Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

日泰寺(2017年3月25日参拝)

2017年04月30日 | 大名古屋十二支
本日のメインの一つである日泰寺へ。

こちらは伽藍をメインに参拝しに行った訳だが、
日本で唯一いずれの宗派にも属さないお寺だとは知らなかったよ。

ネットで境内に車が停めてある写真を見たからか、
てっきり日蓮宗の本山かと思っていたのは、ここだけの話。(苦笑)


所在地:愛知県名古屋市千種区法王町1-1
宗派:単立
御本尊:釈迦如来
創建:明治37年(1904)
札所:大名古屋十二支


【縁起】
日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒の為の寺院で、
釈尊の御真骨をシャム国より拝受し、仏教各宗代表が協議し奉安する為に、
明治37年(1904)に建立された。

釈尊を表す覺王を山号とし、日本とシャム国の友好を象徴して、
覺王山日暹寺として創建された。

その後、昭和14年(1939)シャム国のタイ王国への改名に合わせて、
昭和17年(1942)日泰寺に改名された。

運営に当っては現在19宗派の管長が輪番制により3年交代で住職を務め、
各宗の代表が役員として日常の寺務に携わっている。


【山門】




昭和61年(1986)建立されたもの。

お寺に着いてみると参拝者がかなり多い。

こんなに人気のあるお寺だとは。
このお寺の何がこれほどまでに人を呼び寄せるのであろう。

だから、人が映らないように写真を撮るのに苦労する。


【阿難尊者・迦葉尊者】


 

山門には定番の金剛力士がいない。

四国の某寺では横綱がいたというレアケースもあるけど、
阿難尊者と迦葉尊者を配しているのも極めて珍しい。


【境内】




写真を見ての通り、境内に車が停めれます。

参拝者にとってはとても有難いけど、
逆に殺風景な風景となってしまう。

立派な伽藍を擁してるとはいえ、
何故ここまで参拝者が多いのか、よく分からん。


【五重塔】
 

平成9年(1997)建立されただけあって、
まだまだ若い塔です。


【本堂】


昭和59年(1984)再建されたもので、
とても立派なものです。




御本尊はタイ国国王チュラロンコン陛下より下賜されたもので、
タイの国宝であった金銅釈迦如来像です。

我々は外陣から拝む方式で、
近くで御尊顔を拝する事は出来ませんでした。


【鐘楼堂】




昭和60年(1985)建立。

チェラロンコーン国王とプミポン国王の紋章が入っていました。


【桜】



【国王チュラロンコン像】


日タイ修好百周年記念として造立したもの。


【タイ国皇太子殿下御手植カイコウズ】


カイコウズは漢字では海江豆と書き、タイの花らしい。


【普門閣】


簡単にいうと葬儀会館です。


【千躰地蔵堂】




日泰寺には飛び地境内があって、
それは後ほど参拝するとして、山門前をぶらり。

するとすぐに御堂発見。

千体あるか分からないけど、
夥しい数の地蔵尊が安置されていました。


【虚空蔵菩薩】



【石標】


千躰地蔵堂を左に入って行くと、
弘法大師四国八十八ヶ所のミニ霊場があります。


【御詠歌堂】



【石仏】





【修行大師】



【札所】




今日は閉まってましたが、
縁日になると開いて御朱印がいただけます。

書置きだけど結構な数の御朱印がいただけると思われます。


【舍利殿・奉安塔】


本堂から少し離れた飛び地にバンコク王宮に於いて、
チュラロンコン国王より下賜された舎利塔である奉安塔があります。


【境内】


こちらにも大型の無料駐車場がありました。


【舍利殿】




仏舎利は舎利殿には無く、奉安塔の礼拝施設となります。


【門】


この奥に奉安塔があるようです。




立派な門です。

ここから先は立ち入り禁止です。


【礼拝殿】






山門に見えるのは礼拝殿で、
白く見えるのが仏舎利が安置されている奉安塔です。

タイ国王より下賜された仏舎利をどこで管理し祀るのか、
各宗派で喧々諤々となったことであろう。

話し合いの結果、どこの宗派に属さないという日泰寺を建立し、
各宗派の代表が3年交代で住職を務めるということで、
苦肉の策であったが一件落着。

これが江戸時代までだったら仏舎利を巡って、
宗教戦争が起こったに違いない。

日本人も少しずつ成長していってるようですね。


【御堂】







【記念碑】





【御朱印】


御朱印は本堂でいただけます。

日泰寺は日本とタイの友好の懸け橋となるお寺です。

仏舎利と御本尊はお寺にとって本堂や山門等とは、
比べものにならない程、重要な至宝である。

それをタイ国王から下賜されているが、
成田のワット・パクナムのようにバリバリのタイ風では無く、
お寺の雰囲気は完全に和風でした。

上野天満宮(2017年3月25日参拝)

2017年04月29日 | 神社
気持ち良く参拝出来た永平寺名古屋別院を後にし、
約4キロ程離れた地に鎮座する上野天満宮へ。

途中でナゴヤドームが見れた。(^^

上野天満宮の近くに名古屋清明神社がありましたが、
こちらは華麗にスルー。

どうも清明神社は参拝する気にならんな。

上野天満宮に到着してみると、
大型の無料駐車場があり、参拝者も結構いました。


所在地:愛知県名古屋市千種区赤坂町4-89
御祭神:菅原道真
相殿神:伊邪奈美命、木花開耶姫命、素戔嗚尊
創建:平安時代中期
社格:四級社


【由緒】
およそ千年前の平安時代中期に陰陽師・安倍清明の一族が、
この地に住んだ折、菅原道真公を慕ってその御神霊をお祭りされたのが、
上野天満宮の起源と伝えられています。

その後、昭和36年(961)に近隣の浅間神社より伊邪奈美命と木花開耶姫命を、
平成27年(2015)には八坂社より素戔嗚尊を合祀され、
現在は四柱の神様をお祀りしております。

山田天満宮、桜天神社と共に名古屋三天神の一つとして、
名古屋を代表する学問、学業、受験合格、病気平癒の神として知られる。


【鳥居】




古社のわりに新しい雰囲気を感じますね。


【紅梅】




天満宮はやはり梅です。


【拝殿】




戦後に建てられたものでしょうか。

拝殿を含め戦後に造られた神社のような雰囲気で、
古社の雰囲気は皆無です。

いわば町の中にあるといった神社そのものの雰囲気です。


【本殿】



【撫で牛】



【天神みくじ】


マスコット人形みたいなものが、
境内に沢山置いてありました。


【梅園】





【神輿】




御祈祷待合所にありました。


【御朱印】

永平寺名古屋別院 奉安殿護国院(2017年3月25日参拝)

2017年04月28日 | 仏閣


臨済宗の徳源寺の次は曹洞宗の永平寺名古屋別院へ。

この道は山門前の桜通で、名古屋にはこのような広い道が多い。

だから走り易いと思っていたが、
とんでも無い道に遭遇して焦った。

それがこんな道。




これはネットで拾った画像ですが、
右車線を見ておかしいと思いません?

普通右折車は必ず右端ですが、
この道では右折レーンが真ん中より二つ目になっているんです。

名古屋のバスが走っている大通りでは、
こんな訳の変わらん道が存在しています。

この着色された右端のレーンはバス優先道路みたいだけど、
他の地域だとバスの優先道路は左端のレーンです。

さすが名古屋、まさしく我が道を行くといった感じですね。(苦笑)

今回初めてこんな道に遭遇したのでマジで戸惑う。(^^;

それで恐る恐る真ん中の右折レーンで待っていると、
左右のレーンをビュンビュン飛ばす車がいて怖かったわ~。

しかもバス優先レーンを飛ばしている車が多くて、
さすが運転が荒いことで有名な愛知県です。(苦笑)

大阪の和泉ナンバーの車も運転が荒いことで有名ですが、
名古屋に住んだことのある知人曰く、愛知県は特別だそうです。(苦笑)


ふぅ~、永平寺名古屋別院に参拝して心を落ち着けて整えよう。


所在地:愛知県名古屋市東区代官町41-32
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:文政4年(1821)
開基:徳川斉朝
開山:瑞岡珍牛禅師


【縁起】
文政4年(1821)に尾張十代藩主徳川斉朝公が、
瑞岡珍牛禅師に帰依し、隠居所として建立された慶雲軒に始まり、
境内地は七代藩主宗春公が隠居した御下屋敷の一角である。

瑞岡珍牛禅師は永平寺五十世玄透即中の提唱した古規則の復古を
推進した高僧で、二世は弟子の黙室良要が就き、
尾張徳川家の祈願所として基礎を固め、慶雲軒を尾張の曹洞宗教学の中心地とした。

三世円爾は寺号の取得に努め、永平寺五十七世戴庵禹隣を勧請開山として、
永平寺直末となり護国院を公称、安政3年(1856)には永平寺六十世臥雲童龍によって、
四門首の次席につぐ格式に序せられ、珍牛禅師の法孫によって法燈が継承されていました。

しかし明治初年に尾張藩主徳川家よりの財政援助が無くなり疲弊しましたが、
門内大英が復興に努め、承陽大師遥拝所の称号を本山より賜り、
東海地区の中心寺院として再発足することになりました。

昭和20年(1940)戦災の為全山消失し、直ちに再建に着手したが、
資金枯渇により頓挫。

そこで永平寺熊沢泰禅は昭和33年(1958)に永平寺別院として昇格させ、
本堂、庫裏を再建、不老閣を某旧家より移築、
次いで開山堂、座禅堂等の伽藍が整備され、別院としての景観を整えました。

現在は座禅会、写経会や会社の研修会等に寺院を解放し、
一般の方々との交流を深めています。


【山門】


平成17年(2005)に建立されたもので立派なものです。

境内に車を停めることが出来ました。


【寺紋】



【本堂】


とても立派な本堂です。




平成28年(2016)に再建されただけあって、
ピカピカで大変綺麗ですね。(^^

参拝した時は知らなかったけど、
地下室もあるようです。

多分納骨用だと思います。


【内陣】


簡素だけど貧乏臭く無いのが曹洞宗らしい。(^^




御本尊様も曹洞宗らしく小さなものです。

こちらも新しく感じました。


【一葉観音】



【白山社】


今年こそは白山に登拝するぞ。


【十三重石塔】



【舎利塔】



【地蔵尊】



【宝篋印塔】



【桜】


まだ早かったです。

【御朱印】


若い雲水さんの案内で別室に通され、
お茶菓子までいただきました。

とても素晴らしい振る舞い、対応をしてくださったので、
御朱印代は500円にさせていただきました。

決してお菓子を貰ったからでは無い。(笑)

徳源寺(2017年3月25日参拝)

2017年04月27日 | 仏閣
建中寺の次は車で5分程の近くにある徳源寺というお寺へ。

ここは臨済宗のお寺ですが、
そういや名古屋市内の臨済宗のお寺って、
小さい檀家寺ばかりというイメージですね。

というか、京都の臨済宗の本山が凄過ぎるだけかな。

お寺に到着すると大型の無料駐車場がありました。


所在地:愛知県名古屋市東区新出来1-1-19
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:文禄元年(1592)
開基:織田信雄
開山:忠嶽和尚


【縁起】



【山門】


臨済宗らしい簡素な山門です。


【佛殿】




梅干し和尚と呼ばれた道一和尚が浄財を集めて建立されたもの。

殿内には涅槃像と五百羅漢が祀られているとか。






涅槃像を見ると微笑ましくなるのは何故なんだろう。(笑)

昔の写真を見ると昭和初期までは佛殿も無く、
外で寝ていらっしゃいました。


【中門】


昭和初期にはこちらが正門だったそうです。


【勅使門】



【地蔵尊】









【庫裏・大玄関】


昭和55年(1980)に建立されたもの。


【瑞心の庭】



【本堂】


昭和28年(1948)に再建されたものですが、
鉄筋コンクリートで味気ない感じです。




嬉しい事に堂内に入ることが出来ました。

修行の場だけあって簡素な内陣です。

ここで座禅が組めそうですね。


【御本尊】




渋い色合いの釈迦三尊像が祀られていました。

御本尊に拝めて良かった。(^^


【開山堂】




中央に卓洲禅師、右に蘇山禅師の木像が安置されているそうです。

昭和10年(1935)に建立されたもの。

こちらには入ることが出来ません。


【鐘楼堂】


創建当時に政秀寺より移築されたもの。


【太子堂】




こちらも堂内に入れました。(^^






こちらも簡素な堂内です。


【位牌堂】


本堂と繋がっていました。


【鎮守社】


これにて参拝終了。

あと、禅堂があるようですが、
残念ながら近づくことも出来ませんでした。


御朱印は書ける人がいないということで、
いただけませんでした。

それでも参拝して良かったと思えたお寺でした。

建中寺(2017年3月25日参拝)

2017年04月26日 | 東海三十六不動尊
本日は久しぶりに名古屋市内の寺社巡りです。

今まで名古屋に行く時は新幹線か近鉄特急を使ってましたが、
今回は初めて愛車を駆って行くことにした。

そういう訳で駅からちょっと遠い建中寺や日泰寺をメインに参拝します。


自宅から名阪国道と名古屋高速を走って2時間半で建中寺に到着。

こちらは尾張徳川家所縁の本山格の寺院です。


所在地:愛知県名古屋市東区筒井1-7-57
宗派:浄土宗鎮西派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶安4年(1651)
開基:徳川光友
開山:成譽廓呑上人
札所:阿弥陀如来四十八願所、東海三十六不動尊霊場、大名古屋十二支


【縁起】
慶安3年(1650)に逝去した初代尾張藩主義直公(家康の九番目の息子)の菩提を弔い、
尾張徳川家先祖代々の菩提寺として、尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、
第二代尾張藩主徳川光友卿が、慶安4年(1651)境内地約5万坪の敷地に、
本堂をはじめとして諸堂伽藍十棟を建立し、
茨城県結城市弘経寺の成譽廓呑上人を招請して開山した。

天明5年(1785)大曽根の大火に際して、火のついた布団が本堂の屋根に巻き付き、
総門、山門を残して灰燼に帰したが、天明7年(1787)に、
尾張藩と住職の努力によって創建当時のかたちに復興完成された。

開山廊呑上人は学徳一世に高く、御所参内して常紫衣の綸旨を排した。

江戸時代は無本寺(別格本山)として、塔頭寺院と末寺を有していた。
大政奉還によって尾張藩も廃藩置県により愛知県の一部となり、
明治5年(1872)に寺格を無本寺から知恩院の末寺へと降格させて今日に至っている。

第二次大戦の名古屋空襲を免れて堂塔伽藍は江戸時代の偉容を今に留めている。


【三門】




見事な三門です。

戦国時代や第二次世界大戦の戦火をくぐり抜けたもので、
創建当時のものが残っているなんて凄いですね。

名古屋も米軍によって相当爆弾を落とされたのに。


【葵の御紋】



【御成門】




元々は5代藩主五郎太廟にあった門で、
正徳4年(1714)建立されたもので、方丈門の跡地に移築したもの。

とても気品のある門です。

ちなみに5代藩主五郎太は僅か3歳で逝去。

昔は産むのも命懸けだし、
幼少で亡くなることも珍しくありませんでした。


【本堂】


ちょっと殺風景な境内に本山クラスらしい立派な本堂があります。




天明6年(1786)に建立されたもの。


【内陣】


この日は有名企業の法要が10時から始まるようだったので、
喪服を着た方々が忙しくされていました。

10時以降にお寺に到着していれば、内陣には入れなかっただろう。


【経蔵】


内部には八角輪蔵があるそうで、
ここだけは何故か拝観料300円必要です。

本堂が無料なのが助かりますが、
経蔵が有料なのはよっぽどお寺にとって重要なのかな。

文政11年(1828)建立されたもの。


【石仏】





【開山堂】




天明6年(1786)に建立されたもの。


【不動堂】




意外と小さな不動明王が祀られていました。


【おもかる石】





【地蔵堂】





【龍巻奥ノ院春日燈籠】



【地蔵尊】





【鐘楼堂】




天明6年(1787)に建立されたもの。


【建中寺幼稚園】



【総門】


三門と反対側に門が見えたので行ってみた。




数百メートル離れた場所に渋い門を発見。

昔はこの辺りまで境内だったのだろう。
今は公園になっていました。

慶安5年(1652)に建立されたもの。


【鎮守社】



【御朱印】
 

3種類の内2種類をいただきました。

龍正院<滑河観音>(2017年3月19日参拝)

2017年04月25日 | 坂東三十三箇所霊場
今回の旅の神社仏閣巡りもいよいよラストとなりました。

当初は成田や香取に個性豊かな寺社があるなんて知らなかったし、
牛久大仏や鹿島神宮、香取神宮といった超有名寺社に近いことも、
全く知らなかった。(^^;

予想外であったとは失礼かもしれないが、
かなり楽しむことが出来た。(^^

それでもまだ参拝したかった寺社もあるので、
それは次回の楽しみにとっておく。

最後を締めくくるのは滑河観音こと龍正院というお寺です。

ここは私の大好物である茅葺屋根の伽藍があるので、
とても楽しみです。

門前に無料駐車場がありました。


所在地:千葉県成田市滑川1196
宗派:天台宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・承和5年(838)
開山:伝・慈覚大師
開基:小田将治
札所:坂東三十三箇所霊場、しもふさ七福神めぐり


【縁起】
仁明天皇の承和5年(838)慈覚大師の開山と伝えられる。

この年は時ならぬ冷害にあい穀物は実らず、
人々は飢えに横たわるものが続出する有様であった。

城主小田将治公はこの悲嘆を見聞され、金銭五穀を施し、
更に観世音を念じられて法華経の読誦をなされたところ、
結願の日に「朝日姫」と名乗る少女があらわれ、
汝の願い事かなうべしと、小田川辺に案内して忽然と姿を消した。

河中を見ると一人の老僧が船を浮かべ、衣を綱になしてひいたと思うや、
小さな観音様をすくい上げて将治公に与え、この渕より湧く水をなめよと教え去った。


そのお告げのとおりにし尊像を捧持し、堂宇を建てお祀りすると、
気候も回復し、五穀も実り人々は蘇生の思いをしたという。

御本尊は御丈一寸二分の十一面観世音で、
後に定朝作の一丈二尺の観音像の胎内に納められ、
通称滑河観音の名で世に知られている。


【仁王門】




これこれ、これが私の大好物です。

渋いわ~。

ずっしりとした堂々たる仁王門です。(^^

文亀年間(1501~1504)に再建された重要文化財。


【大注連縄】



【仁王像】
 


【境内】


観音霊場独特の雰囲気があります。


【本堂】




元禄年(1696)の建立されたもの。






御本尊は秘仏みたいですね。


【ぼけ封じ道祖神】



【御堂】





【毘沙門天】


しもふさ七福神めぐり札所。


【子安観音堂】





【地蔵堂】




お地蔵さんや閻魔王の前に二頭の馬。

なかなかシュールでございます。

これは一体どういう意味なのかな。(笑)


【大師堂】





【宝篋印塔】





【芭蕉句俳・夫婦松】





【鎮守社】





【仁王門】


最後に仁王門を見納め。


【御朱印】


朝8時から17時まで御朱印をいただくことが出来ます。


龍正院について書かれている幾つかのブログを見ましたが、
お寺なのに神社だと思って参拝しているブログ発見。

マジか?

お寺と神社の区別がつかないことに驚愕した。(^^;

小学生でも区別つくのに。


お寺と神社の区別のつかないのに、御朱印を収集してるとは情けない。

これだからミーハーの御朱印コレクターは馬鹿だと思われるんですよね。(溜息)


おっと、話が脱線してしまった。


これにて今回の旅も終了。

実に充実した楽しい旅であった。

また訪れたいと思う。

小御門神社(2017年3月19日参拝)

2017年04月24日 | 神社
楽しかった今回の旅も終わりに近づいてきた。

17時にレンタカーを返す必要があるので、
成田空港まで車で25分の場所にある小御門神社に向けて車を走らせる。

この神社は歴史は浅いが別格官幣社という格式のある神社なんで外せない。


所在地:千葉県成田市名古屋898
御祭神:藤原師賢公
創建:明治15年(1882)
社格:別格官幣社、別表神社


【由緒】
当社は御祭神は後醍醐天皇の側近の藤原師賢を祀る。

師賢は元弘元年(1331)後醍醐天皇の身代わりに、
比叡山で討幕の挙兵したが(元弘の変)捕えられ、
元弘2年に下総国に流され、その3か月後に32歳で歿した。

建武中興の際に太政大臣を追贈され、文貞公の諡号が与えられた。

明治10年(1877)住民により師賢を祀る神社の創建運動が起こった。
明治12年(1879)に神社創建の許可が下りて「小御門神社」の社号が決定、
明治15年(1882)に師賢の墓跡に社殿を造営し、
同年4月29日に鎮座祭が行われ、同年6月14日に別格官幣社に列格した。

後醍醐天皇の身代わりとなったことから、
「身代わりの神」として、交通安全・航空安全に御利益ありとして信仰される。


【ニ之鳥居】




とても良い雰囲気です。

ここだけで小御門神社に訪れて良かったと思うほど。

鳥居手前に無料駐車場がありました。

一之鳥居は少し離れた場所にあるようですが、
未発見でした。(^^;


【参道】


落ち着ける参道です。


【祓所】



【境内】


個人的に好きな雰囲気です。

やっぱり参拝して良かった。


【三之鳥居】



【拝殿】


透塀に囲われた中に拝殿と本殿が鎮座しています。




奥に見えるのが本殿です。


【本殿】


神門と透塀に守られて本殿が鎮座していましたが、
柵があってこれ以上中に進む事は出来ませんでした。

神聖な場所だけあってこれは致し方なし。


【桜】



【御神木】



【高床式神庫】



【御朱印】



ここは雰囲気が良くて居心地のいい神社でした。

ワット・パクナム 日本別院(2017年3月19日参拝)

2017年04月23日 | 仏閣
香取神宮から成田へ車を走らせる。

成田や茨城県にこんなに魅力的な寺社があるとは嬉しい誤算で、
宗吾霊堂や神崎寺等、他に行きたい寺社を華麗にスルーして、
ワット・パクナム日本別院という面白そうなお寺へ向かう。

名前から推測されるように、
ここは日本のお寺ではありません。

タイにある有名寺院の日本別院となります。

日本に居ながらにしてタイの寺院の雰囲気を感じれるんですから、
楽しみで仕方無かったよ。(^^




ちょっと北海道を思わせる田園の中にポツンと、
色鮮やかな建物が見えた。




あれがあのワット・パクナムかと、興奮を隠せない。

到着すると大型の無料駐車場があった。



所在地:千葉県成田市中野294−1
御本尊:釈迦如来
創建:平成10年(1998)


【縁起】
バンコクにあるワットパクナムパーシーチャロンは、
アユタヤ王朝時代の後期に建立され、タイのなかでも規模が大きな寺院です。

前僧正のプラモンコンテープニーの瞑想の教えが有名なのと、
その威光を求めた信者たちがいつも寺院を訪れております。

日本別院はアメリカやニュージーランド等、
海外にあるワットパクナムの海外寺院と同様に、
テーラワーダ仏教国でない国に住むタイ人の為に開設した寺院です。

成田市の大栄町に1998年11月30日オープンしました。
タイ国と同じ227の戒律を堅持した僧侶5名が派遣されています。
そして1999年11月14日から本格的なタイ式布薩堂(ウボソ)の建設が開始され、
2005年4月10日に完成しました。

年間の行事はバンコクにあるワットパクナムと同様、
年4回の仏陀行事以外にタイ正月の行事(ソンクラーン)や、
ワットパクナムパシーチャロンから僧正が来日しての、
僧衣贈呈式(トーカテイン)など14の行事があります。



【ウボソ】




ウボソとは日本語では布薩堂というそうです。

外観は中々美しい色使いで下品には感じませんね。

参拝した時はてっきり本堂かと思っていたけど、
HPを見たら本堂ではありませんでした。(^^;




ここから中に入ることが出来ました。(^^

中に入れるなんて嬉しいわ~。
久しぶりにワクワクしてきた。(^^










とても煌びやかな内部です。

外観と同様、派手な色ですが品があるんですよね。

タイの国王が参拝しても全く恥ずかしく無い感じがします。

見ていてとても楽しい。


【釈迦如来】






奥に進むと仏様がいらっしゃいました。

こちらは釈迦如来だということですが、
見た目はいかにもタイの仏様ですよね。

高野山で見たタイの仏様は電飾とかあって閉口したもんだけど、
ここのはそんな下品さはありません。




日本で言うところの御前立でしょうか。

釈迦如来の前は恐らくワット・パクナム所縁のプラ モンコン テープニー僧正か、
タイで有名な歴史的な名僧なんでしょう。




どこの国でも縁の下の力持ちがいますね。(笑)


【肖像画】


 

恐らくタイのワチラロンコン皇太子殿下(現国王)夫妻かな。


 

プミポン前国王夫妻と思います。

合掌。


とりあえず内部の参拝を終えて外に。


【ウボソ】


ここが正面なのかな。


【ヤック】
 

元はインド神話の鬼神で、日本でいうと金剛力士ですね。


【ウボソ】






グルっと一周回って撮りまくったった。(^^


【本堂】


どうやらこちらが本堂のようです。




嬉しいことにこちらも中に入れました。(^^








釈迦如来と僧侶が祀られていましたが、
僧侶の像は威厳のあるお顔をされていました。




手前には涅槃仏等が祀られていました。

一体一体に賽銭箱もありました。(笑)


【手水舎】



【鐘楼】



あとサーラーと呼ばれる大食堂・休憩所や僧侶宿泊棟がありましたが、
これ以上は中に入れませんでした。

これにて参拝終了。

参拝していて非常に楽しかったし、
タイの寺院に行きたくなりました。(^^

分かり切ったことだけど、
御朱印はありません。(笑)

香取神宮(2017年3月19日参拝)

2017年04月22日 | 一宮
鹿島神宮から同じく一宮である香取神宮へ。

本当なら鹿島神宮近くの護国院や潮来市にある長勝寺や、
奈良薬師寺の東関東別院である潮音寺に参拝したかったが、
時間が足りなくなってきたので残念ながら回避。(泣)

板橋不動尊で時間を無駄にしてしまい、
予想以上に板橋不動尊界隈にいたのが悔やまれる。

そんな気持ちを引きづりながら香取神宮へ向かう。

鹿島神宮から香取神宮まで約18キロの距離で、
一宮が意外と近かった。(^^


所在地:千葉県香取市香取1697
御祭神:経津主大神
創建:(伝)初代神武天皇18年
社格:式内社、下総国一宮、官幣大社、勅祭社、別表神社


【由緒】
香取神宮は下総国一宮であり、日本全国に約400社ある香取神社の総本社。  

平安時代に成立した延喜式によると、江戸時代以前から神宮と称されていたのは、
伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけで、創建は神武天皇18年(紀元前643)と、
神代の時代まで遡る古い歴史のある神社です。

また宮中の四方拝で遥拝される一社である。

古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、
また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。

その神威は中世から武家の世となって以後も続き、
歴代の武家政権からは武神として崇敬された。

現在も武道分野からの信仰が篤い神社である。


【大鳥居】


こちらもさすがに人気のある神社だけあって、
大型駐車場もいっぱいでしたが、何とか停めれました。

駐車場代が無料だったので嬉しかったね。(^^




香取神宮は西島秀俊や井川遥出演の「流星ワゴン」という、
私が好きなドラマのロケ地なんで、参拝するのが楽しみです。


【狛犬】



【神池】



【諏訪神社】



【鳥居】



【総門】




西島秀俊や井川遥がここで話をしていた9話のロケ地です。

この総門の下を通る時に二人がお辞儀していたのが、
とても微笑ましかったです。


【木母杉】
 

徳川光圀公が名付けたそうです。


【馬場殿神社・天降神社・市神社】



【楼門】




鹿島神宮に劣らない見事な楼門です。

元禄13年(1700)に建立された重要文化財。




ここも西島秀俊や井川遥と共に楼門が映っていました。

参拝した時はロケ地の回廊をゆっくり見て回るのを忘れていた。(^^;


【狛犬】



【拝殿】




めちゃくちゃカッコいい。

見た瞬間感動したわ。(^^

これだけ男らしくカッコいい拝殿は、
日本全国の拝殿の中でも最高峰と言っても過言ではない。






本当にカッコいいよね。

完全に武家の為の拝殿ですね。

素晴らしい。


【本殿】




元禄13年(1700)に建立された重要文化財。


【さし石】





【御神木】



【大正天皇御手植松】
 


【練習艦かとりの錨】
 


【神饌所】



【三本杉】







【匝瑳神社】





【本殿】




はぁ~惚れ惚れとする凛々しい美しさ。

どこからみても完璧です。

ちなみに流星ワゴンでも後ろから本殿が映っていました。


【宝庫】



【桜太刀自神社】



【鹿島新宮社】



【参道】


帰りの参道。

流星ワゴンでも参道でのシーンがありますが、
参道は武蔵国一宮氷川神社のものだったそうです。


【護国神社】


参道脇の道を少し登って行きます。





【押手神社】



【要石】




この石からはパワーストーンのようなモノは感じませんでしたね。


【御朱印】



とにかく拝殿のカッコ良さに感動した。

どれだけ見ても飽きない自信あるわ。(^^

関西では見ないタイプの拝殿で、
まさに関東武士の強さを感じましたね。


あと、奥宮や境外摂社の側高神社を見逃していたので、
次回の参拝の宿題とさせていただきます。

鹿島神宮(2017年3月19日参拝)

2017年04月21日 | 一宮


長閑な風景を見ながら鹿島神宮へ向かう。

この鹿島神宮は全国でも名が知られた有名な神社で一宮。

しかも私が敬愛する春日大社の御祭神である武甕槌大神は、
藤原永手が勧請したもの。

大阪の枚岡神社と同じく元春日といえる神社です。

ここと意外にも知られていない元春日である香取神宮は、
今回の旅で絶対に外せない憧れの神社でございます。

早く到着したくて51号線をついつい飛ばしてしまう。(^^;

鹿島神宮に近い北浦にかかる神宮橋を走っていると、
水上に大きな鳥居が見えた。

写真は撮れなかったが、あれが一之鳥居で、
水上の鳥居としては日本一大きい鳥居だそうです。

参拝後に近くに行く予定であったが、
香取神宮を参拝する時間を多く取りたかったので回避。

いつの日になるか分からないが次回は是非近くで見たいと思う。



所在地:茨城県鹿嶋市宮中2306-1
御祭神:武甕槌大神
創建:(伝)初代神武天皇元年
社格:式内社、常陸国一宮、官幣大社、勅祭社、別表神社


【由緒】
鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。

神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、
武甕槌大神の韴霊剣の神威により救われました。

この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神を、
この地に勅祭されたと伝えられています。

その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、
やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、
また奉幣使が頻繁に派遣されました。

さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。
中世~近世になると、源頼朝、徳川家康等、
武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。

現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、
楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、
いずれも重要文化財に指定されています。


【大鳥居】


いよいよ到着しました。

さすがに人気の神社だけあって駐車場探しに苦労する。

しかし、何とか有料駐車場(500円)を見つけて参拝開始。

この鳥居は平成26年(2014年)再建されたものですが、
以前の鳥居は東日本大震災により倒壊したそうです。

東日本大震災は茨城県でも甚大な被害が出ていたんですね。


【稲荷社】





【楼門】


寛永11年(1634)水戸徳川初代藩主頼房公により建立されたもの。

重要文化財。


【拝殿】


渋い拝殿です。

元和5年(1619)徳川二代将軍秀忠公が寄進したもの。

重要文化財。


それにしてもお参りするのに一列になって並ぶのは止めませんか?

もっと横に4列ぐらいで参拝すれば、
スムーズに参拝出来るのに。


【宝物館】


国宝や重文の太刀が見れるとあって拝観しました。

刀が好きな方は拝観しましょう。(^^


【本殿】


こちらも元和5年(1619)徳川二代将軍秀忠公が寄進したもの。

重要文化財。


【高房社】




摂社。

建葉槌神が御祭神です。


【仮殿】




元和4年(1617)社殿造営の為に徳川2代将軍秀忠公が建立したもの。


【神庫】



【奥参道】


ここは春日大社の参道の雰囲気に似てました。(^^

毎年5月1日には流鏑馬神事が行われるそうです。


【鹿園】


やっぱり鹿がいないとね。(^^

でも放し飼いではありませんでしたね。


【熱田社】


御祭神 素盞鳴尊・稲田姫命

明治以前は七夕社と呼ばれていたそうです。


【奥宮】




広い境内ですから、かなり遠いのかと覚悟してたけど、
本殿から約300メートルぐらいの距離に鎮座していたので助かった。(^^;

奥宮は慶長10年(1605)に徳川家康公が、関ヶ原戦勝の御礼として、
現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、
その14年後に新たな社殿を建てるにあたり現在地に遷してきたもの。


【御手洗池】




昔は参拝する前にこの池で禊をしたそうです。




エサやりが多いのか結構肥えてる鯉が多かったです。(笑)


【大黒社】



【御朱印】


御朱印は二種類ありました。


とても雰囲気の良い神社であった。

一之鳥居や要石等が見逃しているので、
いつの日かまた訪れたいですね。


一つ疑問なのが、何故春日大社の御祭神は、
鹿島神宮より勧請されたのであろうか。

古代のこの茨城県の地に凄い豪族とか居たのだろうか。

そもそもそんなに当時は人が住んでいなかったと思うし。

普通に考えたら大和国から常陸国という流れなら、
しっくりくるんだけどね。

その辺りの事を知ってる方がいたら教えてください。

安穏寺(2017年3月19日参拝)

2017年04月20日 | 茨城百八地蔵尊霊場
大杉神社の真横にあるお寺が安穏寺。

全く地味な境内で無住のようなお寺ですが、
江戸時代にはあの天海僧正が住職をしていたようで、
昔は凄かった系らしい。


所在地:茨城県稲敷市阿波961-1
宗派:天台宗
御本尊:延命地蔵尊
創建:延暦24年(805)
開山:快賢上人
札所:茨城百八地蔵尊霊場


【石段】



【境内】


大杉神社とは何の塀もありません。

左側は民家が数軒あり、この中に御住職の自宅があるそうです。

参拝した時は完全に無住だと思っていたし、
至って普通の民家なんで、知っていてもピンポンを押してまで、
御朱印はお願いしてないです。


【本堂】






実に殺風景な風景ですが、
桜が咲くとさすがに華やかになるそうです。


【内陣】


予想外でしたが内陣は見れました。(^^

御本尊は秘仏なんでしょうか。

宮殿の前には御前立、左右には不動明王、観音様等が祀られていました。


【彫刻】



【石仏】





【高僧像】




快賢上人か天海僧正でしょうか。


【半跏思惟像】





【壁画】




裏手の壁には最澄や地蔵尊が描かれていました。

良いこと思いついた。

落書きや飼い犬のオシッコに悩まされている方は、
壁にこういうのを描いていれば問題解決するんじゃないかな。

よく電柱や壁に鳥居を書いたら被害が減ったって聞くじゃない。

安穏寺のような壁画だったらきっと効果テキメンですよ。

我が家の近くは犬の散歩コースになっていて、
道路に犬のフンをそのまま放置プレーしている飼い主が多くて腹が立つ。

そいつの家まで追跡して玄関にフンを投げつけてやりたいですわ。

フンを始末出来なければ飼う資格無し。

愛犬のフンを始末出来ない飼い主は糞以下です。

おっと話が脱線してしまった。


御朱印ですが、先に記載したように、
本堂横の民家でピンポン押す必要があります。

しかも、この家が御住職の家だと分からないので、
カンを頼りにピンポン押す勇気も必要です。

結構ハードル高いよ~。(^^;

大杉神社(2017年3月19日参拝)

2017年04月19日 | 神社
牛久大仏の次は近くにある観音寺に行こうと思ったが、
住所をナビに入力しても何故かヒットしない。

事前に調べても代表の電話番号無し。

車のナビがヘボなのか、市町村合併で住所が変わったのか、
知らないけど結局観音寺に行く事叶わず。(泣)

成田や茨城県の神社仏閣はナビが反応しないのが、
結構あって苦労する。(^^;

仕方ないので次の参拝地である大杉神社へ。

ここはナビが反応してくれました。(^^

大杉神社のは関東や東北に約670社を数える総本社とか。

関西では確かに大杉神社ってあんまり無いような気がする。


所在地:茨城県稲敷市阿波958
御祭神:倭大物主櫛甕玉命
配祀神:大己貴命、少彦名命
創建:神護景雲元年(767)
社格:郷社、別表神社
札所:茨城十二社


【由緒】
僧勝道が下野国日光への道中、当地を訪れ巨杉を神籬として、
三輪明神(大神神社)を鎮斎し、人々を数々の奇跡で救済したことから、
悪魔ばらえのあんばさまと信仰されるようになったとある。

後に神霊が巨杉に宿ることから大杉神社と称されるようになりましたが、
多くの人々は愛着を込めてアンバ様と称するようになりました。

アンバ神は房総半島北部域から茨城県東南部一帯を支配していた
ウナカミの王のを祀る日の神様であり、霞ヶ浦・利根川流域・印旛沼・手賀沼・
小貝川流域・鬼怒川下流域・牛久保を包含して余りある常総内海の守り神。

安永7年(1778年)神木の太郎杉が焼失、
寛政10年(1798年)には火災により社寺が焼失し、その後再建。

明治維新後、神仏分離により安穏寺を廃して社務所にした。

現在は生活万般の厄難を消除する御利益から、厄除・八方除、星除、
空亡除(天中殺、大殺界除)の神様として、
多くの方々の祈祷が毎日のように行われております。


【第一鳥居】


神社は意外と交通量の多い道路沿いに鎮座。

15台分ほどの無料駐車場がありました。


【ねがい天狗】


一瞬コレは一体何なのか分からなかった。

変なオブジェだなと思っていると天狗と分かった。

別当寺である安穏寺の住職であって天海僧正が絡んでるから、
天狗なのかな。


【第二鳥居】





【旧護摩堂】




神仏習合の名残りですね。


【鐘楼堂】




鐘楼はありませんでした。

どこさいっちまっただ。(^^;


【斎館】



【神門】


いきなり神門からして派手です。


【狛犬】



【拝殿】






美しい。

極彩色に彩られた拝殿です。

関東には極彩色の拝殿は幾つもあると思うけど、
大杉神社のものは関東屈指ではないでしょうか。

それにしても極彩色って派手な色使いだけど、
下品に感じないのが不思議だよなぁ。


【本殿・透塀】




横から透塀や本殿を見てもこれまた美しい。


【麒麟門】




何と言う豪華で美しい門なんでしょう。

これほどのモノが茨城県で見れるとは夢にも思わなかったよ。
正直すまんかった。


約280年ぶりとなる平成22年(2010)に再建されたもの。


【彫刻】





【神輿庫】







【矢場】




こういうアトラクションもあります。


【神楽殿】



【かわらけ割り】


悪縁切りでかわらけを割り、桃を撫でると良いらしい。

神社にとって桃は神聖なモノであるのはご存知の通り。


【境内社】







【三郎杉】





【水占石】





【御神庫】



【毘沙門天】


あんば七福神の一つ。


【葦船神社】


本殿裏手に鎮座。

ここにも駐車場がありました。




数え7歳にいたらずにこの世を去ってしまった子らを祭ったのが葦船社で、
江戸時代には多くの参拝があったそうだが、いつしか廃絶。

これは近年葦船神社として再建されたもの。

そういや、神社で水子関係の社があるのは珍しいな。


【あんば七福神】



【鳥居】





【相生神社】






こ、これは?

まさか茨城県で見れるとは。(笑)

こういうのは愛知県のお任せを。(^^;


【境内社】





【勝馬神社】






美浦トレセンが近いだけあって、
大杉神社の神事では岡部元ジョッキーも参加されていました。




これだけの蹄鉄があるということは、
それだけ厩舎関係者が参拝していることなんだろうね。




本殿。


【最勝稲荷神社】






これも美しい。

これほど美しい稲荷神社は滅多にありません。


【狛狐】



【三社鳥居】



【御朱印】



華麗かつ荘厳な社殿は見事。

わざわざここまで訪れた甲斐のある神社でした。

牛久大仏<東本願寺本廟>(2017年3月19日参拝)

2017年04月18日 | 仏閣
今回の旅で牛久大仏に参拝することになった。

今までは茨城県の牛久まで遠いなと漠然に思っていて、
参拝することはよっぽどの事が無いと無理だろうと諦めていた。

しかし、成田空港から車で高速に乗れば僅か30数分で到着する距離。

成田空港って意外にも茨城県に近かったのね。(^^;

これはもう参拝するしかないっしょ。(^^


所在地:茨城県牛久市久野町2083
宗派:浄土真宗東本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:平成元年(1989)
開基:興如上人



【牛久大仏】


めちゃくちゃ大きい墓地をグルーっと回りながら、
大型無料駐車場に到着。

日曜とあってか結構な混雑。

客層を見ると観光客やファミリーが多いなという印象。






やっぱりでかいわ。(^^


さぁ、早速参拝開始。

遊園地のような拝観入口で800円を支払って入場。

大仏胎内にはいらなければ拝観料は500円です。


【發遣門】


これは反対側から見た門で、
二階部分には釈迦三尊像が祀られていました。


【親鸞聖人像・鐘楼】



【牛久大仏】


デカい!デカ過ぎる!

実際に見ると圧倒されちゃいますね。






これだけデカいと逆に胡散臭くなるもんですが、
この大仏さんからは威厳を感じました。

新興宗教なら尚更ですが、
威厳を感じるのは東本願寺だからなのかな。


【大香炉】



【横超の橋】



【牛久大仏】




裏手に回って胎内に潜入。


【胎内】


エレベーターの中のような真っ暗な部屋に入って、
暫くナレーションを聴いた後、明るくなって先に進みます。

するとこんな光の世界が待っています。






階段で2階に登ると大仏さんの写真パネルや、
原寸大の模型が置いてある部屋がありました。




5階までエレベーターで昇ると、
85メートルの展望台の隙間から四方の景色が見れます。

隙間が狭くて見え難いったりゃありゃしない。(^^;

また仏舎利が安置されていましたね。


階段で4階に降りると売店。

3階は約3,400体の胎内仏が祀られていて、
金色の世界が圧巻でした。

ここは写真を撮っていません。


3階部分でも御朱印がいただけるようでしたが、
この時は職員さんが御不在でいただけませんでした。




2階部分は写経空間や念仏の間がありました。

これにて胎内見学終了。
正直ガッカリ感はありました。

1回入ったらもういいかな、という感じ。(^^;

牛久大仏って大規模霊園の中に大きな大仏があるテーマパークといった感じで、
浄土真宗系にある阿弥陀堂や御影堂等の伽藍が無いので、
よくあるお寺という感じはしませんでした。

これがもし大仏さんが安っぽくて胡散臭く感じたのなら、
牛久大仏は廃れていく一方だと思うが、
あの威厳のある大仏さんに救われているね。

牛久大仏は何度でも見たいのは確かです。

それにしても東本願寺は何故この牛久の地に、
巨額の費用を使ってまで大仏を造ろうと思ったのだろう。

茨城県は親鸞聖人所縁の地なので、
新たに巨大な伽藍を擁した本山クラスのお寺を作ってもいいのに。


【本願荘厳の庭】


大仏さんの足元にあるお庭。

鯉のエサやりが出来ました。


【御朱印】


拝観入口横と大仏胎内の二カ所で、
本願寺派では珍しく御朱印をいただけます。

しかも四種類。(笑)

ここは教義を発展維持するお寺というより、
家族の皆が楽しめるテーマパーク&墓地という位置づけだからこそ、
御朱印を授与しているのであろう。

千勝神社(2017年3月19日参拝)

2017年04月17日 | 神社
板橋不動尊から約15分もかからない牛久沼近くに鎮座するのが、
千勝神社という神社。

事前チェックでは完全に漏れていたのですが、
偶然にも大きな看板を見て参拝しようとした次第。

看板てのはやっぱり大事ですね~。(^^


所在地:茨城県つくば市泊崎173
御祭神:猿田彦大神
創建:武烈天皇4年(502)


【由緒】


当神社は第二十五代武烈天皇の壬午の歳(502)に、
筑波山の西方、常陸と下総の国境に大神様を奉斎されたと伝えられております。

社伝によるとその土地の人々が、度重なる水害に困り果てていたところ、
大きな白鳥に乗られた大神様がご降臨され、治水して下さいましたので、
農作物も豊かに実り、平安を取り戻す事が出来た、とございます。

その時より奉斎されましたが、国境の改修等により、幾度か鎮座地も移され、
応永32年(1426)に現在の茨城県下妻市坂井の地に奉斎され、
以来今日に至るまで、遠近より大神様の御神徳を仰ぐ崇敬者が絶えません。


【風景】


大きな無料駐車場前から撮影。

なんという長閑で平和なんでしょう。(笑)


【鳥居】




木造で実に立派な鳥居です。


【参道】



【拝殿】




こんな田舎、いやもとい、長閑な場所によくぞ、
これほどの神社を維持しているなと思う。

よっぽど御利益があるのかな。


【桜】



【狛犬】



【龍神社・稲荷社】


末社。


【山根彦神本殿】


摂社。


【祖霊浄魂社・参集殿】




参集殿の奥に見えるのが摂社の祖霊浄魂社です。


【御朱印帳】


オリジナル御朱印帳がありました。


【御朱印】


対応していただいた巫女さんが凄く礼儀正しくて、
とても素晴らしかったです。

私は今まで数多くの神社に参拝し、
巫女さんを見てきましたが、今までで一番です。

ちゃんと教育されているのは勿論のことですが、
本人の性格や努力の賜物なんでしょう。

私は彼女に感動しました。

彼女に逢っただけで千勝神社に参拝した甲斐がありましたよ。(^^

永寿院(2017年3月19日参拝)

2017年04月17日 | 仏閣
板橋不動尊近くを時間潰しでブラブラ。

基本的に農家が多い。

家を見てみると土地がやたらと広い。

母屋があってもう一つ家があるのが普通で、
車も2,3台持っているばかり。

茨城県の農家は金持ちばかりなのかな。(笑)

2013年度の調べでは一住宅当たりの敷地面積が、
全国で一番広いのが茨城県。

それに意外にも県民所得が全国8位で、
土地が安いので広い土地に住めるようです。

そんな家を見ながら歩いているとお寺発見。

参拝するしか無いでしょ。


所在地:茨城県つくばみらい市板橋1908-イ
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:不明


【山門】


大きな墓地がある檀家寺ですが、
なかなか立派な山門です。


【本堂】




奥様に堂内に入れていただいて、
拝むことが出来ました。

凄く嬉しい配慮感謝です。(^^

念の為に御朱印の有無を確認しましたが、
御朱印は無いとのことです。