研修の為に東京へ。
場所が銀座だったので、
近くで行きたい神社仏閣を思い巡らしていると、
新橋の烏森神社に行けるじゃないか!
こちらの御朱印は以前ネットで見ていて、
是非ともいただきたいと思ってたんですよねぇ。
そしてわざわざ自腹でホテルに前泊し、
研修が始まる前に参拝。
新橋駅に着いて烏森神社を探すも意外と見つからない。
研修の時間は余裕を持ってホテルを出たけど結構焦る。(^^;
ヨドバシや公園の周りをクルクルと歩きながらようやく発見。
新橋は何度も来てるし、
神社の前の路地裏も通ったことあるのに今まで全然気づかなかったよ。(^^;
所在地:東京都港区新橋二丁目15番5号
主祭神:倉稲魂命、天鈿女命、瓊々杵尊
創建:天慶3年(940年)
【歴史】
天慶3年(940年)平将門が乱を起こした時、
鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、
白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。
その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、
それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、
秀郷の夢に白狐が現れ神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。
秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、
そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。
明暦の大火(世界三大大火のひとつ)が起こった際、江戸市中は焼け野原になり、
神社の周辺も大方焼けたが烏森稲荷社だけは不思議と類焼を免れた。
これにより神威の示すところと考えられ神社に対する信仰が厚くなっていった。
明治6年にはこれまでの烏森稲荷社の社名を烏森神社と改め、
新橋烏森の守り神として多くの人の信仰を得ている。
【鳥居】
実に変わった形の鳥居です。
こんな鳥居は今まで見たことがありません。
【社殿】
昭和46年に造営。
【狛犬】
【きやり塚】
きやりとは木遣のことらしく、
町火消しめ組による奉納物だそうです。
さすがに明暦の大火を免れただけあって、
当時の人々、特に火消しの人々から厚く信仰されていた証ですね。
【色みくじ結び処】
【御朱印】
こんなカラフルな御朱印は滅多にありませんね。(^^
初穂料は無病息災の御守と飴ちゃん付きで500円でした。
場所が銀座だったので、
近くで行きたい神社仏閣を思い巡らしていると、
新橋の烏森神社に行けるじゃないか!
こちらの御朱印は以前ネットで見ていて、
是非ともいただきたいと思ってたんですよねぇ。
そしてわざわざ自腹でホテルに前泊し、
研修が始まる前に参拝。
新橋駅に着いて烏森神社を探すも意外と見つからない。
研修の時間は余裕を持ってホテルを出たけど結構焦る。(^^;
ヨドバシや公園の周りをクルクルと歩きながらようやく発見。
新橋は何度も来てるし、
神社の前の路地裏も通ったことあるのに今まで全然気づかなかったよ。(^^;
所在地:東京都港区新橋二丁目15番5号
主祭神:倉稲魂命、天鈿女命、瓊々杵尊
創建:天慶3年(940年)
【歴史】
天慶3年(940年)平将門が乱を起こした時、
鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、
白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。
その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、
それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、
秀郷の夢に白狐が現れ神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。
秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、
そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。
明暦の大火(世界三大大火のひとつ)が起こった際、江戸市中は焼け野原になり、
神社の周辺も大方焼けたが烏森稲荷社だけは不思議と類焼を免れた。
これにより神威の示すところと考えられ神社に対する信仰が厚くなっていった。
明治6年にはこれまでの烏森稲荷社の社名を烏森神社と改め、
新橋烏森の守り神として多くの人の信仰を得ている。
【鳥居】
実に変わった形の鳥居です。
こんな鳥居は今まで見たことがありません。
【社殿】
昭和46年に造営。
【狛犬】
【きやり塚】
きやりとは木遣のことらしく、
町火消しめ組による奉納物だそうです。
さすがに明暦の大火を免れただけあって、
当時の人々、特に火消しの人々から厚く信仰されていた証ですね。
【色みくじ結び処】
【御朱印】
こんなカラフルな御朱印は滅多にありませんね。(^^
初穂料は無病息災の御守と飴ちゃん付きで500円でした。
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