Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

真禅院(2015年8月10日参拝)

2015年10月06日 | 美濃西国三十三観音霊場
目的の南宮大社を参拝し終わり、
帰宅しようと車に乗り込み発進すると、
南宮大社の神宮寺である真禅院の看板を見た。

時間は16時前。

見知らぬ土地で段々寂しくなっていたけど、
南宮大社の神宮寺は立派なんじゃないかと直感。

迷わず参拝することにした。


所在地:岐阜県不破郡垂井町宮代2006
宗派:天台宗
御本尊:無量寿如来
創建:天平11年(739)
開山:行基菩薩
札所:西美濃三十三観音霊場、美濃七福神


【縁起】
真禅院は近隣にある南宮大社(旧称南宮神社)と関係の深い寺院である。
南宮神社では近世末まで神仏習合の信仰が行われ、
神社内に仏堂、仏塔、僧坊などが建てられていた。

明治初年の神仏分離に伴い三重塔、本地堂などが神社西方の現在地に移され、
朝倉山真禅院と称するようになったものである。

伝承によれば真禅院の前身は天平11年(739)行基により
創建された象背山宮処寺であるとされる。

その後、延暦年間(790年頃)勅令があり、最澄によって
南宮神社(現南宮大社)と両部習合(神仏習合)され神宮寺と改称したという。

宮処寺の名は行基年譜に見えず、創立者を行基とするのは後世の付託と思われるが、
後述のように宮処寺という寺院が奈良時代に存在したことは確認できる。

近世の記録本末分限改帳には平将門の乱調伏の為、
南宮神社二ノ宮の十禅師社に社僧10名を置き、
その時建立された僧坊の1つが真禅院であるとされている。

文亀元年(1501)火災で焼失し、永正8年(1511)美濃国守護土岐政房により再建。
慶長5年(1600)には関ヶ原の戦いで南宮神社とともに焼失した。

南宮神社の再建は江戸幕府3代将軍徳川家光により実施され、
寛永19年(1642年)に落成した。
現存する真禅院の三重塔、本地堂もこれら社殿と一連の造営になるもので、
元来は南宮神社境内の南方に建っていた。

明治元年(1868)神仏分離により南宮神社内の寺院・仏堂を統廃合し、
当時の真禅院の住職と地元の人々の手により現在地に移築した。

明治4年(1871)までに移築が完了し朝倉山真禅院として再出発した。


【参道】


お~、これはいい。

私の直感が当たりだと思った。(^^


【山門】


これは変わった門です。

まるで神仏習合を表現したような門ですよね。


【十王堂】





【鐘楼堂】



【本地堂】







【不動堂】




真っ暗です。(泣)


【薬師堂】



【釈迦堂】



【最勝寺観音堂】




やっと仏様を見ることが出来た。(^^


【観音堂】


十一面観音菩薩が祀られています。


【石仏】



【鎮守社】



【空也上人和歌碑】



【三重塔】




お~、これは見事な三重塔です。

全く参拝の予定に無かったお寺で、
これほどの三重塔を見れるとは本当に嬉しい。

重要文化財。


【鉄搭】




中をちょっと見ましたけど、
何かよく分かりませんでした。


【鐘楼堂】




鐘楼は重要文化財。


【御朱印】


書置きでしたが、いただけないよう遥かにマシです。


いや~それにしても思わぬメッケものという感じで、
参拝して良かったです。


美濃西国三十三観音霊場は個性豊かで、
お寺それぞれが活発で廃れて無い。

参拝していてとても楽しい。

近ければすぐにでも満願したい霊場ですね。

三田洞弘法<法華寺>(2015年8月9日参拝)

2015年09月22日 | 美濃西国三十三観音霊場
続きまして三田洞弘法というお寺へ。

ここは私が珍しく庭を見に行きたいと思ったお寺で、
三田洞弘法というのは通称名であって、
本名は法華寺といいます。

無料駐車場がありました。



所在地:岐阜県岐阜市三田洞131
宗派:高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:弘仁7年(816)
開山:弘法大師
宗派:美濃西国三十三観音霊場、東海百観音霊場、東海白寿三十三観音めぐり、美濃新四国霊場



【縁起】
当寺は弘仁7年に弘法大師が三田洞山中に創建され、
当寺にて法華経を講座されました霊場であります。

当時嵯峨天皇の勅願所として法華寺の名を給わり、
又この霊場を取りめぐらす山々の姿が印度天竺の山様に似ているところから、
「霊鷲山」の山号を給わったのであります。

創建当時は現在地よりさらに約二キロ奥の谷間にあり、
弘法大師を開基とし聖観世音菩薩を本尊として、
七堂伽藍が造営されていたのでありますが、寛永年中(1620頃)
火災、天災によって堂宇の殆んどは山津波によって押し流されました。

無残にも廃墟と化したのでありますが、祖師堂及び一宇の坊舎が残ったのを、
寛永年中(1623頃)郡代石原清左衛門が堂宇を修築し高野山の僧、
空全和尚を招き中興とし、爾来弘法大師をも本尊として、
聖観世音菩薩と両存せられるに至りました。



【参道】





【地蔵尊】



【金色慈母観音】





【山門】



【白寿観世音菩薩】


東海白寿三十三観音めぐりの御本尊になります。


【石仏】



【弘法大師御手植えの竹】





【弘法大師像】



【鶴峰橋】


石橋の向こうに見えるのが本堂です。

ここはめちゃくちゃ良い雰囲気のお寺です。


【法華寺庭園】






見事な池泉式庭園です。

古代インドの仏教聖地である霊鷲山を模して、
江戸時代に築庭されたもの。


【亀島】


さて、本堂に参りましょう。


【本堂】




寛永年中に再建されたもの。

御本尊、見顧弘法大師、不動明王が祀られているそうですが、
残念ながら本堂内陣はよく見えませんでした。


【境内】


本堂前から振り向くとこんな感じ。




左手には庫裏と私好みの茶室らしき建物が見えます。


【宝篋印塔・石仏】



【不動堂】






向かって左手には眼力不動明王がいらっしゃいました。

あと両頭愛染明王坐像が祀られています。

両頭の愛染明王は珍しく、
八臂というのは更に珍しいそうです。


【四国八十八ヶ所霊場】



【茶室】




いいですね~。

まさかこんな所でこれほどの渋い茶室が見れるとは。

ここは庭園も素晴らしいし、
拝観料を取っても良いお寺です。


【鶴島】


高い木は高野槇だそうです。


【鶴峰橋】



【祠堂】


龍神が祀られています。


【本堂】


庫裏から見た本堂。


【豊谷稲荷大明神】



【聖徳太子堂】




何かよく分からんものがありました。


【鐘楼堂】



【弁財天】



【境外社】


お寺の外にあった鳥居で、
スゲー不気味だったけど勇気を出して行ってみた。




これでも明るめに撮影してますが、
実際はもっと暗かったです。(泣)

久しぶりですね、こういう雰囲気の神社は。






さすがに怖くて上まで行けませんでした。

お寺と関係あるのか分かりませんし、
御祭神も不明です。


【御朱印】


今回は御本尊の御朱印をいただきました。

何度も訪れたくなる良いお寺でした。

永昌寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月20日 | 美濃西国三十三観音霊場
本日の参拝もラストに近づいてきましたが、
まだまだ行けるとこまで行きます。(笑)

永昌寺という案内板を見たので寄り道です。



所在地:岐阜県関市武芸川町高野643-1
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:元和元年(1615)
開山:石室和尚
札所:美濃西国三十三観音霊場


【縁起】
岐阜市外の北東、武儀川に沿った農村地帯である高野村は、
紙漉きで賑わったころである。

承応元年(一六五二)村人の懇願により観音堂を建立。

御本尊に聖徳太子作とする十一面観世音菩薩を安置して、智淵山浄水寺と号した。
 
永昌寺の前身は、観音堂の堂守りが住まいする庵であった。
ときに独翁禅師が当地に留錫して、寺院に改修したのが創まりである。

ことに最近は仙崖和尚の両親を弔う菩提寺として寺名を馳せる。
仙崖和尚は高野村の農家・井藤甚八の子として生まれ、
十一歳のとき清泰寺(美濃市)の空印和尚に師事する。

やがて諸国を遊行、聖福寺(博多)で禅の奥義を極めた。
天保8年(1837)10月7日遷化、謚して「普門円通禅師」と号す。



【全景】





【風景】


うん、とても長閑なとこだ。(^^


【山門】




案内板には台湾三十三観音霊場発起寺と書かれていた。

ちょっと調べてみると永昌寺の御住職が頑張って広めていってるようです。

しかし、御朱印は無いとのこと。


【お助け地蔵】



【境内】



【鐘楼堂】



【本堂】




本堂の中に入れました。(^^






【虫封じ堂】


護諸童子乾闥婆尊王が祀られているそうですが、
秘仏のようでした。


【鎮守社】



【十王堂】





【観音堂】




観世音菩薩の他に不動明王・毘沙門天・地蔵菩薩が祀られていました。


【御朱印】


セルフスタイルでした。




自分で押すと上手く押すのが難しいと分かる。
そして一生懸命押すようになる。

みんなそうすればスタンプに対して文句を言う人はいなくなると思うの。

恵利寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月19日 | 美濃西国三十三観音霊場
続きましておニャン子の新田恵利とは全く関係ありませんが、
名前が気になったので参拝することになった恵利寺です。

無料駐車場がありました。



所在地:岐阜県関市武芸川町跡部705
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼
創建:天平17年(749)
開山:行基菩薩
札所:美濃西国三十三観音霊場



【縁起】
当寺は人皇第45代聖武天皇の勅命により天平17年(749)行基菩薩により開創された。

人皇第25代武烈天皇の御子大跡部王子は父帝王の悪政を厭い、
都を出でて丹後千振の浜・伊勢国出輪の山中へと移り給いたが御心に敵さず、
ついに当地に御移りになり、十余年後の継体天皇20年(526)薨去され、王塚に埋葬された。

聖武天皇の世、諸国を勧進中の行基菩薩は帝王脳病に罹られ危篤なることを知らされ、
その平癒を祈願するた為、天皇家因縁勝地跡部に梵刹を建立することを思いたち、
法華経一千部を石に書し三方の山に埋め、6尺5寸に及ぶ十一面観音の尊像を彫まれた。
よって帝王の脳病はたちまち快復されたという。

天皇はこのことをことのほかお喜びになり、勅宣を以って広大な伽藍を造営され、
自らの宸筆をもって「観自在王院」の勅額を下賜された。
 
その規模は山門・総門を始め、金堂・五重塔等所謂天平の寺院建築様式による伽藍が完備、
四辺の山辺には鎮護の明神・大権現を配し、平等院・流元寺・雲岩寺・覚性坊・清水寺・
依正坊・水本坊等末寺2カ寺が林立し、法相・真言の兼学道場として天下にその名声を伝えた。
 
時代は下って崇徳院の御宇紀州根来寺開山覚鑁上人がこの地に来たって、
その因縁に感じ不動明王の尊像を彫刻し、当山に安置せられた。

以後、近衛院・高倉院等の勅命もあり繁栄を極めたが、保元・平治の乱の兵火にあって以来、
たびたび罹災し、永禄7年(1564)には、織田・斉藤両家の争乱に巻き込まれ灰燼と化した。
 
寛文2年(1662)岐阜市長良崇福寺第8世物堂和尚による中興以降は、
臨済宗妙心寺派に属し法灯を守っている。

現在の景観は第14代住職宗達和尚が生涯を賭けて整備したものである。
 
往古は朝廷より絶大なる支持があり、菊紋も許された程高位別格の処遇を受け、
幕政時代に至っては土地の旗本の支援、
明治以降は只管区内住民の篤き護法心により強く支援されて現在に至っている。


【山門】


妙心寺派だけあって品のある雰囲気を感じました。


【本堂】


夜からカラオケ大会があるということで、
御近所の方々が用意されていた。

その方々が写らないように苦心して撮影しました。(笑)


【境内】


【内陣】


御朱印を奥様にお願いすると同時に、
本堂内陣参拝をお願いすると快くOKをいただきました。(^^




釈迦三尊像が祀られていました。


【護諸童子】



【物堂和尚】



【位牌堂】



【紫雲石】



【庭園】


本堂裏手に見事な庭園があった。

京都のお寺に匹敵するほどでしたね。


【鐘楼堂】


この辺りでも電飾を飾られている方々がいましたね。


【観音堂】


本堂から徒歩2分の所に観音堂がありました。

いかにも観音堂といった風情です。






御本尊の十一面観音菩薩は厨子に安置されているようです。


【鎮守社】



【御朱印】



たまたま寄ったお寺でしたが、
御近所や檀家の方々に慕われているお寺だということが、
よく分かって何だか嬉しくなりました。

大智寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月18日 | 美濃西国三十三観音霊場


関市から岐阜市の長閑な場所に移動。

こちらには大智寺というお寺があります。
事前に調べると雰囲気が良さそうだったので参拝です。



所在地:岐阜県岐阜市山県北野668-1
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:明応9年(1500)
開基:鷲見美作守保重公
開山:玉浦宗禅師
札所:美濃西国三十三観音霊場、東海百観音霊場、美濃新四国八十八ヶ所霊場



【縁起】
大智寺は約800年前に天台宗の寺院として建立されていたが、
戦国時代には荒廃し、その地を北野城主であった鷲見美作守保重によって、
菩提寺として再興されたのが今の大智寺である。

時に明応9年(1500)3月19日岐阜瑞龍寺悟渓和尚八哲の一人、
玉浦宗眠和尚を請じ開山始祖とした。

その後、多数の高僧を輩出し、寺内には12院の寮舎があった。
また、玉浦派寺院は全国に敷衍し「玉浦派古道場」の碑が建てられている。
 
さらに徳川時代には幕府より18石8斗の御朱印を受け葵の紋を許された。
現在も大智寺の勅使門・仏具などに葵の紋が使われている。


【得月池】


大型墓地の横にありました。

手前に大型駐車場がありますが、
先にもあるようです。


【山門】


いいですね~。

これはとても良い雰囲気です。




これはたまらん。


【鎮守社】



【石仏】



【参道】




ここの雰囲気が本当に最高です。

まるで京都のお寺のようです。


【中門】


葵の御紋が見えますね。


【大ヒノキ】




樹齢800年。


【雷除けの社】



【勅使門】



【無相の庭】



【鐘楼堂】



【勅使門】





【本堂】




妙心寺派らしく華美にならず、あっさりとした内陣です。


【スズメバチの巣】



【観音像】




日本人的にはお行儀の悪い足の組み方ですよね。(^^;


【観音堂】


秘仏の盗人不知十一面観世音菩薩が祀られています。


【閼伽井戸】





【参道】


お気に入りの参道を歩き、次なる参拝地へ。


【御朱印】


とても良い雰囲気のお寺であった。

紅葉の時期は更に美しいと思いますので、
気軽に行ける方は是非。

関善光寺<宗休寺>(2015年8月9日参拝)

2015年09月15日 | 美濃西国三十三観音霊場
本日のメインである関善光寺に到着。

所謂通称寺で本名(笑)は善光寺安乗院宗休寺といいます。

無料駐車場がありました。



所在地:岐阜県関市西日吉町35
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来(善光寺如来)
創建:宝暦3年(1753)
開基:智堂大和尚
札所:美濃四国三十三観音霊場、中濃八十八ヶ所霊場、新四国八十八ケ所霊場



【縁起】
関善光寺は正式名称「妙祐山宗休寺」と云う天台宗安楽律法流の寺院である。

五世に当たる広瀬新太郎利忠は先祖の遺言に代々の霊を葬る為、
一寺建立を発願し、延享2年(1745)に日吉ヶ丘の地に小庵を建立した。

小庵を建立した後、住僧なきところを可児郡御嵩の願興寺の世話で、
同寺出身の智堂和尚を紹介され、利忠寛延2年(1749)に日吉ヶ丘近辺の田畑山林を寄付。

宝暦3年(1753)一品親王の命により、大垣市青墓竹本院の古跡を安桜山麓の当所に移し、
名主新屋広瀬新太郎利忠が祖父母(山宗休居士、慈岳妙祐大姉)の供養の為に建立しました。

御本尊の丈六阿弥陀如来は木造仏として岐阜県最大です。
約5百年前の作で脇侍の観音菩薩、勢至菩薩と共に、
岩手県平泉中尊寺より千葉県泉倉寺を経て当山に安置されました。

その御腹中の胎内仏「宝冠阿弥陀如来」は行基菩薩御作といわれ、
「安産、育児の守護仏」として広く信仰されています。

本堂は寛政10年(1798)4月信州大勧進等順大和尚が当山に出開帳されたのが縁で、
本山信州善光寺堂を模して約10カ年費やし建立されました。

東京上野輪王寺門跡公澄親王の御念持仏、一光三尊善光寺如来を御分身として迎え、
本堂御本尊として安置し、7年目毎に大開帳を執行して55回に及んでいます。


【本堂】


大木の後ろに見えるのが本堂のようです。


【地蔵尊】



【境内】




少し急な道を進むと境内に到着。


【大日堂】


平成8年に落慶したもの。


【大日如来】






大蓮台には1013体の仏様があるそうです。


【本堂】


ひっきりなしに祈祷する参拝客がいました。

さすが善光寺の名を借りてるだけある。


【孫六の鐘】





【諸仏】



【龍頭稲荷】



【大仏殿】




こちらも本堂と言っていいような立派なものです。


【丈六阿弥陀如来】








丈六阿弥陀如来。
約500年前のもので岐阜県最大の仏様だそうです。


【西国三十三観音像】



【大日如来】




印相の智拳印から大日如来と思われる。


【新屋新太郎利忠像】





【目の佛さま】





【ぽっくり様】




その通り。(笑)


【智堂和尚】



【元三大師】





【阿弥陀如来】


上品上生印である弥陀定印から阿弥陀如来と思われます。
光背は破損で無造作に置かれていました。


【子宝地蔵】



【地蔵尊】





【如意輪観音】





【行者堂】







【子安地蔵】



【弘法堂】





【鐘楼堂】




立派な鐘楼で2.6トンあるそうです。


【風景】



【みたらし団子】


境内にある茶所で一服。
アイスコーヒーとセットで300円でした。

ちゃんと焼いている団子で美味かったです。(^^


【御朱印】


御住職が祈祷で忙しくて書置きをいただきました。(^^;

新長谷寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月14日 | 美濃西国三十三観音霊場
関市中心街に入り新長谷寺というお寺へ。

ここは素晴らしい伽藍があるのですが、
境内は撮影禁止という非常に珍しく厳しいお寺です。

私の知る限りでは境内撮影禁止のお寺は知らない。

京都の蓮華寺の横にあるお寺は撮影はOKだけど、
ネットに写真を載せるのは禁止という変わり種もあるけど。


新長谷寺と書いて「しんちょうこくじ」と読みます。
「しんはせでら」とずっと思っていたよ。(苦笑)



所在地:岐阜県関市長谷町1
宗派:真言宗智山派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:伝・貞応元年(1222)
開基:伝・護認
勅願:後堀河天皇
札所:美濃四国観音霊場、美濃西国三十三観音、美濃七福神、美濃新四国八十八ヶ所霊場



【縁起】
当山は800年以上の歴史を持つ密教寺院です。
平安時代は吉田寺という名前で清和源氏一族との縁が深かった様です。

鎌倉時代に弘法大師法孫護忍上人が感得した十一面観世音菩薩を祀る為、
吉田寺境内に観音堂を興しました。
この尊像が現在の御本尊です。

時の帝後堀河天皇の眼病平癒に効験を発揮し勅願寺となり、
新長谷寺の寺号を帝より賜りました。

八丁四面の吉田寺に七堂伽藍、塔頭十六ヶ寺を建立し栄えた。
その後二度の火災に遭いましたが、その度に二階堂家(岐阜稲葉城主)や
源氏の一族山内家(山内一豊の先祖)らの尽力により復興しております。

羽柴秀吉の攻撃も切り抜け、江戸時代には徳川家の庇護を蒙り栄えましたが、
廃仏稀釈により境内地は20分の1に縮小されたが、
伽藍が整っており古刹の雰囲気を残している。


【門前】



【山門】




見事な山門です。

この山門を見るだけでこのお寺の威容が分かるというもの。


【仁王像】



【看板】


まぁ、お寺の意向だから従うしかない。

更に総門をくぐると見事な伽藍の数々。

特に三重塔が実に渋くて素晴らしい。

写真撮影をしたいという衝動に駆られる。
しかしそこはグッと我慢。

私のブログで紹介したいですが今回はそういう理由で無理。
どうしても見たい方は他のブログをあたってください。(^^;


本堂参拝し不動堂でお参り後、
よりによって段差でこけて右膝を擦りむいた。(泣)

これはヤバいかなと思ったけど、軽傷で済んで良かった。

ジーンズの膝部分が破けたけど、
上手い具合にダメージジーンズになったよ。(苦笑)


【御朱印】



【感想】
伽藍は本当に素晴らしい。

あの撮影禁止の看板を見ると、
ちょっと緊張しちゃうかも知れませんが、
普通に参拝していれば何も言われることはありません。

しかし、帰宅してからいろいろチェックしていたら、
「温泉大好き人間」というブログで驚くべきことが書かれていた。

http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2009-05-12

三重塔の写真を撮りたいのなら千円寄こせとか、
銭ゲバぶりも甚だしい。

参拝した時はお寺の意向だから仕方ないと、
大人しく従っていたけど、これを知った時は腹が立ったよ。

日龍峰寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月13日 | 美濃西国三十三観音霊場
今日から一泊二日で岐阜県の関市と郡上八幡へ。

郡上八幡は前から行きたかった憧れの地であり、
関市は参拝しがいのあるお寺が多いんですよね。

とても楽しみである。

まずは関市の山奥にある日龍峰寺というお寺に向かう。



所在地:岐阜県関市下之保4585
宗派:高野山真言宗
御本尊:千手観世音菩薩
創建:伝・5世紀前期
開基:伝・両面宿儺
中興:伝・鎌倉時代、伝・北条政子
札所:美濃西国三十三観音霊場、中濃八十八ヶ所霊場


【縁起】
飛騨の両面宿儺の開基と伝えられる。

仁徳天皇の御代、飛騨の国・蜂賀の岩窟より出生した異人両面宿儺は、
当地の豪族として権勢を誇り、この異人天皇の叡聞に達し都に上がり給う。
天皇に御対面あいて下向の途路美濃加茂野ヶ原に御休息し給う。

その時鳩二羽奇瑞のさえずりをなして高沢の峰に飛び去った。
異人不思議に思い里人に尋ねると、高沢山の頂に池あり、
龍神が栖み近郷の民に危害を及ぼすと聞き、
はるかの峰に登り龍神を退散させ、この峰に寺を創建したという。

後年、行基菩薩が伽藍を整えたと伝えられている。

鎌倉時代尼将軍政子の時、降雨祈願の霊験あらたかにより伽藍再興され、
地方の大寺として盛んであったが、室町末期の戦乱にあって焼失、
佐藤氏よりの復興をへて江戸時代には尾張藩の保護を受け本堂は寛文11年に再建された。

現在の建物はおおむねこの時のもので古建築は多宝塔のみである。


【酷道】


予想通りの道を進む。
もうだいぶこんな道は慣れてきたな。


【仁王門】


駐車場より下に山門がありました。
途中下車したのは言うまでもない。

享保3年(1718)建立されたもの。


【弘法大師像】


まずはご挨拶。


【仁王像】


痛みは激しいが愛嬌のある顔立ちですね。(^^


【参道】


なかなか雰囲気のある参道。

しかし車で駐車場に向かったのは言うまでもない。(笑)

まだまだ修行が足りません。


【参道】




駐車場から少し歩きます。


【鐘楼堂】


まず最初に現れるのが鐘楼堂。




嬉しいことに中に入って鐘を撞いてもいいとか。

これは非常に珍しい。
こういう袴タイプの鐘楼堂は一般は入れないんだけどね。(^^




鐘楼。

ありがたく撞かせていただく。

ありがたや ありがたや。


【不動堂】





【薬師堂】




不動堂と同じく内陣は質素です。


【境内】


お!何やら塔が見える。


【金毘羅堂】





【多宝塔】




お~、これは美しい。

この色合いといい、造りといい、
完全にゴマラー好みであります。

全く見飽きることがありませんでした。(^^




当然のように重要文化財です。

さて、いよいよ凄い本堂です。


【千本桧】


これは見事な大木がお目見え。


【本堂】


これこれ、これが見たかったのよ。

素晴らしい。

こんな山奥にこのような見事な建築物があるとは驚きです。

向かって左が本堂、右が籠堂。




寛文10年(1670)に建立されたもの。

これが国じゃなく県の重要文化財とはおかしい。


【地蔵尊】



【供養塔】





【水車】




懐かしい感じがするのは何故だろう。

心が和みますわ。


【鬼瓦】





【懸崖造】


そんなに太くない柱なんだけど、
よく支えてるよなぁ。

先人の建築技術は凄過ぎます。


【本堂】


いかにも観音霊場の雰囲気があります。


【大黒天】



【おもかる様】



【びんずる様】



【地蔵尊】





【宝篋印塔】


源頼朝の分骨が埋葬されているとか。
どこまで本当か分からんが。


【みたらしの霊水】





【本堂裏手】


格子から中を見てみたけど何にも見えなかった。


【籠堂】




文化3年(1806)建立されたもの。




堂内は十一面千手観音菩薩や西国三十三観音が祀られていました。


【千本桧】


上から見たもの。
なかなかの高さがあります。


【白山鎮守堂】


元和3年(1622年)建立されたもの。


【風景】


社務所前から見た風景。

こんな所でも暑い。(^^;


【御朱印】


御朱印を待っている間、
7歳のお嬢ちゃんが相手してくれた。
お茶を出してくれて、しっかりしてましたよ。

学校は楽しい?って聞いたら、
楽しいって無邪気に答えるのが可愛かったね。(^^

学校はさすがに車で送り迎えしてもらってるとか。

それだと放課後に友達と遊べないし、
家にも滅多に呼べないからちょっと可哀想だね。