Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

日光院(2015年6月28日参拝)

2015年07月26日 | 仏閣
丹波名産を何一つ食べることもなく、
丹波を離れ前から行きたかった名草神社へ向かう。

食より参拝優先は当たり前のことなのです。(^^

名草神社はかなり山奥に鎮座しているので山道を覚悟していました。

だんだん山の中に入って行く。

途中の妙見山という山の道を走っていると、
日光院というお寺を発見。

妙見大菩薩という看板があったので日蓮宗かと思ったが、
近畿楽寿観音霊場の札所であるので違う。

ここに訪れるのは恐らく二度と無いので、先を急ぐが寄ってみた。



所在地:兵庫県養父市八鹿町石原450
宗派:高野山真言宗
御本尊:妙見大菩薩
創建:人皇三十代敏建天皇(572)
開基:日光慶重
札所:近畿楽寿観音霊場、宝の道七福神、但馬七福神



【縁起】
当院は日光慶重がここに一寺築いたことに始まります。

霊符縁起によりますと但馬国・石原妙見は、
肥後国・八代妙見、下総国・相馬妙見と共に日本三妙見の一つとされます。

戦国時代には特に武門将士の信仰を集め、山名宗全も日光院で戦勝祈願をしました。
それらの古文書は「日光院文書」と呼ばれ、中世の歴史を伝える貴重な資料として、
県指定重要文化財となっています。

天正年間、羽柴秀吉の山陰攻めの兵火にあい、寺門一時衰微しましたが、
寛永9年にはここから西方五十丁の妙見中腹に移転復興し、
三代家光公より三十石のご朱印地を賜りました 。

寛文5年には出雲大社の御造営に際し、本殿の御用材に日光院の妙見杉をお譲りしたお礼に、
出雲大社より日光院に三重塔を譲り受けました。

妙見全山を伽藍とする壮大な妙見信仰の一大霊場として繁栄を極めました。

明治になり廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、妙見信仰の弾圧が始まりました。
明治9年「寺号を廃して不動産のみ名草神社にせよ」という
布達にて再びこの地の末寺成就院と合流し今日に至っております。

寛文9年から明治9年の245年間に日光院の建物に、
新たに名草神社が入りお寺の建物がそのまま神社とされたのです。

そこが日光院であったが故に、
仏教の象徴である三重塔が名草神社の境内に存在しているのです。


【風景】


こんな所でも人は住んでいる。

不便だろうなぁ。


【石段】


雰囲気はいい。


【不動明王】


お不動さんがお出迎え。


【石垣】


苔ロードがたまらない。


【山門】



【拝殿】


ドーンと聳える大木に渋い拝殿。
神社のような雰囲気です。

寄ってみて正解です。
これだから寄り道はやめられない。(笑)




この拝殿は護摩堂だそうです。


【山門】



【修行大師像】



【井上貞治郎像】


強靭かつ量産出来る段ボールを開発したので、
日本の段ボールの父と呼ばれているそうな。


【招福弁才天】



【薬師堂】




本堂にあたります。

妙見の本地佛と宝の道七福神の毘沙門天が祀られています。


【地蔵尊】




廃仏稀釈以前には名草神社まで一丁毎に祀られていたもの。


【宝篋印塔】


美方郡香美町にある応挙寺から奉納されたもの。


【渡り廊下】



【境内】


苔と大木の木々お緑が清々しい。


【本殿】






まるで神社のよう。

雰囲気的にも神仏習合が色濃く残っていますね。


妙見大菩薩は50年に1度の御開帳。


【稲荷社】





【御堂】



【お助け地蔵】





【不動明王】



【鐘楼堂】



【境内】


朝霧とか出ていたらたまらん雰囲気でしょうね。


【御朱印】



次は因縁めいた名草神社へ向かいます。