Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

兵主大社(2016年3月20日参拝)

2016年04月30日 | 神社
早いもので本日の参拝も終わりを迎えようとしています。

金勝寺や蜊江神社、御上神社等、
まだまだ行きたい寺社があったが、
時間的に無理なので、最後はどうしても参拝したかった兵主大社へ。

近江八幡から野洲市へ移動。

ナビを頼りに行くと神社に着いたことは着いたが、
完全に神社の反対側に誘導されてしまった。




仕方無く裏側に車を停めて、この道を歩いて神社の正面へ。



所在地:滋賀県野洲市五条566
主祭神:八千矛神
創建:養老元年(717)
社格:式内社・県社


【由緒】
景行天皇は御矛の神威を畏こまれ、穴師(大和国桜井市)の地を選ばれて、
兵主大神と仰ぎ皇子稲背入彦命に奉祭せしめられた。

さらにその後、近江国高穴穂宮に御遷都されるにあたり、
この大神を穴太の地に御遷座になった。

そこで、この穴太(大津市坂本穴太町高穴穂宮跡)を元兵主と呼んでいる。

のち欽明天皇の御代、播磨別等(兵主族の祖先)が琵琶湖上を渡り、
この地に移住するに際し、再び大神を御遷座し、
兵主大神の鎮まる土地として奉斎し、地域住民は守護神と御神徳を仰ぐに至った。

社殿の創建は養老元年、元正天皇の勅定に因ると伝え、
貞観年中、神位従三位勲八等に叙せられ頼朝社と尊崇され、
花山天皇は「正一位勲八等兵主大神宮」の勅額を賜っている。

源頼朝、足利尊氏等武将の崇敬も殊に厚く、
徳川家は社領の寄進、社殿の造営等を奉仕し、
五摂家の鷹司家代々の信仰も厚く禁中より玉串の献上があった。

大正四年、県社に列せられた。


【参道】


向こうに第一鳥居がある。
しかし歩いて行くには遠すぎて無理。(^^;


【紅梅】



【手洗御前社】



【楼門】






天文19年(1550)に建立されたもの。

この楼門が超絶かっこいい。

かっこ良すぎてしびれたわ。(^^




参道から振り返った楼門。


【乙殿社】



【拝殿】






文久2年(1862)に建立されたもの。

これがまた超絶かっこいい。

檜皮葺の屋根も渋くてこれは本当に素晴らしい。

感動ものの美しさ、かっこよさ。

個人的に今まで見た拝殿の中でナンバー1です。

これが何故重文に指定されていないのか不思議です。


【針塔】


砲弾かと思ったら針でした。

確かに下に糸を通す穴が開いてるけど、
どう見ても砲弾にしか見えない。(笑)


【祓所・神武天皇遥拝所】


手前には大きな木の根がありました。


【神輿庫】



【旧護摩堂】







【本殿】


寛永20年(1643)に建立されたもの。


【両大神宮】



【兵主大社庭園】


拝観料500円を支払い国指定の名勝庭園を見学。

5時だったがギリギリ間に合いました。







【本殿】





【椿】



【兵主大社庭園】








ここの庭園は池を中心にぐるっと一周します。

どこから見ても良い庭園です。




楼門横まで庭園が広がっており、
ここは無料ゾーンです。

有料ゾーンとは木の棒で仕切りがあり入れません。


【楼門】


最後に楼門を見てお別れ。

本日の参拝も終了です。


【御朱印】

日牟禮八幡宮(2016年3月20日参拝)

2016年04月29日 | 神仏霊場巡拝の道
次なる参拝地に急ぐ為、日牟禮八幡宮は回避の予定でしたが、
見事な楼門を見たら参拝したくなった。(^^

この神社は楼門だけではなく、
神社そのものから格の高さを感じることが出来ます。


<2012年6月23日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/b6503b3b7dc812ae493304892bae8d6d



所在地:滋賀県近江八幡市宮内町257番地
主祭神:誉田別尊、息長足姫尊、比賣神
創建:(伝)131年
社格:県社・別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【鳥居】



【楼門】




この楼門がいつ見てもカッケー。

個人的にかなり好みの楼門です。


【拝殿】


この拝殿は気品があってたまらない。

美しい。


【御神木】



【本殿】



【鏡池】





【金鳩】


これは三年半前には無かったな。

誰から奉納したんだろう。


【絵馬殿】







【御朱印】

瑞龍寺(2016年3月20日参拝)

2016年04月28日 | 仏閣
伊崎寺の次は日牟禮八幡宮の近くにある
日蓮宗唯一の門跡寺院である瑞龍寺です。

ここは八幡山ロープウェーに乗って行くことが出来ます。

以前、このロープウェーに乗って参拝しようと、
前まで行ったのですが、家族が車で待ってるとか、
疲れたとか言いだしたので泣く泣く回避した思い出が。(泣)

やっぱり参拝は正月や御祈祷以外は一人の方がいいや。(^^

今回はその時のリベンジなので楽しみや。



所在地:滋賀県近江八幡市宮内町19-9
宗派:日蓮宗
御本尊:一塔二尊四菩薩(三宝尊)
創建:文禄5年・慶長元年(1596)
開山:日秀尼
開基:後陽成天皇


【縁起】
近江八幡にある村雲瑞龍寺は通称村雲御所といい、
日蓮宗唯一の門跡寺院で尼寺。

本豊臣秀吉の姉、秀次・秀勝の母羽柴智の方は、秀勝が朝鮮で戦死し、
関白秀次が高野山で自刃した後、その菩提を弔うため出家し、
瑞龍院日秀尼と称した。
 
寺伝によると後陽成天皇が日秀に京都今出川村雲に
寺地及び寺領1000石を賜い慶長元年(1596)創建。

また徳川家光は二条城の客殿を寄せ、寺領500石を付したという。

代々、有栖川宮、伏見宮、その他皇族・華族等の女子が、
九条家に入籍した後、入寺する習わしとなっていた。

京都今出川堀川にあったのを、昭和36年(1961)秀次の居城であった
八幡城の旧址へ移転し、主な堂宇や庭園が移された。

代々皇女や公家の娘が住持し尼寺であったが、
現在は男性の上人が寺を守られております。



【八幡山ロープウェー】


無料駐車場は日牟禮八幡宮やロープフェイ近くにありますが、
土日はいつも混んでいます。


【地蔵堂】


たった4分で山頂に到着。

最初に目に入ってくるのが、
お願い地蔵尊が祀られている地蔵堂です。

道端にいらっしゃる親しみのあるお地蔵さんと違って、
とても気品のあるお姿とお顔をされていました。


【寺号標】



【山門】


さすが門跡寺院だけあって良い雰囲気です。


【風景】



【本堂】


拝観料300円を支払い堂内へ。






外から内陣を見るだけなら拝観料は不要です。






奥にある宮御殿へ。

廊下には日蓮聖人の一生が描かれた絵が飾られていました。


【瓦】



【中庭】



【宮御殿 雲の間】






京都にあった時は貴賓の間として使われており、
常陸宮両殿下の御座所となったそうだ。

うん、さすがに気品がありますわ。(^^


【人形】





【豊臣秀次公銅像】



【仏間】








厨子の中に日蓮上人像が安置されているようです。

これにて有料ゾーンの拝観終了。


【開山塔】



【瑞興殿】



【金生稲荷大明神】



【三角点】



【風景】





【北の丸址】



【龍神堂】



【西の丸址】


ここが一番開けた場所です。


【風景】




琵琶湖が見渡せる一番いいところかな。


【御首題】


上人がお留守で書置きでした。

伊崎寺(2016年3月20日参拝)

2016年04月27日 | 近江西国三十三ヶ所観音霊場
本来なら長命寺に向かうところであるが、
さすがに安土城跡でかなり体力を消耗したので今回は回避。

滋賀県の寺社を参拝すると、
必ず石段に苦しめられて回避するパターンが多いな。(泣)

という訳で長命寺を通り過ぎて、
半島の先にある伊崎寺というお寺に参拝です。

こちらは竿飛び行事が有名らしい。



所在地:滋賀県近江八幡市白王町1391 
宗派:天台宗
御本尊:不動明王
創建:不明
開基:役小角



姨倚耶山伊崎寺の創建は不詳ですが、
奈良時代に役小角が開基したのが始まりと伝えられています。

伝承によると役小角が巡錫で近くを通った際、
霊地と悟った役小角により修験場として開き、
イノシシが役行者をこの地に導いたということから、
猪先=イサキ=伊崎の名称の由来となっています。

貞観年間(859-877)相応和尚(比叡山回峰行の創始者)が、
自ら不動明王像を彫刻し安置するなど再興し、比叡山延暦寺の末寺となりました。

相応和尚は修行の際、不動明王の感得を得た葛の霊木から、3躯の不動明王像を彫刻し、
葛川明王院、比叡山無動寺、伊崎寺の三か寺に安置したとされ、
この三か寺は天台修験の三大聖地とも言われています。

古くから修行道場として知られ、荒行の一つで琵琶湖に面する
断崖絶壁の上に建立された竿飛び堂から突き出した
棹の先端から琵琶湖に飛び込む「竿飛び行事」が引き継がれています。


【参道入口】


大型の無料駐車場から徒歩で本堂を目指します。


【参道】


このような道をひたすら歩きます。

右横には海のような琵琶湖が樹木越しに見えます。


【出迎不動】




何気ない巨石ですが、
岩の上の祠には役行者が祀られているそうです。


【参道】


もっと短いと思っていただけど、この参道が長い。

平坦では無く登ったり下ったりしたので、
安土城跡の疲れがここにきて堪える。


【境内】


やっと着いたー。(^^


【山門】


下を見ると山門が見える。

こんな所にあったのか。




例によって歩き難い石段を降りる。

湖面に向かって建つ山門なんて初めて見た。

本来ならこんな場所に山門は必要無いはず。




お寺の方によると昔は船でしか渡れず、
四脚門の山門も当時の船着場から境内に至る石段に建てられたそうです。


【ロケ地】




後で知ったことだが、
あのファンタジー大河で悪名高き「江」のロケ地だったようで、
トヨエツと上野樹里が訪れていました。

あの時のトヨエツの信長はカッコ良かったよ。

むしろトヨエツ主演の信長を大河でやってほしかった、マジで。


大河ドラマ江 ロケ地ツアー2013彦根城・伊崎寺



【湖岸】




どう見ても海にしか見えない。

さすがに琵琶湖はでかいね。




向こう岸が駐車場のある場所です。

遠いでしょ。

歩いて15分ぐらいかかりました。(^^;


【本堂】


メインの本堂を参りましょう。




現在の本堂は文化15年(1813)に再建されたもの。

嬉しいことに堂内に入れます。(^^


【堂内】




御本尊の木造不動明王坐像は平安時代中期の10世紀末頃に製作されたもの。

重要文化財。


【稲荷社】



【閼伽井】



【鐘楼堂】



【地蔵尊】



【鎮守社】



【棹飛び堂】


本堂の裏手に棹飛びの舞台があります。




役行者が行場を開いた際、巨岩を不動明王であると感得し、
その岩をご本尊(不動明王)として棹飛び堂を建立。

正式には護摩堂です。


【棹飛び】




この棹の先から琵琶湖に身を投げるのを「捨身の行」といい、
はっきり分かっているだけども16世紀から行われている行事です。



(画像はネットで拾ったもの)

このように百日回峰行を満行した行者のみが、
行う事が出来る荒行です。

毎年8月1日に行われているので、
日程があえば見てみたいです。


【庫裏】



【御朱印】

活津彦根神社(2016年3月20日参拝)

2016年04月27日 | 神社
ヘトヘトに疲れた安土城を後にして、
疲れた身体を癒すべく茅葺屋根の拝殿が凄い近くの新宮神社へ向かう。

こちらは2012年7月に参拝して以来となります。


http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/dbe4548691be25c3a533598c65a33d5c


急に思い立って神社に向かったもんだから、
思いっきり間違えて活津彦根神社に着いてしまった。

うーむ、こちらも久しぶりだし、
これも何かの御縁ということで参拝です。


<2012年6月8日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/efd0d6a575a5ec2af3790bc4be1fabe3


所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦4272
主祭神:活津彦根命
創建:不明
社格:村社


【由緒】
社伝によると豊浦庄の産土神の意を以て竜神大明神と称す。

社宝として永禄7年2月23日飯道寺善光坊法印行慎佐々木豊浦村
山王大権現正神大明神の墨書の銘ある十一面観音像を蔵す。

慶長15年8月杉田九郎兵衛の寄進の金燈寵銘文にも正神大明神と記されている。

正徳3年6月に吉田家より正一位の宗源宣旨を受け、
その宣旨には正一位活津彦根大明神と記されている。


【鳥居】



【狛犬】



【拝殿】




村社クラスとしては破格の拝殿です。

境内はとても静かな佇まいですね。


【本殿】



【中門】



【蔵】



【蛭子神社】





約4年前と同じく無人で御朱印の有無は不明です。

安土城跡~見寺 其の二(2016年3月20日参拝)

2016年04月26日 | 仏閣
【本丸御殿跡】


ここに当時の天皇を招き入れる「御幸の間」があったと、
信長公記に記載されていて、御所の清涼殿に酷似していた構造であったとか。


この先を進めば天主跡に到着です。

上に天主があるということは天皇ですら下に見ていたということですね。

いかにも信長らしい。

でも、信長って延暦寺を焼き払ったり、
朝廷に刃向ったりしたイメージがありますが、
意外と朝廷や朝廷所縁の寺社に対して、
篤く敬意を払っていた事実があるんですけどね。


【石垣】



【天主閣址】








こんな所に天主があったのか。

はぁ、しんど。(^^;

下からここまで来る家来は大変や。
昔の人はタフだったのかな。


【風景】





【信長公本廟】



【織田信雄公四代供養塔】







【石段】


歩き難い石段を下る。

上が天主方向です。








また登りです。

この先にお目当ての三重塔があります。


【三重塔】


お~見えてきました。

しかし全体を見せないとは、じらしますね~。






古色になった三重塔の渋さが醸し出されてますね。

重要文化財。

天文24年(1555)建立。

滋賀県湖南市にある長寿寺から移築されたもので、
長寿寺に参拝した時、お寺のおばちゃんが、
未だに信長に持っていかれたことを嘆いていたのを思い出したよ。






この狭い土地だと小ぶりな長寿寺の三重塔が選ばれたのが分かります。

かなり大きい近くの常楽寺の三重塔では移築出来ないものな。

長寿寺は不運。(涙)


【本堂跡】



【風景】



【石段】


ここから下りに入ります。

しかしこの石段は登りより下りの方がしんどい。

石の大きさと高さがそれぞれ違うから、
降り難いったらありゃしない。

杖があったからまだマシだったけど、
足と腰に相当負担がかかりますからご注意。




二王門が見えてきまいた。


【二王門】






降り難い石段をゆっくり歩むと重文の二王門に到着。




石段の大きさや高さ、形がバラバラなのが分かると思う。






元亀2年(1571)建立の重要文化財。

これはとても豪壮で堂々たる見事な二王門です。

歩き疲れたけど良いものを見せていただいた。
苦労して見に来た甲斐があるというものです。


【金剛力士像】


応仁元年(1467)像立の重要文化財。


【石塔】


石段を降りて拝観終了。

疲れはしましたが、三重塔、二王門を見れて本当に良かった。


【御朱印】


書置きでした。

安土城跡~見寺 其の一(2016年3月20日参拝)

2016年04月25日 | 仏閣
三年前以上にも安土城跡に訪れたことがあるのですが、
その時は観音正寺や長命寺、桑実寺と名だたる石段の多い寺社を、
巡った後だけあってとても疲れ切っていて、
大手道を見ただけでギブアップしました。(^^;

あの時、無理して行かなくて良かったと、
今回訪れて心からそう思いました。(笑)


いつの間には専用の無料駐車場が出来ていた。

とても有難い。(^^



所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6367
宗派:臨済宗妙心寺派
創建:天正年間(1573-1591)
開基:織田信長
開山:伝・剛可正仲
札所:江州三十三観音


【縁起】
天正年間に安土城築城に伴って、織田信長によって城郭内に建立。

開山は織田一族の岩倉城主主織田信安の三男で、
禅僧の剛可正仲とされているが、
実際の創建時の住職は尭照であったようである。

織田家の菩提寺として代々織田家ゆかりの者が住持となる。

元亀2年(1571)仁王門が建てられ、ついで天正年間(1573‐92)
享徳3年(1454)甲賀郡より三重塔が移築された。

安政元年(1854)11月16日、本堂など主要な建物のほとんどを焼失。

明治維新後、寺領の喪失などにより衰退。

その後、昭和7年仮本堂が大手門近くの徳川家康邸跡に建てられ現在に至る。


【受付】


安土城跡だけだと拝観料700円、
見寺参拝の場合は別途500円必要です。

合計1200円はちょっと高いと思った。(^^;


【大手道】


やっぱりしんどいわ。(^^;


【羽柴秀吉邸跡】


ここは後回しにして見寺を先に参拝します。


【鐘楼堂】



【参道】


見寺がある場所は徳川家康邸跡に建てられたらしい。

ま、実際のところ確定ではないようですが。


【仮本堂・庫裏】


早速拝観開始。


【掛け軸】


織田信長公像が別にありましたが、
こちらは撮影禁止でした。


【襖絵】



【庭園】





【茶室】




奥にもう一部屋ありました。

他に見知らぬ人がいると入りずらい。(^^;






庭園を眺めながら一服。

美味かったです。(^^


【金箔瓦・古文書】




これにて本堂拝観終了。

さて、目的の三重塔と仁王門を見に急ぐとしよう。


【大手道】


はぁ、しんど。(^^;




ここが天主、本丸跡かと思ったら、
右に行けという案内の石碑でした。

まぎらわしいねん。(苦笑)


【見寺】



【石仏】




神や仏などいないと豪語した信長らしいですね。

信長は現代人には英雄のようにみている人達が多いですが、
このような蛮行を行う人間は英雄ではない。


【大手道】


ハァハァ・・・しまくり。

運動不足の身にはつらい。(泣)


【織田信忠邸跡】



【織田信澄邸跡・森蘭丸邸跡】



【石垣】



【佛足石】





【信長公本廟】


ようやく本廟に到着。






思ってた以上に殺風景です。(笑)

ここは二ノ丸跡らしい。




本廟前の門。

お墓らしい雰囲気です。




羽柴秀吉が三法師に年賀を表するべく登城し、
太刀、烏帽子、直垂等の遺品を埋葬して本廟としたそうです。


本廟そのものは石を組んだだけという簡素な造りになっています。

中の雰囲気はあんまり良く無いね。

昼だからいいものの、
夜中だったら何か出てきそうなヤバい雰囲気です。(^^;

とりあえず、変なモノが憑かないように祈りながら、
本廟と早々と立ち去りました。


長くなりましたので続きはまた明日。

観音正寺(2016年3月20日参拝)

2016年04月24日 | 西国三十三ヶ所霊場
本日のメインの一つである安土城跡に行く前に、
近くの観音正寺へ。

ここも久しぶりの参拝で約3年9か月振りとなります。

前回参拝した時は約440段もの石段を登って大変だったよ。(遠い目)



<2012年6月8日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/cc7d3f2c14a23445113cc2aa58e0daff




所在地:滋賀県近江八幡市安土町石寺2
宗派:天台宗系単立
御本尊:千手観音
創建:伝・推古天皇13年(605)
開基:伝・聖徳太子
札所:西国三十三箇所観音霊場



【参道】


ゲートで通行料500円を支払い林道を走る。

めっちゃ細い道で神経を使う。
これが一方通行じゃないからつらい。

対向車よ、絶対来ないでと祈りながら何とか到着。

着いてみるとタクシーがいっぱい。

うわ~、これは団体さんがいるなと覚悟した。




あれ~、おかしいなぁ。

前回はめっちゃ石段を登ったのに、平坦の林道や。

寺を間違えたか?(^^;


【格言】


所々このような言葉が書かれた看板が。

全くもってごもっとも。


【境内社】


危険な石段なので近くには寄れませんでした。

また、林道の途中で佐々木城跡三角点まで800mの看板を見つけたけど、
ここは鬱蒼としていて危険を感じたので行ってません。

よっぽどのマニアしか行けないよ。(苦笑)


【地蔵尊】


後ろに「ねずみ岩」の看板があったが、
どれがその岩か全く分からなかった。(泣)


【鐘楼堂】


到着。

あれ~やっぱり石段無かった。

後で調べてみたら今日通った林道は裏参道で、
石段があるのが表参道でした。

マジか~!
知らんかったわ。(^^;

それで表と裏のルートでどっちが楽かというと、
細い林道を車で走りますが、裏参道の方が断然楽ですね。

やっぱり平坦な道だからね。


【仁王像】


仁王門造って欲しいけど、
新しい本堂と御本尊の建立でそこまでの余裕は無いわな。


【地蔵尊】



【弁財天】



【聖徳太子像】



【梅】



【北向地蔵尊】


藁葺屋根がたまらない。


【風景】



【庫裏】





【濡佛】



【白蛇大明神】





【護摩堂】


前回参拝時はここで御朱印をいただいたが、
今日はここじゃないみたい。


【本堂】


1993年に前代未聞の火災にて本堂焼失し、
2004年に再建されたもの。


本堂に行くと物凄い数の団体客が。

うわ~これは最悪。

狭い堂内は一杯でまともに参拝出来ないし、
御朱印の列もめっちゃ並んでいる。

何組もの団体さんがいるとはタイミングが悪い。(^^;


しかも、御朱印の列の進みが遅い。
見てみると書き手が一人しかいない。

なんでこんな団体さんがいる時に一人しかおらんのや。(苦笑)

しかも私の前には41個もの御朱印帳を持っている
ツアーの添乗員がいるではないか。(泣)

しかも軸やおいずるもある。(号泣)

さすがに書き手さんも書置きにしてくれませんかと、言っていたが、
添乗員さんはそんな意見も聞き入れず。

うわ~、これはマジで最悪。

かなり待たされることを覚悟したが、
その時になってようやくもう一人の書き手が登場。

遅いねん。

もっと早く出てこんかいと、皆が思っていたに違いない。


何とか御朱印をいただけたが、
私の後ろにいたカップルの女性が添乗員にクレームを言いだした。(^^;

41人分も一人で御朱印をいただくのは非常識じゃないですかとか、
いろいろ言ってました。(^^;

その気持ちは痛いほど分かる。

だけど西国やお遍路では団体ツアーというものがあってだな、
添乗員さんが代行で御朱印をいただくというのがあるのよね。

カップルがそれを知らなかったと思われる。

ここで悪いのは添乗員というより、
団体さんがいっぱいいるのに書き手が一人しかいなかったこと。

昼飯にいってたか知らないけど、
一人では対応は出来んよ。

心の中で御住職でも呼んで書いてくれよと思ってた。(^^;


【石庭】



【地蔵尊】



【魚濫観音】



【御朱印】


混乱と苦労の末にいただいたもの。

教林坊(2016年3月20日参拝)

2016年04月23日 | 仏閣
太郎坊から少し移動して観音正寺近くに移動し、
教林坊という庭園が売りのお寺に到着。

ここは3年ほど前に訪れたことがあるのですが、
紅葉の時期以外の平日は拝観していなくて、
閉まっていたという苦い過去がございます。(^^;

ようやくその時のリベンジを果たす時がやってきた。(大袈裟)

無料駐車場がありましたが、
若干狭い道を通りますのでご注意を。



所在地:滋賀県近江八幡市安土町石寺1145
宗派:天台宗
御本尊:赤川観音
創建:推古13年(605)
開基:聖徳太子


【縁起】


聖徳太子によって創建されたと伝わり、林に囲まれた地で、
教を説かれたことから教林坊と名づけられました。

御本尊の観音さまは同じく聖徳太子作で、赤川観音と呼ばれ、
困難な願いも二度参れば叶う再度参りの観音と信仰を集めてきました。
 
また境内に広がる庭園は小堀遠州作と伝わり、
苔むした巨石が連なる豪快な桃山時代の名勝庭園は、
茅葺きの書院とあわせて、侘びさびの隠れ里の風情を醸し出しています。


【総門】




キター!

私の大好きな茅葺屋根がたまりません。(^^

この渋さにしびれるね~。

まだ寒い時期だから周りの木々も寂しいですが、
これはこれでワビサビを感じていい。

勿論、緑葉や紅葉の時期は最高であろう。


【参道】




平成7年頃まで現御住職が来られるまで、
このお寺が廃寺寸前だったとは信じられないほどに、
手入れされていました。


【表門】


これもまたいいですね~。

周りの環境の雰囲気にぴったしなんですよね。


【書院】


お寺というより田舎の農家の家という感じ。

これはこれで素朴な感じがしていい。(^^

こちらで拝観料を支払い庭園へ。


【経蔵】





【遠州庭園】




寒い時期で木々の緑は寂しいが、
苔の緑がそれを補って余るほど。

とても良い雰囲気です。


向かって左が書院、奥に見えるのが本堂です。


【石仏】


左の方は胸があって女性のように感じます。


【止観石】



【本堂】






建物の作りは本堂のようなお寺様式ではなく、
京都にある別荘のような感じですね。

嬉しいことに堂内に入れるようなんで、
早速入ることにした。


【内陣】








仏様は小さいのがいらっしゃるかと思っていたが、
なかなか充実していました。(^^






他にも珍しい身代わり文殊様や石などが安置されていました。


【赤川観音】




聖徳太子が訪れた時、霊窟から観音様が出現され、
一刀三礼してお姿を石に写されたものとか。

信じるか信じないかは貴方次第。(笑)


【遠州庭園】






見事な庭園です。

我が家にもこんな庭がほしい。(笑)


【書院】


上が茅葺、下が瓦の珍しいタイプの屋根ですね。

書院の方へ庭を楽しみながら進む。


【本堂】


振り返ると本堂はこんな感じ。


【水琴窟】



【書院】


書院に戻って中を拝観します。

書院には聖徳太子や如来様が祀られていました。








書院からも当然ながら庭園を楽しめます。




なんと!
嬉しいことに上に行けるではないか。




狭い二階部分は壺や書籍等が置かれていました。




壁や天井にはおみくじがびっしりと。







【御朱印】


御住職が四天王寺に行かれているということで、
書置きをいただきました。


【感想】
それにしても荒れ寺同然だった状態から、
御住職一人でコツコツとここまで見事に整備されましたね。

その御住職のひたむきな努力を見るにつけ、
近所の方々も心を打たれ、寺の再建に手助けされたそうだ。

その姿勢、努力に頭が下がる思いです。


庭園を楽しむには一番良くない時期に訪れたにも関わらず、
ここの庭園は本当に素晴らしかったです。

また違う季節に訪れたいですね。

成願寺(2016年3月20日参拝)

2016年04月23日 | 仏閣
太郎坊に行く前に見つけていたお寺が成願寺というお寺。

一瞬スルーしようかなと思ったが、
後で後悔するのが嫌だったので寄ってみた。


所在地:滋賀県東近江市小脇町828-1
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:延暦18年(799)
開基:伝教大師


【縁起】
宗祖伝教大師最澄の開基と伝えられている。
最澄が東方に瑞雲たなびく霊場を感得し、その地に赴くと、
岩石屹立する急勾配な山の上に太郎坊大権現が現れ、
ここに一宇を建立して衆生済度の道場とするよう告げたので、
この地に堂宇を建立、薬師如来を本尊とし太郎坊大権現を奥の院に祀ったという。

太郎坊大権現は役の行者の眷属四十八天狗の随一で、勝軍地蔵を本地とし、
一切の災厄を滅除して衆生を済度し給うという。  

その後、佐々木氏の帰依によって盛時は60余坊を有したが、
天正年間(1573-1592)に織田信長の兵火にかかり、
現在では行満坊と石垣坊のわずか2坊を残すのみである。

寛永17年(1640)に行承法印が弟子の祐盛と共に、
本堂と鐘楼を建立し成願寺を再興した。
 
宝暦3年(1753)、奥の院に祀っていた太郎坊大権現を現在の本堂に遷し、
本尊薬師如来の左側に秘仏として安置している。


【境内】


手前に車を停めれるスペースがあります。


【観音像】



【石仏】





【宝篋印塔・五輪塔】



【鐘楼堂】



【本堂】




開いてはいませんでしたが、堂内を見ることは出来ました。

御本尊は厨子に安置され、
その他に四天王や閻魔王が祀られているようでした。


本堂で御朱印をいただけるのですが、
不在の場合は下にある方に電話してくださいと、
貼り紙がありました。


【鳥居】


本堂横に太郎坊に行く数百段の階段がありました。

登らんかったけどね。(^^;


【駐車場】


車で下に降りてみると駐車場の看板発見。

ここから本殿まで742段だと?

これは泣きそうになる段数ですね。

滋賀県の寺社はこんなん多過ぎてつらい。(^^;


【石段】


上に登ると本堂があります。


【鎮守社】




石段の途中に鎮座してました。


【御朱印】


下の庫裏でいただけました。

瓦屋禅寺(2016年3月20日参拝)

2016年04月22日 | 近江西国三十三ヶ所観音霊場
太郎坊の駐車場前にある鳥居の所で、二つに道が分かれていたので、
神職さんに聞いたら左の道を進むとお寺があるとのこと。

どんなお寺か何故か興味がわいたので行ってみた。

それが大正解でした。



所在地:滋賀県東近江市建部瓦屋寺町436
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:千手観世音菩薩
創建:不明
開基:聖徳太子
札所:近江西国三十三ヶ所観音霊場


【縁起】


寺伝によると聖徳太子が四天王寺建立に際し、
山麓の土を採って瓦十万八千枚を焼かせてその用に供した後、
この地に一寺を建立して瓦屋寺と号されたのが始まりと伝えます。

四天王寺の瓦はともかくとして当山麓で早くから焼かれていたことは事実。
旧表参道の段階登り口付近では瓦窯の跡も発見されている。

おそらくは箕作山麓にて瓦製造に携わっていた百済から
渡米した人々の菩提寺が始まりであったと考えられます。

戦国時代に焼失し仙台伊達藩の香山祖桂和尚により
中興され臨済宗寺院となり今に至っています。



【宝篋印塔】


快適な山道を少し進むとお寺に到着。
太郎坊から車で数分の距離にあります。

山門は無く鉄のゲートがありました。


【境内】


無料駐車場がありました。


【撫で撫で一休さん】



【十三重搭】



【宝篋印塔】



【境内】


意外と平地で広いお寺です。


【不動明王】





【石段】


旧表参道らしい。

しかしどう見てもヤバそうな感じ。

他の方のブログでは2000段あるそうです。(^^;

行かなくて正解。(笑)


【閻魔堂】





【稲荷社】



【般若岩】



【境内】


あれが本堂でしょうか。




お~、これはゴマラー好みの茅葺屋根ではないか。(^^

予定外のお寺だったので余計に嬉しい。


【石像】




粗末な社にまるで監獄に入れられたような石像が。

詳細はよく分かりませんでした。


【本堂】




これは渋い、しかしかなり傷んでいる。

太郎坊の繁栄ぶりの反面、
こちらのお寺は苦しそうですね。

御本尊は厨子に安置されている秘仏で、
33年毎の御開帳だそうです。


【地蔵堂】




こちらも古いお堂ですが、
補修修理されているようです。


【鎮守社】



【鐘楼堂】


鐘楼堂も何だか倒れそうです。


【御堂】



【経堂】


上にも何かお堂があるようです。





【本堂】


御朱印をいただきに庫裏へ。


【庫裏】


これがね~、びっくりするぐらい立派なんですよ。

そのお金を本堂にまわしてくださいよ。(^^;

茅葺屋根はお金がかかるのは承知していますが、
もう残された時間は余り無いと思うから余計にそう思う。


【布袋さん】



【石段】


上にチラッと観音様がいらっしゃるようです。


【慈母大観音像】



【風景】



【御朱印】


山にあるいかにも古刹といった感じであるが、
本堂の屋根を早く葺き替えしてほしいな。

太郎坊宮<阿賀神社>其の二(2016年2月27日参拝)

2016年04月21日 | 神社


石段を登って本殿にようやく到着。

ここが一番上みたいやね。


しかし滋賀県の神社仏閣は石段がキツイのが多くて、
運動不足の身にはつらい。

というか足腰の弱いお年寄りに優しくない。(^^;


【本殿】


御祭神の正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊はどなた?って思ったら、
瓊瓊杵尊の御父神で、天照皇大神の第一皇子にあたる神様なんですね。




急な山の真ん中にあるせいか、
本殿は思ってたより小さいですね。

それにいくら鳥居とかで神社らしくしていても、
お寺の雰囲気を神社全体から感じる。

やはり修験道の影響が色濃く残ってますね。


【夫婦岩】




これを見に来たと言っても過言ではありません。

いいですね~。
見事な巨石がたまらない。

それと同時に畏怖の念を感じた。

興味が無い人にはただ大きな岩と岩の間に通り道がある、
という風にしか感じないかも知れませんけど。


【境内社】







【愛宕社】





【境内社】



【拝殿】




山にあるだけあって、拝殿の上に本殿がある配置。


【永楽殿】



【長楽殿】





【鳥居】




こちらが表参道の石段になります。


【十二支像】




参集殿の下にありました。

こういう安っぽいのは神社自体も安っぽく感じるので、
個人的にはやめた方がいいと思います。


【石段】


参集殿で御朱印をいただいて駐車場へ。

これにて太郎坊の参拝終了。

やっぱり神社というよりお寺を参拝した感じです。


【御朱印】


祈祷殿にも御守とか売ってますが、
御朱印は参集殿で授与となります。


青色紙の限定御朱印も売店の方に言えばいただけるようですが、
限定御朱印に飽きてきたので華麗にスルーしました。


【御朱印帳】


御朱印代別で1500円でした。

お目当ての御朱印帳が買えて良かった。(^^

太郎坊宮<阿賀神社>其の一(2016年2月27日参拝)

2016年04月20日 | 神社
今日は久しぶりに滋賀県の寺社を巡ります。

冬の間は滋賀県には行かないようにしてる。

何故なら雪道が怖いから。(^^;


個人的に滋賀県って冬の間はどこも雪が積もってる、
というイメージがあるんですよね。(^^;

あ、滋賀はそんな雪国じゃねーよ、
というクレームは無しで。(笑)

今回の滋賀県の一発目の参拝は太郎坊宮という神社です。

今まで存在すら知らなかったのですが、
木製の御朱印帳が発売されたとネットで情報を入手。

調べてみるとゴマラー好みの神社と判明したので、
もう雪は大丈夫だろうと判断して自宅を出発。




所在地:滋賀県東近江市小脇町2247
主祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳命
創建:不明
社格:村社、別表神社


【由緒】
神道に天台山岳仏教と修験道の信仰が相交わり、
特殊な信仰形態のもとに、今日の太郎坊信仰が確立された。

当社は八日市市が一望出来る赤神山の中復にあり、全山巨岩が多く、
神体山信仰、盤境信仰の発祥の地であるといわれている。

山上には奥津磐境、山麓には辺津磐座と祭祀場がある。
この辺は昔蒲生野と伝えられ、社伝には欽明天皇の御代聖徳太子が、
又伝教大師が参籠され、広大なご神徳に感銘され、
五十余社の社坊を建立して廟社を守護させられた。

源頼朝上洛の時、佐々木定綱と共に当社に幣帛を献じた。

佐々木氏と織田氏の戦により五十余の社坊は殆んど焼失し、
現在成願寺と行万坊、石垣坊の一寺二坊だけが残存している。

明治9年村社に列せられ、同42年神饌幣帛料供進指定となり、
昭和36年別表神社となる。


【遠景】


あの独特の雰囲気を漂わせる赤神山の中腹に建物が見えますが、
そこが太郎坊宮こと阿賀神社です。

期待は高まる。


【遥拝所】




この辺りにも駐車場がありました。


【鳥居】


神社の本殿はまだまだ遠い。

この神社の影響力はこの付近ではかなり強いと感じた。




この鳥居の奥に車で一番上の無料駐車場があります。

下の方にも無料駐車場がありましたが、
かなりの石段を登るハメになりますので御注意を。(^^;


【参集殿】


こういう雰囲気の建物は新興宗教の臭いが、
プンプンして身構えるというか、嫌なんよねぇ。(--


【祈祷殿】





【願かけ天狗】


何だか怪しい。(^^;


【鳥居】



【石段】


この上には参集殿や本殿があり、
表参道となっています。

天邪鬼な私は表ではなく裏参道から進みます。


【絵馬殿】



【御霊水】


この天狗は可愛い。


【不動明王】







【七福神】







【一願成就社】







【玉石社】





【願かけ石塚】



【夢神社】



【お百度道】



【天狗像】



【役行者像】



【紫微社】



【風景】



【弁財天】






弁財天の下には鎮魂窟となっていました。


【石段】



【七福神】





【地主神社】





【本殿】


本殿が見えてきました。

裏参道も終わりのようです。

長くなりましたので続きはまた明日。

藤白神社(2016年2月27日参拝)

2016年04月19日 | 神仏霊場巡拝の道
福勝寺から更に山道を進んで行くと、
大きな地蔵尊があるという地蔵峰寺というお寺がありますが、
峠の細い道を進まなくてはならない。

今日は先週の風邪の影響で体調がイマイチ。

酷道は精神的に相当気を使って疲れるし、
気力も無いので回避。

結局、本日のラストの参拝は前回の和歌山遠征で見逃した藤白神社。

この神社には熊野三所権現本地仏が安置されているという。

神社に参拝するというより、
本地仏に参拝の意味合いが強いです。



所在地:和歌山県海南市藤白466
主祭神:饒速日命
本地仏:阿弥陀如来、薬師如来、千手観音菩薩、十一面観音菩薩
創建:不明
社格:県社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】
聖武天皇が玉津島行幸に際し、当社に僧行基を詣らせ、
熊野三山に皇子誕生を祈らせたところ、高野皇女ご誕生、
よって御母光明皇后は神域を広め、整え、熊野三山の御祭神を勧請し、
ここを末代皇妃夫人の熊野遙拝所と定められたことから、
子授け、安産、子育ての守護神として崇められるようになった

熊野信仰が高まる中で、この地に大鳥居を建て、
熊野一の鳥居として熊野九十九王子中、最も格式の高い五躰王子の一つとなり、
熊野聖域の入口、門として、祓戸王子を鳥居の近くに設けた。

歴代上皇法皇の熊野御幸は延べ百回に及び、
当社に必ず宿泊され特別な催事が行われた。

藤白王子権現本堂には熊野本地仏が祀られています。
子授け・安産・健康・長寿の神様として、今も厚い信仰を集めています。


【鳥居】


無料駐車場側の鳥居から入ります。


【子守楠神社】




まず目に入ってくるのが大楠です。

熊野の神である熊野杼樟日命が大楠に籠るとして、
子供の神として信仰されているそうです。


【境内社】


祇園神社・塩釜神社・秋葉神社・住吉神社


【大楠】


もう一本大きな楠木がありました。






こっちは楠の中に入れます。


【聖皇三代重石】







【鳥居】




一旦境内を出て本来最初に通るべき鳥居をくぐる。


【狛犬】



【御歌塚】





【芭蕉翁藤塚】





【手水舎】



【社務所】


片側は社務所、反対側は展示スペースになってました。


【拝殿】


パンパンとお参り。


【藤白王子権現本堂】


こちらにメインの仏様達が祀られています。


【熊野三所権現本地仏】




うお!
これほどとは驚きました。

私の大好きな不動明王と毘沙門天もいらっしゃる。

そこら辺にあるそこそこのお寺でも、
充分立派に御本尊になりえる仏様ばかり。

素晴らしい。

よく廃仏毀釈を免れて現代まで残っていてくれたもんです。


【有間皇子神社】



【恵比寿神社】



【巳神社】



【円座石】





【御朱印】


鈴木姓については割愛。


【ポルトヨーロッパ】


マグロが食いたくて黒潮市場へ。






イルカなんているとは知らなかったよ。
見れてラッキー。


黒潮市場で買った中トロ尽くしは美味かった。(^^


これにて和歌山遠征終了。

体調がイマイチであったが楽しかった。(^^

福勝寺(2016年2月27日参拝)

2016年04月18日 | 仏閣
大満足の善福院を後にし、
次なる寺社は裏見の滝が見れる福勝寺へ。

ここも山間部にあるお寺で、道中は狭い道が予想されます。

対向車が来ないことを祈ろう。(^^;



所在地:和歌山県海南市下津町橋本1065
宗派:高野山真言宗
御本尊:千手千眼観世音菩薩
創建:不明
開基:空海 


【縁起】
福勝寺は弘法大師空海が開基とされます。

御本尊の千手千眼観世音菩薩は唐へ渡る直前の弘法大師が、
旅立の観音厄除の観音雷除の観音と3つの御請願を立て、
安置されたと寺伝に記されています。

江戸時代には紀州徳川家の初代藩主徳川頼宣公からも厚く信仰を受け、
求聞寺堂という紀州藩主の祈祷所が建立され、
その後は紀州藩主縁の厄除けの名所として現在に至ります。


【宝篋印塔】


予想通り地元民しか通らない狭い道を走って到着。
距離が短くて助かった。

無料駐車場があります。


【石段】


地味にしんどい。(^^;


【地蔵尊】



【名号堂】




蓮如上人が熊野詣の際に立ち寄られた縁により、
建てられたものだそうです。

危険ということで近寄ることが出来ませんでした。


【石段】


まだ石段を登ります。(^^;

城のような雰囲気ですね。

ここまで車で来れます。


【鐘楼堂】


江戸初期に建立されたもので、
見た目はかなり年季が入った感じです。

修復がいるだろうね。


【本堂・求聞持堂】



【風景】


とてつもない田舎ではなく、
ほどよく人は住んでいます。(笑)


【本堂】




重要文化財。

現在の本堂は永正12年(1514)に建立されたもので、
福勝寺の建物は60~100年毎に紀州藩や地元住民によって、
修復を繰り返して管理維持してきたそうです。

紀州藩が関わっていたり、京都の聖護院や三宝院の門跡が、
休憩されていたり宿泊されていたとか、
昔は凄かった系のようですね。


【内陣】


御本尊は秘仏のようで御前立がいらっしゃいました。


【びんずるさん】



【求聞持堂】


重要文化財。

紀州初代藩主徳川頼宣が慶安3年(1650)に建立したもの。


【内陣】


恐らく西国の観音さんが祭られていました。




中央の間は求聞持法の祈祷用の部屋とか。




右端の間は厨子が安置されていました。


【裏見の滝】








岩がゴツゴツしていてカッコいい。

水量はそんなに多くありません。


【鎮守社】



【石仏】





【不動明王】




弘法大師作だとか。

信じる者は救われる?(笑)


【裏見の滝】




裏側から初めて滝を見たと思う。

もっと有名な裏から見れる滝があるけど、
和歌山にもあったんですね。




写真より実際に見た方が岩とか迫力があります。


【本堂】


これにて参拝終了。

御朱印は恐らく無いと思われます。