Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

郡上八幡巡り~左京稲荷神社(2015年8月10日参拝)

2015年09月30日 | 旅行、その他
郡上八幡のお寺巡りもちょっと休憩し、
郡上八幡の町並みを散策&昼食することにした。


【吉田川】


大きい駐車場が少なくメイン通りに近い駐車場が満車。
少し離れた栄パーキングに停めることが出来ました。

十六銀行近くにあり普通車が85台停めれます。


【新町通】


メインストリートです。




高山のように観光地に特化してるわけではなく、
古い町並みは残しつつ普通に普段着のまま生活されています。

お腹が空いたので「魚虎」という店に入店。

郡上八幡って店は結構あるんですけど、
食事処が少ないんですよね。


【小鮎入り雑炊】


ひつまぶしがメニューにあったんだけど、
鰻は昨日食ってるし、さすがに連日はキツイ。

それに値段も3600円というのが厳しかったので、
あっさりとした雑炊(1200円)にしました。

小さい鮎が入っていましたが、
入っていても味が劇的に変わることはありません。(^^;

でも、胃に優しくて美味しかったです。(^^


【郡上鮎塩焼き】


やっぱり鮎は食っておかないとね。

でも、この小さいサイズでも900円と、
庶民には優しくない値段です。

サイズは小、中、大とあり大は1500円だったかな。

郡上鮎とは別に和良鮎というのがあって、
こちらはもっと高くて2000円ぐらいしてました。

さすがにそれらに手が出ませんでしたが、
炭火焼の鮎は本当に美味しかったです。

自宅で食べる普段の鮎とは雲泥の差でしたね。(^^


【やなか水のこみち】




ここが郡上八幡と言えば的な場所ですね。

ここを訪れないと郡上八幡に訪れた気がしません。

なかなか良い雰囲気でした。

願蓮寺から近いです。


【町並み】



【郡上八幡旧庁舎記念館】


ここは観光案内やお土産販売、軽食が食べれる所です。

暑かったので涼を求めて入りました。
トイレもここにあります。


【郡上の湧水】


ぬるかったです。(^^;


【吉田川】


暑くて飛び込みたかったけど無理。(^^;

しかし新橋からこの川に地元の少年達は飛び込むとか。

見て分かる通りメッチャ高いですよ。(^^;

ここからはさすがに飛びこまないと思ってたけど、
こんな高い所から飛び込むとはビックリですよ。


【いがわ小径】




ちょっとブラブラ歩いていると見つけました。






まさに小道で綺麗な小さな川がありました。

涼しげでいい。






都会だったら絶対に鯉泥棒が現れるはず。(苦笑)


【井戸】


郡上八幡の井戸の水は今でも飲めるようで、
久しぶりにキィーコキィーコをポンプで汲み上げて飲みました。

普通に美味しかったです。

というか、井戸水を初めて飲んだ。(^^;


【左京稲荷神社】


そろそろお寺巡りを再開しよと思っていた時に小さな神社を発見。








宝くじ当たりますように。(^^

御朱印は無いと思います。

慈恩護国禅寺(2015年8月10日参拝)

2015年09月29日 | 中部四十九薬師霊場
愛宕の弘法堂と呼ばれる遍照殿というお寺を、
ナビを頼りに探すも近くに来ても全く見つからない。

仕方無いので諦めて次なる参拝地である慈恩禅寺へ。


遍照殿はどうやら車で行けない愛宕公園の一角にあったみたい。



所在地岐阜県郡上市八幡町島谷399
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長12年(1607)
開基:遠藤慶隆
札所:中部四十九薬師霊場


【縁起】
慶長12年、八幡城主遠藤但馬守慶隆公が開基となり、
京都大本山妙心寺の円明国師を勤請し、その高弟半山禅師を迎え、
釈迦如来を本尊とし創建される。

境内には遠藤慶隆公、智勝院殿、高松院殿及び、
金森台近公の各霊廟が建立されている。

元文三年、「護国」の称号と青蓮院宮一品親王の書成る勅願を下賜、
また棠林和尚代には禅堂が開かれた。

明治二十六年、大水害にて裏山が崩壊し、
山門、勅使門のみを残し全て埋没。
時に明治天皇勅使片岡侍従を差し遣わされ、御見舞いを賜る。

三年後に復興されて現在に至る。


【山門】


無料駐車場から徒歩数分で山門に到着。


【鎮守社】


ここは荒れてるね~。

山門前はお寺の顔なんだから、
きっちりと綺麗にしておいてほしい。


【烏枢沙摩明王】





【中門】



【地蔵尊】



【鐘楼堂】



【本堂】




こちらは庭園が有名らしく、拝観料300円必要ですが、
庫裏と名称庭園である荎草園は只今絶賛工事中でした。

本堂拝観は無料でした。

私にとっては有難いですが、
本来なら本堂こそ有料拝観すべきと思うけど。


【内陣】






御住職か分からないけど、
いろいろ丁寧に説明していただきました。


【古写真】


裏山が崩壊する前のお寺の風景です。

茅葺屋根の山門と本堂、そして当時の人々が写っています。

とても貴重な写真ですね。








崩壊直後の様子。

とんでもない大惨事だったのが分かる。
重機も無い時代、修復は大変だっただろうなぁ。

檀家さんや御近所の方々の手伝いもありましたが、
相当大変だったそうです。

そんな苦労に苦労を重ね、約3年の年月と労力で復興。


この時の話を聞けて本当に良かったです。


荎草園の四季の写真も飾られていました。
やはり秋の時は別格でしたね。
冬も良かったけど、1メートルは積もるそうです。(^^;


【御朱印】


書置きをいただきました。

願蓮寺(2015年8月10日参拝)

2015年09月28日 | 仏閣
続きまして願蓮寺というお寺へ。



所在地:岐阜県郡上市八幡町島谷825
宗派:浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明応3年(1494)
開山:石神兵庫(正専坊)



【縁起】
中世に東氏は山田庄地頭として来郡した。
その家臣石神兵庫は八幡腰細村に居住。

蓮如上人が越前吉崎に滞在の時、石神兵庫は弟子となり、
法名を正専と授けられた。

明応3年(1494)に、願蓮寺を創立。
八幡城主遠藤慶隆により城下の現在の地へ移転し現在に至る。



【立町通】



【山門】


境内に車を停めることが出来ました。


【本堂】


なかなかの大きさの本堂です。




いかにも真宗らしい内陣ですね。


【鐘楼堂】



【御朱印】


安養寺と同じく浄土真宗ですけど、
御朱印をいただくことが出来ました。

岸剱神社(2015年8月10日参拝)

2015年09月27日 | 神社
悟竹院の横に鎮座しているのが岸剱神社。

雰囲気的にあんまり高まりそうに無いが、
とりあえず寄ってみる。



所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町438
主祭神:素戔嗚尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊、天照皇大神、菊理姫尊、猿田彦尊
創建:慶長19年(1614)
社格:郷社



【由緒】
養老元年(717)に元正天皇の勅命を受けた泰澄大師が、
気良の里に御宝剣を神体として鳥居の宮を建立したのが始まりとされています。

治承2年(1178)に気良の里の住民が旱魃に際して降雨を祈願。
岩の上に剣を祀ったところ大雨となり、剣は流出し肴町に漂着し、
肴町の岩山に宮を建て不動の宮として祀られました。
 
慶長19年(1614)八幡城主・遠藤慶隆公が宮ヶ瀬橋近くに不動の宮を遷座し、
城下の氏神とし、後水尾天皇から岸剣宮の称号と十六菊花紋を許されました。

明治19年現在の社殿の南側に移転遷宮しましたが、
昭和17年又現在の境内へ復座されました。
昭和53年金幣社に昇格しています。

県・重要無形民俗文化財の岸剣神社大神楽は、八幡城主遠藤友常が京都より勧請し、
寛文7年(1667)に初めて祭礼を行ったと伝えられています。



【陵霜隊】





【鳥居】



【拝殿】


昭和17年建立されたもの。


【狛犬】



【金毘羅神社】





【稲荷社】



【積翠神社】



普段は無人で御朱印の有無は不明です。

秋葉三尺坊悟竹院(2015年8月10日参拝)

2015年09月26日 | 仏閣
安養寺の斜め前に善光寺と名乗るお寺があるのですが、
どうも雰囲気が入りづらかったので参拝しませんでした。

鞍馬寺の分院らしいですが。

その善光寺から僅か数分の場所にあるのが、
悟竹院というお寺です。



所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町410
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼
創建:大永元年(1521)
開基:謹甫公和尚
開山:才應惣芸和尚



【縁起】
大永元年(1521)謹甫公和尚の開基にして、
永禄12年(1569)曹洞宗に改宗し才應惣芸和尚を開山。

爾来4百有余年、この間盛衰ありといえども22代を数え現在に至っている。

明治12年(1879)18世了一元和尚の時、郡上郡の火防守護所として遠州は、
秋葉総本殿可睡斎より秋葉三尺坊大権現御分身を勧請し奉安している。

明治29年(1896)より1日に4度、火防の時の鐘を鳴らし続けている。


【石段】


石段を歩かなくても車で本堂前まで行くことが出来ます。


【六地蔵堂】



【善光寺如来】



【秋葉三尺坊真殿】


大正12年(1923)落成されたもの。


【真殿内部】







【狛犬】



【豊川堂】



【栄宝稲荷】



【太子堂】




昭和63年(1988)落成。


【賽の河原地蔵】







【本堂・達磨堂】







【御朱印】

安養寺(2015年8月10日参拝)

2015年09月25日 | 仏閣
シンボルである郡上八幡城を見た後は、
本来の目的である郡上八幡寺巡りを始めよう。

この地域には仏教に帰依する方々が多かったのでしょう。
現在まで多くのお寺が残っています。

まずは一番大きなお寺である安養寺へ。






所在地:岐阜県郡上郡八幡町柳町217
宗派:浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:康元元年(1256)
開基:佐々木高重(西信)


【縁起】
開基は近江源氏佐々木高綱の三男高重が出家して、
親鸞上人の弟子となり法名を西信と賜い、
康元元年(1256)江州蒲生郡に一宇を建築し安要寺と称した。

六世仲淳上人が美濃安八大槫庄安養寺釈仲淳に、
この御影を授けるという実如上人直筆の裏書きのある親鸞上人御影も伝わっている。
 
実如上人は本願寺八世蓮如上人の五男で本願寺九世の法統を継いだ人である。

以後、明治19年佐々木家廃絶まで220代の住職が法統を守り、
寛文6年(1666)昇級院家、天保8年(1837)御坊分に昇格した。

安養寺7代了淳上人の時代、越前穴馬から天文5年(1536)大島村野里へ移転し、
天正6年(1588)稲葉定路が郡上領主になったとき八幡中坪村園野へ移り、
更に本堂焼失を期に明治14年に八幡城三の丸跡地(現住所)に移転、
明治23年本堂を再建した。

その後、大正8年の大火で消失、昭和11年再建され現在に至っている。



【山門】



【本堂】


境内は真宗のお寺に有りがちな有料駐車場となっていました。

一日500円となります。


【本堂】


立派な本堂です。


やはりこの地域も昔から浄土真宗の勢力が凄かったのが、
この本堂を見てよく分かります。


【内陣】




岐阜県における本山クラスである御坊であるのは間違い無い。


【庭園】



【鐘楼堂】



御朱印は書置きをいただきましたが、
ミッシングしてしまった。

探しても探しても無い。(泣)

大切な御朱印を無くすとは痛恨の極み。


それでも諦めきれない。

もしかしたら車の中にあるんじゃないかと、必死の捜索。

すると車のシートポケットに入ってたー!

めっちゃ嬉しい。(^^

どうやら家族の誰かが入れていたらしい。

無くさないで本当に良かった。




これが執念の捜索で見つけた御朱印です。(^^;


寛恕と書かれています。
「かんじょ」と読み、意味は「心が広くて思いやりのあること」です。

郡上八幡城(2015年8月10日)

2015年09月24日 | 旅行、その他
前から一度は訪れたかった郡上八幡に到着。

念願叶ってやっと来れました。(^^

入れ込み過ぎて早く着いちゃったので、
郡上八幡のシンボルである郡上八幡城へ。

小高い山の上にあるお城で、
近くまで車で行けるのですが、事前リサーチ通り狭い道でしたわ。

1回だけ登りの坂道で切り替えしが必要でしたが、
こんな道は慣れているので余裕でした。

何せ一方通行ですから安心。(^^

ただ、大型車は止めておいた方が賢明です。


【沿革】


郡上八幡城は戦国時代末期の永禄2年(1559)遠藤盛数が砦を築き、
稲葉貞通、遠藤慶隆の興亡を経て大普請され、寛文7年(1667)、
6代城主遠藤常友の修復によって幕府から城郭として認められるに至りました。

その後、井上氏・金森氏が相次いで入部。
宝暦騒動で金森氏が改易された後、
丹後国宮津藩から転封した青山幸道によって殿町に居館が築かれ、
旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸・松の丸に改められました。
 
明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、
翌年から石垣を残してすべて取りこわされました。

現在の城は昭和8年(1933)当時の大垣城を参考に再建され、
木造4層5階建の天守閣等は八幡町重要文化財に、
一帯の城跡は県史跡に指定されています。


【首洗いの井戸跡】


20台以上停められる無料駐車場横にありました。

説明板を読むと駐車場が出来るまで最も薄暗い陰惨な場所だったとか。(^^;

慶長の合戦で打ち取られた首を洗って首実験に供されたという。
何だか城に来たー!って感じがしますわ。


【城壁】


これが何積みなのか特に興味が無い。(^^;


【隅櫓】


お城が見えてきました。


【風景】


下には小さな社がありました。


【郡上八幡城】


そんなに大きくないですが、
司馬遼太郎が絶賛したとても美しい城です。


【大手門】


入場料310円を支払い中へ。


【奥の院】


人柱になった「およし」という女性を祀った観音堂とか。

奥の院ということは、下界に普通の観音堂があるんかな。


【天守】


さて中に入りましょう。


【天守内部】




入口付近。




貝合せ一対。




三つ葉葵の御紋入り火鉢。




甲冑。


【風景】



【階段】


やや急ですが段数は少ないです。


【天守閣内部】


姫路城もそうでしたが、
折角一番上まで行っても内部にガッカリするんですよね。


【風景】


まぁ、可も無く不可も無く。

さて、お寺へ向かおう。


【天守】




最後に見納め。

松本城のように御朱印はありません。(苦笑)

金幣社 春日神社(2015年8月9日参拝)

2015年09月23日 | 神社
本日最後になるのが春日神社です。

岐阜県には春日神社が70ほど鎮座しておりますが、
こちらが一番大きくて有名な春日神社です。

当初は参拝する予定は無かったけど、
前を偶然通ってしまったからには行くしかあるまい。(笑)

16時半前だけど御朱印もいただけるかも知れないしね。



所在地:岐阜県関市南春日町1
主祭神:
天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比売神
創建:正応元年(1288)
社格:郷社



【由緒】


春日神社の創建は正元元年(1288)、当時の関鍛冶総代であった金重と兼永が、
春日大社(奈良県)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。

以来、関鍛冶の守護神として広く信仰され、
現在でも関鍛冶のみならず金属関係者からも信仰されています。

社宝である能装束類は室町時代末期から桃山時代に製作されたもので、
63点が国指定重要文化財に指定されています。

同じく例祭で奉納される神奉能に使用される能狂言面は、
関市指定重要文化財に指定されています。
能舞台は寛文55年(1665)、棟梁大島雲八が手掛けて建てられたものが、
昭和34年に伊勢湾台風で倒壊し、その後再建されたもの。


【第一鳥居】


無料の駐車場がありました。


【第二鳥居】



【能舞台】




4月の春祭りには童子夜行という古典神事芸能が行われるそうです。


【太鼓楼】



【神宝殿】


こちらに重文の数々が納められているそうで、
10月に公開されます。


【稲荷社】





【狛狐】



【境内社】







【拝殿】






うむ、見事な拝殿です。


【本殿】


春日造の本殿が見えました。(^^


【狛犬】



【御朱印】


書置きでした。


【うなぎの名代 辻屋】


関市は鰻が有名らしく、鰻好きとしては食わないわけがない。

最初は名店と言われる「しげ吉」に行ったが、
めっちゃ並んでいたので回避し「辻屋」に行きました。

辻屋もしげ吉と並ぶ名店みたいです。


店の前に大型の無料駐車場がありましたが、
何とか停めれました。




この煙と匂いがたまらないんですよね。

ラッキーな事に並ばずに入れました。(^^

店の雰囲気もいいですよ~。


【上丼】


5切れで肝吸い付きで3000円オーバー。(^^;

高いけど関西風の焼き方でめっちゃ旨し。(^^
満足しました。


さて、鰻でパワーを付けて明日は郡上八幡で頑張ります。

何を?(笑)

三田洞弘法<法華寺>(2015年8月9日参拝)

2015年09月22日 | 美濃西国三十三観音霊場
続きまして三田洞弘法というお寺へ。

ここは私が珍しく庭を見に行きたいと思ったお寺で、
三田洞弘法というのは通称名であって、
本名は法華寺といいます。

無料駐車場がありました。



所在地:岐阜県岐阜市三田洞131
宗派:高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:弘仁7年(816)
開山:弘法大師
宗派:美濃西国三十三観音霊場、東海百観音霊場、東海白寿三十三観音めぐり、美濃新四国霊場



【縁起】
当寺は弘仁7年に弘法大師が三田洞山中に創建され、
当寺にて法華経を講座されました霊場であります。

当時嵯峨天皇の勅願所として法華寺の名を給わり、
又この霊場を取りめぐらす山々の姿が印度天竺の山様に似ているところから、
「霊鷲山」の山号を給わったのであります。

創建当時は現在地よりさらに約二キロ奥の谷間にあり、
弘法大師を開基とし聖観世音菩薩を本尊として、
七堂伽藍が造営されていたのでありますが、寛永年中(1620頃)
火災、天災によって堂宇の殆んどは山津波によって押し流されました。

無残にも廃墟と化したのでありますが、祖師堂及び一宇の坊舎が残ったのを、
寛永年中(1623頃)郡代石原清左衛門が堂宇を修築し高野山の僧、
空全和尚を招き中興とし、爾来弘法大師をも本尊として、
聖観世音菩薩と両存せられるに至りました。



【参道】





【地蔵尊】



【金色慈母観音】





【山門】



【白寿観世音菩薩】


東海白寿三十三観音めぐりの御本尊になります。


【石仏】



【弘法大師御手植えの竹】





【弘法大師像】



【鶴峰橋】


石橋の向こうに見えるのが本堂です。

ここはめちゃくちゃ良い雰囲気のお寺です。


【法華寺庭園】






見事な池泉式庭園です。

古代インドの仏教聖地である霊鷲山を模して、
江戸時代に築庭されたもの。


【亀島】


さて、本堂に参りましょう。


【本堂】




寛永年中に再建されたもの。

御本尊、見顧弘法大師、不動明王が祀られているそうですが、
残念ながら本堂内陣はよく見えませんでした。


【境内】


本堂前から振り向くとこんな感じ。




左手には庫裏と私好みの茶室らしき建物が見えます。


【宝篋印塔・石仏】



【不動堂】






向かって左手には眼力不動明王がいらっしゃいました。

あと両頭愛染明王坐像が祀られています。

両頭の愛染明王は珍しく、
八臂というのは更に珍しいそうです。


【四国八十八ヶ所霊場】



【茶室】




いいですね~。

まさかこんな所でこれほどの渋い茶室が見れるとは。

ここは庭園も素晴らしいし、
拝観料を取っても良いお寺です。


【鶴島】


高い木は高野槇だそうです。


【鶴峰橋】



【祠堂】


龍神が祀られています。


【本堂】


庫裏から見た本堂。


【豊谷稲荷大明神】



【聖徳太子堂】




何かよく分からんものがありました。


【鐘楼堂】



【弁財天】



【境外社】


お寺の外にあった鳥居で、
スゲー不気味だったけど勇気を出して行ってみた。




これでも明るめに撮影してますが、
実際はもっと暗かったです。(泣)

久しぶりですね、こういう雰囲気の神社は。






さすがに怖くて上まで行けませんでした。

お寺と関係あるのか分かりませんし、
御祭神も不明です。


【御朱印】


今回は御本尊の御朱印をいただきました。

何度も訪れたくなる良いお寺でした。

小屋名春日神社(2015年8月9日参拝)

2015年09月21日 | 神社
三田洞弘法へ向かう途中で見つけたのが春日神社。

ちょっと雰囲気が気になったので寄ってみました。


所在地:岐阜県関市小屋名976番地
御祭神:武甕槌命、経津主命、天児屋根命
創建:不明
社格:村社



【由緒】
創祀未詳なれども元大明神と称す。
字簗坪に鎮座の処宝永二年九月故有り、移転此の地を小簗と云ふ。
簗坪は津保川の南也。
故案ずるに本国名帳撰所載正五位下楊河明神此社ならんか。


【社号標】



【鳥居】


細長い参道は少し怪しい雰囲気が漂う。


【境内】


いかにも村社といった雰囲気です。

なかなか良い感じでした。


【狛犬】



【拝殿】





【本殿】


白い本殿も意外と珍しいんですよね。
久しぶりに見ました。


【境内社】


御祭神:比売神。


御朱印は無いと思われます。

永昌寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月20日 | 美濃西国三十三観音霊場
本日の参拝もラストに近づいてきましたが、
まだまだ行けるとこまで行きます。(笑)

永昌寺という案内板を見たので寄り道です。



所在地:岐阜県関市武芸川町高野643-1
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:元和元年(1615)
開山:石室和尚
札所:美濃西国三十三観音霊場


【縁起】
岐阜市外の北東、武儀川に沿った農村地帯である高野村は、
紙漉きで賑わったころである。

承応元年(一六五二)村人の懇願により観音堂を建立。

御本尊に聖徳太子作とする十一面観世音菩薩を安置して、智淵山浄水寺と号した。
 
永昌寺の前身は、観音堂の堂守りが住まいする庵であった。
ときに独翁禅師が当地に留錫して、寺院に改修したのが創まりである。

ことに最近は仙崖和尚の両親を弔う菩提寺として寺名を馳せる。
仙崖和尚は高野村の農家・井藤甚八の子として生まれ、
十一歳のとき清泰寺(美濃市)の空印和尚に師事する。

やがて諸国を遊行、聖福寺(博多)で禅の奥義を極めた。
天保8年(1837)10月7日遷化、謚して「普門円通禅師」と号す。



【全景】





【風景】


うん、とても長閑なとこだ。(^^


【山門】




案内板には台湾三十三観音霊場発起寺と書かれていた。

ちょっと調べてみると永昌寺の御住職が頑張って広めていってるようです。

しかし、御朱印は無いとのこと。


【お助け地蔵】



【境内】



【鐘楼堂】



【本堂】




本堂の中に入れました。(^^






【虫封じ堂】


護諸童子乾闥婆尊王が祀られているそうですが、
秘仏のようでした。


【鎮守社】



【十王堂】





【観音堂】




観世音菩薩の他に不動明王・毘沙門天・地蔵菩薩が祀られていました。


【御朱印】


セルフスタイルでした。




自分で押すと上手く押すのが難しいと分かる。
そして一生懸命押すようになる。

みんなそうすればスタンプに対して文句を言う人はいなくなると思うの。

恵利寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月19日 | 美濃西国三十三観音霊場
続きましておニャン子の新田恵利とは全く関係ありませんが、
名前が気になったので参拝することになった恵利寺です。

無料駐車場がありました。



所在地:岐阜県関市武芸川町跡部705
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼
創建:天平17年(749)
開山:行基菩薩
札所:美濃西国三十三観音霊場



【縁起】
当寺は人皇第45代聖武天皇の勅命により天平17年(749)行基菩薩により開創された。

人皇第25代武烈天皇の御子大跡部王子は父帝王の悪政を厭い、
都を出でて丹後千振の浜・伊勢国出輪の山中へと移り給いたが御心に敵さず、
ついに当地に御移りになり、十余年後の継体天皇20年(526)薨去され、王塚に埋葬された。

聖武天皇の世、諸国を勧進中の行基菩薩は帝王脳病に罹られ危篤なることを知らされ、
その平癒を祈願するた為、天皇家因縁勝地跡部に梵刹を建立することを思いたち、
法華経一千部を石に書し三方の山に埋め、6尺5寸に及ぶ十一面観音の尊像を彫まれた。
よって帝王の脳病はたちまち快復されたという。

天皇はこのことをことのほかお喜びになり、勅宣を以って広大な伽藍を造営され、
自らの宸筆をもって「観自在王院」の勅額を下賜された。
 
その規模は山門・総門を始め、金堂・五重塔等所謂天平の寺院建築様式による伽藍が完備、
四辺の山辺には鎮護の明神・大権現を配し、平等院・流元寺・雲岩寺・覚性坊・清水寺・
依正坊・水本坊等末寺2カ寺が林立し、法相・真言の兼学道場として天下にその名声を伝えた。
 
時代は下って崇徳院の御宇紀州根来寺開山覚鑁上人がこの地に来たって、
その因縁に感じ不動明王の尊像を彫刻し、当山に安置せられた。

以後、近衛院・高倉院等の勅命もあり繁栄を極めたが、保元・平治の乱の兵火にあって以来、
たびたび罹災し、永禄7年(1564)には、織田・斉藤両家の争乱に巻き込まれ灰燼と化した。
 
寛文2年(1662)岐阜市長良崇福寺第8世物堂和尚による中興以降は、
臨済宗妙心寺派に属し法灯を守っている。

現在の景観は第14代住職宗達和尚が生涯を賭けて整備したものである。
 
往古は朝廷より絶大なる支持があり、菊紋も許された程高位別格の処遇を受け、
幕政時代に至っては土地の旗本の支援、
明治以降は只管区内住民の篤き護法心により強く支援されて現在に至っている。


【山門】


妙心寺派だけあって品のある雰囲気を感じました。


【本堂】


夜からカラオケ大会があるということで、
御近所の方々が用意されていた。

その方々が写らないように苦心して撮影しました。(笑)


【境内】


【内陣】


御朱印を奥様にお願いすると同時に、
本堂内陣参拝をお願いすると快くOKをいただきました。(^^




釈迦三尊像が祀られていました。


【護諸童子】



【物堂和尚】



【位牌堂】



【紫雲石】



【庭園】


本堂裏手に見事な庭園があった。

京都のお寺に匹敵するほどでしたね。


【鐘楼堂】


この辺りでも電飾を飾られている方々がいましたね。


【観音堂】


本堂から徒歩2分の所に観音堂がありました。

いかにも観音堂といった風情です。






御本尊の十一面観音菩薩は厨子に安置されているようです。


【鎮守社】



【御朱印】



たまたま寄ったお寺でしたが、
御近所や檀家の方々に慕われているお寺だということが、
よく分かって何だか嬉しくなりました。

大智寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月18日 | 美濃西国三十三観音霊場


関市から岐阜市の長閑な場所に移動。

こちらには大智寺というお寺があります。
事前に調べると雰囲気が良さそうだったので参拝です。



所在地:岐阜県岐阜市山県北野668-1
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:明応9年(1500)
開基:鷲見美作守保重公
開山:玉浦宗禅師
札所:美濃西国三十三観音霊場、東海百観音霊場、美濃新四国八十八ヶ所霊場



【縁起】
大智寺は約800年前に天台宗の寺院として建立されていたが、
戦国時代には荒廃し、その地を北野城主であった鷲見美作守保重によって、
菩提寺として再興されたのが今の大智寺である。

時に明応9年(1500)3月19日岐阜瑞龍寺悟渓和尚八哲の一人、
玉浦宗眠和尚を請じ開山始祖とした。

その後、多数の高僧を輩出し、寺内には12院の寮舎があった。
また、玉浦派寺院は全国に敷衍し「玉浦派古道場」の碑が建てられている。
 
さらに徳川時代には幕府より18石8斗の御朱印を受け葵の紋を許された。
現在も大智寺の勅使門・仏具などに葵の紋が使われている。


【得月池】


大型墓地の横にありました。

手前に大型駐車場がありますが、
先にもあるようです。


【山門】


いいですね~。

これはとても良い雰囲気です。




これはたまらん。


【鎮守社】



【石仏】



【参道】




ここの雰囲気が本当に最高です。

まるで京都のお寺のようです。


【中門】


葵の御紋が見えますね。


【大ヒノキ】




樹齢800年。


【雷除けの社】



【勅使門】



【無相の庭】



【鐘楼堂】



【勅使門】





【本堂】




妙心寺派らしく華美にならず、あっさりとした内陣です。


【スズメバチの巣】



【観音像】




日本人的にはお行儀の悪い足の組み方ですよね。(^^;


【観音堂】


秘仏の盗人不知十一面観世音菩薩が祀られています。


【閼伽井戸】





【参道】


お気に入りの参道を歩き、次なる参拝地へ。


【御朱印】


とても良い雰囲気のお寺であった。

紅葉の時期は更に美しいと思いますので、
気軽に行ける方は是非。

立蔵禅寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月17日 | 中濃八十八ヶ所めぐり


関善光寺駐車場前にあるお寺が立蔵禅寺というお寺。

このお寺は関善光寺の塔頭かと思うような雰囲気ですが、
そうではないようです。



所在地:岐阜県関市西日吉町49
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:不明
札所:中濃八十八ヶ所めぐり、美濃西国三十三観音霊場、東海百観音霊場


【縁起】
16世紀後半、旧倉知村にあった龍蔵庵が前身。

宝永2年(1705)庵を現在地に移して、
龍泰寺23世古谷如神和尚を開山に勧請し宝樹山 龍蔵寺と改称。

嘉永3年(1850)龍泰寺36世弘道辨玉大和尚を法地開山として勧請して、
寺号を玉樹山立蔵寺と改め現在に至る。


【山門】



【本堂】


現在の本堂は昭和54年(1979)当寺11世代に再建されたもの。




こちらも内陣に入れて何より。(^^


【地蔵尊】



【川崎弘法大師御分身関奉安所】







【白山大権現】



【御朱印】


こちらは御住職にいただきました。

廣福寺~香積寺(2015年8月9日参拝)

2015年09月16日 | 中濃八十八ヶ所めぐり
関善光寺近くに渋い門があったので寄ってみた。



弁慶庵という建物があってガラス越しに中を見たけど、
あんまり興味が無いものだったので華麗にスルー。




あの弁慶とは全く関係なく、
松尾芭蕉の十哲の1人に数えられる広瀬惟然が住んでいた庵だそうです。


弁慶庵の近くにお寺があったので寄ってみた。
無料駐車場あり。



<廣福寺>
所在地:岐阜県関市東日吉町34
宗派:曹洞宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:宝暦年間
札所:中濃八十八ヶ所めぐり


【全景】



【山門】




昭和7年に再建されたもの。


【十三重塔】



【鐘楼堂】


昭和47年に建立されたもの。


【秋葉殿】




昭和47年に再建されたもの。


【本堂】




昭和7年に再建されたもの。

内陣に入れて拝めて良かった。(^^


【御朱印】


書置きをいただきました。

奥様は良い人そうでしたね。(^^

隣に香積寺というお寺があるので寄ってみました。
こちらも無料駐車場あり。



<香積寺>
所在地:岐阜県関市東日吉町31
宗派:曹洞宗
御本尊:白衣観音菩薩
創建:室町時代
札所:中濃八十八ヶ所めぐり、関三弘法



【山門】


比較的新しい山門です。


【地蔵尊】



【鐘楼堂】



【本堂】


こちらのお寺はみんな新しいですね。




内陣に入れました。




御本尊。




ピンボケ失礼。(^^;




大現修理菩薩。


【珍守社】



【御朱印】


お寺の方がいれば書置きをいただけるのですが、
今日は御不在でセルフスタイルで御朱印帳に押印しました。




やっぱり墨書きが無いと寂しいね。(^^;