Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

水無瀬神宮(2015年10月24日参拝)

2015年12月31日 | 神仏霊場巡拝の道
離宮八幡宮から水無瀬神宮へ移動。

そんなに離れていないのに、ここは大阪。

え?全く大阪って感じがしないんだけど。(^^;
しかも三島郡って、大阪に郡があったのか。

サントリー山崎蒸溜所もずっと京都にあると思ってた。(^^;



所在地:大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10-24
主祭神:後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
創建:仁治元年(1240)
社格:官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道



【由緒】


當宮は御祭神後鳥羽上皇が御造営になった水無瀬離宮の跡で、
往時は桜、山吹、菊の名所として知られ、上皇も屡々行幸、歌合せ、蹴鞠、狩猟
刀剣鍛作等も行われた。然るに承久の変により、後鳥羽上皇は隠岐、順徳上皇は佐渡、
土御門上皇は土佐(後に阿波)に遷御、それゞの地で崩御。

後鳥羽上皇は崩御になる前、この離宮を管してひたすら、
その還幸の日をお待ちしていた水無瀬信成親成父子に、
左右の御手掌を捺した御置文を下され、永く後生の菩提を弔うべく仰せ下されたので、
この離宮跡に聖廟を建て、上皇の御影を奉安して、御慰霊申し上げた。

世に水無瀬御影堂と称し、明治の初年迄仏式混淆の行事が行われていたが、
さらに、明治6年(1873)に三上皇の合祀し官幣中社に、
昭和14年(1939)に官幣大社に列格し、現在の水無瀬神宮と改称されました。

戦後は神社本庁所属の別表神社として今日に至る。


【鳥居】


大型の無料駐車場がありました。
助かります。(^^


【神門】



【都忘れの菊】




もう枯れているようですね。

というか、水無瀬離宮という天皇家所縁の地が、
大阪にあったとは知りませんでした。

参拝しているといろいろ勉強になりますなぁ。


【拝殿】







【客殿】


重要文化財。

豊臣秀吉からの寄進。
造営奉行は福島正則と伝えられているそうです。


【境内社】



【御朱印】

離宮八幡宮(2015年10月24日参拝)

2015年12月30日 | 神社
次なる参拝地は離宮八幡宮という神社。

離宮八幡宮って何だか雅な印象ありません?

そんな印象を持って神社に到着。




所在地:京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1
主祭神:応神天皇、神功皇后、酒解大神、比売三神
創建:平安時代
社格:府社



【由緒】
平安時代の始め清和天皇が太陽が我が身に宿る夢を見、
神のお告げをお聞きになりました。

そのお告げとは国家鎮護の為、
九州は宇佐八幡宮より八幡神を京へ御遷座せよというもの。
そこで清和天皇は僧の行教にそれを命じ、天皇の命を受け、
八幡神を奉じて帰京した行教が山崎の津で夜の神降山に霊光をみました。

不思議に思いその地を少し掘ってみると岩間に清水が湧き出したので、
ここにご神体を鎮座し、社を創建。

貞観元年(859)国家安康、国民平安を目的とする石清水八幡宮が建立。

ここは嵯峨天皇の離宮である河陽宮の跡地であった為、
後に社号が「離宮八幡宮」と改称されました。

元治元年(1864)禁門の変では尊皇攘夷派である長州藩駐屯所となり、
幕府・薩摩連合軍側の砲撃にあい被災。

水瀬川から円明寺に及んだ広大な神領は兵火で焼け野原になった。

明治9年(1876)JR京都神戸間開通により社地の大半が、
その用地と化した為、神領の規模が大幅に縮小。
明治12年(1879)になって崇敬者の寄進により社殿が再興せられ、
昭和4年(1929)に改築されて今日に至ります。


【惣門】


なかなか良い雰囲気の惣門です。

無料駐車場は惣門横から境内に入るとあります。


【鳥居】



【中門】


こちらもの中門も格の高さを感じますね。


【狛犬】



【拝殿】



【境内社】


武内社、天照皇太神社、蛭子神社、鹿島神社、気比宮




高天宮神社




小禅師宮、腰掛天神社


【菅原道真腰掛け石】



【オブジェ】


その他にも現代作家さんの作品がありました。


【石清水】




石清水八幡宮の謂れの井戸です。


【本邦製油発祥地碑】


平安時代末頃より燈明用の荏胡麻油の生産が始まった地だそうです。


【油祖像】



【御朱印】

宝積寺(2015年10月24日参拝)

2015年12月29日 | 仏閣
山崎聖天の次は宝積寺というお寺。

どんな場所にあるのか知らずに行ったけど、
無駄に歩くハメになって、
やっぱり事前の下調べは必要だなと後になって思いました。



所在地:京都府乙訓郡大山崎町大字大山崎字銭原1
宗派:真言宗智山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・神亀元年(724)
開基:伝・行基菩薩
勅願:聖武天皇



【縁起】
宝積寺は山城と摂津との境に位置し、
古くから交通・軍事上の要地であった天王山の南側山腹にあり、
寺伝では神亀元年(724)聖武天皇の勅願により行基が建立したと伝える。

貞永元年(1232)の火災で焼失しており、現存する仏像等はこれ以降のもの。
それ以前の寺史はあまり明らかでないが、長徳年間(995-999)寂昭が中興した。

嘉慶 2年(1388)後小松天皇の勅願所となり、
真言宗に改宗され明治維新直前には4院3坊を擁していた。

天正10年(1582)天王山が羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの舞台となり、
その際宝積寺には秀吉の本陣が置かれた。

直後秀吉により天王山に建設された「山崎城」にも取り込まれ、
このため城は「宝寺城」とも呼ばれた。


【天王山登り口】


この坂道を進んで行くと細い道になっていく。
これは車で行くととても不安に感じて、
下に車を停めて徒歩で宝積寺へ向かう。

宝積寺の案内石標があって矢印が←とあったので、
それを信じて横へ歩いて行くと全然着かない。

スマホで地図をチェックすると石標の矢印が全くの方向違い。

騙されました。(泣)

やっぱりそのまま真っ直ぐ進むのが正解でした。


【石段】


おー、意外にも近くに宝積寺があったと進む。


【山門】



【案内板】


宝積寺ではなく大念寺というお寺でした。(^^;


【本堂】



【鐘楼堂】



とりあえず先に進む。
結構しんどい坂道を10分程歩くとお寺発見。

雰囲気で宝積寺だとすぐに分かった。

というか、ここまで車で来れるやん。(^^;
歩いて損したわ。(泣)


【山門】


古刹の雰囲気漂う山門です。


【仁王像】




重要文化財。


【不動堂】



【待宵の鐘】


この辺りに車を停めることが出来ます。


【秀吉一夜造りの塔】




慶長9年(1604)に建立された重要文化財。

秀吉が山崎の合戦で戦死した者達を弔う為に一夜で造ったという。


【本堂】







【小槌宮】



【狛犬】



【鎮守社】



【閻魔堂】


拝観料400円を支払えば堂内拝観可能ですが、
既に拝観時間は終わってました。


【水掛不動】



【役行者】



【辨財天】




役行者の石像があることから、
辨財天であると思われる。


【鎮守社】





【稲荷社】





【御朱印】

山崎聖天<観音寺>(2015年10月24日参拝)

2015年12月28日 | 仏閣
石清水八幡宮は今回華麗にスルーし、
八幡市からサントリーウィスキーの山崎蒸溜所がある大山崎町へ移動。

この辺りの寺社もまだ未訪でしたので、
この機会に訪れることにしました。

まずは山崎聖天を参拝します。



所在地:京都府乙訓郡大山崎町大山崎白味才62
宗派:真言宗系単立
御本尊:十一面千手観音
創建:昌泰2年(899)
開基:宇多法皇


【縁起】
寺伝によると平安時代の昌泰2年(899)に宇多法皇が、
御願寺として創建されと伝えられます。

その後、衰退しますが江戸時代初期に摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、
この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩を御本尊とし、
中興開山します。

それ以後、歓喜天を祀り、霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、
商売繁盛家運隆昌を願う住友家、鴻池家、三井家などの信仰や、
京都、堺など商人の参詣を得て大いに発展します。

このことで御本尊の十一面千手観音菩薩よりも 歓喜天への信仰によって、
「山崎の聖天さん」として知られるようになり、
江戸時代の観音寺は大いに賑わいます。

しかし江戸幕府末の禁門の変の際、元治元年(1864)、
長州の尊皇攘夷派の部隊が山崎の地に陣を取ったことにより、
戦火に巻き込まれ、山崎は幕府軍と長州派の戦いにより、
天王山一帯は壊滅的な被害を受けます。

観音寺もこの時の火によって、事前に避難させた十一面千手観世音菩薩と
歓喜天像以外を残して焼失してしまいました。

明治時代に入り観音寺は順次復興され、現在ある建物は西観音寺の本堂や、
聖天堂や鐘楼などを移して再建されたものです。


【稲荷社】




初めて訪れるだけあって、
どこまで車で進めるか不安になりながらも進むと稲荷社発見。

軽く参拝してから更に上に登っていく。


【仁王門】




仁王門の横まで車で登れました。
大変助かります。(^^

歩くのが好きな方はもっと下から階段で登れますよ。


【仁王像】





【石段】


どっちを選ぶといえば左に決まってますよね。(笑)


【境内】



【本堂】





【内陣】







【鳥居】



【狛犬】



【聖天堂】







【光明殿】



【鐘楼堂】



【開基薬師堂】



【放生池】



【宝篋印塔】



【地蔵尊】



【御朱印】


一体何があったんや?
以前は授与していたのに。

「御朱印はできません」って暫くの間出来ないのか、
それとも止めてしまったのか、よく分からん。

正法寺(2015年10月24日参拝)

2015年12月27日 | 仏閣
本日のメインの一つである正法寺。

正法寺は八幡の寺院を調べている内に、
凄いお寺だと分かり、どうしても参拝したくなったお寺です。

観光寺院では無いので、
拝観は4月~6月、9月~11月の各二日間となります。



所在地:京都府八幡市八幡清水井73
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀三尊像
創建:建久2年(1191)
開山:高田蔵人忠国



【縁起】
当寺は建久2年(1191)に静岡県清水市の高田蔵人忠国が、
源頼朝の幣礼使としてこの地に居住し、新清水と称したことに始まる。

3代目宗久は石清水の「清」を避けて志水と改め、嘉暦元年(1326)、
本格的な堂舎、仏閣を営んだ。

第11代住持伝誉上人が天文16年(1547)、
奈良天皇に法談を行ったことによって勅願寺に補せられた。

慶長年中(1596-1610)には宗清の娘亀女(相応院)が徳川家康の側室となった。

こんなエピソードが今に伝わっている。

お亀さんが子どもを行水させていると家康の行列が通った。
お亀さんは慌てて子どもをタライに入れたまま家の中へ。
これを見ていた家康は「この人なら元気な子どもを生んでくれるに違いない」と
見初めたという。

お亀さんは尾張藩主となる義直を産んだ。
寺は同藩の庇護を受け八幡領が検地を免除され、守護不入の特権を得られたのは、
彼女の働きによるところが大きかった。

現在の建物は寛永7年(1630)に再建された本堂・方丈・唐門・鐘楼等、
七堂伽藍を備えている。


【山門】


境内に20台分ぐらいの無料駐車場がありました。


【地蔵堂】



【法雲殿】


ここは単なる参集殿と思っていたけど、
後で中に入らせていただきビックリすると共に感動しました。


【唐門】




重要文化財。

この唐門を見ただけで、
このお寺の格式の高さが分かるというもの。

徳川家の来訪時かお寺の行事の時のみ開かれるそうです。


【中門】



【鐘楼堂】




元和7年(1621)建立されたものですが、
彩色は結構新しいものですね。


【庫裏】




こちらで拝観料700円を支払います。

ボランティアガイドが1時間にわたって説明してくれます。

まずは大方丈で狩野派の襖絵や上段の間を見ることが出来ます。
しかし残念ながら撮影不可でした。


【枯山水庭園】




なかなかの庭園ですが、
これぐらいの庭は京都にはいくらでもありますよね。


【本堂】


内陣の雰囲気は奈良の円成寺に似ていて、
荘厳でとても素晴らしい。

天井も格式の高いお寺にしか許されていない格天井でした。

御本尊の阿弥陀三尊像もまた素晴らしい。

まさかこれほどの仏様にお会い出来るとは。
とても感動しました。

こちらも残念ながら撮影禁止でしたが、
2012年に参拝されている「京都を歩くブログ」のりせ様が、
写真を掲載されているのでご覧ください。

当時は撮影OKだったみたいです。

いつの間にか撮影禁止になるとは、
本当に残念ですね。

http://kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-7a65.html


【相応院墓所】



【開山堂】





【小方丈】



【織部手水鉢】



【方丈庭園】




小方丈内部は撮影禁止でしたが、
庭園は撮影OKです。









【中庭】



【御位牌堂】


徳川家康の御位牌が安置されていました。


【阿弥陀如来坐像】
最後に法雲殿にガイドさんと一緒に行きました。

入った瞬間、思わず凄い!と唸ってしまった。

光背を含めて約5メートルもの丈六佛がいらっしゃいました。

この阿弥陀如来は重要文化財で、
以前は京都国立博物館に収蔵されていましたが、
宝物殿といえる法雲殿が平成20年(2008)に建立されて、
元に戻ってきたそうです。

その素晴らしさに感動しましたよ。

ここだけで拝観料500円は取れると思います。

写真撮影が不可でしたので、
お見せ出来ないのが残念ですが、
行ける方は絶対に行った方がいいです。

必見です。


その他に洛中洛外図屏風や掛け軸が展示されていました。


【御朱印】


書置きをいただきました。


【感想】
いや~、八幡市にこれほどのお寺があるとは夢にも思わず。

侮れませんな~。(^^


今回は神應寺も行きたかったんですが、
こちらも事前予約が必要で電話したけど、
基本的にはあんまり来て欲しく無いみたい。

月末の紅葉まつりの二日間は予約無しで拝観出来ますよ、と言われ、
今回は残念ながら断念。(泣)

もう一つ行きたいお寺は圓福寺ですが、
こちらは春秋の二日間のみしか拝観出来ません。

日本最古の達磨尊像が御開帳される萬人講と呼ばれる行事です。
今年は4月20日と10月20日でしたが、平日は無理です。(^^;

来年も平日。

有給取らない限り無理やな。(泣)

単伝庵<らくがき寺>(2015年10月24日参拝)

2015年12月26日 | 仏閣
飛行神社から徒歩5分ほどの場所にあるのが、
「らくがき寺」と知られる単伝庵。

ナビだと山門前までのメッチャ細い道に誘導かつ、
停めれなくて細い道をバックで戻るハメになるという、
特別体験が出来ますのでご注意を。(泣)

大通りに出れば裏門が見えて駐車場がありました。



所在地:京都府八幡市八幡吉野垣内33
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:五大釈迦
創建:不明
開山:不明
再興開山:単伝和尚


【縁起】
創建当時の由縁は今となっては不明。

今から二百年前に京都妙心寺の単伝和尚が、
人々の不慮の災難を救うことを発願して、
怪我除け、厄除の救苦観音を安置し、祈祷修繕されたのが、
単伝寺再興の由来です。

現在では参拝者が諸願成就を願い、
大黒堂の壁に願いを書くと願いが叶うと言われています。

壁一面にそのらくがきを見ることが出来ます。

平城宮跡の発掘調査でも木簡や土器などの遺物のなかに、
いろんな落書きが見つかっている。

さらに9世紀の嵯峨天皇の時代(809-822)になると、
落文や落首などと称して、政治、社会を批判するものがみられ、
これらは匿名の文書を道に落としたり、門壁になどに貼り付けて、
衆人の目に触れさせるといったものであった。

こうした落書きは、公式文書には見られず、
人々の本音があり、当時の世情を知る重要な手がかりとなっている。



【後村上天皇行宮跡】


飛行神社と単伝庵の真ん中辺りの住宅街にありました。

後村上天皇は第97代天皇で南朝2代となります。


【北門】


こちら側に駐車場がありました。

駐車料金は志納で500円となっていました。


【境内】


木にとまっているカラスが鬱陶しい。


【鎮守社】



【地蔵堂】






中に入るとコケシを持ったお地蔵さんがいらっしゃいました。

どうも男のナニにしか見えない私はどうかしてるぜ。(ブラマヨ風)


【大黒堂】


こちらで落書きが出来るようです。






まずは走り大黒天にお参り。

この大黒天は南北朝時代、石清水八幡宮の改築に際して、
楠正成が武運長久を祈願して寄進した楠木の残り株から刻まれたとか。




八臂弁天。




高野大師。




身代わり関羽。

あの三国志で超有名な関羽です。

関羽は死後、神格化され関帝と呼ばれ、
中国や台湾では今も神として祀られているそうです。

関羽は伏魔大帝とも呼ばれているので、
病魔退散を願って関羽が祀られているのだろう。


その関羽は日本では横浜中華街、神戸中華街、
大本山萬福寺等一部の黄檗宗の寺院で祀られています。

大阪にも英雄関羽を祀る大阪関帝廟(清寿院)があることを知ったので、
今度天王寺に行った時は参拝したいと思う。


【らくがき】






壁にビッシリと書かれていました。

大晦日に綺麗に塗り替えられるそうですが、
10月24日の時点で書くスペースがかなり少なかったです。

文字数(願い事)を多く書きたい人は早めに行かれた方がいいです。


【庫裏】


本堂がここにあるのか分かりませんでした。

御本尊の五大釈迦と救苦観音は拝観叶わず。

五大釈迦と救苦観音を拝観したい、と落書きすれば良かったな。(^^;


【イチョウ】





【比翼地蔵尊】





【連理の松】





【休憩所】





【窓】




これは満月と三日月なのか、
太陽と月なのかは知りません。(笑)


【山門】


北門から入ると山門が最後となります。(^^;


【御朱印】

飛行神社(2015年10月24日参拝)

2015年12月25日 | 神社
続きまして日本でも非常に珍しい神社である飛行神社へ。

その名の通り航空関係の神社です。

私も間接的に航空関係の仕事をしてますし、
甥っ子がめでたく某航空会社のパイロットになったので、
御礼と今後の無事を祈りに参拝しにやって来ました。



所在地:京都府八幡市八幡土井44
主祭神:饒速日命、航空殉難者の霊・航空業功績者、薬祖神、金毘羅、白龍神
創建: 大正4年(1915)


【由緒】
二宮忠八は明治24年(1891)日本で初めて、
動力つき模型飛行実験に成功したものの、
人を乗せることができる飛行機をライト兄弟が実現したことを知り、
飛行機開発から離れる。

しかし、飛行機発明以来、航空事故が多発するようになったことに
心を痛めた忠八は、事故犠牲者の慰霊が飛行機開発に携わった者としての責任を感じ、
私財を投じて犠牲者の霊を祀る神社を大正4年(1915)に創建した。

この神社は特定の条件にあう死者を神社にあわせて祀るという
招魂社の一種で、靖国神社と同様の信仰基盤をもつ。

昭和11年(196)忠八の死により、一時廃絶するも昭和30年(1955)に忠八の息子、
二宮顕次郎によって再興される。

また忠八や航空機に関する資料、奉納された航空機模型等を展示する
飛行神社資料館も新設した。



【全景】


やはり特殊な神社だけあって、
おおよそ神社らしく無い雰囲気の神社です。


【駐車場】


この奥に行けば4台ほど停めれる無料駐車場があります。
まるでマンションの駐車場のようでしたね。


【鳥居】


航空機に使われることの多いジュラルミンで作られているそうです。

ジュラルミンの鳥居は滅多にありません。(笑)


【エンジン】


F-104Jのエンジンが展示されていました。

これは面白い神社です。


【零戦機首部】


岸和田漁港にて底引き網で引き揚げられた本物とか。

エンジンの細かい部分や錆がリアルに見えました。
こういうのは好きな人が見たらたまらんでしょうね。


【プロペラ】


こちらも現役引退した本物のプロペラだそうです。


【境内社】



【拝殿屋根】


まるでパルテノン神殿と思わせてくれる柱。

何だこれ?と思いながら近づく。




奥を見るとようやく神社らしい建物が見えた。

白い柱に注連縄というのはとてもシュールですね。(^^;




三つの社が鎮座。


【御朱印】


御朱印をいただきにマンションのような建物に行くと、
二宮忠八資料館があったので、拝観料300円を支払い中へ。

彼の資料や写真等もいろいろ展示されていましたが、
それよりも物凄い数の飛行機模型が圧巻でした。

これは男だったらテンションMAXですよ。(^^

特にプラモデル世代だった男は絶対に拝観した方がいいです。

逆に女だったら全く高まらないと思います。(笑)

善法律寺(2015年10月24日参拝)

2015年12月24日 | 仏閣
とても良かった泰勝寺の次は紅葉寺と呼ばれる善法律寺へ。
こちらも本堂の拝観は事前連絡が必要です。

無料駐車場がありました。


所在地:京都府八幡市八幡馬場88-1
宗派:律宗
御本尊:八幡大菩薩
創建:正嘉年間(1257-1259)
開基:善法寺宮清
開山:実相上人


【縁起】
善法律寺は律宗の寺で建物は本堂を中心に庫裡、阿弥陀堂、聖天堂が配されている。
本堂は石清水八幡宮の社殿の材を用いて建立したものという。

寺は石清水八幡宮検校であった善法寺宮清が正嘉年間(1257-1259)に私邸を喜捨し、
奈良東大寺から実相上人を招いて開山したことに始まる。

室町時代には善法寺通清の娘良子が将軍足利義詮に嫁ぎ、3代将軍義満の母となった。
義満は神社信仰に篤く特に八幡宮を崇敬した為、20数回も八幡を訪れている。

以後の義教、義政も足繁く往来し、将軍家と善法寺家との密接な関係が続いた。
従って律寺も足利家の庇護を得て隆盛を極めたのである。

良子は善法律寺へ自分の好きな紅葉の樹をたくさん寄進したという。
別名「紅葉寺」と呼ばれている。

本堂に安置されている八幡大菩薩(僧形八幡)は、
明治元年(1868)に神仏分離が行われるまで、
石清水八幡宮の殿内に安置されていたという。

また、境内には忠臣蔵で知られる大石内蔵助良雄の養子であり、
太西坊(男山四十八坊の一つ)の住職であった、覚運とその弟子の墓がある。


【六乗院五輪塔】



【太西坊墓塔】





【石仏】



【山門】


良い雰囲気です。

紅葉の時期だったら格別でしょうね。


【参道】



【庫裏】


こちらで拝観受付。


【宝篋印塔】



【慰霊塔】



【忠魂碑】



【鎮守堂】


【本堂】


早速堂内に入らせていただく。

拝観料は500円となります。


【内陣】



【八幡大菩薩】




御本尊。


【愛染明王】





【不動明王】




本堂の奥に阿弥陀堂と繋がっていて案内していただきました。


【阿弥陀堂内陣】



【宝冠阿弥陀如来】






ここまで仏様が充実してるとは思って無かったので、
嬉しくて思わずニンマリとしてしまった。(^^


【地蔵菩薩】



【十一面千手観音菩薩】


これにて本堂と阿弥陀堂拝観終了。

泰勝寺とは違った満足感がありました。

八幡のお寺は侮れません。
事前連絡して拝観してこそ、その良さが分かるというもの。

これらのお寺に行く時は事前予約して拝観することをお勧めします。


【御朱印】

泰勝寺(2015年10月24日参拝)

2015年12月23日 | 仏閣
京都の八幡市の神社仏閣といえば浮かぶのは、
石清水八幡宮という人がほとんどでしょう。

では、その他は?と問われるとマニアの方々以外は、
「?」の人も多いでしょう。

知ってても飛行神社や落書き寺ぐらいかな。

私も石清水八幡宮は行ったけど、
他の寺社は完全スルーしてました。

八幡市は京都市内から近いにも関わらず、
ほとんど空白地帯となっていましたので、
少し調べて参拝することにしました。

だけど良さそうなお寺があるのに、
拝観するには事前予約しなければならないお寺が多い。

事前予約というのは結構めんどくさいし、
敷居が高くなるんですよね。

しかし今回は意識が高い私。

頑張って事前に電話予約しましたよ。(^^

ちなみに正月等数日間のみ事前予約無しで拝観可能です。



所在地:京都府八幡市八幡平谷18
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:大正7年(1920)
開山:神月徹宗老師


【縁起】
大正時代半ばまで松花堂昭乗の墓は男山山麓にひっそりと、
風雨にさらされていました。

大正7年、禅の江湖道場、円福寺の住職で妙心寺の管長もされた
神月徹宗老師が発願され、「松花堂保存会」を結成、
当寺を建立されました。

また熊本にあった細川家菩提寺である泰勝寺の寺号を移転し、
滝本坊を改め泰勝寺としました。

現在、臨済宗妙心寺派に属しています。


【山門】


お寺に駐車場が無く、御住職に車を停める場所を聞いたら、
山門前に停めておいても大丈夫とのこと。

どうやら警察とは話がついているようですね。(笑)


【中門】




御住職に案内されて方丈へ連れていかれます。

拝観料は500円でした。


【寺額】


南宋随一の能筆とされている無準師範(佛鑑禅師)の真筆。


【南天招福の庭】


写真は自由に撮っていいとのことで、
遠慮なく撮らせていただく。(^^










時の権力から逃れた昭乗が男山に入山し、
難を転じて文化面で大成したことに肖り、
いろいろな南天が庭園に配してありました。

このお寺は個人的に好みですね。
市内の雅な感じではなく男らしいというか。

やっぱり男山だから男らしい庭なのかな。(^^


【舟石】


これは三途の川を渡って浄土へ船出することを表現している石です。












正面以外にも南面も石庭となっています。

この庭は見ていて全く飽きませんね。

こんな庭が我が家にも欲しい。(笑)




わびさびを感じる門があります。


【蹲踞】



【方丈】




方丈の額も九州より字額と共に移されたもので、
無準師範(佛鑑禅師)の真筆。






方丈の中もとても落ち着ける部屋となっていました。


【南天招福の庭】


嬉しいことに庭の中を歩いて奥に行きます。

当然御住職の説明付き。


【門】


ゴマラー好みの門です。(^^


【方丈】





【閑雲軒】






昭乗が自ら作った滝本坊の茶席古図から復元したもので、
日本百名席の一つだそうです。


【供養塔】



【幸運月光菩薩】


閑雲軒の先に行くと貴芳殿という建物があって、
月光菩薩や干支の守り本尊八体が祀られていました。

撮影はしていませんでしたので、
画像はパンフレットを転写したものです。

南天を持っている珍しい菩薩様です。

とても美しかったです。


【御朱印】


四種類ある内の二種類をいただきました。

とても惹かれるものがある御朱印ですね。
日付の漢字が珍しい。


【感想】
ここは本当に良いお寺だと思う。

誰もが簡単に拝観出来るんじゃなくて、
ちょっとした努力と勇気がある者が拝観することが出来ます。

真如院(2015年10月24日参拝)

2015年12月22日 | 仏閣
清聚院から徒歩5分くらいの場所にあるのが、
普段は非公開寺院である真如院です。

西本願寺からも近い場所にあるこの小さなお寺は、
織田信長が足利義昭を接待する為のお寺だったとか。

京都にはこんなお寺がゴロゴロあるから恐ろしい。

それに真如院は1年に一週間程度しか特別拝観が無いので、
なかなかのレアな参拝となります。



所在地:京都府京都市下京区猪熊通五条上る柿本町677
宗派:日蓮宗
御本尊:日蓮聖人
創建:天文4年(1535)
開山:日映上人


【縁起】
当院は日蓮宗大本山本圀寺の元塔頭で、
天文4年(1535)日映上人により創建された。

しかし翌年消失しその後再建されたが、
天明8年(1788)の京都大火施再び消失した。

その後天明9年(1789)に再建、さらに天保3年(1832)に新築。

昭和24年に明徳高校の校地拡張の必要から現在地に移築。


【山門】




山門の横に4台分の無料駐車場がありました。

土日でもめっちゃ混む寺院では無いので、
普通に停めれると思います。




本堂前から撮ったもの。


【前庭】



【本堂】


拝観料600円を支払い中へ。


【内陣】


対応していただいた女性に撮影許可をいただきました。
有難うございます。(^^

日蓮宗の内陣と言えばそうだけど、
何だかちょっと雰囲気が違う気がしました。


【掛け軸】


本堂の隣の部屋は方丈でしたね。
その方丈から庭園を眺められます。

庭園は撮影禁止でした。

でも個人的には何で撮影禁止なのか分かりません。(^^;


コチラ↓のブログで庭の写真がアップされていますので、
興味がある方は見てください。
http://muso.to/teienn-sinnnyoinn.htm


【御朱印】


基本的にいただける御朱印。




女性にお願いすると御首題をいただけました。

両方とも書置きでした。

清聚院(2015年10月24日参拝)

2015年12月21日 | 仏閣
本日は京都の八幡市界隈の寺社をメインに参拝ですが、
その前に京都市内に行って話題の御朱印をいただきに清聚院へ。

こちらは思ってた以上に小さなお寺で駐車場はありません。
大通りの向かいの有料駐車場に停めました。



所在地:京都府京都市下京区中堂寺薮ノ内町5
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明


【山門】


小さな檀家寺といった風情です。


【案内】


これを見ただけで絵心がある御住職と分かりますね。


【地蔵尊】


可愛らしいお顔が描かれていますが、
あれは許されるの?(^^;


【観音像】



【稲荷社】



【十三重搭】



【本堂】


本当に小さい境内と本堂です。

早速上がらせていただく。

まずは御本尊にお参り。


【御朱印】


ネットでは画像ばかりで値段が書いてなかったので、
参拝した時に初めて値段を知り焦りました。

ちょっと前までは志納で料金は決まっていなかったが、
300円しか出さない連中に腹が立ったのか値段設定がありました。

私がいただいた図案では2000円でした。

正直高いと思いましたよ。(^^;

まぁ、これもお寺の為に役立つならいいかと、
何とか自分を納得させましたけど。(苦笑)


御住職によると毎月違う絵柄があって、
九尾の狐の場合は見開きで4000円になるとか。

そりゃいくらなんでも高過ぎるわ。(苦笑)

更に3ページにわたるバージョンの場合は6000円とか。

もはや御朱印の範疇を超えてますわ。(苦笑)

そんな高いお金払ってられるかボケという、
そこのあなた!

安心してください、安いのがありますよ。(笑)

絵が無い普通の御朱印は300円でした。


御朱印を書いていただいている時に、
御住職とお話させていただきましたが、
かなり気さくでぶっちゃけるお方でしたね。(^^;


御朱印を始めたのはお寺の経営の為だとはっきり言われました。
これだけはっきり言われると逆に清々しい。(笑)


その他の情報として、
正月三が日は10名のみの特別御朱印があって、
その中でも一番の方のみの超限定御朱印をやる予定だとか。

1万円ぐらいしたりして。(^^;

正月は朝の7時半から開いているそうなんで、
御朱印ハンターの有名人達が、
ズラリと山門前で並んでいるんでしょうな。(苦笑)


ちなみに水分を多量に使われるので、
御朱印帳がかなりヨレますのでご注意を。

個人的にはもう行くことも無いかな。

お寺の経営とはいえ、
余りにも商売に走り過ぎている。

白川郷の明善寺や高砂市の米田大師堂の御住職達を見習ってほしいよ。

高野山奥の院~女人堂(2015年10月18日参拝)

2015年12月20日 | 高野山
今日は親を連れて高野山奥の院へ。

高野山開創1200年記念秋の特別公開だけあって、
こんなに混むの?って思うほどの渋滞。

駐車場に停めれるか心配でしたが、
何とか奥の院の駐車場に停めれました。(^^

奥の院は久しぶりの参拝です。


<2011年4月23日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/399f46a039ce27bc453484a79b83b871


<2012年8月23日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/8f92b34b408946273f4a65d6930b860d


【紅葉】






英霊殿近くで今年初の紅葉が見れました。

やっぱり高野山は早いね。(^^


【筒井順慶墓所】



【織田信長墓所】



【御供所】


お大師様の食事を出されるところです。


【不動堂】



【弘法大師御廟】


御廟の橋から先は撮影禁止なんで撮影はここまで。

御廟に行ったらこれも団体さんが多く、
線香の煙も凄かったです。


取り急ぎ、お大師さんにお参り。

ありがたや ありがたや。


【御朱印】


15分くらい待ったかな。
奥の院であれだけ並んだのは初めてでした。(^^;


【本王院・五大院】


こちらでも御朱印をいただけますが、
今回は華麗にスルーし女人堂に向かう。


【女人堂】


男はあんまり行く所じゃないので、
こちらも久しぶりの参拝です。


<2011年5月2日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/adb1fd5b3ba815dc2bbf686c81d4b372


【御朱印】


親が歩き疲れたということで、
高野山で昼飯を食って帰ります。

ここまで来て金剛峯寺や壇上伽藍に参拝しないのは、
とても残念だけど、これも仕方ない。(^^;

堀越神社(2015年10月17日参拝)

2015年12月20日 | 神社

本日最後の参拝は堀越神社です。

今日はこのぐらいにしといたろ。(めだか師匠風)


所在地:大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-8
主祭神:崇峻天皇
創建:不明
社格:村社



【由緒】
第33代推古天皇の御代、時の摂政聖徳太子が、
太子の叔父君に当たらせられる第32代崇峻天皇の徳を偲んで、
風光明媚にして長松直々たる茶臼山の地をえらばれ、
四天王寺建立と同時に当社を創建されたものであります。

古くより明治の中期まで境内の南沿いに美しい堀があり、
この堀を越えて参詣したので、
堀越という名が付けられたといわれています。


【社頭】


駐車場は裏手に2台分ほどありましたが、
ちょっと停め難いです。

でも有難い。(^^


【鳥居】



【注連縄】



【拝殿】





【狛犬】



【茶臼山稲荷社】




神社の説明によると、その昔、天王寺 茶臼山の山頂に祀られており、
大坂夏の陣の際に徳川家康が茶臼山稲荷に危機を救われたことから、
家康の信仰が厚かったと言われています。

大坂夏の陣の後、現在の処に祀られるようになったそうです。


【熊野第一王子之宮】





【白龍社】



【太上神仙鎮宅七十二霊符尊神】





【御朱印】

河堀稲生神社(2015年10月17日参拝)

2015年12月19日 | 神社
続きまして天王寺に移動し河堀稲生神社を参拝です。


河堀稲生と書いて「こぼれいなり」と読みます。
面白い読み方ですよね。

どう読んでも「かわほり」か「かわぼり」ですよね。



所在地:大阪府大阪市天王寺区大道3-7-3
主祭神:宇賀魂大神、崇峻天皇、素盞嗚尊
創建:伝・景行天皇年間
社格:村社


【由緒】


古代・景行天皇の時代、当時昼ヶ丘と呼ばれていたこの地に、
稲生の神を祀ったのが最初とされている。

聖徳太子が四天王寺を建立した際に社殿が造営され、
崇峻天皇を合祀して四天王寺七宮の一つに数えられた。

続日本紀によれば延暦7年(788)3月、
摂津太夫・和気清麻呂が農業の振興と水害の防止を目的に、
摂津国と河内国の国境に河川を築いて海に流し込む大規模土木工事の安全を祈願。
この工事を境に、付近一帯の地名表記は古保礼から河堀と改まった。

江戸時代初期、片桐且元の寄進により壮麗な権現造の拝殿に改まった。
元禄2年(1689年)素盞嗚尊を勧請し合祀。
明治40年(1907)清水谷にあった稲荷神社を合祀して現在の社名に改まった。

この稲荷神社は大阪城内の屋敷の鎮守であった。

昭和20年(1945)の大阪大空襲により江戸時代からの壮麗な社殿は焼失。
現在の建物は昭和25年(1950)に再建されたものである


【鳥居】


駐車場はありませんので、
鳥居前に路上駐車か有料駐車場を利用してください。


【拝殿】


何とも寂しい境内です。

昔は凄かった系でしょうか。


【祖霊社】



【若宮八幡宮】



【櫻樹大神】



【御朱印】

彌栄神社(2015年10月17日参拝)

2015年12月19日 | 神社
御幸森天神宮から徒歩5分の場所に鎮座するのが彌栄神社。

こちらも仁徳天皇が祀られています。



所在地:大阪府大阪市生野区桃谷2-16-22
御祭神:素戔嗚尊、仁徳天皇
創建:文録年間(1592ー1596)
社格:村社


【由緒】
文録年間(1592-1596)に旧出雲国意宇郡の熊野坐神社より、
勧請されたと伝わる。

もと牛頭天王社といわれて、スサノオノミコトだけが祀られていた、
旧木野村の氏神であったが、明治5年(1872)に彌栄神社と改められ、
その後、明治43年(1910)に旧岡村の御館神社(祭神は仁徳天皇)が合祀され、
祭神は二柱となった。

すぐ東側には仁徳天皇が狩りをしたという御幸森(天神社)もある。


【鳥居】


こちらには駐車場はありません。


【狛犬】



【拝殿】





【本殿】



【狛犬】



【白玉稲荷神社】






摂社。


【狛狐】



【櫛名田毘売神社】



【御朱印】


対応してくれたお爺さんが、
「退院したばっかりで字が上手く書かれへんのや。」と言うので、
印だけで良いですよ、と言っていただいたもの。

奉拝と日付を震える手で書いてくださいました。(^^

決して綺麗な字じゃないし、印もちゃんと押せて無いけど、
一生懸命やってくださった「気持ち」が嬉しかったです。