Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

永光寺(2017年8月18日参拝)

2017年09月20日 | 北陸三十三観音霊場
豊財院から4,5キロの場所にあるのが永光寺。

こちらは大本山総持寺の開祖瑩山禅師が開き、
後醍醐天皇により勅願寺となった由緒ある古刹です。


所在地:石川県羽咋市酒井町イ11
宗派:曹洞宗
御本尊:華厳釈迦牟尼仏
創建:正和元年(1312)
開山:瑩山紹瑾大和尚
開基:黙譜祖忍
札所:北陸三十三観音霊場、能登国観音霊場



【縁起】


曹洞宗の高祖・道元禅師と並び、太祖として尊崇される瑩山紹瑾が、
正和元年(1312)能登の国・酒井に開創した曹洞宗発展史上、
最も重要な地位を占める古刹です。

元亨元年(1321)後醍醐天皇より曹洞宗出世道場の綸旨を賜り勅願寺となる。

足利尊氏の北朝時代には光厳上皇が能登国利生塔を建立。
足利直義も仏舎利二粒を三重の利生塔に納めて安穏を祈る等隆盛を極めます。

応仁の乱で伽藍の大部分を焼失、後に後土御門天皇の発願で再興されましたが、
天正7年(西暦1579)兵火により七尾城と共に、
再び全山を焼亡するという悲運に見舞われます。

江戸時代に入り前田利家が能登を領した時には、
寺領三百石を認め永光寺復興に尽力しました。

現在の建物は寛永以後の再興で、その伽藍は曹洞宗寺院の源流の一つです。


【寺号標】


豊財院と違いとても大きな境内のようです。


【幸運橋】


車は上の駐車場に停めたので、わざわざ下まで降りました。(^^;


【中道門】


完全にお城の雰囲気を感じます。


【参道】


ここの雰囲気がたまらない。

この良さは参拝しないと分からない。


【弁天堂】


こういう池は濁り切った死んだ池ばかり。

しかし、ここは水が豊富なんでしょう。
弁天池の水はとても綺麗。

だから弁天堂の周りはとても清浄な雰囲気です。

改めて水って大事だよなぁ、と思う。


【参道】


駐車場からわざわざ下に行って良かった。

山門横の駐車場まで車で行けば楽だけど、
この参道の素晴らしさは味わえない。

下にも数台分の駐車場があるので、
永光寺を参拝する際はさんど宇を歩く事をおすす


【観音堂】



【石段】




曹洞宗らしい凛とした雰囲気。

これはもう本当にたまらない。


【山門】


慶応2年(1866)再建されたもの。


【仁王像】





【境内】


真ん中が本堂である法堂です。






法堂を真ん中に左右に回廊で繋がれた書院、僧堂、庫裏があります。

法堂の奥には開山堂である伝燈院があり、
五老峰の尊像と御位牌が安置されているようです。

特別拝観料として通常の拝観料300円にプラス500円要です。

五老峰とは如浄禅師、道元禅師、懐弉禅師、徹通禅師、瑩山禅師とのこと。


さらに伝燈院の奥には高さ5メートルの墳丘があり、五老峰の遺品、
道元禅師の遺骨等が安置されているとのこと。


【十六羅漢・四天王】



【内陣】



【山岡鉄舟の大襖書】




幕末三舟の一人である山岡鉄舟の大襖書とのこと。


【境内】



【御朱印】



参拝終わって車に乗ると土砂降りの雨。

運転するのも躊躇う程であった。

宝円寺(2017年8月17日参拝)

2017年09月08日 | 北陸三十三観音霊場
3年越しの悲願である白山登拝に向けて、
満を持して自宅を出発。

白山奥宮の参拝は明日の早朝からになるので、
今日は金沢市内と白山市内の神社仏閣巡り。

まずは前田藩累代の菩提寺である宝円寺へ。

オール高速で自宅から5時間かかった。(^^;


所在地:石川県金沢市宝町6-14
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:天正11年(1583)
開山:大透圭徐大和尚
開基:前田利家公
札所:北陸三十三観音霊場、金沢三十三観音霊場


【縁起】


加賀百万石の藩祖前田利家公は、はじめ越前府中にあり、
城下郊外への高瀬村宝円寺の大透和尚に信頼を寄せ、
天正九年に能登の七尾の城に移ると、
和尚を招いて宝円寺を創建させられました。
 
天正十一年に利家が金沢城主になると、再び和尚を金沢に招いて、
護国山宝円寺を建立して大透和尚を開祖とし、
前田家累代の菩提寺ならびに曹洞宗全寺院の触頭とされました。

五代藩主綱紀公により寛文9年に本堂・山門などを改築し、
北陸の日光と云われましたが、幾度かの火災などで伽藍の多くが焼失。

墓地には利家公の御髪堂・御影堂や一族の墓や俵屋宗達等の墓もあります。

金沢観音霊場の御本尊十一面観世音菩薩は、
その昔利家ゆかりの宝久寺の御本尊で犀川神社の本地仏でもあり、
白山信仰ともかかわりのある御仏で、先師の遺志により、
利家公所縁の寺で金沢観音霊場番外宝円寺にお移ししたものです。

明治元年(1868年)寺内からの失火にて再び全伽藍を失い、
今の本堂と庫裏を造営し現在に至る。


【山門】


前田家の菩提寺とはいえ、
曹洞宗らしい質素な感じですね。

明治32年(1899)頃に建立されたもので、
国の登録有形文化財に指定。


【福徳地蔵尊】



【境内】


左側が20台ほどの無料駐車場です。


【地蔵尊】



【本堂】


残念ながら閉まったままでした。

明治5年(1872)頃に建立されたもの。


【稲荷堂】




狛狐しかいませんでした。(^^;



【御影堂・御神堂】




本堂裏手の少し離れた場所にありました。


【俵屋宗達墓碑】


裏手の古い墓地に俵屋宗達の墓があるということで、
朝から墓地に入って探す。

鳥居がある珍しい墓石が幾つかある中、
一番奥にありました。

どうやら墓碑のようですね。

泰嶺院宗眞劉達居士と刻まれており、
前田利常公や五世泰山和尚、俵屋金沢工房の人達によって、
建立されたものとされています。

毎年9月15日画聖俵屋宗達の追善法要である
宗達会・法要茶会が行われるそうです。


【感想】
お寺全体の雰囲気はとても閉鎖的なものを感じた。

曹洞宗の悪い部分が出てますね。

お寺がやるヨガ等では人を呼んで、閉鎖的では無いつもりだろうけど、
普段お参りに来る人達には閉鎖的と言わざるを得ない。

お寺にも事情があるのは理解出来るけど、
やっぱり閉鎖的に感じるのは悲しいです。

そういう訳で御朱印はいただいておりません。

庫裏のピンポンを押してまで、いただきたいとは思わないので。

羽賀寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月11日 | 北陸三十三観音霊場


小浜には素晴らしい仏様が多い。

この羽賀寺にも何とも言えぬ表情と美しさで有名な、
十一面観音菩薩がいらっしゃいます。

羽賀寺がある所は本当に長閑ですね。(^^



所在地:福井県小浜市羽賀82-2
宗派:真言宗高野山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:霊亀2年(716)
開山:行基菩薩
札所:北陸三十三観音霊場、北陸三十六不動霊場


【縁起】
元正天皇の勅願で行基菩薩が開山したのが始まりと伝えられています。

伝承によるとこの境内には1羽の鳳凰が舞い降り、
羽根を落としたという故事から羽賀寺の寺号が与えられました。

朝廷や為政者からも庇護され天暦元年(947)に洪水で大破すると、
浄蔵(雲居寺の僧)が再興、建久年間(1190-1199)には源頼朝が三重塔を寄進、
さらに元弘の乱(1331-1333)の兵火で焼失すると、
当時の若狭守護職である細川氏清が延文4年(1359)に再建しています。

最盛期には七堂伽藍が並び24坊を擁する大寺となり寛永2年(1625)には、
3代将軍徳川家光により山門や客殿が造営され大きな影響力を持ちました。

その後、再建繰り返し現在は本堂、庫裏、鐘楼堂が現存し、
現在に至る。



【庫裏、客殿】


無料駐車場からすぐに見えるのが、
これらの建物。

ここが本堂かと思ったけど違いました。(笑)


【参道】



【修行大師像】



【宝篋印塔】



【石段】



【本堂】




本堂に到着。(^^

拝観料を支払い内陣へ。


【御本尊】


雰囲気の良い内陣に厨子に安置されてました。

これはたまりません。

何とも言えない柔和なオーラに癒されますね。
じっくり拝見してても飽きることがありませんよ。

わざわざここまで来た甲斐があるというもの。

撮影不可でしたので画像は観光協会から拝借。


【鐘楼堂】



【鎮守社】



【宝珠観音】





【アジサイ】



【御朱印】



見るべきところは本堂と内陣と言ってもいいお寺だけど、
あれだけの御本尊を間近で見れることは幸せだ。

本堂を締め切って堂内すらみれないお寺は多いけど、
やはり仏様の御尊顔を拝することは、
我々衆生の民にとっては大切なことです。