Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

妙心寺 大雄院(2017年10月9日参拝)

2017年11月22日 | 仏閣
京都競馬場から石清水八幡宮の駐車場に戻り、
車で妙心寺へ。

塔頭の大雄院がまた素晴らしい御朱印帳を、
頒布されるようになったとあっては参拝しなければなるまい。(^^

10月は秋の特別公開しております。

拝観事前予約と御朱印については下記をご覧ください。
https://www.daiouin.com/haikan


妙心寺の駐車場は無料なので助かるわ。


<2016年5月14日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/1ea02b22b9583cabbc3ff97be10449b5

<2017年1月9日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/aa9b5317f5b58e4f132f0faa69ca633f


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町52
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼佛
勧請開山:蘭叔玄秀
開山:慧南玄譲


【妙心寺大方丈】



【参道】



【山門】


いつも間違えて天球院の方へ行ってしまうのよね~。(^^;

無駄に歩いて到着。


【前庭】




玄関で受付けとなります。

御朱印は左手にある庫裏でいただけます。


【本堂前庭園】






今回もガイドさんの説明がありました。

方丈内部はいつも通り撮影不可でした。(^^;






庭園を見ながらまったり。

柴田是真による客殿襖絵を拝見したが、
これといって印象に残らず。

余り私の好みではありませんでした。


【坪庭】



【客殿庭園】



【茶室】





【紅牡丹図】


柴田是真筆。


【前庭】


20分程で拝観終了。


【御朱印】


達磨図「無功徳」の御朱印は見開きで千円。

これを見たら欲しくなりますね~。(^^




拈華微笑の御朱印。


【御朱印帳】


デザインは宮絵師安川如風謹画 大雄院襖絵「花ノ丸 紅牡丹図」。

これも見たら欲しくなりますね~。(^^

拈華微笑の御朱印込みで2千円。

達磨図と拈華微笑込みだと2800円でした。


【微妙殿】






妙心寺二世微妙大師の遠諱記念事業で建立されたもの。

法式研修講座や布教師会勉強会、
檀信徒団体参拝等に利用されるようです。

今日は雲水さんが何人も研修をされているような感じでした。


【雑華院】






天正11年(1583)妙心寺七十九世一宙東黙が建立した塔頭。

こちらは完全非公開。

しかし、下記ブログ主のamadeus様が貴重な拝観されていますので、
興味がある方は見てください。

http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka/e/02ef004383a55d31c75bd9511e2085e4


【長興院】




今日は月曜だから御朱印対応されていました。

しかし、15時も過ぎようとしているのに、
まだ配布していました。

以前だったらあっという間に限定枚数終了していたのに。

長興院の御朱印ブームも落ち着いたようですね。


これから本日のメインである平安神宮へ。

神應寺(2017年10月9日参拝)

2017年11月17日 | 仏閣
今日はディープインパクトが三冠馬となった菊花賞以来、
超絶久しぶりに京都競馬場に行くことになった。

競馬場には超大型有料駐車場があるのですが、
料金が一日2千円するんですよね。

連れと一緒なら割り勘すればいいけど、
さすがに一人で2千円の駐車代は厳しい。

そこで名案が思い浮かんだ。

競馬場がある淀駅まで一駅で行ける八幡市駅近くに、
石清水八幡宮が鎮座している。

そこの有料駐車場は一日500円で済むので、
往復電車賃を合わせても安く済むという訳。

当然、石清水八幡宮も参拝出来るので一石二鳥です。(^^




で、大鳥居を見に行ったら神應寺の山門が見えたので、
こちらを先に参拝することにした。

初めての参拝となります。


所在地:京都府八幡市八幡西高坊24
宗派:曹洞宗
御本尊:薬師如来
創建:貞観年間(859-877)
開山:行教律師



【縁起】
石清水八幡宮を勧請した行教律師建立の寺で應神寺といったが、
天皇の号を憚り神應寺と改めた。

当初は四宗兼学の寺院であったが、室町時代後期に禅宗寺院となる。

文禄年間(1592-1596)征韓の役にあって豊臣秀吉は、
石清水八幡宮に詣で、軍の先鋒に神官を望んだが、
神社側は恐れて命に服さなかった。

神應寺住僧の機転で征韓の首途にはまず應神天皇の御寺に参詣すべきと進言。
秀吉は機嫌を直し寺領200石を寄進した。

明治の神仏分離以前は石清水八幡宮の神宮寺であった。


【石清水八幡宮五輪塔】


山門左手に少し歩くとあります。






これはマジででかい。

これほどのモノは日本広しと言えど、
最大級の大きさを誇るものです。

当然重要文化財ですが、誰がどのような理由で建立したのか、
今でも諸説あり確定していないそうです。

これを造れるのは秀吉や家康とかの最高権力者じゃないと無理。

摂津商人という説が有力らしいが、
豪商が五輪塔を造るというのも余り説得力が無い気がする。

真相やいかに。

学者さん頑張れ。(笑)


さて、神應寺参拝といきますか。


【山門】



【石段】


これがなかなかしんどい。




ハァハァいいながら到着。(^^;


【境内】


毎年11月末の週末には紅葉まつりが界隈で行われ、
神應寺も華やかになりますが、
それ以外は寂び寂びとしたもんです。


【本堂】




内陣拝観は要予約です。

しかし、紅葉まつりの日は解放されるとのこと。


【鐘楼堂】



【禅堂】





【てらこや】



【豊川托枳尼真天】


境内は全体的に禅寺の雰囲気は感じなかったな。

これから奥の院へ。


【男山ケーブル鉄橋】




今回は後でこれに乗って八幡さんに参拝します。

あの登りを歩くのはしんどい。

確実にハァハァしますから。(^^;


【奥の院】


歩いて5分ほどで奥の院が見えてきました。

鳥居もありますね。




奥の院は更に禅寺の雰囲気は無くなった。

なかなか面白いお寺ですね。


【卍地蔵尊】


奥の院らしい雰囲気です。


【杉谷山不動尊】


無人だと思っていたら、
堂内に堂守さんが居てビックリした。(^^;





奥の院の雰囲気は本堂の所より断然好きですね。

本堂の所はどうも拒絶感があって好きになれないですね。

本堂拝観出来る時以外は奥の院だけ参拝すると思います。


【豊川托枳尼真天】



【石仏】



【不動明王】



【厄除延命地蔵尊】


有難いお名前のお地蔵さんです。


【参道】



【鳥居】


扁額には引面二の丸と書かれている。

どういう意味なんだろ。
よく分からん。


【お滝場】


これはもう完全にお滝場でしょ。






やっぱり。


【小不動尊】



【石碑・石仏】



【鳥居】




奥の院入口に到着。

月極駐車場の他に、参拝者用の無料駐車場がありました。

しまった!
ここに置いておけば無料だったのに。(^^;


御朱印は庫裏でピンポン押してまで欲しいと思わなかったので、
今回はいただいておりません。

萬福寺塔頭・萬松院(2017年10月7日参拝)

2017年11月14日 | 仏閣
萬福寺の大型有料駐車場の前にあるのが塔頭の萬松院です。

こちらも普段は非公開寺院なんですが、
珍しく御住職のお姿が見えたので寄ってみることに。


所在地:京都府宇治市五ケ庄三番割34-6
宗派:黄檗宗
御本尊:釈迦牟尼
創建:寛文11年(1671)
開山:大宗正統禅師(龍渓性潜)
開基:東巌禅師
札所:宇治十三社寺


【縁起】
萬福寺創建に尽力した大宗正統禅師の塔所として創建。

大宗正統禅師は京に生まれ、臨済宗妙心寺派の普門寺で出家。
慶安4年(1651)大本山妙心寺の住職となり、朝廷より紫衣を賜ります。

後水尾法皇から厚い帰依を受け、光子内親王の受戒の師を勤めました。

明暦元年(1655)隠元隆琦を自坊の普門寺に迎えて住持とし弟子入り。
その後は萬福寺創建に尽力。

明暦3年(1657)後水尾法皇より大宗正統禅師の勅号を賜った。

寛文10年(1670)大坂の九島院で行われた斎会の際、
暴風雨に遭い堂宇で座禅したまま洪水にのまれて溺死。

寛文11年(1671)弟子東巌禅師が開基となり、
大宗正統禅師を開山として創建。

大宗正統禅師の法弟子である後水尾天皇の命により、
真骨塔である天光塔が建てられています。



【表門】





【金光堂】


まずは開山堂へお参り。






後水尾法皇が寄進し建立されたもの。


【天光塔】



【不動明王】



【枯山水庭園】



【不動堂】




金成不動尊が祀られています。

お金持ちに成れますように。(笑い)


【六体地蔵尊】



【本堂】


本堂が開いていたので拝見。

内陣では若い女性が御祈祷を受けておられた。

このお寺を選んでいるとは相当やりますね。(^^


【襖絵】






奥にある仏間には小さな御本尊が祀られていました。

御祈祷中なので撮影はしていません。

しかし、特筆すべきは襖絵です。

見事な作品で驚きました。

まさかこれほどの作品があるとは夢にも思わなかったよ。

これは直原玉青という現代作家の作品らしい。

現代作家にもこれほどの作家がいたんですね。

2010年に市川右近がゲストで放送された開運!なんでも鑑定団では、
六曲一双の屏風が300万円という高額で鑑定されていました。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20101026/01.html


【石仏】



【三門】



御朱印は恐らく無いと思われます。

藏林寺(2017年10月7日参拝)

2017年11月12日 | 仏閣
宇治市の浄土宗寺院大公開は五ヵ寺参加されていますが、
日程が合ったのは先ほどの安養寺とこれから参拝する藏林寺です。

藏林寺は黄檗宗大本山の萬福寺の近くにあり、
とりあえず車は萬福寺の有料駐車場に停めて徒歩でお寺を探す。


【法林院】




藏林寺かと勘違いして玄関で御住職に拝観良いですか?って聞いたら、
うちは拝観していないと言われ、違うお寺だと発覚。

恥ずかしいわ~。(^^;


【緑樹院】




えー、完全に彷徨っています。(泣)

そんな時に見つけた塔頭寺院のお庭の美しさです。

こちらもお庭だけで普段は非公開の寺院でした。


そして、ぐるっと回ってようやく藏林寺を発見。

無駄に遠回りしていたことが判明。(泣)

それにしても、大本山萬福寺の御膝元だけあって、
回りは萬福寺の塔頭寺院が立ち並ぶ中、
浄土宗の藏林寺があります。



所在地:京都府宇治市五ケ庄三番割15
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛和2年(986)
開山:恵心僧都
札所:宇治十三社寺


【参道】


駐車場はありませんでした。


【六体地蔵石仏】


小さなお化粧をしたお地蔵さんです。


【山門】


山門は檀家寺らしく簡素なものでしたね。


【本堂】


雨が鬱陶しくなってきたので本堂内陣へ。


【内陣】




比較的新しく感じる内陣。

左右に脇段と奥には位牌堂があると思われます。

こちらも撮影OKでした。


【御本尊】




源信自ら刻んだとされる阿弥陀如来。

左右には観音菩薩と勢至菩薩が祀られていました。

平安時代後期作。


【薬師如来】




余り薬師如来には見えないけど、
薬壺をお持ちになられていますね。

他のお寺なら御本尊に相応しい薬師如来です。

平安時代後期作。


【脇段諸仏】



【法然上人】



【地蔵菩薩】




平安時代後期作。


【毘沙門天】




平安時代後期作。


【御朱印】


書置きをいただきました。

安養寺(2017年10月7日参拝)

2017年11月10日 | 仏閣
京都浄土宗寺院特別大公開の寺院は宇治にもあり、
安養寺というお寺へ。

宇治といっても観光客がワンサカといる場所では無く、
地元住民が住んでいる場所にお寺はありました。

最後の道は細くて行けるか心配したけど。(^^;


所在地:京都府宇治市菟道東中9
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明


【縁起】
現在地の菟道(うじ)は平安時代以前の呼び名であったのが、
日本書紀や古事記に見られます。

この菟道村を大鳳寺村とも呼び、
白鳳時代にこの地に実在した寺の名前に因んだ名称です。

安養寺の前を通る道を奈良道、旧奈良街道と呼び、
この地域で最も古い街道です。

安養寺は元天台宗で天文7年(1538)に念誉助心が再興し、
浄土宗に改められました。

この地域に住むお茶師の帰依を受け繁栄し、
現在地に移転したのは貞亨2年(1685)と云われています。

大鳳寺村には安養寺の他に崇林寺、大善寺、賽全庵、正善院という
五つの寺が実在したが、廃仏毀釈等の時代の流れで、
それらの寺が統合されて現在に至る。


【全景】


こちら側と反対側に無料駐車場がありました。


【山門】


御住職に聞いた話だと、
茶師の末裔である大檀家が一千万円を寄進して建立されたそうです。

私もお金が腐るほどあったら寄進するんだけど。(笑)


【鐘楼堂】


このお寺には大檀家がもう一家あり、
その檀家さんが三千万円寄進して鋳造されたものとか。

凄過ぎる。

私の家にも寄進してほしいわ。(^^;

後で近くの檀家さんの家を見たらやっぱり凄かった。


【コスモス】


檀家寺だけあって普段は非公開の寺院。

こういう時だからこそ気を使うことなく参拝出来ます。(^^

やっぱり電話予約で拝観というのはハードルが高いですからね。


【地蔵菩薩】



【十三重石塔】



【ドウベン】




熱帯性スイレン。


【本堂】


早速本堂に上がらせていただく。

拝観料は特に決まっていませんが、
志納金として300円納めさせていただいた。


【内陣】






いや~、予想以上の立派な内陣です。

素晴らしい。

優しそうな奥様の説明を途中から聞いていましたが、
強面の御住職が登場し始めから丁寧に説明していただきました。

御自身でも言ってましたが、ヤンチャな子供時代だったようで、
そのまま大人になった感じの御尊顔でした。(笑)

恐る恐る写真は良いですか?って聞いたら、
なんぼでも撮っていいよ、と快諾を得ました。(^^

浄土宗のお寺は撮影OKなところが多いと思う。


【阿弥陀三尊像】








こんなに近くまで寄って拝めました。(^^


【脇段】


左右に脇段が設けられ廃寺の客仏が祀られていました。


【地蔵菩薩】












江戸時代作だけど今もなお色鮮やかです。(^^










こちらの地蔵菩薩は平安から鎌倉時代作で、
さすがに色彩は残っていませんね。


【善導大師】



【阿弥陀如来】









【諸仏】


阿弥陀如来、観音、高僧の像と思われます。


【阿弥陀三尊来迎図】




恵心僧都作と箱書きに銘がありますが、
さすがに本物かどうかは不明だそうです。






しかし、截金で精巧に造られているだけあって、
そこら辺にある偽物では無いようです。

何故そう言えるのか?

以前、截金細工職人の仕事ぶりがテレビで放送されていましたが、
まさに超絶技巧で簡単に出来る代物では無いからです。


【釈迦涅槃図】



【脇段】


向かって右側です。


【阿弥陀如来】






平安時代作。

廃寺になった正善院の御本尊だったそうです。


【法然上人】



【地蔵菩薩】





【宝塔】



【布目瓦】


この周辺を掘るといっぱい出てくるそうです。


あと、内陣の奥の位牌堂にも案内してくれ、
檀家さんの位牌の数々が安置されていました。

なかでも大檀家の二家の位牌は350年も続くだけあって、
高さ40センチはあろうかという大きな位牌でした。

普通の家だったらどんなに長くても50回忌が限界だろうけど、
この二家は350回忌法要を行ったそうです。


【御朱印】


お会いしていませんが、
96歳になる先代住職が対応されたとか。

達者です。(^^

清凉院(2017年10月7日参拝)

2017年11月09日 | 仏閣
浄土宗特別大公開の次なるお寺は清凉院という尼寺です。

清凉院は知らなかったお寺ですが、
こちらはお亀の方と徳川義直所縁のお寺だという。

先ほどの勝念寺は織田信長所縁のお寺だったし、
京都は普通にビッグネームが出てくるよね。


所在地:京都府京都市伏見区深草大亀谷五郎太町31
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:安永7年(1778)
開山:不明


【縁起】
清涼院の敷地は伏見城のお花畑山荘とよばれる御殿の一部であったが、
豊臣秀吉の死後、伏見城に入った徳川家康は側室のお亀の方を寵愛し、
この地にあった御殿に住まわせた。

御殿は後に清涼庵となり、清涼院の起源とする。

お亀の方は尾張徳川家初代藩主徳川義直をこの地で出産。
幼名を五郎太丸といい、この辺りの町名は五郎太町と呼ばれる。

寛文2年(1662)萬福寺の僧・観了が隠匿し、
安永7年(1778)浄土宗に改宗し尼寺となった。


【境内】


無料駐車場に停めて参拝開始。

山門は見当たりませんでした。




手入れの行き届いた前庭です。

奥に見えるのが本堂です。


【秋葉大権現】





【庫裏】


こちらが拝観受付で、拝観料は500円でした。

早速本堂内陣へ。

内陣には尼様がおられ、御朱印対応されていました。

御本尊は意外にも小さかったですね。

内陣は撮影不可。
今となってはどんな御本尊だったか記憶にない。(^^;

覚えているのはお亀の方の姿が描かれた掛け軸ですね。


【庭園】





【寺カフェ】




おしるこが美味かったです。(^^


【庭園】


寺カフェ前の小さなお庭。


【観音堂】


お亀の方の念持仏である福寿観音菩薩が祀られていました。


【御朱印】

勝念寺(2017年10月7日参拝)

2017年11月08日 | 仏閣
先週に引き続き今週も浄土宗寺院大公開で、
普段は非公開のお寺を巡ります。

京都市の名だたる有名な寺社は巡り尽くし、
最近は参拝する寺社が無くなっていた今日この頃。
(勿論、何回も参拝したくなる寺社も沢山あるけどね。)

そんな時にこういう非公開寺院の特別公開があると嬉しい。

まずは最近のお気に入りである泉里香の地元伏見区の勝念寺へ。

ここのお寺は存在すら知りませんでしたが、
あの信長所縁の寺院だとか。

小さな無名のお寺でもビッグネームが出てくるんだから、
さすがに京都の寺社は奥が深い。


所在地:京都府京都市伏見区石屋町521
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正15年(1578)
開山:聖譽貞安上人
札所:通称寺の会


【縁起】
織田信長公が深く帰依した聖譽貞安上人によって開創されました。

天正10年(1582)信長は本能寺で、嫡男信忠は御池御所で自刃。
正親町天皇の勅命により、信長、信忠父子の菩提を弔う為、
聖譽貞安上人に信忠自刃の地である御池御所を賜り、
信忠の法名に因んで大雲院という寺院を開創しました。

同時に豊臣秀吉公の城下町である伏見丹波橋に、
布教の拠点とするべく一寺を開創し勝念寺と号しました。

安永7年(1779)火災により本堂・庫裏と共に、
御本尊・過去帳並びに貴重な文物も多く焼失してしまいました。

しかし山門・地蔵堂は離れていた為に難を逃れ、
織田信長公より賜った釜敷地蔵尊、閻魔法王像自作霊像、
他仏像や書物、焼失前の歴代住職の名も紙片に残されていました。

「かましきさん」と呼ばれる身代わり釜敷地蔵は、
檀家さんや地域の方々に親しまれています。


【山門】


車は山門横に4台ほど停めれます。


【門前碑】


天明義民柴屋伊兵衛という人物は天明年間、
当時の伏見奉行小堀政方の悪政により伏見の町が衰退するのを憂いて、
文殊九助ら他の義民と共に直訴の計画に加わり、
京都町奉行所東役所にて牢死。

明治以降、伏見の町の為に身命を賭して奔走した人太刀を、
義民として顕彰しようという運動が起こって建てられた碑です。


【地蔵尊】



【境内】


こじんまりとした境内です。

普段は本堂は閉まっていますが、
境内は普通に入れます。


【地蔵堂】



【身代わり釜敷地蔵尊】


地獄で釜茹でにされて苦しんでいる人の身代わりとなって、
自ら煮えたぎる釜の中に入り、苦しむ人の苦を取り除き、
安楽に幸せへと導いて下さるお地蔵様とのこと。

かましきさんと呼ばれているそうです。


【地蔵尊】



【マニ車】



【石仏】



【境内】



【本堂】


先代の御住職の時は完全に檀家寺であったが、
今の御住職に変わって春秋は本堂を公開してるそうです。

早速本堂に上がらせていただく。


【内陣】






いや~予想以上の仏像群でびっくり。

もっと質素な内陣かと思ってたので。(^^;

御住職に確認したところ、
写真撮影は快諾していただけました。


【御本尊】




温和で本当に人が良さそうな御住職にお寺の由緒、
数々の仏様の説明をしていただく。

現在の本堂は一人の檀家さんが、
浄財を出して建てられたものとか。

お金があっても私には無理。(^^;


【司録・司命・奪衣婆】


閻魔大王の従者達です。


【閻魔法王】




このとても小さな閻魔さんに見えない霊像は、
天正7年(1579)に貞安上人が織田信長より賜ったものとか。


【多羅菩薩】




御住職がネパールで購入されたそうで、
胸の膨らみが目立つ菩薩像です。

菩薩は確か女性はいなかったはずだけど。

しかしターラー菩薩は女性の身体のままで成仏するという誓願を発し、
これを実現した女性尊とされ、チベットではターラー菩薩が、
宗派の別なく広く尊崇されているそうです。


【十一面千手千眼観世音菩薩】




こちらもネパールで購入されたそうです。


【多羅観音菩薩】


こちらは貞安上人が信長より賜ったもの。


【善導大師像】



【門出八幡宮像】







【聖徳太子孝養像】





【阿弥陀如来】





【法然上人】







【欄間】



【天井画】



【御朱印】




普段は御朱印帳に書いていただけるが、
特別公開の時は説明する必要があるので書置き対応でした。

仏様も良かったが、御住職の人柄も大変良かったです。(^^

円覚寺(2017年10月1日参拝)

2017年10月29日 | 仏閣
清和天皇社参拝後、目的の円覚寺へ。

徒歩で向かうも案内板が見つからず少し迷う。(^^;

小学校の方へ歩いて行くと偶然お寺を発見。
分かり難い。

小学校の真横にお寺があり、
校庭に車を停める事が出来ます。

あー、わざわず有料駐車場に停めなくても良かったのに。

しかしお寺に向かう最後の右折がかなり難しい。
軽自動車なら何とか大丈夫だけど。



所在地:京都府京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町58
宗派:浄土宗
御本尊:薬師如来
創建:不明
開山:不明


【縁起】


円覚寺は藤原基経(836-891)の山荘である粟田山庄を前身とする。

清和天皇は27歳で陽成天皇に譲位した後、
30歳の時に仏道修行のために近畿各地を回り、
その最後に水尾の山寺に入った。

清和天皇は水尾の地を終焉の地と考え、
31歳の時に洛東の円覚寺で崩御。

御遺骨は遺詔によって水尾の水尾山寺に葬られ、
清和天皇水尾山陵は集落から水尾川を渡って対岸にある
清和山の中腹に設けられている。

水尾の地には水尾山寺、円覚寺、貞観寺があり、
清和天皇と弔っていた。

次第に三カ寺は衰退し、室町時代の応永7年(1420)に焼失、
水尾山寺があったこの地に移され寺号を併称することにあったが、
円覚寺の名のみが残った。

後に水尾山寺が円覚寺として継承。

延宝7年(1679)に水尾の大火により焼失したが、
安永5年(1776)に村民により再建され、現在に至る。

清和天皇の護持仏とされる薬師如来を御本尊とする。


【水尾小学校】


水尾の地は限界集落となっていて、
小学校は現在休校です。

御住職の息子さん達が居た頃でも僅か2名だったとか。(^^;


【全景】




お寺の前に車は停めれます。


【宝篋印塔】




御住職によると清和天皇の供養塔で、
鎌倉時代辺りに建立されたものとか。


早速、本堂に上がらせていただく。

拝観料は志納ですので、
それなりの金額をお支払いください。

本堂は広くなく普通の家の畳の部屋といった感じ。

部屋の奥に仏間があり、厨子の中に安置された薬師如来、
左右に阿弥陀如来、地蔵菩薩が祀られていました。

清和天皇坐像が安置された厨子もありましたね。

御本尊は50年に一度の御開帳で、
次回は2052年とのことです。

2052年はさすがに無理かも。(^^;

仏間は撮影禁止でしたが、
御住職に確認すると襖絵は撮影OKでした。


【襖絵】








なかなか素晴らしい絵でした。(^^


【柚子茶】


接待でいただいた柚子茶。

美味しかったです。


【御朱印】


御住職は謙遜して字が下手だからということで、
公にしていないが、お願いされたら対応するとのこと。

15分程お話しをさせていただ有難うございました。

さて、この後はのんびり村を歩くとしよう。


【柿】



【清和天皇陵】


約1.5キロ、20分・・・

うーむ、どうしよう。


【清和山】


山道の1.5キロ歩くのはしんどいので回避。(^^;


【風景】


長閑です。(^^


【フジバカマ畑】


毎年9月末から10月始めの一週間程、
水尾フジバカマ鑑賞会が開催され、
花好きや写真愛好家の方々が多く訪れるそうです。

現に撮影するのに苦労するほどでした。

今日、水尾に訪れたほとんどの人がフジバカマ目的の方々で、
私のように参拝目的で来られた方は非常に少ないと感じました。

私はフジバカマというのを初めて知りました。(^^;


【アサギマダラ】




飛んでいるのがアサギマダラという蝶。

日本本土で発生したアサギマダラのうち、
多くの個体が秋になると南西諸島や台湾まで南下するとか。

蝶々がそんなに遠くまで移動するとは知らんかった。


【フジバカマ】





【コスモス】



これにて水尾を去ります。

フジバカマとアサギマダラの競演は予想以上に良かったです。

知覧特攻平和観音堂(2017年9月25日参拝)

2017年10月25日 | 仏閣
知覧町護国神社の真横にあるのが特攻平和観音堂。

隣りの護国神社では戦死者は神として祀られ、
戦死者の魂と御遺族の心を慰める為に観音堂があります。


所在地:鹿児島県南九州市知覧町郡
御本尊:夢ちがい観音菩薩
創建:昭和30年(1955)
宗派:無宗派


【縁起】


太平洋戦争末期の沖縄戦において一千三十六名の特攻勇士が、
身を以って示した崇高至純の殉国精神の顕彰し、
世界の恒久平和を祈念する為、旧知覧飛行場跡地に特攻平和観音堂を、
昭和30年9月28日に建立し観音像を安置しております。

この観音像は大和法隆寺の夢殿に奉安してある秘仏夢ちがい観音像を、
特別のお許しを受けて謹鋳した一尺八寸の金剛像です。

知覧町では昭和30年奉安以来毎年5月3日、
知覧特攻基地戦没者慰霊祭を挙行し、御霊らの慰霊顕彰に努めています。

尚、観音像の体内には特攻勇士の芳名を謹記した霊名録が奉蔵されています。


【観音堂】



【観音堂内陣】


神式の祀り方をしているようですが、
中央に観音様が祀られていました。


【観音像】


こちらは木造の観音立像ですが、
かなり良く出来た観音様です。


【手水鉢】



【門柱】







【参道】



【石灯篭】


この辺りは本当に石灯篭が多い。

散華した特攻隊員1036人の御遺族の寄付等により、
今では1036を超える石灯篭があるそうです。


【母の像】



【隼】








平成19年(2007)に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で、
実際に撮影に使用される為に造られたレプリカです。

この映画は石原慎太郎が制作総指揮・脚本を手がけ、
主要キャスト窪塚洋介、主題歌B'z「永遠の翼」です。


B'z 永遠の翼 LIVE-GYM2008 ACTION



これにて知覧界隈の参拝終了。

やはりこの地を訪れると思うことが色々と出てきますね。


観音堂の御朱印はございません。

西本願寺 鹿児島別院(2017年9月24日参拝)

2017年10月18日 | 仏閣
曽木の滝の次は鹿児島観光定番の城山展望台へ。

オプションを申し込んでる人達は仙巌園へ行っているのですが、
私の家族が仙巌園は一度行ってるから行かないということで、
城山展望台と天文館に行くことに。

駐車場に着く頃には無情の雨。

桜島も期待は出来んな。


【城山展望台】




やはり残念な結果に。(泣)

というか、天気が良くてもそんなに良い景色かなぁ。

港から見た方が近くて良いと思うんだけど。


【鹿児島市街】


真ん中に見えるのが鹿児島別院です。

天文館から近いので行くしかあるまい。(^^


【皇太子殿下御手植公孫樹】


大正9年3月26日と刻まれているので、
この皇太子殿下は昭和天皇のことですね。


【皇太子殿下御手植御手植樟】


明治四十年十月二十八日ということなので、
大正天皇が皇太子時代に来られたということです。


さて、お腹が空いたので天文館で食事でもしますか。


【むじゃき膳】




適当に入った「天文館むじゃき」という店で昼食。

黒豚しゃぶ(50g)、ハマチ刺身、鰹たたき、鶏飯、
ふくれ菓子という内容。

これが完全なるチョイスミス。




肉が薄いのなんの。

よくぞこれほど薄くスライス出来ると逆に感心するわ。(^^;

出汁は美味しかったんだけどね~。


鶏飯というのはは奄美地方の郷土料理で、
普通の鶏のササミが入ったそぼろ丼みたいなのを想像してたけど、
パパイヤ漬けと沢庵が入った出汁茶漬けといった感じ。

苦手な個性の強い漬物が二種類も入って、
トドメに大嫌いな刻んだ紫蘇が入っているからつらい。(^^;

紫蘇なんて食いモンじゃないよ。(苦笑)

そういう訳でこれは全く口に合いませんでしたね。

紫蘇と漬物が入って無かったら普通に美味しいと思いますが。

刺身は美味しかったです。


はぁ、普通に黒豚のトンカツにすればと後悔したよ。(^^;



さて、気を取り直して西本願寺の鹿児島別院へ。

地元のガイドさんによると鹿児島は真宗王国らしい。

鹿児島って伊勢地方に並ぶほど、
廃仏毀釈の時に寺院が徹底的に破壊された歴史がありますね。


所在地:鹿児島県鹿児島市東千石町21-38
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明治11年(1878)


【縁起】
室町時代末期から始まった薩摩藩による念仏禁制と弾圧、
幕末から全国的に起こった廃仏稀釈では、
薩摩藩に存在した仏教寺院は全て破却。僧侶も全員が還俗させられる等、
薩摩の念仏者達は禁が説かれるまでの約300年間、
隠れて手を合わさざるを得なかった歴史があります。

明治9年(1876)9月5日、鹿児島県参事の田畑常秋氏より、
「各宗旨ノ儀自今人民各自ノ信仰二任セ候条此段布達候条」と書かれた
一片の布達が出され、禁制に終止符が打たれた。

その後、本山・本願寺より開教使に任命された6名が鹿児島へ到着し、
石灯籠通りの柳田喜助氏の自宅を御本尊の仮懸所として、
鹿児島の開教が開始。

明治11年に現在地を取得し、紀州にあった性応寺を買得して移築、
ここに別院が建立されることになりました。

第二次世界大戦に米軍の鹿児島大空襲により灰燼に帰したが、
昭和24年に本堂は再建。

しかしながら、鹿児島別院としては長らく再建されませんでしたが、
くのご門徒の方々の協力を得て、昭和57年に鹿児島別院は再建されました。


【山門】


別院に相応しい立派な山門です。


【本堂】




これまた立派な本堂です。

屋根は耐久性と軽さを兼ね備えたチタン瓦が葺かれているそうです。

浅草寺の屋根もチタン瓦だとか。




境内は真宗らしく有料駐車場となっていました。


【寺務所・納骨堂】



【鐘楼堂】



【境内】



【内陣】






まさに荘厳。


【御本尊】


なまんだぶ なまんだぶ。

これにて鹿児島別院参拝終了。

内陣の雰囲気はとても良かったです。(^^

御朱印はございません。

椋橋総社(2017年9月23日参拝)

2017年10月15日 | 仏閣
今日は夏休み消化dayでお休み。

所用があり大阪の豊中市に来たので、
二社ほど神社を参ることにした。

まずは椋橋総社という普通は読めない神社へ。

椋橋と書いて「くらはし」と読みます。


所在地:大阪府豊中市庄本町1-2-4
御祭神:素盞嗚尊・神功皇后
創建:不明



【由緒】


当杜は古来より東西椋橋荘の中央である荘本に鎮座し、
同荘の総産土神で椋橋総杜又は椋橋荘神崎松原の社とも称する。

遠き神代の御時、素盞鳴之尊が高天が原より鯉に乗り、
神前(神崎)の水門を経て当荘に御降臨なされたことにより、
崇神7年椋橋部連の祖、伊香我色乎命が斎い定め祀ったと伝えられている。

椋橘荘は正史にも明らかな地で椋橋部連とその曲民の住む土地であった。

また、当杜は神功皇后が新羅へご出発の時、神々をこの神庭に集め、
幸をお祈りになったという霊験著しい古杜である。

天文8年(1539)御奈良天皇の勅願所となった。


【大鳥居】


神社から数百メートル離れた場所にありました。

この手前まで出るのに少し細い道を通る必要があります。

対向車が来たら泣く事必死。(^^;


【境内】




こじんまりとした境内で、
隣りには神社が経営している幼稚園がありました。


【拝殿】





【狛犬】



【三社神社】


住吉大神、春日大神、愛宕大権現が祀られています。


【出世亀菊天満宮・恵比須神社】





【松原由来石碑】





【鯉塚】





【稲荷社】




稲荷社らしからぬ社殿です。

狛狐もいないし。


【旧鳥居】


阪神大震災で倒壊した鳥居だそうです。

そういや大阪でも北部の方は被害が大きかったな。


【縁結びの木】




クスノキとクロガネモチの合体木。


【御朱印】


バランス悪いわ~。(^^;

書き手のクセなんだろうけど、
もう少し全体を使って書いて欲しかったな。

これだったら下の開いてる部分に、
鯉のハンコを押せばいいのに。(^^;

西本願寺(2017年9月3日参拝)

2017年10月14日 | 仏閣
東本願寺の渉成園の次は東本願寺といきたいところだが、
今回は国宝の唐門を見る為に久しぶりに西本願寺へ。

東本願寺と違って大型の無料駐車場があって助かる。


所在地:京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正19年(1591)
開基:顕如上人



【総門】


堀川通りの対面に総門があります。

重要文化財。


【阿弥陀堂門】


とても煌びやかな門です。

重要文化財。


【御影堂門】


重要文化財。


【目隠塀】


重要文化財。


【境内】


右が阿弥陀堂、左が御影堂です。


【阿弥陀堂】




宝暦10年(1760)再建されたもの。

国宝。


【大銀杏】



【阿弥陀堂内陣】




なまんだぶ なまんだぶ






相変わらず絢爛豪華な襖です。


【渡廊下】


阿弥陀堂へと続く廊下。

国宝の附指定。

阿弥陀堂参拝後、龍虎殿でお茶をしばいて唐門へ。


【書院】





【旧仏飯所】





【書院玄関】




威厳溢れる玄関です。


【中雀門】


実に渋い唐門です。

この奥にある白と黒の書院を見てみたいものです。


【石柱】



【書院】


国宝。


【唐門】




これが日暮らし門とも呼ばれている唐門です。

素晴らしい。

これを現代で造ったとしたら、
いったい幾らかかるんだろうか。

国宝に恥じぬ見事な唐門です。










彫刻も素晴らしいですね。


【大玄関】


これにて西本願寺参拝終了。

ご存知の通り御朱印はありません。

龍虎殿で参拝記念スタンプ3種類はいただけますが。


【本家西尾八ッ橋 本店】


可愛い姪っ子のリクエストで急遽調べて訪れました。


【たぬき】


信楽焼のたぬきがお出迎え。

キン〇マがでかいわ~。(笑)


中に入ると綺麗なお姉さんがお出迎え。

高まりました。(^^

八ッ橋って小学生の頃は食べれたのですが、
次第にニッキが苦手で避けていました。

しかし、こちらの八ッ橋はニッキをほとんど感じることが無くて、
食べやすくて非常に美味しかったです。(^^


ちなみにこの店ではオリジナルの御朱印帳が二種類ありました。
各千円。

デザインが女性向きなので買っていませんが。


【西尾八ッ橋の里】


隣接する西尾八ッ橋別邸で、
美しい庭を見ながら書院造りの建物で、
食事や甘味を楽しめるそうです。

お庭が好きな方は一度行ってみるといいと思います。

東本願寺 渉成園<枳殻邸>(2017年9月3日参拝)

2017年10月13日 | 仏閣
今日は東本願寺飛地境内である渉成園に行くことにした。

普段なら庭園がメインの場所は余り行かないのだが、
たまにはいいかなと思ったもので。


所在地:京都府京都市下京区下数珠屋町通間之町東入東玉水町
宗派:真宗大谷派
創建:承応2年(1653)
寺格:真宗本廟飛地境内地


【縁起】
9世紀末に嵯峨天皇の第十二子源融が、
奥州・塩釜の風景を模して作庭した六条河原院の故地とされる。

寛永18年(1641)徳川家光から東本願寺に寄進され、承応2年(1653年)、
石川丈山によって書院式の回遊庭園として作庭された。

以後、近世・近代を通じて門首の隠退所や外賓の接遇所として用いられる等、
東本願寺の飛地境内地として重要な機能を果たした。

庭園は作庭時の姿を残すが、安政5年(1858)、
元治元年(1864)の2度の罹災により焼失する。

現在の殿舎は慶応元年(1865)から明治初期までに再建されたもの。

園内には全敷地の6分の1を占める広大な印月池をはじめとする
頼山陽撰の十三景が広がり、大書院の閬風亭や、漱枕居・縮遠亭・代笠席の3茶室、
第二十一代嚴如上人の持仏堂であった園林堂等、瀟洒な諸殿舎が点在する。

殿舎内部には、石川丈山や狩野永納、棟方志功等の作品が残る。



【庭園マップ】


庭園維持寄付金500円以上支払うとガイドブックがいただけます。

オールカラーで渉成園を紹介したもので、
パンフレットとしてはかなり豪華なものでした。


【枝垂れ桜】


大門を入ると春には見事な桜が咲くであろう大木があります。

心の中では桜が満開でした。(笑)

ちなみに無料駐車場は枝垂れ桜の反対側にあります。

この門の中に車で入っていいの?って、
係員に聞いたほどでしたが。(^^;


【高石垣】




色んな石を再利用した石垣のようですね。




これは石臼のようですね。


【境内】


奥に真っ直ぐ進んでいきます。


【門】


こちらの門は開いておりませんでした。


【庭園北口門】



【境内】


最初は左手に進んで行きます。


【臨池亭・滴翠軒】


手前が臨池亭で奥に見えるのが滴翠軒です。

明治17年(1884)に再建されたもの。

中には入れませんでした。




キリシマヤマと呼ばれる築山と池の庭園もいいですね。


【大笠席】


四畳半の茶室が二室があるそうです。

普段は閉まっていますが、秋の特別公開では中に入れるようです。

明治21年(1888)再建されたもの。


【印月池】


うわ~全然水が無いやん。

テレ東の番組で水を抜いたんか?(泣)

どうやら渉成園保存整備事業の一環で、
侵雪橋の架け替え工事をやっているので、
10月末まで水を抜いているとか。


【回棹廊】






丹楓渓と北大島を結ぶ木橋で、安政の大火(1858)における焼失以前は、
朱塗りの欄干を持つ反橋だったそうです。






明治17年(1884)再建されたもの。


【塩釜】


縮遠亭で茶会が催される時の水源であったとされます。


【縮遠亭】






裏側です。


【印月池】


蓮はまだ枯れていませんでした。

奥に見えるのが茶室の漱沈居です。




奥に見える大きな建物が閬風亭です。

明治天皇が休憩された大書院です。


【源融ゆかりの塔】


左大臣源融は嵯峨天皇の皇子であったが、
源の姓を賜り光源氏のモデルの一人であると伝えられています。

この九重の石塔は彼の供養塔だそうです。


【傍花閣】




山門にあたるそうですが、
庭園の前に山門があるとは珍しい。

明治25年(1892)に再建されたもの。


【園林堂】




持仏堂だそうです。

先ほどの変わった山門である傍花閣は園林堂の為にあるんですね。


【蘆菴】


二階建ての茶室で特別公開していました。

昭和32年(1957)再建されたもの。


【中門】


屋根が変わっている渋いもんです。


【春日燈籠】


江戸初期作で笠の部分が降り積もった雪が刻まれてるとか。


これにて終了。

庭園を目的で行くのは珍しいのに、
そんな時に限って池に水が無いとか。

ま、こんな時もあるわな。

吉崎御坊 吉崎寺(2017年8月19日参拝)

2017年10月12日 | 仏閣
吉崎別院から数分の場所に吉崎寺があり、
こちらにもう一つの嫁脅し肉付面があります。

楽しみです。(^^


所在地:福井県あわら市吉崎2-902
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:蓮如上人


【縁起】
本願寺の蓮如上人が文明3年(1471)越前国と加賀国の境にある
吉崎へ来られて、この地方の名主大家彦左衛門吉久の協力を得て、
吉崎道場を造り浄土真宗の教えを広められました。

この時、大家彦左衛門吉久は蓮如上人の弟子になって慶聞坊と法名を頂き、
本堂を建てる為、自分の所領千歳一万坪を上人に寄進しました。

上人は吉久の館で教化しながら山上の諸堂が完成するのを待たれました。

それが吉崎寺で蓮如上人が吉崎布教の第一歩を記された旧跡寺です。


【鳳凰閣】


最初、こちらが吉崎寺と思い、立派だなぁと思っていたが、
よく見るとお寺の雰囲気が無く、蓮如上人記念館に隣接する
喫茶スペースがある休憩所でした。(^^;

蓮如上人記念館は拝観料500円必要だったので華麗にスルー。

急いで近くにあった吉崎寺へ。


【全景】


左の階段がある建物の2階が本堂で、
右側の1階が嫁脅し肉付面がある宝物館となります。


【蓮如上人銅像】


文明6年(1474)千歳山上の多屋(僧侶の仮住居)から出火し、
十棟が焼け、その場を離れなかった蓮如上人を、
大家彦左衛門吉久が背負い避難させた銅像です。

背負われているのが蓮如上人です。


【鐘楼堂】


大型の無料駐車場がありました。


【大家彦左衛門吉久墓】




早速、拝観料500円を支払い宝物館へ。


【嫁威肉付面】


館内は撮影禁止でしたので、
画像はネットで拾ったものです。

館内はガラス越しに嫁威肉付面や掛軸を見る形になります。

御住職の奥様と思われる方のご案内付きです。

肝心の嫁威肉付面は御簾で隠されており、
見れないのかと思ったが、面白い仕掛けをされていました。

嫁威肉付面の前に立つと御簾が自動的に上に上がり、
御対面となります。

これは非常に面白かったですね。

また、嫁威肉付面は願慶寺のよりリアルな怖さを感じました。

どちらかを見るということであれば吉崎寺をお勧めします。


館内の写真を見たい方は「日本珍スポット100景」様をご覧下さい。

http://bqspot.com/hokuriku/fukui/253


【本堂内陣】




二階部分の本堂内陣を参拝。

中央に阿弥陀如来、左右に親鸞聖人、蓮如上人の御影が祀られていました。

屋上は展望台です。


【御朱印】


御住職が御不在で書置きでしたが、
こちらでも御朱印がいただけました。


吉崎寺の近くには本願寺眞無量院吉崎御坊という、
普通の二階建ての家に見えるお寺があります。

逆にとても入り難いので回避。

また、親鸞会の吉崎御坊もありましたが、
こちらはガチで行ったらアカンやつ。

危険な新興宗教なので近寄るべからず。


この吉崎という場所に訪れて感じたのは、
蓮如上人所縁の地だけあって、各派のお寺が集まって、
いろいろややこしいことかな。

とりあえず、これにて今回の旅と参拝終了。

白山は今年もお預けとなったが、
参拝したかったお寺や千枚田に行けて良かったし楽しかった。


この後は甘えびを買いに東尋坊へ。


【東尋坊】



【雄島】


ここに鎮座する大湊神社に参拝したかったが、
この雄島は結構怖い噂があるので今回もパス。

夕方で帰宅する時に変なモノが憑いたらたまらんので。


【ホタテのバター焼き】


美味かったわ。(^^


5千円分の甘えびを買って帰宅。

お疲れ自分。

真宗本願寺派吉崎別院<西別院>(2017年8月19日参拝)

2017年10月11日 | 仏閣
願慶寺の横にあるのが通称西別院、西御坊と呼ばれる
本願寺派の吉崎別院です。

浄土真宗の別派とはいえ、
同じ敷地内に別々のお寺が3つもあって色々ややこしい。(^^;



所在地:福井県あわら市吉崎1-201
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明



【山門】


京都本願寺にあった豊臣秀吉寄進の北門を譲り受け再建したもので、
念力門とも呼ばれているそうです。


【本堂】


寛政9年(1797)に再建されたもの。




本堂内陣にお参り出来て良かった。(^^


【中宗堂】




こちらは閉まっておりました。


【資料館】



【経堂】



【表門】


念力門よりもこちらの方が立派なものでした。


こちらでは御朱印はいただけません。
というか、お寺の人の気配は無でしたね。