Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

妻恋神社(2015年6月13日参拝)

2015年07月17日 | 神社
湯島天満宮と湯島聖堂の真ん中にあるでしょうか、
その地に鎮座するのが妻恋神社。

「妻恋」という言葉は日本語の中でも屈指の素敵なものですよね。

その割りに周りは結構ラブホテルが多い。(^^;

妻恋神社という名前の神社は、
景色の素晴らしい長野の白馬や安曇野に鎮座してればいいのに。

うーん、それがとても残念。


所在地:東京都文京区湯島3-2-6
主祭神:倉稲魂命、日本武尊、弟橘姫命
創建:不明



【由緒】
東夷平定に赴いた日本武尊は浦賀水道を渡る時に、
海神を侮って起こらせた為、暴風雨に見舞われた。
妃の弟橘媛命が自ら海中に入り海神の怒りを静めた。

その後、湯島の地に滞在された日本武尊の妃を慕う心を憐れんだ土地の人々が、
尊と弟橘媛命を祀ったのが創祀とされる。

後に稲荷明神(倉稲魂命)を合わせ祀り、妻恋稲荷と称するようになった。

江戸時代には関東惣社を名乗り、王子稲荷と並ぶ信仰を集めた。

特に正月2日に枕の下に敷いて寝るとよい初夢が見られるという、
縁起物の「夢枕」はよく知られている。

「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の版画で万治年間(1658~61)の創案という。

昭和20年(1945)空襲で社殿が全焼した時、この版木も焼失したものと思われていたが、
昭和52年(1977)摺師の家で発見され「夢枕」も復活した。


【鳥居】



【社殿】


思ってた以上に小さな神社です。


【社務所】


閉まってる、
嫌な予感。(^^;


【妻恋稲荷神社】





【地蔵尊】


社殿の裏にひっそりと祀られていました。


御朱印は御不在でいただけませんでした。

普段は無住で年数回の祭礼の時や、
妻恋神社崇敬会の方に電話予約してればいただけます。

そんなん知らんがな。(^^;

無念じゃ。

湯島聖堂(2015年6月13日参拝)

2015年07月16日 | 旅行、その他
湯島駅から新御茶ノ水駅まで移動し湯島聖堂へ。

ここは去年の年末に神田明神参拝後に訪れようと思ったが、
冬季は9時半開門で時間が合わず、泣く泣く断念したんです。

だから今回はどうしても参拝したかった。

思ったより早くリベンジ出来て何よりです。(^^



所在地:東京都文京区湯島1-4-25
創建:元禄3年(1690)
開基:徳川綱吉



【縁起】
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図る為、
元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して、
上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。

これが現在の湯島聖堂の始まりです。
その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、
世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、
当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、
明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、
学問所となってからは75年の儒学の講筵はここにその歴史を閉じた次第です。

大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、
翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し全てを焼失。

昭和10年(1935)に再建され現在に至る。


【風景】


流れる川はあの神田川です。

右手にはJR御茶ノ水駅となります。




湯島聖堂の全景です。


【入徳門】


聖人の教えで道徳に入る門というのが、
入徳門の謂れです。


【石段】



【杏壇門】


杏壇とは山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址のことで、
杏が植えられた場所に門が造られたことから名付けられたもの。

これは日本では余りお目にかかれない門ですが、
とても見事な門で圧倒されました。


【大成殿】




これまた立派なもので中国様式の建物ですね。

拝観料というか協力金200円を支払い中へ。


【殿内】




中にはいるとお寺っぽい雰囲気を少し感じた。

係りの女性に確認すると写真撮影はOKでした。(^^


【香炉】


焼香する為のもの。


【孔子像】


孔子を祀るところを孔子廟と言う。
別名として孔廟、聖廟、文廟とも言い、孔子を祀る祭祀を釈奠という。


【四配像】




左右に孟子・顔子・曽子・子思の四賢人が祀られていました。

私からしたら「誰?」ってな感じですが。


【厨子】





【鬼子】




いわゆる狛犬みたいなものかな。

顔が龍で下半身が魚の火災から守る神というが、
何だか「ごめんなさい」と謝っているようである。(笑)

元々は屋根の上にあったらしいが、
関東大震災で焼け落ちたそうです。


【鬼龍頭】


これはシャチホコみたいなもんかな。


【宥座の器】


自らの戒めとするために身近に置いてある道具のことで、
孔子は「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心を持ち、
力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」、
と説いた故事からきているそうです。


【杏壇門】



【孔子銅像】


台北のライオンズ・クラブから寄贈されたもの。


【御朱印】


大成殿ではなく事務所でいただきました。

神社とは「かみのやしろ」であって、
日本古来の神々が祀られているという認識ですので、
とりあえず神社用ではなくお寺用の御朱印帳にいただきました。


伽藍好きとしてはとても満足しました。

湯島聖天<柳井堂 心城院>(2015年6月13日参拝)

2015年07月15日 | 仏閣


男坂の下に復興地蔵尊が祀られていました。

このお地蔵さんは関東大震災で亡くなった方々の冥福と、
地元の平和発展を祈って祀られたもの。

その後、東京大空襲では隣接町会がほとんど焼土と化した中で、
当町会は一軒の損失もなくその難を免れた。

これは「お地蔵さん」の御加護によるものと、
地域の方々の信仰が篤くなったとか。


お参りした後、すぐ近くにお寺があるようなんで寄ってみました。
どうやら札所で本堂拝観も可能ということですので参拝です。



所在地:東京都文京区湯島3-32-4
宗派:天台宗
御本尊:大聖歓喜天
創建:元禄7年 (1694)
開基:宥海大僧都
札所:江戸三十三観音


【縁起】


当山はもと湯島天神別当の天台宗喜見院・宝珠弁財天堂と称されておりました。
湯島天神は「学問の神様」菅原道真公を祭神としていますが、
道真公が太宰府へ左遷された時、その冤罪をそそぐ為、
聖天さま(大聖歓喜天・大聖歓喜自在天)に祈念され、
その信仰が篤かった為に「天満大自在天神」とも言われました。

江戸の元禄七(1694)年、喜見院第三世宥海大僧都が、
道真公と因縁浅からざる聖天様を堂内に奉安したのが当山の開基で、
尊像は比叡山から勧請した慈覚大師作と伝えられています。

開基以来、「湯島の聖天さま」として知られ、熱心な信者の参詣があり、
紀伊国屋文左衛門も当山に帰依した一人でした。

享保の頃、寺門維持のため幕府から「富くじ」が発行されました。
谷中感応寺(天王寺)、目黒瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が、
「江戸の三富」と言われ、大いに賑わいました。

当時の喜見院は相当の境域がありましたが、
明治維新の神仏分離令で惜しくも廃寺となりました。

当然喜見院弁天堂も影響を受けるところでしたが、
聖天さまの御加護により湯島天神との本末関係を断つのみでその難を逃れました。

単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、
寺名を「心城院」と改めました。

江戸の大火や関東大震災、東京大空襲にも遭うことなく法灯を伝えてきましたが、
約三百年の風雪に耐えた堂宇は老朽化し、近年に改修され寺観を一新しました。



【本堂】


本堂は普通に中に入れてくれました。

ただ、小さい本堂ですので、5人も入ればいっぱいです。

残念ながら撮影不可でしたけど、参拝出来て良かった。(^^


【ほほえみ地蔵】


何だかお爺さんみたいなお地蔵さんでした。


【荼枳尼天社】



【放生池】



【御朱印】


予想外というか、予定外で御朱印をいただけるのは嬉しいね。(^^

湯島天満宮(2015年6月13日参拝)

2015年07月14日 | 神社
大満足の根津神社を後にし伊勢五本店へ。

暑いので途中で買ったアクエリアスとバナナを近くの公園でいただく。

生き返るわ~。(^^


【須藤公園】


河童注意の看板あり。
遊び心があっていいね。


【辨財天】


神社発見。




どうやら辨財天らしい。

弁天池では近所の親子がザリガニか何かを網で獲っていた。
東京都内でこのようなほのぼのとしたものを見れてほっこりした。(^^


【伊勢五本店】


公園から少し歩いてお店に到着。
ここは焼酎好きで有名なお店です。




お目当ての妻10年古酒ゲット♪

このお酒は全国でも2店しか発売されていないもの。
無事買えて良かった。(^^


気分良く次なる参拝地の湯島天満宮へ向かう。



所在地:東京都文京区湯島3丁目30番1号
主祭神:天之手力雄命、菅原道真
創建:(伝)雄略天皇2年(458)
社格:府社、別表神社


【由緒】
勅命により創建と伝えられ天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、
降って正平10年(1355)2月郷民が菅公の御偉徳を慕い、
文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、
文明10年(1478)10月に太田道潅が再建。

天正18年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、
特に当社を崇敬すること篤く、翌19年11月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、
もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、
文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。

元禄16年(1703)の火災で全焼したので、
宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。

明治5年(1872)10月には郷社に列し、ついで同18年(1885)8月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。

明治18年に改築された社殿も老朽化が進み、
平成7年12月、後世に残る総檜造りで造営された。


【夫婦坂】


湯島駅から歩いて数分で到着。

駅から近いのは助かる。

神門がなかなか良い感じです。


【鳥居】


奥に境内社があるようだ。


【戸隠神社】



【笹塚稲荷神社】



【狛犬】


なかなか変わった姿をしていました。


【社殿】




権現造りの幣殿・拝殿が見事。

この日はちょうど結婚式があり、
私も幸せのお裾分けをいただきました。(^^


【本殿】



【渡り廊下】



【撫で牛】



【梅園】



【筆塚】



【花】



【境内社】



【表鳥居】


銅で出来た渋い鳥居です。


【唐門】



【大鳥居】



【宝物殿】


御朱印をいただいたら拝観料が500円から300円になるという。

値引きに弱い私。
すかさず宝物殿に行ったのは言うまでもない。


入ると神輿展示室になっていて何基もの美しい神輿があった。

写真を撮りたかったが全て写真撮影不可でした。

地下に行くと宝物展示室になっていて、
いくつもの掛け軸が掛けられていました。

基本的に新しく余り知らない作家のものが多かったですが、
狩野探幽作の「束帯天神」が一番の宝物かな。

あとは美濃兼光や伊勢神宮より賜った須賀利御太刀などの刀剣がありました。

これは良かったです。


【男坂】


帰りはこの坂を下りました。

そういや男坂という漫画が昔あったな。
あの漫画は好きだったが、無念の打ち切りで中途半端に終わったんですよ。

それが奇跡的に復活したようなんで、今度読んでみるか。


【御朱印】

根津神社(2015年6月13日参拝)

2015年07月13日 | 神社
寺社参拝の他にもう一つの目的であるレア焼酎の
「妻10年古酒」を買いに伊勢五本店がある千駄木駅へ。

南千住駅から北千住駅経由なんですが、
北千住駅から東京メトロ千代田線に乗り換えようと駅内を移動するも、
案内板を頼りに行ってもあるはずの東京メトロ千代田線が無い。

おっかしいなぁ、と思いながら戻ってみても、
やっぱり案内板はさっきのホームが東京メトロ千代田線となっている。

でも、どう見てもホームには東京メトロ千代田線となっていない。

仕方ないので駅員に確認したらここがそうだと言う。

北千住駅って駅の構造が複雑だし、案内板が訳わからんし、
全く初心者には迷惑な駅や。

何とか千駄木駅に着いて歩いて根津神社へ。

この神社は参拝予定に入っていなかったが、
あの楼門を知ってしまったからには行かなくてはならない。(^^



所在地:東京都文京区根津一丁目28番9号
主祭神:須佐之男命、大山咋命、誉田別命
創建:不明
社格:府社、准勅祭社


【由緒】
当神社は今から千九百余年の昔、日本武尊が東国平定の折に、
武運を祈って千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、
文明年間には太田道灌が江戸築城の際に戴いた御神恩に感謝して社殿を奉建している。

江戸時代には諸侯の信仰が篤く、特に五代将軍徳川綱吉は世嗣が定まった際に、
その氏神として神社の現社殿を造営、永代社領五百石を寄せた。

明治維新には明治天皇御東幸にあたり勅祭社に准ぜられ、
勅使を遣わされ度々国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

現在の社殿、唐門、楼門、透塀等が即ち之で、
俗に天下普請と称え江戸時代の代表的名建築として名高く、
昭和6年に国宝(現在の重要文化財)に指定されたが、
一部に戦禍を受けたので昭和25年より12年を費やし大修理を行い、現在に至る。


【鳥居】


後で知ったことだが、こちらは裏参道だった。
神社は表参道から入るのが鉄則だが、
駅から近いのはこっちだから仕方ない。


【透塀】


重要文化財。

随分長い透塀だ。
この長さで神社の規模が分かるというもの。


【乙女稲荷神社】


なかなか良い舞台だね。
後で行くとしよう。


【唐門】




これは見事な装飾を施された唐門。

唸らざるをえない。
さすが重要文化財。




卍が見える。

まさか神社の神紋が卍とは驚きです。


【拝殿】




重要文化財。

これも凄い。






総漆塗りの華麗な権現造建築で、
唐門を凌ぐ見事な装飾で実に素晴らしい。

東京の神社は権現造建築の社殿が見れるから来た甲斐があります。

京都、奈良の拝殿とは違うけど、こんな派手な社殿も好きです。


【社殿】


手前に授与所があった。



奥に蔵らしきものがあり扉には卍があった。

よく分からないものだが、
賽銭箱があったので何かが祀られているようだ。

とりあえず参拝も済み、お目当ての楼門へ。


【狛犬】



【楼門】




重要文化財。

向こう側に鳥居が見えたので、律儀に鳥居を先に見に行く。


【鳥居】


やはりこちらの参道の方が清々しい。


【楼門】






いいですね~。

このような華麗な楼門は滅多にありません。


【つつじ苑】



【神楽殿】



【鳥居】



【千本鳥居】





【家宣公胞衣塚】





【社殿】



【乙女稲荷神社】




御祭神:倉稲魂命。

ところで何で乙女なんだろう。

男は幾つになっても乙女が好きなんできになります。(^^


【庚申塔】






根津神社でも仏教を感じることが出来るとは嬉しい。

しかし、このようなタイプの庚申塔とは関西ではあんまり見ないよね。


【塞大神】



【駒込稲荷神社】






御祭神:伊弉諾命・伊弉冊命・倉稲魂命・級長津彦命・級長戸辺命。

もとは綱重公の邸内社だったそうです。


【狛狐】




こんな狛狐は見たことない。

可愛いですね~。(^^


【御朱印】




三種類いただくことが出来ます。

珍しく三種類全部を私がお願いすると、
若い神職は三種類もか、という感じで溜息をつきやがった。

ちょっと腹が立った。

私もまだまだ人間が出来てない。(^^;


【感想】
とにかく社殿が素晴らしい。

社殿好きはとにかく必見です。
我が家の近くにあったら毎月訪れるわ。(^^

素盞雄神社(2015年6月12日参拝)

2015年07月12日 | 神社
昨日は久しぶりの東京出張。

金曜に出張だったら日帰りなんて勿体ない!

昔だったら東京の夜を堪能したが、
今は翌日の寺社巡りに向けてさっさと安ホテルにチェックイン。

私も性長、いやもとい、成長したもんです。

というか歳をとったということか。(泣)


そんなことは置いといて、
南千住駅から徒歩2分と立地は抜群だったけど、
道路の拡張工事が夜中までやってるし、
貨物列車の音とか、騒音がうるさくて眠れん。(号泣)

4時間ぐらいの睡眠で起床し、
南千住駅から徒歩7、8分の素盞雄神社へ向かう。



所在地:東京都荒川区南千住6-60-1
主祭神:素盞雄大神、飛鳥大神
創建:延暦14年(795)
開祖:黒珍
社格:郷社


【由緒】
開祖となる黒珍は役小角の高弟で、黒珍の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。
 
黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、
小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、
「吾はスサノオ大神・アスカ大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、
永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、
黒珍は一祠を建て鄭重にお祀りし、当社が御創建されました。

次いでスサノオ大神の御社殿を西向きに御造営し6月3日、
アスカ大神の御社殿を南向きに御造営し9月15日、それぞれ御神霊をお遷し致し、
4月8日「御創建疫神祭」・6月3日「天王祭」・9月15日「飛鳥祭」の祭禮日が定まりました。

江戸時代享保3年(1718)、類焼による両社炎上の為、
同12 年に相殿として二柱を祀る御殿を新たに建築し奉斎。

明治の神仏分離令により素盞雄神社と改称し現在に至る。


【鳥居】


まだ6月というのに朝から暑い。
今日は電車と歩きが多いので水分補給はきっちりしておかねば。


【狛犬】


鳥居前の狛犬。






こういう荒々しい岩に乗っている狛犬はなかなか無いよね。
ましてや狛犬の子供が離れているのは初めて見た。

とても珍しい。


【拝殿】






素晴らしい。

この拝殿は近代建築学から見ても、
かなりのデキではないでしょうか。


【神楽殿】




この人、ちょっとコエーよ。(^^;

何者?


【末社】





【ポンプ】


何という斬新な手水舎。(笑)


【端光石】







【地蔵堂】






まさか神社で聖観音菩薩がいらっしゃるとは夢にも思いませんでした。


【地蔵尊・宝篋印塔】


さすが元はお寺だけありますね。


【富士塚】



【飛鳥の杜】



【芭蕉碑】






知らなかったけど、
千住って松尾芭蕉の出発の地だったんですね。


【本殿】



【御朱印】


見開きで片面は芭蕉のスタンプ付き。

お代はお気持ちでということで、
松尾芭蕉に敬意を表して500円出しました。(^^


思ってた以上に良い神社でしたね。

元伊勢・日雲神社(2015年5月30日参拝)

2015年07月11日 | 神社
久しぶりに信楽焼を買いに信楽までやってきました。

甲賀市の寺社巡りも終わり、本日の参拝は終了と思っていたが、
なかなか雰囲気の良さそうな神社の鳥居を見つけてしまった。

もう5時だし止めとこうかなと考えているのに、
身体が勝手に動くようでハンドルを神社に向けて走ってました。(^^

神社の名前は日雲神社という。

全く知らない神社ですが、後で調べてみると元伊勢だと判明。

持ってますね~。(笑)



所在地:滋賀県甲賀市信楽町牧75
主祭神:天御中主神
創建:不明
社格:村社


【縁起】


伊勢神道五部書倭姫命世紀にある甲可日雲宮が即ち本社の起源であるとされ、
もとは牧、宮町、黄瀬三村の氏神で、
鎮座地が小字上野である所から上野山天神と呼ばれた。

別当寺として天徳寺があったが、明治の神仏分離により廃寺となった。

文政5年宮町、黄瀬は氏子より離れ、現在は牧のみを氏子とする。

明治9年10月村社となり、同18年許可を得て社名を日雲神社と改めた。
現在の本殿は元禄4年の再建とされている。


【鳥居】



【参道】


長い参道があり車で進むことが出来ます。


【線路】




信楽高原鉄道で境内が分断されていました。
こういう神社も稀にありますよね。

線路の近くに数台分の無料駐車場がありました。


【拝殿】





【本殿】






渋いです。


【狛犬】






恐らく信楽焼でしょうけど、
これまた凶暴そうな狛犬ですね~。

狛犬好きにはたまらんでしょう。(^^


【姫の宮】





【境内社】



【功霊社】



【福かえる】


これも信楽焼ですね。


【殿の宮】




これにて日雲神社参拝終了。

遅かったのであれでしたが、早朝とか行ったら清々しい神社だろう。

御朱印も社務所が閉まっていたので、
当然の事ながらいただけませんでした。


【信楽陶芸村 国道店】


まずはここに入店。






お馴染みの狸です。


【信楽焼】


狸は買わなかったけど、徳利とぐい呑みを購入。
備前焼と違ってめっちゃ安かった。(^^

その他にも良い品が多かったですね。


【信楽陶苑】


こちらは巨大な狸があり、観光バスもいっぱい来てましたね~。

ただ、個人的に欲しいモノはありませんでした。


【狸地蔵尊】


これは面白いけど、有難味ないっす。(^^;


【信楽窯】


登り窯はこっち、という矢印があったので行ってみたが、
すぐに矢印や目印が無くなって場所が分からん。(泣)

適当に怪しい道を歩いて行くと発見。(^^












別の場所にある有名な登り窯と違って、
地味な登り窯でした。


これにて帰宅の途へ。
今日も充実していた一日であった。

補陀落寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月11日 | 仏閣
甲賀市最後の参拝となるのが補陀落寺。

こちらは普段無住で御朱印は諦めていたが、
信楽で焼き物を買いに行く途中なんで、
ついでに参拝することにした。



所在地:滋賀県甲賀市甲賀町大原市場465
宗派:天台宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:不明
札所:甲賀市西国三十三ヶ所霊場



【由来】



【山門】


何とも安っぽい山門です。(^^;


【本堂】





【聖観音像】



【石仏】


以上です。

さて、先を急ごう。

油日神社(2015年5月30日参拝)

2015年07月10日 | 神社
甲賀の寺社巡りもいよいよラストに近づいてきました。

もう少し足を伸ばして金剛定寺とか行きたかったけど、
タイムオーバーで櫟野寺から約1キロの油日に鎮座する油日神社へ。

ここの楼門がとにかくカッコいいので、
絶対見なければと思い訪れました。


所在地:滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
主祭神:油日大神
配祀神:猿田彦神、罔象女神
創建:不明
社格:県社


【由緒】
油日神社の創立は明らかではないが、
877年の三代実録に油日神の記述が見られるので、
この頃には既に神社 としての形態を持っていたことがわかる。
 
中世文書に「江州に無隠大社」「甲賀の総社」とあり、
明応再建本殿の奉加には郡内一円三四七名から、
金子41貫400文その他が寄進され、毎年の油日まつりには、
甲賀武士の中から五頭殿が巡年参向、天正14年には「甲賀中惣」より、
永代神領百石の寄進、甲賀武士53家はその総氏神として尊信。

幕末には神前に血判の盟約書をささげている。

都内有名古社との間には親子の縁を称し、分霊と伝え、
祭日を特定するなど広い崇敬の跡を残している。

明治39年7月県社に列格。


【鳥居】


渋い鳥居です。

この鳥居の横に無料駐車場がありました。


【楼門】






重要文化財。

これこれ、この楼門ですよ。
マジでカッコ良過ぎでしょ!

痺れた。


【拝殿】






鎮護と書かれた扁額が見え、
とても男らしい神楽殿です。

今まで見てきた拝殿の中で個人的にトップスリーに入る素晴らしさです。


【楼門】



【廻廊】




重要文化財。


【中門】



【本殿】


重要文化財。


【井戸】



【境内社】





【御神馬】



【御堂】


これの詳細は不明ですが、
明らかにお寺の薬師堂っぽい感じがします。

神仏習合時代の名残でしょう。


【鐘楼堂】



【ロケ地】




嵐の二宮君と堀北真希が本殿の前で会話するシーンが撮影されたり、
大河ドラマ平清盛でもこの神社で撮影されたそうです。


御朱印をいただきに社務所のピンポンを押すが反応なし。

諦めて駐車場に戻っていると、散歩から戻ってきたオッサンが社務所へ。

うーむ、汚いランニングシャツにステテコ姿に愕然。

どう見ても品のある神職とは思えないが、
この人に御朱印をお願いすればいただけるかも知れない。

しかし、大変申し訳ないがこんな人にいただいても有難味が無いので、
今回は遠慮させていただいた。

人は外見で判断していけないというが、
人格は服装に現れるものである。

まぁ、それはさておき、
こちらの社殿は見事なもので感動しました。

櫟野寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月09日 | 仏閣
甲賀三大佛の最後のお寺となるのが櫟野寺。

こちらは仏像の宝庫ということなんで、
とても楽しみです。


櫟野寺と書いて「らくやじ」と読みます。

すみません、読めませんでした。(^^;



所在地:滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377
宗派:天台宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:延暦11年
開基:伝教大師
札所:近江西国三十三箇所、湖国十一面霊場、甲賀西国観音霊場


【縁起】
福生山自性院櫟野寺は桓武天皇の延暦11年に比叡山の開祖伝教大師様が、
根本中堂の用材を獲る為に甲賀郡杣庄においでになりました時、
霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。

それが日本最大坐仏十一面観音菩薩が御本尊様です。

その後延暦21年、征夷大将軍を拝命の坂上田村麻呂公は夷賊を討伐の為、
杣ヶ谷を櫟野まで登られ、櫟野観音の御力により、
兇賊を退治することが出来たのであります。

それ故、将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、
永く当山守護の為に自ら等身の毘沙門天の尊像を彫刻、
そして家来に命じて国技の相撲を奉納是が現在まで継続しております。

往古は甲賀六大寺の筆頭と云われ、この地方の天台文化の中心寺院であり、
広大な境内地を有し、その末寺には、阿弥陀寺、仏性寺、常光寺、地蔵寺、成道寺、
安国寺、詮住寺など数々の坊がありました。

永禄12年(1569)兵火にかかって焼失したが仏像は火災を免れた。
本堂は昭和43年火災にあい全焼したが、諸佛は収蔵庫に納められていて焼失を免れた。


【山門】



【石仏】



【鐘楼堂】



【相撲場】



【縁結びの神】


御祭神は不明です。


【本堂】


消失前の本堂の写真を見ましたが、
とてもカッコいい本堂でした。

それを失ったのが本当に惜しい。




内陣。

ここまでは無料です。


拝観料を支払い奥の収蔵庫へ。
女性の案内付き。(^^


【十一面観世音菩薩】


重要文化財。

3メートル12センチもある仏様で普段は秘仏。
厨子に安置されているのですが、この厨子がデカくて圧倒される。

以前は33年に一度の御開帳でしたが、
現在の御住職に変わられてから、毎年春秋に特別拝観で御開帳されています。

ありがたや ありがたや。


【腹帯地蔵尊】


重要文化財。

文治3年(1189)の銘記をもつ本像は、
もともと檪野寺の塔頭寛沢寺の御本尊だったそうです。

坐像の地蔵尊は久しぶりに見ました。


【薬師如来】


甲賀三大佛の一つ。

2メートル22センチもあり立派なものです。

腹帯地蔵尊もそうだけど、
この薬師如来も御本尊であっても全く不思議ではない。

素晴らしい。

他に重文の聖観音菩薩等、十数体もの重文の仏様達を堪能。

余は満足じゃ。(^^


画像は全てオフィシャルより拝借したものです。


【御朱印】

阿弥陀寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月08日 | 仏閣
甲賀三大佛のひとつである櫟野寺に行く前に、
近くにある阿弥陀寺を参拝。

こちらには重文の御本尊がいらっしゃるので、
お会い出来るのがとても楽しみです。

ただ、御住職がいないと閉まっているので、
拝観出来るかは運次第。(^^

櫟野寺の方に聞いたところ、御住職は離れた場所で住んでいらして、
法要等がある場合に阿弥陀寺に来られるそうです。



所在地:滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1173
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明


【縁起】
阿弥陀寺の創建は不詳ですが昔は檪野寺の塔頭であった。
戦国時代の兵火により堂宇が焼失し一時衰退しましたが、
天和年間(1681-1684)に再興し現在の寺号に改称し浄土宗に改宗。

平安時代に製作された木造阿弥陀如来坐像と、
木造聖観音立像が国指定重要文化財に指定されている。


【全景】


田舎の小さいお寺です。

このようなお寺に重文の御本尊が祀られているのだから、
滋賀のお寺恐るべし!


【本堂】


やりました!
本堂が開いてましたよ。(^^


【御本尊】




高さ109.1センチと決して大きくは無いですが、
黒光りする身体に威厳ある顔つきがとても印象的。

その発散するオーラはさすが重要文化財と唸らざるを得ない。

拝観出来て本当に幸運でした。(^^






左から薬師如来、法然上人、重文の聖観世音菩薩。


御朱印はございますが、
御本尊に感動した余り完全に忘れてました。(^^;

惜しいことをしたけど、
御本尊を間近に見れた方が良かったでの後悔はしていない。(キリッ)

十楽寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月07日 | 仏閣
続きまして次なる寺社は甲賀三大佛めぐりの一つである十楽寺へ。

お寺のイメージはある程度大きいと思い国道を走る。
国道だから知らず知らずにスピードが上がる。

そうこうしている内にお寺を発見。
思ったより小さいお寺で危うく通り過ぎるところでした。



所在地:滋賀県甲賀市土山町山中351
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:文明18年(1486)
開山:寂照法師
札所:甲賀巡礼三十三ケ所めぐり


【縁起】
文明18年(1486)天台宗寂照法師によって創建される。

天正6年(1578)領主である山中飛騨守山中俊直の命令により、
山中城を築き警固し山賊を討伐す。
その息子俊信の代に織田信長により領地を没収、戦火にあい消失。

寛文年間(1661~)、巡化僧広誉可厭大和尚により、
現在地に専修念仏浄土を念願し、万人講を募り、本堂、庫裏、茶所を完成し、
清浄山二尊院十楽寺と名称し念仏道場と定め、
浄土宗総本山である知恩院の直轄末寺の契約をし、今日に至る。


【山門】


山門前に数台分の無料駐車場がありました。


【石仏】



【鐘楼堂】



【鎮守社】



【大神神】



【本堂】


失礼ながら、どこにでもある小さなお寺の本堂のようです。

早速、本堂拝観させていただいた。

御住職と奥様がお相手してくださり、
奥様からお寺の縁起や仏様達のことを説明していただいた。




丈六の阿弥陀如来坐像はさすがの迫力。

実に素晴らしい。

このような仏様がこの小さなお寺があるということは、
昔はかなり大きいお寺だったと容易に推察出来たが、
奥様の説明ではやはり昔はかなり広大な寺域を持っていたそうです。




法然上人坐像。




向かって左から重文の十一面観世音菩薩、十一面千手観世音菩薩、重文の摩耶夫人像。

摩耶夫人像はお釈迦様が脇から出ている尊像は、
こちらと法隆寺だけだとか。




丈六の御本尊の後ろに祀られている二体。
向かって左が御本尊で重文の阿弥陀如来坐像、右が救世聖観音菩薩。

もうお分かりのように、
このお寺には二体の御本尊が祀られています。

もともとはこちらの方が十楽寺の御本尊だったようです。

だから二尊院十楽寺という寺号なのね。




左から裸形阿弥陀如来、毘沙門天、薬師三尊像、釈迦誕生仏。

特に裸形阿弥陀如来は初めて見ました。
本当に珍しいと思います。






最後にもう一度、丈六の御本尊をじっくりと拝見。

いや~、本堂の外見からは想像も出来ない諸仏の数々に感動した。

火事や盗難にはくれぐれも気を付けて、
後世までこの素晴らしい仏様達を守り抜いてほしいですね。


【御朱印】

長松禅寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月07日 | 神社
所在地:滋賀県甲賀郡土山町黒川882
宗派:臨済宗永源寺派
御本尊:聖観世音菩薩
創建:不明
開山:不明
札所:甲賀巡礼三十三ケ所めぐり、近江湖南二十七名刹


【由緒】



【田園風景】



【石号標】


この辺りに無料駐車場があります。


【地蔵尊】



【鐘楼堂】



【本堂】


重文の大日如来も祀られているそうですが、
御就職が今からお出かけというもんだから、
本堂拝観は出来ませんでした。


【御朱印】


ヨレヨレの書置きでした。

田村神社(2015年5月30日参拝)

2015年07月06日 | 神社
甲賀市の寺社巡りは続くよどこまでも、、、
ってのは嘘ですが、もう少し続きます。

甲賀もなかなか良い寺社が多いですね。

次は坂上田村麻呂所縁の田村神社へ。


所在地:滋賀県甲賀市土山町北土山469
主祭神:坂上田村麻呂公
創建:伝・弘仁3年(812)
社格:県社



【由緒】
近江国と伊勢国の国境にあり、古来には都より伊勢へと参宮する交通の要衝でした。

当社の言い伝えによると鈴鹿峠に悪鬼が出没して旅人を悩ましており、
嵯峨天皇は坂上田村麻呂公に勅命を出してこれを平定させたとあります。

それ故に交通の障害を取り除いて土地を安定させた坂上田村麻呂公の御遺徳を仰ぎ、
弘仁3年(812)の正月、 嵯峨天皇は勅令を出して、
坂上田村麻呂公をこの土山の地に祀られることとなりました。


【境内】


大型の無料駐車場から境内に入ると、
大きな森に神泉ともいうべき綺麗な池があった。


【朱橋】



【第二参道】




銅で造られている黒い鳥居です。


【狛犬】



【参道】



【拝殿】




拝殿に見えない拝殿。

本殿まで遠いし、参拝してる時は祈祷殿かと思ってた。


【御神木】



【御神馬】



【神明石鳥居】



【境内社】


田村大神の御分神が祀られているそうです。


【参道】


いよいよ本殿に近づいてまいりました。


【本殿】




平成24年の御鎮座壱千弐百年の記念事業として、
平成23年に再建されただけあって、とても綺麗でした。


【吉崎稲荷社】



【矢竹】





【田村川】


長閑な自然を眺めてると癒されます。

こんな所で暫くのんびりしたいなぁ。

はぁ、仕事に疲れてるな。(^^;


【本殿】



【鯉】



【御朱印】



かなり雰囲気のいい神社であった。

八幡神社(2015年5月30日参拝)

2015年07月05日 | 神社
大池寺の近くに神社を見つけたので行ってみよう。



所在地:滋賀県甲賀市水口町名坂1161
御祭神:応神天皇
配祀神:大己貴命
創建:元明天皇和銅六年
社格:村社


【由緒】



【鳥居】



【遥拝所】


何でこんな所にあるのだろう?




よ~く見ると池の中に鳥居があった。

あそこまで鳥居が沈んでいると、
何だか怖くなった。


【参道】



【弁天池】





【蓮】





【鳥居】



【拝殿】



【狛犬】



【本殿】





【狛犬】



【陰陽石】



【境内社】





御朱印はございません。