Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

大原観音寺<観音護国寺>(2017年6月17日参拝)

2017年07月16日 | びわ湖百八霊場
元々参拝予定ではあったが、
石田会館の方にお勧めされた大原観音寺へ。

歴史で習ったと思いますが、
豊臣秀吉が鷹狩りで観音寺に立ち寄った際、
小僧だった石田三成がお茶が飲みやすいように、
三回に分けて出した逸話を覚えているでしょうか。

その逸話の舞台が何を隠そうこの観音寺なんです。

歴史好きとして胸熱ですよ。(^^


所在地:滋賀県米原市朝日1342
宗派:天台宗
御本尊:十一面千手観音菩薩
創建:仁寿年間(851-854)
開山:律師三修
札所:近江西国三十三箇所、びわ湖百八霊場


【縁起】
観音寺は伊富貴山観音護国寺といい、
大原観音寺とも称されている天台宗寺院です。

そのはじめは伊吹山中にあって、弥高寺、太平寺、長尾寺の
三カ寺と共に伊吹山四大護国寺と呼ばれていました。

伊吹山護国寺は仁寿年間に三修沙門によって開基され、
元慶2年(878)定額寺に列せられた名刹です。

寺伝によりますと貞和3年(1347)に伊吹山中から、
現在の地に移ったとされています。

当寺に伝わる古文書等によりますと、
それよりも八十数年前の鎌倉中期の正元年中(1259~1260)に、
今の地に移転し弘長年問から弘安年間に至る約二十年間には、
ほぼ寺観と什物を整えたとされています。

鎌倉から室町にかけて領主であった地頭佐々木大原氏によって手厚い庇護を受け、
戦国期には浅井亮政、長政、秀吉からも多くの寺領を安堵されています。

江戸時代になっても諸役を免ぜられ、観音寺村という寺院名が村名となり、
彦根藩(井伊氏)の所領として幕末に至ります。

境内には本堂、薬師堂、鐘楼、惣蔵、惣門などがあり、
その内の本堂、鐘楼、惣門が国の重要文化財に指定されています。

寺坊は盛時には二十三坊あったとされていますが、
現在、本坊、玉泉院の二坊を残すのみとなり、
参道の両側に広がる階段状の台地には僅かにその面影を見る事が出来ます。


【惣門】


重要文化財だけあって、古刹を感じさせますね。


大型の無料駐車場は境内の中にありました。

観光バスで団体さんも訪れていましたね。


【紫陽花】



【参道】


長い参道です。


【玉泉院】



【本坊】




火除けがありました。


【地蔵尊】



【本堂】






正徳5年(1715)に上棟された本堂は重要文化財。



残念ながら本堂は閉まったままでした。


【鐘楼堂】


鐘楼は重要文化財。


【薬師堂】


今にも崩れそうで危ないですね。

観音寺は入山は無料ですが、
拝観料を取って少しでも修繕の足しにすれば良いと思う。

結構参拝者が多いですからね。


【ハイキングコース入口】


あんまり入る気が起こらない入口です。(^^;


【宝篋印塔】





【十三重石塔】



【境内】


参拝はこれで以上です。

石田三成が水を汲んだ井戸を見に行きます。

蓮池の横を歩いた先にあるようです。


【石田三成水汲みの井戸】






秀吉から受けた恩義を終生忘れずに豊臣家の為だけに生き、
そして死んでいった義将である三成。

三献の茶の逸話は事実では無く後世の創作の可能性が高い。

しかし、最高の官僚としての三成を表わす見事な逸話。

よって嘘か誠かを論じるのは全くの無粋である。

大吉寺(2017年6月17日参拝)

2017年07月10日 | びわ湖百八霊場
三輪神社阿弥陀堂から超絶危険な酷道546号線をUターンし、
普通の道である277号線と265号線を走り大吉寺へ。

大吉寺とは縁起の良い名前のお寺ですね。(^^

それにこのお寺は一般には無名ですが、
あの源頼朝が一時匿われた有力寺院だったそうです。


所在地:滋賀県長浜市野瀬町217
宗派:天台宗山門派
御本尊:聖観世音場札
創建:貞観7年(865)
開山:安然上人
開基:浅井治家
札所:びわ湖百八霊場、近江湖北二十七名刹霊場


【縁起】
天智天皇の御代に近江国愛知川に観音様に似た浮木があり、
見ずに流れて湖に入り百年余りに及んだ桓武天皇の御代、
勅願を得て一寺を建立して天吉寺の号を賜う。

その後、大同2年(807)大洪水により堂宇を悉く流出し、
像は高島に流れついた土地の豪族浅井治家は子供が無かったので、
願を立てこの像を崇拝し、やがて男児を授かった。

この為、浅井治家は師壇の関係にあった比叡山の僧・安然上人と協力の上、
妻の出生地浅井郡草野庄に貞観7年(865)に大吉寺を建立した。

平安末期京都での源平合戦により源氏の敗北となり、
一族の東国落ちに際して一行から逸れた13歳の頼朝は、
草野定康の助けにより大吉寺に難を逃れた。

やがて天下は治まり大吉寺は頼朝により堂宇が再建。

室町時代には幕府の祈祷寺として保護を受けていたが、
しかし戦国の世になると大永5年(1525)の六角定頼の兵火や、
小谷城を援護していた大吉寺は、元亀3年(1572)敵対する織田信長の兵火により、
47坊が悉く焼き討ちに遭い衰退。

現在も焼き討ちにあった当時の遺構が大吉寺跡として残っている。

創建当時の堂宇は天吉寺山の山頂付近に造営されており、
本堂跡、門跡、塔跡、鐘楼跡や覚道上人入定窟、閼伽池と石階を見ることが出来、
更に本堂に至る山道の所々に堂宇が建立されていたと推定される平坦部がある。

現在の大吉寺は麓の一院の跡に山門、本堂、庫裏が建立され、
法灯を受け継いでいる。


【参道】


細い道を通り参道入口に到着。

どう見ても暫く人が通った形跡が無い。(^^;

車を停めれるスペースはあるが、
上に駐車場がある事を願って狭い道を進むと、
私の願いが叶い無料駐車場がありました。(^^


【大吉寺橋】



【安然上人堂】





【供養塔】



【山門】


普通山門をくぐると本堂があるものですが、
ここには庫裏しかありませんでした。

案内図によると上に本堂があります。


【十三重石塔】



【石段】


結構しんどい石段です。


【本堂】


本堂拝観は基本的に事前予約が必要ですが、
御住職が居てお願いすれば拝観させていただけるとか。

御本尊は60年に一度の御開扉で次回は2049年になるということで、
御本尊を拝めないのであれば、無理して事前予約しませんでした。

御住職が居て拝観させてくれたらラッキー程度と、
意識低い系で訪れたので、御住職はやっぱり御不在でした。


【御前立】


画像はネットで拾ったものです。

不謹慎な書き方をすると御前立は所謂御本尊のコピー。

参拝者も御前立は本物じゃないよね?的に思われる方も多いと思う。

御前立は不憫な仏様である。


【案内図】


案内図を見ると山頂近くに伽藍跡がある。

しかし、伽藍跡に行く道が整備されておらず荒れている。

これはどう考えても苦労してガッカリというパターン。

行きたいという衝動が全く湧かないのよね。

現に他のブログを見ても伽藍跡にまで行ってる人は滅多にいない。


しかし、「がらくた置場」様のブログには伽藍跡の写真や情報等、
詳しく書かれていますので興味がある方は是非。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/hoso_daikitiji.htm


【御朱印】


庫裏の玄関が開いていたけど御不在。

しかし玄関先に書置きの御朱印が置いてありましたので、
300円を置いて拝受しました。

それにしても田舎のお寺は鍵をかけずに留守してるとこが多い。

いつも心配するが大丈夫なんだろうか。(^^;


【御多念】


先着で無料でいただけました。

ありがたいですね。(^^

東門院(2016年7月31日参拝)

2016年08月27日 | びわ湖百八霊場
大満足の御上神社から最澄が開いたとされる東門院へ。

3台分程の無料駐車場がありました。


所在地:滋賀県守山市守山2-2-46
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:延暦年間(782-805)
開山:伝教大師最澄
札所:びわこ百八霊場、近江西国三十三ヶ所霊場、湖国十一面観音霊場、
湖東三十三ヶ所霊場、近江湖南二十七名刹霊場


【縁起】
延暦年間(782-805)比叡三千坊といわれる
比叡山の僧坊のひとつとして最澄が開き、
正確には比叡山東門院守山寺といいます。

桓武天皇比叡山を守る東門としてこの名を賜り、
寺領5村350石を賜ったという縁起が伝えられる寺院です。

江戸時代には江戸に向かう朝鮮通信使の宿舎にもなりました。

滋賀県でも重要な寺院が名を連ねる近江西国三十三ヶ所霊場に数えられる名刹で、
本尊の十一面観音菩薩像は古くから多くの方に篤い信仰を受けてきました。

現在も守山観音として親しまれています。



【山門】


観音霊場らしい山門です。


【仁王像】



【境内】


山門には境内での写真撮影は住職の許可を得てください、
と書かれた張り紙が。

マジかー?

仏像は撮影不可ってお寺は結構あるけど、
境内全て撮影不可って稀にあるよね。

お寺は観光じゃなく信仰の場所だから撮影するなって言われても、
別にええやんって思うんだけどね。


境内は撮影不可でしたので、
「お多福豆のブログ-御朱印巡りと花の旅-」様と、
「ジャパン・ジオグラフィックブログ」様のブログで、
境内の様子をご覧ください。

http://ameblo.jp/gosyuin710/entry-11993432236.html

http://japan-geographic.tv/shiga/moriyama-toumonin.html


本堂内陣は良く見えませんでしたが、
不動堂に祀られている不動明王が只者ならぬ雰囲気を感じた。

さすが重要文化財に指定されているだけある。

事前予約すれば堂内拝観出来るのを知ったのは、
参拝した時。

しかも団体のみ。(泣)

目の前で拝仏したかったなぁ。


【御朱印】




書置きが置いてありました。

こういうのはいちいち呼び出さなくて良いので助かります。

阿弥陀寺(2016年7月31日参拝)

2016年08月22日 | びわ湖百八霊場


長閑な風景を見ながら次なる参拝地である阿弥陀寺へ。

あの織田信長と接点のあるお寺で、
昔は凄かった系であるようです。



所在地:滋賀県栗東市東坂506
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:応永20年(1413)
開山:浄厳坊隆堯
札所:近江湖南二十七名刹霊場、びわ湖百八霊場


【縁起】


室町時代の初期(1413年)浄厳坊隆堯が女人禁制の山であった
金勝山から東坂へ出て悟真庵を結び、弘法の道場にしたことに始まります。

阿弥陀寺は近江浄土教団の根源の地であります。

織田信長が金勝山に登って鷹狩をした時に、
第八世明感に出会ったと伝えられます。

明感の高徳を慕った信長は安土城築城に際し、
慈恩院の故地に浄厳院を建立して
有無を言わさぬ強引さで明感を安土に迎えました。

それまで近江における浄土教団の本寺であった阿弥陀寺は、
浄厳院にその座を譲ったとされます。

現在は無住ではあるが、総代を中心に大切に寺は守られています。


【山門】


古刹の雰囲気を感じさせてくれます。

とても無住とは思えない。

近くに無料駐車場がありました。


【地蔵堂】




今日はお寺を維持されている方々が掃除をされていました。


【中門】


なかなか立派な中門です。

少しだけ往時の雰囲気があります。


【本堂】


本堂は閉まっていましたが、
総代の方に事前予約すれば拝観可能です。

知ったのは帰宅してからだけどね。(泣)


【鐘楼堂】



【悟真庵遺跡】



【御朱印】


バインダー形式の書置きが本堂前に置いてありました。


近隣の檀家さん達によって大切に守られているお寺。
次世代以降も続いていってほしいですね。

荒れるのは簡単、でも元に戻すのは大変だから。

大池寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月04日 | びわ湖百八霊場
甲賀三大佛のお寺の一つである大池寺に到着。

こちらのお寺はお庭が有名らしいですが、
私は行基菩薩による一刀三札の丈六釈迦如来坐像がとても楽しみです。



所在地:滋賀県甲賀郡水口町名坂1168
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:天平年間(729-749)
開基:行基菩薩
札所:びわ湖百八霊場、近江湖南二十七名刹霊場



【縁起】
行基菩薩がこの地を訪れた際、日照りに悩む農民の為、
灌漑用水として、「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、
一彫りごとに三拝したという一刀三礼の釈迦丈六坐像を安置したと伝承されている。

甲賀郡志水口町志によると寺の名を邯鄲山青蓮寺といい、
山内寺院は八ヶ寺を数え、七堂伽藍の備わった天台宗の寺であったという。

その後、東福寺開山聖一国師の孫弟子である無才智翁禅師が、
この地を訪れて青蓮寺を禅宗に替えた。
室町時代を経て安土桃山時代に入り、天正5年(1577)に戦国の兵火に遭い、
境内全域が焼き払われ、七堂伽藍はことごとく焼失してしまった。

しかし、不思議にも行基菩薩の作なる仏像のみ焼け残り、
その後約90年間、草庵に、安置されていたとはいうものの、
風雨にさらされた状態であった。

寛文7年(1667)京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れた際、
草庵の仏像を見て、寺の再興のため住山の決意をしたという。
又この時、山号寺名を邯鄲山青蓮寺から、
周囲に大きな池があるのに因み龍護山大池寺と改名したのである。

以後大池寺の再興に尽力し寛文10年(1670)に仏殿、庫裡が完成した。
その時に多額の浄財を寄進したのが、後水尾天皇、伊達宗房や織田主水正信である。

中でも織田主水正信は、当地の地頭で織田信長の甥にあたり、
大池寺再建のため多くの寄進をし、大池寺の開基となった。

現在も、開山堂横に墓石が祭られている。
大池寺の寺紋はこの様な経緯により、織田家の家紋である「織田モッコウ」となっている。



【庭園】




お寺の前に綺麗な庭園がありました。


【入口】


大きな無料駐車場が二か所あり、入口付近にもあります。


【山門】


とても落ち着いた雰囲気のお寺のようですね。


【鐘楼堂】



【蹲踞】



【仏殿】


外から内陣と御本尊様がガラス越しに見れます。

勿論、外からだと無料です。


【韋駄天】



【仏足石】



【庫裏】


こちらで拝観料400円を支払い中へ。


【書院】






なかなか良かったです。


【佛母井】



【中庭】



【蓬莱庭園】






小堀遠州作と言われているが、
確定しているのは全国で一つしかないそうです。

ここの場合は時代が少し合わないらしい。

ま、それは置いといて、とても良い庭と思います。

しかし、残念ながら団体さんが先にいてウルサイのなんの。
落ち着いて庭園を見れんのかと小一時間説教したかったよ。(苦笑)

写真だけささっと撮影して庭園拝観終了…

さて、気を取り直して仏殿で御本尊様を堪能するか。


【阿弥陀如来】


見た瞬間「お~凄い!」と感嘆の声をあげてしまった。








いや~素晴らしい。

これほどとは。
近くで見れて感動しました。

是非とも生で見ていただきたいです。

損はさせませぬぞ。(^^


【茶室】





【御朱印】

常楽寺(2015年5月30日参拝)

2015年06月30日 | びわ湖百八霊場
長寿寺を参拝し、拝観開始時間の10時を過ぎたので、
湖南三山の一つである常楽寺へ。

大型の無料駐車場があります。
滋賀県の古刹は無料駐車場が多くて助かります。(^^


参拝した時は知らなかったが、
常楽寺のHPを見ると拝観するには予約がいるらしい。

御住職は他のお寺と兼任らしく、
そのお寺の法要があると常楽寺は閉まるそうだ。(^^;

そんなこと何にも知らないで訪れたが、
予約なしで普通に拝観出来て良かった。(^^

12月20日から1月31日は確実に閉まるので御注意ください。



所在地:滋賀県湖南市西寺6丁目5-1
宗派:天台宗
御本尊:千手観音菩薩
創建:(伝)和銅年間(708-715)
開基:(伝)良弁僧正
勅願:聖武天皇
札所:びわ湖百八霊場、近江西国三十三箇所、湖南二十七名刹、湖南三山めぐり


【縁起】
阿星山の北麓にある当寺は和銅年間(708-715)元明天皇勅命により、
良弁が開基した阿星寺五千坊の中心寺院として、
また紫香楽宮(742-745)の鬼門鎮護として栄えた。

平安〜鎌倉時代には皇室の帰依を受けて寺運隆盛。
延暦年間(782-805)天台宗に改められたという。
延文5年(1360)火災で全焼したが、同年、観慶らによって再興された。



【入口】


このお寺には山門はありません。


【本堂】


明治31年国宝(旧法)に指定され、明治35~36年改修工事が行われ、
昭和16年には大規模修理の解体工事が行われる。
新法(文化財保護法)により昭和昭和28年国宝に再指定されたもの。

このお寺の本堂もまた国宝。
滋賀県のお寺の本堂は国宝が多いですね。

奥に見える三重塔とのコラボもいい。


【鐘楼堂】



【宝篋印塔】


破壊された宝篋印塔が痛々しい。


【行者堂】




中を見ると空っぽです。

何事かと驚いていると説明板があった。




寺社に放火したり、仏像を盗む連中の神経が分かりません。

手痛い罰が当たることを祈らざるをえない。


【普賢堂】



【薬師堂】


小さなお薬師さんが祀られていました。

顏がなんとなく篠山紀信の顔に見えた。(^^;


【石灯籠】


重要文化財。


【弁天堂】


水はありませんでした。

さて、本堂内陣に入ります。


【本堂内陣】
重厚な雰囲気の中、
少し高い場所に真ん中に秘仏が安置されている厨子があり、
その左右に重文の風神雷神、二十八部衆が所狭しと祀られていました。

しかし残念なことに昭和56年、無住職時代に風神、阿修羅王、
摩喉羅迦王の三体が盗難にあい、昭和60年に阿修羅王は見つかり戻りましたが、
他の二体は今なお戻っておりません。

こちらも撮影禁止でかなりセキュリティーが厳しいと感じました。
監視されているのが丸分かり。

まぁ、仏像が盗まれたらそうなりますわな。


本堂の後殿に回ることが出来、何体もの仏様が祀られていました。


【西国三十三観音ミニ霊場】


第1番。

あんまり歩く距離はないようですので、
三重塔を見つつ巡ってみよう。


【三重塔】




応年7年(1400)に再建された国宝。




秋の頃は紅葉とのコラボが美しいだろうなぁ。


【本堂】




三重塔付近から撮影したもの。
屋根が渋いですね。


内陣の撮影が不可だから、外から撮りまくってやった。(^^


【三重塔】



【西国三十三観音ミニ霊場】




ここはちょっとしんどい。


【三重塔】




いろんな角度から国宝の伽藍を見れて嬉しい。


【参道】



【境内】



【皐月】



【西国三十三観音ミニ霊場】


第33番。

ここのミニ霊場はそんなにしんどく無いし、
本堂や三重塔を見ながら歩けるので楽しい。


【御朱印】



【感想】
伽藍に二つも国宝がある古刹なのに、
専任の御住職がいないとは。

お寺を見て回ると分かりますが、
常楽寺には墓地がない。

墓地がないということは檀家がいないということ。

つまり観光収入でお寺の経営をしなくてはならない。
その収入もメジャーなお寺ではないので限界があるのだろう。

現にこの日も参拝客はとても少なかった。

国宝だから国の補助があるとはいえ、
いつまでもこの素晴らしい伽藍、仏像を守っていってほしいですね。