Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

鳥辺山妙見堂<智積院>(2016年7月10日参拝)

2016年07月31日 | 仏閣
鳥辺山墓地界隈のお寺は4つあって、
一番清水寺に近いお寺が鳥辺山妙見堂というお寺です。

それにしても無数の墓石があって頭がクラクラする。
さすがこの地が葬送の地で、無数の魂が眠っているだけある。

それに坂があってしんどいし、広大な墓地なんで、
自分とこの墓石を探すのも大変そう。(^^;

私は毎週一回は墓参りしてるけど、
自宅から車で10分もかからない近距離にあるし、
そんなに広く無いので楽なんですよね。

先祖代々の墓がある人は無理だけど、
新しく墓石を建てる人は自宅から近くて、
広くない霊園にした方がいいですよ。


所在地:京都府京都市東山区清水4-151
宗派:日蓮宗
御本尊:妙見大菩薩
創建:不明
開山:不明


【石鳥居】



【鳥居】


鳥居が二つあるのは日蓮宗らしいね。


【狛犬】


備前焼の狛犬に高まった。(^^


【本堂】


一重裳階が印象的な本堂です。




内陣。


【狛犬】



【御堂】


詳細不明。


【鎮守社】


白高龍王・白光龍王と大地主龍王。


【秋山自雲神霊】




あ、痔の神様や。


【十三石塔】



【絵馬堂】



【風景】


ここから清水寺は見ることは出来ませんでした。


【常冨大善神】





【御首題】


お代は受け取られませんでした。


あと、このお寺には数匹の野良猫がいましたね。

これがまぁ、目付きの悪い猫ばかり。(苦笑)
全然なつかないし。

どうやらこちらで世話をしているようで、
猫の墓もありました。

動物の霊は怖いので撮影はしてませんけど。(^^;

本壽寺(2016年7月10日参拝)

2016年07月30日 | 仏閣
大谷本廟の大きな鳥辺山墓地の道を清水寺方面へ進む。

こんな墓地の道は歩きたく無いけど、
そこにお寺があるから仕方ない。(^^;


ほどなく日蓮宗の本壽寺というお寺に到着。

こちらには日親上人の廟所があるそうです。


所在地:京都府京都市東山区五条橋東6-520
宗派:日蓮宗
御本尊:曼荼羅、日蓮聖人
創建:康正2年(1456)
開山:日親上人


【縁起】
本壽寺は縁起が焼失し不明。
康正2年(1456)日親上人が本法寺の墓守寺として、
開山したのが始まりと伝えられています。

本法寺は永享8年(1436)日親上人が本阿弥清信の帰依を得て、
東洞院綾小路に創建。

日親上人は度々投獄されたこともあり、
寛政3年(1463)に本法寺は破却されました。

歌舞伎に縁の深い寺でもあり鳥辺山心中の舞台であり、
宗門中興日親大聖人御廟所を現在も守っている。


【山門】


この門構えを見るとお寺の格式の高さを感じますね。


【境内】


山門の雰囲気と違って境内はいたって殺風景。

緑は多くてもそう感じるのが日蓮宗のお寺特有ですね。


【瑞雲松】





【本堂】


本堂が開いていないのは織り込み済み。

だいたい檀家にしか解放しないからね。


【日親大聖人御廟所】





【石碑】


これはあの加藤清正公で間違いないでしょう。

これが何であるか、何でここにあるかは知らないけど。


【日習聖人舎利塔】


一般の墓の入口にあったもんだから、
撮影するのに苦労した。


【開山堂】



御首題は去年まで書置きを授与されていたのに、
「ウチはやっていません。」と言われました。(^^;

通妙寺(2016年7月10日参拝)

2016年07月30日 | 仏閣
實報寺から歩いて数分で同じく日蓮宗の通妙寺に到着。

ここも檀家寺といった風情のお寺ですね。


所在地:京都府京都市東山区五条橋東6-518
宗派:日蓮宗
御本尊:三宝尊
創建:不明
開山:不明


【縁起】
鳥辺山にある日蓮宗の寺。
縁起焼失の為創建の由緒は不明。

明暦年間(1655~1657)江戸柴又の帝釈天王が勧請され、
鳥辺山帝釈天王を祀っている。

大谷墓地北側には鳥辺山妙見大菩薩を祀る妙見堂が建っている。
鳥辺山の妙見さんとして親しまれ、
江戸時代から通妙寺が管理する別所となっている。


【山門】



【本堂】



【帝釈天堂】





【御首題】


対応していただいた御住職も高齢でした。
長生きしてくだされ。(^^

實報寺(2016年7月10日参拝)

2016年07月29日 | 仏閣
東山五条の交差点から大谷本廟の大きな鳥辺山墓地に続く道には、
日蓮宗の寺院が4つほどあります。

この道は一回通ったことがありますが、
本当に凄い数の墓石があった。

あんまり通りたく無い道ではあるが、
前回はこれらのお寺を完全スルーしていたので、
またまた墓地ロードを歩くことになりました。(^^;

勿論、一般人の墓地は撮影しないのがマイルールですので、
鳥辺山墓地の写真はありません。



所在地:京都府京都市東山区五条橋東6-588
宗派:日蓮本宗
御本尊:曼荼羅
創建:南北朝時代
開山:日尊上人


【縁起】
鳥辺山の入り口に建つ日蓮本宗の寺である。
南北朝時代、東山二条にある本山要法寺の開祖日尊の菩提所として創建。

境内には日尊が生前に建立した4メートルの題目笠塔婆が立ち、
日尊本廟と日目上人の正墓がある。

墓地には近松門左衛門の浄瑠璃近頃河原達引のモデルとなった
お俊・伝兵衛、江戸時代の箏曲家 生田検校の墓がある。

富士門流八本山・日尊門流の祖山である京都・要法寺の末寺。



【寺号標】


中に入ると大きな墓地。

10台分ほどの無料駐車場もありました。


【山門】


大きな墓地をグルッと回っていきます。
ここは観光寺ではありません。


【本堂】


檀家寺なんで本堂は解放されていません。

堂内では法要をされているようでした。


【前庭】





【題目塔】


墓地の奥にある開山本廟には行きませんでした。

これから大谷本廟の無数の墓石を見るので、
あんまり墓地には寄りたく無い。(^^;


御首題はいただけますが、法要中でしたので諦めました。

日限地蔵安祥院(2016年7月10日参拝)

2016年07月28日 | 仏閣
暑い、暑過ぎる。
まだ午前中なのに汗だく。(泣)

参拝にはつらい季節がやってきました。


続いて木食寺とも呼ばれる安祥院へ。


所在地:京都府京都市東山区五条通東大路東入遊行前町560
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天慶5年(942)
開山:尊意僧正
再興:養阿上人
札所:洛陽六阿弥陀めぐり、京の通称寺霊場


【縁起】
安祥院は天慶5年(942)朱雀天皇の勅願によって、
天台座主尊意僧正が乙訓郡大藪郷に創建した大薮山仁王護国院という
天台宗寺院が始まりといわれています。

平安時代から江戸時代まで荒廃と復興を繰り返した後、
享保10年(1725)に木食僧の養阿上人によって再興されました。

現在は阿弥陀如来をご本尊とする浄土宗の寺院です。

地蔵堂には養阿上人が享保15年(1730)に霊元天皇らの寄進を受けて造った
2.6メートルにもおよぶ金銅製半跏像の地蔵尊が安置されています。

このお地蔵様は日数を決めて(限って)願い事をすれば、
必ずその願いが叶えられるとする信仰から日限地蔵尊と呼ばれています。

無病息災、家運隆盛、諸願成就を得ることができるという、
洛陽六阿弥陀巡拝の札所であることから、
彼岸と毎月の功徳日には本堂の阿弥陀如来が御開帳される。


【山門】


なかなか良い門構えです。


【大提灯】


これがあると観音霊場のように感じますね。


【境内】


境内は決して広くはありませんが緑豊かです。


【本堂】


本堂は開いてなくて御本尊を拝めませんでしたが、
彼岸と毎月の功徳日は御開帳される。

これは嬉しい配慮ですね。(^^


【地蔵堂】



【養阿自筆大日三尊光明真言碑】



【佃橋桁石】



【不動明王】




休憩所の所にお不動さんが祀られていました。


【豊川荼枳尼天】







【鐘楼堂】



【辨財天】





【石塔】



【石仏】



【御朱印】


上人がお留守で書置きをいただきました。

清水寺 経書堂~西光寺<空也寺>(2016年7月10日参拝)

2016年07月27日 | 仏閣
続きまして清水寺の塔頭寺院である経書堂へ。

経書堂といってもピンとこないかも知れませんが、
清水寺を訪れた人は必ず見ている塔頭です。

三年坂上がってすぐにあり、
こちらには聖徳太子が祀られています。

正式名は来迎院です。


<清水寺 経書堂>
所在地:京都府京都市東山区清水2-223
宗派:北法相宗
御本尊:聖徳太子
創建:不明


【本堂】


さすがに修学旅行生や中国人が多かったです。




普段は秘仏のようです。


【重軽石】



ネットで調べてみると御朱印があるようなんで、
ピンポンを押して確認してみると、やっていないとのこと。

去年まではやっていたのに。
御朱印ブームで対応が嫌になったのかな。



<西光寺>
所在地:京都府京都市東山区清水4-161
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:空也上人
開山:不明


【寺号標】


清水寺とは反対側に松原通りを降りていくとお寺はあります。

山門はありません。


【卍地蔵尊】



【庫裏】


境内は20台ぐらいの月極駐車場になっていました。

本堂らしき建物は奥にあるようで見当たらず。


【空也上人遊行之碑】



【空也上人廟】





【石塔】



御朱印は恐らく無いと思われます。

大漸寺(2016年7月10日参拝)

2016年07月26日 | 仏閣
今週も京都に出陣。
何回訪れても飽きないのが京都の奥深さ。

高台寺駐車場に車を停めて東山界隈を巡ります。




まずは定番の一枚をパシャリ。


【二年坂】




さすがに朝9時だと空いていました。(^^


【八坂の塔】


今日はお休みで拝観は出来ませんでした。




京都の顔の一つですよね。(^^



所在地:京都府京都市東山区清水四丁目156
宗派:日蓮宗
御本尊:釈迦如来・日蓮聖人
創建:元禄15年(1702)、寛保2年(1742)
開基:大漸院日琢上人
開山:宝林院日逢上人



【縁起】


当山、大漸寺は寶林院日逢上人によって、
寛保2年(1742)3月24日に開創されたものであるが、
その基は日逢上人が大漸院日啄上人に師事されていた、
元禄15年(1702)にあるとしるされている。

日逢上人は中山の法華経寺(千葉県)の大験者で、
時の天皇から祈祷所の真筆の額を下賜されている。

ここより南の松原通(清水道)に面したところには、
日逢上人が建てた鬼子母神堂が昭和20年代まであり、
大きな提灯が幾つもぶら下がり、お線香が絶えなかったと伝えられている。
 
鬼子母神様には柘榴をお供えする習わしがあり、
その為、ここより東側(現在清水小学校の校庭)の昔、
なだらかだった丘には数本の柘榴の木が植えられていたことから、
いつしか柘榴寺と称されるようになった。


【寺号標】


清水寺へと続く松原通りを歩いている発見。

意識していないと気付かない細い路地の向こう側に八坂の搭が見えます。
電柱と電線が邪魔ですよね。

大漸寺はこの先にあります。


【全景】


小さいお寺で駐車場もありません。


【霊山橋】




お寺と墓地を繋ぐこの橋を霊山橋といい、
コンクリート橋としては日本でも最古の部類に入るそうです。

お寺側から一歩ずつ妙法蓮華経を唱えて渡ると、
そこにあるのが墓地。

まだまだ彼岸に渡る訳にはいかないので、
速攻で戻ったのは言うまでもない。(^^;


【山門】



【八坂の搭】



【本堂】


本堂へお参りする為にピンポン。

上人は土日は法務でお忙しいらしく奥様が出てこられた。


【内陣】




快く内陣拝観をさせていただきました。

このような小さなお寺は内陣拝観してこそです。(^^

撮影はOKでした。


【日蓮聖人】




奥様に聞いてみると両方とも日蓮聖人だとか。

二体並んで祀られているなんて珍しいですよね。

向かって左側は千葉県の法華経寺から移されたもので、
紫とオレンジの服装を着せているのが関東風らしい。


【大黒天・加藤清正公】


真ん中が大黒天、向かって左が清正公、右が開山上人。


【鬼子母神】


厨子には鬼子母神が祀られていました。

左右の小さな仏様は三十番神のように見えましたが、
奥様はご存知ではありませんでした。


【天井】


天井を見ると綺麗な天井が見えた。






絵かと思ったら西陣織の帯で奉納されたものだそうです。

一つ一つとても美しいものでした。
女性は特に必見です。


【御首題】


上人がお留守でしたので熊本復興記念の御首題だけいただきました。

基本的に書置きですが、希望すれば御朱印帳に書いてくれるそうです。
この御首題を始められてから参拝者が増えたそうです。

六道珍皇寺や勝林寺は限定御朱印を連発して、
御朱印目当ての人達で賑わってますから、
こちらも限定でいろいろ出す予定ありませんか、と私が冗談(←ここ強調)で言うと、
金泥は書きづらいし筆の手入れが大変、
しかもそんなに時間が取れないということで、
今後は考えておられないようでした。


書置きの場合は名前を書かれます。

これは以前、一人で4枚とか6枚も御首題を買った人達がいて、
その後、ヤフオクに出品されているのを見て名前を書くようになったようです。

全く残念というかアホな連中の頭の中はどうなっているんでしょうね。(萎)
そんな事をしたら自分の徳を失っていることに気付かないのでしょうか。

買う人も買う人でどうかしてる。
御朱印や御首題は参拝か写経をお納めしていただくもんでしょうが。

売る方も買う方も非常に残念な行為なんで、
売買、ダメ、絶対でお願いしたいですね。


いろいろお話に付き合っていただいた奥様には感謝します。

安養寺<倒蓮華寺>(2016年7月3日参拝)

2016年07月25日 | 仏閣


今日は親が行きたいということで錦市場へ。

西利の漬物やら鱧やら沖縄のもずく等いろいろ購入。(^^

とはいえ、錦は全体的に高めの値段設定やね。

突き当りの錦天満宮をサクッと参拝後、
前回参拝し忘れた安養寺へ。


所在地:京都府京都市中京区新京極蛸薬師下ル東側町511
宗派:浄土宗西山禅林寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛仁2年 (1018)
開基:恵心僧都
開山:安養尼
札所:洛陽六阿弥陀めぐり、京都 新京極 御朱印めぐり


【縁起】



【山門】


ドラッグストアの対面、公衆トイレの横で、
蛸薬師の近くにお寺があるのですが、
ここは参拝する意識を強く持たないと見逃してしまいます。(^^;


【境内社】



【北向地蔵尊】



【本堂内陣】


ビルの奥に進んで階段を登ると本堂があります。

全くもってお寺には見えない感じです。

拝観はガラス戸越しに見るだけで、
残念ながら御本尊は見えませんでした。


【御朱印】


御朱印は1階の一般家庭の玄関と同じで、
お寺らしく無くてここでいいのか迷ったぐらいです。(^^;

勇気を出してピンポン押しましょう。




こちらは書置きとなります。

対応していただいたお母さんがとても良い人でした。(^^

七寶寺 其の二(2016年6月26日参拝)

2016年07月24日 | 仏閣
諸堂を巡った後は大仏や石仏巡りです。


【水不動明王】



【薬慈観音】



【馬頭観世音菩薩】





【三十番神】




一体幾らするんだろう?

もうここまで石仏が多いと御利益よりも、
お金が気になって仕方がない。(^^;


【地制観音】


ここでまた大型の観音さん登場。

地制観音て名前は初めて知りました。


【極輪観音】


正座してお皿に何やら団子みたいなのが乗ってました。(^^;

そういや仏像で正座しているのも初めて見たなぁ。


【羅漢】



【五重塔】


これが五重塔かぁ。
って横のトーテムポールは一体何~?(苦笑)

これは要らんやろ。(^^;




しかし、これほど安っぽい五重塔は見た事が無い。(^^;

平成18年(2006)建立されたもの。


雨が酷くなってきた。


【フクロウ】


これも要らんわ~。(苦笑)


【一葉観音】



【金色十一面観音菩薩】


急な舗装道路を下って十一面観音まで戻ってきました。

これは見事な観音さんです。

燈籠の龍神の彫刻がカッコいい。


とりあえずこれで参拝終了。
またまた厳しい下りを歩いて駐車場まで戻った。

そこにあった境内案内図を見て見ると、
大仏と涅槃仏を見忘れたことに気付く。(泣)


泣きながらメッチャしんどいアスファルトの急坂を登る。

雨も豪雨だしつらい。

ハァハァを超えてゼーゼーするような坂でした。(泣)


【参道】


大仏や弁財天はこちら、という案内板を頼りに進むと、
急に整備されていない道に誘導された。(泣)


【釈迦牟尼仏宝塔】


あの参道を少し歩くと宝塔が登場。

これは普通です。


【羅漢・弁財天】



【朱橋】





【龍神】



【鎮守社】


ちょっと場違いな気がしないでもない。


【准胝観音菩薩】


またまたデカイ観音像登場。


【釈迦殿】





【石段】


ここにきてまた石段はきっつい。(泣)




石段横には五百羅漢がいました。

スゲー個性豊かな羅漢ばかりでしたが、
じっくり見る余裕無し。


【風神雷神】




頑張って108段登ると風神雷神登場。

何でもありです。(苦笑)


【風景】



【摂津大仏】




これは良い大仏さんですね。(^^

雨があがった。

どうやら私は大仏さんに歓迎されているようだ。(^^


【釈尊十大弟子像】




2016年開眼法要された出来立てのホヤホヤ。


【極輪観音】


正座しながらロウソク立てを持ってました。(笑)


【洗心童子】




とりあえず面白いのをチョイス。

こんな洗心童子を見たら心が洗われることは無く、
何だか生暖かいニガワラがおこりました。(^^;

全部撮影する気力も体力もございません。(苦笑)


【六地蔵】


先に進むと涅槃仏があります。


【涅槃仏】






ラスボス登場。


【お釈迦様】



【観音像】


台座部分にいらっしゃいました。


【五百羅漢】


スゲー。

これは石材屋は相当儲けているな。(笑)
或いは仕事を貰う為に信者にならされているかだな。(^^;


【稲荷堂】


帰ろうと坂道を歩いていると遠くにお堂が見えた。

完全に見逃しだけど、
16時半で疲れきっていたので諦めました。


【御首題】



それにしてもこれほどの仏像があるとは。

あんまりあり過ぎるのは下品ですけど、
本堂内陣が凄過ぎたので、それも許せました。

このお寺のインパクトが強すぎて、
近くの珍スポットである高燈籠に行くのをすっかり忘れてました。(^^;

しかしあれだけの資金力はどこから出てるんでしょうね。
檀家も少なそうだし。


まぁ何にせよ、また本堂には参りたいですね。

七寶寺 其の一(2016年6月26日参拝)

2016年07月23日 | 仏閣
例の如く寄り道しちゃったけど、
これから目的の七寶寺を参拝です。

事前チェックでは何でもありのお寺だったが、
実際に参拝してどう感じるのか楽しみです。


所在地:大阪府豊能郡能勢町倉垣1861
宗派:日蓮宗
御本尊:大曼荼羅・釈迦如来
創建:明暦元年(1655)
開山:本性院日光上人
開基:玉龍院日悦上人


【縁起】
当山は釈迦ケ嶽七面山七寶寺と号す。
もと真言の行場(霊場)であったと思われる。

江戸時代に入って慶長五年(1600)頃から領主能勢頼次公の外護のもとに、
本満寺貫首(のち身延山中興第二十一世)寂照院日乾上人とその一門によって、
能勢領内が教化されて、法華経・御題目が流布された。

頼隆公の子息頼春公は国土安穏・武運長久・子孫繁栄の為、
明暦元年(1655)当地に七面堂を寄進。
以後、七面大明神鎮護の場となった。

明治にいたり廃仏段釈の故に当山も荒廃を極めた。
昭和2年(1927)七寶寺中興開山本性院日光上人が入山、
ひたすら三宝に給仕し、一心に諸天に法味を捧ぐ。

昭和17年(1942)日蓮宗より釈迦ケ嶽七寶教会の認可を得、
さらに信徒の協力を得て、苦心惨惰、新たに七面堂を建立、
昭和21年(1946)七寶寺寺号公称の承認を得た。

山内各所に勧請されている諸仏諸天の慈悲を
しみじみと感じられる信仰の霊場である。


【慈母観世音菩薩】


駐車場に着くと観音さんがお出迎え。

しかし、横の境内に続く道を見るととんでもない急坂。

これは歩いて登っていられないということで車で登る。
軽自動車だったら結構ヤバいレベルの坂。

これで上に駐車場が無かったら泣くぞ。(^^;


【地蔵菩薩】


上に行くと無料駐車場がありました。(^^

今度はお地蔵さんがお出迎え。


【韋駄天】


雨が降ってきた。


【参道】


うーむ、もう坂はいやや。(^^;


【十一面観音菩薩】



【白蓮観音】



【延命地蔵】



【魚籃観音】


既に観音さんとお地蔵さん祭となっています。(^^;


【弁財天】






朱色の欄干の太鼓橋を渡ると一見不動明王に見える
弁財天がいらっしゃいました。

弁財天があんなモン持ってるか~普通。(苦笑)

しかも頭の部分をよく見てください。

鳥居の下に顔が。

決して心霊写真ではありません。(失礼)

髭を生やした僧侶のように見えるが詳細不明。(^^;

こんな異形の弁財天は見たことありませんね。


【浄行菩薩】



【明鏡観音】



【天道神】



【日蓮大聖人】


昭和55年(1980)造立。

ここまで結構登りましたよ。(^^;


【五大明王】







【聖観音】



【金色十一面観音菩薩】


巨大な観音様がいました。

このような巨大は仏像があるお寺は、
大概余り良いイメージは無いもんだが。

看板にはハイキングはお断り的な事が書かれた看板があり、
まともなのか排他的なのか現時点ではよく分からん。

本堂に先に参ってくださいと書かれていたので、
それに従い本堂を目指す。


【舞台】


上を見るとコンクリートの舞台があった。

あの辺りに本堂がありそうです。


【聖観音】


このお寺は本当に石仏が多い。

石材屋はめっちゃ儲かっていそう。(笑)


【鳥居】


昭和19年(1944)建立されたもの。

今度は急な石段がある。

今日は登りまくりで筋肉痛確定だな。(^^;


【洗心童子】



【金剛華観音】



【延命観音】



【石段】



【七面の滝】



【瀧見観音】


瀧見観音なんて初めて知りました。


【白瀧龍王】



【本堂】


ようやく本堂に到着。

昭和44年(1969)日光上人宿願により本堂(釈迦殿)が建立。

寺務所に本堂内参拝を伝えて堂内へ。

1階が内陣で2階が外陣で一般は2階の外陣に入れます。

身延山第二十一世寂照院日乾上人真蹟大曼荼羅を中心に、
釈迦如来立像や日蓮聖人像、普賢菩薩、文殊菩薩等が祀られていました。

一際目立つ釈迦如来がとても立派で、
堂内の雰囲気は凄く良かったです。

感動しました。

是非とも本堂を参拝していただきたい。

堂内は撮影禁止でした。


【七面堂】


明暦3年(1657)建立、昭和18年(1943)再建されたもの。

こちらも内陣参拝は寺務所に声をかけなければなりません。






日蓮聖人、七面大明神・大黒尊天・最上位経王大菩薩が、
祀られていました。




天井には八相睨みの龍が描かれていました。

七面堂内陣参拝は必須です。


【お滝場】


天狗が睨みを利かせた先には閉ざされた門。

この先は修行場なんで立入禁止でした。


【大黒堂】





【恵比寿・大黒天】





【オブジェ】


これは一体何?(^^;


【慈母観音】


何故か足元にポケモンらしきモノが。(苦笑)

コレは要らんわ~。(^^;


【子育て観音】



【三尊像】


左右の二体は中国の貴人のような感じでした。


【遥拝所】


ここからあの観音像が見れました。


【三仏堂】


急ごしらえのようなお堂です。


長くなりましたので続きはまた明日。

歌垣神社(2016年6月26日参拝)

2016年07月23日 | 神社
涌泉寺の隣に神社があります。

歌垣神社というちょっとシャレた名前の神社なんで、
行く予定が無かったが急遽参拝。


所在地:大阪府豊能郡能勢町倉垣1764
御祭神:速素盞鳴命、天御柱命、国御柱命、応神天皇、大山祇命、天御分命
創建:不明
社格:村社


【由緒】
当社はもと後背にあたる山腹45メートル余りの高地である厳石の上に、
四坪ほどの大岩を天然屋根として祀り、俗に岩神と称し、地域の人々の崇敬が篤く、
康保2年(965)4月4日上弦年の日に始めて苗代祭を行った。

建久7年(1196)社殿を現在地に移転した。
寛永2年(1625)領主の命により祇園牛頭天皇を勧請し玉性坊の僧が奉侍した。
明暦元年(1655)領主能勢勝左衛門尉源頼春は、
後背岩神の旧址に身延山の七面天女を移し今に伝えている。

明治維新後の神仏分離によって寺は廃絶し、社は八坂神社と改称した。
 
明治5年村社に列し、同40年字和田の子守神社等を境内に移し、
同時に村名を負わせ今の社名に改めた。
 
明治44年、新撰幣帛料供進社に指定された。
合祀神社中、子守神社は寛治5年(1091)兵庫頭源頼光の建立。
小戸神社は永正4年(1507)正四位下大和守源頼親の二男頼遠の建立。
永承4年(1049)山王神社は従四位下紀伊守源頼基の建立。
八幡神社は寛治5年(1091)吉野式部源頼吉の建立である。

境内は805坪の広さを神域として老杉におおわれた鎮守の森である。


【鳥居】


なかなか良い雰囲気です。


【狛犬】



【参道】


苔生した参道がたまらない。

ほとんど人が訪れていないようですね。


【舞殿】



【本殿】




本殿周りの雰囲気は凄かったです。

写真では余り感じないかも知れないが、
実際にその地にいると神域感をよく感じられました。(^^


【境内社】




小さい社務所はありましたが、
普段は無人らしく閉まっていました。

御朱印は恐らく無いと思います。

涌泉寺(2016年6月26日参拝)

2016年07月22日 | 仏閣


本日最後の参拝となる七寶寺を目指して長閑な道を走る。




山の中腹に何やら変わった建物が見える。

あれは何だろう?

あれが七寶寺なんだろうかと思いながら走る。

山に近づくとお寺の駐車場発見。

ここが七寶寺かと思ったら違った件。(苦笑)

そのお寺の名前は涌泉寺という。

京都の泉涌寺と違います。(笑)



所在地:大阪府豊能郡能勢町倉垣1773
宗派:日蓮宗
御本尊:日蓮聖人、大威徳明王
創建:弘仁11年(820)
開山:法性院日侃上人


【縁起】



【契り塚】





【清流龍神】



【境内】


小さなお寺です。

檀家はいなく祈祷や人形供養の寺として成り立っているようです。


【明王堂】


文化8年(1811)に再建されたもの。

訪れた時はてっきり本堂かと思ったが、
この明王堂は祈祷する時に使用されるお堂とのこと。




御祈祷本尊である大威徳明王が祀られているようですが、
残念ながら拝顔の栄誉は得られず。

多寶如来という余り馴染みの無い如来と釈迦如来が祀られているそうです。

肝心の本堂は撮影してませんでした。
どう見ても本堂には見えない建物だったので。(^^;


【撫で牛天神】



【人形塚】



【水神堂】







【鐘楼堂】


その他にどう見ても一般家庭の家の二階に、
守護神堂というのがあって、大黒様や諸天善神が祀られているそうです。

ここの二階に上がるのは結構勇気がいりそうです。(^^;


ちなみに御首題はいただけるようですが、
ここは無いだろうなぁと思ってピンポン押しませんでした。(^^;

大八嶋福徳神社・玉翁院八嶋寺~岐尼神社(2016年6月26日参拝)

2016年07月21日 | 神社
次なる参拝地として七寶寺に向かっていましたが、
大八嶋福徳神社という面白い神社があるので先に参拝することにした。


<大八嶋福徳神社・玉翁院八嶋寺>
所在地:大阪府豊能郡能勢町平通47-1
御祭神:大八嶋福徳大神
創建:不明


【由緒】


20台ぐらいは停めれそうな無料駐車場がありました。


【鳥居】


扁額には大八嶋福徳神社・玉翁院八嶋寺と書かれている。

こちらは神仏習合の名残りがある神社です。




この鳥居を進むと普通は拝殿がありますよね。

それが無かったんですよ。

うーむ、不思議だ。(^^;


【地蔵尊】


拝殿では無くお地蔵さん達がいらっしゃいました。

玉翁院八嶋寺の名残りなのかな。


【社務所】


御朱印をいただきに住宅のような建物に行くと、
奥様に上がってくださいと言われましたので、
とまどいながら上がらせていただきました。

すると中に本殿がありました。


【本殿】


こんな建物の中に本殿があるとは驚きました。

御祈祷された方々の木札の上には南無妙法蓮華経と書かれている。

神社で御祈祷されているのに南無妙法蓮華経とは。
これこそ神仏習合といったところか。

この神社は本当に珍しいことばかり。


【御朱印】


こちらは神社の御朱印です。




こちらがお寺の御朱印です。

南無妙法蓮華経と書かれています。
やはり能勢は日蓮宗の影響が強い地域ですね。

それにしても神仏習合の寺社は全国にあることはありますが、
神社でお寺の御朱印をいただけるのは珍しい。

奈良の松尾寺では神社の御朱印をいただけますが、
神社でお寺の御朱印をいただけるところは、
蜊江神社で慈摂大師二十五霊場地蔵院の朱印がいただけるようです。

他にあったら教えてください。(^^


神職さんが言うには御朱印は他に管理されている
岐尼神社と合わせてセットで御朱印をされているとのこと。

岐尼神社は参拝する予定では無かったが、
御朱印をいただいたからには参拝しなくてはならない。



<岐尼神社>
所在地:大阪府豊能郡能勢町森上103-3
御祭神:瓊瓊杵尊、天児屋根命、多田満仲
配祀神:応神天皇他21柱
創建:延暦元年(782)
社格:式内社、郷社



【由緒】


延喜式神名帳の能勢郡の条に岐尼神社とみえる式内社である。
かつて森上のあたりは枳根荘の一部であったことから、
枳根・枳禰・杵宮或いは杵大明神」とも呼ばれていた。

瓊々杵尊といえば天孫降臨神話に登場する神で、
岐尼神社にも天孫降臨の説話が伝来している。

岐尼神が南の小丘に降臨したもうた時、
土民は臼の上に杵を渡し荒菰を敷いて迎えたという。

この「杵」、天下った「杵尊」の響きから社名の「きね」が
起こったと考えられている。

社伝によれば延暦元年(782)の創祀以来、代々朝廷の勅願所であり、
また将軍家代々の御祈願所であったという。
さらに祭神の一柱である源満仲は多田の地の開発領主であり、
子孫は清和源氏としておおいに栄えた。

多田には満仲の家臣・一族らが入って開発治世に努め、
多田満仲が御祭神として加えられたようだ。

天正7年(1579)織田信澄の乱入によって、社殿は兵火に罹って焼亡、
伝来していた古文書も失われた。

関ヶ原の合戦を経て戦乱も落ち着いた慶長十年(1605)、
社殿が再建され、更に江戸時代の享保十二年(1727)に修復、
現在に至っている。


【鳥居】


大八嶋福徳神社から10分もかからない距離に岐尼神社はありました。

無料駐車場は境内に停めれました。


【社殿】


この神社にも社務所はありましたが、
普段は無人です。


【狛犬】



【拝殿】



【随神】



【三十六歌仙】



【狛犬】



【住吉神社】



【恵美須神社】



【稲荷神社】


狛犬はいましたが、狐さんがいませんでした。


【神馬舎】



【本殿】


覆舎で保護されていました。


【大国社】



【御朱印】


岐尼神社の参拝がメインで御朱印をいただきたい場合は、
大八嶋福徳神社に行ってください。


大八嶋福徳神社は本当に珍しく面白い神社でした。

今度はゆっくり神職さんとお話ししてみたいと思う。

関西身延眞如寺 奥の院(2016年6月26日参拝)

2016年07月20日 | 仏閣
眞如寺には奥の院があって山を登らなければならないらしい。

どれぐらい登るんだろうか。
もう既に充分登山してきたんですが。(^^;

ここまで来たからには自主練も兼ねて登るしかねーな。

気合いを入れて眞如寺奥の院まで登りますか。


【三学】
妙見山、奥の院、真如寺の三カ所を唱題行脚することは、
その功徳絶大とされ、戒・定・慧の三学を円成することが出来るとか。

戒学は戒律のことで戒禁とも言い、身口意の三悪を止め善を修すること。

定学は禅定を修めることで、心の散乱を防ぎ安静にする為の方法を修すること。

慧学は智慧を修めることで、煩悩の惑を破って、
すべての事柄の真実の姿を見極めること。


【参道】


七面大明神堂の裏手から奥の院に進みます。


【七面の滝】




すぐにお滝場があります。
ここは神聖な場所なのでここから先は撮影禁止でした。


【最上位経王大菩薩】


稲荷社のようでした。


【金高龍王堂】



【参道】




うーむ、歩き難い道です。

しかも思ってた以上にキツイ。


【稲荷社】


10分ぐらいハァハァ言いながら登ってると稲荷社がありました。

妙見山登山の疲れもあってしんどい。(泣)


【参道】


少しだけ平坦な所があって助かる。




あとどれぐらい距離があるのだろうか。


【猫塚】


しんど過ぎて行きの時は気付かなかった。(^^;


【参道】


お!なんか着いたっぽい。(^^


【寺号標】


到着~。

約27分で到着したけど疲労感が半端無い。

しかも最後にお約束の石段。


【石段】


石段が一段一段高くてきつかったわ~。(泣)

何度となく途中で休憩をせざるを得なかったぐらい。


ちなみに奥の院までは約1キロでした。
たった1キロとはいえ急坂の上りは舐めてはいけませんよ。

【奥之院本堂】




しんどい思いをして登ってきたから、
お参り出来る喜びもひとしお。(^^

妙見大菩薩が祀られていました。


【狛犬】



【祖師堂】




日蓮聖人が祀られているようです。


【神馬堂】






何のお堂かと思ったら馬がいました。

馬が好きですね~。(^^


【寂照院日乾上人碑】



【題目石】



【御首題】


ここまで登っていけないので、
やっぱり僧侶も若かったです。


下山はいつも通りしんどかったけど、
達成感と充実感があり、行って良かったです。

関西身延眞如寺(2016年6月26日参拝)

2016年07月19日 | 仏閣
妙見山の本社である身延眞如寺へ。

境外仏堂である能勢妙見山とゴッチャになってややこしい。
しかも関西身延眞如寺は妙見山から少し離れている。

最初は全く無関係のお寺かと思っていたよ。(^^;


所在地:大阪府豊能郡能勢町地黄606
宗派:日蓮宗
御本尊:妙見大菩薩
創建:慶長5年(1600)
開山:寂照院日乾上人
開基:能勢頼次公


【縁起】
能勢頼次公は本能寺の変で明智方に加担した為豊臣家に領地を没収され、
追われることとなったが、後に徳川家康公に小姓として召され、
関ヶ原戦役の後に旧領を復することが出来た。

ここに法華経の霊験を知り、代々法華経信仰をつぐ頼次公は、
京都本満寺貫首であった寂照院日乾上人を招き、東西五町、南北六町を寄進。

時に慶長5年(1600)秋のことで、この年をもって当山開山の年とする。

日乾上人はこの後日蓮宗総本山である甲州身延山久遠寺第二十一世となられ、
退隠後再び能勢へ戻り、ここに隠居所覚樹庵を創立し、
能勢郡の法華道場として布教活動の拠点とされた。

頼次公はまた、覚樹庵とともに大恩人である徳川家康公の菩提の為と、
さらに能勢氏の祈願所として覚樹庵境内に真如寺を建立。

日乾上人は能勢氏の家鎮として古くから祀られていた鎮宅霊符神を
法華経の守護神妙見大菩薩とし、さらに武運長久を願って武具甲冑を身につけ、
剣を手にした妙見大菩薩のご尊像を日乾上人自ら彫刻して授与し、
これを能勢の領地が一望できる為楽山の山頂に祀った。
これが現在の能勢妙見山の始まりである。

また、日乾上人は身延山に請い、宗祖御真骨を手に入れ当山に安置した。
以来当山は関西身延と称せられるようになった。

昭和16年(1941)能勢妙見山は真如寺所属とされ、
真如寺付嘱境外仏堂能勢妙見山とされ現在に至っている。


【鳥居】


無料駐車場がありましたが、
眞如寺の駐車場かどうか最初は分かりませんでした。


【石段】



【山門】


寛政6年(1794)再建されたもの。


【本堂】




天明年間に再建されたもの。

御祈祷や御回向の方のみ昇堂が許されるのですが、
内陣を見れただけでも満足です。


【客殿・御真骨堂】


宗祖日蓮大聖人御真骨奉安殿があり、
宗祖の御真骨と霊像柏木の祖師が祀られているそうです。


【鐘楼堂】


絶賛工事中。


【日朝上人堂】




行学院日朝上人は身延山久遠寺11世法主で、
身延中興の三師と位置づけられている高僧。


【浄行菩薩】




水を司り自身の悪い所に水を掛けて願えば平癒すると伝えられる。


【鳥居】


良い雰囲気です。


【金高龍王堂】



【題目碑】





【石段】



【鬼子母尊神堂】



【七面大明神堂】





【常富大菩薩堂】







【稲荷社】



【題目碑】





【法華塔】



【御首題】



この後、奥の院に登ります。

結構しんどいらしい。

頑張れ自分。