Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

總持寺祖院塔頭 芳春院(2017年8月18日参拝)

2017年09月30日 | 仏閣
總持寺祖院の山門の手前に小さなお寺があります。

その名も芳春院という塔頭です。

芳春院と聞いてピンときた人は、
歴史好きかお寺好きですね。

そう、芳春院とは前田利家公の正室まつのことです。

その法名が名前になっている由緒あるお寺です。


所在地:石川県輪島市門前町清水2-6
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:慶長14年(1609)
開基:芳春院
開山:象山除芸大和尚


【縁起】
前田利家公夫人お松の方が、
總持寺に参詣の折に塔頭を建てるのを懇願し、
總持寺代官星野家館を移転してその場所に建立。

開山は象山除芸大和尚。

明治31年(1898)の火災にて焼失し現在の位置に再建。

堂内には芳春院の位牌が安置されています。


【本堂】




御本尊は見えませんでした。


【開運弁才尊天奉安所】




小さな奉安所です。




向かって右側に小さな弁才天が祀られていました。

弘法大師の自作の真贋は問わないでおこう。(^^;


御朱印は書置きがあるようですが、
本堂前の玄関に置いていなかったし、御不在でした。


【稲荷堂】


芳春院の前の寂しい場所に稲荷堂があります。


【乳もらい地蔵】


死んだ母親が墓の中で産まれた我が子を、
夜な夜な飴屋に向かい母乳に代わりに飴をあげて育てました。

その子が後に總持寺の五代目通幻寂霊禅師です。

母の慈思に報いる為親のいない子供達の成長を願って、
地蔵尊を祀ったそうです。


京都の東山で有名なのが幽霊子育飴です。

その時の赤ん坊は立本寺で高僧になったそうですが、
この輪島でも同じような伝承があるんですね。

總持寺祖院(2017年8月18日参拝)

2017年09月29日 | 北陸三十三ヵ所観音霊場
寄り道で神社を二社参拝し今度こそ本当に總持寺祖院へ。

その前に遅い昼食で「そば禅」さんに立ち寄り。


【そば禅】



【焼き魚定食】


焼き魚は日替わりで今日はアジでした。

これが抜群に美味かったです。

普段食べてるアジは身が細くてボサボサで美味く無いけど、
こちらのは肉厚で今まで食べてきた中では生涯最高の美味さでした。

定食の値段は確か1200円ぐらいだったかな。


所在地:石川県輪島市門前町門前1-18-1
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:元亨元年(1321)
開山:瑩山紹瑾禅師
開基:定賢律師
札所:北陸三十三ヵ所観音霊場



【縁起】
約700年前の元亨元年(1321) 瑩山紹瑾禅師によって開創されました。

元亨2年(1322)禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、
總持寺を勅願所として曹洞賜紫出世第一の道場と定められました。

以後、二祖峨山禅師や五哲と呼ばれる峨山禅師の弟子を中心に、
日本曹洞宗の中心道場として発展してきました。

明治31年(1898)の大火により多くの堂宇を消失、
明治44年(1911)に横浜鶴見に本山が移転。

その後大正、昭和にかけて焼失を免れた伝燈院、慈雲閣、
経蔵等の他に七堂伽藍が再興され、能登の祖廟、祖院として、
現在に至っております。


【寺号標】


そば禅から数分で總持寺祖院に到着。

やっと憧れのお寺に参拝する事が出来ます。

福井の永平寺、鶴見の總持寺が二つの本山を参拝したからには、
この祖院は以前から参拝したかったので感無量です。

駐車場は有料の市営駐車場か、
輪島市役所の無料駐車場になります。

市役所が休みの土日は市役所の駐車場に停めても大丈夫かと。


【三樹松関】


三樹松関という名前ですが所謂総門でしょうね。

元大本山にしては質素な門ですが、
この奥を進むと見事な山門があります。


【山門】




昭和7年(1932)に再建されたもので、
祖院に相応しい威厳に溢れた見事な山門です。

しかし、足元は工事してますね。

この山門を修理するのであろうか。


【経蔵】




加賀六代藩主前田吉徳公が寄進し、
寛保3年(1743)に建立されたもの。

絶賛工事中でした。


【火伏せの松】





【白字橋】



【門】


うーむ、めっちゃ工事してるやん。(^^;


【仏殿】


絶賛工事中。。。

大正元年(1912)に再建されたもので、
御本尊の釈迦牟尼仏修理菩薩、達磨大師が祀られています。


【法堂】


こちらは工事してなくて良かった。(^^


【内陣】








開祖瑩山紹瑾禅師、峨山禅師、道元禅師が祀られています。






御位牌が安置されていました。


【御本尊】




仏殿が修理中ですので、御本尊、尊者、達磨大師等が、
法堂に移されて祀られていました。


【左殿】




守護神三宝大荒神と總持寺の前身諸嶽寺住職定賢律師が祀られています。


【放光堂】


工事中でこれ以上先に進めませんでした。


【香積台】


こちらが拝観受付となります。

鶴見の總持寺にも香積台がありましたね。


【鐘楼堂】



【白山妙理大権現】



【石像】



【十三尊佛・六道観音菩薩】



【味噌摺り地蔵】



【御朱印】


御朱印は三種類ありました。


今回は伽藍が工事中でしたので、
工事が完了したらまた訪れたいね。

柴咲コウ スペシャルライブ限定御朱印帳

2017年09月28日 | 御朱印帳


「柴咲 寺院」~池上本門寺 月夜の宴~
開催日時:2017年9月30日(土)17:45開場 /18:30開始
開催場所:日蓮宗大本山 池上本門寺(東京都大田区)


「柴咲 神宮」~平安神宮 月夜の宴~
開催日時:2017年10月9日(月祝)17:45開場 /18:30開始
開催場所:平安神宮(京都府京都市)


柴咲コウと言えば女優のイメージが強いですが、
この人の歌唱力は半端無く、歌手としても活躍されています。

というか日本で唯一女優と歌手を両立させているのが彼女です。

そんな彼女には日本の音楽史に残る大名曲があります。

それは草彅剛・竹内結子主演で、柴咲コウ自身も出演した
映画「黄泉がえり」の主題歌である「月のしずく」です。





今聴いても素晴らしい楽曲と歌声です。

そんな彼女が久しぶりにライブをするということで、
「月のしずく」1曲の為に平安神宮に参戦します。

それで昨日になってグッズで御朱印帳を発売される情報入手。




画像を見る限りページ数は少ないし、
紙質はたいした事無いと思うが、そこは記念なんで。(^^


ただ、この御朱印帳はパンフレットとセットで発売されるので、
値段が高くなることが予想されますね。

池上本門寺と平安神宮の会場のみの発売となりますが、
会場外でも買えるのでそれでも欲しい方は是非。


<2017年10月10日更新>
小さいパンフレットと一緒で3500円でした。

小さいサイズで紙質は意外と良さそうです。

あと、ヤフオクに出品を予想していましたが、
現時点では余り出ていませんね。

彼女のファンは予想以上に御朱印ガールが多かったようです。

劔地八幡神社(2017年8月18日参拝)

2017年09月28日 | 神社
249号線を走り羽咋郡から輪島市に入りました。

すると途中で劔地八幡神社の看板発見。

まぁ、寄り道するわな~。(^^

駐車場はありませんので、
神社の前にこそっと駐車しました。


所在地:石川県輪島市門前町劔地レ136
御祭神:神功皇后
創建:不明


【社頭】


普段は無人のとても小さな神社ですね。

由緒も残っていないようですが、
武神で海の神でもある八幡神(応神天皇)の母である
神功皇后を祀っているだけあって、
昔からこの地の漁業を生業としてる住民から崇敬されているのであろう。


【鳥居】


小さいながらもカッコいい鳥居です。


【拝殿】



【狛犬】



【金比羅宮】





【秋葉宮】





【琴ヶ浜】


神社のすぐ近くは海岸です。




鳴き砂で知られているらしい。

神社から少し海岸線を北上するとトトロ岩があります。

知らないと単なる奇岩としてスルーしちゃいますね。


御朱印は恐らく無いと思われます。

高爪神社(2017年8月18日参拝)

2017年09月27日 | 能登国三十三観音霊場
観光地の巌門から總持寺祖院へ向けて走っていると、
前田利家公所縁の神社云々の神社の看板を発見。

その神社の名前は高爪神社。

前田家所縁の神社となれば華麗にスルーする訳にはいかない。

はい、いつもの寄り道です。(^^


所在地:羽咋郡志賀町大福寺ナ58
御祭神:日本武尊
本地佛:十一面観世音菩薩
創建:大宝2年(703)
社格:県社
札所:能登国三十三観音霊場


【由緒】
由緒書に寄れば往古は、内宮・外宮・末社八あり、内宮を六社宮と称し、
日本武尊・菊理比叱他四柱の神を祀り、外宮を高爪神社と称し、
串稲田姫命・事代主命・日本武尊の三柱の神を祀るものにして七院ありと記し、
持統皇内外宮を国家安康の祈願所と定め、文武天皇に尊信せられた。

大宝3年(703)6月、正一位真蘇坊洞ケ岳大明神の勅宣を賜ると伝えている。

最盛期には数十人の神官・僧官が分立して、山麓に寺坊を建て、
六柱の神(高爪大明神・気多大明神・白山妙理権現・伊須留岐権現・
若王子・八幡大菩薩)を初め、山頂の祭祀を執り行った。

管理支配したのが蓮華光院大福寺で、いわゆる神仏習合の時代が長く続く。

しかし明治2年(1869)廃仏毀釈により寺院を廃絶して、
神社だけの今日の姿になった。

一方、前田利家公をはじめ歴代の藩主の崇敬が厚く、
社殿の造営や社領の寄進などを行った御印物が現存している。

利家公が十一面観音菩薩を安置して以来、高爪神社は観音堂としての信仰を集め、
能登国33番観音霊所の第26番の札所として、観音講信者の参詣が行われている。


【鳥居】


小さな集落の中に神社は鎮座しておりました。

鳥居横に広場があり車を停めていざ参拝。


【案内板】


ふむふむ。






お、神社に薬師如来が伝わっているとは。

これは予想以上に期待出来そうな神社です。






薬師如来、懸仏があるということは、
完全に神仏習合の神社のようですね。

全く知らなかった神社ではあるが、
これは完全に当たりかも知れない。


【石段】




山の麓にある神社の良い雰囲気です。

階段はしんどいが。(^^;


【狛犬】



【拝殿】




どうぞご自由に上がってくださいということで、
有難く昇殿させていただく。






奥に本殿が見えます。


【随身】





【写真パネル】




薬師如来は現在石川県立美術館に委託されていて、
天皇皇后陛下もご覧になられています。


【案内】


御朱印は下にある社務所に行けばいただけます。


【本殿】


天明6年(1786)に建立されたもの。


【宝殿(観音堂)】


神社の境内社に見えないですね。

これは観音様が祀られているお堂とピンときた。


【案内】


能登国三十三観音霊場の札所なんですね。

地名にもなっていますが、江戸時代までは大福寺というお寺があり、
この観音堂は大福寺の遺構です。

後で宮司さんとお話しをさせていただきましたが、
神仏習合という意識がとても強い方でした。(^^




今日は18日。

ラッキーにもお堂が開いていました。(^^




さすがに堂内には入れませんでしたが、
堂内を見れただけでも有難いです。


【境内社】



【御朱印】


能登国三十三観音霊場の御朱印もいただけますが、
話に夢中ですっかり忘れてしまった。(^^;

神社でお寺(観音霊場)の御朱印をいただけるのは、
全国的にも超絶珍しいので惜しいことをした。

また、能登を訪れる際はもう一度高爪神社に参拝します。


【高爪神社奥宮鳥居】


高爪神社には高爪山の山頂に奥宮が鎮座しています。

鳥居の先を少し進みましたが、
遠くて時間がかかりそうなのので断念。

奥宮よりも憧れの總持寺祖院が私を待ってるからね。


【境外社】


たぶん高爪神社が管理していると思われます。


寄り道で参拝した高爪神社は完全に当たりの神社でした。

これがあるから寄り道は止められない。(^^

能登金剛 巌門洞窟(2017年8月18日観光)

2017年09月26日 | 旅行、その他
總持寺祖院へ向けて249号線、36号線を走り北上。


【志賀原子力発電所】


この巨大施設は何だろうと思っていたら、
原子力発電所だということが看板で分かった。

ちょっと調べてみると原発は1号機と2号機は停止中で、
北陸電力は再稼働を目指しているそうです。

しかし、1999年にレベル2の臨界事故を起こしているが、
国への臨界事故の報告は直ちに行われておらず、
2007年3月15日になってこの事故の存在が明るみに出たとか。

隠蔽体質が酷過ぎますね。

また、敷地が活断層の真上にあるとか、雨水流入したりとか、
安全面に対する意識や杜撰な管理を考えると廃炉すべきですね。


【能登金剛】


約30キロに亘って奇岩、奇勝、断崖が連続する海岸であり、
能登半島国定公園の景観の一つが能登金剛です。

その能登金剛を代表する存在なのが巌門と呼ばれる
浸食によってぽっかりとあいた洞門です。

海岸線を走っていると巌門という案内板を嫌でも目に入ってくる。

今日は白山登山中止になったので、
神社仏閣巡り一辺倒では無いので、たまには観光してみる。


【巌門】


下に見えるのが巌門で大きな穴が開いてますね。

観光地らしく遊覧船まで出てます。


大きな駐車場に車を停めて巌門へ。

観光地らしく食事処とお土産屋がありました。



【隧道】


少し下に行くと入口があります。

ワクワクしますね。




何か楽しいわ~。(^^






原始宗教で何か祀られていたのではないかと思うような、
何とも厳かな雰囲気です。

四国だったら弘法大師が修行していたと思います。(^^





外に出て振り返るとこんな感じ。


【巌門】


どうやら私が歩いた右側の洞窟は巌門では無く、
向かって左側の穴が巌門みたいですね。

巌門は幅6メートル、高さ15メートル、奥行き60メートルあり、
自然に出来たものです。




個人的に左側の巌門は特に感じるものは無く。

しかし、宗教的な雰囲気を感じる右側の洞窟の方が、
私にはハマるものがありましたね。(^^


【鷹ノ巣岩】




荒々しい岩がたまりませんね。


【不動滝】


帰りの散策路に不動滝という滝があり、
不動明王が祀られていました。


【巌門】


最後に見納め。


今日は遊覧船に乗りませんでしたが、
巌門の良さは海から見た方が断然だと思われます。

家族が居たら私も乗っていたけど、
さすがに一人で乗船するのは恥ずかしかった。(^^;

妙成寺 其の二(2017年8月18日参拝)

2017年09月25日 | 仏閣
妙成寺といえば五重塔になりますが、
やはりお寺のメインは本堂です。

これからメイン所の参拝となります。


【三光堂】






重要文化財。




太陽を表す日天、月を表す月天、星を表す明星天の、
三光天像が祀られていました。

鎮守堂とも与ぼれているそうです。


【本堂】








慶長19年(1614)に建立されたもの。

重要文化財。






見事です。


【祖師堂】




日蓮聖人像の左右に、開山日像上人と日朗上人が祀られていました。

重要文化財。


三光堂、本堂、祖師堂の三つもの重文のお堂があり、
見応え、拝み応えたっぷりでした。(^^


【鐘楼堂】


寛永2年(1625)建立の重要文化財。


【書院庭園】




日蓮宗なのに池泉庭園と書院がある。(笑)






ここから見る五重塔がこれまた乙なものです。

仁和寺の庭園を彷彿させますね。


【書院】






日蓮宗なのに胡蝶蘭とかー。(笑)

らしくないぞ。(^^

加賀藩5代藩主前田綱紀が参拝の際の休息所とする為に建立されたもの。

奥には前田家代々の菩提と3代藩主利常の生母・寿福院、
長女・浩妙院の冥福を祈って、御霊屋が設けられているそうです。


【客殿】






客殿にも諸仏が祀られていました。


【庫裏】


文禄年間(1592~1596)に建立された重要文化財。


【日時計】


中世のスペイン製らしい。


【境内】


ぐるっと一周して元の場所に戻ってきました。

伽藍の周りには墓地があり、
檀家さん達と共に支え、支えられてきたことが分かります。

そのような檀家さん達がいる限り、
未来永劫にわたって寺は存続し続けるだろう。


【御首題】


惚れ惚れするような達筆です。

妙成寺 其の一(2017年8月18日参拝)

2017年09月24日 | 仏閣
続いて日蓮宗の本山である妙成寺へ。

こちらの五重塔がどうしても見たくて、
以前から訪れたかったお寺です。


【風景】


とても旅情を感じさせる風景です。




五重塔はお寺の顔ですね。

もうすぐお寺に到着です。


所在地:石川県羽咋市滝谷町ヨ1
宗派:日蓮宗
御本尊:一塔両尊四天王四菩薩
創建:永仁2年(1294)
開基:日像上人


【縁起】
寺伝によると永仁2年(129年)日像上人は師命により、
京都に妙法を布教する為に佐渡から七尾へ渡る船中、
石動山天平寺の座首満蔵法印と法輪を交わした。

満蔵法師は法華経に感銘を受け、石動山に日像を招き、
全山衆徒の前で法華の教えを説いた。

ところが衆徒は日像の説法に罵言を吐き、暴徒化し二人を襲い、
二人は急いで下山し命からがら滝谷へと逃げ延びた。

日像は鎌倉より携えていた槐の杖を地面に挿し、
「この杖より根が生ずるなら、汝この地に法華の寺を建立すべし」と、
満蔵法印に言い残して京都に向かった。

まもなく杖より根が生え始めたので、満蔵法印は日乗と名を改め、
叔父の滝谷領主柴原法光の助力を得、開山を日像、
自らを第二祖として妙成寺を建立した。

天正10年(1582)能登国の太守となった前田利家から寺領の寄進を受け、
慶長8年(1603)利家の側室寿福院の帰依を受け、
その菩提寺になるなど加賀藩前田家から手厚い庇護を受け隆盛を極めた。

その後、七堂伽藍が完成し寛永8年(1631)には、
加賀藩3カ国の日蓮宗の総録所となった。

日蓮宗の北陸本山で能登随一の大伽藍を持ち、
本堂、五重塔、祖師堂、経堂等、10棟が重要文化財に指定されている。


【総門】


中に大型の無料駐車場と売店があります。


【寺号標】


少し進んだ場所で拝観料を支払い境内へ。

五重塔が見えて期待感が高まる。


【仁王門】




これはいいですね~。

五重塔だけでなく仁王門も実に素晴らしい。

さすが重要文化財だけあります。


【石仏】



【浄行堂】


これはまたゴマラー好みのお堂です。(^^




休憩所のように見えますが
浄行菩薩を祀っているお堂です。




屋根の内側はこんな感じ。


【仁王門】


石段を登っていきます。

足腰が悪い人はしんどいでしょうね。


【仁王像】


江戸時代初期の作で、
かなりの力量の仏師が造ったと思われます。


【経堂】


重要文化財。

後ろに一般の墓地があり、引きで撮影すると墓が映ってしまうので、
何とも苦し紛れに撮影しました。

その奥にある開山堂は墓地の真横でしたので、
撮影はしておりません。


【五重塔】




北陸には五重塔はこの一塔のみ。

とても貴重かつ見事な五重塔です。

重要文化財。


【浩妙院殿墓】


三代藩主前田利常公の長女だそうです。


【寿福院殿墓】


三代藩主前田利常公の生母の墓です。

五重塔の願主がこの方です。


【丈六堂】


古い墓の中を進むと丈六堂というお堂があります。

ここも一般の墓を映さないように苦労する。






中に入ると思わずウォ!っと驚いた。

まさか高さ5メートルもある釈迦如来が祀られているとは。

昔、羽咋市の海岸に頭だけが流れ着き、
それに合わせて胴体が造られたものとか。






左右に二天が祀られていました。


【閻魔堂】



【三十番神堂拝殿】



【三十番神堂】




裏手にも一般のお墓があったので苦しい撮影。(^^;

重要文化財。


【若松】





【紅梅】





とりあえず長くなりましたので続きはまた明日。

正覚院(2017年8月18日参拝)

2017年09月23日 | 北陸三十六不動霊場
気多大社の隣りにあるのが神宮寺である正覚院というお寺。

結構賑わっている気多大社とは対照的に、
とても静かなお寺です。

お不動さんと観音さんの霊場です。



所在地:石川県羽咋市寺家町ト92
宗派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
創建:不明
開山:不明
札所:北陸三十六不動霊場、能登国三十三観音霊場、北陸白寿観音霊場



【縁起】
亀鶴蓬莱山正覚院の創建は不明ですが、
養老2年(718)泰澄大師が荒廃していた社頭を再興し、
一堂を建立したと伝えられています。

斉衡2年(855)に亀鶴蓬莱山気多太神宮寺の勅号を賜り、
以来、気多大社の神宮寺として寺運が隆盛しました。

当初は天台宗の寺院でした中世に真言宗に改宗、
明治時代初頭に発令された神仏分離令により気多大社から独立しています。

気多大社の神宮寺は正覚院の他、長福院・地蔵院・薬師院等がありましたが、
神仏分離令により廃絶しています。

又、気多大社の仏式が廃された為、
気多大社講堂内に安置されていた木造阿弥陀如来坐像や八咫の神鏡等、
が正覚院に移されています。


【山門】



【本堂】


本堂は閉まったままでした。


【庫裏】



【十三重搭】



【鐘楼堂】



【地蔵尊】





【白寿観音】



【護摩堂】






平成19年(2007)再建されたもので、
とても独特の造形の護摩堂です。

御住職にお願いすると拝観出来るそうです。


【修行大師】



【阿弥陀堂】




いわゆる収蔵庫ですね。

内陣は事前予約が必要です。


【阿弥陀如来】


画像はネットで拾ったものです。

御尊顔を拝したかったね。

これにて参拝終了。


せっかく気多大社の隣という好立地にあるんだから、
もっと開かれたお寺だったらと残念に思う。

これでは普通の人は訪れてもすぐに帰るだろうし、
お寺や仏教に対して親近感はわかない。

御朱印は三種類ありますが、
ピンポン押すのが億劫なのでいただいておりません。

氣多大社(2017年8月18日参拝)

2017年09月22日 | 一宮
石川県には何度も訪れているけれど、
なかなかご縁が無くて参拝出来なかった気多大社。

今回は登山中止によってようやく参拝が叶いました。

登山に行っていたら、
参拝は遠い先になっていたかも知れません。


所在地:石川県羽咋市寺家町ク1
御祭神:大己貴命
創建:不明
社格:式内社、能登国一宮、国幣大社



【由緒】
気多神社縁起によれば第8代孝元天皇の御代に、
御祭神の大己貴命が出雲から300余神を率いて来降し、
化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという。

また気多社祭儀録では御祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、
神代からの鎮座とする説もあると記される。

奈良時代には北陸の大社として京にも名が伝わっており、
万葉集に越中国司として赴任した大伴家持が、
天平20年(748)に参詣したときの歌が載っている。

延長5年(927)成立の延喜式神名帳では能登国羽咋郡に、
気多神社 名神大と記載され名神大社に列している。

中世以降は能登国一宮とされ、中世・近世の間は畠山氏・前田氏等、
歴代の領主からも手厚い保護を受けた。

明治4年(1871)近代社格制度において国幣中社に列し、
大正4年(1915)に国幣大社に昇格した。

戦後は神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定されていたが、
平成22年(2010)に神社本庁に属さない単立神社となった。


【大鳥居】


大型の無料駐車場がありました。

こういう大社は参拝が楽しみです。


【狛犬】



【神門】


実に渋い。

思った通り重要文化財でした。(^^

天正12年(1584)建立されたものと伝わっています。


【拝殿】


絶賛工事中。。。

重要文化財の社殿を見たかったな。

平成30年8月末まで修理とのこと。


【きれい結び処】






神門の所で巫女さんが参拝順路の説明があり、
まずはここに参ってから拝殿という順路でした。


【若宮神社・本殿】


向かって左の手前が若宮神社で、
永禄12年(1569)に建立された重要文化財。

本殿は天明7年(1787)建立の同じく重要文化財。


【白山神社】


天明7年(1787)建立の重要文化財。


【神庫】


天明7年(1787)建立。


【楊田神社】


ここから先は只ならぬ雰囲気を感じる。

それもそのはず、本殿裏手には一万坪もの禁足地である
入らずの森が広がっているからです。

神域である森の中には奥宮があるそうですが、
一般人は参拝する事はおろか、見る事も許されていません。


【太玉神社】



【狛犬】



【菅原神社】



【御朱印】


拝殿が工事中であったり、随身門を見逃したりしたが、
参拝出来てとても良かった。(^^

羽咋神社(2017年8月18日参拝)

2017年09月21日 | 神社
永光寺の次は羽咋神社に参拝です。

こちらは式内社に列する古社です。


所在地:石川県羽咋市川原町エ164
御祭神:石衝別命
相殿神:石城別命、弟苅羽田刀弁命、道反大神
創建:不明
社格:式内社、県社


【由緒】
当地に垂仁天皇の勅により派遣され、農業を奨励したと伝える。

後に当地を治めた羽咋君一族が祖先の石衝別命を氏神として、
祀ったことに始まるという。

延長5年(927)成立の延喜式神名帳では、
能登国羽咋郡に羽咋神社と記載され、式内社に列している。

南東約200メートルに所在する八幡神社が羽咋神社の元々の鎮座地であり、
文明年間(1469-1487)に大塚古墳の墳丘上に社殿を造営し遷宮したとされる。

明治5年(1872)近代社格制度において郷社に列し、
明治14年(1881)には県社に昇格した。

明治42年(1909)七尾線建設の予定地にあった姫塚上の三俵苅社から、
祭神の道反大神を遷し合祀した。

大正6年(1917)大塚が陵墓参考地となった為、
社殿を現在の大塚の後円部南麓に遷した。


【鳥居】


境内に車を停めれる事が出来ました。


【御神木】



【拝殿】







【御神馬】



【蔵】



【磐衝別命墓】







【御朱印】


特に印象に残る神社では無いですね。

雨が降っていたことの方が印象に残ってるぐらい。(^^;

永光寺(2017年8月18日参拝)

2017年09月20日 | 北陸三十三観音霊場
豊財院から4,5キロの場所にあるのが永光寺。

こちらは大本山総持寺の開祖瑩山禅師が開き、
後醍醐天皇により勅願寺となった由緒ある古刹です。


所在地:石川県羽咋市酒井町イ11
宗派:曹洞宗
御本尊:華厳釈迦牟尼仏
創建:正和元年(1312)
開山:瑩山紹瑾大和尚
開基:黙譜祖忍
札所:北陸三十三観音霊場、能登国観音霊場



【縁起】


曹洞宗の高祖・道元禅師と並び、太祖として尊崇される瑩山紹瑾が、
正和元年(1312)能登の国・酒井に開創した曹洞宗発展史上、
最も重要な地位を占める古刹です。

元亨元年(1321)後醍醐天皇より曹洞宗出世道場の綸旨を賜り勅願寺となる。

足利尊氏の北朝時代には光厳上皇が能登国利生塔を建立。
足利直義も仏舎利二粒を三重の利生塔に納めて安穏を祈る等隆盛を極めます。

応仁の乱で伽藍の大部分を焼失、後に後土御門天皇の発願で再興されましたが、
天正7年(西暦1579)兵火により七尾城と共に、
再び全山を焼亡するという悲運に見舞われます。

江戸時代に入り前田利家が能登を領した時には、
寺領三百石を認め永光寺復興に尽力しました。

現在の建物は寛永以後の再興で、その伽藍は曹洞宗寺院の源流の一つです。


【寺号標】


豊財院と違いとても大きな境内のようです。


【幸運橋】


車は上の駐車場に停めたので、わざわざ下まで降りました。(^^;


【中道門】


完全にお城の雰囲気を感じます。


【参道】


ここの雰囲気がたまらない。

この良さは参拝しないと分からない。


【弁天堂】


こういう池は濁り切った死んだ池ばかり。

しかし、ここは水が豊富なんでしょう。
弁天池の水はとても綺麗。

だから弁天堂の周りはとても清浄な雰囲気です。

改めて水って大事だよなぁ、と思う。


【参道】


駐車場からわざわざ下に行って良かった。

山門横の駐車場まで車で行けば楽だけど、
この参道の素晴らしさは味わえない。

下にも数台分の駐車場があるので、
永光寺を参拝する際はさんど宇を歩く事をおすす


【観音堂】



【石段】




曹洞宗らしい凛とした雰囲気。

これはもう本当にたまらない。


【山門】


慶応2年(1866)再建されたもの。


【仁王像】





【境内】


真ん中が本堂である法堂です。






法堂を真ん中に左右に回廊で繋がれた書院、僧堂、庫裏があります。

法堂の奥には開山堂である伝燈院があり、
五老峰の尊像と御位牌が安置されているようです。

特別拝観料として通常の拝観料300円にプラス500円要です。

五老峰とは如浄禅師、道元禅師、懐弉禅師、徹通禅師、瑩山禅師とのこと。


さらに伝燈院の奥には高さ5メートルの墳丘があり、五老峰の遺品、
道元禅師の遺骨等が安置されているとのこと。


【十六羅漢・四天王】



【内陣】



【山岡鉄舟の大襖書】




幕末三舟の一人である山岡鉄舟の大襖書とのこと。


【境内】



【御朱印】



参拝終わって車に乗ると土砂降りの雨。

運転するのも躊躇う程であった。

豊財院(2017年8月18日参拝)

2017年09月19日 | 能登七福神めぐり
早朝に起きて外を見ると無情の弱雨。

天気予報を見ても登山に適していない予報。

く~、ここまで来て雨とか泣けてくる。

カッパも念の為に持ってきたけど、
天気が悪い日に登っても辛いだけで全く面白くない。

結局、苦渋の決断で白山登山及び奥宮参拝は中止。(泣)

天気ばかりはどうしようもないけど、
今年も登れなかったな。


そんな訳で今日は第二候補の能登界隈の寺社巡りをすることにした。

能登には参拝したい憧れの寺社が多いからね。

朝風呂に入ってチェックアウト。


【手取湖】



【手取川ダム】


デカいダムでした。

それもそのはず、高さは153.0メートルもあり、
北陸地方最大のロックフィルダムだそうです。


【千里浜なぎさドライブウェイ】




チェックアウトしてから約2時間で到着。

なぎさドライブウェイの看板を見たら走りたくなるよね~。(^^

10数年振りです。

天気が良かったら最高に気分が良いけど、
海岸を走れて良かった。(^^

なぎさドライブウェイから約15分で豊財院に到着。

最後は細い道でしたが。

無料駐車場があります。



所在地:石川県羽咋市白瀬町ル8
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:正和元年(1312年)
開山:柴山紹瑾禅師
札所:能登七福神めぐり


【縁起】
別名「般若寺」とも呼ばれているお寺です。

永光寺の開祖・瑩山紹瑾により能登で初めて開かれた曹洞宗の道場で、
弟子の明峯素哲が正和元年(1312年)にこの寺を創建しました。

歴代の住職には名僧が多く、特に自らの血をもって大般若経を書写した
月澗義光は中興の祖とされています。

平安時代中期の作と伝えられる国指定重要文化財の三観音や、
自らの手指を刺し、その血をもって書写した血書大般若経六百巻等、
寺宝として守られています。


【山門】


長閑な地域を守るかのようなお寺の雰囲気を感じます。




鐘楼門はたまに見かけるけど、
二層部分にあるのが普通。

しかし、こちらのはまさかの手が届く所に吊るされています。

これは珍しいですね。


【般若の鐘】


この鐘は般若の鐘と呼ばれ、煩悩を打ち消す梵鐘だそうです。

山奥では無く近所に住宅があるので、
さすがに鳴らせませんでした。

除夜の鐘ですら五月蠅いとクレームがお寺にあるとか。

まったくもって嫌な時代になってしまいました。


【地蔵堂】





【地蔵尊】


こ、これは?

何ともイースター風な面白い異形のお地蔵さんです。


【手水鉢】


この水では手を清められませんね。


【悲報】


拝観は事前予約が必要なので織り込み済み。

今日は白山登山の予定だったので、
事前予約はしてなかったし。


【本堂】


重文の三観音がいらっしゃらなければ、
素朴で小さなお寺といった風情です。

外からは堂内は見れませんでしたが、
御朱印をお願いすると堂内に入れていただけました。

ありがたい。(^^


【内陣】




まずは御本尊にお参り。

曹洞宗らしい御本尊と内陣です。




白衣観世音菩薩。


【御朱印】


墨書きは御本尊では無く般若堂に安置されている馬頭観音でした。

リクエストすれば能登七福神めぐりの御朱印もいただけます。

真成寺~行勧寺~聖得寺(2017年8月17日参拝)

2017年09月18日 | 神社


白山苑の前にある土産物屋で遅い昼食。


【白山蕎麦】


太いのと細いのが混じってるんですけど。
こういうもんなのかな。(^^;


【白山焼】


なかなか渋い色のコーヒーカップがあったので買ってもた。
1500円と安くて良かった。(^^


【白峰温泉 白山苑】


本日のお宿。

チェックイン後、汗を流そうと内風呂へ。

これが予想以上に良いヌルヌル系の温泉で最高でした。

まだ15時だったので白峰重要伝統的建造物群保存地区散策がてら、
幾つかのお寺を参拝です。


【白峰温泉総湯】


白山苑の横には温泉施設の総湯があります。

ここは夕食後に入ることにしよう。


<真成寺>
所在地:石川県白山市白峰イ−66甲
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明






林西寺の斜め前にある真成寺。

本堂に入ることが出来ない小さなお寺でした。


<行勧寺>
所在地:石川県白山市白峰イ69
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明








こちらも本堂は開いていませんでした。




庫裏の小羽葺き屋根には鐘楼があるそうです。


【風景】



【花】



【白峰郵便局】



【雪だるまカフェ】




お休みでした。(泣)


【風景】



<聖得寺>
所在地:石川県白山市白峰ロ138
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明



こちらも本堂、鐘楼堂、庫裏のみの真宗大谷派のお寺でした。

小さな地区に真宗のお寺が4つもあるとは、
さすが北陸は真宗王国ですね。


【風景】






手取川という川です。

これにて散策終了。


【夕食】










山と川料理でしたがとても美味しかったです。(^^

満足。


【白峰温泉総湯】


重曹系の温泉で露天もあって良かったー。

白峰温泉は本当に素晴らしいお湯でした。(^^


さて、翌朝は4時半起きなので10時に布団に入るも、
壁が薄くて隣の部屋の老夫婦の話し声がうるさくて寝れない。

普通、あの歳になったら話題なんて無くなるのに、
よく喋るよなー。(^^;


隣りの声といえば以前、鳥羽に行った時、
隣りの部屋の若いカップルがエッチをしていて、
アエギ声が聞こえた時は生々しくて興奮したな。(^^

こういうのは大歓迎だけど、老夫婦の笑い声とか要らんわ。(苦笑)

八坂神社(2017年8月17日参拝)

2017年09月17日 | 神社
林西寺の隣に鎮座しているのが八坂神社。

普通の小さな神社かと思ったが、
泰澄大師所縁の薬師如来が祀られている神社でした。


所在地:石川県白山市白峰ロ−165
御祭神:素盞嗚命
本地仏:薬師如来
創建:養老2年(718)
社格:村社


【由緒】
養老2年(718)泰澄大師が牛首開村の時、
牛頭天王を祀り本地の薬師如来を祀ったことが始まりとされています。

古くは薬師社、牛首社とも呼ばれていました。

寛永16年(1639)加藤藤兵衛が石造奉祀、文政5年(1822)本殿殿造営、
同時に織田利右衛門が薬師如来脇侍日光、月光菩薩十二神将奉安。

明治元年(1868)神仏分離の際、八坂社、同年9月八坂神社に改称。
大正6年4月村社に列席された。


【鳥居】



【手水舎】


冷たくて綺麗な水でした。


【境内】


社務所はありますが普段は無人のようです。


【御神馬】



【薬師三尊奉安殿・十二神将立像奉安所】




中は見ることが出来ませんでした。




これを見て驚きました。

いくら神仏習合が色濃く残る地域とはいえ、
こんな小さな神社に薬師如来と十二神将が祀られているとは。

後で調べてみると中に小さな本殿があり、
左右に薬師三尊像十二神将が安置されているようです。

その他に三ッ谷の丈六神社の十一面観音菩薩を合祀し、
赤岩の虫尾神社の不動明王もいらっしゃるとか。

神社でこれほどの仏様が祀られているのは珍しい。

さすがですね。

拝観料払うから是非とも見てみたい。


【狛犬】



【境内社】



【明治天皇大御歌】




白山市無形民俗文化財に指定されている伝統の奉納相撲が、
毎年9月第2土曜日に行われているそうです。

白峰地区で江戸時代に行われた天領相撲が起源とされ、
明治32年(1899)から続いているそうです。

御朱印は恐らく無いと思われます。