Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

伊賀寺町通り 善福院~念佛寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月31日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀寺町通りの次なるお寺は萬福寺の前にある
善福院というお寺です。


<善福院>
所在地:三重県伊賀市上野寺町1176
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:不明
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場、三重四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
天正の伊賀攻めにより創建等は不明。

寺伝によれば御本尊の十一面観音立像は大和長谷寺の御本尊の
試しの尊像であると伝えられている。
このことから考えると当山は天平年間(729~49)には、
存在していた古刹であることが伺い知れる。

寺町と新町の中間にあり、境内を通って両町へ行ける通路があって、
近くの人々が利用し通り抜けができるところから、
「ゆきぬけ寺」の名があり、町の人々に親しまれている。

観音菩薩、地蔵菩薩、歓喜天尊を主に祀り、庶民の寺として、
多くの壇信徒の信仰厚く、古刹を今日に伝えている。


【山門】


無料駐車場がありました。

山門に彫刻された龍は夜ごとに出て行くので目を抜かれているとか。


【本堂】


残念ながら閉まっていました。

ま、これは織り込み済みです。




本堂には御本尊、柳谷観音立像、地蔵菩薩坐像等が祀られています。


【修行大師】



【御朱印】


ありましたハンコ入れが。(^^

74番の金傅寺の印もあるようです。




うーむ、黒の朱肉が全然無くて薄くなってしまった。(泣)


気を取り直して善福院の斜め前にある念佛寺へ。


<念佛寺>
所在地:三重県伊賀市上野寺町1152
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:純誉巌公上人
札所:法然上人伊賀二十五霊場


【縁起】
念佛寺に伝わる過去帳には元和以前の記入が見当たらず、
寛永以後のものばかりであることから、
当寺の開基は寛永元年(1624)以降であると思われます。

念佛寺のある寺町は慶長13年(1608)に藤堂高虎公が、
伊賀の国主となってから行った城下の整備に伴い設けられたので、
当寺の歩みは伊賀上野の町並みの歴史と共にあるといえます。


【山門】


何だか上品な感じの山門です。


【本堂】


享和2年(1802)に建立されたもの。

堂内は百三畳の広さがあるそうです。
残念ながら閉まってました。(泣)


【内陣】


画像はオフィシャルより拝借。

自分の目で見て拝みたかったなぁ。


【御本尊】


重要文化財。


【鐘楼堂】



【子安観音堂】


お寺の中で一際異彩を放つのが、
六角堂とも呼ばれている子安観音堂です。




子安観音菩薩、聖観音菩薩、千手観音菩薩の他に、
西国三十三ヶ所・坂東三十三ヶ所・秩父三十四ヶ所の観音霊場に由来する
百体観音菩薩等の諸仏が祀られていました。


自分の目でちゃんと拝めたのが本当に良かった。(^^


【積観音堂】




御厨子に納められた積観音菩薩と御前立ちの観音菩薩を中心に、
不動明王と毘沙門天が祀られていました。

積観音菩薩というお名前は知りませんでした。


【御朱印】

伊賀寺町通り 萬福寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月30日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀の旅も終盤に近づいてきました。

田んぼが多かった伊賀ですが、
伊賀上野城近くになるとさすがに結構都会でした。(笑)

そんな伊賀上野城界隈には、
城下町を守る為に配置された七ヶ寺があります。

その両側にお寺が並ぶ通りを伊賀寺町通りと呼ばれています。


【伊賀寺町通り】


なかなか良い雰囲気です。

まずは萬福寺というお寺に参拝です。


所在地:三重県伊賀市上野寺町1157
宗派:真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
創建:平安時代
開基:平清盛
勅願:後白河法皇
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
当寺は平安時代後白河法皇の勅願により平清盛が建立したと伝え、
上野山平楽寺無量寿院といわれていました。

現在の上野城東方にあり、諸堂並びに子院三十六坊を有する大刹で、
北八大寺の随一として上野総持の道場でした。

寺の夜叉門は丹朱をもって彩色されて赤門といわれ、
寺僧は赤門法師と呼ばれていました。

天正9年(1581)織田信長の兵火により、堂宇の悉くは灰燼に帰し、
旧地に仮の草堂を建てて法灯を護っていました。

藤堂高虎の入部に伴い現在地に移転、再建されましたが、
元禄10年(1697)正月、類焼に罹り再び焼失、
その際、所蔵していた寛永11年(1634)伊賀越仇討に関する
原書や渡辺数馬・荒木又右衛門などの実記も失われました。

現在は討たれた川合又五郎の遺品の具足と境内の一画に墓石が遺されています。


【山門】


駐車場は小さいのがありましたが、
ちょっとの間だけなら山門前に停めていても問題ありません。

どこの寺町も警察とは話が済んでいるハズですから。


【本堂】


檀家寺ではあるが、なかなか立派な本堂です。


【地蔵尊】



【宝篋印塔】



【川合又五郎墓】


川合又五郎は備前岡山藩士。

岡山藩主池田忠雄の小姓渡辺源太夫を斬ったことにより、
岡山藩と旗本の争いに発展。

幕府は喧嘩両成敗として事件の幕引きを狙い、
旗本達の謹慎と又五郎の江戸追放を決定する。

しかし、源太夫の兄である渡辺数馬は仇討ちを決意し、
仇である川合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った事件を、
鍵屋の辻の決闘、または伊賀越の仇討ちとも言う。

曾我兄弟の仇討ちと赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つ。


【観音堂】





御朱印は残念ながら御不在でいただけませんでした。

東大寺伊賀別院 観菩提寺正月堂(2017年3月4日参拝)

2017年03月29日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀には東大寺別所である新大仏寺の他に東大寺別院があります。

その別院というのが観菩提寺というお寺で、
俗に正月堂と呼ばれ親しまれている由緒正しいお寺です。

東大寺には産まれてから毎年参拝しているように、
私にとっては根本を成す大切なお寺です。

その東大寺の別所と別院は以前からずっと参拝したかったので、
今回の伊賀の旅は本当に楽しみでした。

仁王門前に無料駐車場があります。



所在地:三重県伊賀市島ヶ原1349
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:天平勝宝3年(751)
開山:実忠和尚
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場、三重四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
この観菩提寺は俗に正月堂と称し、天平勝宝3年(751)に、
聖武天皇の勅願寺として創建され、奈良東大寺の実忠和尚により開創。
本国における最も有名な古刹の一つである。

秘仏十一面観音は33年に一度の開帳が許され、木造立像で高さ205.2cm。

本堂、楼門、本尊十一面観音立像はそれぞれ重要文化財に指定され、
2月11日、12日の修正会は県の無形民俗文化財に指定。

正月堂の修正会は奈良東大寺二月堂のお水取りに先駆けて行われることで知られ、
ここ正月堂が発祥の地ともいわれています。

中世後期の伽藍配置図「観菩提寺古絵図」には、
現存する本堂や楼門の他にも多数の堂宇が描かれていますが、
運よく難を逃れた本堂と楼門以外の多くの伽藍は、
天正の乱の折り織田信長の軍勢の焼き討ちで焼失。

その後、衰退を繰り返しながらも、
現在は東大寺の別院として篤く信仰されている。


【仁王門】




実に渋い。
この山門が見たくて訪れたので感動です。

こんな田舎に、いやもとい、長閑な場所に、
これほどの仁王門を建立するとは伊賀恐るべし。

当然ながら重要文化財です。


【金剛力士像】
 


【本堂】


昔は国宝だったのかな。




室町時代建立の重文。

これまた仁王門と同じく実に渋い。

こういう雰囲気を纏う本堂はゴマラー好みでございます。

本堂は残念ながら閉まっており、
修正会の時以外は事前予約が必要です。

こんな長閑なお寺なんだから事前予約とかしないで、
おおらかにいつでも拝観すればいいのに。

東大寺伊賀別院というプライドの高さ故なのかね~。

それともこれが伊賀根性ってやつかな。(^^;


【修正会】



【仁王門】


表から見るととてもカッコいいのに、
裏から見るとそうでも無いのね。(^^;

写真は撮り忘れましたが、多聞天と広目天がいました。


【地蔵尊】



【四国八十八ヶ所ミニ霊場】




こういう山を利用したミニ霊場は他のお寺でもありますが、
どこも少し荒れてて寂しい雰囲気満点。

これではちょっと霊場を巡ろうとは思わないですよね。

かといって、砂を埋め込んだ所を踏んで御利益を得ようとする
ミニ霊場もあるけど、これはこれで有難味が余り感じられない。

霊場の札所を一つ一つ行ってお参りすることが、
とても大切だと思うけどね。

だからミニ霊場の類はあんまり意味が無い気がする。


【宝篋印塔】



【卍地蔵尊】



【鐘楼堂】



【御朱印】


御不在でしたのでセルフで。

真ん中の印が相当傷んでいるので、
こんな仕上がりになってしまいました。(^^;

鸕宮神社(2017年3月4日参拝)

2017年03月28日 | 神社
観菩提寺に向かっている途中で神社発見。

ここは完全にノーマークの神社だったけど、
なかなか雰囲気が良さそうだったので寄り道。(^^


所在地:三重県伊賀市島ヶ原4689
御祭神:事代主命
配祀神:大那牟遅命、神倭磐余彦命、菅原道真、木花咲夜比売命
創建:不明
社格:村社


【由緒】
当社の祭神は事代主命外十四柱で創立由来は、
天平勝宝4年(752)奈良東大寺の実忠和尚が開創された
村内にある観菩提寺正月堂との関係が深い。

正月堂の修正会と二月堂の修二会が略同じ行法の厳修をする関係で、
二月堂の鸕宮社を正月堂東南の地(現在地)に奉祀したら神妙なるべし、
又南都と相似たりと勧請したのである。

明治39年(1906)と翌明治40年(1907)に近隣の神社を合併し、
現在までに多くの神々を合祀する。

鎌倉時代以前より伝承されている行事の滝まつりと、
毎年夏の土用に行われる虫送りという神事が行われる。

虫送り神事は稲作の害虫と村人達の悪病をも共に総て川に流し去ると言う行事で、
川南地区奉行二人が鸕宮神社へ午後参拝し、
この行事祈願をして御神火を授けられて南区の守護神稲荷神社へ持ち帰る。
この御神火が虫送り火の「火種」となる。

観菩提寺正月堂の修正会は、鸕宮神社の神職が正月堂へ赴き、
修祓、祝詞奏上の後、行法が始まる。


【鳥居】


石段を見たら華麗にスルーしたくなったが、
ここはグッと我慢した。


【石灯寵】


これはマジでデカイ。

天保14年(1843)9月に村人達によって、
神社に感謝の意を込めて建立したもの。

高さ5.28メートル、重量は43トンにもなるそうです。

村人の信仰心恐るべし。


【表参道】


頑張って登りました。(^^


【鳥居】


境内は思った通りなかなか良い雰囲気です。


【拝殿】




氏子さん達が綺麗にされているんでしょう。

清々しい拝殿です。


【神宮遥拝所】



【神輿庫】




秋祭りでは神輿を担いで125段の石段を登るそうです。

そりゃ大変や。(^^;


【石段】


下りる時は御注意を。(^^;


【スタンプ】


社務所では大ボリュームでラジオが流れている。

こりゃ耳が遠い爺さんか婆さんしか居ないなと思い、
ピンポンを押すことは止めておきました。

ネットで軽く調べた限り御朱印は無さそうでした。

代わりにスタンプがあったので押しておきました。

普段はスタンプは押さないけど、
デザインが良かったので押しちゃった。

東大寺伊賀別所 新大仏寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月27日 | 仏閣
伊賀寺社巡りのメインの一つである新大仏寺に到着。

ここは何といっても盧遮那仏でしょう。
お会い出来るのが楽しみです。




山門前に大型無料駐車場がありました。

いざ参拝開始。


所在地:三重県伊賀市富永1238番地
宗派:真言宗智山派
御本尊:盧遮那仏
創建:建仁2年(1202)
開基:源頼朝
開山:重源上人


【縁起】
源頼朝が後鳥羽法皇の勅願寺として開創、
重源を開山として創建されたと伝えられる。

重源は鎌倉時代に東大寺大仏と大仏殿の復興事業を指揮した僧として知られ、
当寺は東大寺の伊賀別所となった。

新大仏寺と称する所は重源上人が東大寺に敬意をはらって、
寺の名前に新の字を加えた。

その後、長らく衰退し戦国時代末期にはかなり酷い状態であった。
新大仏寺を訪れた松尾芭蕉はその様子を笈の小文や伊賀新大仏之記で記している。

再建されたのは江戸時代中期の寛延年間(1748-1751)のことである。


【大門】


とても立派な山門です。



扁額に東大寺伊賀別所と書かれています。


【仁王像】
 


【明王殿】


これはどう見ても交通安全祈祷殿ですね。




やはりお不動さんがいらっしゃいました。


【白寿観音像】


足元に爺さん婆さんがいました。
このパターンはどっかのお寺で見た記憶があるな。


【慈母観音】


子供がモロ人間でちょっと違和感がある。(^^;


【本坊】


御朱印や拝観受付はここでは無く、
明王殿前にある売店である寺務所となります。


【石塔】



【石仏】


これは善光寺式如来ですかね。


【鐘楼堂】





【十三重搭】



【鎮守社】



【大師堂】


元文3年(1738年)に護摩堂として建立されたもので、
ペリーが浦賀に来た時は国難消除の祈祷を修したそうです。


【大仏殿】


享保12年(1727)から延享5年(1748)にかけて建立されたもの。








元々の御本尊である大仏如来を祀っていたので、
大仏殿となっていますが、現在は釈迦如来が祀られていました。




地蔵菩薩と役行者が祀られていて、
なかなか立派な地蔵菩薩でした。




堂内外陣は砂でした。

こういうお堂はたまにありますね。


【岩屋不動明王】




大仏殿の裏手に回ると滝場があり、
そこには6メートルもの不動明王が祀られています。




ここからだとお顔が見えない。(泣)

滝場は水行をしないと入れないとのこと。


【石仏】



【護摩祈祷堂】


不動明王が見れなくて残念だなぁと思いながら反対側に回って見ると、
中に入れることが判明。

寺務所の方に確認してみると入っても良いとのこと。




何とも厳かな雰囲気。




ガラス越しに御対面。






江戸時代より多くの修行者の願いを受け止めてこられました。




最初見た時、ちょっとびびった。(^^;


【鎮守社】



【本堂】


これが本堂なのね。

てっきり横の大仏殿が本堂かと思ってたよ。

寛永9年(1632年)上野城主藤堂大学助髙次公が、
雨乞い祈願成就の御礼として寄進されたもの。




元俊乗房重源像をまつった由縁から上人堂と称するが、
現在は阿弥陀如来が祀られていました。


【鎮守社】





【新大仏殿】


ここだけ拝観料300円が必要です。

まずは二階に上がり盧遮那仏とご対面です。

この新大仏殿は外よりもヒンヤリとしていて寒い。


【盧遮那仏】


撮影禁止でしたので伊賀上野観光協会より拝借。

素晴らしい。

息を飲む程の見事な大仏様です。

快慶作ということでしたが、そんなに快慶の雰囲気を感じません。

それもそのはず、元々は宋の仏画をモデルにしているので、
快慶という雰囲気が感じられないのも仕方ありません。

当初は立像の阿弥陀如来であったが、
江戸時代の享保年間に仏師祐慶により修復され、
現在の坐像盧遮那仏になりました。

他に俊乗房重源像が祀られていました。
こちらもリアルな彫刻で見事でした。


【石造基壇】


一階に戻ると次は基壇です。

こちらのブログの画像を拝借しました。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7460/mie-sindaibutuji.htm

元は阿弥陀三尊の台座だったそうで、
よくも鎌倉時代に造ったもんだと感心した。

石を切るのは出来たとしても、二段目をよく乗せたなぁ。

どうやって石を乗せたんだろうか。


【御朱印】


書置きのみとのことです。


拝観料300円の価値は充分ありますので、
ここを訪れたなら新大仏殿は拝観しましょう。

新堂寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月27日 | 三重梅花百観音霊場
続いて三重梅花百観音霊場の札所である新堂寺へ。



お寺前はこんな感じ。(笑)



所在地:三重県伊賀市中村606
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:不明
札所:三重梅花百観音霊場


【山門】


なかなか立派な山門です。


【本堂】


残念ながら閉まってました。


【地蔵尊】



【御堂】




小さな仏様を見れて拝めて良かった。

救われました。(^^


【六体地蔵】



御不在で御朱印はいただけませんでした。

セルフ式の箱があるかと思ったけど無かった。
三重梅花百観音霊場はセルフ式に対応して無いのね。

山田村鳳凰寺・薬師寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月26日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場


三重四国八十八ヶ所霊場の札所である鳳凰寺へやって参りました。

場所に着いてみるとこれがまた長閑です。

伊賀市といっても郡や村というのがピッタリです。(笑)

寺前の大きな広場のような所に車を停めれました。


所在地:三重県伊賀市鳳凰寺245
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
創建:奈良時代前期
開基:伊賀采女宅子
中興創建:慶長3年(1598)
中興開山:清存法印
札所:三重四国八十八ヶ所霊場、伊賀四国八十八カ所霊場


【縁起】
この寺域一帯には白鳳時代(645~707)鳳凰寺という名の寺院があった。
当山の境内外から出土する古瓦や大礎石等から、
鳳凰寺が七堂伽藍の大刹であったことが分かる。
その鳳風寺址が県の史跡に指定されている。

壬申の乱(672)後、大友皇子の生母・伊賀采女宅子は郷里の大山田へ帰り、
我が子の冥福を祈って鳳凰寺を建立した。

礎石の規模から伽藍の大きさも想像され、その後鳳凰寺は幾変遷を繰り返し、
天正の伊賀乱に際し堂宇ことごとく兵火に炎上し、慶長3年(1598)、
僧侶清存法印が堂宇を建立して轟山薬師寺と改号した。

日本書紀あるいは三国地誌などの諸記録や、白鳳時代の単弁の造花文證瓦、
軒瓦、礎石等の出土等を考え合すと、当山の起源は奈良時代前期とする
強力な傍証が存在しているといえよう。

中興開山後、江戸中期恵正法印、浄順和尚らによる中興を経て、
現在の本堂が昭和39年(1964)に建立された。

寺宝としては、本尊の薬師如来のほか、木彫の十二神将、如意輪観音菩薩、
弘法大師、不動明王、阿弥陀如来、地蔵菩薩、役行者などが所蔵されている。


【本堂】


本当に小さなお寺です。

本堂は閉まったままなんだろうなぁ、と思っていたら、
まさかのオープン。


【内陣】


全く期待して無かったけど、
内陣がとても立派。

質素な内陣と思ってので、正直すまんかった。(^^






御本尊は秘仏のようで、左右には十二神将が祀られていました。






片方は弘法大師だけど、もう一人は中興開山の和尚なのかな。

とにかく内陣に入れて拝めて本当に嬉しかったです。

逆に御不在で誰もいなかったので、
盗難とか大丈夫かなと心配してしまったよ。(^^;
 

【地蔵堂】



【宝篋印塔】



【御朱印】


セルフ用の箱がありましたよ。(^^




伊賀四国八十八カ所霊場の肩印もありました。

植木神社(2017年3月4日参拝)

2017年03月25日 | 仏閣
続きまして伊勢神宮に続く伊勢街道の宿場として、
昔から発展していた伊賀市平田に鎮座する植木神社へ。

県の無形民俗文化財に指定されている祇園祭が行われています。



所在地:三重県伊賀市平田699
御祭神:健速須佐之男命、櫛名田毘売命
創建:寛弘元年(1004)
社格:郷社



【由緒】
平安時代中期の寛弘元年(1004)、
出雲国意宇郡日御碕の住人である桃木政守が夢の告をうけ、
播磨国広峰山から牛頭天王を勧請したのが始まり。

当初は王手村清水谷鳥坂神社の相殿に祀ったが、
鎌倉時代の文永2年(1265)、洪水で流出した為、
現在地へ遷座し植木牛頭天王と称した。

明治2年(1869)現社号に改称し、明治7年(1874)5月、郷社に列した。
明治41年に平田神社等30社を合祀している。


【鳥居】




無料駐車場がありました。


【鐘楼堂】


この神社にも鐘楼堂がありました。


【境内】


こじんまりとした普通の神社ですね。


【拝殿】




神職さんがいらしたのでご挨拶。

そして神様にも御挨拶を。(^^


【狛犬】



【御神木】



【蔵】



【神輿庫】



【参籠所】



【鳩】




逃げないように籠に入れられていました。

自由に飛ばせてあげて。(笑)


【梅】



社務所に居るハズの神職さんを呼ぶ為に、
ピンポンを押すも出てこられない。

ピンポンが壊れていたのかどうか分かりませんが、
結局出てこられませんでした。

よって御朱印の有無は確認出来ませんでしたが、
ネットで調べる限り無さそうです。

敢國神社(2017年3月4日参拝)

2017年03月24日 | 一宮
三重県の神社といえば伊勢神宮ですが、
この伊賀市にもれっきとした一宮があります。

敢國神社という神社で当然のように参拝です。

敢國と書いて「あえくに」と読みます。


所在地:三重県伊賀市一之宮877
御祭神:大彦命
配祀神:少彦名命、金山比咩命
創建:(伝)斉明天皇4年(658)
社格:式内社、伊賀国一宮、国幣中社、別表神社


【由緒】
社伝では斉明天皇4年(658)の創建になるとする。

これによると祭神の大彦命は四道将軍として北陸地方を平定し、
その子孫は伊賀国阿拝郡一帯に居住して阿閇氏称し、
大彦命を祖神として祀ったという。

創建当初は、敢國神社南方の南宮山山頂付近に祀られたが、
後に現在地南宮山山麓に遷されたという。

延長5年(927)成立の延喜式神名帳では伊賀国阿拝郡に、
「敢国神社 大」と記載され、式内大社に列している。

天正9年(1581)の天正伊賀の乱では、織田信長の侵攻に伴って社殿が焼失、
この時に多くの社記も失われている。

この荒廃を受け文禄2年(1593)に山伏の小天狗清蔵によって社殿が再建。

明治維新後、明治4年(1871)5月に近代社格制度において国幣中社に列した。
戦後は神社本庁の別表神社に列している。


【社頭】


大型の無料駐車場がありました。


【裏参道】
表参道と裏参道があり、とりあえず裏参道を歩く。


【大石社】






最初に見える境内社が大石社です。


【神明社】





【楠社】




ちょっとだけ登りました。


【結社】




縁結びの神様のようです。


【子授け神】



【若宮八幡宮】



【御輿蔵】



【神饌所】



【鳥居】


普通の道路の表参道沿いの鳥居。


【拝殿】







【狛犬】



【桃太郎岩】





【御神石】



【御神水井戸】



【拝殿】



【本殿】


かろうじて赤が見えるだけでした。


【市杵島姫社】


表参道沿いに鎮座。

表参道より裏参道の方が雰囲気が良いという珍しい神社です。


【御朱印】


独特のタッチですね。


一宮というわりに何かグッとくるものがありませんでしたね。

猪田神社(2017年3月4日参拝)

2017年03月23日 | 神社
伊賀国一宮の敢國神社へ向かっている途中に、
延喜式内社猪田神社という看板発見。

全くのノーマークの神社ではあったが、
延喜式内社であれば寄っていかないとね。

猪田と書いて「いだ」と読みます。


所在地:三重県伊賀市下郡591
御祭神:猪田神
配祀神:底土命、赤土命、磐土命
創建:不明
社格:延喜式内社、村社


【由緒】


社伝によれば往古より猪田神社と称し、
平安時代には伊賀郡猪田郷鎮座の延喜式内社に列せられ、
地域の産土神として人々の崇敬を集めた。

明治41年、一村一社の合祀令により旧依那古村に鎮座する神々を当神社に合祀。
御祭神は、猪田神、住吉三神(底土命・赤土命・磐土命)他25柱である。

社地は伊賀の郡衙が所在した郡の西方神奈備の丘にあり、
時の支配者伊賀臣が祖と仰ぐ武伊賀都別命を守護神として祀った。

神社の起源は詳らかではないが、
社殿の創建は天正15年(1587)の棟札によると、延暦3年(784)である。

当時の本殿は天正9年(1581)伊賀の乱で焼失し、
その後、猪田山出の小天狗清三が再建。

慶長9年(1604)に完成した現在の本殿は、
桃山時代の粋を集めた華麗な建造物として昭和37年三重県重要文化財の指定を受けた。

昭和47年台風6号により本殿背後の崖面が崩れ、偶然にも経塚が発見され、
猪田経塚と命名された。


【遠景】


何かいい感じ。


【風景】


長閑過ぎる。

伊賀来てから田んぼばっかり見てるな。(笑)


【鳥居】


鳥居横には車を停めれる広場がありました。


【拝殿】





【狛犬】



【参籠殿】



【満珠石】






昔から雨石さんと呼ばれ、降雨祈願の時に石を神社前の矢田川に漬けると、
必ず雨が降るという伝承があるそうです。

この満珠石こそ神社が社殿形式に移る前に祭祀を行った降臨石とのこと。


【境内社】



【本殿】






極彩色の本殿で平安装束の女性達が描かれていました。

こんな絵が描かれている本殿は初めて見ました。


参拝した時には知らなかったのですが、
僅か500メートルの近隣に同じ名前の猪田神社があり、
同じ造りの重文の本殿があったようです。


【倉】





【祓所】



【御朱印】


期待はしてなかったが有難い事にいただけました。(^^

神戸神社<元伊勢穴穂宮>(2017年3月4日参拝)

2017年03月22日 | 神社
関西には元伊勢と呼ばれる神社が幾つも存在しますが、
この伊賀にもあります。

その神社というのが神戸神社。

神社名で神戸と書けば「かんべ」と読むのがデフォですよね。


所在地:三重県伊賀市上神戸317
御祭神:大日孁貴命、天児屋根命、倭姫命、天太玉命、機千千姫命、天手力男命
創建:不明
社格:郷社


【由緒】
往古より現在地に鎮座穴穂神社と称せしが、
明治41年10月村内諸社を合祀し社号を今の如く改称。

日本書紀によれば第10代崇神天皇の時代、皇居でお祀りしていた天照大神を
他の場所に移すことになり、皇女・倭姫命が場所探しの旅に出た。

伊賀を経て近江、美濃、尾張と歩き、最後は伊勢に落ちつき、
そこで奉祀することになるのだが、途中、伊賀では四年間滞在した。

その滞在期間中この神戸神社に天照大神がまつられていたという。
伊勢より先に祀られていたので「元伊勢」の名がついている

神宮御遷宮の翌年には神宮古材を拝領賜り、
御本殿の式年造替を二十年毎に行っております。


【風景】


神社前の風景はこんなにも長閑な所です。(笑)


【社頭】


大きな無料駐車場が目の前にあり助かります。


【猫】


手水舎で猫が水を飲んでいた。

野良猫かと思ったらどうやら神社の猫のようです。


【拝殿】




境内は至って普通の雰囲気ですね。

拝殿は田舎(失礼)の神社にしてはなかなか立派なもので、
さすが元伊勢といったところか。

しかし、本殿で度肝を抜かれるとは、
この時は全く思ってませんでした。


【狛犬】



【本殿】




うお~~~!!!

言葉を失うほどの美しさとはまさにこのこと。

伊勢神宮の式年遷宮で見た社殿の気品と美しさに感動したけど、
この本殿は全く遜色が無い。

まるで伊勢に居るのかと錯覚してしまうほどで、
まさかこれほどの本殿を見れるとは思わなかった。

感動です。






美しい。

日本建築史上最高傑作にして、
最も美しいと言っても過言では無い。

神戸神社でも20年に一度に式年遷宮が行われ、
最近では2015年となります。

あと数年もすると古色が着いてきますので、
この美しい社殿を見たいなら急いだ方が良いと思います。

まして神社好きと公言している方々なら尚更ですよ。


【護国社】


こちらも新しくなっていました。


【石仏】





【境内社】



【観音堂】


神仏習合の名残りでしょう。

残念ながら堂内は見れませんでした。



【石仏】



【鳥居】


駐車場とは反対の鳥居。


【天真名井】





御朱印をいただこうと社務所に行くと、
ソファで爆睡している猫が2匹だけ。

空調を利かせていたので、人がいると思ったのに。

という訳で御朱印はいただけませんでしたが、
そんな事はどうでもいいと思えるほど、
本殿の美しさに感動しましたね。

安養寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月21日 | 法然上人伊賀新二十五霊場
続きまして安養寺というお寺へ移動。

安養寺は法然上人伊賀新二十五霊場の札所の一つで、
法然上人二十五霊場の写しの霊場となります。


所在地:重県伊賀市阿保1400
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明
札所:法然上人伊賀新二十五霊場


【山門】


小さいお寺ではあるが、
なかなか品のある山門ですね。


【本堂】


残念ながら閉まってました。

伊賀の札所は一筋縄ではいかないのは百も承知。
こんな事は予め覚悟はしていたのでダメージは少ない。


【十三重搭】



【石仏】



【御朱印】


御不在でしたので御朱印も諦めておりましたが、
この名簿の下が怪しかったので見てみると、
バインダー形式の御朱印が置いてありました。(^^




墨書きには明照大師と書かれていました。


【明照大師】
明照大師とは法然上人の大師号の一つで、
法然上人700回忌の明治44年(1911)に、
明治天皇が贈った大師号となります。

最初は円光大師であったが、宝永8年(1711)以降、
50年ごとに朝廷より加謚される習わしとなっています。

現在の天皇陛下が平成23年(2011)に法爾大師を贈っていますので、
合計8つの大師号となります。

これは空海や最澄ですら無いことで、
いかに法然上人の功績が大きいかを物語っていますね。

大村神社(2017年3月4日参拝)

2017年03月20日 | 神社
続きまして伊賀市阿保という場所へ移動。

阿保と書いて「あお」と読みますが、
見た瞬間「あほ」って読んでいたのはここだけの話。

阿保には大村神社という神社が鎮座しています。


所在地:三重県伊賀市阿保1555
御祭神:大村の神
配祀神:武甕槌神、経津主神、天児屋根命
合祀神:応神天皇、大日孁貴命、天押雲命、市杵島比売命、大物主命、大山祇命、
    事代主命、火之迦具土命、建速須佐之男命、多紀里毘売命、狭依毘売命、
    多岐津比売命、水波能売命、宇迦能御魂神、速玉男命、月夜見命、稲田姫命
創建:不明
社格:県社


【由緒】
当社は延喜式神明帳所載の古社で祭神は大村の神。
古来の本祀は伊賀国阿保村を本貫とした阿保朝臣の氏族が、
その始祖におわします。

お鎮まりになる阿保村は伊賀国東南部の西は名張川に及ぶ、上津、中津、
下津、阿保村が占める大村で第十一代垂仁天皇の皇子息速別命の為に、
宮室を此の地に築かれ、命及び御子孫が代々居住し、文化の移入、
土地・産業の開発に尽くされ地名に因って阿保朝臣の姓氏を賜った。

武甕槌命、経津主命は鹿嶋・香取から神護景雲元年奈良三笠山御遷幸の途次、
御休息の際奉斎した要石は地震斎護の信仰厚く、
又大山祗神は岡田の山の神は岡田の山神で安産授乳を祈る賽者があとを絶たない。


【第一鳥居】


鳥居横に無料駐車場がありました。

南参道側にはもっと多く停めれる駐車場があって、
ここからだと参道を登らなくても良いので楽です。


【東参道】



【第二鳥居】



【鳥居】



【拝殿】



【狛犬】



【欄干なまず】


願掛けなまずが社務所で売っていました。


【本殿】


木が邪魔して美しい本殿がよく見えん。

重文の宝殿は姿を見ることも出来ず。(泣)


【要石社】



【水かけなます】


水かけなますって。(苦笑)


【巳の大杉】





【虫喰鐘】






伊賀の神社には鐘楼が多いですね。


【御朱印】



南参道鳥居下で神前結婚をした新婚さんが記念撮影していた。

幸せをお裾分けしていただきました。(^^

比々岐神社(2017年3月4日参拝)

2017年03月19日 | 神社
宝珠院参拝後に参ったのが、
お寺を後ろから守ろうとしているかのように鎮座するのが、
比々岐神社という神社です。

比々岐と書いて「ひびき」と読みます。


所在地:三重県伊賀市北山1426
御祭神:比々岐大神、誉田別命
合祀神:建速須佐之男命、大日孁貴命、速玉男神、事解男命、伊邪那美神、大山祇神、等
創建:大宝年間(701-703)
社格:村社


【由緒】
御祭神の比々岐大神は上津の里の見守りの神で、
上津地区に人々が生活し始めた頃から祀られてきたと考える。

配祀されている春日の神々は1200年前に鹿島・香取の神々が、
奈良の春日に遷幸の際に勧請されたと伝えられる。

延喜式に当社の名前が見られる。
平安の頃からか京都の石清水八幡宮の荘園があったことから、
八幡大神が祀られることとなり、八幡宮と呼ばれた。

往古は社領120石を有し、別当寺宝珠院とともに隆盛したという。

しかし天正伊賀の乱でほとんどの堂宇が焼失した。
その際、白龍(白蛇)が現われ、本殿のみは焼失を免れたという伝承がある。

江戸時代には上津八幡宮として藤堂家の崇敬を受け多<の献納があった。

明治になり八幡宮という名を廃止、比々岐神社を社名とし、
上津地区内の請社を合祀した。


【鳥居】


広場みたいな狭い駐車場がありました。

宝珠院の駐車場に停めていても問題ないでしょう。




宝珠院の横の参道を進みます。




三つの鳥居を進むと拝殿が見えてきました。


【拝殿】




ここは神職さんが常駐されているので、
とても綺麗に手入れされていました。


【狛犬】




違うタイプの狛犬がいました。


【神宮遥拝所】



【蔵】



【御朱印】


奥山愛宕神社の御朱印もこちらでいただくことが出来ます。

本来なら奥山愛宕神社は伊賀参拝のメインの格付けなんですが、
この神社が鎮座するのは青山高原の山の中で、
スギ花粉を大量に浴びに行くようなんで今回は泣く泣く回避。

奥山愛宕神社は次回の宿題ということで。

宝珠院(2017年3月4日参拝)

2017年03月18日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀八幡宮、極楽寺界隈から約7キロ離れた宝珠院へ移動。

こちらも伊賀四国八十八ヶ所霊場の札所です。


所在地:三重県伊賀市北山1424
宗派:真言宗豊山派
御本尊:不動明王
創建:不明
開山:不明
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
山号を上津山と号し三重県伊賀市北山にある真言宗豊山派の寺院である。

もとは真言宗高野派の寺院で、真言宗豊山派になるまでは、
高野山金剛峰寺西宝院の末寺であった。

往古には東坊、西坊、北坊、新坊、開範坊、北寮等の坊舎を持つ
七堂伽藍の大寺であり、寺領百二十石を有し、中本山の格式を持っていたが、
天正伊賀の乱の時、悉く皆焼失してしまう。

中興以前のことについては乱により古文書等を焼失してしまい詳しくは不明。
しかし、当院第九世宥英師によって天明3年(1738)に書かれた記録によると、
神護景雲元年(767)に当院が開創されたと考えられている。

その後、中興第一世英尊師が再興し、現在に至っている。


【門前】


かなり良い雰囲気です。


【山門】



【境内】



【本堂】


平成21年に再建されたもの。

残念ながら閉まってました。(泣)


【御影堂】




昭和58年12月、弘法大師千百五十年御遠忌記念事業として、
信徒の寄進により建立されたもの。

大師堂とも呼ばれています。


【石仏】



【馬頭観世音菩薩】



【忠魂碑】


忠魂碑がある場所は元々護摩堂があった場所だそうです。


【鐘楼堂】




天女が美しかったです。


【御朱印】




御不在だったので諦めていたのですが、
庫裏の下駄箱の中にセルフ用の箱がありました。(^^

セルフで押すのは久しぶりだな。




ちょっと失敗しました。(^^;

印を押すというのは意外にも難しいもんです。

自分で押す事を経験してからは、
印が薄いだの、斜めになっているだのとか、
そんな文句は言わなくなります。

現在は御朱印ブームで、
中には物凄くクレームをつける残念な連中がいるようです。
それによって御朱印の授与を止めた寺社もある。

印にウルサイ御朱印ハンターの方々は一度自分でやってみるといい。

どれだけ難しく大変なのか分かるから。

それに自分で押すと印の有難味も分かるから。