Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

榮春禅寺(2015年12月13日参拝)

2016年02月29日 | 釈迦三十二禅刹
本日最後の参拝となるのが榮春禅寺というお寺。

こちらは釈迦三十二禅刹の札所の一つであります。
本堂内拝観は事前予約が必要です。



所在地:京都府京都府京都市伏見区桃山町丹下30
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
創建:永録11年(1568)
開山:孝蒲傳養和尚
開墓:酒井作右衛門重勝
札所:釈迦三十二禅刹



【縁起】
榮春禅寺は永録11年(1568)傳養和尚がこの地に開創された禅院。

戦国時代正親町天皇は、天下泰平国土安穏を祈願され、
永禄十10年頃全国から名僧百名を集め百日法要を営まれました。

傳養も招かれ法要の後、榮春禅寺を創建したのが始まり。

高祖道元禅師が深草から越前へ赴かれた寛元元年(1243)から、
約320年後、京・伏見に初めて建立された曹洞宗寺院である。



【総門】


伏見城遺構のものとされているそうです。
この総門は通ることは出来ません。

車は総門左に入れば10台分ぐらいの無料駐車場がありました。


【紅葉】



【山門】


凛とした雰囲気がとてもいい。

さすが禅寺です。(^^


【本堂】


境内の拝観は自由に出来ます。


【本堂前庭園】



【薬師如来】



【観音堂】


西国三十三ケ所観音、聖観音、十一面千手観音が祀られ、
桃山城血天井があるそうです。

ここにも血天井があるとは知りませんでした。

お金儲けに走ろうと思えば血天井を公開するだろうけど、
それをしないのは禅寺の教えによる美学でしょう。


茶室の指心庵と同じく非公開ではあるが、
お願いすれば見せてくれる場合も。


【石像】


どことなく武将のような気がするがいかに。

一通り境内を見学した後は庫裏でお声をかけて、
本堂へ入れていただく。


【本堂堂内】






お~、これは予想以上に凄い内陣であーりませんか。(^^

心がシャキっとしますよ。






そんなに大きくありませんが、
釈迦三尊の美しさがたまらない。

写真撮影は嬉しいことにOKでした。




十六羅漢像が岩座に安置されていました。







【竜図】


これは渋い配色で美しかったです。


【天井画】







【書院】



【御朱印】



【禅語】


露堂々は包み隠すことのない堂々とした姿や心のこと。

このお寺は本堂内陣を参拝してこそです。
是非とも訪れていただきたいです。


海宝寺と龍雲寺も参拝するつもりでしたが、
すっかり忘れていました。(^^;

またの機会に参拝させていただくとしよう。

欣浄寺(2015年12月13日参拝)

2016年02月28日 | 釈迦三十二禅刹
本日のメインの一つである欣浄寺へ。

墨染寺の隣にあります。
無料駐車場があるということですが、
本堂裏手は月極駐車場となっていました。

最奥に何とか一台は停めれそうでした。



所在地:京都府京都市伏見区西桝屋町1038
宗派:曹洞宗
御本尊:昆盧舎那仏
創建:不明
札所:釈迦三十二羅刹


【縁起】



【正門】


最初は思いっきり通り過ぎてしまって、
戻ってくるのに無駄に時間を費やしてしまった。(^^;

入って左手に停めれそうですが、
ここは停めてはいけないとのこと。


【紅葉】







【地蔵尊】



【石仏】



【門】


なかなか小粋な門です。

簡素なのに安っぽく見えないのが良いですね。


【小町姿見の池】


小野小町所縁の寺院みたいですね。


【深草少将姿見の井戸】



【石塔】



【供養塔】



【小野小町塚】



【鎮守社】



【本堂】




一通り境内を見た後はいよいよ本堂内陣参拝です。

昭和49年(1974)に再建されたものですが、
お寺の本堂らしく無いものです。

でも何とか本堂に見えますね。(^^


ここの内陣を拝観するには予約が必要です。

拝観料は特に決まっていませんが、
500円ぐらいでいいと思います。


【内陣】


でました!
こちらが伏見大仏と呼ばれている御本尊です。

奈良の大仏さんと違って、
こちらは木で出来た大仏さんです。






痛みが少し見えますが、近くで見れて嬉しいです。
しかも写真撮り放題です。(笑)

高さがある大仏さんが鎮座する所だけ地面に接地してました。

本堂を高床式にしてるのは大仏さんの高さの本堂を建設すると、
建設費が高くなるからでしょう。

ちゃんと考えられていますね。


【深草少将像】



【御朱印】



【禅語】


看脚下は「かんきゃっか」と読み、
自分の足元を見よとか脚下を照顧せよ、という意味の漢語。

己を見失わず自戒しなさいとの真意を表わしています。

墨染寺(2015年12月13日参拝)

2016年02月28日 | 仏閣
次なる参拝地は墨染寺です。
ここはあの豊臣秀吉が再建させた歴史あるお寺です。

墨染寺と書いて「ぼくせんじ」と読みます。
てっきり「すみぞめでら」かと思ってた。(^^;



所在地:京都府京都市伏見区墨染町741
宗派:日蓮宗
御本尊:十界大曼荼羅
創建:貞観16年(874)
札所:京の通称寺霊場


【壽碑】





【山門】


境内に無料駐車場がありました。
でも、この山門を車で行けないと思ったので、
ちょっと離れた有料駐車場に停めました。


【境内】


何とも殺風景な日蓮宗らしい境内です。(^^;

だけど桜の時期は一変するそうです。
境内いっぱいに咲く墨染桜は本当に美しいようです。

奥に見えるのが本堂です。


【日蓮聖人像】



【墨染桜】


花どころか葉っぱ一枚ありません。

花の無い時期に参拝するのがゴマラーですから。(^^;


【御首題】


お忙しいようでしたので、
書置きをいただきました。

藤森神社(2015年12月13日参拝)

2016年02月27日 | 神社
金札宮の次は刀剣ブームで腐女子の参拝が多くなったと、
巷では噂の藤森神社へ。

こちらも初めての参拝となります。

駐車場がありましたが有料です。



所在地:京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
主祭神:素盞嗚命
創建:(伝)神功皇后摂政3年(203)
社格:府社
札所:京都十六社 朱印めぐり


【由緒】

創建年代や祭神には諸説あり、社伝では神功皇后摂政3年(203)、
三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に纛旗を立て、
兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしている。

当初の祭神は現在本殿に祀られる7座であった。
藤森の地は現在の伏見稲荷大社の社地であったが、
その地に稲荷神が祀られることになった為、当社は現在地に遷座した。


東殿は天平宝字3年(759)に藤尾の地に崇道尽敬皇帝(舎人親王)を
祀る神社として創建されたもので、元は藤尾社と称していた。
永享10年(1438)に当社に合祀された。

西殿は延暦19年(800)に早良親王を祀る神社として塚本の地に創建され、
文明2年(1470)に当社に合祀された。早良親王は生前当社を崇敬していた。
陸奥で反乱が起こった時、早良親王は征討将軍となり当社に詣でて戦勝を祈願した。
その出陣の日が5月5日で、これが現在の駆馬神事の元である。

光仁天皇の天応元年(781)、に異国の蒙古が日本へ攻め寄せ、
早良親王が大将軍となり率いた軍勢がこれを退けたが、
その際当社に祈願したことより当社に弓兵政所の異名がつき、
また境内にある蒙古塚は、この時の蒙古軍の大将の首を埋めたものと伝わる。


京都洛南深草の里に平安遷都以前より祀られている古社であり、
古来、朝廷から武家、庶民にいたるまで崇敬厚く、歴史ある社である。

歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、
現在の藤森神社となった。



【社頭】



【石造鳥居】





【参道】


広い境内です。

金札宮と違って境内が駐車場化してないのがいい。


【蒙古塚】





【宝物殿・参集殿】


充分の紫絲威大鎧や刀剣等が展示してありました。
拝観料は確か200円ぐらいだったかな。


【絵馬舎】


元々は拝殿だったそうです。


【拝殿】






正徳2年(1712)に後水尾天皇の遺勅によって、
宮中から移築したもの。


【狛犬】



【御神馬】



【本殿】





本殿から発せられる品格が素晴らしい。

それもそのはず、
本殿は拝殿と同じく宮中から移築したものだから。




重要文化財。


【御旗塚】





【藤森稲荷社】



【不二の水】


普通の水でした。
お腹は痛くなりませんでした。(笑)


【大日如来社・卍地蔵尊】



【藤森七福神】



【神鎧像】







【神輿轅蔵】



【八幡宮社】


重要文化財。


【祖霊社】



【七宮社】



【大将軍社】




重要文化財。


【天満宮社】



【金太郎像】



【白松】







【御朱印】


刀剣のオリジナル御朱印帳がありましたが、
好みでは無いので買いませんでした。

最近買い過ぎていたしね。(^^;

金礼宮(2015年12月13日参拝)

2016年02月27日 | 神社
続きまして金礼宮という有難い名前の神社へ。

京都でもかなり歴史のある神社のようです。



所在地:京都府京都市伏見区鷹匠町8
御祭神:天太玉命(白菊翁・白菊大明神)
創建:天平勝宝2年(750)
社格:村社
札所:伏見七福神


【由緒】
伏見に於ける最も古い神社の一つで、
旧久米村の産土神として崇敬されていました。

室町時代には御香宮と匹敵する規模と信仰をもった社で、
桓武天皇以降歴代天皇のご崇敬も厚く、
行幸を賜ったり修繕の勅を下されるなどしていました。

正安元年(1299)後伏見天皇は荘園を寄進し誠に殷盛を極めましたが、
応仁の乱による焼失の後、伏見宮貞常親王によって再興され、
後柏原天皇の御代に修繕の勅があって過日の社勢を取り戻しました。

しかしその後ほどなくして、豊臣秀吉による伏見城築城の際に、
現在地より西方250米の御駕篭町へ。

慶長九年(1604年)喜運寺が創建された時、
金札宮はその鎮守杜として現在の鷹匠町に移転し、
明治の神仏分離で神社は独立し現在に至っています。


【鳥居】



【境内】


狭い境内が月極め駐車場になっていて残念な姿でした。

神社だけでは経営が苦しいのかと思いきや、
神社関係者と思われる車は外車のエクスプローラーでした。(^^;


【狛犬】





【本殿】



【境内社】









【大黒天】



【クロガネモチ】





【御朱印】


二種類ありましたが今回はこちらだけいただきました。

風貌から想像出来ない程の達筆です。(失礼)

御香宮神社(2015年12月13日参拝)

2016年02月26日 | 神仏霊場巡拝の道


続きまして伏見の七名水の一つである
御香水が有名な御香宮神社へ。

今まで何度も行こうと思ったが、
何故か思うだけで今まで参拝してませんでした。

そんな訳で今回が初めての参拝となります。


所在地:京都府京都市伏見区御香宮門前町
主祭神:神功皇后
創建:不明
社格:式内社、府社
札所:神仏霊場巡拝の道、京都十六社 朱印めぐり


【由緒】
当社は安産と子育ての神様神功皇后をお祀りしています。
初めは御諸神社といいましたが、貞観4年(862)、
境内に清泉が湧いてその芳しさが四方に広がり、
様々な奇跡が起こって清和天皇より御香宮の名を頂きました。

中世に伏見宮家の庇 護を受けて伏見庄九郷の産土神として信仰を集め、
近世には豊臣秀吉の寄進を受け、また 慶長10(1605)
徳川家康は現在の地へ現本殿を建て、社領三百石の寄進も受けました。

特に伏見で誕生した紀伊、水戸、尾張三侯の藩祖は、
いずれも当社を産土神と崇め、江戸時代に社名が益々高まりました。

慶応4年(1868)伏見鳥羽の戦いに当社は薩摩藩の陣営となり、
大手筋を へだてて南の伏見奉行所の幕府軍と戦いましたが、
幸いにして戦火を免れました。

神幸祭は古くから伏見祭と呼ばれて、
今も落南一の大きなお祭として有名です。


【表門】


無料駐車場は境内にあるので、
一旦表門前まで出ていざ参る。

しかし立派で豪壮な門です。

神社の門にしては異質というか武家の香りがする。

それもそのはず、元和8年(1622)に水戸黄門の父徳川頼房が、
伏見城大手門を寄進したものとか。

重要文化財に相応しい門でした。


【鳥居】



【伏見義民碑】




説明板によると明治19年(1886)12月に建立されたもの。

臣兼任)書、碑文は海舟散人(勝海舟)撰。

伏見義民とは天明5年(1785)当時の伏見奉行小堀政方の悪政を、
幕府に天下の禁を破って直訴して伏見町民の苦難を救い、
自らは悲惨な最期を遂げた7人の町人のことだそうです。

碑の前には彼らを弔う為と思われる境内社が鎮座。


【木鳥居旧基礎石】





【参道】


かなり広い境内です。


【大杉社】



【桃山天満宮】



【伏見城跡残石・石碑】





【神牛】



【末社】





【白菊石】



【鳥羽伏見戦いの碑】



【土蔵】



【絵馬堂】



【祓所】



【狛犬】



【拝殿】




華麗なる色に彩られた拝殿らしからぬ建物です。

寛永2年(1625)初代紀州徳川家・徳川頼宣が寄進したもの。

真ん中を通って本殿へ参ります。


【本殿】


慶長10年(1605)徳川家康の命により建立された重文。

この日は12月も真ん中だというのに、
七五三の参拝客がめちゃくちゃ多かった。

社務所で巫女さんとその事をお話しさせていただきましたが、
今は12月になっても平気で七五三で訪れるそうです。(^^;


【石碑・井戸】



【境内社】


住吉大明神社・恵比須社・八阪社・若宮八幡宮。




豊国社。




大神宮。




熊野社・金札宮・那智社・新宮社・天満天神社・春日大明神社。




東照宮。




松尾社。










弁天社。






稲荷社。


【本殿】



【神馬舎】



【御香水】


煮沸した方がいいと書かれていましたが、
ちょっと飲んだら軽く腹が痛くなりました。(泣)

やはり市内だと御神水も普通に飲めなくなっていますね。


【能舞台】



【みたらし団子】


表門前の桃山餅さんの団子。

美味かった~。
お勧めです。(^^


【御朱印】




二種類あるようで、桃山天満宮の御朱印いかがですか?と
巫女さんが仰るもんだから、思わずはいと答えてしまった。(^^

狸寺<西運寺>(2015年12月13日参拝)

2016年02月26日 | 仏閣
乃木神社からそれほど遠くない場所にあるのが、
通称狸寺と呼ばれる西運寺。

御住職は信楽焼の狸とか大量にコレクションしているそうだ。

駐車場は山門手前の坂の所三台分ありましたが、
ちょっと停め難かったです。



所在地:京都府京都市伏見区桃山町泰長老108
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長元年(1596)
開山:西蓮社岸誉上人順阿慈航雲海大和尚



【沿革】
当山は松風山西運寺と号し、慶長元年(1596)
西蓮社岸誉上人順阿慈航雲海大和尚が、
紀伊郡向島村橋詰町に留錫の際、
付近の住民の懇願で世継地蔵尊を安置して創建された。

岸誉上人は油掛地蔵尊で有名な西岸寺の開山でもあります。

晩年は釘抜地蔵尊の京都千本の石像寺に入院して、
入寂されたと伝わる。

時を経て貞享3年(1686)に西運寺五世義雲上人の時、
公儀の命により上総屋敷跡を下付されて現在地に移転した。

ちなみに上総屋敷とは徳川家康の六男松平上総介忠輝の
屋敷だったと推測される。

その後、次第に荒廃していたが、明治時代になって本堂等再建。


【山門】



【地蔵堂】


世継地蔵尊が祀られているそうです。


【信楽焼】


庫裏でコレクションを見せてくれるようだけど、
特に興味が無いのでスルー。


【御朱印】

乃木神社(2015年12月13日参拝)

2016年02月25日 | 神社
明治天皇伏見桃山陵近くに鎮座する乃木神社へ。

下関の乃木神社は参拝したことがあるのに、
それよりも遥かに近い京都の乃木神社の参拝は初めてです。

どんな神社か楽しみである。

無料駐車場はありますが、
長時間の場合は任意でお金を払う必要があります。



所在地:京都府京都市伏見区桃山町板倉周防
主祭神:乃木希典命、乃木靜子命
創建:大正5年(1916)
社格:府社


【由緒】
乃木神社は文武にわたる御功績この上なき、
乃木希典命とその賢婦人であられた乃木静子命を鎮め祀る神社です。

京都伏見桃山に乃木神社が建てられたのは、
明治天皇の崩御に際して乃木大将が遂げた殉死の一事にあります。

明治の御維新以来、国運の進行を図らせたまわれた明治天皇は、
明治45年7月30日、遂に崩御あそばされました。

御陵は朕が百年の後は必ず陵を伏見に営むべし、との御遺志により、
伏見桃山の地と定められました。

明治から大正へと元号が改められた9月13日、
国民の深い悲しみの中、東京青山葬場殿にて御大喪の儀が行われました。

天皇の霊柩が御轜車に移され、皇居から斎場に向け、
いよいよ車列の出発を告げる号砲が鳴り響いたまさにその刻に、
軍事参議官兼学習院長陸軍大将従二位勲一等伯爵乃木希典は、
妻靜子とともに赤坂の屋敷にて皇居に正対端座し自刃されました。

傑出して勝れし御遺徳を偲び敬う国民の誠心はいよいよ昂まり、
京都伏見桃山をはじめ北海道、栃木、東京、香川、山口等、
全国各地に乃木神社が建立されるに至りました。


【大鳥居】


京阪電鉄が奉納したもの。


【神門】


これは見事で立派な門ですね。
かなり好みです。

台湾阿里山の樹齢三千年の台湾檜を使ってるとか。

乃木大将は第三代台湾総督として赴任し、
台湾人の風俗や慣習を尊重する布令を発する等、
台湾の人々から大変信頼され人気があったそうです。


【戦艦吾妻の主錨】


慰霊碑「滄海に眠る若人の碑」の後ろにあるのは主錨。

昭和19年(1944)退役解体された戦艦吾妻のもの。


【境内】


結構広いです。


【宝物館】


乃木大将を偲ぶ刀剣や武具、掛け軸等展示されておりました。

撮影は不可です。


【紅葉】



【記念館】


日露戦争の際南満州の柳樹房という場所で、
乃木大将が第三軍司令部として約1年間起居されていた建物。

神社創建の際、わざわざ現地より解体移築したもの。

お金かかってますね。










内部はこんな感じです。






こういうものも飾られていました。


【地蔵尊】



【長府乃木邸】




神社にはいろいろ見所が多いです。






これは下関の乃木神社で同じものを見た記憶が。

向かって左が父の十郎、向かって右が母の寿子、乃木将軍です。


【村野山人之像】


乃木神社を創建した人物で、
山陽鉄道、豊州鉄道、神戸電気鉄道などを経営し、
後に衆議院議員となった大物だったようです。


【拝殿】






なかなか立派な拝殿ですね。


【絵馬額】


将軍の愛馬だと思われる。


【壽号】


将軍の愛馬で後に種馬として軍馬の大型化に貢献。


【狛犬】



【勝水と勝ちま栗の祠】



【紅葉】




内苑特別拝観というのがあって、
拝観料を支払えば拝殿横から入って本殿の裏を通って一周出来ます。

紅葉がとても綺麗でした。(^^


【乃木将軍夫妻銅像】



【招き猫】




何でこんなモノがこんな神聖な場所にあるんや。(^^;


【拝殿】



【本殿】





【紅葉】



【十三重搭】


何かこれも場違いな気がするが、
これは英霊を慰めるものとか。


【本殿】



【和み地蔵】




こ、こ、これは!(笑)

なんだか四国の田村神社の悪夢が蘇る。(苦笑)

可愛いんだけど本殿の裏にいるのが意味不明。(^^;


【お焚場】



【七福神】


布袋さんと大黒さんで合ってる?(^^;


【紅葉】







【心字池】




池の奥に一念地蔵が見えました。

実は一念地蔵の横には乃木将軍像があります。


【カエル】


もはや何でもあり。(苦笑)


【亀】


面白い。(^^


【紅葉】




いや~、内苑があんなワンダーワールドになってるとは。
入るんじゃなかったよ。(^^;

でも、言うほど嫌悪感は全くありませんでした。

普通に面白かったです。

これがもし田村神社のように一宮だったら、
怒りが湧いていたでしょう。


【山城ゑびす神社拝殿】





【本殿】



【祈願鯛】


幸せに成りたいということなんでしょう。(苦笑)


【御朱印】

源空寺(2015年12月13日参拝)

2016年02月25日 | 法然上人二十五霊跡

本教寺から歩いて数分の場所にあるのが源空寺。
法然上人二十五霊跡の札所の一つであります。



所在地:京都府京都市伏見区瀬戸物町745
宗派:浄土宗
御本尊:円光大師
創建:建久6年(1195)
開基:忍空上人
開山:法然上人
中興年:慶長17年(1612)
中興:幡随意
札所:法然上人二十五霊跡



【歴史】
当寺はその昔、木幡の里にあり、
三井寺の碩徳公胤僧正の弟子忍空上人の草庵であった。

忍空上人は深く法然上人の徳風を仰ぎ、
特に浄土の教義を信じて専修念仏せられていた。

法然上人御年63歳の時、上人をこの地にお迎えして人々に教化された。
人々は法然上人とのお別れを惜しみ、御影を安置せんことを請う。
その願いを感ぜられた上人は、かねて御書写の法門及び法語数通で持って
「張貫きの御影像」を作ってこれを忍空上人に授与された。

慶長年間、江戸の幡随意上人は九州の異教徒教化の帰途、
法然上人の影像を拝されたが、余りにも土地辺鄙なのを歎かれ、
現今の地に移されんことを請われた。

家康公もまた随喜の余り、桃山城内の一宇を寄進され、
ここに長く念仏弘通の専門道場の基礎が確立された。

よって寶海山法然院源空寺と呼び定められる由縁である。


【山門】


6台ぶんほどの無料駐車場がありました。




これはまた変わった山門ですね。

この山門は1623年に廃城になった伏見城城内の建物の一部を移築し、
楼門風にしたものだそうです。


【朝日大黒天】


伏見城の巽櫓から徳川家光によって移されたもの。


【即一六躰地蔵尊・愛染明王】


同じく巽櫓から移されたもの。


【境内】



【本堂】


普段拝観する際は予約が必要ですが、
御朱印をお願いすると本堂に入れていただきました。

法然上人の札所はどこも本堂に上げていただけるのが良いところです。
しかし今日は違った。

堂内には喪服を着た方々が20名ほど居て、
御住職は読経をされている。

どうやら年忌法要中のようだ。

こんな時に本堂に入れていただいても、
居心地最悪ですよ。(^^;

早々に立ち去ったのは言うまでもない。


【十三重搭】



【稲荷社】



【御朱印】



ふぅ、今日はさすがに参った。

お寺参りは本堂に上がってこそと、
いつも言っておりますが、法事の時は別。

法事の最中に一人場違いな人間がいるのを想像してくださいよ。

つらかったっすよ~。(苦笑)

本教寺(2015年12月13日参拝)

2016年02月24日 | 仏閣
長建寺の宝貝を買ったので今年はもう安泰です。(笑)

続きまして源空寺近くにある本教寺へ向かいます。

車のナビを頼りに行かれる方は要注意です。



所在地:京都府京都市伏見区東大手町778 
宗派:日蓮宗本法寺派
御本尊:十界大曼荼羅
創建:文禄3年(1594)
開山:日受上人
札所:十二支妙見めぐり



【縁起】
日新上人の法孫・教行院の日受上人により創建されました。

日受上人は当初は西浜堺町(伏見区)に小庵を創建したのですが、
徳川家康の第二女・良正院督姫の篤い帰依を受けて、慶長19年(1614)に、
督姫が十六才で姫路城主・池田輝政の令室として嫁ぐことになった際に、
その館と敷地を寄進されて現在地に移転しました。

当時は広大な敷地を持っていたようです。

督姫は幼少時より当時伏見城にいた太閤豊臣秀吉に寵愛され、
池田家との媒酌も秀吉が自身買って出たとも伝えられます。

当時秀吉から督姫が賜ったという伏見城の牡丹は、
現在も境内で花を咲かせていることから、
本教寺は豊公遺愛督姫手植えの牡丹のある寺、
「慶長牡丹の寺」として親しまれています。(



【山門】


商店街の中にお寺はありました。
車のナビを頼りに行くも、商店街の中を誘導するもんだから、
めっちゃ焦ったよ。

広い商店街なんで車は通れるようだけど、
さすがに商店街を車で走る勇気はありませんでしたので、
近くの有料駐車場に停めました。

お寺の駐車場は無いようだけど、
山門前なら停めようと思えば停めれないこともない。




小さな山門だけど屋根の瓦が立派でした。


【境内】


現在は狭い境内です。


【本堂】


近衛関白家の寄進により堀川御殿が移築されたもの。

残念ながら本堂は閉まったままでした。
せめてガラス越しでいいから見たかったな~。


【妙見宮】


北辰妙見大菩薩、鬼子母神、七面天女、大黒天が祀られているそうです。


【鐘楼堂】



【日蓮聖人像】



【秋山白雲霊神】


痔の神様です。(笑)


【石碑】



【御首題】


書置きでしたが和紙が良い感じ。

長健寺(2015年12月13日参拝)

2016年02月23日 | 仏閣
昨日は夜間拝観を楽しんだにも関わらず、
本日は伏見区で寺社巡りを楽しみたいと思います。

思えば伏見区はあんまり参拝していないことに気付いた。

有名寺院がある東山区や左京区と違って、
そんなに有名な寺院があるわけではないのが理由ですが、
調べてみるとなかなか個性的な寺社があることを知った次第。


無料駐車場は山門の反対側にありました。



所在地:京都府京都市伏見区東柳町511
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:八臂弁財天
創建:元禄12年(1699)
開基:建部内匠頭政宇(伏見奉行)



【縁起】
長建寺は東光山と号し真言宗醍醐派に属する。
八臂弁才天(鎌倉時代後期作)を本尊とし、
一般に島の弁天さんの名で知られている。

元禄12年(1699)伏見奉行建部内匠頭政宇が中書島を開拓するに当り、
深草大亀谷即成就院の塔頭多聞院を当地に移し、
弁才天を祀ったのが当寺の起りで、
寺名は建部氏の長寿を願ってこのように名付けられた。

弁才天は音楽をもって衆生を救う女神で、
福徳・知恵・財宝をもたらす七福神の一つとして、
多くの人々の信仰を集めている。

弁天祭と2月節分祭には醍醐派修験道の最高の神髄として、
紫燈大護摩修行が行われており、
正月には現世利益を授かるため多くの参拝者で賑う。

また、古銭型のお守り宝貝守りは江戸時代より今に伝えられている。


【柳】


小粋な雰囲気を感じる宇治川の支流東濠川沿いに、
柳町らしく柳がありました。

反対側に煙突が見えますが、
これは月桂冠大倉記念館です。

手前には十石舟・三十石船乗り場があり、
4月から11月まで酒蔵と水辺を巡れます。


【山門】




真言宗醍醐寺派のお寺とは思えないほど、
中華風な山門です。


【鐘楼堂】




明らかに鐘楼と堂の大きさが釣り合っていない件。

何でもこれは模造とかで、
本物は先の大戦で供出させられたそうで。

小さいながらも鐘楼を買えばいいのに。

鐘楼堂の下はおみくじを売ってました。
比叡山の元三僧正が考案したものを、
現代風にアレンジしたのがこのお寺らしい。


【摩利支尊天・飛龍大権現】



【地蔵尊】



【山門迎福】


ジュディオングさんが来たのかな。

倩玉とは版画家としての雅号。
雅号とは中国から伝わった本名以外につける風雅な名のこと。


【参道】



【本堂】


他のお寺では大概小さな祠に祀られている弁財天ですが、
こちらでは立派な本堂で御本尊として祀られています。

これは本当に珍しいと思います。


【閼伽水】



【境内】




護摩炊場です。


【辯天型燈籠】



【水天尊井戸】



【マリア燈籠】





【福富稲荷社】



【宝貝】


このお寺に参拝したからにはコレは買わなければならない。(笑)

どう見ても女陰にしか見えない。

良いコの皆さんに解説しよう。

一番外側の大陰唇は古代大河の流れ、
その内側の小陰唇は宝貝で、貝は開運に通じ、通貨の始まり、
生命の根源を表わしている。

クリちゃんは五輪を表わす梵字で、
上から空・風・火・水・地だそうです。

真ん中の穴に関しては何の説明もありませんでした。(苦笑)

しかし、これはさすがにやり過ぎコージーというか何と言うか。(^^;

大陰唇が古代大河の流れとか意味不明なんですけど。(苦笑)


まぁ、それでも当然買いましたけど。(笑)


【御朱印】


書置きでした。

屋久杉朱印帳

2016年02月23日 | 御朱印帳
屋久杉で作られている御朱印帳をご紹介します。

高野山や伊勢神宮を筆頭に現在流行している木製御朱印帳ですが、
その究極版ともいえる御朱印帳がこれ。



あのパワースポットで名高い屋久島の屋久杉で作られたものです。

値段は聞いて驚くことなかれ。
販売価格19440円に送料となっており、
御朱印帳としてはかなりの高額商品です。


http://www.yamaou.com/shop/1_166.html

こちらで販売しているようですので、
お金が腐るほどある人はどうぞ。

私はジャンボ宝くじ1等が当たったら買わせていただきます。(笑)

春日大社・御朱印帳

2016年02月23日 | 御朱印帳
たぶん神社で初めて買った御朱印帳だと思います。






サイズ:16センチx12センチ
値段:800円(御朱印代別)



【感想】
2010年に購入したものなので、
現在売ってるかは分かりませんが、
800円ととてもリーズナブルでした。

今は他のデザインで1000円になってると思います。

使い心地は値段の割りにしっかりとしたもので、
ヨレもほとんど無く裏写りもありませんでした。

さすが私が愛する春日大社の御朱印帳だけはある。

武田神社・御朱印帳

2016年02月22日 | 御朱印帳
我が御屋形様の武田信玄公が、
御祭神の武田神社御朱印帳。




これを見たら買わずにはいられない。(^^

ある神社の巫女さんがこの御朱印帳を見て、
カッコよくてセンスが凄く良いですと絶賛してました。


サイズ:16センチx12センチ
値段:1200円(御朱印代別)



【感想】
武田神社の御朱印帳はあんまり悪い評価はしたくないけど、
結構裏写りしてしまいます。

裏写りする御朱印帳は大概ヨレがあるけど、
ヨレが無いから不思議。

つまり水分が多くなくても墨が浸透するということかな。(泣)