Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

大須観音<真福寺宝生院>(2015年3月29日参拝)

2015年04月30日 | 東海三十六不動尊
二週間前にエロな、いやもとい、
面白い寺社を堪能した愛知県再び。

今回は真面目な参拝となります。(笑)

本日のメインが「ひつまぶし」なのは、
ここだけの話。


まずは名古屋市内の大須観音へ。

名古屋駅から伏見駅経由で一駅の大須観音駅から近い。
これは有難い。



<2013年7月11日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/fe824d59b1ba2a45e68795bfbb0fae13



所在地:愛知県名古屋市中区大須2-21-47
宗派:真言宗智山派
御本尊:聖観音
創建:元弘3年(1333)
開基:能信
札所:東海三十六不動尊、尾張三十三観音


【仁王門】



【仁王像】



【本堂】



【翼楼】



【大提灯】



【内陣】



【御朱印】

冥應寺(2015年3月28日参拝)

2015年04月29日 | 仏閣


本日のメインである冥應寺に到着。

新興宗教はどうしても参拝するのが躊躇われるが、
ここは普通に参拝出来ます。



所在地:大阪府茨木市西穂積町7-41
宗派:辯天宗
御本尊:大弁辯天女尊
創建:昭和30年(1955)


【沿革】
茨木弁天として親しまれているここ桔梗丘の冥應寺は、
辯天宗第二の霊場です。

当地は北摂の地を治めた千眼寺の国分寺の跡地で、
千古の歴史を秘めています。

宗祖智辯尊女が大辯才天女尊の神示によって開創され、
当宗大阪本部が置かれており、関西一円はもちろん、
広く全国の信者の信仰の中心道場となっている。

本殿は福徳開運の神として知られる大辯才天女尊が奉祀されている。



【水子供養塔】






無料駐車場に車を停めて、
嫌でも目に入ってくる水子供養塔を見に行くことにした。

水子関係は基本的にスルーしていますが、
ここのは華麗にスルーは出来ません。


何と言う斬新なデザイン。
PLのアレと比べると普通にカッコいい。

高さは73メートルあるそうです。


【礼拝堂】


金色の慈母辯才天女尊像が祀られていました。

地下は水子が祀られている聖堂がありましたが、
そこはさすがに遠慮させていただいた。

さて、本堂へ向かおう。


【桜】




ここは沢山の桜が植えられています。


【本堂】




いよいよ潜入です。




本堂はいかにも新興宗教臭が感じられますね。

噴水には智辯尊女像がありました。


【堂内】




信者の皆さんは熱心に参拝していました。




左側は祖霊殿です。




右側は護摩殿となります。


【桜】


1本だけ綺麗に桜が咲いていた。








やっぱり桜はいいなぁ。


【御朱印】


書置きのみでした。


【感想】
水子供養塔は圧巻でした。

しかし、萬国戦争受難者慰霊塔を見逃していたのは痛恨のミス。

これを見逃したのは痛い。
半分しか参拝していないのと同じです。

また訪れなければ。(^^;

大門寺金剛院(2015年3月28日参拝)

2015年04月28日 | 摂津国八十八箇所霊場
今日は大阪の冥応寺を訪れる為に茨木市へ。

その前にルート的に先に大門寺を参拝します。

大門寺は紅葉の時期はとても美しくて、
以前から紅葉を見に訪れようと思っていたけど、
やっと季節外れに参拝となった。



無料駐車場前は大規模な工事をやっていた。
この辺りを新名神高速道路が走るようです。

新名神高速道路が出来たら宝塚の大渋滞も緩和されるかな。



所在地:大阪府茨木市大門寺97
宗派:真言宗御室派
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建:(伝)宝亀2年(771)
開基:(伝)開成皇子
札所:摂津国八十八箇所霊場、摂津国三十三箇所


【縁起】
神峯山大門寺は真言宗御室派の寺院である。
弘法大師空海はこの地に来て金剛・蔵王の二像を刻み当寺の守護神とした。

御本尊の聖如意輪観世音菩薩、並びに四天王像は平安末期の仏像であり、
国の重要文化財に指定されている。

豊臣秀次の重臣であった木村常陸介重茲は、
主君が高野山で自害された後を追い大門寺で切腹した。
その時の血染めの経帷子・刀・槍が保存され、墓が残されている。

また今西行として活躍した歌人似雲法師は、
しばしばここに逗留して歌を詠み、如意輪講式などの書写をしている。



【参道】


なかなか趣のある参道です。


【山門】




いかにも古刹と思わせる良い山門です。


【境内】




大本山の豪華な社殿もいいけど、
山寺特有の雰囲気がいいんですよ。


【本堂】


重文の御本尊と四天王像が祀られているそうですが、
残念ながら見ることが出来ませんでした。


【弁天堂】



【桜】



【十二社権現】






解体されていた。
また元通りに再建されるんだろうか。


【境内】



【巨石】


境内には幾つものテーブル状と石臼型の石があった。


【庫裏】



【御朱印】


二種類の内、一種類をいただきました。


今日訪れてみて感じたのは、
改めて紅葉の時期に訪れたくなりました。

南禅寺・御朱印帳

2015年04月27日 | 御朱印帳
南禅寺の御朱印帳です。





サイズ:18センチx12センチ
値段:1700円(御朱印代込)


【感想】
狩野探幽の筆による「群虎図」が余りにも素晴らしい。
これは買っちゃうよね。

紙質はなかなか良い。
普通に墨書きしてくれれば問題ないが、
水分が多いと少しよれますね。

しかし、それは許容範囲で問題無いと思います。

慈照院・御朱印帳

2015年04月27日 | 御朱印帳


サイズ:18センチx12センチ
値段:1300円(御朱印代込)


2013年 京の冬の旅で19年ぶりの公開となった、
相国寺塔頭慈照院の御朱印帳です。

地味なんで買う予定は無かったが、
購買特典としての御朱印があったから買いました。


【感想】
可も無く不可も無くといった感じ。

少しよれ易いかな。

真清田神社(2015年3月15日参拝)

2015年04月26日 | 一宮
本日はおっぱい観音で満腹となりましたが、
アソコやらおっぱいやら追い求めて過ぎて、
心が穢れちまった気がする。

その穢れを落とさないと気が済まなくなった。

それをどこで落とすか。
品があって格が高い神社でなくてはならない。

この地域では真清田神社しかあるまい。

何としても17時までには到着したいのに、
無駄に交通渋滞があって焦る。

レンタカーで慣れない車だから無理は出来ないが、
私の願いが通じてギリギリ間に合った。(^^



所在地:愛知県一宮市真清田1-2-1
主祭神:天火明命
創建:(伝)初代神武天皇33年
社格:式内社、尾張国一宮、国幣中社、別表神社



【由緒】
当社は平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、
尾張国の一宮として国司を始め人々の崇敬を集めました。

鎌倉時代には順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。
その舞楽面は現在も重要文化財として当社に保存されています。

江戸時代には徳川幕府は神領として朱印領333石を奉りました。
尾張藩主徳川義直は、寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。

明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し皇室国家から厚待遇を受けました。

戦後は一宮市の氏神として一宮市民はもちろん、
尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。


【鳥居】


駐車場を探していると神社の裏手に有料駐車場がありました。

くそー、さすがにここは無料じゃなかったか。(^^;


【三八稲荷社】






御祭神:倉稲魂命。

とりあえず表に回って楼門を見に行こう。
ここの楼門が本当にカッコいいんですよね。


【鳥居】



【太鼓橋】





【楼門】




第二次世界大戦で焼失、戦後再建されたもの。

ほんまカッコええわ~。

これほど美しくカッコいい楼門はなかなかありません。

美楼門です。


【境内】



【拝殿】




これがまた気品のある拝殿です。

さすが一宮だと唸らされます。
看板が邪魔なぐらいですよ。




奥に入ってみたいですね~。

本殿内陣中陣の御扉や柱桁等は、
伊勢神宮から下賜された古材を使用しているそうです。


【楼門】


拝殿から見た楼門。


【服織神社】


御祭神:萬幡豊秋津師比賣命


【境内社】


向かって右が厳島社、左が八龍神社。


【三末社】



【神馬】



【神水舎】





【陰陽石】




これはまさか珍宝?

どこまで珍宝好きやねん。(苦笑)

まさかこの神社にコレがあるとは思いませんでした。(^^;


【御朱印】




【感想】
最後の珍宝らしき石を除いたら、
さすが一宮というべき品格のある神社でした。

最後に訪れて穢れた心が浄化されましたよ。(^^


【味噌煮込みうどん】


山本屋本店で久しぶりに食べました。

熱々で旨かったです。

間々観音<龍音寺>(2015年3月15日参拝)

2015年04月25日 | 仏閣
ち○こ祭りを堪能した後は、おっぱい観音へ。

やっぱりおっぱいの方が好きやねん。(笑)

道路が混んでいて16時を過ぎている。
山門が閉まっていたら泣いちゃうぞと思いながら到着。

私の願いが届いたのか山門は開いていた。(笑顔)



所在地:愛知県小牧市間々本町152
宗派:浄土宗
御本尊:千手観音菩薩
創建:明応元年(1492)
開基:林心斉
札所:尾張三十三観音、尾張西国三十三観音



【縁起】
龍音寺は一般に間々観音の名で知られています。

御本尊は千手観音菩薩で弘法大師空海の作と言い伝えられている。

もと小牧山中にあったものを現在地に移したもので、
寺の創建には次のような伝えがある。

明応元年(1492)小牧山で猟をしていた狩人が鹿を射ようとしたところ、
鹿は七つの岩と化し、その上に観音が現れた。

狩人は驚き、かつ己が殺生の罪を悟って改心、
その場に観音堂を建て自ら堂守として一生を送った。

これが間々観音の初めという。

今も小牧山の山腹に伝説の岩が観音洞の名のもと共に残っている。

寛永年間(1624-1644)作の正受記「徳川家蔵」に
「昔よりまま観音あり乳の霊験あらたかにして参詣の人跡をたたず」と
記されているほどである。

願をかけた人が納める乳房形の絵馬は全国でも珍しい。

寺の前が小牧山で織田信長が現在地に移転させたといわれる。


【山門


なかなか品のある門です。


【手水舎】


ビーチクから水が出てます。

さすが期待に応えてくれます。(^^


【慈乳観世音】


なんか分からんが、
有難うございます。


【本堂】


こんな時間でも結構参拝客がいた。


【巽堂】



【おっぱい絵馬】


凄い数のおっぱい絵馬です。

皆さん切実なんですね~。
興味本位で来ちゃってすみません。(^^;


【観音堂】





【おっぱい焼香炉】


もうここまでくると清々しい。

ビーチク押したらイヤーンとか、
声が出てこないだろうなぁ。(笑)


【おっぱい絵馬】




値段1500円はリーズナブルですよね。


【十三重塔】



【御朱印】



【感想】
男だからどうしても興味本位で参拝したけど、
乳の出が悪いとか、大きくなりたいとか、
女性にとっては切実ですよね。

そんな女性達にとって救いを求めるお寺だというのが、
本当によく分かりました。

田縣神社(2015年3月15日参拝)

2015年04月24日 | 神社
おっぱい観音に向かって小牧市を走っていると、
大規模な交通規制をやっている。

どうやら祭りがあるらしい。

どこの神社の祭りかと思ったら、
あの田縣神社の豊年祭ということが分かった。

ということはあの奇祭である「ち○こ祭」とピンときた。

大縣神社神社の豊年祭の一週間前に行われると聞いていたので、
先週にやってると思っていたけど、今年は同時開催だったんですね。

これはもう行くしかあるまい。(笑)



所在地:愛知県小牧市田県町152
主祭神:御歳神、玉姫神
創建:不明
社格:郷社



【由緒】
御創建年は詳らかではありませんが、
醍醐天皇の延長五年(927)に編纂された延喜式には、
尾張国 丹羽郡 田縣神社と記されております。

当神社にま祀られている御歳神、玉姫命は五穀豊穣と
子孫繁栄に極めて篤い御神徳がございます。

いつの世も欠かせぬ「願い」でありながら、
現代人が忘れかけた五穀豊穣と子孫繁栄。

その両願を兼ね備えた田縣神社は全国から信仰を集め、
また世界からも注目される、まさに稀代のパワースポットです。


【神輿行列】


駐車場がどこも満杯で苦労したが、
離れた場所に何とか停めて行列を待っているとキター。

玉姫神の神輿です。


それにしても老若男女の凄い人出。

みんな好きですね~。(ニヤニヤ)

白人の観光客も結構居ましたよ。


その後についに巫女さん達が登場。




キタキタキター!!!


桧の男茎形を持った巫女さん達です。
皆さん笑顔です。(笑)

これは笑ってしますわ。(^^






触った人に聞いてみるとツルツルで気持ちいいらしい。(笑)




このように記念撮影する人達がいっぱいいました。(笑)

私は遠慮しましたけど。(苦笑)

作りモノとはいえやっぱり気持ち悪いですから。

自分のナニは綺麗で自慢の息子ですけどね。(笑)




何やらまた神輿が登場。




可愛いお姉さんに高まる。

もしこの人が男茎形を持ってたら、がっついていただろうな。(^^




御歳神の神輿です。

神様の神輿だけあって美しいです。






もうすぐ真打ち登場です。




キタ━━゜+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゜━━ ッ !!!

18禁です。
良いコのみんなは見たらアカンよ。


それにしても何と言う立派なブツなんや。(笑)

カリの具合もリアルですね~。(苦笑)

コレを撮影しようとみんな必死ですよ。
全員カメラ小僧と化します。(^^;

そして全員笑顔です。

こんなブツを堂々とワッショイワッショイ出来るなんて、
何と言う楽しい祭なんや。(^^

いや~わざわざ小牧まで来た甲斐があるっちゅうもんですよ。
偶然にこの祭りに出会えてラッキーでした。

チ○コ神輿についていって神社へ。


【鳥居】



【拝殿】


狭い境内に人がいっぱいです。


【本殿】



【陰陽石】



【奥宮】


凄い行列の先には奥宮があって、
写真のような大男茎形が祀られているそうです。

行列に並んでまで見たくないので並びませんでした。

そんなわざわざ行列してまでみたいとは思わんよ。
だって毎日見てるもん。(笑)


【境内】


この後、境内にチ○コ神輿が入ってきてクライマックス。
拝殿に挿入して餅まきが行われるとのこと。


おっぱい観音が私を待っているので、
クライマックスは見ませんでしたけど。

絶対チ○コよりおっぱいですよ。(^^


【ばなちん】


屋台ではこんなモノも売ってました。

「タマ」は付いてないようです。(苦笑)

これはさすがに買って食えない。(泣)


【御朱印帳】


さすがにコレも買う気にはなれんなぁ~。

他の神社の可愛い巫女さんにあえて見せて、
恥じらう表情を見るプレーは高まるかも知れません。(笑)


【御朱印】


普通で良かった。(笑)

もしナニのハンコとか押されていたら笑っちゃうよ。(^^;


【感想】
とにかくおもろい祭りです。

話しのネタにもってこいですし、
楽しいので気になってる方は来年行ってみたらいいと思います。

寂光院(2015年3月15日参拝)

2015年04月23日 | 東海三十六不動尊
非常に面白かった桃太郎神社を後にし、
紅葉が美しいことで有名な寂光院へ。



所在地:愛知県犬山市大字継鹿尾字杉ノ段121
宗派:真言宗智山派
御本尊:千手観世音菩薩
創建:白雉5年(654)
開基:道昭和尚
勅願:孝徳天皇
札所:尾張西国三十三観音、尾張三十三観音、東海百観音霊場、東海三十六不動尊、
尾張三弘法霊場、七福神特別霊場


【縁起】
当寺は継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院と号します。
白雉5年(654)奈良の道昭和尚が孝徳天皇の勅願をもって七堂伽藍を建立した。

永禄8年(1565)織田信長公が当山に参詣のおり、
清洲城の鬼門鎮護の霊刹として黒印50石、山林50町歩を寄進された。

山頂に本堂、随求堂、縁結び弁天堂、蚕堂、
不動堂、筆弘法の諸堂、山腹には報恩殿、聖徳殿(研修道場)、
内仏堂、庫裡、法輪殿がある。

寺域は33万㎡(10万坪)、全山飛騨木曽川国定公園。
参道は山門より山頂まで1350メートル。

春は桜、つつじ、新緑、秋の紅葉は殊に有名で、
別名「もみじでら」と呼ばれている。



【お迎え地蔵】


無料駐車場の所にいらっしゃいました。

紅葉の時期は駐車場がいっぱいになって渋滞するそうです。


【スロープカー】


6人乗りで本堂まで200円で行けるようです。

乗ってみたかったけど我慢我慢。


【千体観音堂】



【恵比須坂】


七福坂といって七つの石段があります。
かなりしんどい坂が待っていると覚悟した。


【福徳稲荷】



【地蔵尊】



【福禄寿坂】


ここまで登ってくると、やっぱりしんどい。


【厄除不動尊】




東海三十六不動尊札所。

御本尊は弘法大師作と伝わっているそうです。


【本堂】


約10分ほどで到着。

320段あるとかで、なかなかええ石段やった。(^^;

疲れたので展望台でリフレッシュ休憩。


【筆弘法大師】



【風景】




木曽川や犬山遊園の観覧車が見れました。


【随求堂】



【本堂】


明治12年(1879)に再建されたもの。

秘仏千手観音菩薩は60年に一度の甲子年に御開帳されるそうで、
近年は昭和59年に御開帳されました。

平成大修理落慶記念等の例外が無い限り、
生きてる内に見ることは出来そうにありませんね。


【随求堂】


文化2年(1805)に建立されたもの。

本堂から渡り廊下で繋がっていて外陣から内陣を見ることが出来ます。






大随求菩薩が厨子に安置されていました。






西国でしょうか、三十三観音が祀られていました。




天井画。


【鐘楼堂】



【佛足・佛手】



【西国三十三観音石佛】



【愛の錫杖】


持ち上がれば恋愛成就するヤツですね。


【馬鳴堂】



【辯財天】



【おもかる地蔵尊】



【宝篋印塔】



【御朱印】




御朱印は全部で三種類ありました。

本堂ではなく下の庫裏でいただけます。


さて、国宝犬山城や成田山名古屋別院を華麗にスルーして、
これからおっぱい観音へ向かいます。

楽しみや♪

桃太郎神社(2015年3月15日参拝)

2015年04月22日 | 神社
犬山市に来たからには行かなければならない所がある。

え?国宝の犬山城?

ノン・ノン・ノン。

この地に鎮座する珍スポットで有名な桃太郎神社です。
いや~、テレビで紹介されて一度は行きたかったんですよね。

話しのネタに。(笑)

え?桃太郎って岡山じゃないの?と、
ほとんどの方がお思いでしょう。

そんな事は気にしない気にしない。(笑)

無料駐車場に車を停めていざ参る。



所在地:愛知県犬山市栗栖字古屋敷
主祭神:大神実命
創建:不明



【由緒】
古事記に伊弉諾尊が黄泉国から逃げ帰る時、
死んだ妻の伊弉冉尊さしむけた黄泉醜女という悪魔に追いつめられたが、
そこに大きな桃の木があり沢山桃がなっていたので、
それをちぎってつぎつぎと三つ投げつけたところ、悪魔は急に力を失い退散した。

伊弉諾尊は桃に向い「いま私を助けてくれたようにこれから後も我が国の人々
が憂瀬に落ちて苦しむ時には助けてください」と仰せられて、
大神実命という御名を賜ったとある。

桃の霊力をあらわした最初の説話である。

犬山市の木曽川沿岸に桃太郎誕生地伝説があり、
鬼退治をした桃太郎はこの桃の実から現れた大神実命である、
と伝えられ桃太郎神社の御祭神となっている。

神社から0.5kmほど奥の桃山は桃太郎が最後に姿をかくしたところと伝えられ、
太古からこの山をご神体として仰いできた。
その麓にある磐座は祭祀が行われた場所である。

現在はメンヒルと呼んでいるがこうした遺跡は山をご神体とした
最も古い信仰の起源を物語るものであると云われている。
 
桃太郎神社はこの桃山から昭和五年に現在地へ遷座され、
子供の守り神として広く崇敬されている。


【大鳥居】


観光地となっているようです。


【猿】


まずは猿がお出迎え。


【赤鬼】


まるで相撲の太刀持ちのようです。(笑)





【洗濯岩】


お婆さんが可愛らしい。


【鬼】


土下座してます。(笑)


【桃太郎】


桃から生まれた桃太郎という某時代劇のキャッチフレーズを思い出します。




どう見てもオッサンにしか見えません。(苦笑)


【全員集合】


階段を登った所に桃太郎と家来、そして鬼達がいました。


【桃型鳥居】


日本全国広しといえど、こんな鳥居はここにしかあるまい。(笑)

鳥居の下には家来達がいますが、
いちいちオブジェを撮るのが苦痛になってきた。(苦笑)


【桃】


拝殿で参拝。

何をお祈りしていいのか分からね~。(^^;


【涙をながす鬼】




もう笑うしかありません。


【悪運はサル】


ダジャレですか。(苦笑)


【子供の守神】



【稲荷社】



【桃太郎】


下半身がありません。(笑)


【本殿】



【奥の院】


さて、参拝は終了したので宝物館を見学に行くか。


【宝物館】


拝観料200円取ります、いやもとい、必要です。

家来と鬼がお出迎えです。




安っぽいですね~。(笑)

手前の鬼がまた情けない顔してますわ。(苦笑)
この鬼の背中に乗ってもいいようで、
若い女性達が乗ってました。(笑)




館内は意外と綺麗でまともです。(^^




お~、これが本物の鬼に金棒かぁ。(棒読み)

珍宝という鬼のチ○ポもありました。(笑)




神輿に洋犬が乗ってました。

理解不能です。(苦笑)






奉納品の数々。




木彫りです。
これはちょっと欲しいかも。




宝物館は放火されたそうですね。
焼失する前の鬼のミイラや角の写真です。

これは実物を見たかったですね。


【昔の挽臼】



【御朱印】



【感想】
いや~、予想を裏切らないクオリティーの宝物館の陳列物の数々と、
境内にあちらこちらとあるオブジェ。

笑いの種類もいろいろあるけど、皆が笑顔になるのは間違いなし。(苦笑)

楽しかったです。(^^

建仁寺・御朱印帳

2015年04月22日 | 御朱印帳
建仁寺の御朱印帳です。

初めて買ったのがこの御朱印帳でした。
所謂一目惚れみたいなもんで買っちゃいました。(^^







サイズ:18センチx12センチ
値段:1400円(御朱印代込)
(注)私が買った時は1300円でした。


【感想】
とにかくカッコ良すぎる。
男なら絶対買うはずです。

紙質も非常に良く、
よっぽどじゃない限り墨が裏移りしないし、
よれることもありません。

見た目が良くても中身がダメなのは人間と同じ。

この御朱印帳は中身も男前です。

永泉禅寺(2015年3月15日参拝)

2015年04月21日 | 仏閣
諸鑵神社の隣にあるのが永泉禅寺というお寺。
本堂のデカさに惹かれて寄ったのがこの永泉禅寺。

おかげで大縣神社豊年祭の一端を見れた。(^^

大型の無料駐車場に車を停めていざ参拝。



所在地:愛媛県犬山市裏之門238
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼如来
創建:不明
開基:野呂長者惟久
開山:泰秀宗韓禅師
札所:尾張四国八十八ヶ所、光明二十一大師


【沿革】


寛正2年(1461)焼失したるが故、創立は不詳。
天文元年(1532)再建。

開基は野呂長者惟久公にして、岐阜の古刹大宝寺より、
泰秀和尚を請うじて創建開山となる。

朝廷より慧日大聖禅師の諡号を賜る。

和尚は大本山妙心寺派東海派の祖、悟渓宗頓禅師の法を継がれた
興宗宗松禅師の高弟であり、四哲と称された優れた弟子を世に輩出された。

そのお一人に織田信長公と深い関係にあった当山二世澤彦宗恩禅師がある。
その因縁もあって信長公はたびたび当山に足を運び、
その教えと感化を受けられた。

天正年間兵火に遭い諸堂悉く灰燼に帰するのを、
政秀寺の徹源和尚が再興。

中興の祖とする。

門前に信長公命名の古松は伊勢湾台風により、
山門と共に倒壊。

十六世和尚の時台に本堂をはじめ、
諸堂を再建し現在に至る。


【山門】


京都の雰囲気と禅寺らしい雰囲気の山門です。


【宝篋印塔】



【鐘楼堂】



【本堂】


これはデカイ。

本山クラスの見事な本堂です。

しかし堂内を見ることも出来ませんでした。
残念だなぁ。


御朱印は札所なんであると思いますが、
私が駐車場に到着した時に御住職が出ていかれたので、
確認出来ませんでした。

諸鑵神社(2015年3月15日参拝)

2015年04月20日 | 神社
車を走らせていると大きなお寺を見つけた。
そのお寺の横に神社があって沢山の人だかり。

寄ってみました。


所在地:愛知県犬山市裏之門221
祭神:建御名方命
創建:仁寿5年(851)
社格:式内社



【神幸行列】


猿田彦がいたー。

もしやこれはあの行列では。






キター!!!

まさかこんな所で会えるなんて。
これこそ運命の出会いだよ。(大袈裟)

あの白い衣装は女性のアレを表現しているそうです。




この女性達はさぞや若くて美しい女性だと思っていたら、
梅沢富美男風に言うとババァばっかりやんけ。(苦笑)

男の夢が壊れました。(号泣)


この神社から大縣神社まで行列するんですね。

さすがに一緒に行く気もない。




松平健です。(嘘)


【拝殿】


この神社はてっきり大縣神社の境外社と思っていたけど、
諸鑵神社という式内社だったんですね。

帰宅して調べてやっと分かったわ。(^^;

諸鑵と書いて「もろくわ」と読みます。
というか読めません。(^^;


とりあえず、これで神社の参拝終了。
この祭りを目的に犬山まで来たのに寺社参拝を優先してしまう。

やっぱり祭りよりも参拝の方が好きだな。


諸鑵神社の御朱印は無いと思われます。

大縣神社 (2015年3月15日参拝)

2015年04月19日 | 神社
甚目寺から高速を飛ばして本日のメインである大縣神社に到着。

既に臨時駐車場もいっぱいだったが、
何とか空いてるところを探して停めれた。(^^

しかも無料とは嬉しい。

それにしても興奮が止まらないよ。(笑)



所在地:愛知県犬山市宮山3
主祭神:大縣大神
創建:垂仁天皇27年(紀元前3年)
社格:式内社、旧国幣中社、別表神社



【由緒】
尾張開拓の祖神大縣大神を祀る当社は古来より朝廷を始め衆庶の崇敬篤く、
尾張の二宮様として親しまれ、事業繁栄・開運厄除の守護神として仰がれております。
 
当神社の御鎮座は古く社伝によれば御祭神大縣大神は、
始め濃尾平野を見下ろす本宮山の頂に鎮座されておりましたが、
垂仁天皇27年8月(紀元前3年)に現在の地に新宮を営み、
御遷座されたと伝えられております。

延喜式神名帳には名神大社として登載され、大正7年に國幣中社に列せられました。
 
現在の御社殿は尾張藩主2代目徳川光友公が寛文元年(1661)に再興された建物で、
尾張造の構造様式を正確に伝へ、特に御本殿は「三棟造」「大縣造」と称され
他に類をみない特殊な様式を構え、昭和56年国の重要文化財の指定を受けております。


【参道】


駐車場から1キロ以上はある道を歩かされた。
遠いよ。(^^;

既に12時となっていたので、
子供神輿や稚児行列は終わっていた。


とりあえず参拝しよう。

清く正しく美しくがモットーのゴマラーですから、
ちゃんと参拝しますよ。(^^


【鳥居】



【解除社】



【拝殿】






予想以上に立派な拝殿じゃないですか。

あの祭りが余りにフューチャーされ過ぎて、
真面目でちゃんとした神社と思われて無いんじゃないの?(苦笑)


【姫之宮】




摂社。
玉比売命が祀られています。


【神輿】



【開運鳥居くぐり】



【むすひ池】




「むすひ」とは人と人とを結ぶ意味だけではなく、
天地・万物を生み出す霊的な意味があるそうです。




これは出雲にある神社のパクリでしょうか。(笑)


【縁結びの石】





【姫石】


野郎共が多いのは勿論、女性も並んでいた。




これが噂の女陰石ですか~。

完全に18禁ですね。
良い子は見たらアカンよ~。(笑)

皆さんデジカメとスマホの両方撮影していましたよ。(苦笑)


【大国恵比須神社】


大国主神・事代主神が祀られています。


【楽田神社】


地元楽田出身の御英霊が祀られています。


【梅園】






綺麗な梅が咲いています。

あんまり梅には興味が無いけど、
これだけ咲いていると見に行きたくなりました。


































地味な印象がある梅もこれだけ咲いていたら、
めっちゃ良いですね~。




着飾った子供達が可愛いなぁ。


【大国恵比須神社】



【御朱印】


とりあえずこの神社にずっと居る訳にもいかないので、
これにて大縣神社の参拝終了。

稚児行列や神幸行列も見れずで、
到って普通の参拝となってしまった。(^^;

しょうがない、次の神社へ向かおう。

漆部神社(2015年3月15日参拝)

2015年04月18日 | 神社
甚目寺観音の隣に神社があったので寄ってみた。
昔は鎮守社だったらしいが、神仏分離令により別法人になった歴史があります。

漆部と書いて「ぬりべ」と読みます。
普通「うるしべ」って読みますよねぇ。

漆部工芸団体の古語では「ぬりべ」と言うそうです。



所在地:愛知県あま市甚目寺東門前11
主祭神:三見宿禰
創建:不明
社格:式内小社、郷社


【由緒】
当社の名が世に知られるに至ったのは文献上では延喜式神名帳を以て初見とする。

延喜式神名帳というのは平安朝の中期、
醍醐天皇の延長5年(927)に撰進されたものであるから、
今日から一千三十年程前のものである。そ

れに神社名の載っているということは、これが一千年以上の古社であることを示すもので、
当社も従って一千三十余年以前には既に存在していたと言える。

延喜式の制度に従えば当社は当時、国幣の小社とされ、
尾張国司から幣帛を奉られる名社とされていた。

鎌倉時代には尾張国神明帳に従三位漆部天神と称され、
神格の高い神として尊崇され、引き続いて同国司の幣帛を受けた。

然るに南北朝時代以降、戦国時代にかけて当地方は戦乱の巷となり、
このとき当社も戦火にかかり、社名さへも忘れられるに至った。

その為、室町時代以降は八大明神社と称され、その維持の計られたことは、
現在も当社に残る明応7年(1498)の墨書銘によって明らかである。

その後のことは元和6年(1620)の棟札が残っているので、
このとき社殿の造替が行われたことがわかり、
その後引きつゞく修造を経て今日に至っている。

江戸時代には尾張藩は、当社に二十石の祭祀料を寄進して崇敬し、
明治維新後は、同40年10月26日、指定郷社の社格が与えられた。
氏子は先祖以来の氏神として厚く奉斎、その維持に当たっている。

昭和32年10月2日に至り、その社名を旧来の漆部神社に復した。


【鳥居】



【きよめばし】



【蕃塀】


虎と龍をあしらった彫刻がいいですね。


【狛犬】



【拝殿】


意外と見ない色合いの拝殿です。


【神馬】



【日吉社】


隣には村社の日吉社が鎮座しています。


【日露戦争戦役記念碑】


日清戦争のはあんまり見た記憶ないけど、
日露戦争のは結構見ますね。


【蕃塀】



【鳥居】



【社殿】



【御朱印】


さて、マ○コ祭りに行きますか。(^^