇慶上人像】



【宝篋印塔】



【鎮守社】



【六体地蔵尊】



【鐘楼堂】



【地蔵尊】



【芭蕉堂】



【歓喜天】





【御朱印】

智源寺(2015年10月4日参拝)

2015年11月29日 | 仏閣
大頂寺の次は曹洞宗の智源寺へ参拝です。

今でも雲水さんが修行されている道場です。



所在地:京都府宮津市京街道769
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩、釈迦牟尼仏
創建:寛永2年(1625)
開基:惣持院殿松渓智源大禅定尼
開山:心庵盛悦禅師



【縁起】
寛永2年(1625)5月、宮津城主・京極丹後守高広が、
母堂・惣持院殿松渓智源大禅定尼追善の為に建立したお寺で、
心庵盛悦禅師を懇請して開山とした曹洞宗のお寺です。

山号と寺号はこの松渓智源禅定尼より出ています。

寛文元年(1661)大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、
丹後曹洞宗の諸寺を支配しました。

また、昭和初頭までは常時10数名の修行僧が修行しており、
現在も格式のある修行道場の伝統を受け継いでいます。


【子安地蔵】


無料駐車車がありました。
ここは停めやすかったです。(笑)


【釈迦牟尼仏三昧像】



【辛抱地蔵尊】




確かにこれは辛抱強い。


【黒門】



【弁天堂】



【毘沙門堂】



【経蔵】



【鐘楼堂】



【赤門】


赤門と呼ばれている立派な門で、
仁王像が睨みをきかしていました。

二階部分は羅漢が祀られている羅漢堂になっているようです。


【仁王像】



【本堂】




大きい本堂です。

釈迦牟尼仏、普賢菩薩、文殊菩薩と、
秘仏聖観世音菩薩の黄金仏が祀られています。

この聖観世音菩薩は安永元年(1772)宮津吉原の畑地より出土、
宮津城中に四十年間祭祀されていたものを、
文化8年(1811)藩主本庄宗発より下賜されたものだそうです。




内陣は華美になり過ぎず、すっきりとした雰囲気です。


【天井画】


二十枠の花草図は江戸時代後期円山四條派、土佐派二十人によるもの。


【与楽観音】



【僧堂】


座禅堂として雲水さんが修行されている御堂です。


【御朱印】

大頂寺(2015年10月4日参拝)

2015年11月28日 | 仏閣
10月1日から18日まで京都浄土宗寺院大公開が始まり、
普段なかなか参拝出来ない40もの寺院が参加。

去年は行けなかったので今年はガッツリ参拝したいと思います。

公開寺院の日程をいろいろ調整した結果、
今日は京都市内ではなく宮津市まで遠征し界隈を巡ります。

まずは徳川家所縁の大頂寺へ。

意外にも宮津には神社仏閣が多く、
大頂寺がある地域は寺町となっています。



所在地:京都府宮津市金屋谷881
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長11年(1606)
開基:京極高知



【縁起】
開山は約400年前、慶長11年(1606)宮津藩主京極高知により、
杉の末「犬の堂」山上に菩提寺として建立されたのに始まり、
その子高広が藩主となるに当り、現在地に移築した。

京極高広は徳川秀忠公・家光公の供養に徳川御霊屋・宝筐印塔三基を建て、
この寺が菩提寺となった。

宝暦9年(1759)本庄資昌公が藩主となった時、
桂昌院(三代将軍家光の側室)の御生家が、本庄家であったことから、
徳川将軍家とは姻戚関係にあたり、日光東照宮を小さくした御霊屋を造り、
桂昌院の御位牌・御念仏・本庄家歴代城主の御位牌を祀る。

また、代々の城主は徳川将軍家の御位牌を大頂寺に、
奉納する習わしであった。

寺号の端泰院は京極高知公の戒名瑞泰院殿より名付けられたものである。


【参道】


ここまで来るのに少し苦労した。
というのも道が狭くて突き当りの佛性寺というお寺まで行くと、
「この道進んで行けるのか?」と心配になる道が右手に続く。

勇気を振り絞って行ってみたら何とか到着した次第。

しかし、ここまで来たけどお寺の駐車場が見当たらない。

山門までの参道の真ん中は車が通れそうな感じ。
行って停めれなかったらバックで下がるのは嫌だから、
念の為に歩いて確認したところ、境内に車を停めることが出来ました。(^^

いや~、知らんかったらあの参道を車では行こうとは思わんよ。




振り返るとこんな感じ。

海も見えました。(^^


【山門】





【本堂】


外観は質素な感じですね。


【庫裏】


こちらは比較的新しく立派なものです。


【風神雷神図屏風】


玄関に入るといきなりあったからビックリした。

御住職が描いたものですが、
風神雷神を見ると俵屋宗達よりも尾形光琳を意識した感じでしたね。

早速拝観させていただく。
拝観料はございませんが、各自志納するというスタイル。


【本堂内陣】




質素な外観に比べ内陣は煌びやかなものとなっていました。


【御本尊】



【徳川歴代将軍家御位牌堂】




本堂横には東照大権権と刻まれた徳川家康から
六代将軍家宣までの御位牌がありました。


【説明書】



【御霊屋】


客殿の中に御霊屋があり、暗くてよく見えませんでしたが、
神輿型宮殿に桂昌院の御位牌が祀られていました。

この御霊屋の中に入れるのは御住職と檀家総代だけです。


【玉石】


丸い石の下に敷かれている白い布と繋がっているのは、
桂昌院が朝夕御念仏を唱えていた御念仏とか。

もっとも厨子の中に安置されていて見れませんでしたが。


【宝物所】







【中庭】



【書院】




これにて内部の拝観終了です。

思ってた以上に良いものが拝見出来ました。
このお寺は普段も拝観出来ます。


【宝篋印塔】


徳川秀忠、家光の供養塔らしい。


【鐘楼堂】



【善光寺如来供養塔】



【御朱印】

平安神宮(2015年9月27日参拝)

2015年11月28日 | 神社
京都市美術館の横は平安神宮なんでついでに参拝。

行く気は無かったが大鳥居を見て行く気になった。
自分でもよく分からんが、大極殿が見たくなったらしい。

こちらも約4年半振りの参拝となります。


<2011年6月11日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/a6054d38df72bc283d15b2271de5e1e8



所在地:京都府京都市左京区岡崎西天王町97
主祭神:桓武天皇、孝明天皇
創建:明治28年(1895)3月15日
社格:官幣大社、勅祭社、別表神社



【大鳥居】


平安神宮はあれだけ広い境内にも関わらず、
駐車場がありませんので、岡崎公園の有料駐車場に停めなければなりません。

一定時間無料の北野天満宮を見習ってほしいよ。


【社号標】



【参道】



【應天門】


明治27年建立の重要文化財。


【境内】



【白虎】



【神楽殿】



【白虎楼】






重要文化財。


【大極殿】






重要文化財。

ガードマンが鬱陶しい。

外拝殿内は撮影禁止でした。


【境内】



【蒼龍楼】




重要文化財。


【蒼龍】



【御朱印】

京都市美術館ルーヴル美術館展(2015年9月27日)

2015年11月27日 | 旅行、その他






京都市美術館に到着。

6月16日(火)~9月27日(日)まで開催される、
ルーヴル美術館展 日常を描く 風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄。

目玉は何といっても、
ヨハネス・フェルメールが1668年に描いた「天文学者」。

はい、ミーハーです。(笑)

でも死ぬまでに見れるか分からない貴重な作品ですから、
この機会に見ないなんて有り得ませんね。(^^

で、美術館に着いてみると、
私と同じようなミーハーな方々が沢山。(失礼)

30分待ちで入場。




天井もシャレてますわ。(笑)


【天文学者】


写真撮影は当然のことながら不可でしたので、
画像はネットで拾ったものです。

光の魔術師と言われるフェルメールの作品は33作から37作品。
評論家によっては真作と認められていない作品が数点あるから、
作品数にはバラつきがあります。


あのルーヴル美術館ですら、
フェルメールは2作品しか所蔵していないので、
ルーヴルがよく貸してくれたなぁと思う。

この来日はまさに奇跡といっても過言ではない。

この天文学者はロスチャイルド家の所有だったものを、
ナチスが押収、終戦後ロスチャイルド家に還ったが、
相続税としてフランス政府に現物納税し、
ルーヴル美術館にて保管・展示されている数奇な運命を持った作品です。


実際に目にしたフェルメールはやっぱり素晴らしかった。

何ともいえぬこの表現力はさすがのものがありましたね。

感動しました!


その他に気に入った作品もありました。


【割れた水瓶】


ジャン=パティスト・クルーズが1771年に描いた「割れた水瓶」は、
美しく可憐な女性が片胸を露わにしている衝撃的な作品。

これは誰もがハッとさせらせる作品ですが、
失われた純潔、処女性を表現しているそうです。

個人的には純潔を失う前の作品を見てみたいですね。

純潔を失う前と失った作品を「対」で見れたなら、
その衝撃は計り知れないものがあると思うから。


【聖家族、または指物師の家族】


こちらはあのレンブラントの作品で、
イエスの父ヨセフの仕事場で聖母マリアが、
我が子イエスキリストに授乳しているシーンを表現しているもの。

どう見ても高貴な家柄ではなく、
庶民と思わせる人々が描かれています。

この作品はフェルメールとはまた違った陰影が味わい深い。

これも見れて良かったな。

レンブラントは好みの作品が多い。

10月24日(土)~1月5日(火)に京都市美術館で、
フェルメールとレンブラント展が行われているので、
行くしかあるまい。(^^

神泉苑(2015年9月27日参拝)

2015年11月26日 | 仏閣
今日は家でゆっくりするつもりだったが、
ルーヴル美術館展を思い出して急遽京都市立博物館へ。

フェルメールの「天文学者」が初来日とあって、
行かなければとずっと思っていたが、
今日が最終日だった。(^^;

これを逃すとルーヴル美術館でしか見れなくなるので、
天文学者を見るチャンスは最初で最後。

よく思い出したよ。(^^


京都市立博物館に行く途中、
神泉苑の前を通りかかったので、
約4年振りに参拝することにした。

前回参拝時は御不在で御朱印をいただけなかったし。



<2011年10月8日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/27cda85e08209343d92eadc5da2da91f



所在地:京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町166
宗派:東寺真言宗
御本尊:聖観音
創建:天長元年(824年)
開基:弘法大師
札所:通称寺の会


【鳥居】


駐車場はありませんので、
近くの有料駐車場に停めることになります。


【善女竜王社】







【アヒル】



【法成就池】







【本堂】



【卍地蔵尊】



【鯉塚・亀塚】



【恵方社】



【天満宮】



【弁天堂】





【地主弁財天】



【矢釼大明神】



【御朱印】


二種類の内の一種類をいただきました。

基本二種類の御朱印ですが、
御住職がいれば他に桓武天皇、嵯峨天皇、不動明王、
弘法大師がいただけます。


【御朱印帳】


18センチX12センチ。
御朱印代別で1200円。

他に青色がありました。


帰宅してから神泉苑のHPを見ると、
観月会限定御朱印帳が発売されていると知る。

限定20冊だから無理だろうな、と思いつつ、
ダメ元で問い合わせてみる赤色が1冊だけ残っているとのこと。

神は我れを見放していなかった。(^^




後日購入した限定御朱印帳自体は通常のモノと変わりません。

色も青と赤があり。
各20冊限定なのか、各色10冊ずつなのかは確認してません。




紙ケースは普通のと違って写真が貼られています。


【御朱印】


観月会限定御朱印帳のみの御朱印。

鐸比古鐸比売神社(2015年9月26日参拝)

2015年11月25日 | 神社
【大鳥居】


磐座を見に鐸比古鐸比売神社へやって参りました。

大鳥居は旧170号線沿いにあり、神社はこの先を進めば着きますが、
ナビはこのルートを選択しなくて、他の道を選んで走らせる。

ナビを頼りに神社近くに着くも、
段々と道が細くなりめっちゃヤバそうな感じがして仕方がない。(^^;

クネクネとした坂道だったので、
万が一、突き当りで行けなくなって、Uターン出来なくなると、
バックで戻るのは厳しいので、一旦車を停めて歩いて確認。(^^;

すると何とか神社まで行けることが分かったので、
細い道を走って神社の境内に到着。(安堵)

はぁ~焦った~。

この辺りは葡萄栽培が盛んな地域のようです。



所在地:大阪府柏原市大県4-6-1
主祭神:鐸比古命、鐸比売命
創建:不明
社格:式内小社、郷社


【由緒】
鐸比古命は垂仁天皇の御子で、記紀には沼滞別命或いは鐸石別命とあります。
 
創建は成務天皇21年(151)と伝えられ、延喜式神名帳に記されている式内社です。
往古は鐸比古命は奥之院高尾山頂に祭祀され高尾大明神と称し、
また、鐸比売命は高尾山麓姫山に祭祀され比賣御前と称し、雨乞いの祈願所でした。
 
中世現在地に祭祀されましたが、兵火にあい焼失、現社殿は元禄時代の再建です。
 
御祭神は和気清麻呂の遠祖で岡山の和気神社はこの社の分霊を祀っており、
鐸比古命を祭神とするのは日本全国でもここと和気神社のみとされています。
 
明治5年郷社に列し、一時平野若倭彦神社山ノ井若倭姫神社を合祀していた、
大県法善寺の氏神です。



【境内】


境内に車を停めることが出来ました。(^^


【鳥居】


鐸比古鐸比売神社の神社名は鐸比古命と鐸比売命の御祭神から
名付けられているんですね。

「ぬでひこぬでひめ」と読みます。


【拝殿】




磐座を見る前にまずは参拝。


【御神木】



【狛犬】



【境内社】






黒嶽稲荷大神、高倉稲荷大神、昇龍大神。


【風景】



【山道】




磐座を見る為には少し山を登らなくてはならない。

ハイキングコースになっているようだが、
あんまり人気は無いようである。


【車道】


山道から突然車道に出た。

磐座についての案内板は勿論無い。

ここからどう行けばいいのよ?

僕は途方にくれた。(泣)


【鳥居】


暫く車道を上に歩いていると鳥居を発見。

鐸比古大神と書かれている。

父さん、僕はやったよ。(^^

この鳥居を進めば磐座に行けるのかな。

頑張って行こうと思ったが、
どうやらまだまだ登らなくてはならないらしい。

時間を確認すると、いつの間にか16時半を過ぎてる。(^^;

しまったー。

磐座はもっと簡単に行けるとばかり思ってた。(^^;

仕方ないが今回は泣く泣く回避。


【石標】


うん、手前の石を磐座にしておこう。(苦笑)


【山道】


違うルートで下山開始。

前日の雨の影響で道が思ったより悪い。

しかもこのルートでちゃんと神社に着くのか不安になってくる。

やっぱり元の道を引き返せば良かったと後悔。

しかも夕方なんで暗くなって寂しくなってくるし、
虫が顔にまとわりついて鬱陶しい。




もういややーと泣きながら、ようやく下の町まで出た。

はぁ~良かった~。(^^

やっぱり午前中に行かないとダメだな。


【社号標】


車を置いてる神社もどこか分からなくなったけど、
適当に歩いていたら着いた。(^^


最後の最後でこの石段はしんどかった。


うーむ、今日は完全に考えが甘かった。

磐座はどうしても見たいので、
次回はもっと早い時間に山を登りたいと思う。


【御朱印】


こちらの御朱印も柏原黒田神社でいただきました。

柏原黒田神社~黒田神社(2015年9月26日参拝)

2015年11月24日 | 神社
今日はちょっと暇だったので、
柏原市に鎮座する鐸比古鐸比売神社の磐座を見に行くことにした。

鐸比古鐸比売神社にも御朱印があって、
少し離れた場所に鎮座する柏原黒田神社でいただけるということで、
先に御朱印をいただきに柏原黒田神社を参拝です。


<柏原黒田神社>
所在地:大阪府柏原市今町1-3-13
御祭神:塩土老翁、天御中主大神、天照大神、武甕槌命、経津主命、
天児屋根命、比売大神、八幡大神
創建:昭和44年(1969)


【由緒】
当神社はもと塩殿神社と称し塩土翁命を祭祀せるも、
昭和20年戦禍に遇い社殿の損傷甚だしく、宮司これを感嘆しその復旧を図る。

時に北条鎮座氏神黒田神社の御祭神並びに、
上市鎮座春日神社御祭神を勧請合祀する声高く、
三社の関係者合議のうえ奉賛会を組織して浄財の募集にあたり、
昭和44年6月新社殿が竣工し、同年9月の浄暗に黒田神社御祭神並びに、
春日神社御祭神を合祀する遷座祭を斎行し、社名を柏原黒田神社と改称す。


【鳥居】


無料駐車場は反対側にありますが、
そこに行くまでが少し分かり難いです。


【拝殿】




どこにでもあるような小さな神社です。


【狛犬】



【石力不動尊】


拝殿左手に行くと不動尊が祀られています。






神社にも不動明王が祀られているのは、
幾つも知ってるけど、これほどの雰囲気漂う不動尊は滅多にない。

これは霊験あらたかなのは間違いないですね。


【恵美須神社】




拝殿右手には末社の恵美須神社。

ここに駐車場があります。


【御朱印】


社務所で御朱印をお願いすると、
車で10分もかからない藤井寺に式内社の黒田神社を、
宮司さんに紹介していただいた。

恥ずかしながら全く知らなかったので、
参拝する予定は無かったが、折角の御好意を無駄にする訳にもいくまい。



<黒田神社>
所在地:大阪府藤井寺市北條町1-23
御祭神:天御中主大神、天照大神、天児屋根命、比大神、武甕槌大神、経津主大神
創建:不明
社格:式内社、村社


【由緒】


古伝には神武天皇の御子神八井耳命のかくし廟所といわれ、
仁徳天皇の御代に瑞垣を建立し祭祀されたという。

現在の御祭神は称徳天皇神護景雲2年に祭祀され、
平安時代初期の延喜式神名帳に載る式内の古社である。

中世より北条天神或は天王と称し、
また「神名帳考証」には稲霊を祭るとあり、
主たる御祭神天御中主大神を祭祀するお社は、
畿内にも少なく御神徳は極めて高い。

明治5年村社に列し柏原地区(旧柏原村市村新田)北条地区林地区の産土神である。

かつて境内地に五千坪以上を擁し梅の名所として
「河内鑑名所記」に俳句が残されている。
また建徳3年寄進の石燈籠一基を蔵す。

昭和44年10月御分霊を柏原市今町塩殿神社に同市上市春日神社とともに合祀し、
当社の分社として柏原黒田神社を奉斎す。


【鳥居】


大和川を超え無事到着。

無料駐車場がありましたが、
前は小さな公園でお子さん達が遊んでいるので、
くれぐれも注意してくださいね。


【拝殿】




こちらが本社になり、式内社だっただけあって拝殿も、
ここの方が立派な拝殿です。


【狛犬】



【本殿】



【恵比須神社】





【稲荷神社】



【天押雲根神社】



【大鶴大明神】



【だんじり蔵】



【御朱印】


本社なのに宮司さんは分社の柏原黒田神社にいらっしゃいます。

御朱印もそちらでいただきました。

建勲神社・御朱印帳(天下布武) 

2015年11月24日 | 御朱印帳
建勲神社で天下布武の御朱印帳が発売されるとあって、
画像を見た瞬間購入を決めた御朱印帳。

いわゆる一目惚れってやつです。

暑い最中買いに行きましたよ。

10月にはピンク色も発売されました。

天下布武にピンク色は合わないよなぁ。
完全に女子向けの商売ですね。






サイズ:18センチx12センチ
値段:1000円(御朱印代別)



【感想】
神社では珍しく18センチと大きく私好み。

金の家紋と天下布武と書かれとてもカッコいい。

しかし中身に問題が。




裏面。

これは酷い。

滲むのは結構あるけど、
墨書きが透けて見えるのはなかなか無いです。

しかもヨレヨレ。

御朱印代がリーズナブルだと思ったら、
やっぱり紙質が粗悪なものでした。


もしこれを織田信長に献上したら、
間違い無く明智光秀よろしく折檻されてると思うよ。(苦笑)


値段を1500円にしても構わないので、
しっかりとした紙を使用してほしい。


これはもう普通には使えないので、
宇治上神社等のカラフル御朱印専用にしたいと思います。

高野山伽藍中門再建記念御朱印帳

2015年11月23日 | 御朱印帳
高野山の霊木御朱印帳と同じ桧で出来た御朱印帳。





サイズ:16センチx12センチ
値段:1700円(御朱印代別)


【感想】
許容範囲ですがヨレます。
しかし裏に墨が滲んでいませんでした。

豪快に書かれる書き手さんだと滲む可能性がありますが、
それだったら全ての御朱印帳がアウトだと思います。

高野山霊木御朱印帳と同じく、
なかなか良質な御朱印帳です。

甲斐浅間神社(2015年9月22日参拝)

2015年11月22日 | 一宮
楽しかった山梨の旅も終わりに近づいてきました。

最後の参拝となるのが甲斐一宮である甲斐浅間神社です。

こちらも当然のように無料駐車場がありました。

無料万歳!



所在地:山梨県笛吹市一宮町一宮1684
主祭神:木花開耶姫命
創建:(伝)垂仁天皇8年
社格:式内社、甲斐国一宮、国幣中社、別表神社



【由緒】
社伝では垂仁天皇8年正月に神山の麓(現 摂社山宮神社)で創建され、
貞観7年(865)旧暦12月9日現在地に遷座したという。

平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしている。

貞観6年(864)の富士山の大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、
翌貞観7年(865)に甲斐国八代郡に浅間神社を建てて官社としたとある。

その後、山梨郡にも同様に浅間神社を建てたとも記す。
このことから当社は後に山梨郡に建てられた浅間神社であるとする説が有力である。

当社は武田氏からの崇敬が篤く、関係文書も多く伝わっている。
江戸時代に入ってからも江戸幕府から所領を安堵されるなど保護された。

明治4年(1871)旧暦5月14日に近代社格制度において国幣中社に列し、
戦後は別表神社となった。



【第一鳥居】


第一鳥居近くで車を停めれなかったので、
第二鳥居前から撮影。


【第二鳥居】



【随身門】



【拝殿】




なかなか立派な拝殿です。


【神楽殿】


明治36年に建立されたもの。


【子持石】


これはいわゆるマラ石ですね。


【両部鳥居】


第二鳥居の反対側にある鳥居で、
渋い鳥居でした。

好きです。(照)


【枕石】


これもマラ石と思われます。


【神輿庫】



【護国社】





一宮町の英霊458柱が祀られています。


【七社】



【祓門】


なんだこの有難味の無い門は。(^^;


【十二支石像】


こ、これは?

何か嫌な思い出が蘇る。


【成就石】


まぁ、これは何とか許容範囲。

しかし次のが理解不能。


【太陽神】


なんじゃこりゃー。

松田優作ばりに叫んだのは言うまでもない。

これはもしかして岡本太郎氏が作ったものですか?(苦笑)

もうこれ以上、一宮の品格を落とすようなマネはやめてー。

これから更に変なオブジェが増えて、
田村神社の二の舞だけは止めてもらいたい。(願)


【御朱印】



【御朱印帳】


富士山があったので衝動買いしちゃった。


これにて三日間の参拝全て終了。

予定通り行けなかったお寺もあったが、
ほぼ当初の予定通りに参拝することが出来た。

諏訪、甲斐の神社仏閣、青い鳥のロケ地等、
見所や感動が多い実り多い旅となった。

充実感で幸せいっぱいです。(^^

こうして無事に参拝出来たこと、長野、山梨に来れたこと、
生きていることに感謝。


さて帰宅するまでが旅。


【かき揚げ蕎麦】


中央道のサービスエリアで遅い昼食。

470円と安かったけど美味かったです。(^^


【近江牛肉うどん】


さすがにシルバーウィークだけあって、高速も大渋滞。

まだ駒ヶ根辺りで18時前とか泣きそうになる。

35キロの渋滞を抜けたと思ったら17キロの渋滞とかあって、
計60キロ以上の渋滞を経験しました。(泣)

甲府から六時間かかってようやく滋賀県の草津PAに到着。

遅い晩飯の近江牛肉うどん650円。
旨し。

そういや旅行中お米を食って無かったわ。(笑)

結局7時間半かかって自宅に到着。

さすがに疲れた。

でもすぐに山梨に行きたくなった。(^^

次回は雲峰寺、大善寺、放光寺、武田八幡宮、景徳院、清白寺等、
まだ知らぬ寺社を訪れたいと思う。

菅田天神社(2015年9月22日参拝)

2015年11月21日 | 神社
武田家所縁の寺社を巡るにあたって、
国宝である小桜韋威鎧大袖付こと楯無鎧を保管している菅田天神社は外せない。

滅多に公開されないということなんで、
見れないのは分かってましたが、
どんな神社なのか知りたくて参拝しました。


駐車場はありませんので注意してください。
(軽自動車なら停めれるかな。)



所在地:山梨県甲州市塩山上於曽1054
主祭神:素盞嗚尊、五男三女神、菅原道真
創建:承和9年(842)
社格:県社



【由緒】
任明天皇承和壬戍年十月国司藤原伊勢雄奉勅甲斐少目飯高演成に命じて勧請神田明神と称す。
其の後一条天皇寛弘甲辰年二月二十五日勅に依り菅公を相殿に祀り是より菅田天神社と言ふ。

新羅三朗義光甲斐守として任国以来武田家の守護神として代々崇あり。
承久中武田信光社殿を造営し武田陣中守護たる神器楯無鎧の威を恐れ、
当神社は府の鬼門に当り神徳霊妙なるを以て本社々殿に納め於曽氏をして守護せしめ。

天正十一年四月十八日徳川家康公入国の砌当社に参詣神主に、
御目見の上御陣中御安泰武運長久の御祈?仰付けられ永久御祈願所と定められ、
其節社領八貫二百五十文並紋付高張一対御寄附あり。

亦慶長七年及正徳二辰年六月社殿造営の挙あり。
朱印拾壱石八斗余を有し明治七年三月村社に、大正十三年三月郷社に、
昭和三年十月県社に列せらる。

昭和四十年三月不慮の災禍により社殿消失昭和四十四年十月復興す。


【鳥居】


国宝を預かる神社だからもっと大きい神社かと思ってたけど、
意外にも近所にあるような神社のようです。


【第二鳥居】



【随神門】


なかなか立派な門です。

すいません、近所の神社にはこれほどの門はありません。(^^;


【狛犬】



【拝殿】




最初の鳥居を見た感じでは、
もっと小さな拝殿をイメージしてましたが、
なかなか立派な拝殿じゃないですか。

御祭神の五男三女神って初めて知ったのですが、
天照大神と素戔嗚尊とが誓約して生んだという
五柱の男神と三柱の女神のことなんですね。


【撫で牛】



【神楽殿】



【新羅宮】


シャッターのある境内社は珍しいと思っていたら、
こちらに楯無鎧に保管されているようですね。


【祖霊社】



【菅田天神】



御朱印は社務所が閉まっていたので、
残念ながらいただけませんでした。


【葡萄】
甲斐浅間神社に向かっている途中の道は、
まるで葡萄街道かと思うほど、葡萄を売っている店が乱立。

やっぱり山梨に来たからには葡萄を買って帰らないとね。




適当に寄った店に行くと、
これだけの量を無料で出してくれました。

マジか?

シャインマスカットやロザリオビアンコ等、
5種類全てが美味しかったです♪

勿論、この店で葡萄を大人買いしたのは言うまでも無い。

周りの店と競争してるだけあって安かったです。(^^




もう一店寄ってみました。

店の駐車場の上に葡萄がいっぱい。(^^




これも無料です。

お昼はロクなものを食べて無かったけど、
お腹いっぱいになりました。(笑)

さすがにこれだけ無料でいただいて、
そのまま帰る訳にもいかないので葡萄購入。

あー、これは損して得とれ商法ですね。(笑)

ついでに信玄餅も4つ購入。
甲府駅で買うより安かったです。(^^

おばちゃんがおまけで葡萄を1パック無料でくれました。
ありがとうございます。


葡萄は帰宅してから家族や親戚から絶賛された。

結局、すぐに無くなったのでネットで購入するハメに。


正和園という店でピオーネ・甲斐路・ロザリオビアンコの
3種セット2キロを2セット購入。

お世話になっている先生に1セット購入し、
残り1セットは家族で食った。

美味かった♪

来年も買いますよ。(^^
というか、来年も山梨に行きたい。

向嶽寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月20日 | 甲斐百八霊場
大満足の恵林寺の次は仏殿を拝観しに向嶽寺へ。

その名の通り臨済宗向嶽寺派の大本山で、
こちらは修行する為のお寺であって観光寺院ではありません。

なので私もいつも以上に気を引き締めて、
緊張感を持って参拝させていただきます。



所在地:山梨県甲州市塩山上於曽2026
宗派:臨済宗向嶽寺派
御本尊:釈迦如来
開山:抜隊得勝禅師
開基:武田刑部大輔信成
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
臨済宗向嶽寺派の大本山で、開山は抜隊得勝禅師(恵光大円禅師)、
開基は時の守護武田刑部大輔信成である。

抜隊禅師は永和4年(1378)に甲斐に入り、はじめ市内竹森の地に草庵を結んだが、
康暦2年(1380)武田信成から寺地の寄進を受け、向嶽庵を命名し創建した。
寺名は「富嶽に向かう」からきている。

禅師の門下には俊英が輩出し、武田家歴代、特に晴信の厚い保護を受け、
寺領が安堵され法度・禁制が出された。

江戸時代に入ると度々火災に遭い、天明6年(1786)の大火で仏殿以下を焼失。
近年では大正15年に天明の大火以降再建された大方丈を焼失しているが、
復旧事業によりかつての隆盛が甦りつつある。

明治5年(1872)に輪番住職制を改め独住制となり、
京都南禅寺の所轄となったが、
同41年管長を置いて名実ともに別派独立の大本山となった。


【鎮守社】


手前に無料駐車場がありました。


【秋葉神社】



【中門】


これはいい。

高貴な方が通るに相応しい門です。


左右の築地塀は別名「塩築地」と呼ばれ、
漆喰に岩塩を混ぜて塩止めされた際の緊急用として造られたそうです。

甲斐は海無しの国でしたから、
まさに苦肉の策といった感じですね。


【通用門】


一般ピープルはここから入っていきます。


【境内】


広い境内です。

静寂かつどことなく我々一般人が入ってはいけない雰囲気が漂う。

それは修行の場独特の雰囲気であって、
決して新興宗教のような排他的な雰囲気では無い。




武田信玄公は出陣の際、「御旗楯無御照覧あれ」と唱和した国宝の鎧である
御旗楯無は天正10年(1582)、武田氏滅亡に際して、
武田勝頼の家臣の田辺左衛門尉により向嶽寺の杉の下に埋めたそうです。


【放生池】


橋は渡れないようになっていました。


【仏殿】




天明6年(1786)の大火で焼失、
約200年前の文化年間に再建されたもの。

まさにゴマラー好みの建築物です。


【内陣】


いかにも臨済宗といった内陣には、
釈迦三尊像が祀られ、天井には龍図が描かれていました。


【釈迦如来石像】



【御堂】



御朱印は初めから無いと思っていたので、
雲水さん達と出会っても挨拶しただけ。

どうやら書置きならいただけたようです。

恵林寺近くの放光寺をスルーしてまで仏殿を見に来ただけあって、
仏殿を見た時の感動だけで充分です。

恵林寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月19日 | 甲斐百八霊場
本日のメインである恵林寺にようやく到着。

参拝するのが非常に楽しみです。


さすがにめっちゃ混んでいて、
車を停める場所を彷徨って、
ようやく宝物殿横に停めることが出来ました。

ここも駐車場が無料なのが嬉しい。


所在地:山梨県甲州市塩山小屋敷2280
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:元徳2年(1330)
開基:二階堂出羽守貞藤
開山:夢窓疎石
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
往古は鎌倉円覚寺派で関東準十刹の寺格を有す。
草創は鎌倉時代末期の元徳2年(1330)当時甲斐牧ノ庄と称した
当地地頭職二階堂出羽守貞藤が七朝帝師と尊称された夢窓国師を招き、
自邸を禅院としたのに始まる。

戦国時代甲斐国主武田信玄の尊崇を受けた快川国師(紹喜)の入山で寺勢を高め、
永禄7(1564)年信玄は自らの手で寺領寄進と共に当山を菩提寺と定める。

天正4年(1576)4月武田勝頼は父信玄の3年の秘喪をとき盛大な葬儀を厳修する。
同10年(1582)3月勝頼は時勢に抗せず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡。

同4月3日織田信長の兵火に遭い当山は諸堂宇を灰燼に帰する中で、
快川国師は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火自ら涼し」と遺渇、
従容として火定する。

本能寺の変後、徳川家康の手により旧観に復し、
また徳川五代将軍綱吉時代甲斐国主となった柳沢美濃守吉保、
同甲斐守吉里父子の外護で寺運は発展。
吉保夫妻の菩提寺ともなる。


【黒門】




さすが恵林寺!と思わせてくれる総門です。

まさに武家らしい質実剛健ですね。

こちら側にも駐車場がありましたが、
駐車場難民が結構いました。(^^;


【参道】



【赤門】


長い参道の先に赤の四脚が印象的な赤門があります。

これは徳川家康の寄進により建立された重要文化財です。


【三門】


庭園を過ぎるとあの超有名な三門が登場。

快川和尚が織田の軍勢焼き討ちの際、
山門上で「心頭滅却すれば、火もまた涼し」と、
辞世の句を詠んだのは余りにも有名ですよね。


ここでデジカメが無念のバッテリー切れ。(泣)

ここからスマホで撮影開始。
スマホがあって良かった。(^^


【山門礎石】



【本堂】


デカい。

大本山クラスの本堂ですね。


【通用門】


この奥に拝観入口があります。


【庫裏】


立派な臨済宗特有の庫裏の姿です。

こちらが拝観受付となります。




風林火山の文字を見ると熱くなりますね。(^^


【庭園】





【仏間】


お釈迦様にお参り。


【うぐいす廊下】


歩くとキュキュと音が鳴ります。

言われるような鶯の声のような音ではありません。


【武田不動尊】


明王殿に祀られているのが信玄公を模したと言われる武田不動尊。
胸の部分に信玄公の髪の毛があるとか。

胸熱です。(^^


撮影不可でしたので画像は絵葉書を転写したものですが、
この圧倒的迫力は凄まじい。

私も数々の不動明王を見てきましたが、
間違いなく一、二を争う不動明王だと思います。


【御堂】




左奥に武田信玄公、武田家臣等の墓がありましたが、
残念ながら撮影不可でした。


【二階堂出羽守貞藤供養塔】



【夢窓疎石庭園】




心字の池を中心に見事な庭園が本堂裏手にありました。








さすが恵林寺。

京都のお寺に匹敵するお庭まで整備されているとは。

見事です。


【渡り廊下】


この辺りの雰囲気がとてもいい。

失礼ながら山梨でこれほどの庭園を見れるとは思ってもみなかった。

その後、夢窓疎石は天龍寺、苔寺の庭を手掛けたと思い出して納得。(^^


【坪庭】




ここも何気ない庭と思ってはいけない。

全てのものが計算され尽くして作庭されているのが分かりました。


これにて有料ゾーン終了。

拝観料300円はとてもリーズナブルでしたね。(^^


【開山堂】






明治の大火で燃えた仏殿の場所に移築されたもの。




夢窓国師、快川国師、末宗和尚が祀られていました。


【枯山水石庭】



【鐘楼堂】



【仏舎利宝塔】


観世音菩薩が祀られています。


【勅使門】



【鎮守社】



【本堂】



【明王殿前門】



【信玄公宝物殿】


拝観料500円とちょいと高めです。(共通割引あり)

中に入るはやはり目に入ってくるのが、
武田軍旗の孫氏の旗です。

これが当時のモノか分かりませんが、
武田好きとしてはたまらないものがありました。

その他に信玄公愛用の扇面図絵や武田二十四将画像、
重文の太刀である来国長等、見所いっぱいでしたね。

武田神社の宝物館よりこちらの方が充実していると思います。


【お江の石棺】




これだけが撮影可でしたが、
何故かお江の方の石棺が安置されていました。


石棺は開山堂の前に安置してあったもので、
2014年冬に確認されたとか。

何で今頃やねん。(笑)

調べてみるともともと増上寺にあったが、
1950年代からの悪名高き再開発の為、
遺骨を取り出した上で石灯篭等と一緒に埼玉県所沢市に移された。

その後、石灯籠等は希望する全国の寺院に配布され、
恵林寺では1968年に石灯籠13基と共にお江の石棺を引き取り、
開山堂の前に設置したそうだ。


【御朱印】



【感想】
とにかく全てが素晴らしかった。

伽藍、武田不動尊、庭園、雰囲気、品格等文句無し!

また必ず参拝します。
その日が今から楽しみです。(^^

大井俣窪八幡神社(2015年9月22日参拝)

2015年11月18日 | 神社
差出磯大嶽山神社から少し車を走らせ大井俣窪八幡神社へ。

ここは社殿が素晴らしくてどうしても訪れたいと思ってました。
とても楽しみです。

恵林寺はまだまだ遠い。(笑)


140号線を左折し両部鳥居の下を走る。

これがまた渋い鳥居なんですよ。

写真を撮りたかったけど、路上に車を停めれなかったので、
撮影出来なかったんですよね。

山梨を再訪した時は必ず撮影したいと思う。



所在地:山梨県山梨市北654
主祭神:誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊
創建:貞観元年(859)
社格:県社


【由緒】
大井俣窪八幡神社(通称、窪八幡)は清和天皇の勅願により、
貞観元年(859年)2月23日、宇佐神宮の八幡三神を音取川の中島の地へ勧請し、
その地を大井俣といったことから神社の名称を大井俣大明神と称しました。

その後、何回か水害で流されて現在の窪の地へ遷座して窪八幡宮となりました。

創建当時の建物の規模は不明ですが、
窪八幡の社殿は永正13年(1516)の駿河の今川勢の侵攻により焼失。
現在の社殿は室町初期から末期にかけて信虎により再建されたものです。

窪八幡は八幡信仰の型を整えた山梨県では最古の八幡宮であり、
甲斐源氏、特に本流武田家代々の氏神として崇敬されました。

武田信虎、晴信は人生の折々に窪八幡に祈願をし、
戦捷祈願、報賽の為、代々社壇造営修復等が行われ、
その遺構は尊い室町文化の様を今に伝えている。



【神門】


渋い。

まさにゴマラー好みの神門。

さすが重要文化財だけある。


【境内】





【比三神本殿】


重要文化財。

田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命が祀られていました。


【青龍社】



【狛犬】



【拝殿】




これこれ、これが見たかったんよ~。

これほど横長で豪壮な拝殿は見たことがない。

マジで感動しました。


天文22年(1553)に武田信玄公によって、
信州村上義清を攻略した際に祈願成就のため造替されたもの。

重要文化財。






早速お参り。

ここまで無事にこれて素晴らしい社殿が見れたことに感謝。


【本殿】




素晴らしい。

永正16年(1519)建立の重要文化財。

中殿に誉田別尊(応神天皇)、北殿に足仲彦尊(仲哀天皇)、
南殿に息長足姫尊 (神功皇后)が祀られています。


【武内大神本殿】




明応9年(1500)に再建されたもので重要文化財。


【高良神社】




末社。

こちらも明応9年(1500)に再建されたもので重要文化財。


【天神社】



【若宮八幡神社拝殿】


摂社。

天文5年(1536)建立されたもの。


【若宮八幡神社本殿】


重要文化財。


【鐘楼堂】


お~、これまた渋い鐘楼堂が見れるとは。

神仏習合の名残りですね。

天文22年(1553)に武田信玄公が建立されたもの。


【拝殿】


はぁ、やっぱりええわ~。

見惚れるわ。(^^


【収蔵庫】



【忠霊殿】







【東照宮】



【如法経塔】





【稲荷社】



【社殿】



【境内社】







御朱印は社務所が開いていればいただけますが、
開いて無い場合は近く宮司さん宅でいただけるようです。

そんなん知らんわ~。(笑)

知ってても宮司さんの家まで行って、
御朱印をいただきたいとは思わない。(←やせ我慢ではない。)

素晴らしい社殿を見れただけで充分満足してますから。

むしろ近くの清白寺を見逃した方が痛かった。
あんな素晴らしい国宝の仏殿があるとは知らなかった。

またいつの日か訪れたいと思う。