Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

随念寺(2015年12月20日参拝)

2016年03月20日 | 三河三十三観音霊場
続きまして鐘楼門が見たくて随念寺というお寺に到着。

こちらも家康公ゆかりの寺社の一つです。

岡崎天満宮からは500メートルぐらいの近さです。



所在地:愛知県岡崎市門前町91
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:永禄5年(1562)
開山:磨誉魯聞上人
札所:三河三十三観音霊場、法然上人三河二十五霊場


【縁起】
随念寺は徳川家康が祖父である松平清康とその妹久子の菩提を弔う為、
魯聞上人(大樹寺15世)を招いて開山したのが始まりとされます。

天文4年(1535)に清康が尾張国守山で死去するとこの地に葬られ、
永禄4年(1561)に久子が岡崎城の城内で死去すると遺言により、
清康の墓の近くに葬られることになりました。

松平家と水野家が対立すると家康の生母である於大の方は、
実家である水野家に戻され、実質的に久子が家康の養育したとされ、
その菩提寺である随念寺は松平家、徳川家から庇護されました。

家康公は清康の画像や阿弥陀三尊像、什器類などの寄進だけでなく、
堂宇の造営や慶長8年(1603)には朱印地50石を与え、
二代将軍徳川秀忠は堂宇の修築や山門の造営などを行っています。

明治時代に入ると庇護者を失い衰退し、書院や庫裏は額田郡の所有となり、
明治6年(1873)には岡崎小学校、その後、額田郡第一番小学岡崎学校、
町立岡崎高等小学校の校舎、その他の学校の仮校舎として利用されました。

戦火を免れ伽藍の保存状態もよく、現在では付近でも際立つ大寺であります。


【山門】


ナビだとこの山門前に誘導されます。

山門横に2台分ぐらいの駐車場らしき場所があり停めると、
そこはお寺とは関係無い民家の駐車場でした。(^^;

大型の無料駐車場は大通りの477号線沿いから入るとありました。

車を駐車場に停めて、本堂を横切り山門へ徒歩で戻る。

やはりお寺は山門から入らないとね。




この参道から見る鐘楼門と白い塀が美しい。


【鎮守社】



【鐘楼門】


こちらも山門ですが、二階に鐘楼が吊るされていました。

本当にかっこいい鐘楼門です。


【本堂】




立派な本堂です。

元和5年(1619)徳川秀忠が寄進して建立されたもの。




ちょっとだけ扉が開いていたので堂内は見れたが、
御朱印をお願いすると入れていただきました。(^^


【庫裏】



【大方丈】



【聖徳太子堂】



【地蔵尊】


半跏趺坐とは珍しいですね。


【三重塔】


2011年に建立されたもので、初層には天井画があるそうです。

三重塔の下には大きな墓地となっており、
一般のお墓を写さないようにするのに苦労した。

本当はもっと引きの写真を撮りたかったけど、
そんな理由でこのような写真になりました。


【御朱印】


綺麗な墨書きを奥様にしていただきました。

本堂に入れていただき有難うございました。(^^

三河善光寺<無量寺>(2015年12月20日参拝)

2016年03月17日 | 三河三十三観音霊場
本来であれば重文の仏殿を擁する天恩寺へ行くつもりだったが、
ちょっと離れた場所にあって時間がかかってしまう。

その後の寺社の参拝の都合も考えて、
今回は泣く泣く回避。

これが後になって後悔することに。



所在地:愛知県岡崎市久後崎町字郷西37番地
宗派:単立
御本尊:一光三尊阿弥陀如来
創建:元和年中(1615-1624)
開基:本多伊勢守康紀
札所:三河三十三観音霊場番外


【本堂】




無料駐車場に車を停めて本堂へ。

思っていたより遥かに小さいお寺でした。


【石佛】


隣は熊野神社が鎮座してました。


【薬師堂】




おおよそ薬師如来には見えないが、
薬壺は持っていらっしゃいます。(笑)


【納経印】


セルフでした。(泣)


【御朱印】


うーん、通称でも善光寺を名乗るからには期待して参拝したが。

ちょっと残念でした。

ここに来る時間があったら天恩寺にその時間を回せば良かった。(泣)

大樹寺(2015年12月20日参拝)

2016年03月14日 | 三河三十三観音霊場
今回の旅のメインである大樹寺へ。

ここは昔から参拝したかったお寺で、
以前放送された「ぶっちゃけ寺」を見たら、
ついに我慢出来なくなりました。(笑)

非常に楽しみです。

こちらも無料駐車場があって助かります。

岡崎って良い所だなぁ。(^^



所在地:愛知県岡崎市鴨田町広元5-1
宗派:浄土宗
御本尊:一光千体阿弥陀如来、如意輪観世音菩薩
創建:文明7年(1475年)
開基:松平親忠
開山:勢誉愚底
札所:三河三十三観音霊場


【縁起】
安城城主松平左京亮親忠法名大胤西忠が、
真蓮社勢誉愚底を開山として文明7年(1475)に創建。

寺号の大樹とは征夷大将軍の唐名であり、
松平氏から将軍が誕生することを祈願して、
勢誉愚底により命名されたと伝わるもの。

松平親忠により大樹寺は松平氏の菩提寺とされ、
松平郷の高月院にあった墓から分骨され、先代3代である松平親氏墓、
松平泰親墓及び松平信光墓が大樹寺に作られた。

天文4年(1535)、松平氏宗家第7代当主松平清康により再興。

永禄3年(1560)桶狭間の戦いで総大将義元を失った今川軍は潰走、
大高城で織田方の水野信元の使者からの義元討死の報を聞いた
松平元康(徳川家康)は、追手を逃れて手勢18名とともに当寺に逃げ込んだ。

寺を囲んだ追撃の前に絶望した元康は、先祖の松平八代墓前で
自害して果てる決意を固め、第13代住職登誉天室に告げた。

しかし登誉は問答の末「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説いて諭した。
元康は奮起し教えを書した旗を立て、およそ500人の寺僧と共に奮戦し退散させた。

家康の死後は、遺言に従い位牌が収められた。
以降、歴代徳川将軍14代までの等身大位牌が大樹寺に収めらようになった。


【ビスタライン】




これは有名ですよね。

寺から家康公生誕の地である岡崎城を望むことが出来ました。

直線上にマンション等の高層建築物を建てないように、
今もなお岡崎市民にビスタラインは守られている。

とても良いことです。


【山門】




寛永18年(1641)徳川家光公により建立されたもの。

豪壮な見事な山門です。
しかしこの山門が県指定文化財で重文ではない。

これが何故重文じゃないのか理解不能です。

おかしいわ。


後奈良天皇宸筆の勅願は重文だとか。






境内から見ても素晴らしい。

山門の中には釈迦三尊像と十六羅漢が安置されているそうです。

登りたいなぁ。


【多宝塔】




これは美しい。

日本でも10本の指に入ると言っても過言ではない。




天文4年(1535)松平清康公が建立したもので、
当然ながら重要文化財。


多宝塔の隣は大きな墓地でした。
ここで眠りたいという人が多いんでしょうね。


【葵の御紋】


関西人はやっぱり太閤さんが好きで、
家康公の人気はそんなにありませんが、
私はこの葵の御紋には畏敬の念があります。

水戸黄門の影響かなぁ。(笑)


【境内】


この辺りは観音霊場のような雰囲気を感じた。


【徳川家康公霊夢像】



【位牌堂】


位牌堂や収蔵庫は拝観料を支払えば見ることが出来ます。

この位牌堂を見ずにして帰れませんよ。


【本堂】




安政2年(1855)の火災により焼失後、
安政4年(1857)徳川十三代将軍家定公により再建されたもの。

早速本堂内を拝観。
ここはさすがに無料でした。




内陣は残念ながら撮影不可でしたので、
画像は「今、出発の刻(たびだちのとき)」様のブログより拝借しました。
http://blog.goo.ne.jp/2014kurumatabi/e/0dc88c82c4248e29c6bed8d5b3e4fd32


御本尊の阿弥陀如来は浄土宗らしい仏像でした。

また柱には「厭離穢土欣求浄土」の文字がありました。


【春日局念持佛】


本堂には御本尊の他に如意輪観世音菩薩や弘法大師が祀られていましたが、
とても印象に残る菩薩様がいらっしゃいました。

こちらも画像を拝借したものですが、
素晴らしい女性的な綺麗なお顔をされていました。

地蔵菩薩だそうです。


本堂の次は大方丈です。

最初の部屋のほうで家康公を救ったと言われる、
貫木神が祀られていました。

大方丈を進んで行くと将軍の間があって、
家康公真筆と言われている掛け軸がありました。




その掛け軸がこれです。
(画像はネットで拾ったものです。)

南無阿弥陀仏とひたすら書いていますが、
最後の所だけ南無阿弥家康と書かれています。(笑)


【収蔵庫】
中大名控間である牡丹の間の障壁画、
大大名控間である鶴の間の障壁画、
冷泉為恭作の重文「鉄線花図」等、貴重な文化財がありました。
 
こちらも撮影禁止でした。

最後に宝物殿の位牌堂です。


【位牌堂】
位牌堂には松平八代の御位牌と徳川将軍14代までの
等身大の御位牌が部屋の左右に安置されていました。



写真は家康公の御位牌。
写真はネットで拾ったものです。


初代家康(前大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士)位牌の高さ159.0センチ
2代秀忠(台徳院殿一品大相国公)位牌の高さ160.0センチ
3代家光(大猷院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ157.0センチ
4代家綱(厳有院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ158.0センチ
5代綱吉(常憲院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ124.0センチ
6代家宣(文昭院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ156.0センチ
7代家継(有章院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ135.0センチ
8代吉宗(有徳院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ155.5センチ
9代家重(惇信院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ151.4センチ
10代家治(浚明院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ153.5センチ
11代家斉(文恭院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ156.6センチ
12代家慶(慎徳院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ153.5センチ
13代家定(温恭院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ149.0センチ
14代家茂(昭徳院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ151.6センチ


とりあえず家康公の御位牌を見れただけで満足ですが、
5代将軍綱吉公の身長が124センチとは小さいな。

俄かに信じられない身長ですが、
低身長だったのかな。

ちなみに15代将軍慶喜公は神式で葬儀を済ませており、
慶喜の墓は徳川家菩提寺である増上寺でも寛永寺でもなく、
谷中霊園に皇族のそれと同じような円墳にあるそうです。




家康公木像。

画像は「家康の足跡 IN 東海」様から拝借しました。
http://ieyasu1542.blog.fc2.com/blog-entry-44.html

これにて有料拝観終了。

大変満足しました。
また拝観したいと思う。


【熊野権現社】



【卍地蔵尊】



【家康公・登誉上人像】


切腹を思いとどまらせる上人のようです。


【豊国稲荷】



【歴代住職墓】



【開山堂】



【石像】



【鐘楼堂】


徳川家光公が寄進したもの。


【御朱印】


基本的にいただけるのがこれです。




何種類あるのか確認していませんが、
僧侶にお願いするといただけます。

受付けのおばちゃんは基本の厭離穢土欣求浄土しか知らないので、
注意してくださいね。


【御朱印帳】


買ってもた。(^^