Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

神蔵寺(2017年8月14日参拝)

2017年09月03日 | 西国薬師四十九霊場
亀岡市には余りイメージが無いですが、
あの伝教大師が開基した古刹があります。

そのお寺が神蔵寺というお寺です。

西国薬師の札所であり紅葉の名所でもあります。


所在地:京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ内院ノ芝60
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建:延暦9年 (790)
開基:伝教大師
札所:西国薬師四十九霊場


【縁起】



【みかえりばし】


とても良い雰囲気です。

橋の手前に大型の無料駐車場がありました。


【参道】


もっともっと山深い場所にある臨済宗というより、
曹洞宗のお寺のような雰囲気が漂う。


【山門】


簡素ではあるが却ってこれがいい。


【境内】




緑がとても濃い。

紅葉の時期は最高でしょうね。


【庫裏】



【本堂】




堂内に入る事は叶いませんでしたが、
内陣と薬師如来は見る事が出来ました。

薬師如来の後ろの写真が本当の御本尊である薬師如来です。

現在、本堂に安置されているのは御前立のような存在なんでしょう。


【鎮守八幡大菩薩】





【鎮守社】



【桔梗】


やはりこの地域にはこの花が似合う。


【境内】


本堂から山門方向を撮影したもの。

綺麗に手入れされた境内です。

これだけの広さでも個人で手入れするのは厳しい。

当然、プロの職人さんが手入れしているんでしょうね。




本堂横。

秋になると紅葉が素晴らしいと想像に難くない。


【収蔵庫薬師堂東方閣】


本堂裏手に重文の御本尊と月光、日光菩薩が安置されています。




御本尊は秘仏のようですね。


【本堂】



【百日紅】



【御朱印】


とても良いお寺でした。

お勧めします。

医王山 総持寺(2017年6月17日参拝)

2017年07月17日 | 西国薬師四十九霊場
長浜市の神社仏閣巡りもいよいよ終盤。

さすがに疲れてきたので次の長濱八幡宮で打ち止めしようと、
長浜市中心を快適に走る。

すると大通り沿いに良さげな山門発見。

見ちゃったからには参拝しなければならない。(笑)

お寺の無料駐車場に着くと、総持寺というお寺だと判明。

ここは基本的に内陣の拝観は事前予約が必要なんで、
今回は華麗にスルーの予定であったが、
どうやら呼ばれたみたいです。(^^


所在地:滋賀県長浜市宮司町708
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
開基:行基菩薩
創建:実済法印
開山:永享2年(1430)
札所:びわ湖百八霊場、近江湖北二十七名刹霊場、西国薬師四十九霊場、長浜六瓢箪


【縁起】
天平の昔、行基菩薩が聖武天皇の勅命を受けて、
国分寺の試し寺として開かれました。

その後一時衰退しましたが、室町時代に実済法印が、
足利義教公から六百石の朱印を賜り、
諸堂伽藍を建立、後花園天皇の勅願寺となりました。

その後は、京極家や浅井家の庇護を受けて栄えました。
姉川の合戦のあおりを受け、兵火によって七堂伽藍は悉く焼失しましたが、
豊臣秀吉の寺領百二十石の寄進により復興しました。

御本尊の薬師如来は賤が岳の合戦で負傷した永沢四郎衛門が、
全快したのは仏のご加護と、お礼に菅山寺に奉納した仏を、
井伊直興公が須弥壇と厨子を寄進して勧請しました。

この像は頭は平安時代、体部は江戸時代の作で、いわゆる大手術を受けています。
このことから頭の薬師と呼ばれています。

長浜は豊臣秀吉が初めて城主として治めた城下町であり、
信長によって被害を受けた総持寺に秀吉は寺領を寄進して復興したのです。

その後を継いだ山内一豊、また、徳川幕府からも寺領は安堵されました。
秀吉の馬印である出世瓢箪に無病息災をかけた長浜六瓢箪の一つでもあります。


【大門】


この門を道路で見たら思わず寄りたくなりますよね。

お遍路の古刹でも見た事がある八脚門で、
寛永12年(1635)再建されたもの。


【山門】


門が二つあるのは大寺の証し。


【鐘楼堂】



【大日堂】




何故かみんな化粧してるわ~。(苦笑)


【松梅の木】





【本堂】




渋い本堂です。




予約して無かったので堂内拝観は出来なかったが、
外から内陣を見る事が出来て良かった。


【不動堂】





【弘法大師像】



【御朱印】


御朱印は四種類あるようです。

石薬師寺(2016年5月8日参拝)

2016年06月10日 | 西国薬師四十九霊場
四日市と言えば四日市ぜんそくで有名ですよね。

確かに伊勢道とか走っていると、
めちゃくちゃデカイ工場から何本もの煙突から煙が出てるのが見える。

そりゃ空気悪いわなと一目で分かりますわ。

そんな四日市はよっぽど用事が無いと行かないのですが、
今日は四日市ドームで行われる小田和正さんのライブに参戦なんです。(^^

特にファンではありませんが、
一度は生で聴いてみたかったので。

オフコース時代は暗いと思って聴いてなかったけどね。
私も歳を取ると変わるもんですね。(^^;


ライブ前に当然のことながら寺社参拝ですが、
四日市ではなく近くの鈴鹿界隈の寺社を巡りたいと思います。

まずは鈴鹿を代表する古刹である石薬師寺を参拝です。


所在地:三重県鈴鹿市石薬師町1
宗派:真言宗東寺派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)神亀3年(726)
開基:(伝)泰澄
札所:西国薬師四十九霊場、三重四国八十八箇所、鈴鹿七福神


【縁起】
今から約1200年前の聖武天皇の神亀3年(726)に、
泰澄という高僧がこの地に来た時、森の中の大地が地鳴りをして巨石が出現。

これは医王尊即ち薬師如来が民衆を救うた為に現れたのだと感じ、
堂を建て敬ってお祀りされた。

その後、延暦15年(796)弘法大師自ら薬師如来像を刻んで開眼供養をされた。
それを契機として男女の厄除の霊験がますますあらたかにになり、
時の帝である嵯峨天皇の耳に達した。

天皇は直ちにこの寺を勅願道場とされ、堂坊も整い、
塔頭寺院も十二ヵ寺院、寺領も三町に達し繁栄を極めた。

天正3年(1575)織田信長の兵火で諸堂坊舎は悉く灰燼に帰したが、
御本尊は難を免れた。

住職の円賢法印はすぐに仮堂を造りお祀りし、慶長6年(1601)に至り、
神戸城主の一柳監物けんもつ直盛が霊験を得、
報謝の為に諸堂諸坊を再建、現在に至っている。


【山門】


山門前に無料駐車場がありました。


【境内】


緑豊かな境内ですね。


【大師堂】


御住職が朝のお勤めをされていました。


【馬頭観音】



【不動明王】



【地蔵堂】



【冠木門】



【洗心地蔵】





【鐘楼堂】



【本堂】



【狛犬】



【不動明王】



【地蔵尊】



【修行大師】



【鎮守社】



【内陣】


拝観料を支払えば内陣の拝観出来ます。








とても良い雰囲気の内陣です。




弘法大師が刻んだとされる御本尊は秘仏で、
毎年12月20日に御開帳されます。


【御本尊】





【十二神将画】



【天満宮】



【妖怪道五十三次】



【御朱印】



【御朱印帳】


歌川広重の東海道五十三次の御朱印帳。

絵の持つ力が凄いですね。
これは見たら買わざるをえない。(^^

弘川寺 其の二(2016年4月2日参拝)

2016年05月06日 | 西国薬師四十九霊場
桜を堪能した後は本坊拝観です。

こちらの本坊は4月、5月、11月のみ拝観可で、
拝観料500円でした。

受付けのお母さんがとても良い人でした。(^^


【山門】



【本坊】


拝観開始。


【仏間】



【海棠】


天然記念物らしい。

かいどうと読み中国原産の落葉樹。


【書院庭園】





【書院】





【唐獅子之間】





【客殿】



【客殿庭園】



【書院庭園】


一本もの凄い桜がある。


【桜】


絵になりますな~。












凄く良い桜で心が癒されました。

やっぱり桜の持つ力って凄いよね。


【書院】



【西行記念館】


西行に所縁のある絵画や書等が展示されていました。

撮影は不可です。

これにて本坊拝観終了。

あの桜一本を見るだけでも価値が重文、いやもとい、充分あったわ。(^^


しかし、弘川寺はこれで終わりではない。

一番上の駐車場でも桜が楽しめます。


【桜と紅梅】





【紅梅】





【桜】








堪能しました。

このお寺は見頃の時期でもめちゃくちゃ混む訳ではない。
穴場ですね。(^^


【御朱印】

弘川寺 其の一(2016年4月2日参拝)

2016年05月05日 | 西国薬師四十九霊場
大阪の桜の名所って大阪城しか思い浮かばないわけで、
ネットで調べてみると弘川寺がヒット。

全く知らなかったけど桜の名所らしい。

自分の目で確かめる為に行くしかあるまい。(^^



所在地:大阪府南河内郡河南町弘川43
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:薬師如来
創建:伝・天智天皇4年(665)
開基:伝・役小角
札所:西国薬師四十九霊場、役行者霊蹟札所、河内飛鳥古寺霊場



【縁起】
天智天皇の4年(665)に役行者が法華経二十八品に配して、
金剛・葛城の連山に28ケ所の霊場を開かれた随一で、
大阪府史蹟指定の古名刹である。

天武天皇白鳳5年(676)の夏、天皇は同寺に請雨の祈願を命じ、
白鳳8年(679)の春行幸し、勅願寺となった。

その後天平9年(737)には行基が同寺で修行し、
弘仁3年(812)には弘法大師が嵯峨天皇の命によって中興され、
密教の霊場と定められた。

文治4年(1188)後鳥羽天皇が御病気の時、
同寺の座主空寂上人は宮中に於て尊勝仏頂の法を修し回癒したので、
その功により奥の院善成寺を建て、寺号の勅額を賜わった。

また、歌聖西行法師が晩年の文治5年(1189)、
空寂上人の法徳を慕ってここに居住し、翌年2月に73才で入寂。

寛正4年(1463)河内国畠山氏の戦いの際、堂宇を焼失したが、
本尊薬師仏、勅額などは兵火を免れ、今日に現存奉安している。


【桜・菜の花】


お寺まで数分という場所で桜と菜の花のコラボ。

余りに綺麗だったので車を停めて撮っちゃった。


【風景】


お寺の第二駐車場で撮影したもの。

この上に第三駐車場があり、
下に第一駐車場があります。

上に駐車場がある事を知らない人は下で並ぶのですが、
上の駐車場はスムーズに停めれました。


【境内】


早速本堂拝観といきましょう。

さすがに桜の時期は桜を愛でにたくさんの人達が訪れていました。


【隅屋桜】









【護摩堂】


不動明王を中心に役行者像や厨子が安置されていました。


【本堂】




本堂が開いている。

しかも堂内に自由に入っていいようだ。(^^




煌びやかな装飾の内陣です。




御本尊様に桜が献木されていました。

きっと喜ばれていることでしょう。(^^


【鐘楼堂】



【鎮守社】





【笹部桜】





【御影堂】



【林道】


上に西行堂や庵跡があるらしい。


【本堂】



【西行堂】


江戸中期に似雲法師が建立したもの。


【似雲墳】





【西行墳】





【歌碑】



【花】



【桜】






運動不足には少ししんどいが、
桜を見ると疲れを忘れます。


【西行庵跡】



【桜】


桜を進みながら登っていく。


【花の庵跡】





【句碑】




周遊路には桜が沢山咲いていました。

確かに桜の名所ですね。(^^


周遊路の桜を堪能した後は本坊へ。

とりあえず長くなりましたのでまた明日。

勝持寺(2016年1月31日参拝)

2016年03月31日 | 西国薬師四十九霊場
大原野神社に隣接するのが勝持寺。

案内板を見ると花の寺と書かれているので、
てっきり関西花の寺の札所かと思ったら違うみたい。(^^;

とりあえず行ってみよう。



所在地:京都市西京区大原野南春日町1194
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:白鳳八年(678)
開基:神変大菩薩役行者
中興年:延暦十年(791)
中興:最澄
札所:西国薬師四十九霊場


【縁起】



【仁王門】


ナビだとここに誘導されます。

お寺には駐車場があるはずなのに、
ここには無い。

おかしいな?と思いながら車を適当に停めて仁王門へ向かう。




応仁の乱の兵火から唯一残った門とか。

いぶし銀の渋さが漂う。


【仁王像】


この仁王像は願徳寺のものとかで、
元来の仁王像は瑠璃光殿に安置されています。


【参道】




5分くらい歩きましたが結構しんどい坂でした。




もうすぐ着きそうです。

武家の屋敷のような雰囲気です。


【南門】


渋い、渋すぎる。

こういう雰囲気がたまらないんですよね。

しかし右手を見ると結構大きな無料駐車場があった。

ナビの野郎、こんな所に駐車場があるにも関わらず、
仁王門の下に案内しやがって。

疲れたじゃないか。(泣)


でも、これで分かった。

ナビは1台分通れる道がある限り、
お寺の顔である山門に誘導することが。

落書き寺でもやられたもんなぁ。(遠い目)




こちらの門もなかなか立派なものです。

早速拝観料を支払って境内へ。


【阿弥陀堂】




本堂にあたります。


【狛犬】



【瑠璃光殿】




ここはいわゆる宝物殿というか収蔵庫になります。

中に入るとその凄さに息を飲んだ。




撮影禁止でしたのでポストカードを転写したもの。

画像が小さいので迫力が全くありませんが、
実際に見ると重文の薬師如来、十二神将、金剛力士等の
諸仏の迫力たるや言葉では伝えられません。

貸切でずーと見てましたが、
全く飽きませんでしたよ。

是非とも拝佛していただきたいです。
損はさせません。


【不動堂】


弘法大師所縁の石不動明王。


【西行桜】


花の寺で花を見た記憶が無い件。(^^;

何年も前にも書いたけど、
関西花の寺の札所でも花が咲いてる時期には訪れない。

花で彩られた寺よりも普段着のお寺が見たいので。

ただ、桜や牡丹はやっぱり見たいけどね。


このお寺は桜や紅葉の穴場スポットのようです。


【石塔】



【鏡石】


西行法師が出家の際、この石を鏡代わりに頭を剃ったそうです。


【魚籃観音菩薩】





【鐘楼堂】



【冴野の沼】





【高遠閣】


桜ヶ丘に建てられた良い感じの建物がありました。

ここから見る桜は最高だそうです。

いつの日か桜の時期に訪れたいですね。

いくら普段着のお寺が見たいといっても、
冬の時期はやっぱり殺風景で寂しく感じる時もあるから。(^^;


【御朱印】


御詠歌もいただけるようです。


春は桜、秋は紅葉、古刹を感じる境内、素晴らしい仏様達。

良いものが沢山揃っているのに知名度は低い。
場所柄、宣伝方法等、いろいろ原因はあるだろうけど、
このお寺はこのままの方がいいね。

正法寺(2016年1月31日参拝)

2016年03月29日 | 西国薬師四十九霊場
山寺といった風情がぴったりな金蔵寺の次は、
同じく古刹でありながら現代的な雰囲気を感じる正法寺へ。

大原野神社から徒歩2分の場所にあり、
大型の無料駐車場がありました。

無料駐車場には大原野神社側と反対側の二カ所あります。

ナビだと反対側を誘導されました。



所在地:京都府京都市西京区大原野南春日町1102
宗派:真言宗東寺派
御本尊:三面千手観世音菩薩
創建:天平勝宝6年(754)
開基:智威大徳
札所:西国薬師四十九霊場、京都洛西観音霊場番外、京都六大黒天霊場



【縁起】
京都市西京区大原野にある真言宗東寺派の寺で法寿山と号します。

奈良唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟智威大徳が隠世したのが始まり。
当初は春日禅房と称し、その跡を伝教大師最澄が大原寺の名で寺としました。

後に弘仁年間の時、弘法大師巡錫され四十二歳の厄除けの為、
聖観音を彫刻されました。

長岡京の氏神「大原野神社」の向いに当寺はあり、
応仁の戦火て焼失、 元和元年恵雲・微円の両律師により再興。

元禄年間(1680-1703)には徳川綱吉の母桂昌院の帰依を受けて、
徳川家代々の祈願所となりました。

庶民からは西山のお大師さまとして古くから親しまれ、
現在は境内全体で200トンに及ぶ巨岩による借景式山水庭園が楽しめます。


【梅園】


無料駐車場の横に梅が咲いてました。
この辺りは結構早いですね。


【勅使門】


品格のある門です。

一般ピープルは通れません。(泣)


【山門】



【石庭】




巨石を配した見事な庭園です。


【南天】



【水琴窟】



【洗心童子】



【大手水鉢】



【本堂】


拝観料を支払い早速本堂と庭園を拝観。


【内陣】


内陣を見ると比較的新しい本堂のようですね。




御本尊。

お顔が三面ある珍しい千手観音様です。
拝顔出来て恐悦至極でございます。(^^




御本尊の向かって右手前の仏様が、
弘法大師四十二歳の時に刻まれた聖観世音菩薩だそうです。




薬師如来。

あまり薬師如来には見えないタイプです。


【書院】




次は宝生殿へ。


【走り大黒天】




宝生殿の内部に祀られていました。


【愛染明王】



【掛け軸】



【手水鉢】



【千原池】





【宝生苑】










見事な借景式枯山水庭園ですね~。

春になると紅枝垂桜がとても綺麗だそうです。

我が家にこんな庭があったら嬉しいけど、
維持費で破産しちゃうな。(^^;




この庭園の石は獣や鳥等を表現しているそうで、
木の根元には左から土竜、オウム、その手前がウサギ、
大きな岩がフクガエル、右が亀となります。




向かって左から犬、獅子、子獅子。




向かって左から浜千鳥、フクロウ、蛇、象、羊。






庭園全景。


【春日不動明王
」】


庭園の次は不動堂の内陣拝観。


【春日稲荷】


隣の稲荷社の中にも入れました。

これにて有料ゾーン終了。
満足です。


【地蔵菩薩】



【水掛け不動】



【鼓動不動】


耳を澄ますとお不動さんの鼓動が聞こえるという。

聞こえませんでしたが、何か?(苦笑)


【不動堂】





【境内】


あの朱色の塔に惹かれて正法寺にやってきました。


【遍照堂】


2010年に高台寺の忠魂堂を移築したもの。

とても印象的なこの塔があの高台寺にあったとは。


【石仏】




手前の花壇は梵字だと思われる。


【境内】


右手に朱橋が見えます。

行ってみましょう。


【不動滝】



【朱橋】


この橋を渡ると稲荷社に行けます。


【春日稲荷】


鳥居。




拝殿。




狛狐。






美しい本殿でした。


【御朱印】




三種類の内の二種類をいただきました。

温泉寺(2015年11月7日参拝)

2016年01月14日 | 西国薬師四十九霊場
11/6に待ちに待った松葉カニ解禁になったということで、
一泊二日の家族旅行で城崎温泉へ。


昼前に着いたのでまずは腹ごしらえ。



城崎でナンバー1と言われる人気店おけしょう鮮魚海中苑で昼食。
定食も美味かったけど、カニ刺し(1750円)が抜群でした。(^^

ここに入ったら必ずカニ刺しを食ってください。
損はさせません。(笑)


チェックインまで時間があったので、
温泉寺とロープウェイに乗って奥の院に行くことにした。

約3年振りの参拝となります。


<2012年12月22日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/62e811d0f6fc6bd3498ee7c6c70a5220



所在地:兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音
創建:(伝)天平10年(738)
開基:(伝)道智上人
札所:西国薬師四十九霊場、但馬西国三十三箇所、宝の道七福神



【歴史】
温泉寺は養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により
天平10年(738)に開創された古刹です。

道智上人は衆生済度の大願を発して諸国をめぐり、
養老元年に城崎の地に来て、当所鎮守・四所明神の神託により、
一千日間ご修行をされその功徳あって温泉が湧出し城崎温泉が開かれる。 

その後、奈良長谷寺の観音様と同木同作の由緒正しき観音像を得て寺を開創。


【参道】


参道手前の有料駐車場に停めたけど、
奥に行った所に墓地があってそこに無料駐車場があったことを、
ロープウェイに乗って初めて知ったよ。(^^;


【山門】



【薬師堂】








参拝及び御朱印をいただいてから、
城崎温泉ロープウェイに。


【城崎温泉ロープウェイ】



【紅葉】


紅葉はまだ早いようです。

やっぱり高野山は早いのね。


【太田垣士郎翁資料館】


この人、誰かと思ったら城崎生まれの関西電力(株)初代社長にして、
城崎ロープウェイ事業を発案した方です。


【ロープウェイ】


下に見えるのが薬師堂です。


【本堂】


今回は中間駅には降りず山頂駅へ。

ちなみに山頂駅までの往復料金は900円です。


【風景】


なかなか良い風景です。




山頂駅からの風景。


【奥の院】


大師堂と呼ばれ弘法大師がお祀りされていました。

堂内に書置きの御朱印が置いてありましたね。


【紅葉】


まだまだですね。


【慈母観音】



【かに塚】


城崎らしいね。(笑)


【温泉たまご】


城崎ジェラートカフェChayaにて。

店で卵を買って自分で温泉たまごを作ることが出来ます。
トロトロで美味かったです。

でも生卵が3個で300円、5個で450円。
店はボロ儲けしてやがる。(苦笑)


【深山楽亭】


城崎温泉では最高級クラスの西村屋ホテル招月庭の近くです。

西村屋ホテル招月庭はやっぱり外観から凄かったです。
宝くじが当たったら泊まろう。(笑)

でも深山楽亭は大きな内湯が4つもあるので、
足が悪い人や激混みの外湯が嫌な人には嬉しいです。


【御所の湯】


人の多さにうんざり。

私は温泉は好きだけど、それは人が少ない時に限ります。

コイツらケツ洗って入っているか?と思ったり、
見たくも無い男のアレも見えたりして、
かえってストレスが溜まるんですよね。(^^;

結局、外湯に入ったのはここだけで、
後は全部内湯に入りました。

お陰様で内湯の大きい風呂を貸切で堪能しましたよ。


【かに会席】




大変美味しゅうございました。(^^

ロータスロード薬師寺・唐招提寺・喜光寺(2015年7月13日参拝)

2015年08月21日 | 西国薬師四十九霊場
薬師寺、唐招提寺、喜光寺による奈良・西ノ京ロータスロードという企画があり、
限定の御朱印帳と御朱印をいただきに、まずは薬師寺へ。

暑い中、私も好きですね~。
休みを無駄に過ごさないタイプです。(笑)



<薬師寺2012年1月15日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6f071dc502eb5ccc60c4555ebba83bf3


<薬師寺2013年10月14日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/97af469f3f88f1f4afa4a52b4f928a6c


【南門】



【金堂】







【東塔】


まだまだ絶賛工事中です。


【西塔】



【講堂】



【鐘楼堂】



【蓮】




蓮はまだまだでした。(^^;


【東院堂】





【限定御朱印】


月光菩薩の御朱印を作成されてましたね。
後に授与開始するそうです。


【限定御朱印帳】


色は三種類ありました。
2500部限定でサイズは16x11の小さいサイズでした。


【散華】


続きまして唐招提寺へ。


<唐招提寺2013年10月6日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/e250728196970f06a2f7e82c1849b4dc


【南大門】



【金堂】


ここの雰囲気が本当に好きでね。

いつ訪れても心が落ち着いて凜とします。








国宝の数々にしびれた。


【境内】



【講堂】



【土塀】



【蓮】




こちらもまだまだ早かったようです。


【御朱印】


書置きタイプです。




左が限定御朱印です。


【散華】



最後の喜光寺へ。



<喜光寺2011年10月29日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/58bbc95ac409229abe6d74894f99f60a


【南大門】



【本堂】







【阿弥陀如来坐像】







【観自在菩薩】



【勢至菩薩】



【蓮】







【行基堂】




以前は本堂に祀られていましたが、
いつの間にかこちらのお堂が出来てました。


【弁天堂】





【御朱印】



【散華】



これにてロータスロード三カ寺参拝終了。

こんな暑い日に参拝するなんて、
どうかしてるぜ。(ブラマヨ風)

達身寺(2015年6月28日参拝)

2015年07月23日 | 西国薬師四十九霊場
続きまして丹波古刹十五ヶ寺の一つで、
仏像の宝庫と呼ばれる達身寺というお寺へ。

重要文化財がたくさん見られるだけあって楽しみや。(^^



所在地:兵庫県丹波市氷上町清住259
宗派:曹洞宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:伝・行基菩薩
札所:丹波古刹十五ヶ寺、西国薬師四十九霊場、氷上郡西国番外霊場



【縁起】
行基菩薩によって開かれたと言われ、宗派は天台か真言系であっただろうと思われる。

寺伝によると世が戦国の時代であった頃、達身寺は、
僧兵を抱え山岳仏教の教権を張るような大寺院であったと言われている。

織田信長が丹波平定を行った際、家臣である明智光秀が丹波の地を攻め、
篠山城や保月城などが攻められた。
当時、達身寺は保月城に加勢をしていたと言われており、
そのことで保月城よりも早く寺院が焼かれてしまった。

僧侶たちは寺院を焼かれる前に、仏像を近くの谷へ運び出したのだが、
そのまま長い年月置き去りにされてしまうことになったと伝えられている。
 
時は流れ元禄8年(1695)この村に疫病が流行り多くの人々が亡くなった。
その原因を当時の村人が占い師に占ってもらったところ、
「三宝を犯した仏罰である。」と言われた。

村人達は山に登り放置されたままであった仏像を集め、破損していた達身堂を、
現在の地に移し修繕を行った後、仏像を安置し奉ったそうである。

正徳2年(1712)に竹雲堤山和尚の発願により、
師である円通寺二十五世大庵清鑑和尚を開山とし、
禅宗の中の曹洞宗として火を灯し現在に至っている。

寺名についていは十九山の達身堂を本堂としてこの地に移した為、
十九山達身寺と名付けられたのである。


【風景】


達身寺はこんな長閑な田園風景が広がる里山にあります。

天気が良ければ最高なんですけどね~。


【全景】


これは良い雰囲気です。

お、本堂と思われる建物の屋根が私の大好物ではないか!

思わず走ったわ。(笑)





【自然水】


なかなか美味しかったです。


【本堂】




はぁ~、ええわ~。(^^

失礼ながらこんな田舎にあるから余計に雰囲気が、
めっちゃいいんですよね~。

これが都会のど真ん中だったら似合わないもんね。


【堂内】


拝観料を支払うと女性の方に本堂奥の宝物殿に連れていかれた。

3段の棚に安置された仏様達に圧倒される。

しかし、よく見るとその全ての仏様達は破損や欠損が著しい。

女性の説明によると明智光秀が軍勢の焼き討ちから免れる為に、
山中の谷に匿っていたが、長い間放置されてしまったからとか。


とても痛々しい姿です。

しかし、それが逆に独特のオーラを放つ。
強烈なインパクトを感じました。

荒波に翻弄された歴史を否応が無しに感じざるをえない。

その文化的遺産を里山の方々は現代まで大切に保存され、
篤く信仰されてきたその事実に胸に込み上げてくるものがある。

本当に立派です。

廃仏稀釈で仏様を破壊した過去の先人達の罪は大きい。
恥を知れと言いたいですね。


それにしても兜跋毘沙門天が16体もあるのは珍しい。
しかも中年のオッサンのようにお腹ぽっこりしてるんですよ。(笑)

すみません、表現が悪かったですね。
安産の地蔵尊のようなお腹と表現すればよろしいでしょうか。(笑)

このようなお腹が膨らんでいるのを達身寺様式と呼ばれているそうです。

何故、京都や奈良ではなく、
このような地方でこれほどの仏様達が安置されているかといえば、
この地に丹波仏師達の工房があったのではないか、というのが有力な説とか。


一通り説明を聞いてからもう一つの宝物殿へ。


【宝物殿】


こちらは先ほどの宝物殿と違って大きな三尊が目に入ってきた。




撮影禁止でしたので画像はオフィシャルより拝借。

真ん中の阿弥陀如来坐像、左右に十一面観音坐像、薬師如来座像。
黒の衣がとても印象的です。

これほど見事とは。

他にもお腹ぽっこりの聖観音菩薩や薬師如来、坐像の地蔵菩薩等、
非常に珍しい数々の仏様達を堪能。

何故、これほどの仏様達が達身寺に集まっているかは謎とか。

ここまで素晴らしい見事な仏様達を造るにしてもお金がいる。
昔は都に繋がる交通の要衝といわれていたので、
有力な権力者や裕福な民がいたのかな。

古文書が全く残っていない今となっては謎ではある。


女性の案内が終わると宝物殿にはわたし一人になった。

この素晴らしい空間を独占。

まさに至福の時でした。(^^



撮影不可でしたので、
詳しく写真を撮られている方のブログをご紹介させていただきます。

http://hitabutsu.jp/blog-entry-196.html

http://hitabutsu.jp/blog-entry-197.html


【本堂】


ええわ~。
めっちゃ癒されます。

これを見ながらお茶と団子をいただきたいですわ。(^^


【毘沙門堂】


庭にマッチしていい感じです。


【蔵】



【鎮守社】



【御朱印】


確か三種類あったと思うが、
墨書きは全て同じということですので、
お薬師さんの御朱印をいただきました。

善水寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月01日 | 西国薬師四十九霊場


長閑な風景を見ながら車は善水寺へ走る。

天気が良くて気持ちいい。


ナビを頼りにお寺付近のJA甲賀郡岩根辺りで道が狭くなる。

確かに善水寺の案内板はあるのだが、
この先は車で行けるのか不明。

JA甲賀郡岩根の駐車場に車を停めて歩いて行こうかと思ったが、
意を決して車で進むことに。

住宅街の狭い道を進むと、1車線の山道に突入。(泣)

この先はマジで行けるのか?と思いながら走る。

日頃の行いが良いので対向車も来る事無く無事到着。(^^


帰りに分かったことですが、
1号線の正福寺東の交差点から十二林道の方が楽な道のようです。



所在地:滋賀県湖南市岩根3518
宗派:天台宗
御本尊:薬師瑠璃光如来
創建:和銅年間(708-715)
開基:不明
勅願:元明天皇
札所:西国薬師四十九霊場、びわ湖百八霊場、湖南二十七名刹、湖南三山めぐり



【縁起】
元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され和銅寺と号した。

延暦年間、傳教大師最澄上人が比叡山を開創され、
堂舎建立の用材を甲賀の地に求められた。
材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、
いざ流し下す段になったが日照り続きの為、
河水少なく思うように材を流すことができなかった。

大師請雨祈祷の為、浄地を探されたところ、
岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま当地に登られた。

山中に堂が有その東側に百伝池あり閻浮檀金の薬師仏を勧請され、
その薬師仏を本尊として請雨の祈祷を修すること七日間、
満願の日に当たって大雨一昼夜降り続き、流の勢いのまま、
材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したと云う。

後に京の都で桓武天皇御悩の際、大師、霊仏出現の池水を以って、
薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝の秘法を修すること七日、
満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒された。

この縁に依って岩根山善水寺の寺号を賜わったという。



【鐘楼堂】


大型無料駐車場に車を停め、受付けで拝観料を支払う。

秘仏御開帳ということもあり、
普段より200円高い700円でした。


このお寺も山門がなく、最初に見たのがこの鐘楼でした。


【本堂】


国宝。

南北朝時代の貞治5年(1366)に再建されたもの。






天台宗の根本中堂らしい、
堂々たる国宝に相応しい本堂です。


【百伝弁才天】




百伝の池の中に弁財天が祀られていました。


【元三大師堂】




正徳3年(1713に再建されたもので、
元三慈恵大師良源大僧正の等身大尊像が祀られていました。


【宝篋印塔】



【六所権現社】


伊勢、春日、八幡、賀茂、熱田、鹿島の六社が祀られています。


【行者堂】


元は飯道寺にあったが明治初期神仏分離令により、
飯道寺廃寺に伴い、明治9年、同寺岩本院の行者堂を移築されたもの。

役行者像が祀られています。

ここは寂しい雰囲気で、ほとんどの参拝者は訪れないようです。


【本堂】


ちょっとした高台から見る本堂もいいもんです。



(リーフレットを転写したもの。)


堂内に入りました。

外陣と内陣に分かれていて、
内陣では薬師護摩供祈祷法要が厳かに行われていました。

法要が終わり、お寺の方に聞いたら内陣も入れるとのこと。

この内陣の雰囲気といい、圧倒的な諸仏の迫力といい、
本当に凄かった。

外陣から見るのとは大違い。

湖南三山、湖東三山の本堂の中で一番好きな本堂です。


須弥壇の裏側には裏堂があり、
こちらも諸仏が祀られており、落ち着いた雰囲気でしたね。


あ、それと外陣には稲がガラスケースに入れられており、
これは何だろうと思って説明板を読む。

明治39年に御本尊を修理した際、胎内より多量の稲籾と、
正暦4年(993)の年号が記された結縁校名記が見つかったそうで、
展示されている稲は後に栽培されたものだそうです。

1千年前の稲籾がちゃんと育つなんて驚きです。

稲の生命力は凄いなぁ。


【御朱印】


御朱印は四種類あり、
その内の二種類をいただきました。


今回は地蔵堂、観音堂、磨崖仏は完全に見落としてました。(^^;

次回の参拝の時は必ずや。