Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

神護寺(2016年9月12日参拝)

2016年10月01日 | 仏塔古寺十八尊
神護寺には参拝者用の駐車場がありません。

初めて神護寺に行く場合、事前に調べておかないと、
どこに停めるのがベストなのかよく分からない。

かくいう私も分かりませんでした。(^^;

そんな中、駐車場を探して彷徨っていると、
162号線沿いの旅館&日帰り昼食が楽しめる「もみぢ家」の
有料駐車場(800円)を発見。

ここに停めようとすると、
係りの女性がもっと近くで安く停めれる駐車場を教えてくれた。

うどん屋の「よしでん」という店が見えたら162号線を左折、
西明寺の指月橋横を通過し、細い道を少し進む。

すると高雄観光ホテル手前に駐車場がありました。

「もみぢ家」からでも神護寺には行けるけど、
長い坂の石段を登り降りをしなければならないし、
こちらの駐車場は近い。

何より駐車場料金が500円と安いのが良い。

「もみぢ家」の綺麗なお姉さん有難う。(^^

抱かれてもいいです。(笑)



所在地:京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:天長元年(824)
開基:和気清麻呂
札所:神仏霊場巡拝の道、仏塔古寺十八尊、西国薬師四十九霊場


【縁起】


平安遷都の提唱者で知られる和気清麻呂は、
天応元年(781)国家安泰を祈願し河内に神願寺を、
また同じ時期に山城に私寺として高雄山寺を建立している。

神願寺が実際どこにあったのか、確かな資料が残っていない為、
いまだ確認されていない。

その発願は和気清麻呂がかねて宇佐八幡大紳の神託を請うた時、
「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て、
万代安寧を祈願せよ」というお告げを受け、
その心願を成就する為と伝えられ、寺名もそこに由来している。

清麻呂が没すると高雄山寺の境内に清麻呂の墓が祀られ、
和気氏の菩提寺としての性格を強めることになるが、
清麻呂の子息(弘世、真綱、仲世)は亡父の遺志を継ぎ、
最澄、空海を相次いで高雄山寺に招いている。 

神護寺は最澄、空海の活躍によって根本道場としての内容を築いていったが、
正暦5年(994)と久安5年(1149)の二度の火災にあい、
鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅の状態となった。
 
僅かに本尊薬師如来を風雨に晒しながら残すのみであった惨状を見た文覚は、
生涯の悲願として神護寺再興を決意する。

その達成への道は厳しかったが、
江戸時代中期には堂宇7、支院9、僧坊15を数えるまでに再興された。

ところが明治維新後の廃仏毀釈によって愛宕山白雲寺は消滅、
当寺も開創以来維持されてきた寺域は悉く分割のうえ解体され、
支院9と15坊は忽ち焼失、別院二ヶ寺と末寺の全ては他寺に移された。
 
昭和10年(1935)現在の金堂、多宝塔他が山口玄洞居士の寄進により、
再興され旧堂も修復された。
 
昭和27年(1952)寺領の一部を境内地として政府より返還され、
今日、法灯を護持している。


【高雄橋】


西明寺の指月橋と同じような雰囲気の橋ですが、
こちらの方が大きいですね。


【清滝川】


本日のメインである神護寺に参拝する前に、
心を清らかにしておこう。


【参道】




知ってたとはいえ、つらそうな石段や。(^^;


【高雄茶屋】


5分ほどハァハァ言いながら参道を登ると茶屋はありますが、
季節限定なのか閉まっていました。

次に見える硯石亭は後ほど。


【参道】


ここまで十数分。

暑いし結構疲れる。
真夏だったらヤバイな。(^^;


【楼門】


ようやく楼門が見えてきた。

ここまで約350段でした。




渋い楼門ですね。

神護寺の格の高さを感じられる門です。


【本坊】


紅葉の頃はかなり良さそうですね。


【境内】


どんな凄い伽藍が見えるのだろう、と思っていたら、
結構、がらんとした境内でした。(シャレではない。)


【境内図】



【紅葉】


早くも紅葉が見れて嬉しい。(^^


【勅使門】


書院前の見事で美しい門です。


【蔵】



【楼門】



【和気清麻呂公霊廟】







【鐘楼堂】




鐘楼堂としては珍しく石段を登っていくことになります。


【明王堂】





【境内】



【毘沙門堂】




元和9年(1623)再建されたもの。


【五大堂】


不動明王等の五大明王が祀られているとこのと。

元和9年(1623)再建されたもの。


【緑葉】



【大師堂】


重要文化財。

11月1日~11月7日に御開帳されます。(拝観料別途500円)


【金堂】




またまた石段。


【石段】


頑張りまっしょい。


【金堂】


昭和9年(1934)に再建されたもの。

真言宗の大本山クラスでよく見るタイプの本堂です。

内陣は撮影禁止でしたが、
仏様達は素晴らしく大満足です。(^^


教科書にも載っている超有名な源頼朝の肖像画の複製もありました。

国宝の本物は5/1-5/5書院にて宝物虫払い行事で見れます。
書院も入ってみたいので来年行ってみるかな。

ちなみに源頼朝と言われている肖像画ですが、
現在の研究では源頼朝では無いという説が有力です。

では、誰かというと足利尊氏の弟である足利直義だそうです。

どちらにせよ、武家の頭領としての威厳や品格が感じられ、
国宝に恥じぬ肖像画だと思います。


【鎮守社】


左の道を進むと地蔵院、かわらけ投げに、
右の道を進むと鎮守社、多宝塔に行けます。





【多宝塔】




門と塀に囲まれた多宝塔は珍しいですね。




昭和9年(1934)に建立されたもの。

毎年10月の三連休には五大虚空蔵菩薩像が御開帳されます。
別途拝観料500円必要ですけど。


【閼伽井】





【地蔵院】


明治33年(1900)再建されたもの。

塔頭だったようです。


【苔】



【かわらけ投げ場】


先に進んでみると絶景があった。


【錦雲渓】


久しぶりに風景を見て凄いと思った。

ここでかわらけ投げをするのですが、
そんな事をこの絶景でするのは無粋です。

かわらけ投げって単なる金儲けとしか思って無いしね。


これにて拝観終了。

腹が減ったので参道途中の店で食事しよう。


【硯石】




参道途中の硯石亭の前にあります。


【硯石亭】





【ざる蕎麦】


なかなか美味かったです。


【御朱印】


西国薬師の御朱印。




仏塔古寺十八尊の御朱印。

ようやく満願達成。(^^

室生寺・其の二(2015年3月8日参拝)

2015年04月05日 | 仏塔古寺十八尊
奥の院からダッシュして受付けまで戻った。

ハァハァしながら集合時間に何とか間に合った。(^^

今回の参加者は20名ぐらいで御夫婦で参加してる方が多かったですね。

僧侶の御紹介が終わって「奈良 うまし冬めぐり」開始。



【仁王門】


ここはさらっと素通りして、
鎧坂でいろいろ僧侶にご説明していただく。

いろいろタメになる話です。

鎧坂を登りきるとまずは弥勒堂へ。


【弥勒堂】


ここは御堂の中に入れてくださいました。

この空間に入れるのは感動です。

弥勒堂の真ん中の厨子の中に重文の弥勒菩薩、
向かって右側に国宝の釈迦如来坐像、同じく左側に役行者像が祀られていました。

こんなに近くで見れて最高です。


【金堂】


続きまして金堂へ。

四年前に訪れた時は特別拝観してましたので、
あの素晴らしい仏様達に感動したことは、今でも覚えてる。

御無沙汰して申し訳ございません。

普段なら外の回廊から堂内及び諸仏を拝むことになるんですが、
ここからだと諸仏のお顔が見れないんですよね。

これが凄いストレスになるんですが、
外陣に入るとそのストレスも解消。

釈迦如来、十一面観音菩薩、十二神将、薬師如来等、
人類の至宝にして世界遺産ともいうべき諸仏がズラリと並んでいる。

その姿はまさに圧巻。

よくぞ現代まで残ってくれたものです。


【灌頂堂】






国宝。

本堂にあたります。
真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う御堂です。

こちらには如意輪観音菩薩が祀られていました。
観心寺、神咒寺の如意輪とともに日本三如意輪の一つと称されているが、
個人的には談山神社の如意輪観音がナンバーワンだと思っている。


【五重塔】




こちらでも僧侶の説明を聞く。
やはりあの台風で倒壊したことを仰っていました。


【如意山】


何の変哲もない山です。

だから今まで全く注目してなかったのですが、
僧侶の話を聞いてとても重要な山だと知りました。


弘法大師が師事する恵果阿闍梨より授かった如意宝珠を、
この山の頂上に埋めたという伝説がずっと伝わっていました。

その伝説が本当かどうか、
明治時代になって埋められていると思われる付近を捜索。
その時は見つからなかったそうだ。

時代は下がり昭和21年(1946)に捜索範囲を広げ、
再び実施された如意山頂上の石造納経塔の調査の際、
琥珀玉や巻物、当時の貨幣などが見つかり、
伝説が実話だったことが判明。

それ故、この如意山を持つ室生寺は真言宗にとって、
重要かつ格式の高い寺として君臨しています。

如意山は聖地であり禁足地として崇められ、
今なお東寺灌頂院に於いて、後七日御修法が取り行われ、
如意山に向かって遥拝しているそうです。


調査で見つかった宝物類は再度石造納経塔へ納められ、
元の如意山に埋められたそうで、二度と掘り出されることはありません。


この話を聞いただけでも、
このプログラムに参加して良かったと思う。


【修円僧都廟】


室生寺二世にして空海や最澄に匹敵するほどの名僧だったとか。


【五輪塔】


右側が織田信雄の墓だそうです。





【金堂】



【天神社】







【軍茶利明王】



【バン字池】


梵字の「ばん」の形をした池で、「ばん」は大日如来のこと。


【御朱印】


灌頂堂でいただきました。


【感想】
とにかく弥勒堂、金堂、灌頂堂を特別拝観出来たことは幸せだ。

普通にそう感じてしまうほど。

料金は十二神将のポストカード付きで1700円でしたけど、
めっちゃお得でしたね。

来年も「奈良 うまし冬めぐり」で室生寺があったら参加するだろう。

室生寺・其の一(2015年3月8日参拝)

2015年04月04日 | 仏塔古寺十八尊


室生寺に到着。

このお寺に来るのも久しぶりで約4年振り。
毎年訪れたいものですが、やっぱり遠い。(^^;


<2011年4月3日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/a21ab69bc059ada19259e2fd3d8dddd8




まずは門前の橋本屋で昼食。

とろろ汁付きの親子丼を食べました。
他の店では意外と高い店が多くて、庶民の私にはこれで充分です。

とろろ汁がめっちゃ熱くて美味しかったです。

さて、腹を満たしたところで参拝開始。



所在地:奈良県宇陀市室生78
宗派:真言宗室生寺派
御本尊:釈迦如来
創建:宝亀年間(770-781)
開基:賢憬
札所:仏塔古寺十八尊、西国薬師四十九霊場、役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道


【太鼓橋】





【表門】


ほんとに気品のある門です。


【本坊】



【慶雲殿】





【赤門】


まだ集合時間まであと40分と、時間があったので、
受付けを済ませ先にプログラムの予定の無い奥の院へ。


【仁王門】


堂々たる見事な門です。


【仁王像】



【御朱印帳】


とりあえず先に御朱印をいただく。

すると綺麗な御朱印帳が目に付いた。
室生寺錦で作られたものですが、値段を見たら3240円。

欲しいけど、さすがに無理。(^^;


【御朱印】


室生寺では沢山の御朱印がいただけます。






仁王門前では三種類いただきました。


【仁王門】



【鎧坂】


ここの石楠花が有名ですね。


【弁財天】


坂を上りきると弥勒堂、金堂が見え、
さらに上に行くと灌頂堂が見えてきます。

こちらは後ほど。


【天神社拝殿】


お、拝殿が綺麗になってる。

また後ほど。


【放生池】



【宝篋印塔】



【五重塔】




国宝。

小さい塔ですが、実に美しい。


【御堂】



【五重塔】





【奥の院参道】



【朱橋】


ここから先はまさに結界に進んで行くという雰囲気。


【巨木】


岩にしがみつくという感じでしたが、
逞しく育っていました。


【賽の河原】




この辺りは賽の河原だけあって寂しいです。


【石段】


なんじゃこら~。

スゲー段数で萎えるわ~。(^^;
これは私の信仰心を試されてるな。

意を決して登ることに。


【石仏】


半分ぐらい登ってきたでしょうか。

しんどいわ~。


【石段】


ようやく奥の院の位牌堂が見えてきました。




舞台造りのようですね。


【石仏】







【足組】





【位牌堂】


常燈堂とも呼ばれています。
堂内は位牌ばかりでしたので、撮影は遠慮させていただきました。

位牌堂から風景をみれますが、
写真を撮りたいと思うような景色ではありませんでした。

まぁ、奥の院は景色を楽しむ場所じゃないですからね。


【御影堂】


重文。

弘法大師が祀られているので、大師堂とも呼ばれています。


【七重石塔】



【御朱印】


二種類いただけるようなんで、お願いすると、
如意宝珠の御朱印は金堂でいただいてくださいと言われました。

まぁ、それはそれで仕方がない。

しかし墨書きを書いてくれてる僧侶が超絶スローな筆さばき。

集合時間が迫っている。
しかも私の前に2人も待ってる。

既に御朱印帳を預けてるので、一旦下に降りてから、
また奥の院に行こうかと思ったけど、
あの石段を一日二回も登るほど体力、信仰心が無いから待つことにした。(^^;

それにしても遅い。

結局、墨書きに10分かけてました。
丁寧に書いてくれるのは嬉しいけど、あんまり遅いのは勘弁してほしい。

あの人は絶対お遍路では墨書きを書いてけないですね。(苦笑)


【石段】


集合時間まで残り10分。

石段をダッシュして何とか間に合いました。(^^


続きはまた今度。

鏑射寺(2014年12月30日参拝)

2015年02月02日 | 仏塔古寺十八尊
続きましては三田方面に移動し、武庫ノ台ゴルフコースへ。
決してゴルフをする訳ではなく、ゴルフコースの手前に鏑射寺があるのです。

このお寺もまた長閑な場所にあり山道を軽く登っていくと到着。

大型の無料駐車場がありました。



所在地:兵庫県神戸市北区道場町生野1078-1
宗派:真言宗
御本尊:大日如来
開基:聖徳太子
創建:敏達天皇10年(581)
札所:近畿三十六不動尊、仏塔古寺十八尊、西国愛染十七霊場、
神戸十三仏、摂津国三十三箇所



【縁起】
当山は四方を山と川に囲まれた神体山として数千年の歴史を有し、
神秀倉・甘楽山・五智の峰などと呼ばれて人々に尊崇されておりました。

聖徳太子はご生母の里にある此の山が大層お気に召し、
伽藍を建て佛教弘通の道場として鏑矢を奉納、鏑射寺と命名されました。

その頃の様子を虚空蔵寺の記録には鏑射寺は摂津の国第一の壮観たりと記されています。

南北朝時代には、南朝に味方して伽藍の大半を失いました。
永正の頃(1514)義慶上人に依って復興が進められ、
太閤秀吉も三度にわたり参拝するなど、寺運は隆盛を極めました。

江戸時代に入って山火事のもらい火があり、
文久2年(1862)の勇阿上人による再建を待ちました。

山内に見られる西国三十三ヶ所・四国八十八ヶ所の石仏は当時造営されたものです。

明治6年、三田九鬼藩の天誅組と称する不逞藩士が神社仏閣を襲い、
当寺も火を放たれ焼け残った太子堂及び本尊什器は寺廻りに移されて、
その後廃寺となりました。

時を経ること約百年、復興を呼びかける人々に応えられ、
昭和30年秋に久邇宮朝融王殿下が、道なき所を攀じ登り、
生い茂る草をかき分けてご参拝になり、
鏑射寺の再建と国家国民の安寧をお祈りになられました。

昭和34年9月、現山主中村公隆師が入山、祈願に入りました。
同41年に護摩堂が、48年には三重塔、続いて53年函館の地に別院が建立。
逐次旧寺領の買戻しも進み、平成4年に大日如来を奉迎して本堂の落慶入佛法要、
同6年には弁天堂の落慶法要が厳修されました。


【参道】


奥に三重塔が見えます。


【樽】


恐らく小さな仏像が祀られていると思われるが、
御丁寧にも鍵がかかっていて、中は見れませんでした。


【弁天堂】







【護摩堂】




昭和40年に建立されたもので、
不動明王、弘法大師、聖観音菩薩が祀られているそうです。

残念ながら堂内は見れませんでした。


【石塔】





【閼伽井】


さすがに飲む気にはなれず。(^^;


【宝篋印塔】



【三重塔】




こちらの三重塔はまだ若いだけあって綺麗でした。


【閼伽井】


これは飲めってこと?(^^;


【本堂】




こちらも堂内は見ることすら出来ませんでした。

こういうのはとても残念です。


【新西国三十三ヶ所】







【清涼殿】


絶賛工事中。


【鐘楼堂】



【御朱印】







【感想】
とにかく客殿と庫裏が豪華で立派な建物でした。

仏様も見れないし、また来たいとは思えないお寺でした。