Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

光前寺 其の二(2015年9月21日参拝)

2015年10月31日 | 仏閣
光前寺には名勝庭園に指定されている光前寺庭園があります。

庭園も期待出来ると思ったので拝観することに。
ここだけは拝観料500円が必要です。


【門】



【蔵】



【宝物殿】


この中に諸仏が祀られていましたが、
撮影不可でした。


【築山池泉庭園】










煎茶と麦落雁をいただきホッコリ。(^^

なかなか良い庭で朝から寛げました。


【客殿】




こちらは撮影不可ではありません。


これにて参拝終了。

素晴らしいお寺でした。


帰り際に係員の女性に教えてもらい、
本坊客殿の下にエメラルド色に光る光苔が見れました。


【コスモス】





【御朱印】


二種類ありました。

光前寺 其の一(2015年9月21日参拝)

2015年10月30日 | 仏閣
静かで寝心地の良かった伊那プリンスホテルを後にし、
中央道の駒ヶ根で降りる。

目的地は前回の千畳敷カールを訪れた際に、
たまたま看板を見つけ、どうしても訪れたくなった光前寺です。

雨とガスで何も見えず、寒さに震えた涙の千畳敷カール。
あれは最悪だったなぁ。(遠い目)



所在地:長野県駒ヶ根市赤穂29
宗派:天台宗
御本尊:不動明王
創建:貞観2年(860)
開基:本聖上人
札所:伊那七福神


【縁起】
開基本聖上人は比叡山にて研学修行の後、
太田切黒川の瀑の中より不動明王の尊像を授かり、この地に寺を開かれました。

以来千百余年の長い歳月の間には幾多の火災等により古記録を焼失しました。

古くは武田・羽柴家等の武将の保護を受け、
特に徳川家からは地方寺院としては破格の六十石の寺領と
十万石の大名格を与えられるなど、隆盛を極めました。
 
明治以降は多くの末寺等も廃寺となりましたが、
今なお樹齢数百年の杉の巨木に囲まれた境内には、十余棟の堂塔を備え、
長野県下屈指の大寺であり、南信州随一の祈願霊場として広い信仰を集めています。


【駒ヶ根岳】


もうすぐ光前寺に着くという場所での風景。

今日は天気が良いから千畳敷カールも美しいだろうなぁ。
しかし、大混雑してるだろうし、私には寺が待ってる。(^^




お寺の無料駐車場で見た風景。


【仁王門】


昭和19年(1944)に再建されたもの。

大戦末期の時期によく再建出来たようなぁ。


【鎮守社】



【金剛力士像】



室町時代に七乗門院雲慶十三代慶延法眼によるもの。


【参道】


長い参道です。
参道途中の石垣の中で光苔が見れました。


【彼岸花】



【大講堂】


阿弥陀如来が祀られている阿弥陀堂のようです。

昭和55年(1979)に御本尊不動明王の御開帳記念事業として建立されたもの。
残念ながら閉まっていました。


【苔】



【杉並木参道】




これはいい参道です。
とても清々しい。




こういう参道は都会の大本山でも出せない。

この参道を歩くだけで、このお寺に来て良かったと思わせてくれる。


【三門】


長い参道の先には見事な三門がお出迎え。

このお寺は当たりだと確信した。




嘉永元年(1848)に再建されたもので、
楼上に十六羅漢像が祀られているそうです。


【三本杉】


樹齢700年の巨木。


【本堂】


これはいい。

ここの氣が凄いです。








これはまた渋い本堂です。

嘉永4年(1851)に再建されたもの。




本堂から振り返るとこんな感じ。


【彫刻】



【早太郎像】


これは凶暴そうだ。(笑)


【びんずるさん】



【大黒天】



【延命水】


飲むことが可能です。


【石塔】



【三門】



【境内】


いいですね~。

こんな雰囲気大好きです。


【三重塔】


向こうに三重塔が見えます。


【早太郎の墓】


全く知らなかったのですが、
このお寺では早太郎という犬が大切だったらしい。


【三重塔】






これはまた立派な三重塔です。

周りの木々と見事にマッチしていて、
素晴らしい景色となっています。


文化5年(1808)再建されたもので、
五智如来が祀られています。


【早太郎像】



【石仏】



【十王堂】


十王像、地蔵菩薩坐像が祀られているお堂です。

秋の長寿祭に合わせて御開帳されるようで、
その際に十王堂の限定御朱印がいただけます。


【弁天堂】



【経堂】



【鐘楼堂】



長くなりましたので、庭園の様子はまた明日。

乙事諏訪神社(2015年9月20日参拝)

2015年10月29日 | 神社
本日最後の参拝は織田信長が戦勝祈願したといわれる、
乙事諏訪神社へ参拝です。

というのは史実では無く、
大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケ地なんです。

ドラマでは桶狭間に向かう前に戦勝祈願した熱田神宮という設定で、
本物の熱田神宮はロケが出来ないので、この乙事諏訪神社となったわけです。

軍師官兵衛は久しぶりに一年間通しで見れた大河だったので、
是非とも訪れたいと思っていました。

神社名の読み方は「おっこと」です。



所在地:長野県諏訪郡富士見町乙事5410
御祭神:健御名方命
創建:延徳2年(1490)



【由緒】



【近景】



【境内社】


向かって左が道祖神、右が蚕玉大神。


【鳥居】


ここは明らかに他の神社とは違う。

雰囲気もいいし、格が違い過ぎる。


【鳥居】



【幣殿・左右片拝殿】




そんなに大きくないですが、
これはいいですね~。


諏訪大社の前身である諏訪神社上社本宮の幣拝殿として元和3年(1617)に建立、
その後、諏訪神社上社本宮の社殿が改築された嘉永2年(1849)に移築されたもの。


戦後の火事により片拝殿、本殿は消失してしまったが、
国宝に指定されていた幣殿と拝殿は全焼を逃れ、
現在は国重要文化財に指定されています。


【幣殿】


幣殿の桟唐戸がこれまた見事なデキです。




桟唐戸の前が金色に輝いているのが分かると思う。

これは置かれている白い大麻に陽が当たっているんです。

普通ならこんな金色にはならない。

まるで神が降臨したかのように神々しい。

どうやら私は神に選ばれたようだな。(大袈裟)


【本殿】


覆屋に囲われていました。


【境内社】




御別当大明神、御嶽大明神。


【幣殿・左右片拝殿】



【御柱】



【成田不動尊・八嶽聖王社】





【名取巻祝神】





【境内社】



これにて本日の参拝終了。

最後に素晴らしい神社の出会いに感謝。

御朱印は事前連絡しておけば、
乙事区役所でいただけるようです。


【片倉館】




せっかく諏訪にまで来たからには温泉にも入らなければならない。(^^

いろいろ温泉施設があるのですが、
重要文化財の建物の中に温泉施設がある片倉館にしました。




中に入るとロマン溢れる雰囲気。

風呂場はギリシャチックな雰囲気で深いお風呂。
泉質は消毒臭があり普通の水みたいな感じでした。

記念に一回は入ってもよいが、次は別の所に行きますね。


汗を流した後は本日の宿である伊那プリンスホテルへ移動。
諏訪辺りで泊まりたかったが値段が折り合わずこのホテルにしました。


しかし伊那プリンスホテル周辺は食うところがなくて、
店も少なくファミリータイプばかり。

仕方なく入ったラーメン屋の炙りチャーシュー味噌ラーメン。



なかなか旨し。
チャーシューが分厚くて量が多くて950円。
都会だったら1200円は取ってると思う。(笑)

秋葉神社~高森諏訪神社(2015年9月20日参拝)

2015年10月28日 | 神社
青い鳥ロケ地巡りをしている時に、
富士見駅と信濃境駅近辺で見つけた神社をご紹介。


まずは富士見駅から数分の場所に鎮座する秋葉神社。


<秋葉神社>
所在地:長野県諏訪郡富士見町富士見4654-155
御祭神:秋葉大権現
創建:不明
由緒:不明


【鳥居】



【境内】


神社の境内という雰囲気では無く、
広場といった感じ。

現に避難場所に指定されているようです。


【狛犬】



【拝殿】


ごくごくあっさりとした神社でした。
御朱印も無いでしょう。(笑)


続きまして信濃境のロケ地に鎮座する高森諏訪神社です。


<高森諏訪神社>
所在地:長野県諏訪郡富士見町境字高森8195
御祭神:
創建:不明


【由緒】
諏訪神社の創建及び沿革について詳しいことは明らかでないが、
古来から教来石村の産土神として崇敬を受けてきた。

現在の本殿は天保15年(1844)12月19日再建したもので、
棟梁は諏訪出身の名工立川和四郎富昌である。

本殿は一間社流造で屋根は柿葺、正面中央に軒唐破風付の向拝をとりつける。
建築の特色は随所に施された彫刻装飾にある。

拝殿、石華表など総て改新築を了し面一新した。 
境内末社道祖神社外19社鎮座。


【ロケ地】



【風景】



【鳥居】





【拝殿】


この神社も観光客が訪れるような神社ではありません。


【本殿】



【鳥居】




扁額を見ても読めない。(^^;


【境内社】






ギリギリ荒れて無い感じです。

これにて参拝終了。

この神社も御朱印は無いと思います。


しかし帰宅してから気付いたんですが、
高森諏訪神社のすぐ近くに高森観音堂という私好みのお堂と、
信濃境駅近くに鎮座する信濃境神社は完璧に見逃しておりました。(泣)

次回、訪れた際は三光寺とともに参拝したい。

青い鳥ロケ地巡り(2015年9月20日)

2015年10月27日 | 旅行、その他


トヨエツこと豊川悦司が主演した「青い鳥」というドラマをご存知だろうか。

1997年10月~12月にTBSで放送されたんですけど、
リアルタイムでドラマを見た時の衝撃は今でも忘れられない。

清澄駅という駅を中心に物語りが始まる。

この清澄駅というのは架空の名前ですけど、
実際は長野県の信濃境駅でロケがされたんです。

その駅がとても印象に残る設定になっていて、
ドラマにとって最重要なんですよ。

青い鳥は私が最も好きなドラマの一つで、
いつか清澄駅こと信濃境駅にはどうしても行きたいと思ってました。

だけど、いかんせん長野県は遠い。

しかしようやく長年の夢が叶い、諏訪の神社仏閣巡りを終え、
ロケ地巡りをする為に信濃境に来たわけです。



【あらすじ】
長野県の小さな町にある「清澄駅」で駅員をしている主人公・柴田理森の前に、
ある日突然現れた一人の女性・町村かほり。

彼女は次期市長の座を狙う綿貫広務の妻であり、一児の母であったが、
現在の生活に違和感を感じ、義父のイジメに疲れきっていた。

いけないと分かっていながらも静かに惹かれあっていく二人。

町村かほりは柴田理森との密会の為に別荘を借りていたが、
夫・綿貫広務に知られてしまい、娘・誌織と離されてしまうことに。
この母娘を離れ離れにはさせられない!と理森は強い衝撃にかられ、
二人を連れて電車に飛び乗り逃避行は始める。

そんな三人に待っていた運命とは……。

長野の穏やかで美しい風景、そして日本縦断ロケを通して、
ヒットメーカー野沢尚が「本当の愛とは、そして幸せとは何か」の問いを投げかける。


【キャスト】
柴田理森(豊川悦司)
町村かほり(夏川結衣)
綿貫広務(佐野史郎)
秋本美紀子(永作博美)
町村誌織:少女時代(鈴木杏)
町村誌織(山田麻衣子)


【風景】


めっちゃ良い景色。

もうすぐ信濃境駅に着くので胸が高まる。


【信濃境駅】




ここがドラマで清澄駅として登場した信濃境駅です。

感動。

やっとここに来れて胸熱ですよ。(^^

はぁ、嬉しい。

もうロケ地巡りを終了してもいいぐらい満足。(笑)






このシーンがとてもインパクトがありました。

何度見ても震えるシーンです。

夏川結衣の美しさも超絶でした。


せっかくここまで来たからには駅舎に入ってみる。




さすがに18年も経つと中も変わってる。(^^;

でもやっぱり嬉しい。




ドラマではこんな感じでした。




写真がいろいろ飾れていました。




このノートはドラマを見て訪れたファン達が、
いろんな想いを綴っていくもので、18冊目となります。

私も当然書きましたが、同じ日に書いてる人がいた。(^^

それがメッチャ絵が上手くてびっくりした。

ちょっとだけノートを読んでみましたけど、
みんな熱心のなんのって。(^^

未だにこんなに沢山のファンが訪れてると知って、
とても嬉しくなりました。


【ホーム】


やっぱりホームも見ておかないとね。






待合室前のシーン。


【駅名標】



【鳥かご】


ドラマでは白の文鳥が二羽飼われていましたが、
今はいませんでした。





【跨線橋】




ここもドラマで使われました。


【ホーム】


反対側のホームも歩いてみる。


【切符】




隣の富士見駅もロケ地なんで電車に乗ってみる。


【富士見駅】



【ロケ地】




理森が自転車で登場するシーンで使用された場所です。


【秋元食堂跡】


随分前に取り壊されて駐車場になっていました。(泣)


【線路】


線路を超えて近くの富士見図書館へ。


【富士見図書館】


ここもロケ地として使われました。

富士見駅のロケ地はこれだけなんで、
電車に乗ってまた信濃境駅に戻ります。


富士見という所はその名の通り、
富士山が見えるんですが、今回は富士山を完全無視でロケ地巡りしました。

もっとも、今日だと富士山を探しても見えなかっただろう。
寒い時期の澄んだ空気の時に富士山を見たいと思う。


【理森の家】




駅から車で5分くらいの場所にあるのが、
ドラマで理森の家となっていた家です。

場所が分かり難くて諦めかけていた時に、
偶然見つけました。

見つけた時は本当に嬉しかったぁ。(^^

もっと近づいて見たかったけど、
今も住民が住んでいらっしゃるので止めておきました。


でもこれでロケ地巡りは充分満足です。

ちなみに烏帽子という場所に家があります。


【火の見櫓】




ここもドラマのワンシーンで登場した場所です。





さて、次のロケ地へ。


【風景】


長閑で癒されるわ~。




西岳、編笠山。

この山々がとても好きで、
今度この地に訪れる時はもっと山を堪能したいと思う。


【大武川橋】




ここは刑期を終え出所した理森と成長した誌織のシーンがありました。

国道20号線の机という交差点に近い場所に橋があり、
すぐに分かると思います。


【釜無川】



【諏訪大社下社秋宮】


秋宮は信濃境に来る前に先に参拝してましたが、
ここでも理森と成長した誌織のシーンがありました。

これにてロケ地巡りは終了。


ドラマでは「乙女が原」として使われていた入笠牧場は、
いつの間にか入場規制されていて、行くことは叶わず。

残念だけどこれも時代の流れ。

仕方ありません。


【光のカーテン】




神が降臨してるかのように神々しい。

まるで私を祝福してるかのようである。(大袈裟)


ようやく訪れることが出来た信濃境と富士見。

信濃境駅をこの目で見て、
町並みの雰囲気を感じた時の感動は忘れないだろう。

青い鳥というドラマは今でも熱心なファンがいる。

まだ見たことが無いという方は是非見てほしい。

切なくて感動的、かつ衝撃的なシーンが、
貴方の胸を激しく揺さぶるだろう。

貴方も青い鳥のファンになりませんか。。。

法華禅寺(2015年9月20日参拝)

2015年10月26日 | 諏訪三十三ヶ所観音霊場
諏訪大社本宮の東参道の上に行くと法華禅寺がある。

参拝するまでお寺があることすら知らず、偶然見つけたんですが、
それがあの織田信長と明智光秀の因縁の地であるとは。



所在地:長野県諏訪市中洲神宮寺856
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:弘仁6年(815)
開山:伝教大師
札所:諏訪三十三ヶ所観音霊場、諏訪八十八ヶ所霊場、諏訪湖畔七福神巡り、
信州伊那諏訪八十八霊場



【縁起】


伝教大師が東国布教の際この地に巡錫し開山されたと伝えられ、
もと天台宗の寺であったが、鎌倉時代に領主・蓮仏入道盛重が中興し、
建長寺蘭渓道隆を招いて臨済宗に改めたといい、諏訪大社上社神宮寺であった法華寺は、
往時は七堂伽藍が揃った規模の大きな寺院であったといわれる。

甲斐武田氏追討の為に高遠城を落した織田信長の嫡男・信忠の率いる軍勢は、
天正10年(1582)諏訪に入り武田氏が崇拝していた諏訪大社上社本宮を焼き討ちにし、
上社本宮の社殿等は全て灰燼と帰してしまうが、
その際、隣接する法華寺は類焼を免れている。

織田の軍勢に追いつめられた武田勝頼・信勝父子が田野の地で自害し、
甲斐武田氏が滅亡すると、19日に信長自らが上諏訪に入り、
しばらくの間、この法華寺に本陣を置いた。

盟友であり武田氏討伐戦に加わっていた家康公は信長と会見すべく法華寺を訪れている。

法華寺には信長の諸将が集結し信長はここで論功行賞を行ない、
武田氏滅亡後の知行割をして甲斐・信濃両国などの支配を定め、
家康公には信長より駿河一国が与えられている。

尚、一説ではこの時、信長の家臣である明智光秀は信長の怒りに触れ、
居並ぶ諸将の面前で欄干に頭を押し付けられて殴られるという辱めを受けたといわれる。

この後、信長は 6月2日未明、信長は本能寺の変で討ち死に。
ここ法華寺での信長の光秀に対する処遇がその原因の1つであったともいわれている。
 
又、忠臣蔵・赤穂義士の討入で有名な吉良上野介義央の外孫で、
のちに養嗣子になった義周の墓がある。

義周は討入の翌年の元禄16年(1703)赤穂の浪人が討入った折に防戦につとめながらも、
その働きが武士らしくなかったとして幕府より咎めを受け、領地を召し上げられ、
江戸時代、流刑の地となっていた諏訪の地へ流されることになった。

諏訪高島藩にお預けの身となった義周は、高島城南の丸におかれたが、
3年後の宝永 3年(1706)1月20日に病気のために死去した。幕府の検死後、
断絶した吉良家に義周の遺骸を引き取る者はおらず、
幕府より死体取り捨ての沙汰を受け、この法華寺に土葬されたとのことである。

尚、平成11年(1999)7月放火によって本堂などの堂宇が焼失してしまい、
わずかに山門を残すのみとなっていたが、本堂などがようやく再建された。



【蠶玉神社】


諏訪大社東参道の鳥居の外に鎮座。

諏訪大社とは関係が無さそうだし、
法華寺の鎮守社という風でも無い。

確認していないのでよく分からない。

蠶とは蚕の旧字体で蠶玉大神が祀られていました。


【山門】




以前の山門は明治18年に諏訪市の極楽寺に売却。
その後、昭和6年に再建されたもので楼上には観音菩薩を中心に、
西国三十三ヶ所観音像が祀られています。


【本堂】


明和2年(1765)に再建されたものであったが、
平成11年7月27日未明の放火により焼失。

平成17年5月、庫裏と共に再建されました。

しかし、本堂を放火するとは何たる罰当たりな。

こんなヤツは本当に死んでも良いと思う。
生きてる価値なしです。(怒)


本堂に祀られている釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩は、
本堂再建と同じく九州の仏師川崎氏により復元されたもの。


【庭園】



【吉良義周の墓】





【本堂】



【宝篋印塔】



【石仏】



【大黒天】





【茶筅塚】



【宝篋印塔】



【黒縄神社】




神社の裏手に信玄公の墓碑があるので行ってみました。


【諏訪大社上社五重塔跡】




諏訪大社に五重塔があったんですね。

それがあの悪名高い廃仏稀釈で取り壊されたんですね。

もうね、怒りとため息でいっぱいですわ。

明治政府が主導して一般市民及び神官により破壊されし尽くしましたが、
明治天皇は見て見ぬ振りだったんでしょうか。

天皇陛下が一言、朕が蛮行を許さぬ、と仰っていれば、
簡単に止めれたハズなんですけどねぇ。


【神力手石】



【普賢堂跡】




こちらも廃仏毀釈で破却されたとか。


【神宮寺跡】





【鐘楼跡】



【神宮寺仁王門跡】




信玄公の墓碑がなかなか見つからない。

この辺りは寂しい場所なんだが、
パターゴルフらしき小さいコースがあった。(^^;


【忠魂碑】



【武田信玄墓碑】


案内板もなくどこにあるのか分からない。

もう諦めようかと思ったが、
この上に登って無ければ帰ろうと思って行ってみた。

するとあった!




字が読めなくてどっちか分からない。(泣)




多分こっちだろうと撮影し、帰宅してから調べたら正解だった。(苦笑)


それにしても余りにもこの墓碑は寂し過ぎる。

何でここにあるのか分からないし、
何でこんあに貧相な墓碑なのか分からない。

扱いが余りにも酷過ぎる。

諏訪にとって武田信玄公は敵意識があるのかな。

吉良義周との扱いが全然違うから法華寺とは関係無いのかもしれない。


【御朱印】



偶然見つけたお寺がまさか明智光秀が信長に折檻を受けた場所だったとは。

居並ぶ諸将の面前で欄干に頭を押し付けられて殴られたというのは、
以前から知ってましたが、てっきり安土城で起こったものだと思ってたから。

まぁ、折檻を受けたのも史実とは違うかも知れないし、
この寺で起こったというのも事実では無いかも知れないけどね。

諏訪大社上社本宮 其の二(2015年9月20日参拝)

2015年10月25日 | 一宮
腹が減ったのでここいらで昼食。


【塀重門】



【大鳥居】


大鳥居を出るとお土産屋さんや食事処があった。


【昼食】


門前の店で天ぷらそばと名物のモツ煮を食らう。

天ぷらじゃなくてかき揚げだった件。(泣)

関西というか私が住んでる地域では、
天ぷらといえば海老とかチクワが普通。

私もそれを期待していた。

でも出てきたのがかき揚げでちょっとガックリ。(^^;

いや、かき揚げはかき揚げで美味しいんだけどね。

信州ではこれが普通の天ぷらそばなんだろうか。

モツ煮も期待していたほどでは無かった。(^^;


【狛犬】


参拝開始です。


【高島神社】





【交通安全祈願殿】





【一之御柱】


ここで一つ白状します。

諏訪の方々はこの御柱に物凄く思い入れがあると思いますが、
私には何の思い入れも無いので、柱があるなぁとしか思えないんです。(^^;


【雷電為右衛門の像】





【布橋】



【上社筒粥殿跡】



【天流水舎】





【神楽殿】









【五間廊】





【勅使殿】





【土俵】



【境内】


東参道入口御門、二之御柱付近に戻ってきました。


【二之御柱】



【神馬舎】





【御朱印】


こちらも500円でした。


【落雁】


諏訪大社四社全て参拝するといただけました。

御朱印帳と御朱印が相場より高いのは、
社格が高いからではなく、落雁代の費用に充ててる訳ですね。


個人的には甘ーい落雁より、
信州そば一人前の方が嬉しいです。(笑)

ご検討宜しくお願い致します。(^^

諏訪大社上社本宮 其の一(2015年9月20日参拝)

2015年10月24日 | 一宮
いよいよ本日メインの諏訪大社上社本宮へ。

ずっと訪れたかったので本当に楽しみ。

無料駐車場がありましたけど、
これほどの有名神社で観光地なのに、
駐車場が無料なのは有難いっす。(^^




所在地:長野県諏訪市中洲宮山1
御祭神:建御名方神
創建:不明
社格:信濃国一宮、官幣大社


【由緒】
我国最古の神社の一つであり信濃國の国造りをなされた後、
日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として、
皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。

幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。
徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。

境内のほぼ真中に東宝殿、西宝殿と言う二棟の茅葺の建物があります。
本宮で最も大切な御社殿で寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭が行われます。

本宮の昔の建物は極彩色が施されておりましたが、
天正10年(1582)に織田信長の兵火の為、山中に逃れた神輿の他はすべて焼失。
この時まず仮殿が作られ順次再建され社殿は元和三年(1617)に完成しました。

その後約二百年を経て諏訪藩主に依り社殿の改が計画され、
立川和四郎二代目富昌が上社棟梁と共に事に当り、
天保二年から9年(1838)迄8年の歳月を要し現在の社殿が落成し、
立川流の代表的建築物と言われえております。

尚旧殿の拝殿は嘉永二年(1849)に郡内の富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、
桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定されております。


【注連掛鳥居】


もうすぐ到着です。


【東参道鳥居】




鳥居をくぐると神域感たっぷり。


【御神木】



【出早社】





【入口御門】







【彫刻】



【絵馬堂】





【砲弾】



【摂末社遥拝所】





【大国主社】





【東御宝殿造営御敷地】



【神楽殿】



【四脚門】





【御宝殿】







【西御宝殿】



【布橋】




橋というより廊下、回廊といった感じですね。

古の時代、諏訪湖の湖岸が近かった頃に波がきても渡れるように、
この橋が造られたとか。

その布橋は明治以前は大祝のみが通れたそうで、
大祝が通る時に布を敷いたとかで布橋という名がついたとか。


【塀重門】



【入口門】



【参拝所】


諏訪大社の案内図には参拝所と書かれていたが、
この門の正式名称なんだろうか。

これほどの立派な門が名無しでは可哀想です。(^^;


【幣拝殿・左右片拝殿】


何という気品のある社殿なんだろう。

七五三で祈祷されたんでしょうか。
斎庭に入れて間近で社殿を見れるなんて羨ましい。


【宝物殿】



【勅額殿】








殿内がとても幽玄な雰囲気。

この中に入りたかったなぁ。


【文庫】



【四之柱】


木の塀の奥に御柱がありましたが、
ちょっと見にくかったです。

向かって右上には境内社が鎮座してました。


とりあえず長くなりましたので、
続きは明日。

諏訪大社上社前宮(2015年9月20日参拝)

2015年10月23日 | 一宮
続きまして諏訪大社上社前宮へ。

国道152号線沿いの無料駐車場に停めていざ参る。



所在地:長野県茅野市宮川2030
御祭神:建御名方神、八坂刀賣神
創建:不明
社格:信濃国一宮、官幣大社



【由緒】
この地は諏訪大社大祝の始祖と伝えられる有賀が始めて大祝の職について以来、
代々大祝代々の居館でした。

神殿は御神体と同一視された大祝常駐の殿舎の尊称です。
この神殿のあった場所を神原と言い、代々の大祝職位式及び
旧3月酉日の大御立座神事をはじめ、上社の重要な神事のほとんどが、
この神原で行われました。

大祝が諏訪から出ることは禁忌とされ、諏訪氏当主は幼少時に大祝として祭祀を行い、
長じると大祝を辞し、惣領として政治を行うといったことを続けてきました。

しかし室町時代になり戦乱が増えてくると、諏訪信満の系統が惣領家を、
諏訪頼満の系統が大祝を分担することとなり、両家は神殿に居住します。

しかし康正2年(1456)に両家は対立、惣領家は神殿を出て上原城へ移ります。
文明15年(1483)大祝家当主継満が惣領職も独占しようと
惣領家当主政満とその子・若宮丸らを謀殺。

聖地が穢されたことで社家衆の反発を招き、継満は高遠へ追放されます。
後に神殿は清地にかえされ、大祝の居館として後世まで続きました。

後にこの居館は他に移りましたが祭儀は引き続いて神原において行われてきました。
 
諏訪大社の祭政一致時代の古体の跡を示している最も由緒ある史跡です。



【境外社】



【大鳥居】



【境内】



【御神木】



【鳥居】







【狛犬】





【十間廊】









【内御玉殿】





【御室社】





【風景】


ちょっとした坂道を歩いて本殿近くまで到着。

長閑で良い所です。

しかし、本殿近くに駐車場があるをすっかり忘れてた。(^^;

まぁ、ここの参道の良さは歩いてないと分からない。


【拝殿】


良い雰囲気ですね~。




大社というより山にある雰囲気のある神社という感じです。

ここは気を張らずに参拝出来るのがいい。


【水眼の清流】







【神殿】





【三之御柱】



【二之御柱】



【四之御柱】



【一之御柱】




本殿を囲むように建てられていました。


【御朱印】


こちらも500円でした。

諏訪護国神社(2015年9月20日参拝)

2015年10月23日 | 神社
諏訪城庭園内に鎮座するのが諏訪護国神社。


所在地:長野県諏訪市高島1-20-1
御祭神:諏訪出身英霊5,781柱
創建:明治33年(1900)



【由緒】
諏訪護国神社は我が郷土諏訪出身の英霊を御慰霊申し上げるべく、
高島城址に創建されて、現在5,781柱の英霊を奉斉申し上げております。

家内安全、商売繁盛も祈願しております。

神社創建は明治三十三年であり百年近い星霜を経ております。
社務所は昭和十三年の建築の為、雨漏りを凌ぐ為に社務所屋根、
神門の御屋根葺替工事を崇敬者各位の御協賛を仰ぎ改修が完了竣工致しました。


【鳥居】


諏訪城庭園の華やかさとはうって代わって、
護国神社の寂しさは何とも言えない。(^^;


【狛犬】



【神門】



【拝殿】





【御柱】



【西多門跡】



【永田鉄山中将像】


「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と謳われたほどの人物。

派閥抗争により皇道派の相沢三郎中佐に斬殺され、
東條英機率いる陸軍の暴走により第二次世界大戦に突入。

歴史にもしがあるとすれば、
惨殺されずに永田鉄山が陸軍大将であれば、
先の大戦も回避出来たかも知れないという。

そう考えると、
相沢三郎というヤローはとんでもねー奴だな。


【三之丸御殿裏門】





【多門跡】



御朱印は残念ながら神職さんが御不在でいただけませんでした。

さて、これから諏訪大社前宮に向かいます。

諏訪高島城(2015年9月20日)

2015年10月22日 | 旅行、その他
諏訪護国神社を訪れる為に諏訪湖近くにある高島城へ。

護国神社は高島城の中にあるんでね。
思ってた以上に良さそうなお城だったので拝観することに。

高島城専用の駐車場が天守の近くにあるんだけど、
それを知らなくて結局諏訪市役所の駐車場に停めさせていただいた。



【歴史】
天正18年(1590)当時の諏訪領主諏訪頼忠が、
徳川家康の関東転封に従って武蔵国へ移った後、
豊臣秀吉の武将日根野織部正高吉が諏訪に転封、2万7千石を与えられ諏訪の領主となる。

高吉は安土城や大坂城の築城にも携わった築城の名手。
転封の翌年、天正19年(1591)にはすでに城地の見立てと設計を終え、
翌文禄元年(1592)に着工、慶長3年(1598)まで7年ほどかかって高島城を築城した。

その後、関ヶ原の戦いで徳川軍に属した諏訪頼水は、
慶長6年(1601)家康の恩恵によって旧領諏訪に帰り藩主となり、
以後、10代藩主忠礼に到る270年間、諏訪氏の居城としてその威容を誇った。

しかし明治4年(1871)廃藩置県により封建制のシンボルである城郭の撤去が決定。
明治8年(1875)には天守閣の撤去が終了。
翌明治9年(1876)本丸跡が高島公園として一般に開放された。

時を経て昭和45年(1970)天守閣が復興、同時に冠木門・角櫓等も復興された他、
当時の石垣の一部も残るなど往時を偲ぶことが出来る。


【内濠】


手前が隅櫓で奥に見えるのが天守です。
なかなか良い雰囲気ですね。

こういうお城を明治政府は破却した。
惜しい、実に惜しい。

廃仏稀釈といい明治政府はロクなことをしねーよな。


【冠木橋】




ここ、思ってた以上にいいよ。(^^


【冠木門】



【隅櫓】





【多聞櫓跡】



【庭園】



【天守閣】




せっかくなんで拝観料300円を支払い天守閣の中に入ってみた。

三階建築で郷土や高島城の資料室となっていました。
残念ながら撮影禁止でした。


【展望台】






最上階の展望台から見る風景。




この方面から富士山が見えた。(^^

嬉しい。

急ぎ写真を撮ったが写って無かった。
肉眼では見えてるのに~。(泣)

結果的に今回の旅で見た唯一の富士山でした。


【本丸跡】



【鴨】


ちょっとだけ鴨と戯れて護国神社へ。

八剱神社(2015年9月20日参拝)

2015年10月21日 | 神社
手長神社の次に訪れたのが八剣神社。

この神社は宮司さんによると14世紀頃から
御神渡りの記録を続けていているそうで、
諏訪湖に御神渡りが出来たかどうかはこの神社の判定で決まるとか。

御神渡りというのはニュースでも取り上げられることもあるから、
ご存知の方がほとんどでしょう。



所在地:長野県諏訪市小和田13-18
主祭神:八千矛神、日本武尊、誉田別尊
創建:不明
社格:県社、諏訪大社上社摂社



【由緒】



【鳥居】


この鳥居の前に無料駐車場がありますが、
総代の許可無き場合は駐車禁止と書いてました。




こちらが第一鳥居だと思う。

境内に入ると思ってたより殺風景な神社ですね。


【神楽殿】




これは拝殿ではなく、
諏訪大社の摂社ということで神楽殿だと思います。

間違っていたらスマン。(^^;


【狛犬】



【拝殿】


嘉永元年(1848)に建立されたもの。


【本殿】


正殿と権殿らしい。

しかし格式の高い神社の本殿にしては小さく物足りなさを感じた。


【境内社】
















よく分からん境内社が多い。


【御朱印】


手長神社でセットでいただいたものです。

手長神社(2015年9月20日参拝)

2015年10月20日 | 神社
諏訪大社春宮から次なる参拝地の手長神社へ。






途中休憩がてら諏訪湖を望む。

憧れの諏訪湖に来れて胸熱。

ここに南野陽子が演じた湖衣姫が眠っているんですよ。
あ、それは大河ドラマの話ですけど。(^^



所在地:長野県諏訪市茶臼山9556
主祭神:手摩乳命
創建:不明
社格:県社、別表神社、諏訪大社上社末社


【由緒】


手長神社は諏訪湖を望む景勝地、茶臼山の杜に鎮まる下桑原の産土神で、
古くから家 庭円満、子育ての神として崇敬され、
手長さまと親しまれ信仰されています。
 
御鎮座の起源は詳らかでありませんが、御祭神手摩乳命については古事記のなかに、
櫛名田比売の親神であり、建御名方命の祖先であるとみえています。

平安時代の初めに書かれた和名類聚抄に、
当時の日本全国の郷村の名前が載っています。

その本によると信州は十郡からなり、そのうちの諏訪郡は七郷に分かれ、
なかでも現在の上諏訪と四賀及ぴ茅野市の一部あたりを桑原郷と称していました。

いつの頃か桑原郷は上桑原と下桑原に分かれ、上桑原に足長神社、
下桑原に手長神社が祀られるようになり今日に至っています。

明治以前は諏訪神社上社の末社で、茅野外記太夫により祭祀が行なわれていました。
なかでも古 式祭八朔相撲は手長の辻といわれ、
諏訪上社の十 五夜相撲、田沢稲荷の二百十日相撲とともに諏訪の三辻に数えられ、
遠方より力士が集まり、江戸 時代には藩士の桟敷が設けられるなどして
賑わったと伝えられています。
 
明治五年村社、同三十二年郷社、大正十三年県社、昭和四十三年別表神社。


【鳥居】


諏訪湖から山手の方へ車は走るが細い道。

近くに行けば行くほど、これ大丈夫?って道になって不安になる。

行き止まりを覚悟して進むと無事に到着。(^^

無料駐車場が数台分ありました。
隣が上諏訪中学校なんで、そこの駐車場には停めないでくださいね。


【狛犬】



【境内】


上に見えるのが拝殿。
なかなか雰囲気が良さそうです。


【二之御柱】



【戦没者記念碑】



【社殿】


諏訪大社と同じく幣拝殿と左右片拝殿みたいですね。


【拝殿】




これは私好みの渋い拝殿です。

わざわざここまで来た甲斐があります。

天明8年(1788)に建立されたもの。


【彫刻】








宮司さんが自慢されていた彫刻。

特に龍は見事なものでした。

諏訪の社殿はこのような見事な彫刻が多いですね。


【舞殿】



【本殿】


諏訪大社と違って本殿がありました。

春日造りのように見える。


【拝殿・回廊】





【延命の杉】



【回廊】



【境内】






一社毎に御柱がありました。


【砲弾】



【御神石】



【御朱印】


足長神社、八剱神社のセットで千円でした。

八剱神社は参拝予定だけど、足長神社は参拝しないので、
足長神社の御朱印は要らないんですけど。

参拝してない御朱印はいただかない主義なんで。

でも、要らないなんて有無を言わさない感じでした。(^^;

というか、三社だったら900円じゃないの。(苦笑)
まぁ、いいけど。(^^;

諏訪大社下社春宮(2015年9月20日参拝)

2015年10月19日 | 一宮
大満足の慈雲禅寺から数分で諏訪大社の春宮に到着。

これだけ有名な大社で人気の観光地にも関わらず、
駐車場が無料なのは有難い。(^^


所在地:長野県諏訪郡下諏訪町193
御祭神:建御名方神、八坂刀賣神
創建:不明
社格:信濃国一宮、官幣大社


【由緒】
諏訪大社は建御名方富命と八坂刀売命を祀り、
上社は建御名方富命(彦神)を下社 は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。

下社の祭神は二月から七月まで春宮に鎮座し、
八月一日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌二月一日に春宮に帰座される。

当大社は古来より朝廷の崇敬がきわめて厚く、持統天皇5年(691)には勅使を遣わされて、
国家の安泰と五穀豊穣を祈願されたのをはじめ、歴代の朝廷が神位や神階を進められ、
或は神田、幣帛、御宸筆等を御奉納なされ、又、皇族の方々が数多く御参拝なされております。

又、諏訪大神は武勇の神、武門武将の守護神として仰がれ、
古くは神功皇后の三韓出兵の折りに御神威を顕わされ、
平安時代には関より東で第一の軍さ神として広く世に知れ渡りました。

鎌倉時代以降は源頼朝をはじめ北条氏一門、足利尊氏、武田信玄、徳川家康以下歴代の将軍、
その他、高島藩主をはじめ諸国の大名達がいづれも社領を寄進し、
或は神宝を奉納して武運の長久と国家の安泰を祈願されております。



【大鳥居】


万治2年(1659)建立されたもの。


【境内】



【狛犬】



【神楽殿】


注連縄もそうだけど、全体的に秋宮より小ぶりですね。







【子安社】





【筒粥殿】





【幣拝殿】






重要文化財。

秋宮と同じく見事なものです。

下社の中心となる建築は正面中央にあり拝殿と門を兼ねたような形式の幣拝殿、
その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある、
東西の宝殿は茅葺・ 切妻造・平の簡素で古風な形式をもち、
申寅の7年ごとに新築する式年造替制度がとられている。

このような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、
また、その幣拝殿と左右片拝殿に似た形式は、
長野県内の諏訪神を祀る幾つかの神社でも用いられている。


【片拝殿】


重要文化財。


【一之御柱】



【二之御柱】



【若宮社・上諏訪社】







【結びの杉】



徒歩数分の場所にある万治の石仏を見に行きます。


【砥川】



【朱橋】



【浮島社】




祓戸大神が祀られています。


【砥川】



【朱橋】



【万治の石仏】






いや~面白いお姿をしてますね。

大きい石に身体を刻み、頭を乗せました!みたいな感じ。(笑)


【御朱印】


500円でした。

四社全てを巡ると落雁が貰えるらしい。

あー、御朱印代が500円なのはお菓子代込みなんですね、分かります。(笑)

敬愛社宝光院(2015年9月20日参拝)

2015年10月19日 | 仏閣
慈雲禅寺の竜の口のすぐ側に何やら祠や建物がある。

てっきり慈雲禅寺の境内社かと思いや、
何やら雰囲気が明らかに違う。


矢除石が上にあるようなんで、
とりあえず行ってみよう。



所在地:長野県諏訪郡下諏訪町東町中572-2
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:不明
創建:不明



【稲荷社】


最初に見えるのが稲荷社です。

だいたい稲荷社って一番奥の暗いところにあるんですが、
こちらは明るい場所に鎮座しております。


【不動滝】



【本堂】


どうやら修験道のお寺のようです。

場所的に戸隠の影響があるのかと思ったが、
醍醐寺真言宗に属しているみたいですね。


この建物は大正9年に建てられたらしい。


【薬師堂】





【狛犬】



【境内社】



【鳥居】



【弥栄富神社】




やはり神仏習合のようです。


【矢除石】




信玄公所縁の巨石。

真贋は問わないでおこう。(笑)


【開運厄除不動明王】


手前には理源大師や神変大菩薩と刻まれていることから、
醍醐寺との関わりが分かりますね。





【境内社】



昔からある講のようですが、
詳細は不明です。