Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

藤森神社(2016年8月7日参拝)

2016年08月31日 | 京都十六社 朱印めぐ...
本日の参拝テーマはずばり「刀剣」。

粟田神社と藤森神社、建勲神社、豊国神社の四社が、
合同で刀剣の御朱印が新しく授与開始されたと知って、
これは御朱印をいただかねば、と思いたった次第。

刀剣乱舞のブームに乗る形で神社側も最近は色々やってますね。(笑)

まぁ、私は刀剣乱舞は全く興味無いけど、
昔から刀剣は好きだったので参拝はMUSTでございます。(^^



<2015年12月13日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/6860ecbcab7c9e7c5dcf9d3218abc62d


所在地:京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
主祭神:素盞嗚命
創建:(伝)神功皇后摂政3年(203)
社格:府社
札所:京都十六社 朱印めぐり、京都刀剣御朱印めぐり


【参道】


駐車場は有料ですが、
20分間は無料となります。


【かへし石】





【拝殿】



【本殿】



【御朱印】


鶴丸国永の御朱印。
書置きです。

刀剣と甲冑のデザインの御朱印帳もありましたが、
ちょっと微妙な感じだったので買いませんでした。


しかし、この御朱印帳や鶴丸国永の御朱印を複数買う腐女子の多いこと。

オクに出品するのか、友達に買ってあげたのか知らないけど、
これはいかがなものかと思う。


【鶴丸国永】


平維茂、織田信長、北条貞時といった錚々たる武将が所有し、
その後、藤森神社にあったものが、仙台伊達家へ。

明治34年の仙台行幸のおり、
仙台藩14代藩主伊達宗基から明治天皇へ献上した御物。

大宝神社(2016年7月31日参拝)

2016年08月30日 | 神社
本日最後の参拝となるのが栗東市に鎮座する大宝神社。

暑いから今日はこのぐらいにしといたろ。(笑)


所在地:滋賀県栗東市綣7-5-5
御祭神:素盞嗚尊
創建:大宝元年(701)
社格:郷社


【由緒】
当神社は大宝元年(701)疫病流行の時、
小平井村信濃堂(現在の栗東市小平井)に降臨された
素盞鳴尊と稲田姫命を霊仙寺村(栗東市霊仙寺)経由綣村(栗東市綣)の地先、
追来神社境内に4月8日ご鎮座。
これにより疫病が鎮まったと伝えられる。
 
同年5月1日社名を大宝天王宮と勅定、正一位とされた。
同年3月12日今宮応天大神宮の神号勅定。

貞観年間(858~867)以降、密教天台宗融合の両部神道となった。
 
永亨5年(1433)6月18日、6代目将軍足利義教公は天下安全可抽を祈願し、
神事領311石の地頭を寄進、その朱印は現存する。

9代目将軍足利義尚公は佐々木高頼公を近江に遠征させ、
陣中上鈎村に当神社の遥拝所を建立させた。

天文14年(1545)に佐々木定頼公により社殿修復。
 
享保元年(1716)7月宝鏡寺宮の親王の病気平癒祈願を当神社に依頼され、
ご祈祷により全快され、そのお礼として四脚門両築地付をご寄進された。

慶応4年(1868)3月王政復古により神仏分離令と共に佛眼寺との分離、
神應院の院号破棄により、同年4月社名を大宝神社と改めた。


【鳥居】


ナビはこの鳥居前まで案内するが駐車場が見当たらない。

スマホで調べてみると別の鳥居から、
境内に入って停めれるようなんで移動。


【日吉神社】



【御神馬】



【神門】


神社らしからぬ豪壮な門ですね。

まるでお寺や武家屋敷の雰囲気です。


【拝殿】




いぶし銀の拝殿です。




横から見てもカッコいい。




珍しく拝殿の中に上がることが出来ました。(^^


【本殿】







【狛犬】



【御神木】



【追来神社】




重要文化財。

弘安6年(1283)建立されたもの。


【稲田姫神社】





【八幡神社・蛭子神社・大国主神社】



【神武天皇遥拝所】



【御朱印】


宮司さんが御不在でしたので、印だけいただきました。

無料にしていただけました。(笑)

印岐志呂神社(2016年7月31日参拝)

2016年08月29日 | 神社
続いて草津市に鎮座する印岐志呂神社へ。

印岐志呂と書いて「いきしろ」と読みます。
当て字みたいな感じですね。(笑)



所在地:滋賀県草津市片岡町245
御祭神:大己貴命
創建:天智天皇御代
社格:式内社、県社


【由緒】
創祀年代不詳であるが天智天皇の勅願により、
大和国三輪大社から分祀されたと社伝にある。

延喜式神明帳栗太八座の一で、用明天王即位2年夏悠紀地方に定められ
印岐志呂と名付けられたことをもって社名にしたと伝えられる。

社伝に仁寿元年神位正六位に、また元慶元年正一位を授けられたとある。

永暦年中源義朝尾州攻略のとき頼朝の武運を祈願し、
建久元年(1190)に頼朝この報賽のため神殿と神田を寄進された。

建武3年(1336)正月比叡山僧宥覚が山門一千余を率いて、
足利軍高師直と戦った時、更に同年9月脇屋義助が、
延暦寺の山徒と共に尊氏の将京極道誉と戦って
戦場となり社殿は勝亡したが、後足利氏によって再建された。

社殿棟札によると織田信長が佐々木攻めの時、
再び戦場となり社殿が炎上したが、
慶長4年(1599)に芦浦の観音寺詮舜が再建している。

その後、観音寺長賢も社殿を修理し、寛永6年(1629)社殿を再建。
今の社殿は寛政4年(1627)観音寺慈観が造営したものである。

明治9年(1876)郷社に列し、大正6年(1917)県社。
同7年(1918)神饌幣帛料供進指定。


【大鳥居】


この先に少し進むと神社はあります。

無料駐車場がありました。


【注連縄柱】



【神門】


これはどう見てもお寺の門ですね。

ここも神仏習合の影響が残っているようです。


【狛犬】



【拝殿】


これはまた立派な拝殿です。

地域の人口に比べれば不釣り合いな程の大きさです。
この辺りの方々の信心は昔から篤かったのでしょうね。


【社殿】








これもまた見事な本殿と中門です。

戦争で全て破壊された大阪市内の神社はもとより、
奈良市、京都市の神社でもこれほどの社殿は中々ありません。

滋賀県恐るべし。




サクッと参拝。

暑くて辛くなってきた。(^^;


【地蔵尊】



【帯刀稲荷神社】







【狛狐】



【恵比寿神社】







【御朱印】

勝部神社(2016年7月31日参拝)

2016年08月28日 | 神社
やはり滋賀県の神社仏閣は個性豊かで面白い。

次なる参拝は美しい本殿がある勝部神社へ。

ここは火祭りが滋賀県では有名らしい。


所在地:滋賀県守山市勝部1-8-8
主祭神:物部布津命・火明命・宇麻志間知命
創建:大化5年(649)
社格:郷社


【由緒】


創祀年代は物部郷を領していた物部宿祢広国がその祖神、
物部經津主之神を大化5年(649)に祀ったと伝えられ、
以来物部郷の総社として信仰されてきた。

三代実録に元慶六年従五位下の神階が朝廷から授与された
物部布津神社は当社ではないかとされている。

中世、近江国守護佐々木氏は出陣に際しては、
必ず境内の竹を用いて旗竿を作ったといわれている。

また明応6年(1497)に社殿の再興が行なわれたが、
その時には佐々木高頼が大願主として力を注いでいる。

文禄3年(1594)には豊臣秀次が社殿を修造した。

なお当時の社名は物部神社で勝部大明神とも称されてきたが、
明治の初めに現在の社名となり、昭和6年(1931)郷社に加列。


【鳥居】


鳥居の奥側に無料駐車場がありました。


【石灯篭】


何で檻に囲われてるの?(笑)


【社殿】


拝殿と奥に本殿。


【狛犬】



【本殿】


重要文化財。

美しい。

ハッキリ言いましょう。
滋賀県の神社建築は東照宮に匹敵する美しさと建築技術が秀逸です。


【顕彰殿】



【祓所】


普通、祓所に鳥居は無いんですけどね。
これは珍しい。


【境内社】



【鐘楼堂】


ここにも神仏習合の名残りがありました。


【勝部火祭り】

(画像は「まっちゃんのPHOTOブログ」様より拝借。)
http://photoczf.exblog.jp/19135361/


毎年1月の第2土曜日に行われる勇壮な火祭りです。



いくつか動画がありましたが、
大河ドラマ「武田信玄」のオープニングデーマが使用されていたので、
この動画をチョイス。(^^

この火祭りは一度見てみたいですね。


御朱印は宮司さんが御不在でいただけませんでした。

東門院(2016年7月31日参拝)

2016年08月27日 | びわ湖百八霊場
大満足の御上神社から最澄が開いたとされる東門院へ。

3台分程の無料駐車場がありました。


所在地:滋賀県守山市守山2-2-46
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:延暦年間(782-805)
開山:伝教大師最澄
札所:びわこ百八霊場、近江西国三十三ヶ所霊場、湖国十一面観音霊場、
湖東三十三ヶ所霊場、近江湖南二十七名刹霊場


【縁起】
延暦年間(782-805)比叡三千坊といわれる
比叡山の僧坊のひとつとして最澄が開き、
正確には比叡山東門院守山寺といいます。

桓武天皇比叡山を守る東門としてこの名を賜り、
寺領5村350石を賜ったという縁起が伝えられる寺院です。

江戸時代には江戸に向かう朝鮮通信使の宿舎にもなりました。

滋賀県でも重要な寺院が名を連ねる近江西国三十三ヶ所霊場に数えられる名刹で、
本尊の十一面観音菩薩像は古くから多くの方に篤い信仰を受けてきました。

現在も守山観音として親しまれています。



【山門】


観音霊場らしい山門です。


【仁王像】



【境内】


山門には境内での写真撮影は住職の許可を得てください、
と書かれた張り紙が。

マジかー?

仏像は撮影不可ってお寺は結構あるけど、
境内全て撮影不可って稀にあるよね。

お寺は観光じゃなく信仰の場所だから撮影するなって言われても、
別にええやんって思うんだけどね。


境内は撮影不可でしたので、
「お多福豆のブログ-御朱印巡りと花の旅-」様と、
「ジャパン・ジオグラフィックブログ」様のブログで、
境内の様子をご覧ください。

http://ameblo.jp/gosyuin710/entry-11993432236.html

http://japan-geographic.tv/shiga/moriyama-toumonin.html


本堂内陣は良く見えませんでしたが、
不動堂に祀られている不動明王が只者ならぬ雰囲気を感じた。

さすが重要文化財に指定されているだけある。

事前予約すれば堂内拝観出来るのを知ったのは、
参拝した時。

しかも団体のみ。(泣)

目の前で拝仏したかったなぁ。


【御朱印】




書置きが置いてありました。

こういうのはいちいち呼び出さなくて良いので助かります。

御上神社(2016年7月31日参拝)

2016年08月26日 | 神仏霊場巡拝の道


近江富士と呼ばれる三上山。

この山は高速に乗っていたら見えますよね。

その麓に鎮座するのが三上山を御神体とする御上神社です。



所在地:滋賀県野洲市三上838
御祭神:天之御影命
御神体:三上山(神体山)
創建:(伝)第7代孝霊天皇年間
社格:式内社(名神大)、官幣中社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】


孝霊天皇の6年6月18日に御祭神天之御影神が三上山に御降臨遊ばされ、
それから約千年の間、御上祝(神主)等は三上山を清浄な神霊の鎮まる
厳の磐境と斎定めて祀っており、「古事記」開化天皇の段に
「近つ淡海の御上祝がもちいつく天之御影神」と記されている。

奈良朝初期元正天皇の養老2年(718)に藤原不比等が勅命を拝し、
榧木原と称された現在の鎮座地に造営して御遷祀させた。

以来朝野の尊崇極めて篤く陽成天皇の御代(877~884)には、
正一位の神階を授けられ、併せて社殿の修営も行われた。

次いで醍醐天皇(897~930)の延喜の制では、
明神大社に列せられ月次・新嘗の官幣に預かり。

円融天皇(969~984)御代には当社を勅願所と定められた。

武家執政の世になっても源頼朝を始め各武将も崇敬深く変わることなく、
徳川幕府に至るまで、代々神領を寄進し社殿の修営を行い尊崇が深かった。

明治維新の神道復興の時運に際し、御社頭の整備が行われ、
大正13年に県社から官幣中社に列格される。


【鳥居】


鳥居前に無料駐車場がありました。


【御神石】



【境内】


奥に立派な楼門が見えます。


【楼門】




重要文化財。

これまた超絶カッコいい楼門です。

滋賀県の楼門はどこも素晴らしい。


【狛犬】



【随身】





【境内社】





【拝殿】






重要文化財。

檜皮葺の屋根が渋くてたまらない。


【本殿】




国宝。






これは本当に素晴らしい。

さすが国宝です。
余りの凄さに震えた。


【若宮神社】


重要文化財。


【三宮神社】


県指定有形文化財。

若宮神社と同じく素晴らしい摂社なんで、
こちらも重文で良いと思うけど。


【鎮魂殿】



【蔵】



【神輿庫】





【社殿】


素晴らしい。

全く見飽きることはありません。




拝殿の向こう側に近江富士が見えます。


【楼門】



【神武天皇遥拝所】



【社務所】



【参道・鳥居】




もう一つ参道と鳥居がありました。


【御朱印】



【感想】
本殿、拝殿、楼門が素晴らしかったです。

日本の建築美の最高峰と言っても過言では無い。

次回参拝時は近江富士に鎮座する奥宮も参拝したいと思う。

蜊江神社・地蔵院~西源寺(2016年7月31日参拝)

2016年08月25日 | 神社
錦織寺からお寺の御朱印がいただける蜊江神社へ。

今なお残る神仏習合の神社です。

蜊江と書いて「つぶえ」と読みますが、
普通は読めませんよね。

蜊って普通はアサリですが、
この地域ではタニシのことだそうです。



所在地:滋賀県守山市笠原町527-5
御祭神:瓊々杵尊
本地仏:地蔵菩薩
創建:不明
社格:県社
札所:慈摂大師二十五霊場、湖東郡西国三十三霊場




【由緒】
野洲川洪水による建物、古書が流失し、創祀由緒不詳であるが、
延暦年間伝教大師自筆の般若経理趣文一巻を大蜊が背負い
法竜川を逆上って神社へ納め、郷民奇異霊感、
処々に池を造って蜊を鎮め霊社としたと伝える。

江戸時代の享保6年(1721)豪雨で神社のそばを流れる野洲川が氾濫、
御神体を安置している社殿が流失しそうになった際、
川の上流から流れてきた神輿に夥しい数のタニシが付着。
神輿はタニシの重みで社殿の前にとどまり、
社殿が濁流にのみ込まれるのを防いだという。

感銘を受けた村人立は境内に池を掘って水を張りタニシを放して保護した。

蜊江神社という名もこの時に命名され、
タニシのことを敬意を込めて「おつぶさん」と呼ぶようになった。

野洲川改修の為、昭和47年(1972)旧社より、
氏子23戸と共に移転遷宮した。


【鳥居】


鳥居前に無料駐車場がありました。


【楼門】




おー!
これはまたゴマラー好みの茅葺じゃないですか。

渋くていいっすね~。(^^






屋根の内側はこんな感じです。


【狛犬】



【境内】


結構広い境内に滋賀県特有の拝殿。


【社殿】


早速参拝。


【狛犬】


鎌倉前期作の狛犬で、
この年代の狛犬は全国でも少ないそうです。


【境内社】



【愛宕大明神】





【毘沙門堂】


神仏習合の名残りです。

よくぞ残っていてくれたものです。


【地蔵尊】



【地蔵院】


世話人の方に事前予約すれば地蔵院が参拝出来ます。






世話人の方が来られお堂を開けていただいた。

嬉しい。(^^




内陣に入ると厨子が安置されていました。




普段は秘仏で次回の御開帳は2037年だそうです。


【タニシ】



【御朱印】


この神社は神職は居ないようで、
地元の方々により守られているようでしたね。

御朱印も世話人の方にいただいたのですが、
神社と地蔵院の神仏習合の御朱印です。

印をよく見ると鳥居があるし、蜊江大明神と書かれている。

このような神仏習合の御朱印は非常に珍しい。
初めていただきました。(^^


【寺号標】


湖東郡西国三十三霊場(野洲郡西国観音霊場)の札所です。


【西源寺観音堂】


神社の境内では無く、鳥居の前に観音堂はあります。

こちらもお堂を開けてくれて内陣に入れました。(^^


【内陣】


内陣は六畳も無いかも知れません。

菊の御紋が入った立派な厨子に御本尊の聖観世音菩薩が、
厳かに祀られていました。

惚れ惚れするような厨子ですね。


【聖観世音菩薩】


秘仏なので写真が飾られていました。

端正なお顔立ちに金色の衣が美しかったです。


【御朱印】


こちらも蜊江神社の世話人の方からいただきました。

神社でお寺の御朱印をいただいたのは、
大阪能勢に鎮座する大八嶋福徳神社以来二つめです。


【感想】
タニシが神の使いのような別格の扱いを受けているのも面白いし、
神仏習合の強い神社で参拝していて楽しかったです。

世話人の方には大変お世話になり有難うございました。


この神社に参拝するなら地蔵院と西源寺の拝観はMUSTでございます。

是非、事前予約してほしいですね。

個人宅になるのでここでは電話番号は載せませんが、
ネットで調べればすぐに分かると思います。

拝観料は無料のようでしたが、
お忙しい中、対応していただくので、
幾らか志納金を納めましょう。

錦織寺(2016年7月31日参拝)

2016年08月24日 | 仏閣


苗村神社から次なる参拝地を走る。

滋賀県はちょっと市街から外れると、
このような長閑な田園風景が広がる。

風景を楽しみながら走ると気持ちがいい。

そんな時にふと大きなお寺が目に入ってきた。

今日は暑いから寄り道はしないと決めていたが、
華麗にスルーするはずが、只ならぬ雰囲気を感じたので寄り道。(^^


所在地:滋賀県野洲市木部826
宗派:真宗木辺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天安2年(858)
開基:円仁聖人



【縁起】
天安2年(西暦858)比叡山三代座主慈覚大師円仁の御指示で、
木部の地に御堂が建てられ毘沙門天王像が安置されました。

それから三百数十年後、親鸞聖人が関東から京都に還ろうとされた途中に、
この天安堂に歩みを留められました。

地頭の石畠氏(那須氏の一族)をはじめ、
近在の人々が聖人のお通りを伝え聞いて馳せ参じ、ご滞在を乞いました。

聖人は笈におさめて常にお持ちになっていた
阿弥陀如来の御尊像を安置されて浄土真宗の教えをお説きになりました。

この時から浄土真宗の湖東における中心になりました。

歴仁元年(1238)天女が蓮の糸で織った紫紅の錦を捧げて
仏徳を賛美するという不思議なことがあって、
このことを伝え聞いた時の四條天皇は天神護法錦織之寺の寺号と額を下されました。

創建以来再度にわたる火災の為に、現在の建物は元禄年間以後再建されたものですが、
両堂表門などは江戸期建造の特徴を示しています。

聖人ひ孫に当たる存覚上人と慈観上人が来住され広く教勢を広げました。

その後、本願寺に蓮如上人が出られやや衰退したのですが、
天正元年(1573)門跡寺院たることを認められると共に、
菊の紋章使用の許しを受けています。 

当寺第十四代良慈上人は京極家親王の猶子で、享保19年(1734)御入山なさり、
江戸時代の真宗四ヶ本山の一つとして一派の興降に尽力なさいました。
当派は、親鸞聖人のご足跡を残す唯一の御本山です。

当派の御門主木邊円慈上人は第二十二代の法燈を平成2年(1990)に継承され、
今日に至っております。


【風景】


お寺の大型駐車場に着くと、そこは墓地でした。(^^;

グルっと回ってお寺の表側に行く。


【玄関門】


この時になってようやくこのお寺が錦織寺というのが分かった。

まさかここが浄土真宗木辺派本山だったとは。

完全に見落としてましたよ。(^^;

車を走らせながらパッと見て、
只ならぬ雰囲気を感じた私の嗅覚を褒めてあげたい。(笑)


ちなみに錦織と書いて「きんしょう」と読みます。

決して「にしこり」とか「にしきおり」とは読みません。

錦織って色々な読み方があるんですな~。(^^;


【表門】




格の高さを感じる門ですね。

玄関門と表門の間から境内に入れて車を停めれます。


【石標】



【中門】


何故か中門まであった。(^^


【境内】


うん、どっからどう見ても浄土真宗のお寺です。


【築山】



【茶所】



【講堂】



【御影堂】




元禄14年(1701)に再建されたもの。

京都の大本山に比べると小ぶりな御影堂ですが、
いかにも真宗らしい建物です。





欄間彫刻が見事でした。


【親鸞聖人像】



【阿弥陀堂】




天保2年(1831)に再建されたもの。




織物を朝廷に献上した際、時の四条天皇から下賜されたもの。
錦織寺の正式名称。






欄間には機織りをしている天女がいました。


【天安堂】






浄土真宗のお寺で毘沙門天が祀られてるは珍しい。
初めて見たと思う。

厨子に安置されている毘沙門天は、
お寺の方にお願いすると見せていただけます。


【鐘楼堂】



【御廟】





【蓮池】





【三王権現】



【高廊下】



【東山御殿】


書院、大広間は東山院の御常御殿を賜ったもの。


【御朱印】


書き手の方がいらっしゃらなかったので、
書置きをいただきました。

浄土真宗では御朱印はいただけないイメージがありますが、
本願寺派や大谷派以外では結構いただけますね。

苗村神社(2016年7月31日参拝)

2016年08月23日 | 神社
続いて竜王に移動し渋すぎる楼門がある苗村神社へ。



ここは道路に境内が分断されている珍しい神社です。

当然ながらまずは楼門を見る為に西本宮へ。

大型の無料駐車場がありました。


所在地:滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸467
御祭神:那牟羅彦神、那牟羅姫神、国狭槌尊
配祀神:大国主神、事代主神、素盞鳴尊
創建:不明
社格:式内小社、県社


【由緒】
当社の御鎮座は上古に属し延喜式神名帳に列座された長寸神社にして、
格式の高い式内社であります。

社伝によれば垂仁天皇の御代に当地方を開拓された
御祖をお祀りしたのが創祀とされます。

先人達は先祖に対する報恩の念により祖霊を神として、
当神域の東の方にお祀りしたのに創り、この祭神こそ当地方最高の祖神と心得、
地名である那牟羅(なむら)と同音になる長寸(なむら)の字に替えて、
長寸神社と申し上げました。

この御社を后の世になって東本殿と申すようになりました。

現時の社名、苗村の称号は社蔵の古文書によりますと、
この地域は日本書紀垂仁紀三年三月新羅王子・天日槍の條に曰う
吾那邑でありましたが、その后、那牟羅(なむら)に改まり、
更に長寸(なむら)に替えられました。

次いで寛仁元年(1017)正月、朝廷に門松用の松苗を献上することの
栄に浴して以来、年々の吉例となり、時の帝、後一條天皇はこれを嘉みせられ、
苗村の称号を賜り、以后苗村神社と呼ぶと記されています。

天正年間には織田信長が、天下太平を祈願し、
当社に馬鞍一具と太刀七振りを寄進している。

明治14年郷社、大正9年県社に昇格。


【大鳥居】



【参道】


奥に楼門が見えます。


【楼門】




大永2年(1522年)の建立の重要文化財。






素晴らしい。
渋すぎてクラクラする。(^^

滋賀県の神社の楼門は素晴らしいものが多いですが、
ここの楼門はトップクラスなのは間違いないですね。

感動。


【太鼓橋】



【境内】


奥に滋賀県でよく見るタイプの拝殿がありますね。


【境内社】




龍神池には野鯉が沢山いました。


【子守の像】





【神馬】



【神輿庫】


天文5年(1536年)建立された重要文化財。

神輿庫が重文なんて久しぶりに見た気がする。


【護国社】



【拝殿】


国の重文や国宝に指定されていませんが、
屋根が流麗で美しい拝殿です。



【狛犬】



【社殿】






中門の奥に徳治3年(1308年)に建立された国宝の本殿があります。

建保5年(1217)に修造され、
徳治3年(1308)に再建されたもの。


【八幡社】


重要文化財。


【十禅師社】



【境内社】



【儀式殿】



【不動堂】






平安時代後期から鎌倉時代初期の作の重文。

3人以上の事前予約で拝仏可能です。

西本宮は見所はこれで終了なんで、
道路を渡って東本宮へ。


【鳥居】



【参道】


西本宮と違った雰囲気です。

実に清々しい。


【大神宮】



【東本殿】




思ったより小さな本殿です。

左右の境内社は佐々貴社と天神社です。




重要文化財。


【狛犬】



【供養塔】



御朱印は社務所が閉まっていたのでいただけず。

滋賀県の神社はこれぐらいの規模でも御不在が結構ありますね。

阿弥陀寺(2016年7月31日参拝)

2016年08月22日 | びわ湖百八霊場


長閑な風景を見ながら次なる参拝地である阿弥陀寺へ。

あの織田信長と接点のあるお寺で、
昔は凄かった系であるようです。



所在地:滋賀県栗東市東坂506
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:応永20年(1413)
開山:浄厳坊隆堯
札所:近江湖南二十七名刹霊場、びわ湖百八霊場


【縁起】


室町時代の初期(1413年)浄厳坊隆堯が女人禁制の山であった
金勝山から東坂へ出て悟真庵を結び、弘法の道場にしたことに始まります。

阿弥陀寺は近江浄土教団の根源の地であります。

織田信長が金勝山に登って鷹狩をした時に、
第八世明感に出会ったと伝えられます。

明感の高徳を慕った信長は安土城築城に際し、
慈恩院の故地に浄厳院を建立して
有無を言わさぬ強引さで明感を安土に迎えました。

それまで近江における浄土教団の本寺であった阿弥陀寺は、
浄厳院にその座を譲ったとされます。

現在は無住ではあるが、総代を中心に大切に寺は守られています。


【山門】


古刹の雰囲気を感じさせてくれます。

とても無住とは思えない。

近くに無料駐車場がありました。


【地蔵堂】




今日はお寺を維持されている方々が掃除をされていました。


【中門】


なかなか立派な中門です。

少しだけ往時の雰囲気があります。


【本堂】


本堂は閉まっていましたが、
総代の方に事前予約すれば拝観可能です。

知ったのは帰宅してからだけどね。(泣)


【鐘楼堂】



【悟真庵遺跡】



【御朱印】


バインダー形式の書置きが本堂前に置いてありました。


近隣の檀家さん達によって大切に守られているお寺。
次世代以降も続いていってほしいですね。

荒れるのは簡単、でも元に戻すのは大変だから。

金勝寺(2016年7月31日参拝)

2016年08月21日 | 仏閣
本日は滋賀県の栗東市と守山市界隈の個性豊かな寺社を巡ります。

まずは湖南アルプスと呼ばれ狛坂磨崖仏や天狗岩等がある金勝山へ。

この山はなかなか良いハイキングコースがありますが、
今回は金勝寺まで車で登山。(笑)

金勝寺は仁王門に続く参道がかなり良い雰囲気なんですよね。

その雰囲気を味わいたくて今回訪れました。
楽しみです。

金勝寺と書いて(こんしょうじ)と読みます。


所在地:滋賀県栗東市荒張1394
宗派:天台宗
御本尊:釈迦如来
創建:天平5年(733)
開山:良弁僧正


【縁起】
天平5年(733)聖武天皇の勅願により、良弁が平城京の鬼門鎮護の為、
金勝山中に草創した寺院で、良弁が金肅菩薩と尊称されていたころから、
当初は金肅寺又は金勝山大菩堤寺と言われていました。

金勝寺が寺院として整備されたのは弘仁6年(815)願安が入山してからです。
願安は興福寺の僧で伝燈大法師という高僧で、弘仁年間(810-824)に、
国家の安寧を祈願する為、金勝寺に伽藍を建立し、
天長10(83)に現寺号に改められました。

歴代天皇家の帰依も厚く菅原道真が、
勅命によって参籠した事が寺伝に記されています。

中世時代には、湖南仏教文化の中心として栄え、
全盛期には金胎寺・安養寺など金勝寺25別院があったとされています。

天文18年(1549)に火災で全山焼失し、
住持賢法が徳川家康の援助により再興を図りましたが、
旧観をとり戻すまでには至りませんでした。

慶長17年(1612)徳川家康の朱印状により、金勝山のほとんどが金勝寺領となり、
山の管理は金勝寺に委ねられ、その後も歴代将軍より朱印状が発せられ
寺領は保障されていました。

しかし江戸時代にはかつての力はなく、
宝永2年(1705)に、跡寺院山科毘沙門堂の末寺になり現在に至る。


【林道】


山の上にお寺はあるので例の如く狭い道路を走っていく。
対向車が来ないことを祈りつつ緊張感溢れるドライブです。(^^;

この看板の所は左折するのですが、
狭くて左折出来ないので右折しUターンが必要です。



もうすぐ到着です。

お寺に着くと10台分程の無料駐車場がありました。

早速拝観料500円を支払い境内へ。


【参道】


これこれ、これが見たかったのよ。

梅雨の時期だったら参道も苔が多くなり、
もっと凄い雰囲気を感じられるでしょうね。




うお~、たまらん。

霧の時なんかきっと幽玄なんでしょうね。


【仁王門】



【仁王像】



【本堂】




重文の御本尊釈迦如来を中心に、
見事な仏様がいらっしゃいました。

写真撮影は不可でした。


【仁王門】


本堂から見た仁王門です。

ここから見てもいい。


【二月堂】


ここ、気軽に見に行ったら度肝抜かれます。(^^

高さ3.6メートルもの巨像である軍荼利明王が仁王立ち。

その迫力たるや畏怖の念を感じましたよ。


【軍荼利明王】


重要文化財。

撮影不可でしたので売っていたポストカードより転写したもの。


【虚空蔵菩薩堂】




重文の虚空蔵菩薩半跏像が良かったですね~。

滋賀県のお寺は仏像が充実していますが、
こちらも予想以上に素晴らしかったです。(^^


【大講堂跡】



【御香水館】


明治初期まで京都御所に献上されていた清水が湧いているそうです。


【御朱印】


書置きが置いてあったのでいただきましたが、
御朱印帳に書いていただけたようですね。

その他に軍荼利明王や虚空蔵菩薩の御朱印もあるようですが、
知らんかったわ。(^^;


【感想】
良いお寺でした。

参拝するのに立地的に難がありますが、
是非とも参拝してほしいお寺です。

また、このようなお寺がこれからも残っていって欲しいものです。


それとお寺から少し離れた場所にある馬頭観音堂は見逃し。

次回は磨崖仏ともども再訪する宿題となりました。

長圓寺・夜閻魔(2016年7月30日参拝)

2016年08月20日 | 仏閣
大阪の京橋から京都の淀へ移動。

夜19時から夜閻魔という法要が行われ、
限定御朱印をいただけるので参加しました。

去年の5月以来の参拝です。

<2015年5月17日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/82e3e59660e505eee3cc449249b41eea


所在地:京都府京都市伏見区淀新町681
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明


【山門】


【本堂】


本堂は夜になると明かりがついていましたが、
内陣は見ることが出来ませんでした。


観音堂は既に開いており、
内陣で御朱印がいただけました。

19時前で既に15人以上並んでいました。

夜閻魔法要は暗くなってからだから19時半ぐらいに開始。

御住職の法話が30分程で終了。

ちょっと間延びしちゃったかな。(^^;


【御朱印】


見開きで兼定と國廣と書かれています。
500円でした。




夜閻魔黒白朱印で500円。




7月までの期間限定の白銀御朱印。
各500円。

オリジナルの御朱印帳も売ってました。
3000円だったので買いませんでしたが。(^^;

宮下寛昇 ニノカルミゼ展(2016年7月30日)

2016年08月19日 | 旅行、その他
宗胤院の御住職である宮下寛昇氏とグルジア、いやもとい、
ジョージア在住のニノカルミゼ氏と共同個展が行われている
GALLERY UCHIDAへやってまいりました。


【ホテルモントレラ・スール】


♪京橋はええとこだっせ グランシャトーがおまっせ♪で有名な、
グランシャトーがある京橋駅が最寄り駅になります。

隣は読売テレビです。

しかし今日も暑い。


【GALLERY UCHIDA】


ホテルもお洒落ですが、
このギャラリーもお洒落です。




勇気を出して入ってみた。

入って左手に御住職の作品がありました。


【雲海】


まず目に飛び込んできた作品が雲海と名付けれられたもの。

一瞬で見て気に入りましたよ。




これこれ、宗胤院で見た襖絵と同じタッチです。

この墨の濃淡と筆さばきがたまりませんね。

素晴らしい。




これは欲しいと思ったけど、
40万はさすがに無理でした。(泣)

それにサイズが少し大きいので我が家では飾り負けしちゃう。

これが1/4のサイズで8万なら買ってたけどな~。(^^;


写真撮影は御住職の奥様に確認したところOKでした。

奥様とお話しさせていただきましたが、
凄く親しみがわく女性で、孫が可愛くて仕方ないようでした。(^^


【作品】




このように壁に飾られていました。

主だった作品を紹介させていただきます。


【閃】




「閃きは考え続ける延長上にある」

文字と稲光がとてもカッコよいし、
値段が5万なんで買おうか真剣に悩みました。

結局買いませんでしたが。(^^;


【雨】




18万円。


【楽】




「苦しい経験が本当の楽しみを知る」

35万円。


【観】




「よく観察し 心を読み 先見の眼を養う」

18万円。


【鹿】




6万円。


【力】




「身体の内側から湧き出る力」

35万円。


【里の秋】




18万円。


【ニノカルミゼ】




この方の作品は完全に玄人好みですね。


【御朱印】


ようやくいただけました。(嬉泣)


【イラスト】


こちらの美しい花のイラストが素晴らしい。
見開きじゃなかったけど本当に嬉しい。(^^

御住職は絵画や書で才能豊かで作品もワンパターンじゃなく、
バラエティーに富んでいる。

中でも襖絵の水墨画や花の作品がど真ん中直球の好みです。

色紙サイズで構わないので、花の作品を描いてくれないかな。
10万円でも買わせていただきますよ。(^^

ちなみにお代は500円でしたが、
少し上乗せしておきました。(^^


御住職ともお話しをさせていただきました。

凄く人当りが良く
気さくな人柄で楽しくお話しが出来ました。

大変お忙しい中、無理をいって申し訳ありませんでしたが、
本当に有難うございました。

また個展がありましたら行きます。

いつか御住職の作品も購入出来たらいいな。

國領神社・御朱印帳

2016年08月19日 | 御朱印帳


東京の調布市に鎮座する國領神社の御朱印帳です。

千年乃藤で見事な藤棚で有名な神社です。


サイズ:16センチx11センチ
値段:1000円(御朱印代無し)


【感想】
デザインが良くて見た瞬間欲しくなった御朱印帳です。

良いのはデザインばかりではありません。
ヨレないし裏移りもしないし、
紙質はとても素晴らしい。

これは絶対買いです。

惜しむらくはサイズが小さいことかな。
これで18センチの御朱印帳だったら満点を献上します。(^^

大樹寺・御朱印帳

2016年08月18日 | 御朱印帳


徳川家康の菩提寺である大樹寺で購入しました。

光の当たり具合により色が変わります。
デザインも凄く良いです。


サイズ:18センチx12センチ
値段:1200円(御朱印代無し)


【感想】
少しヨレますが、墨の裏移りもほとんどありません。

なかなか良い御朱印帳だと思います。