Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

専照寺(2017年7月8日参拝)

2017年07月31日 | 仏閣
吉峰寺から本来なら吉崎御坊や那谷寺、瀧谷寺に参拝しようと思ったが、
これが予想以上に遠く時間がかかる事が判明。

福井もやっぱり広いね。

これらのお寺は参拝したかったが、
第二候補である福井市内の神社仏閣巡りをすることにした。

まずは浄土真宗の本山である専照寺へ。

無料駐車場がありました。


所在地:福井県福井市みのり2-3-7
宗派:浄土真宗 真宗三門徒派
御本尊:阿弥陀如来
創建:正応3年(1290)
開基:如導上人


【縁起】
真宗十派の一、真宗三門徒派本山・鹿苑山専照寺は、
今より約700年前の正応3年(1290)、宗祖・親鸞聖人の法脈を継承する
開基・如導上人が仏法興隆の為、現在の福井市大町の地に一宇を建立、
寺号を専修寺と称したところからはじまります。

開基・如導上人は宗祖・親鸞聖人の御教えの教化、弘法に尽力され、
北陸一円に於いて教団は大いに栄えました。

如導上人の滅後、道性上人が現在の横越、如覚上人が鯖江の地にそれぞれ一派を立て、
四代・浄一上人が中野の地に一宇を建立し専照寺と改称したのが起源です。

地元で親しまれている中野本山と言う名称も、
専照寺が中野の地に在した事に起因します。

三門徒の謂れは横越の證誠寺、鯖江の誠照寺、中野の専照寺が、
相対して存立されていたので、世の人々はこれを三門徒衆と称したとされています。

十一代・善蓮上人の時、仏法興隆に努めた功績が認められ、
天正13年(1585)正親町天皇より権大僧正の口宣を賜り天皇家の勅願所と成りました。

本山・専照寺が現在地に移ったのは享保9年(1724)。
しかし、天保8年(1837)には大火により御本堂、
御影堂をはじめ全ての建物が全焼、その後、復興を遂げました。

ところが堂塔伽藍は昭和23年の福井大震災で御影堂を残し御本堂、その他、
全て倒壊しましたが、宗門の一丸となっての努力により再建されつつ現在に至る。


【山門】


山門から推察するに浄土真宗の本山でも中クラスでしょうね。


【御影堂】




天保9年(1838)再建に再建されたもの。

浄土真宗の本山クラスは必ずと言って良い程、
堂内に入れて拝める。

このお寺もまさにそう。

早速内陣へ。


【内陣】




親鸞聖人の御木像と開基如導上人の御木像等が祀られていました。


【阿弥陀堂】


昭和34年(1959)に再建されたもの。

阿弥陀堂は残念ながら閉まっていました。

本山クラスで阿弥陀堂が閉まっているのは、
ここぐらいじゃないかな。

ちょっと残念でした。


【御手植松】





【鐘楼堂】



【蔵】



【菩提寺】


専照寺の境内の中にお寺がありました。

これは子院みたいなもんでしょうね。


【教覚寺】


こちらも菩提寺と同じです。


【花】



以上、専照寺の参拝終了。

スタンプになりますが、一応御朱印はあるようです。

参拝した時は無いと思っていたので、
寺務所には確認してませんでした。

吉峰寺(2017年7月8日参拝)

2017年07月30日 | 釈迦三十二禅刹
越前大仏で伽藍と大仏さんを堪能した後は、
全く真逆である曹洞宗ならではの凛とした古刹である吉峰寺へ。

こちらはあの道元禅師所縁のお寺です。


所在地:福井県永平寺町吉峰35-2
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:不明
開山:泰澄大師
札所:釈迦三十二禅刹霊場


【縁起】
道元禅師は正治2年(1200)に京都で生まれ、
貞応2年(1223)宋に渡り天童山景徳寺に置いて、
如浄禅師のもとで悟りを開かれた。

寛元元年(1243)波多野義重の請により越前志比荘に向かい、
吉峰古寺草庵に掛錫された。

翌年大佛寺(永平寺)を開かれるまで、
この地に於いて正法眼蔵の多くの巻を示衆されたが、その後荒廃した。

明治36年(1903)田中佛心和尚が霊跡を振興し諸堂を再建、
永平寺64世大休悟由禅師を請して中興開山とした。

ここより永平寺まで三里半の山路も道元禅師をはじめ、
仏心老大和尚がお通りになられた祖跡コースとなっています。


【徹通坂】


手前に駐車場があり下りてみる。

徹通坂を登るとお寺に行けるらしい。




この暑い時に登るのは嫌だなと思っていると、
案内板に上にも駐車場があると分かった。

勿論、車で登ったのは言うまでもない。(^^;


【林道】


これが思ってた以上に狭く、対向車よ来ないでと願う道。(^^;

こういう所で対向車が来ることはほとんど無いけど。

5分くらいで無事に到着すると16台分の無料駐車場がありました。


【風景】


とっても田舎です。(笑)


【境内】


やはり静かで凛とした雰囲気のお寺です。

だからこういう山にあるお寺は好きなんですよね。(^^


【庫裏・佛心閣】



【玄関】


こちらで拝観と御朱印をお願いした。

拝観料は必要です。


【徹通観音】



【法堂】


ここが特に素晴らしい雰囲気でした。(^^




早速内陣に上がらせていただく。


【内陣】




曹洞宗らしい内陣と釈迦三尊像です。




床の間には文殊大士の掛軸や観音菩薩が祀られていました。




こちらは多聞天でした。

法堂の内陣から観音堂、開山堂へ行けます。


【白山水】



【観音堂内陣】





【開山堂内陣】


観音堂と開山堂の内陣に入れてとても良かった。(^^

大概、開山堂には入れないもんだけど。

さて、法堂に戻って外から観音堂と開山堂を見ますか。


【石仏】



【石塔】



【観音堂】



【開山堂】


開山堂と法堂の裏側に回ると鐘楼堂があるので行ってみる。


【石仏】





【鐘楼堂】


鐘楼堂の近くに雲水さんと若い女性二人がいらっしゃった。

この女性達は徹通坂を歩いてきたそうで、
めっちゃしんどかったと言ってました。(笑)

女性が歩いて登ってきたのに、男の私が車で楽してすみません。(^^;


【御朱印】


御朱印は二種類あり見開きでいただきました。

禅語は5百円でした。


とても良いお寺でしたね。
お勧めです。

越前大仏<清大寺> 其の二(2017年7月8日参拝)

2017年07月29日 | 仏閣


大仏殿を後にし五重塔へ。

回廊も立派なものです。


【九龍殿】


出口側から撮影したもの。

屋根の反りが半端無い。

こんなに反っている屋根は見た事無いですね。

しかし、めっちゃカッコいい。(^^


【九龍壁】






中に入るとこんな壁がありました。

これは北京市北海公園にある中国国宝第一号の壁で、
中国政府の許可のもとに再現されたものとか。

中国政府の許可とかスゲーな。

九龍壁は越前の地を流れる九頭竜川に因んで、
ここに据えられたもの。


【五重塔】




これはとても美しい五重塔です。

五重塔の建設費用って幾らかかるんだろう?

個人で建てられるとは凄過ぎです。

しかし、今や五重塔や土地は勝山市が管理しているが、
資金難で五重塔が競売にかけられたが、
さすがに買う人は未だに現れていないとか。

そりゃそうだ。(^^;


【石仏】


嬉しいことに五重塔の中に入れます。

一階のエレベーター横に安置されていました。

エレベーターで4階まで上がり、階段で最上階へ。


【風景】




ここから見ても大仏殿はデカイ。




大門、門前町方面。

勝山市はそこそこ繁栄していているが、
長閑で良い所です。


【阿弥陀如来・釈迦如来・薬師如来】


最上階に安置されていました。


【石仏・金仏】




下りはエレベーターを使わず階段で。

各階に安置されていました。

これも但馬大仏と同じ。


【選仏殿】



【宝仏殿】


その他に日本庭園もあったけど、暑いので回避。

鯉と戯れたかったけどね。(^^;


【御朱印】


これにて越前大仏参拝終了。


他の方のブログを読むと馬鹿にしたり、
皮肉ったりしてるのが結構多いけど、
これだけの文化財を建立したのは素直に凄いと思う。

社員にもっと還元しろよと思うけど。(^^;

私はこのお寺は珍スポットとは全く思わない。

単に歴史が無いだけ。

越前大仏にはフラットな気持ちで訪れ参拝してほしい。

越前大仏<清大寺> 其の一(2017年7月8日参拝)

2017年07月28日 | 仏閣
平泉白山神社の次は伽藍好きには見逃せない越前大仏です。

ここは但馬大仏と同じく相互タクシーの天皇とよばれた
多田清氏が立身出世井した恩に報いる為に建立した寺院です。

建立されたのが昭和62年とバブル期とあって、
数百億円もの費用をかけられたその伽藍は凄いの一言。

相互タクシーの運転手や従業員からしたら、
そんな大金をはたくぐらいなら還元しろと思っていたでしょうね。

でも、これだけの費用をかけて神社仏閣に私財を投げ打って、
建立する政治家や実業家は現代においては皆無であろう。

あるとすれば信者からお金を巻き上げることが出来る
新興宗教ぐらいでしょうね。

そんな事はさておき、参拝開始です。


所在地:福井県勝山市片瀬50字
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:毘盧舎那如来
創建:昭和62年(1987)
開基:多田清


【勝山城博物館】


平泉寺白山神社から10分ぐらいの場所にあるのが、
多田清氏が造った模擬天守である勝山城博物館。

なかなか立派なもので個人でよく造ったなと思う。

ここはそこそこ観光客がいました。


【遠景】




遠くから見ても伽藍の大きさが分かります。

ナビを頼りにお寺に行くも、表側に大型の無料駐車場があるのに、
山側のとんでも無く細い道に誘導される。

これはアカンと思って大通りに戻ったら、
無事に無料駐車場に到着。(^^


【講堂】


大型の無料駐車場がありましたが、
ここは閉まったままでした。


【表参道】



【仏像】


木造なのか鋳造なのか分かりませんが、
不動明王をはじめ何体もの仏像が安置されていました。


【門前町】


ゴーストタウン化してますが、
荒れていなく綺麗に手入れされていましたね。

参拝客が少なく次々と撤退していったようですが、
これだったら格安で誰かに住んでもらったら良いと思うけど。


【地蔵尊】


この辺りで拝観料500円を支払う。

勝山城博物館の拝観も勧められたが丁重にお断りした。


【大門】


東大寺の南大門を模したものだそうで、
その名の通り、かなり大きな門です。

ま、東大寺の方がデカイけど。


【狛犬】


これだけでも数百万円は必要でしょうね。


【仁王像】
 

中国福建省の大仏師により3年6ヵ月の歳月をかけて造られたもの。

これはかなりデキの良い仏像です。


【狛犬】
 

反対側には狛犬。


【中門】




東大寺の中門を模したものでしょうか。
これもまたデカイ門です。

それにしても暑い。

これだけ暑いとは予想外です。(^^;


【二天像】
 

これもかなりデキが良いです。


【大仏殿】




東大寺の大仏殿を模したと言われているが、
屋根以外はそんなに似て無いですね。(^^;


【十二支】





【五重塔・回廊】



【灯籠】


東大寺の国宝金銅八角灯籠によく似てますね。

これを造ろうと思ったら1千万じゃ絶対無理じゃないかな。


【狛犬】


暑いので大仏殿の中に入ります。

中に入るとひんやりしていて助かる。


【毘盧舎那仏】


笑ってしまうほど大きい大仏さんです。

中国河南省洛陽市にある龍門石窟の中にある龍門奉先寺座像がモデルで、
高さが17メートルあり、220トンの銅が使用されています。

他の方のブログを読むと越前大仏の事を、
半分馬鹿にしたような書き込みをよく見ますが、
誰が造ったにせよ、この大仏さんは立派なものだと思います。




それにしてもパンフレットを見ると黒光りしていますが、
顏、上半身、右手は金色に光っていますね。

てっきり元々は全身金箔に覆われていて、
時間の経過により剥げたものと思っていたのに。

うーむ、逆に金色を足したとか?

不思議だ。(^^;


【普賢菩薩・文殊菩薩】




これも大きく見事なものです。


【オブジェ】


これは一体?(笑)


【石仏】




壁三面に沢山の石仏が。

これは但馬大仏と同じですね。


【りん】


りん棒がめちゃくちゃ重かったが、
何とか鳴らせました。


【迦葉尊者・阿難尊者】




裏に回ってみます。




裏側はこんな感じ。


【フォークリスト】


ちょ!
こ、これはいただけませんな。(苦笑)


【東門】


大仏殿の裏には扉があって外に出れます。




門の外に出て撮影したもの。

どうやらナビは東門を目指して案内していたらしい。

あのまま無理に進まなくて良かった。

ここから境内に入れず、
バックのまま車をずっと運転しなければならなかったよ。(^^;


【鐘楼堂】



【境内】


この後、あの五重塔を目指します。


長くなりましたので続きはまた明日。

顕海寺(2017年7月8日参拝)

2017年07月27日 | 仏閣
平泉寺白山神社の精進坂の前にあるのが、
平泉寺塔頭の顕海寺というお寺です。

ここは顕海和尚が建立した歴史あるお寺ですが、
今は地味な存在です。


所在地:福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-66
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛永15年(1638)
開基:泰澄大師
開山:顕海和尚


【縁起】


天正2年(1574)一向一揆により全山が焼失、
難を逃れた賢聖院の住職顕海和尚は9年後、
二人の弟子と共に戻られ平泉寺を再興されました。

後に顕海は玄成院を弟子の専海に譲り、
跡地に草庵を結び自ら顕海寺を建立。

当初は顕聖院と号した。

明治の廃仏毀釈の際に玄成院住職義章は還俗し、
白山神社の神官となったが、
顕海寺は天台宗寺院として廃寺を免れた。


【山門】


お寺の経営困難を伺われる山門です。


【鐘楼堂】





【本堂】


御本尊の阿弥陀如来は一向一揆の時に境内の池に沈められていたものを、
引き上げて安置されたものとか。

本堂は残念ながら閉まったままでした。

7月15日から8月21日から御本尊が御開帳されるとのこと。


【地蔵堂】





【北向わらべ地蔵尊】



御朱印はあえて庫裏に行かずにいただいておりませんが、
平泉寺の御朱印とあわせて二種類いただけます。

旧玄成院庭園(2017年7月8日拝観)

2017年07月26日 | 神社


平泉寺白山神社の参道を歩き、
一の鳥居まで戻ってきました。

鳥居前には平泉寺白山神社の社務所があり、
旧玄成院の庭園があります。

神社の御朱印はこちらでいただけます。


【由緒】
江戸時代までは平泉寺の中心的な坊院であった玄成院が、
廃仏稀釈により廃され、今は白山神社の社務所となっています。

享禄4年(1531)室町幕府管領である細川武蔵守高国が、
作庭にしたと伝えられています。

枯山水庭園で北陸地方の現存する庭園としては最古を誇り、
左側の点景となる石造5重塔には永享6年(1434)の銘があります。

築山の最高部に本尊石を配し、これを中心に渦巻状に滝を模した石組や池を配置し、
池の中には鶴島や亀島、石橋を置いています。

旧玄成院庭園は昭和5年(1930)に国指定名勝に指定されています。


【表門】


渋いっすね~。

期待しながら中に入る。(^^


【社務所】


前庭の奥に大きな社務所がありました。

人の好さそうなお婆様が御朱印対応されていましたね。

拝観料50円を支払い旧玄成院庭園へ。


【旧玄成院庭園】




もっと広いのかな~と思っていたら狭かった。(^^;


【苔】




暑くて苔も夏バテしていました。(^^;

もっと水をくれーと叫んでいることでしょう。

平泉寺白山神社の境内の苔も同じで、
一番美しい時期は過ぎていたようです。

そりゃこんだけ暑かったら仕方ない。

一番良い時期は6月だろうね。


【社務所】



【御朱印】


印だけを見るとお寺の御朱印のようです。

今でこそ神社になっていますが、
神仏習合の意識が強い神社だと感じました。


御朱印代は200円でした。

福井の方は相変わらず商売っ気が無いですね。(^^

京都や奈良の観光寺院は見習ったらいいと思います。(笑)


オリジナル御朱印帳がありましたが、
小さいサイズだったので買いませんでした。

神社用はこれ以上買うと消費しきれんから、
よっぽどのデザインじゃ無いと買わないので。(^^;


憧れの平泉寺白山神社の参拝終了。

一番美しい時期では無かったとはいえ、
その苔の絨緞は圧巻であった。


その苔の保存や発掘作業の費用の為に、
平泉寺白山神社は拝観料を取っても良いと思う。

あれだけのものを魅せてくれるんだから。

平泉寺白山神社 其の二(2017年7月8日参拝)

2017年07月25日 | 神社
平泉寺白山神社の本社を参拝後、
次は三宮がある奥に進みます。


【鳥居】


めちゃくちゃ良い雰囲気。

ツアーで訪れていた方々はこの鳥居を前にして帰って行きました。

実に勿体無い。

時間の都合なのか、本社を参ったらそれでいいのか、
それとも苔がこれより先に無いからなのか、よく分からないけど。

本当に勿体無い。


【参道】


この参道もいいですね~。

しかし、福井なのに本当に暑い。(^^;


【納経所】


平安の頃より滅罪の経典である法華経を写経して、
その一部を日本六十六カ所の神社に納めながら諸国を巡礼するのが、
江戸時代に特に盛んに行われたとか。

越前での納経所は平泉寺白山神社だけだそうです。


【石仏】




納経所近くに何体もあって心が痛む。

こういう破壊されたものって必ず首を刈られているよね。

こんなことをやるヤツって人殺しと同じだし、
己の心も殺しているのに気付かない。

憐れ。

地獄行きは間違いない。


【参道】




三宮が見えてきました。

ここまで訪れる参拝者って少ない。

実に勿体無い。


【三宮】



【楠木正成供養塔】





【三宮】




慶長2年(1597)に建立されたもので、
安産の神である栲幡千々姫尊が祀られています。


三宮の後ろに白山禅定道という登山道の入口がありました。

現在、ここから登山する人は三頭山から法恩寺山を登り、
白山伏拝で白山を遥拝して平泉寺白山神社に戻るというルート。

白山伏拝から縦走して経ヶ岳と北岳に行くことも可能。

しかし、白山までだと30キロもの距離があるので、
白山まで行って登るのはかなり難しいみたい。

泰澄大師や昔の修行僧は現代のようなルートや装備も無かったから、
まさに命を懸けた相当厳しい荒行だったでしょうね。


【参道】




三宮から引き返し発掘現場へ向かう。


【宗像神社】




発掘現場に行く途中にある神社。

神社なのか寺のお堂なのか、よく分からなかったけど、
グーグルマップで見ると宗像神社となっていました。


【発掘現場】


余りに暑いので近くに行くのを断念。

無理。(^^;


【境内】






さっきの発掘現場近くより、
直射日光が当たらないだけちょっとだけ涼しい。


【開山社】





【境内】




ここの境内は本当に素晴らしい。

こんな素晴らしい境内があったのかと、
興奮すると同時に、とても心が落ち着く不思議な境内です。(^^


暫くずっと眺めていました。


またまた長くなりましたので、
続きはまた明日。

平泉寺白山神社 其の一(2017年7月8日参拝)

2017年07月24日 | 神社
平泉寺白山神社は歴史的にとても興味深い神社であると同時に、
境内に広がる苔の美しさが有名ですね。

京都の苔寺に匹敵、いや、司馬遼太郎は平泉寺の苔と比べれば、
苔寺の苔は大したこと無いとまで言い切ったとか。

苔が一番美しいのは梅雨。

苔寺は全く行きたいとは思わないが、
平泉寺白山神社は以前からどうしても訪れたかったので、
梅雨時期を狙って参拝です。

とても楽しみです。(^^


<白山神社>
所在地:福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63
御祭神:伊奘冊尊
創建:明治3年(1870)
社格:県社

<旧平泉寺>
宗派:天台宗
創建:伝養老元年(717)
開山:泰澄大師


【由緒】
霊峰白山へお参りをする時の登り口として西暦717年(養老元年)に、
泰澄大師により開かれた霊場です。

泰澄大師が白山山頂を目指して、現在の白山神社の境内にある御手洗池の傍らで、
祈祷をしていたところ白山の神である権現の女神が現れました。
その神に導かれて白山の頂上を極めたと伝えられています。

平泉寺は古くは平清水、白山社等と称され、
平安時代の末期には延暦寺の末寺となり、
その後、多くの寄進などもあって次第に勢力を伸ばしていきました。

最盛期には48社36堂そして6千の僧坊、寺領9万石9万貫、
僧兵8千人を要したといわれ、白山信仰の拠点とし栄えました。

戦国時代には朝倉氏と肩を並べる越前国の一大勢力であったが、
逃れてきた朝倉景鏡を匿った為、天正2年(1574)
一向一揆の兵火により全山が焼失。

この時の学頭にあった顕海は美濃に逃れ、
9年後の天正11年(1583)に平泉寺に戻った顕海は、

弟子の専海、日海と共に再興に着手し、
江戸時代までには境内の中心部が再興されました。

慶応4年(1868)明治政府より神仏分離令が出され、全国的な運動の高まりから、
ここ平泉寺においても明治3年(1870)平安時代以来の神仏習合の伝統が破棄され、
神社として分離独立しました。

このような歴史を経て今は平泉寺白山神社となっています。



【風景】


長閑な道を走りながら平泉寺白山神社へ。

神社に着くと幾つかの無料駐車場がありました。
その前に必ずお店があったけどね。

それにしても今日はめちゃくちゃ暑い。

福井だともっと涼しいと思ってたのに。(^^;


【泰澄大師廟】




まずはお大師にお参り。


【精進坂】


やはり素晴らしい雰囲気です。

期待値は上がりっぱなしですよ。(^^


【芭蕉句俳】


うらやまし 浮世の北の山桜


【一の鳥居】


精進坂から先は魚の持ち込みを禁止していた時期もあったとか。

この鳥居をくぐると完全に結界の世界に突入です。


【参道】


ここまで暑いと苔が一番美しい時期はとっくに過ぎていたようです。

それに天気が良くて光が多過ぎ。

こういう場所は曇りが一番良いんだけどね。





それでも奥に進めば進むほど雰囲気が素晴らしくなってくる。(^^


【御手洗池 平清水】




ここはオフィシャルHPの写真を見てると、
とても綺麗に映っているんだけど、実際はそうでも無い。(^^;

あれは写真が良過ぎるね。(苦笑)


【御神木】



【二の鳥居】


よく見ると鳥居の中央に屋根がついていて、
とても変わった鳥居です。

これは権現造りの鳥居で神仏習合を表す鳥居ですね。

一向一揆で焼かれた鳥居の代わりに、
安永6年(1778)に再建されたもの。


【境内】


苔がとても豊富です。(^^


【池尾明神】



【今宮神社】







【狛犬】



【稲荷社】



【境内】




神社仏閣巡りは天気がいい時に限る。

しかし、ここに限っては天気は曇りの方が断然いいですね。


【八幡神社】



【拝殿】


奥に拝殿が見えます。

この辺りから見る苔と拝殿、雰囲気が素晴らしい。




拝殿の中には福井藩主松平家の奉納品である十数面の絵馬があるそうです。


【境内】






写真を撮らずにはいられない。


【本社】




まさにいぶし銀の渋さ。

寛政7年(1795)に第12代福井藩主松平重富により再建されたもの。

本社の扉は33年に一度しかあけられないとかで、
次に扉が開けられるのは平成37年(2025)となります。


【狛犬】



【鳥居】


鳥居より先は苔の保護の為に立入禁止です。


【境内】





【高松宮妃殿下御手植】



【大汝社】


御祭神:天忍穂耳尊


【別山社】


御祭神:天忍穂耳尊


まだまだ見所は多い。

長くなりましたので続きは次回に。

宝慶寺(2017年7月8日参拝)

2017年07月23日 | 釈迦三十二禅刹
今日は以前から訪れたかった平泉寺白山神社をメインに、
福井の神社仏閣を巡ります。

まずは曹洞宗の中でも重要な寺格のある宝慶寺へ。




北陸自動車道の杉津PAで休憩。

ここには芭蕉の句俳がある程、景色が良い所です。

さぁ、これからもうひと踏ん張り。

福井も敦賀ならまだ近いと感じるが、
そこから先だと遠く感じるのよね。




オール高速で約3時間で到着。

大野市はなかなか遠い。(^^;

大き目の広場のような無料駐車場がありました。

いざ参拝開始。


所在地:福井県大野市宝慶寺1-2
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼
創建:不明
開山:寂円禅師
札所:釈迦三十二禅刹


【縁起】
今から約700年前に寂円禅師によって開かれた。

開山寂円禅師は中国宋朝の人であり、明州慶元府の太白山天童徳禅寺で、
日本から入宋した道元禅師と共に、如浄禅師の下で参学を続けられた。

その後、安貞2年(1228)先に帰朝し常に随待した。
 
道元禅師ご遷化の後、弘長元年(1261)この銀杏峰の麓に入り、
石上に坐禅すること18年、たまたまこの山奥に遊猟した下野守藤原氏が、
坐禅される寂円禅師のお姿をみて、帰依尊信の念を起こし、
一字を草創して宝慶寺と名付け、請して開山と仰いだ。

弘安元年(1278)知円沙弥によって七堂伽藍が造立された。

天正年間(1573-1593)の一向一揆の兵火により多くの堂宇、寺宝、
記録等が焼失、さらに寺領が没収され一時衰退。

越前が織田信長の領地になると宝慶寺は寺領が安堵され、
江戸時代に入ると福井藩主結城秀康からさらに寺領を加増、
寛永10年(1633)にようやく本堂が再建されました。

再建の際は織田信長の親戚にあたる織田信益、信勝が尽力したと伝えられ、
境内には織田家の墓碑が建立されています。


【参道入口】


3分くらい歩くようです。

短くて助かる。(^^


【鎮守社】



【地蔵尊】





【参道】


お寺に到着のようです。


【旧橋本家住宅】


右手に一瞬廃墟かと思うような建物が。

実はこれは18世紀前半に建てられた重要文化財だとか。

早く修復してくれー。(^^;


【総門】




小ぶりながら印象的な表門である総門ですね。

平成24年(2012)に大雪によって倒壊し、
同年に托鉢や浄財により再建されたもの。


【参道】


いかにもといった良い雰囲気です。

都会の観光寺院では絶対出せない雰囲気です。(^^


【牛犬堂】






牛と犬が祀られたお堂は初めて見た。

全国唯一のお堂でしょうね。

開山の寂円禅師の側を離れず、
托鉢のお供やお使いを努めた牛と犬がいたそうで、
禅師が入寂した後、牛と犬も間もなく亡くなったので、
開山の塔の傍らにこれを祀ったもの。


【薦宝閣】


昭和47年(1972)に建立れ、
道元禅師画像等宝物が安置されているとのこと。


【秋篠宮殿下御参観記念樹】



【山門】




渋い、渋すぎる。

しびれるほどの渋さ。
ずっと見てても飽きませんね。


額には永平寺貫首久我環渓の染筆で、
日本曹洞第二道場と書かれていました。


【狛犬】



【六地蔵】




山門で外敵から守っているのは金剛力士像が定番ですが、
こちらのは六地蔵が安置されていました。

これは珍しいですね。

多くの寺社を参拝している私でも初めて見た気がします。


【手水鉢】


この苔がたまらねー。

欲しいわ~。(^^


【法堂】


曹洞宗の山寺らしい本堂がとても良いですね。

嬉しい事に本堂が開いていたので早速堂内へ。


【内陣】




華美になり過ぎない曹洞宗らしい内陣と御本尊様です。

釈迦三尊像の他に如浄禅師像、道元禅師像が祀られていました。


【山門】


こっちから見ても渋い。

上に鐘楼があったので鐘楼門でした。


【僧堂】




文殊菩薩が祀られ、一般の方も僧堂で座禅が出来ます。

法堂内陣から行けますが、許可を得て無い者は立ち入り禁止です。

明治16年(1883)に焼失、約100年後の昭和61年(1986)に再建されたもの。


【庫裏】



【境内】



【御朱印】


御朱印は二種類あり、
今回はあえて禅語の書置きをいただきました。


とても清々しい気持ちになれるお寺でした。

親知らず抜歯 其の三

2017年07月22日 | 旅行、その他
【抜歯四日目】
若干の出血はあるが、痛みも腫れも問題無し。

今日から普通に出社。

働くのが普通にダルいわ~。(^^;

朝食はウィダーインゼリーと菓子パン。
昼食はサンドイッチとコンビニのおにぎりとお茶。

まだ刺激がありそうなカレーなんて絶対食えない。(^^;

毎日飲んでいたコーヒーすら飲む気にならない。

突然の痛みやドライソケットにならない為です。

我慢我慢。

定時に仕事をあがらせてもらい帰宅。

夕食は柔らかいハンバーグと卵かけご飯を食べました。

雑炊に飽きていたので卵かけご飯が美味い。(^^


【抜歯五日目~六日目】
痛みや腫れも問題無し。

これでドライソケットにはならずに済んだかな。

いやいや油断禁物。

ご飯も段々と固形のモノも食べれるようになってきた。

さすがにカレー等の刺激系と噛む回数が多くなる焼肉は食べてない。

早く食いてーーー!


【抜歯七日目】
糸を縫った場合はだいたい一週間経ったあたりで抜糸。

ここまできたらドライソケットの心配は大丈夫かと。(^^

ただ、抜いた後の穴に食べ物が入って、
詰まり感が半端無い。

歯医者に行って穴を確認してもらったところ問題無いとのこと。

もうこの頃になるとブクブクうがいも解禁です。

安心しました。(^^

問題無いか心配していたので歯医者行って良かった。

祝いとして焼肉をいっぱい食ったった。(^^

夢にまでみた焼肉は人生最高の味でしたね。(笑)


【抜歯総括】
親知らずの抜歯は手術自体が痛くて苦しいイメージがありましたが、
抜歯自体は麻酔によって痛みは全くありませんでした。

手術自体の時間も20分程だったので楽でしたね。

むしろ抜歯の翌日以降の方が痛みが出るようです。

私の場合は痛み止めを飲んでたこともありますが、
痛みが嘘のように無くて本当にラッキーだったなと思います。(^^

抜かずに済むのなら抜きたく無いのが親知らず。

でも、残していると後々に大きな痛みを伴う場合もあるので、
抜いた方がいいと言われたら抜いた方が良いです。

横向きの埋没型では無く、縦に生えてるなら楽だから尚更です。


アドバイスとして言えるのは、
1.抜歯前はレーザー照射して抜歯する場所の歯茎を、
 殺菌して清潔にすること。

2.地元の歯医者さんでも抜歯をするとこもあるけど、
 やはり経験豊富な総合病院や大学病院で抜歯した方が賢明です。

3.抜歯当日は風呂に入らない、酒を飲まない、タバコを吸わない。
 激しい運動をしない。(エッチ含む)

4.一週間はブクブクうがいをしない。
 歯磨きはうがいの回数が少なくなる液体ハミガキを使用。
 イソジンやコンクールで口内を清潔にする。
 
 うがいのやり過ぎも良く無い。

5.患部は指や歯ブラシで触れない。

6.すすって食べる行為は厳禁なので、
 うどんや蕎麦等は一週間は控える。
 同じくストローで飲んだりしない。

7.食べ物やカスが穴に入った場合は無理に取らない。
 うがいで何とかする。

 取れない場合は放置プレー。

8.二週間ぐらい経つと口臭がドブ臭くなる。
 この場合は抜いた手前の奥歯の裏側が磨けていないので、
 柔らかい歯ブラシで優しく奥歯の奥を磨くと白い塊が取れて、
 口臭もかなり減りました。


こんなもんかな~。

何にせよ病院で注意事項を書かれた紙をくれるので、
それを守っていれば大丈夫かと。

ネットで親知らず抜歯を検索すると、
痛いとかつらいとか目に入って心配しちゃうけど、
私のように痛みや腫れも無い場合もあります。

これから抜歯をする方は痛みが無い事を祈って、
頑張ってください。(^^

私にはあと1本横向きの埋没型の親知らずがあるから嫌なんだけどね。(^^;

親知らず抜歯 其の二

2017年07月21日 | 旅行、その他
5月1日に抜歯予定もまさかの中止により、
有給を取って6月23日にまたまた総合病院にやってきた。

今日も中止にしやがったら暴れるぞ。(^^;


【抜歯当日】
予定時間通り名前を呼ばれて診察室へ。

とうとう抜く事になった。(泣)

医師にジョークで麻酔は多めにお願いしますと言ったが、
モルヒネくれとまでは言えなかった。(^^;

まずは麻酔です。

最初チクっとしただけで痛みは無し。

5分程麻酔が効くまで待って、いよいよ手術開始。

タオルで顔を覆っているので、
手術道具等は見えない。

というか、見たくないけど。(^^;

歯茎を切開して横向きの親知らずを削って割っていく医師。

手術中の痛みは全く無し。

私の友人は1時間ぐらいかかって、
途中で医者にもう止めて下さいと、泣きを入れてたから、
私も辛いんだろうなと思っていたんですよね。

これは本当に嬉しい誤算。(^^

ありがたや ありがたや。

途中でグイグイと引っ張られたけど、
痛みも無く麻酔時間を入れて30分程であっけなく終了。

浅い場所に親知らずがあったから、
骨を削る事も無く、抜歯後に糸で縫う事も無く。

親知らず抜歯では評判の医者だったこともあった事も大きい。(^^

頬の腫れ防止の注射も念の為にした。

かかった費用は手術代約4千円、
ジェネリックの痛み止め7日分で千円程でしたね。

帰宅の時、車は運転出来ました。

頬に冷えぴたを貼ってベッドで横になる。

痛みも無く、出血も余り無し。(^^

とりあえず注意事項として、当日は風呂に入らない、
タバコを吸わない、運動しない、飲酒をしないこと。

そして何より大事なのがブクブクうがいをしないこと。

血蓋を洗い流さない事が大事です。

口の中が気持ち悪い時は、水を含んでゆっくり吐いてください。

ご飯はさすがに食う気にならないので、
痛み止めとウィダーインゼリーを二種類飲んで、
ベッドでひたすら安静にしました。


歯磨きはやっぱり怖いね。(^^;

ブクブクうがいをしなくて済むコンクールやイソジン等の
液体で口内を清潔にすることを心がけました。

血行を良くしてはいけないので、お風呂はシャワーのみ。

枕を少し高くして就寝。


【抜歯二日目】
心配していた痛みと腫れは無し。(^^

出血も極少量で問題無し。

抜歯する前に地元の歯医者でレーザーを当てて、
口内の悪い菌を殺菌していたことと、
抜歯してくれた医者の腕が良かった事が幸いしたようだ。

ただ、昨晩から少し体温が上がって熱っぽかった。

これは水分を取って無かったので、
軽く脱水症状になっていたようです。


朝食はウィダーインゼリー。

処方された痛み止めと胃を保護する薬と抗生物質を飲んで、
ベッドでひたすらテレビを見ながら安静にして過ごす。

二日目は頬は冷やさない方が良いです。

地元の歯医者(予約不要)に行って抗生物質を抜歯した穴に入れてもらう。

腹が減ってる以外、体調も普段と変わらない。


昼と夜はウィダーインゼリーやレトルトの雑炊を食べる。

噛まずに飲み込むような食べ物をチョイス。

うどんやラーメンとか食べたり、ストローで飲み物を飲むと、
血蓋を剥がしてしまうので一週間ぐらいは止めた方が良いそうです。

熱い飲み物は怖いので、お茶とかは冷たいのを飲みました。

お勧めはプロテインの粉末を牛乳でシェイクして飲むこと。

これを飲むと結構空腹感が感じなくなるので助かりました。(^^

歯磨きもコンクールで済まし、シャワーのみで就寝。


【抜歯三日目】
三日目が一番痛みや腫れがあると言われているが、
幸いにも痛みや腫れも全く無し。

ネットで見てるとズキズキした痛みで寝れないとか、
出血が止まらないとか、色々怖い事が書いてありますが、
私の場合は拍子抜けするぐらい問題無し。(^^

あとは恐怖のドライソケットにならない事を願うのみ。

ドライソケットは抜歯窩が歯茎や血液で覆われず、
口の中で骨が剥き出しになっている状態で、
こうなっちゃうとロキソニンも効かない激痛が、
一週間以上続くと言われています。

何でも下の親知らずを抜歯した4~5%の人が、
恐怖のドライソケットになるみたいです。

これだけは絶対になりたくない。

なりたく無いので食事やうがい等は細心の注意を払う。

食事はウィダーインゼリーやレトルトの雑炊、
それと卵焼きや豆腐をプラス。

柔らかい菓子パンも食べれました。(^^

とにかく余り噛まなくてもいいモノばかり食べてます。

しかし、こんな粗食をしていると、
焼肉とか唐揚げとか濃いモノが食べたくて仕方ない。

夢に出てきそうなほど食べたいです。(泣)


今日もシャワーのみで就寝。


長くなったので続きはまた明日。

親知らず抜歯 其の一

2017年07月20日 | 旅行、その他
私の親知らずは上下4本生えているが、
特に下の2本は横向きの埋没型。

まだ1本も抜いていない。

以前から親知らずは抜歯した方が良いと、
歯科衛生士さんに言われてきた。

しかし埋没しているタイプの親知らずは抜き難く、
めちゃくちゃ痛いと巷ではよく聞く。

そんなこともあって今まで逃げまくっていたのですが、
もし、親知らずが虫歯になって腫れたら、
痛み止めも効かない程痛くなると歯科衛生士さんに、
脅されたもんだから嫌々抜きに行く事にした。(泣)

いつも行っている町医者では抜歯はしないということで、
市内の総合病院を紹介してもらう。

5月1日に総合病院に行く。

親知らずと近くの神経を確認する為に、血液検査、レントゲン、CTスキャンし、
待合室で悶々としながら二時間以上待つ。

ひたすら苦痛。(^^;

そんな時にようやく名前を呼ばれる。

いよいよ来たか~。(泣)

診察室に入って口の中とレントゲンをチェックする医師。

やはり抜かないとダメらしい。

ここで覚悟した。

しかし、今日は他に大きな手術があって、
私の親知らずを抜歯する時間が無いということで抜歯中止。

おい!何でやねん!

ここまできて抜歯しないとはどういう事?

どうしても今日はアカンのか?と食い下がるが無理とのこと。

無理やり覚悟決めて特攻の気分で病院に行ったのに、
これでは覚悟が鈍るわ。

もう抜歯は止めておこうかと思ったが、
もう逃げるのは止めたので次回の予約して帰宅。

診察料10800円と三時間を無駄にしたわ。

次回の抜歯は6月23日。

続く。。。

舎那院(2017年6月17日参拝)

2017年07月19日 | 近江西国三十三ヶ所観音霊場
長濱八幡宮の隣が別当寺である舎那院です。

長濱八幡宮と舎那院は江戸時代までは一体であったが、
悪政の廃仏毀釈により別れてしまった歴史があります。

また、あの源義経が都落ちの際に舎那院に逃れてきた歴史もあり、
近江源氏と所縁の深いお寺です。

舎那院の駐車場はありませんが、
長濱八幡宮の無料駐車場を利用出来ます。

勿論、神社も参拝しましょう。


所在地:滋賀県長浜市宮前町13-45
宗派:真言宗豊山派
御本尊:愛染明王・阿弥陀如来
創建:伝・弘仁5年(814)
開基:伝・空海
開山:及雅
札所:近江新西国三十三観音霊場、長浜六瓢箪めぐり


【縁起】
弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051)において、
陸奥国阿部宗任・貞任征討祈願により凱旋の功あり、
延久元年(1069)後三条天皇より勝平山の勅号を賜わり、
勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立。

社坊三百あまりを数え、天丈5年(1536)には後奈良院より社領三千石を賜わる。

しかし元亀・大正の兵火にかかり灰燼となり、大正19年(1591)秀吉が再興。

盛時は七十坊となったが慶長・寛水の項には三十余坊、
天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈により、
学頭寺の舎邦院を除く当時残存の六坊は廃寺となり、
御本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の彿像・宝物等は舎那院に移された。

その後、荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、
昭和17年(1942)現状の舎那院に整備されたものである。


【山門】


渋い山門です。


今でも長濱八幡宮とは関係は良好らしく、
八幡宮の境内から舎那院に入る事が出来ました。

しかし、やはり山門から入るのが筋だと思い、
わざわざ山門の外まで出て、山門から入りました。


【鐘楼堂】


宝暦5年(1755)建立されたもの。


【太子堂】



【収蔵庫】



【弁天堂】



【石地蔵尊】


正徳3年(1713)彦根藩主井伊直該公が寄進されたもの。


【観音堂】



【本堂】




拝観料を支払い本堂内へ。




堂内は薄暗い。

これがかえって威厳を感じる雰囲気でした。

残念ながら堂内は撮影不可でした。


【びんずるさん】



【護摩堂】





【鬼瓦】



【御朱印】


基本的に愛染明王の墨書きですが、
阿弥陀如来もリクエストすれば書いていただけるようです。


今回の長浜の神社仏閣巡りもこれにて終了。

楽しかったです。(^^

長濱八幡宮(2017年6月17日参拝)

2017年07月18日 | 神仏霊場巡拝の道
豊国神社と共に長浜市を代表する神社が長濱八幡宮。

源氏が創建した由緒ある神社で参拝が楽しみです。


所在地:滋賀県長浜市宮前町13-55
御祭神:誉田別命、足仲彦尊、息長足姫命
創建:延久元年(1069)
社格:県社
札所:神仏霊場巡拝の道、長浜六瓢箪


【由緒】
当宮は延久元年(1069)源義家公が後三条天皇の勅願を受け、
京都の石清水八幡宮より御分霊を迎えて鎮座。

それよりこの地は八幡の庄と称えられ庄内十一郷の産土の神として、
深く崇敬される事となりました。

当時その社頭は三千石、一山七十三坊と伝えられ、
本宮の石清水八幡宮を凌ぐくらいであったといわれます。

しかし、その後、しばしば兵火にみまわれ、その社殿はほとんど消失。

時は流れ天正2年(1574)羽柴秀吉公が長浜城主となるや、
その大社の荒廃を惜しみ、社殿の修理造営をなし再興に努めました。

この史実は長浜曳山祭の起源とも言われています。


【第一鳥居】


立派な鳥居をくぐり長い参道を歩く。

実に穏やかな気持ちになれる参道です。


【紫陽花】



【井戸】




長浜曳山まつりで使われる井戸だとか。


【第二鳥居】



【狛犬】



【御神馬】


この辺りに大型の無料駐車場がありました。

大型バスは更に境内の奥の拝殿前に停めてましたね。

観光神社だけあってバスが来るのは仕方無いが、
停めるのはもう少し端っこに停められないものだろうか。

あれでは境内が穢れちゃうよね。

バスの乗客は舎那院にゾロゾロと歩いて行った。

大阪の百舌八幡宮は隣のお寺の参拝者には、
頑なに八幡宮の駐車場に停めさせないようにして険悪な雰囲気であったが、
長濱八幡宮と舎那院とは今でも関係は良好のようだ。


【拝殿】


実に渋いゴマラー好みの拝殿です。(^^


【幣殿】


こっちの方が拝殿らしい。


【本殿】


何故か八幡宮の神社で神明造りの本殿を見るとは。

一節によると伊勢神宮の社殿を下賜されたものらしい。


【ぼけ封じ大石】



【高良神社】


御祭神:武内宿禰


【亀願石】




弓であの石の穴に矢を狙うらしい。

さすがに恥ずかしくてやらなかったよ。(苦笑)


【石柱】


愛染明王堂があった場所らしい。


【都久夫須麻神社】








御祭神:市杵島姫神

長濱八幡宮の社殿は私好みが多い。(^^


【天満宮】







【紫陽花】





【地主神社】


御祭神:大地主命


【熊野神社】


御祭神:家津御子命、熊野速玉命、熊野夫須美命


【金刀比羅宮・河濯神社】







【末広稲荷神社】







【境内社】


御祭神不明です。


【石灯篭】


階段付きです。(^^


【御朱印】

医王山 総持寺(2017年6月17日参拝)

2017年07月17日 | 西国薬師四十九霊場
長浜市の神社仏閣巡りもいよいよ終盤。

さすがに疲れてきたので次の長濱八幡宮で打ち止めしようと、
長浜市中心を快適に走る。

すると大通り沿いに良さげな山門発見。

見ちゃったからには参拝しなければならない。(笑)

お寺の無料駐車場に着くと、総持寺というお寺だと判明。

ここは基本的に内陣の拝観は事前予約が必要なんで、
今回は華麗にスルーの予定であったが、
どうやら呼ばれたみたいです。(^^


所在地:滋賀県長浜市宮司町708
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
開基:行基菩薩
創建:実済法印
開山:永享2年(1430)
札所:びわ湖百八霊場、近江湖北二十七名刹霊場、西国薬師四十九霊場、長浜六瓢箪


【縁起】
天平の昔、行基菩薩が聖武天皇の勅命を受けて、
国分寺の試し寺として開かれました。

その後一時衰退しましたが、室町時代に実済法印が、
足利義教公から六百石の朱印を賜り、
諸堂伽藍を建立、後花園天皇の勅願寺となりました。

その後は、京極家や浅井家の庇護を受けて栄えました。
姉川の合戦のあおりを受け、兵火によって七堂伽藍は悉く焼失しましたが、
豊臣秀吉の寺領百二十石の寄進により復興しました。

御本尊の薬師如来は賤が岳の合戦で負傷した永沢四郎衛門が、
全快したのは仏のご加護と、お礼に菅山寺に奉納した仏を、
井伊直興公が須弥壇と厨子を寄進して勧請しました。

この像は頭は平安時代、体部は江戸時代の作で、いわゆる大手術を受けています。
このことから頭の薬師と呼ばれています。

長浜は豊臣秀吉が初めて城主として治めた城下町であり、
信長によって被害を受けた総持寺に秀吉は寺領を寄進して復興したのです。

その後を継いだ山内一豊、また、徳川幕府からも寺領は安堵されました。
秀吉の馬印である出世瓢箪に無病息災をかけた長浜六瓢箪の一つでもあります。


【大門】


この門を道路で見たら思わず寄りたくなりますよね。

お遍路の古刹でも見た事がある八脚門で、
寛永12年(1635)再建されたもの。


【山門】


門が二つあるのは大寺の証し。


【鐘楼堂】



【大日堂】




何故かみんな化粧してるわ~。(苦笑)


【松梅の木】





【本堂】




渋い本堂です。




予約して無かったので堂内拝観は出来なかったが、
外から内陣を見る事が出来て良かった。


【不動堂】





【弘法大師像】



【御朱印】


御朱印は四種類あるようです。