Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

西明寺(2016年9月12日参拝)

2016年09月30日 | 仏閣
高山寺と神護寺の間にあるのが西明寺。

こちらも紅葉が美しく高山寺や神護寺と比べると、
観光客も比較的少なくゆっくり見れるようです。

西明寺の駐車車は近くの食事処で10台ほど停めれます。
勿論有料で今の時期は500円でした。

高山寺からは徒歩15分以内で行けます。



所在地:京都府京都市右京区梅ケ畑槇尾町2
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:釈迦如来(重要文化財)
創建:伝・天長年間(824~834)
開基:伝・智泉大徳



【縁起】


古義真言宗に属し槇尾山と号する。
高雄山・神護寺・栂尾山・高山寺と共に三尾の名刹の一つとして知られる。

古来から清滝川のせせらぎと共に、春の桜・つつじ、初夏の新緑、
秋の紅葉、冬の雪景色と、四季を通じて豊かな自然を現している。

天長年間(824~34)に弘法大師の高弟智泉大徳が、
神護寺の別院として創建したのに始まると伝える。

荒廃後、建治年間(1275~78)に和泉国槇尾山寺の我宝自性上人が中興し、
本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。

また正応3年(1290)に平等心王院の号を後宇多法皇より命名賜り、
神護寺より独立した。

永禄年間(1558~70)に兵火にあって焼亡したが、
慶長7年(1602)に明忍律師により再興された。

現在の本堂は元禄13年(1700)に桂昌院の寄進により再建されたもの。

堂内には唐様須弥壇上の本尊釈迦如来像を始め、
多数の仏像が安置されている。


【指月橋】


良い雰囲気です。

紅葉の時期はもっといいでしょうね。


【清滝川】




名前の通り清らかな川で下に降りてみた。


【指月橋】


これは絵になりますね~。

紅葉があれば最高だろう。


【宝篋印塔】



【石段】


風情を感じられる石段を少し登っていきます。


【表門】


これがまたいい。

気品がありますわ~。(^^


【三本杉】


春の花粉の時は危険。(^^;


【石塔】



【境内】



【本堂】


拝観料を支払い堂内へ。

残念ながら堂内の仏様は撮影禁止でしたが、
御本尊様を含め素晴らしい仏様ばかり。(^^

貸切で至福の時を過ごさせていただきました。


【庭園】






秋には見事な紅葉が見られ、
格好の撮影スポットとなっております。


【聖天堂】


こちらも撮影禁止でした。


【客殿】



【鐘楼堂】



【槇の木】


自性上人御手植えの樹齢700年の槇の木とのこと。


【御朱印】

高山寺(2016年9月12日参拝)

2016年09月29日 | 仏閣
京都市内から仁和寺の山門を通り、ひたすら北上。

だんだん長閑な雰囲気になっていく。
30~40分走って高山寺に到着。

市内に比べると少し涼しいです。

ここは紅葉が綺麗な場所で、
秋になると多くの観光客で賑わうそうです。


所在地:京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8
宗派:真言宗系
御本尊:釈迦如来
創建:建永元年(1206)
勅願:伝・光仁天皇
開基:明恵聖人


【縁起】


高山寺の地には奈良時代から度賀尾寺、都賀尾坊等と称される寺院があり、
宝亀5年(774)光仁天皇の勅願で建立されたとの伝えもあるが、
当時の実態は明らかでない。

平安時代には近隣の神護寺の別院とされ、神護寺十無尽院と称されていた。
これは神護寺本寺から離れた隠棲修行の場所であったらしい。

高山寺の中興の祖であり実質的な開基とされるのは、
鎌倉時代の華厳宗の僧、明恵聖人である。

明恵上人は法然の唱えた「専修念仏」の思想を痛烈に批判し、
華厳宗の復興に努めた。

建永元年(1206)後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、
また寺名のもとになった日出先照高山之寺の額を下賜された。
この時が現・高山寺の創立と見なされている。

高山寺は中世以降、度々戦乱や火災で焼失し、
鎌倉時代の建物は石水院を残すのみとなっている。

1966年に仁和寺当局による双ヶ丘売却に抗議し、
真言宗御室派から離脱し真言宗系単立寺院となった。


【観光駐車場】


大型の無料駐車場に車を停めて参拝開始。

紅葉の時期(11月)は有料とのことです。


【裏参道】


反対側に表参道がありますが、
交通量が結構ある道路を歩くのは危険なので、
表参道は行っておりません。


【境内】




紅葉の時期は美しいと簡単に想像出来ますね。




石垣の苔がたまらない。


【参道】


緑が多くていい。

こういう所は天気が曇りでもいい雰囲気です。


【日本最古之茶園】




臨済宗の開祖栄西が当時の中国の南宋へ留学した際、
茶の種子を得て帰国後に明恵に贈ったものと伝え、
明恵上人はこれを初めは栂尾山の深瀬に植え、
明恵が没した後も高山寺において栽培が続けられたそうです。


【遺香庵】



【参道】




こういう雰囲気好きですね~。(^^


【開山堂】




江戸時代に再建されたもの。


【蔵】



【聖観音菩薩】



【明恵上人御廟】





【境内】




何か建物があります。


【仏足石】



【境内】







【金堂】




境内の一番奥まった場所に本堂たる金堂が建っています。

仁和寺真光院の古御堂を移築されたそうですが、
お寺の規模の割りにはあっさりとした金堂です。

堂内はガラス越しに何とか見える感じでした。

室町時代に焼失した金堂には運慶作の丈六盧舍那仏が安置されていたとか。

見たかったなぁ。


【鎮守社】



【宝塔】



【閼伽井】


金堂を先に参って石水院へ。


【山門】


折角なんで国宝の石水院を拝観します。


【門】


こちらは高貴な人が通れる門なんでしょうね。




拝観受付で拝観料800円を支払う。

800円と知って少し躊躇った。(^^;

しかも、紅葉の時期は別途500円の入山料がかかります。

これは幾らなんでも合計金額1300円は高いよな。(苦笑)


【客殿茶室】


写真が下手で申し訳無いですが、
実際はとても良いお部屋でした。

こんな部屋が我が家にも欲しい。(笑)

確か600円ぐらいで抹茶がいただけます。


【中庭】


右側はパッと見、京都のシャレたお寺によくある建物ですが、
後鳥羽上皇の学問所を下賜されたもので、
明恵上人の住房跡とも伝えられるもので国宝に指定されています。

後鳥羽上皇がこの中で学問を学んでいたことを想像すると高まりますね。


【客殿】



【渡り廊下】



【廂の間】


かつて春日・住吉明神の拝殿であったところで、
現在は善財童子像が安置されています。


【院内】




運慶作と伝わる犬がいました。

とても可愛かった。(^^


【鳥獣人物戯画】






コピー品です。


【南縁】


南縁から見た風景です。

月曜の朝なのに結構観光客が居てガックリ。(^^;

もうちょっと落ち着いて見たかった。


【北縁】



【御朱印】


鳥獣人物戯画のオリジナル御朱印帳がありました。


次は隣の西明寺へ。

妙心寺塔頭 長興院(2016年9月12日参拝)

2016年09月28日 | 仏閣
本日は残りの夏休み休暇を消化。

天気もイマイチすぐれないないし、
遠出する気もイマイチ無い。

そういうことで京都市右京区の高雄界隈を巡ることにした。

これだけ神社仏閣巡りをしているというのに、
恥ずかしながら神護寺や高山寺は初めての参拝となります。

何でか高雄まで行く気が起こらなかったか、
自分でも不思議で仕方ない。

今回、ようやく行く気になったのは、
神護寺を参拝したら仏塔古寺十八尊の満願達成出来るからです。

すっかり仏塔古寺十八尊のことを忘れていたよ。(^^;


高雄界隈に行く前にいつものように寄り道です。

月曜日に休みが取れたからには、
妙心寺塔頭である長興院に行くしかあるまい。



<2016年5月14日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/c495004b4753d4e865cb152801808d2b


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町63
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:天正9年(1581)
開基:滝川一益
開山:九天宗瑞


【山門】


妙心寺の無料駐車場から一番近い塔頭です。


【案内】


前回は御朱印帳に書いていただきましたが、
余りの反響の大きさに御朱印対応が出来なくなり、
毎週月曜の二時間、そして書置き20枚となりました。


【御朱印】





5種類ありましたが、
今回は九天と墨書きされたものをいただきました。

各千円です。

千円は全く惜しくない。

素晴らしい御朱印ですが、
書置きだと紙がヨレて御朱印帳に貼り難い。(泣)

上手くいくか分からないけど、
重い本の下に暫く置いて、ヨレを伸ばせば貼り易くなるかもね。

長浜別院大通寺(2016年9月12日参拝)

2016年09月27日 | 仏閣
伊吹山から長浜へ移動し観光。

伊吹山の涼しさを体験すると、
下界の暑さはたまらん。(^^;

定番の黒壁界隈を散策後、
長浜の顔ともいうべき大通寺へ。



所在地:滋賀県長浜市元浜町32-9
宗派:浄土真宗真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長7年(1602)
開基:教如上人


【縁起】
安土桃山時代、浄土真宗中興の祖と仰がれた蓮如上人が、
他力念仏の教えを広める布教活動を行なっていたが、
中でも近江は最大の拠点であった。

特に坂田、浅井、伊香の湖北三郡は真宗王国とまで呼ばれるほどに広がった。
その頃の中心道場であった総坊を前身とし、天正年間(1573~1592)に、
湖北の門徒に仏法を説き広めるための道場を旧長浜城内に開いた総会所が、
長浜の御坊さんと呼ばれ親しまれる寺院の始まりと伝えられている。

慶長7年(1602)教如上人が徳川家康より
本願寺分立の許可を得て大谷派本願寺を興す頃、
時を同じくして長浜城の旧地に移っていた大通寺が、
道場から無礙智山大通寺と号する寺院として発足する。

寛永16年(1639)に宣如上人の三男・霊瑞院宣澄が住職として入寺。
これを期に彦根藩藩主・井伊直孝の援助を得て寺域を拡大していき、
東本願寺より伏見城の遺構と伝えられる本堂や大広間を譲り受け、
寺院としての装いも整えていき、現在まで長浜御坊の名前で親しまれている。


【門前町】


お寺には無料駐車場がありますが、
他に観光するので近くの有料駐車場に停めました。




この辺りが長浜観光でよく見る風景ですね。


【山門】


天保11年(1841)建立されたもので、
33年もの歳月を費やされたもの。

さすがに堂々たる見事な山門です。
度肝抜かれました。(^^


【本堂】




明暦3年(1657)建立された重要文化財。

こちらも堂々たる本堂です。


【内陣】


浄土真宗そのままの雰囲気の内陣と御本尊様でした。


【佛骨奉安忠魂塔】



【鐘楼堂】




延宝3年(1675)建立されたもので、
檜皮葺がとても美しい。


【蓮池】


ここまで無料ゾーンとなります。


本堂横で拝観料500円を支払うと、
新御座や蘭亭庭園が拝観出来ます。

しかし、今回は家族が遠慮したので、
私も泣く泣く回避。(泣)


御朱印は大谷派らしくありません。

長浜にはまだまだ訪れたい寺社があるが、
今回はこれで帰宅の途へ。

伊吹山寺(2016年9月2日参拝)

2016年09月26日 | 役行者霊蹟札所
伊吹山は白山登山に向けて最後の自主練で登ると決めていた山。

ずっと前から白山に登る予定は組んでいたが、
いかんせん今年は台風が来たり、長雨だったりで、
私が白山に行く予定日は悉く天気が悪い。
関西は天気が良いのに。(泣)

という訳で今年の白山登山は諦めました。
自主練として一合目から登る伊吹山も来年に持ち越しです。(泣)

来年に持越したとはいえ、まだ伊吹山に未練があったんでしょう。
急遽取れた休日なので今日は家族で伊吹山に行くことした。

当然、登山が趣味ではありませんので、
山頂近くまで車で行って、そこから頂上の伊吹山寺を目指します。(^^

私が登山をするのは、そこに山があるからでは無く、
そこに神社仏閣があるからです。(キリッ)



所在地:滋賀県米原市上野字地蔵
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:仁寿年間(851-854)
開基:三修上人
札所:役行者霊蹟札所


【縁起】
伊吹山は標高1,377メートルの霊山である。

古代の修験道において重きをなす七高山の一つに選ばれ、
また記紀神話には荒神の山として霊威が知られていた。

従って伊夫伎の名も吹き棄つる伊吹すなわち息吹きから出たことが推測され、
こうした荒々しい霊のとどまる霊の山で修行する山林修行者は、
優れた霊力を保持する宗教者として周辺の住民から期待された。

平安初期には沙門三修の活動が三代実録・元慶2年(878)条に見え、
三修の建てた伊吹山護国寺が定額寺に列せられている。

これは伊吹四箇寺が護国寺へと発展する基礎になったものであるが、
その背景には伊吹山の山岳修行者が七高山阿闍梨として、
護国を目的とする祈祷を行ったと考えられる。

山岳宗教における三宮三院制という近年の説にしたがえば、
山頂には上宮上院があり、平成元年に253世山田恵諦天台座主より、
覚心堂の命名を戴き復興された。

下院である発心堂は255世渡辺恵進天台座主の命名によるもので、
平成16年にダムで水没する2つの寺院を移築再建したものである。


【風景】


名神高速関ヶ原インターから伊吹山ドライブウェイへ。

料金が3090円でちょっと焦った。(^^;

たけーよ。(泣)




所々で車を停める場所があり、
そこで景色を楽しむ。(^^

走っていると猿の親子が道路を歩いていたり。(^^

それにしても伊吹山ドライブウェイって結構距離あるね。

これだけの距離があるんだったら、
3090円の料金も致し方なし。


そういえば、バズーカのようなレンズで、
何かを撮影している人達が多かったなぁ。

その時はカモシカか何か撮っているのかと思っていたが、
帰宅してから調べてみると鷹を撮影しているみたいですね。


【句碑】


大型の山頂スカイテラス駐車場に到着。
当然無料です。

「そのままよ 月もたのまし 伊吹山」とは、
松尾芭蕉の句だそうです。


【恋募観音】


恋愛成就の観音様のようですね。


【さざれ石】


何か右に変なモノがあるんですけど。(^^;

アレはなんだったんだ。(苦笑)


【風景】



【登山道】


協力金300円を支払って山頂を目指します。

駐車場から山頂まで40分と書いてある。
お寺も山頂にあります。


【風景】


素晴らしい景色を見ながら登るのは気持ちがいい。

景色が全く見えないコンクリートの林道とは雲泥の差です。(^^

登りは緩やかで下界より涼しいので楽ちんです。




山頂の建物が見えてきました。

この辺りはなだらかな道です。




実に清々しい。




到着です♪

早歩きで登ったら駐車場から約20分。

鬱陶しいアブもいないし。(苦笑)

自主練の成果で楽チンでした。(^^


【伊吹山寺】


覚心堂と呼ばれる本堂のみの小さなお寺です。


【円空上人自刻像】


外陣に祀られていました。

御本尊薬師如来にお参りしてから御朱印をいただきました。


【日本武尊】


山頂には日本武尊像が安置されていました。

詳細は書きませんが、日本武尊は伊吹山の荒神を退治しに、
伊吹山に登った云々の伝説があるとかで、この像が安置されたそうです。


【伊吹の火採火地石碑】



【弥勒菩薩】



【風景】


下が山頂スカイテラス駐車場です。




写っている建物はトイレです。(笑)


【登山道】


帰りは違うルート。

こちらは距離は短いけど、嫌いな階段でした。


【山菜蕎麦】


スカイテラスの食堂で食べたけど、
味はあんまり・・・(^^;


【風景】


風景はとても良い。(^^


【御朱印】

神戸神社(2016年8月19日参拝)

2016年09月25日 | 神社
備前から高速代を節約しようと2号線を走る。
相生辺りから竜野ぐらいまで軽い渋滞。
ゆっくり走っていると結構大きそうな神社を発見。

渋滞に疲れていたので気分転換に参拝することに。(^^

神社名は神戸市に鎮座していないのに神戸神社です。

読みが「こうべ」じゃくて「かんべ」だから、
神戸市に鎮座してなくていいのか。


所在地:兵庫県たつの市揖保川町神戸北山222
主祭神:大己貴命
配祀神:少彦名命、誉田別命(応神天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、大物主命 
創建:不明



【由緒】
御祭神の鎮座されているこの宮山には山頂に大きな磐境があって、
播磨風土記の「神山」に擬定され、古来神の宿る霊地として、
人々に畏敬されてきた。

応仁2年(1468)3月午の日に播磨の国の一の宮伊和神社より御分霊を勧請し、
10月第二の午の日を午祭と定めて五百数十年継承してきた。

この祭が菜食わず祭といわれる由縁は、弘法大師が全国行脚の途次、
近くの小川で菜を洗っていた女性にその菜を所望されたところ固辞したので、
それ以後秋祭の日に菜を食べると腹痛を起こすという
伝承との習合によるもので、当神社を「なくわずの宮」ともいう。

社殿の創建年代は不詳。
古来何回も修理・増改築を重ねて維持に努めてきたが、
長い年月を経るうちに損傷が甚だしく、
昭和52年境内地の一部を売却して三間社流れ造りの社殿を造営し今に至る。


【旧本殿跡地】


大きな月極駐車場にありました。

神社では聖地として保存しているようだが、
その聖地の周りを月極駐車場というのは如何なものか。(苦笑)


【鳥居】


18時だけどまだまだ明るい。

とはいえ、こんな時間に参拝してる物好きは私しか居ない。(苦笑)


【御神馬】


国道2号線方面へ向かって撮影。


【参道】



【拝殿】





【狛犬】



【本殿】



【石神】







【八幡宮】







【金刀比羅宮】





これにて本当に本日の参拝終了。

神戸神社には御朱印がありますが、
当然ながら社務所は閉まっておりました。(^^;


【備前焼】






コーヒーカップ。








今回は安いけど個人的に気に入ったモノを購入。

金を出せばいくらでも良いモノは誰でも買えるけど、
安くて良いモノを買うのは難しい。








花入れは今まで買ったこと無かったけど、
景色が気に入ったから買っちゃった。

これで5千円もしないんだから安い。(^^

しかし、花を入れる予定は無い。(笑)






湯呑み。

1080円と格安で普段使いにして、
どこまで育つか試す為に買いました。

ま、あんまり育たないだろうけど(^^;


全ていつもの伊部駅2階にあるギャラリーと、
別のギャラリーで購入したもの。

今回は時間と金が無かったので、今日はこのぐらいにしといたろ。(笑)

弘法寺(2016年8月19日参拝)

2016年09月24日 | 仏閣
お目当て弘法寺がどこにあるか分からない。

たぶん上にあるんだろうな、と漠然に思っていたら、
怪しい石段発見。




とりあえず弘法寺があると信じて石段を登ってみた。



所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町千手239
宗派:高野山真言宗
御本尊:千手観音菩薩
創建:伝・天智天皇元年(662)
勅願:伝・天智天皇



【縁起】
伝承によれば天智天皇元年(662)天智天皇の勅命により建立されたと言われる。
その後、火災に遭い衰退していたが、天平年間(729-749)
報恩大師が備前四十八ヶ寺の一つ報恩山興法寺として再建し、
48坊を擁したと言われている。

平安時代初期の大同2年(807)空海が方三丈の堂を建立し千手観音を安置して以後、
千手山弘法寺と称するようになったと言われている。

鎌倉時代から南北朝時代にかけて最も隆盛した。
朝廷の祈願所となっており、当寺院には後醍醐天皇の綸旨の写しがある。

また、観応元年/正平5年(1350)には足利尊氏が、
足利直冬討伐の為に中国地方に遠征した際に当寺院で戦勝祈願した。
その際の足利尊氏御教書(県指定重要文化財)が現存している。

桃山時代には当時の領主であった宇喜多秀家から寺領として110石の寄進を受けた。
江戸時代になっても岡山藩主池田家の庇護を受けた。

寛文5年(1665)池田光政が寺院の淘汰を行った際に、
天台宗から真言宗に改宗された。宝暦8年(1758)の記録では、
15院3坊の塔頭があった。明治8年(1875)に塔頭は4院に合併された。

昭和42年(1967)本堂・普賢堂・鐘楼・多宝塔・坊舎など主要な建造物を焼失し、
本堂の本尊厨子脇に安置されていた鎌倉時代の作といわれていた二十八部衆像も焼亡した。

なお、本尊の千手観音は僧侶らの手によって持ち出された。
常行堂・御影堂・一切経蔵・鎮守社は一段高いところにある為類焼を免れ現存している。

昭和42年の火災で塔頭の1つ善集院も類焼し廃院となり、
現在の塔頭は2院のみとなっている。


【境内】


殺風景な野原にお堂が見えた。

うーむ、何だか怪しい。




これは何かの跡でしょうな。

あー、これは塔頭が本寺を管理しているパターンと直感。


【宝篋印塔・石仏】



【蔵】



【鳥居】



【山王社】


池は淀み周囲は荒れている。




拝殿。

何とか体裁と繕っています。


【本殿】


本殿はさすがに綺麗です。

何とか残そうという意欲は感じますね。


【境内社】



【狛犬】



【常行堂】




華頭窓から中を覗いてみる。




予想以上に立派な阿弥陀如来が祀られていてビックリした。


【御堂】




もぬけの殻でした。

こういうのを見るととても残念な気持ちになります。




常行堂の隣にある御堂ですが、
こちらはもっと荒れています。




御詠歌掲げられていて、霊場だったようです。

大師堂かと思ったけど違うのかな。






扉は穴が開いているし火事の跡が。




廃墟やん。(泣)

こんなんを見に弘法寺に来た訳じゃないんだけどな。


【宝篋印塔】


現在の弘法寺を見たら先人達もお嘆きのことだろう。


【石祠】


何にも無いと思ったが、
よく見たら石仏が彫られていた。


【境内】


この先に何があるのか?

気になったが期待出来ないので止めておいた。


で、結局のところ、目的の山門見忘れ。(泣)

何しにここに来たんやと、
小一時間自分に説教したいわ。(^^;


塔頭の御本尊と弘法寺の山門を、
いつの日か見たいと誓った15の夜。(笑)

弘法寺塔頭 東壽院~遍明院(2016年8月19日参拝)

2016年09月23日 | 山陽花の寺二十四か寺
続きまして山門が見事な弘法寺へ。

近くまで到着するとナビは草ボーボーの狭い山道を案内する。

この上に弘法寺はあるようだが、
とてもじゃないが細い道を車では登っていけない。

左側は崖だし登った先が行き止まりで、
Uターン出来ずバックで戻るなんて想像すると怖すぎて回避。

うーん、他に道は無いかと思っていたら東壽院という
お寺の駐車場を発見。

東壽院は弘法寺の塔頭だと分かったので先に参拝し、
歩いて弘法寺まで行くことにした。



<東壽院>
所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町千手196
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:7世紀後半
開山:不明


【縁起】
東壽院は遍明院とともに7世紀後半に天智天皇の勅願を受け、
千手山弘法寺塔中寺院として開かれた。

毎年5月5日に行われる練供養の時に極楽浄土に見立てた堂の前で、
観音菩薩ら一行を迎える阿弥陀如来として用いられる仏像は、
胎内を完全に空洞化にし、裳裾部が付く所にある穴部から人が、
頭を挿し込んで被るようになっている、
世にも珍しい被仏が安置されている。

また、御本尊の阿弥陀如来は快慶作と言われている。


【山門】



【境内】


奥が本堂となります。

こちらでは珍しい仏様がいらっしゃいます。


【被仏】

(出展:トラベルjp様)


【練供養】
http://guide.travel.co.jp/article/9947/

練供養の模様はトラベルjp様でご確認ください。

この時は快慶の阿弥陀如来も見れるので訪れたいが、
ゴールデンウィークの5月5日は高速が大渋滞だからなぁ。(^^;

宝塚を起点とするあの渋滞は萎えるわ。(苦笑)


東壽院の御朱印は無いと思っていたが、
帰宅してから調べるとありました。(^^;

まぁ、いいや。

さて、弘法寺のもう一つの塔頭である遍明院へ。



<遍明院>
所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町千手239
宗派:高野山真言宗
御本尊:五智如来・前仏不動明王
創建:7世紀後半
開山:不明
札所:山陽花の寺二十四か寺


【縁起】
遍明院は東壽院とともに7世紀後半に天智天皇の勅願を受け、
千手山弘法寺塔中寺院として開かれた。

弘法大師巡錫の地としても知られる。
同院の本尊である五智如来は五体の仏尊で、
12世紀末期・藤原時代後期の作。
国の重要文化財に指定されている。

平成になり弘法寺踟供養が復活。

だが、弘法寺伽藍は常行堂を残して焼失している為、
実施場所を遍明院と東壽院の境内に移し、両院が隔年で交互に行事坊となり、
行事坊の境内に「娑婆」を、他の坊の本堂前に「極楽」を設けて
行列が進行する形となっています。

中将姫伝説の本元である奈良県当麻寺と岡山県久米南町の法然上人生誕地の
誕生寺の練供養と共に日本三大練供養と言われています。


【駐車場】


道路からキツイ坂道を歩いて登ると大きな駐車場があった。

車でここまで来れば良かった。(^^;


【石段】



【水琴窟】



【本堂】




本堂に上がれて拝めて良かった。(^^

やっぱりお寺はこうでなくっちゃ。


【ふれ愛観音】


錚々たるお寺に安置される観音さんが居ました。(^^


【向唐門】


歴代藩主が正月に来山された際に使われる御成門とのこと。


【客殿庭園】



【遍照閣】





【大甕】


この備前焼の大甕は凄いなぁ。

何百万円もすると思う。


【御朱印】


御不在でしたので書置きをいただきました。


あと、本堂裏にある収蔵庫には重文の五智如来が安置され、
事前予約が取れれば拝観出来るそうです。

はい、知りませんでした。(泣)

また訪れることにしよう。

牛窓神社(2016年8月19日参拝

2016年09月22日 | 神社
本日のメインの一つである牛窓神社へ。

ここは前回の備前遠征時に時間切れで未訪となった神社。

参拝はMUSTでございます。(^^



所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2147
主祭神:応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・比賣大神
創建:長和年間(1012~1016)
社格:県社


【由緒】


当社は原初の頃は土地の神霊及び氏の祖先の神霊を祀っており、
牛窓明神と呼ばれていたが、長和年間、教円大徳によって、
豊前の宇佐八幡宮から応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・比賣大神の
御神霊をお迎えして牛窓八幡宮となり、
明治6年郷社に列せられ牛窓神社と改称した。

社伝によれば鎌倉・室町時代の山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)の
古文書に「牛窓別宮」の名があり、当時牛窓が石清水領であったと共に、
社格が大変高かったようである。

神階は従三位、式外社、備前国古社128社の内の1社にして、
明治42年神饌幣帛料供進神社に、昭和15年県社に列せられた。
 
弘治元年(1555)芸州の乱の時、海賊の焼打ちに遭い、
全山を焼失し、社殿、宝物、記録等全てを失った。
 
当時、牛窓は内海帆船時代であり、交通運輸の重要港に成長し、
藩の政治、住民の経済力の増加を背景に、神社に対する信仰心も高まった。 


【五氣の杜】




10台分ほどの無料駐車場に車を停めて参道を歩く。

すぐに本殿に着いてここは裏参道だとすぐに気付く。

神社は鳥居をくぐって参拝しないと気が済まないので、
反対の鳥居へ向かう。


【随身門】



【石段】


この石段を下るのはいいけど、
この暑さの中、また登るのかと思うと萎えてくる。

今日の岡山も35度はあったはず。(^^;


【瀬戸内海】


うみ~♪


【第一鳥居】


海と鳥居のコラボ。

これが良いんだよな~。


【牛窓海水浴場】


あんまり人気が無いのか空いてました。

海水浴場の駐車場は有料です。


【句碑】



【表参道】


アクエリアスを飲みながら、
暑い中、石段をひたすら登る。


【句碑】



【瀬戸内海】


やっぱり海はいいなぁ。(^^


【第二鳥居】



【随身門】


なかなか良い門です。


【境内】


やっと境内に戻ってきました。

結構階段があるので私と同じ事をしてはいけません。(苦笑)


【狛犬】



【神輿庫】



【拝殿】




拝殿入口に茅の輪くぐりがあるのですが、
この神社は勝手に茅の輪をくぐってはいけません。

名物宮司と一緒を強要されます。(笑)

宮司さんがテンガロンハットみたいなのを被っていましたが、
そんな宮司さん初めて見たわ。(^^;

面白い方です。


【本殿】






国の重文じゃないけど見事な本殿です。


【境内社】







【御朱印】


豪快な御朱印です。

リクエストすれば見開きでいただけますが、
500円となります。

片面ですと300円です。

ちなみに夏限定です。

金剛頂寺 真光院<牛窓西寺>(2016年8月19日参拝)

2016年09月21日 | 瀬戸内三十三観音霊場
本日のメインの一つである牛窓神社へ向かう途中、
真光院の看板発見。

ちょっと寄り道。(笑)


所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓4032
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:天平勝宝年間(749~756)
開山:報恩大師
札所:瀬戸内三十三観音霊場


【縁起】
当山は天平勝宝年間に報恩大師の御開創になる。

備前四十八ケ寺の一にして、御本尊は聖徳太子の御作と伝う。
嵯峨天皇の弘仁年間(810~824)に堂宇を修補す。

治承3年(1179)の元海上人の遺文によると、
山中に堂塔九宇・塔頭十一坊を数え、室谷と称せられしも、
幾星霜を経たる後、寛文6年(1666)備前藩による法難にあい、
一旦にして一山廃絶し、衆僧離散して堂塔鳥有に帰す。

然れども元禄9年(1696)高野山金剛頂院々主栄鏡上人の
周旋により嘉運を得、千手山竹本坊より玄翁上人を
中興第一世として迎えるに及び、遂に再興の悲願を遂げる。

以来、漸次堂宇を再建、境内を整備し今日に至る。


【風景】


海が見える高台にお寺はあります。(^^


【参道】


大型の無料駐車場がありました。


【地蔵尊】



【鐘楼堂】



【本堂】







【ミッキーマウス・ミニー】


何でこんなモノが?

これはアカンやつや。(^^;

ディズニーは版権に非常に厳しいですからね、
恐らく許可を得て無いと思うからクレーム入るよ。(苦笑)


【表玄関】



【海】


やっぱ海はいいなぁ。


【御朱印】


庫裏に行くと玄関が開いており中へ入るも御不在でした。

しかし書置きの御朱印が置いてありましたので、
300円を置いていただきました。

それにしても田舎のお寺といえど、
玄関開けっ放しでよく不在に出来るなぁと。

普通の町だったら泥棒が心配で絶対無理っす。


でも、昔は家の鍵をポストに入れて外出してたよなぁ。(遠い目)

今考えると何て不用心で恐ろしいことをしていたんだ。(苦笑)

静円寺塔頭 地蔵院(2016年8月19日参拝)

2016年09月20日 | 仏閣
静円寺から歩いて1分の場所にあるのが塔頭の地蔵院。

こちらも静円寺を管理しているお寺の一つで、
現在は人形供養のお寺だそうです。


所在地:岡山県瀬戸内市邑久町本庄4643
宗派:高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:宝永5年(1708)
開山:賢意和尚


【縁起】
横尾山静円寺地蔵院は、天平2年(730)行基菩薩によって静円寺が開基され、
33坊が谷にまたがり、寺領300町歩を有した塔頭寺院の中の一院です。

当時は仏都として隆盛を極めたが、江戸時代寛文年間に入り衰退し、
地蔵院(成林坊と称していた)以下5院が残り、現在は3寺院となっています。

本院は宝永5年(1708)賢意和尚によって、
木造彩色の地蔵菩薩立像をご本尊として祀られて以来、
霊験あれたかな寺として信仰されています。

幕末には寺小屋が開かれ、明治5年学制が定められた時、
38番小学校として横尾山地蔵院に設置され、横尾小学校として開校しました。

横尾小学校の生徒数は、当時邑久郡第一の多数の児童を有し、
教師も温知学問の盛んなことで有名になった。

このようなことから地蔵院の檀家は、
村の指導的な立場の家が多かったと言われています。


【お地蔵さん】



【山門】



【本堂】


塔頭らしく小さなお寺です。


【内陣】




御朱印をお願いすると本堂に上げていただけた。(^^

すると御住職のお父さんが登場。

よく見るとお坊さんらしくない。
話をしてみるとお父さんは普通のサラリーマンで関西在住とのこと。

だから現在の御住職は一般家庭の出身です。

大学進学の時、お父さんに相談したら、
入れそうな大学があると高野大学を勧めたそうで、
その時は高野大学がどんな大学か知らなかったそうです。(^^;

入学してから一週間経って御住職はお父さんに、
すぐに辞めたいと泣きの電話を入れたけど、
高い入学金を払ったのに、すぐに辞めるなと止められ、
我慢して三か月大学に行ってたら友達が出来て、
何とか辞めずに大学卒業したとか。(笑)

また卒業したらそのまま僧侶の道に進むかと思っていたら、
「かっぱ寿司」に就職したいという息子さん。

そこで慌てたのがお父さん。(笑)

折角高野大学卒業したのに何でかっぱ寿司やねんと。(^^;

結局、お父さんの説得の甲斐あって、
息子さんは無事僧侶になられました。(笑)


その後、結婚し6LDKの家を買って高野山の宿坊で修行していたが、
前御住職が亡くなり無住の危機となっていた地蔵院の檀家さん達が、
高野山に若くて夫婦で岡山まで来れるお坊さんを探しに来られ、
白羽の矢がたったのが現在の御住職です。

御住職も何の縁も所縁も無いお寺はどうかと悩んだが、
檀家さん達がとても熱心で篤い信心を持たれた方々だったので、
御住職になることを承知したそうだ。

ただ、せっかく高野山で買った6LDKの家が、
1千万円で売ったのが名残り惜しかったみたい。

中古とはいえまだまだ新しい6LDKが1千万円なんて、
高野山の家は安いなぁ。(^^


そんな面白い話を40分以上楽しませていただきました。(^^


【鎮守社】



【修行大師】



【観世音菩薩】



【仏手仏足石】



【石仏】



【御朱印】

静円寺(2016年8月19日参拝)

2016年09月19日 | 仏閣
ヤギが強い印象が残った塔頭の光明院を後にし、
目的の静円寺へ。

光明院から歩いても数分で行けるけど、
暑いから車で。(^^;

大きな広場みたいな無料駐車場がありました。

逆にここで有料だったら怒るけど。(笑)




立派な壁が続く。

大きなお寺なのが分かる。


所在地:岡山県瀬戸内市邑久町本庄4368
宗派:高野山真言宗古義派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:奈良時代
開山:行基菩薩


【縁起】
奈良時代に僧・行基によって創建され、
のち報恩大師により備前四十八ヶ寺の一つに加えられたが、
まもなく焼失、江戸時代になって現在地へ再建された。

盛時には33坊があったと伝えられる。
現在は安楽院・光明院・地蔵院の三院で静円寺を管理している。


【山門】


お遍路の札所で見たことあるタイプの山門です。


【仁王像】





【境内】



【本堂】




県指定重要文化財。

なかなか堂々たる立派な本堂だと思います。


【内陣】


塔頭が本寺を管理してる場合って、自分のところで精一杯で、
管理が行き届かず荒れてる場合があるのよね。

ちゃんと塔頭の方々で管理されているようで良かった。(^^

御本尊は厨子で安置されていて秘仏でした。


【大師堂】





【御堂】




厨子が安置されていて、何が祀られているか不明でした。


【鐘楼堂】



【多宝塔】






殺風景な境内にいぶし銀の渋さを醸し出している多宝塔。

国の重文ではありませんが、
なかなか良い多宝塔でした。


【弁財天】



【鎮守社】




絶賛工事中でした。


【宝篋印塔】



【石仏】




【石碑】



これにて静円寺参拝終了。

静円寺の御朱印は恐らく無いと思われます。

静円寺塔頭 光明院(2016年8月19日参拝)

2016年09月18日 | ぼけ封じ33観音霊場
刀剣を堪能した後は寺社巡り開始。

岡山県には優れた三重塔や多宝塔が多い。
まだ見ぬ多宝塔を見に瀬戸内市にある静円寺というお寺へ。

もうすぐ静円寺という所で、
ぼけ封じ33観音霊場の幟を見ると違うお寺発見。

当然、寄り道です。(笑)


所在地:岡山県瀬戸内市邑久町本庄4396
宗派:高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:不明
開山:不明
札所:ぼけ封じ33観音霊場


【縁起】
天平2年(730)行基によって開山された静円寺は、
報恩大師創建の備前48ヶ寺の一つに教えられています。

盛時には33坊が谷にまたがっていましたが、現在は3坊となりました。
光明院は静円寺の本坊として今も昔の名残を残し、
虫明に陣屋を設置した岡山藩家老の伊木公が、
しばしば訪れ風流を楽しんだ所縁の寺として知られます。

客殿は正徳4年(1715)伊木公5代忠義公によって再建され、
2年半の玄関は一際目立ち、伊木公が横尾山に参詣の時、
この玄関に御籠が横づけされお休み所とした客殿です。

庫裡は江戸初期建立で如何にも昔をしのばれます。

現在、ぼけ封じ三十三観音霊場として、
健康で幸せな老後を祈るお年寄りたちの信仰を集めています。


【参道】


参道の手前に数台分の駐車場がありました。


【薬医門】


文化年間再建されたもの。


【境内】


左が庫裏、真ん中が客殿、右が本堂です。


【玄関】



【本堂】



【境内】



【弁財天】



【ぼけ封じ観音像】


ぼけ封じ三十三観音霊場って大阪、兵庫、京都の札所は、
錚々たる寺院で参拝しましたが、岡山県にも札所があったのね。

調べてみると山口県、福岡県、長崎県、佐賀県と広範囲で、
満願達成は厳しいですね。(^^;


【鎮守社】





【水琴窟】



【ヤギ】




水琴窟の音を聴いていたら突然ヤギが登場してビビった。(^^;

お寺で飼われているヤギでした。(笑)


【御朱印】

備前長船刀剣博物館(2016年8月19日拝観)

2016年09月17日 | 旅行、その他
今日は前回行った時に行けなかった寺社を巡ろうと、
備前市に遠征です。

当然備前焼も買いますけどね。(^^

まずは寺社では無く刀剣を見に備前長船刀剣博物館へ。


【備前長船刀剣博物館】


無料駐車場に停めて拝観開始。

何やら刀剣乱舞らしきキャラクターの看板があるんだが。

嫌な予感。(^^;


拝観料800円を支払うと刀剣乱舞のクリアファイル付き。



よく見たら刀剣乱舞では無かった。(^^;

薄桜鬼という、
恋愛アドベンチャーゲームのキャラクターらしい。

そんなんあったのね。(^^;

どっちにせよ別に要らないんですけど。
オクに出すかな。(笑)


【刀剣の世界】


デジタル技術を駆使し刀剣の歴史や各部名称、
時代背景を解説した展示室でした。


【博物館一階展示室】



【長船清光】




これ欲しいわぁ。

幾らで買えるんだろう。(笑)


【国次】






これも欲しい。(^^


【道具類】





他に何振りかありましたが撮影禁止でした。
残念。

まぁ、一階は前座みたいなもんです。
二階へ上がります。


【博物館二階展示室】


あー、キャラクターのポスターだらけ。

備前長船刀剣博物館よ、お前もか。(苦笑)


【正行】






これは刃文が大変美しい。


【広康】






臨兵闘者皆陣烈在前がたまらない。


【信秀】






これは素晴らしい。

刃紋も刀剣も彫刻も全てが美しい。

売ってください。(笑)


【国包】





【備前長船】







【国貞】





【氏繁】







【国重】








これも美しい刀剣です。


【加州清光】








これは派手では無くシンプルな美しさでした。


【国清】









【兼定】









【虎徹】








これが有名な虎徹かぁ。

現存する虎徹はほぼ贋作と言われているが、
これは本物で間違い無いのでしょうか。

重要文化財という割にはグッとくるものが無かったのですが。


【正家】








旧国宝で現在は重要文化財。

鎌倉時代に作刀されたこと、
九代将軍徳川家重から伊達家に伝来された由緒から、
重要文化財に指定されていますが、
実物はとても実用的な造りで、美術品としては今一つですね。


二階の展示室で撮影OKなもの全てご紹介しました。

何振りか撮影禁止があって残念でしたが、
とても充実していましたね。(^^

この中で一番のお気に入りは信秀でしたね。


【今泉俊光刀匠記念館】


中は撮影禁止でした。


【備前長船鍛刀場】






毎月第2日曜日に1200度の高熱で玉鋼を打ち延ばす
古式鍛錬が行われます。

今日は日程があいませんでしたが、
またの機会に見学したいです。

東大寺万灯供養会(2016年8月15日参拝)

2016年09月16日 | 神仏霊場巡拝の道
去年は事情により行けなかったが、
毎年の恒例となりつつある東大寺万灯供養会へ。


<2011年8月15日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/20af1e1eb0fb2b8febc52ba8fab5fc9b


<2012年8月15日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/8e6209c1cfd3a520d9836dd0ed78b1e5

<2013年8月15日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/8cf870220f11ba9bd3b3cbc85d7afbee

<2014年8月15日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/e9eb336aa8bfdc6fb1aadb67484cee99


【南大門】


県庁の駐車場に車を停め参拝開始。

月とのコラボが美しかった。


【阿形像】




夜の方が撮影しやすいですね。(^^




さすが国宝。
いつ見ても素晴らしい。

大仏師運慶と快慶が小仏師13人で造立したもの。


【吽形像】






大仏師定覚と湛慶が小仏師12人で造立したもの。

阿形と吽形それぞれ、
三千ものパーツで造られたとは信じられん。

現代の技術でも不可能に近いらしい。


【鏡池】


うお!

いつの間に船が。

中国人作家である蔡國強の作品で10/23まで浮いてるそうです。(笑)


【大仏殿】






普段とは全く違う表情を魅せる大仏殿です。

いつ見ても良いね。


【灯籠】




事前にこの灯籠を申し込んでおけば、
三年間は無料で拝観出来ます。

一般は500円かかりますので、
供養して無料になるのでお得だと思います。


【盧舎那仏】




さすが日本一の大仏さんです。


【虚空蔵菩薩】



【廣目天】


カッコええわ~。


【多聞天】






日本で一番好きな多聞天です。

カッコ良過ぎだろ。(^^


【御朱印】


書き手さんによって墨書きが違いますので、
並ぶ前に確認した方がいいと思います。


今年もいい供養が出来きました。(^^