目的の南宮大社を参拝し終わり、
帰宅しようと車に乗り込み発進すると、
南宮大社の神宮寺である真禅院の看板を見た。
時間は16時前。
見知らぬ土地で段々寂しくなっていたけど、
南宮大社の神宮寺は立派なんじゃないかと直感。
迷わず参拝することにした。
所在地:岐阜県不破郡垂井町宮代2006
宗派:天台宗
御本尊:無量寿如来
創建:天平11年(739)
開山:行基菩薩
札所:西美濃三十三観音霊場、美濃七福神
【縁起】
真禅院は近隣にある南宮大社(旧称南宮神社)と関係の深い寺院である。
南宮神社では近世末まで神仏習合の信仰が行われ、
神社内に仏堂、仏塔、僧坊などが建てられていた。
明治初年の神仏分離に伴い三重塔、本地堂などが神社西方の現在地に移され、
朝倉山真禅院と称するようになったものである。
伝承によれば真禅院の前身は天平11年(739)行基により
創建された象背山宮処寺であるとされる。
その後、延暦年間(790年頃)勅令があり、最澄によって
南宮神社(現南宮大社)と両部習合(神仏習合)され神宮寺と改称したという。
宮処寺の名は行基年譜に見えず、創立者を行基とするのは後世の付託と思われるが、
後述のように宮処寺という寺院が奈良時代に存在したことは確認できる。
近世の記録本末分限改帳には平将門の乱調伏の為、
南宮神社二ノ宮の十禅師社に社僧10名を置き、
その時建立された僧坊の1つが真禅院であるとされている。
文亀元年(1501)火災で焼失し、永正8年(1511)美濃国守護土岐政房により再建。
慶長5年(1600)には関ヶ原の戦いで南宮神社とともに焼失した。
南宮神社の再建は江戸幕府3代将軍徳川家光により実施され、
寛永19年(1642年)に落成した。
現存する真禅院の三重塔、本地堂もこれら社殿と一連の造営になるもので、
元来は南宮神社境内の南方に建っていた。
明治元年(1868)神仏分離により南宮神社内の寺院・仏堂を統廃合し、
当時の真禅院の住職と地元の人々の手により現在地に移築した。
明治4年(1871)までに移築が完了し朝倉山真禅院として再出発した。
【参道】
お~、これはいい。
私の直感が当たりだと思った。(^^
【山門】
これは変わった門です。
まるで神仏習合を表現したような門ですよね。
【十王堂】
【鐘楼堂】
【本地堂】
【不動堂】
真っ暗です。(泣)
【薬師堂】
【釈迦堂】
【最勝寺観音堂】
やっと仏様を見ることが出来た。(^^
【観音堂】
十一面観音菩薩が祀られています。
【石仏】
【鎮守社】
【空也上人和歌碑】
【三重塔】
お~、これは見事な三重塔です。
全く参拝の予定に無かったお寺で、
これほどの三重塔を見れるとは本当に嬉しい。
重要文化財。
【鉄搭】
中をちょっと見ましたけど、
何かよく分かりませんでした。
【鐘楼堂】
鐘楼は重要文化財。
【御朱印】
書置きでしたが、いただけないよう遥かにマシです。
いや~それにしても思わぬメッケものという感じで、
参拝して良かったです。
美濃西国三十三観音霊場は個性豊かで、
お寺それぞれが活発で廃れて無い。
参拝していてとても楽しい。
近ければすぐにでも満願したい霊場ですね。
帰宅しようと車に乗り込み発進すると、
南宮大社の神宮寺である真禅院の看板を見た。
時間は16時前。
見知らぬ土地で段々寂しくなっていたけど、
南宮大社の神宮寺は立派なんじゃないかと直感。
迷わず参拝することにした。
所在地:岐阜県不破郡垂井町宮代2006
宗派:天台宗
御本尊:無量寿如来
創建:天平11年(739)
開山:行基菩薩
札所:西美濃三十三観音霊場、美濃七福神
【縁起】
真禅院は近隣にある南宮大社(旧称南宮神社)と関係の深い寺院である。
南宮神社では近世末まで神仏習合の信仰が行われ、
神社内に仏堂、仏塔、僧坊などが建てられていた。
明治初年の神仏分離に伴い三重塔、本地堂などが神社西方の現在地に移され、
朝倉山真禅院と称するようになったものである。
伝承によれば真禅院の前身は天平11年(739)行基により
創建された象背山宮処寺であるとされる。
その後、延暦年間(790年頃)勅令があり、最澄によって
南宮神社(現南宮大社)と両部習合(神仏習合)され神宮寺と改称したという。
宮処寺の名は行基年譜に見えず、創立者を行基とするのは後世の付託と思われるが、
後述のように宮処寺という寺院が奈良時代に存在したことは確認できる。
近世の記録本末分限改帳には平将門の乱調伏の為、
南宮神社二ノ宮の十禅師社に社僧10名を置き、
その時建立された僧坊の1つが真禅院であるとされている。
文亀元年(1501)火災で焼失し、永正8年(1511)美濃国守護土岐政房により再建。
慶長5年(1600)には関ヶ原の戦いで南宮神社とともに焼失した。
南宮神社の再建は江戸幕府3代将軍徳川家光により実施され、
寛永19年(1642年)に落成した。
現存する真禅院の三重塔、本地堂もこれら社殿と一連の造営になるもので、
元来は南宮神社境内の南方に建っていた。
明治元年(1868)神仏分離により南宮神社内の寺院・仏堂を統廃合し、
当時の真禅院の住職と地元の人々の手により現在地に移築した。
明治4年(1871)までに移築が完了し朝倉山真禅院として再出発した。
【参道】
お~、これはいい。
私の直感が当たりだと思った。(^^
【山門】
これは変わった門です。
まるで神仏習合を表現したような門ですよね。
【十王堂】
【鐘楼堂】
【本地堂】
【不動堂】
真っ暗です。(泣)
【薬師堂】
【釈迦堂】
【最勝寺観音堂】
やっと仏様を見ることが出来た。(^^
【観音堂】
十一面観音菩薩が祀られています。
【石仏】
【鎮守社】
【空也上人和歌碑】
【三重塔】
お~、これは見事な三重塔です。
全く参拝の予定に無かったお寺で、
これほどの三重塔を見れるとは本当に嬉しい。
重要文化財。
【鉄搭】
中をちょっと見ましたけど、
何かよく分かりませんでした。
【鐘楼堂】
鐘楼は重要文化財。
【御朱印】
書置きでしたが、いただけないよう遥かにマシです。
いや~それにしても思わぬメッケものという感じで、
参拝して良かったです。
美濃西国三十三観音霊場は個性豊かで、
お寺それぞれが活発で廃れて無い。
参拝していてとても楽しい。
近ければすぐにでも満願したい霊場ですね。