Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

久米寺塔頭 華厳院~五大院~多門院~阿弥陀院~明王院(2016年5月21日参拝)

2016年06月30日 | 和泉西国三十三箇所
久米田寺の境内には5つの塔頭があるので、
これから塔頭巡りをしたいと思います。


<華厳院>




















いろいろな石仏が祀られていました。

本堂は閉まっていたのが残念でした。

御朱印の有無は確認出来ませんでした。


<五大院>






こちらも本堂は閉まっていたし、
御朱印の有無は確認出来ませんでした。


<多門院>




こちらも本堂は閉まっていたし、
御朱印の有無は確認出来ませんでした。


<阿弥陀院>


ここは閉まっていました。


<明王院>














融通堂は開いており内陣を見ることが出来ました。(^^

やっぱりお堂はせめて中を見せてほしいですよね。
ここには堂守として奥様がいらっしゃいました。

奥様に御朱印を聞いてみると庫裏で御住職からいただけるとのこと。(^^


【御朱印】


書置きでした。

しかし帰宅してから確認してみると、
何故か和泉西国の第15番の成福寺の御朱印でした。(^^;

マジかー?

そんなん知らんし気付かんかったわ。

参拝もしていないのに成福寺の御朱印をいただいてしまった。

いつの日か参拝しなくては。


【久米田池】


お寺の前に大きな池があった。

湖じゃないかと思うぐらい大きな池でビックリ。


【靖霊殿】


裏側の駐車場に向かって歩いている途中で見えた。

やっぱりもっと近くで見たかったな。


次は岸和田城近くの神社へ。

久米田寺(2016年5月21日参拝)

2016年06月29日 | 和泉西国三十三箇所
百舌鳥から清原の故郷である岸和田に移動。

岸和田を代表するお寺である久米田寺に参拝です。

ナビに誘導されて無料駐車場に到着。


所在地:大阪府岸和田市池尻町934
宗派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
創建:(伝)天平6年(734)
開基:(伝)行基菩薩
中興:永保2年(1674)
札所:和泉西国三十三所観音霊場



【光明塚古墳】


駐車場横に何やら柵が巡らされている。

覗いてみよう。






古墳のようです。

全く古墳の雰囲気はありませんが、
直径25~30メートルの円墳だそうです。

昭和初期には光明皇后塚と呼ばれており、
光明皇后の御遺髪と爪が埋められているという。


さて、お寺へ向かおう。

それにしても駐車場からお寺の行き方が分からない。
山門とか伽藍とか見えない。

お寺があると思われる方向へ適当に歩いていくと、
多宝塔が見えてきた。(^^

あの駐車場は完全にお寺の裏側やん。(泣)


【五輪塔】


多宝塔が見えてくると五輪塔があった。

中央は聖武天皇で左端が光明皇后、右端が亀山天皇の五輪塔とされるとか。


【境内】


ようやくお寺に到着。(^^

向かって右手に多宝塔、左手に六角堂らしき建物が見えた。


【靖霊殿】


近づいてはいけない雰囲気でしたので、
ズームアップで撮影。

法隆寺の夢殿に似た建物は日清・日露戦争から太平洋戦争に至る
岸和田市出身戦没者の霊を祀る為に昭和32年(1957)に建立されたもの。


【大門】


これは変わった山門ですね。

あんまり見たことの無いタイプです。

大門横に無料駐車場がありました。

ナビの野郎、裏の駐車場を案内しやがって。
こんな近くに駐車場があるじゃないか。(泣)


【金堂】




本堂にあたります。

明和7年(1770)に再建されたもので、
御本尊は厨子に安置され秘仏のようです。


【大師堂】




文政年(1824)に建立されたもの。

ここは外陣に入ってお参りが出来ました。(^^

御朱印はこちらでいただきます。


【四国八十八所霊場巡り】





【修行大師像】



【地蔵尊】



【開山堂】


行基菩薩が祀られています。


【こっくり地蔵】





【四国八十八所霊場巡り】





【多宝塔】




平成15年(2003)に再建されただけあって、
まだまだ若い塔ではあるが、なかなか美しい塔です。


【聖天堂】


歓喜天が祀られています。


【鐘楼堂】



【観音堂】


享和3年(1803)に再建されたもので、
行基菩薩自刻と伝わる千手観世音菩薩が祀られています。

堂守の人が居てビックリした。
だいたいのお寺ではこの規模のお堂では誰もいないのが普通だから。


【白髭稲荷大明神】





【池尻鎮守社・白龍弁才天】





【宝蔵】



【御朱印】

百舌鳥八幡宮(2016年5月21日参拝)

2016年06月28日 | 神社
続きまして仁徳天皇陵近くに鎮座する百舌鳥八幡宮へ。

百舌鳥と書いて「もず」と読みます。

漢字が3文字で平仮名が2文字で字足らずですが、
これは熟字訓だからです。

こういうのは他にもあって岐阜にも七五三と書いて、
「しめ」と読む地名があります。

どう見ても「しちごさん」だろってツッコミたくなりますが。(^^;



所在地:大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
主祭神:応神天皇
配祀神:神功皇后・仲哀天皇・住吉大神・春日大神
創建:伝・欽明天皇時代(532-571)
社格:府社


【由緒】
社伝によれば神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、
この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、
天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、
八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、
ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられている。

その後社運次第に隆昌に赴き、朝野の崇敬愈々厚く、
王朝時代には社僧四十八ケ寺、社家三百六十人、神領寺領八百町歩を擁した。
 
山城石清水八幡宮所蔵の古文書には後白河天皇の保元3年に、
当社が石清水八幡宮の別宮となっていたことが見える。

大内氏の和泉に於ける兵乱や元和元年大阪夏の陣の兵火等、
度重なる災禍を蒙った為、次第に昔日の壮観を失い、
什宝、古文書等も多く散逸した。

それでもなお当社は地方信仰の中心として重んぜられた。

徳川時代に於ても青蓮院宮・町尻家・随心院門跡・土屋候、
その他より奉納寄進などのことあり、近くは明治八年大久保利通卿が参拝され、
拝殿の額面を揮毫された。


【参道】


一万坪の広い境内で無料駐車場も凄く大きかったです。

無料なのは有難い。

しかし、光明院にお参りの方は当神社駐車場に駐車しないでくださいと、
大きな看板に書かれていた。

まぁ、それはしゃーない。

でも、ここは神域ですから光明院参拝には利用しないでください、
とも書かれていた。

あれだけ大きな駐車場があれば少しぐらい停めても良いと思うけど、
あれではまるで光明院に参拝すれば神域が穢れるとでも言いたげ。

ちょっと気分が悪くなりました。

よっぽど神社と寺は仲が悪いんだな。


結局、光明院の駐車場は無かったので参拝出来ませんでした。


【弁天社】







【水天宮社】





【弁天池】



【稲荷社】



【鳥居】



【拝殿】


大阪府下随一の立派な拝殿です。


【本殿】



【楠樹】


これは本当に見事な樹勢で圧倒されました。

樹齢800年の府天然記念物。


【楠社】



【神庫】



【若宮社】



【招魂社】



【御朱印】

方違神社(2016年5月21日参拝)

2016年06月27日 | 神社
あびこ観音で厄払いをしてもらった後は、
堺に移動し方違神社という神社へ。

方災除けの神が祀られていて、
厄除けの次は方災除けをしていただきます。

方違と書いて「ほうちがい」と読みます。


所在地:大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2-2-1
主祭神:方違幸大神・天神地祇・素盞嗚尊・住吉大神・神功皇后
創建:人皇10代崇神天皇8年(西暦前90)
社格:郷社


【由緒】
社伝によると人皇10代崇神天皇5年、国内に疫病が流行し多くの民が死亡。
これを憂いた天皇は勅願により物部大母呂隅足尼を茅渟の石津原に遣わせ、
須佐之男神を祀らせ給うた。
すると疫病は途絶え五穀は豊穣となったといい、
これが方違神社創祀の起源とされる。

創祀より時を経て神功皇后が新羅より凱旋の途次、
皇子(後の応神天皇)とは異腹の忍熊王の叛乱に遭うが、
三筒男神の御神教により神武天皇御斎祷の故事に倣い御自ら八十平瓮を作り、
須佐之男神を奉祀した神地に於いて方災除けを祈願し皇軍を勝利に導いた。

後に応神天皇はこの地に須佐之男神・三筒男神・母后神(神功皇后)を合せ祀り、
方違大依羅神社と名づけた。

以後、方災除けの神として朝廷武家をはじめ崇敬篤く、
関連文献には仁徳天皇・孝徳天皇・弘法大師空海・平清盛・
後鳥羽天皇・徳川家康などの名前が見える。

河内、和泉、摂津の三国の境にあり、
方位のない清地とされ方除祈願で知られています。

古くから遠方へ出かける時その方向がよくない場合に、
一度別方向に向かってから出かける風習があり、
方違神社はそのような時にお参りする全国でも珍しい神社。

明治元年には東京遷都の折に17日間の祈祷の命を蒙り、明治6年郷社に列し、
明治40年水天宮社(村社)を合祀、同40年向井神社並びに
境内社(愛宕神社・神明社・小祠四社)を合祀して方違天王神社と改称したが、
同40年方違神社に復号した。

明治40年に八幡社及び武内社を合祀し現在に至る。


【鳥居】


境内に無料駐車場がありました。

わざわざ誘導する警備員が居たぐらいなんで、
結構人気の神社なんでしょうね。


【狛犬】



【遥拝所】


拝殿が絶賛工事中ということで、
遥拝所が設けられていました。

しかしこの粗末な遥拝所では有難味が無いというもの。(^^;

二尊院でも本殿が工事中の時は完全なるほったて小屋だったよな。

もうちょっとマシなものを造ってもらいたいものです。

平成30年の正月に新しい社殿がお披露目されるとのこと。


【神明社】



【詠草塚】



【稲荷社】





【楠木姫大神社】



【御朱印】


御朱印は祈祷受付でいただけます。


陰陽道の考えは日本人に根深い。
今でも方角が悪いとか言いますもんね。

引っ越しとかあったらこの神社で御祈祷を受けたいと思うから、
とにかく御祈祷を受ける参拝者が多かったですね。

あびこ観音<大聖観音寺>(2016年5月21日参拝)

2016年06月26日 | 仏閣
今日は久しぶりに大阪の寺社を参拝です。

まずは厄除で有名なあびこ観音へ。



所在地:大阪府大阪市住吉区我孫子4-1-20
宗派:観音宗
御本尊:聖観音
創建:欽明天皇7年(546)
開基:伝・聖徳太子


【縁起】
吾彦山大聖観音寺は我国で最古の観世音菩薩の寺院で、
元々は真言宗で吾彦山中坊不動院と号した。

あびこの名は今から約1500年の昔、
この地で勢力を持っていた依網吾彦一族に由来するといわれる。

当山の縁起はその頃のあびこの地は朝鮮との交易が盛んで、
帰化人が多く住みこれを知った百済の聖明王から任那の牟婁の寺にあった
身の丈1寸8分の小さな観音像が贈られ、欽明天皇7年(546)に
阿比古浦の人々が小さな堂を建て、これを祀ったのを揺籃とする。

推古8年(600)聖徳太子がこの地に赴いた時、観音菩薩のお告げを受け、
この地に吾彦山観音寺が建てられたと伝えられ、これを開基としている。

御本尊の聖観音は聖武天皇の勅願仏、
護摩堂の不動明王は醍醐天皇の勅願仏と伝わる。


【正門】


4台分の無料駐車場は南門にあります。


【本堂】




御本尊は金色の厨子に安置され、御前立がいらっしゃいました。

2月3日の節分厄除大法会では御本尊が御開帳されます。

撮影していいか不明でしたので撮影していません。


【大日堂】


大日如来を中心に聖観世音菩薩、弘法大師、聖徳太子等が祀られていました。


【金辰殿】


穐山竹林斎作の龍自在が祀られているとのこと。


【福聚地蔵尊】



【三十三観音霊場】








本堂裏手に御本尊をお守りするようにミニ霊場がありました。

西国三十三観音を巡ったのと同じ功徳が得られるとのことですけど、
こういうのって他のお寺でもありますよね。

それだったら私はもう百回以上は満願してることになるな。(笑)


【賓頭盧尊者】





【護摩堂】




御本尊の油之不動明王は醍醐天皇の中宮の藤原穏子が、
安産祈願をした勅願仏。


【大楠】




樹齢700年の巨木です。
境内にはもう一本大楠がありました。


【御朱印】


今日は21日なのに日付が20日になってる気がする。(^^;

龍雲寺<桃山善光寺>(2016年5月14日参拝)

2016年06月25日 | 仏閣
大満足の海宝寺を後にし、
本日最後の参拝となるのが龍雲寺。

通称桃山善光寺と呼ばれているお寺です。


所在地:京都府京都市伏見区桃山毛利長門東町37
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音
創建:不明
中興:正徳5年(1715)
開基:石川備中守
開山:珍恭和尚


【縁起】
雨宝山龍雲寺は創立年代は不詳といわれるが、元々は大亀谷にあったという。

正徳5年(1715)に伏見奉行石川備中守が、
5代将軍綱吉の念持仏の観音像を拝領し、
これを本尊として現在の場所に近い三河屋敷町に移した。

関ヶ原合戦の前哨戦で西軍に攻められて伏見城で討死した
鳥居元忠以下300余人の将士の菩提寺としており、
徳川幕府との関連が深い寺である。

寛政8年(1796)信州善光寺の一光三尊仏阿弥陀如来の御開帳が、
この寺で行なわれたが、信徒からの希望により、
像を模刻してこの寺に祀ったことから、
龍雲寺は新善光寺又は桃山善光寺と称されるようになった。

慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いの際には、
薩摩軍の大山弥助が砲兵隊長として陣地をここに置き、
会津藩兵や新選組を主力とした旧幕府軍が籠る伏見奉行所を攻撃している。
 
明治27年(1894)旧寺地の辺り一帯が伏見桃山陵の造営の為、
天皇御料地として国に買い上げられたので、明治31年(1898)現在地に移転。

現在の本堂は醍醐寺の塔頭の建物を移したものといわれる。


【寺号標】


駐車場は寺号標の左手にあるのですが、
これがまた超絶に停め難い。(泣)

左折しようとしても軽自動車でやっとという感じで、
普通車は非常に厳しい。(泣)

仮に左折して頭から車を駐車場に入れても、
駐車場が細長いので、転回がこれまた非常に厳しい。(^^;


停め方としては突き当りを左折して駐車場に入れるんじゃなくて、
右折してからバックしながら駐車場に入れるのが、
一番マシなやり方ですね。

勿論、右折も曲がり難いので、
神経を使うしテクニックも必要ですけどね。(^^;

ベルファイアやエルグランドだったら無理だと思います。

こんな停め難い駐車場は初めてですわ。


【山門】


雅ではなく武家の強さを感じる山門ですね。


【本堂】


こちらも綺麗に手入れされた境内です。




一光三尊仏の阿弥陀如来が見えますね。

ただ御本尊の十一面観音が見えません。

何処へ?


【不動堂】




除不動明王、十一面観世音、元三慈恵大師像が祀られていました。

もしかして御本尊はここに追いやられてるとか無いよね?


【南無地蔵尊】





【鐘楼堂】



【地蔵尊】



【六地蔵】



【法華塔】

海宝寺(2016年5月14日参拝)

2016年06月24日 | 仏閣


光悦茶屋というところで軽く昼食。

蕎麦が売りの店なので光悦蕎麦を注文。

サバサバとした細麺であんまり食べた事の無い蕎麦でした。
なかなか美味しかったです。


【吟松寺】




光悦茶屋から強烈な坂を下って数百メートル進むと、
隠れた紅葉スポットである吟松寺へ。

うーむ、ここは観光寺では無いので、
紅葉の時期以外は見所はございません。

本堂も閉まっていたし。

御朱印は確認出来ませんでしたが無いと思います。

とりあえずこの界隈の寺社巡りは終了。

春の京都禅寺一斉拝観の寺院は他に行きたいお寺も無い。

考えた末、前回伏見界隈を参拝した時に、
思いっきり参拝し忘れた海宝寺へ行く事にした。


所在地:京都府京都市伏見区桃山町正宗20
宗派:黄檗宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:享保年間(1716-1736)
開基:杲堂元昶


【縁起】


伊達政宗や伊藤若冲といったビッグネーム所縁のお寺です。


【山門】


良い雰囲気の山門です。

これは期待出来そうやね。

大型の無料駐車場が山門横にありました。


【境内】


綺麗に手入れされた境内です。

現在地は「桃山町正宗」というだけあって、
お寺が創建される前はこの一帯が伊達家の居住区で、
伏見上屋敷がありました。

あの伊達政宗がこの辺りに居たと思うと胸熱です。


奥に見えるのが本堂である仏殿です。


【本堂】


大丸の創業者下村彦右衛門正啓が寄進したものだそうです。

大丸は享保2年(1717)京都伏見に呉服店大文字屋を開業したのが始まり。




いかにも黄檗宗といった内陣です。

伊達政宗の位牌もあるそうです。

お寺の方に余裕があれば内陣拝観可能だそうです。

参拝した時はそれを知らなかった。(泣)


【祠堂】


大丸創業者の御位牌が安置されているということで、
位牌堂といったところです。

こちらもお願いすれば拝観可能です。


【鎮守社】



【稲荷社】



【木斛】


伊達政宗御手植えと言われている老木。

天下無二の木斛といわれ、木斛無きを庭園と言い難し。




これは二代目で次世代に向けて育てていました。


【庫裏】


ここで御朱印を留守番されている女性からいただく。


【龍爪梅花皮】


庫裏で御朱印を待っていると陶芸家岩崎政雄さんの作品が、
何点か飾ってあって売っていました。

龍爪梅花皮というのは器に塗られた釉薬が粒状にちぢれて、
龍が爪で引っ掻いたかのように見えることから名付けられたとのこと。

萩焼の鬼萩によく似ていますね。

私も最初は鬼萩だと思ったけど、清水焼のカテゴリーに入るようです。






これは私が購入した茶碗で値段は3500円也。

まさかお寺で焼き物を買うとは思わなかったけど、
かなりのお気に入りです。

岩崎政雄さんはこれからも注目していきたいですね。


【白書院の庭手洗石】




留守番の女性が中に入って見学しますか?と聞かれたので、
断る理由なんて全く無いので入らせていただいた。

それで一番先に見せていただいたのが、
書院前庭にある手洗石でした。

貴重なモノを見せていただいて嬉しい。(^^

写真撮影もOKでした。


【若冲筆投げの間】


書院の一室で精進料理である普茶料理がいただけます。

このような畳の部屋でも机と椅子でしたね。
何でも歳を取ると足が悪くなってくるので、
そのような方々に配慮されているとのこと。

壁には伊藤若冲の群鶏図の写真が飾られていました。

今は京都国立博物館に預けられていますが、
大作である群鶏図を描いてから筆を取らなくなったということで、
この部屋を若冲筆投げの間と呼ばれているそうです。


【孔雀図】



【曲ロク】


厳格な儀式において高僧が座られる椅子です。


【掛軸】


先義而後利者栄と書かれており、
意味は「義を先にして利を後にする者は栄える」です。

これは大丸創業者下村彦右衛門正啓の遺訓で、
現在も大丸の社訓となっているそうです。

ちなみに海宝寺の檀家は大丸のみ。
京都のお寺は浄住寺のように檀家がひとつだけというのが結構あります。


【着物】



【御朱印】


大変貴重なものを見せていただき感謝。

興味がある方は予約すればよろしいかと。

源光庵(2016年5月14日参拝)

2016年06月23日 | 仏閣

続きましてこの界隈ではメイン的存在の源光庵へ。

ここは何といっても悟りの窓と迷いの窓が有名ですね。

有名だけど中々行く気が起こらず、
今回初めての参拝となります。

無料駐車場がありました。


所在地:京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町47
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:貞和2年(1346)
開基:徹翁義亨国師
札所:釈迦三十二禅刹


【縁起】
源光庵は徹翁国師が開山した寺院で、
もともとは臨済宗大徳寺派の寺院として創建されました。

元禄7年(1694)に加賀・大乗寺の27代目卍山道白禅師が、
ここの住職を務めたことから曹洞宗の寺院に改められ、
現存する本堂も建立されました。

本堂横には卍山禅師が享保4年(1719)に建立された開山堂があり、
卍山禅師は宗祖道元禅師の教えが当時の乱れた宗門を復古した功績から、
中興の祖として讃えられています。

卍山禅師は学徳兼備の当世随一の高僧であり、
江戸幕府に訴願して実に42年の歳月を経て、
道元禅師の正伝の仏法に復古されたのである。

その事業の功績は黄檗宗萬福寺鉄眼禅師の大蔵経版刻、
東大寺公慶上人の大仏殿再建と共に三者並び称される。

また本堂には伏見城の遺構である血天井、
悟りの窓と名付けられた丸窓と迷いの窓という角窓がある。

悟りの窓は遠景に「禅と円通」の心を表わし、円は大宇宙を表現する。
迷いの窓は角型に「人間の生涯」を商法し、
生死病苦の四苦八苦を表わしている。


【山門】




めっちゃ良い雰囲気。

曹洞宗のお寺では修行僧がいるようなところは、
ビシッとした厳しい雰囲気が漂う場合が多いが、
ここはそこまでの厳しさは無いが、凛とした雰囲気を感じますね。




復古禅林の扁額が掛けられています。

42年の歳月をかけて寺を再興し、
曹洞宗開祖道元禅師の教えを復興した道場という意味だそうです。

何故か仁王がいませんでした。

どこさいっちまっただ。

丸窓が印象的な山門は江戸中期建立されたもの。


【鐘楼堂】



【山門】


楼上には釈迦牟尼仏と羅漢像が祀られているそうです。


【境内】




境内は余り凛とした雰囲気は感じない。


【本堂】


立派な本堂です。

早速拝観料を支払い堂内へ。


【御本尊】


まずは御本尊にお参り。

御本尊の釈迦如来、阿難尊者、迦葉尊者が祀られていますが、
あんまりよく見えませんでした。


【悟りの窓・迷いの窓】






ほ~、これが有名な窓ですか。

確かにこれは有名になるよね。
心に訴えてくるものがあります。




迷いの窓。

これは何で迷いなのかはよく分かりませんでした。




悟りの窓は心にグッとくるものがあった。

グッとくるといっても熱いものじゃなく、
とても静かなもの。


ずっと見ていると「無」になれるというか、
自分でも驚くぐらい落ち着く。

時間が許せば1時間は余裕で座って見ていれるね。

不思議だよなぁ。

丸い窓から緑が見えるだけなのに。

悟りまでいかなくても、人の心を穏やかに落ち着かせる。

こんな窓は初めてです。


【血天井】




これだけリアルに足型が残っていると、
さすがに身震いするものがありました。(^^;

せっかく悟りの窓で落ち着いた心が、
血天井を見てざわついたよ。(苦笑)

もう一度、悟りの窓の前に座ったことは言うまでもない。(笑)


【鳥居彦右衛門元忠御位牌】



【裏庭】



【本堂】


次は書院へ移動。


【書院・開山堂】










書院はよくある普通の書院で、
本堂に比べてあんまりインパクトはありません。

開山堂には卍山禅師木像が安置され、
その下に禅師の遺骨である舎利が納めているとか。


【庭園】




ここのお庭も落ち着いてみることが出来ました。


【開梆】



【雲版】



【井戸】



【通用門】


帰る時に山門横にあるのを見つけた。

駐車場からだと通らないので気付かなかった。


【御朱印】



とにかく悟りの窓と血天井がとても印象的なお寺であった。

心を穏やかに落ち着かせたい時は訪れたいですね。

圓成寺<岩戸妙見宮>(2016年5月14日参拝)

2016年06月23日 | 仏閣
光悦寺の前にお寺がある。

完全にノーマーク。

とりあえず行ってみよう。(^^



所在地:京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町24
宗派:日蓮宗本満寺派
御本尊:岩戸妙見大菩薩
創建:寛永7年(1630)
開山:日任上人
札所:洛陽十二支妙見めぐり


【縁起】
日本国最上玄武神の根本・皇城北方鎮護の開運北辰尊星岩戸妙見大菩薩をお祀りする。

古墳状の石室造りであり内陣の岩窟内には石像六尺余の立像が、
右手に破邪の剣、左手に白蛇を握り、頭上に北斗七星をいただき、
大きな霊亀の背上に立ち、弁財天女と七面天女を脇士として鎮座されている。

妙見大菩薩は玄武神・鎮宅霊符神・尊星王とも称され、
北極星と北斗七星を神格化した菩薩である。

仏教はもとより神道・儒教・道教・陰陽道などの諸宗教においても、
衆星の王・神仙の中の仙・菩薩の大将として厚く信仰されてきた。

平安京には王城鎮護の四方妙見があり、
天皇は正月元旦の四方拝で妙見尊星に一年の安穏を祈られた。

特に北山霊巖寺の妙見堂には、三月三日・九月九日に
宮中から献灯の儀が行われていた。

当山はこの霊巖寺の妙見大菩薩を一条家の懇情により、
円成院日任上人によって法華勧請をもって再興されたものである。

拝殿は廃仏毀釈・神仏分離の嵐によって荒廃していたものを、
以前は当地の氏神として尊崇してきた地元鷹ケ峰岩戸講有志十数名が、
十年間にわたって積立ての基金を作り、

当時の信徒組織燈明講社中と力を合わせ、
当山第十六世進明院日解上人の代、明治21年普請修理がなされたものである。


【塀重門】



【山門】


無料駐車場があり、拡張工事をされていました。

山門前の張り紙を見ると境内は撮影禁止になっていた。

うーむ、
こりゃ気難しいお寺なのかな。(^^;

ちょっと緊張感を持ちつつ境内に入ると、
なかなか見所が多くて撮影出来ないの本当に残念。

境内は撮影不可でしたので、
境内の様子は「京都フォトクリップ」さんと、
「京都を歩くアルバム」さんでご確認ください。
(以前は撮影が出来たようです。)

http://photo-clip.main.jp/photo/enjoji.html

http://kyoto-albumwalking.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_ebd0.html


そういえば痔の神として秋山自雲霊神が祀られていました。

痔の神様なんていたんですね。(笑)

なんでも7年にわたって痔疾に苦しんだ孫右衛門が、
臨終に際して「自分の死後、痔疾に苦しむ人が一心に題目を唱えたらならば、
必ずこれを守護し、平癒させると誓願をたて、
これによって孫右衛門が本性寺に葬られてから、
古い友人の一人が痔疾を患い、孫右衛門の誓願を思い出して祈念したところ、
二か月ほどで快癒したといいます。

それ以降、人々が孫右衛門に参詣して、
痔疾平癒の祈願をするようになったといわれているそうです。

秋山自雲というのは孫右衛門の戒名です。

尚、京都、大阪、兵庫、東京等の日蓮宗のお寺に、
秋山自雲霊神が祀られていることが多いようですね。


【御首題】

光悦寺(2016年5月14日参拝)

2016年06月22日 | 仏閣

所在地:京都府京都市北区鷹峯光悦町29
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅
創建:明暦2年(1656)
開山:日慈上人


【縁起】
光悦寺は鷹峰三山(鷹ケ峰、鷲ケ峰、天ケ峰)を見渡す景勝の地にある。

この辺の一帯を鷹ケ峰光悦町と称び、元和元年(1615)徳川家康公が、
本阿弥光悦翁に野屋敷として与えた土地である。

光悦翁はそこに一族縁者をはじめ、種々の工芸にたずさわる
多くの職人と共に住居を構え 、光悦翁を中心とする工芸集落を営んだ。

同時に本阿弥家先祖供養の霊屋として位牌堂を設けたが、
光悦翁の歿後、寺として日蓮 宗光悦寺となり今日に到っている。

境内の一角には苔むした光悦翁の墓碑が、
今も鷹ケ峰の松籟を聞きつつ静かに立っている。


【参道】


この参道の雰囲気がとても良い。

これぞThe京都といった風情を感じますね。

こういった雰囲気は京都以外では出せません。

参道の奥に山門があります。


【本堂】


だいたい本堂といったらお寺の奥の方にありますが、
いきなり本堂登場。

まずは本堂にお参り。

間違っても南無阿弥陀仏とお唱えしてはいけません。


【鐘楼堂】


ゴマラー好みの茅葺屋根の鐘楼堂です。(^^


【門】


この門は普段は使われていないようです。

拝観料を支払い境内へ。


【境内】


右の建物が妙秀庵なのかな。




この辺りも良い雰囲気です。


【三巴亭】


7つある茶室の内の一つで最初に見るのが三巴亭。

大正10年(1921)に建築されたもので、
高村光雲作の光悦坐像が祀られているそうです。


【大虚庵】







【境内】



【了寂軒】



【翹秀軒】


中には入れませんが、軒下で休憩する事が出来ます。

先客でいっぱいでしたが。(^^;


【本阿弥光瑳・光甫墓所】



【鷹峰三山】




鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰が見渡すことが出来て、
とても清々しくて最高の気分を味わえますよ。


【本阿弥庵】


ここも軒下で休憩することが出来ますが、
恐れ多くて座るのは躊躇われました。


【休憩所】




休憩所一つとっても洒落てます。






ここに座っているととても落ち着けました。


【本阿弥光悦墓】





【御首題】



【感想】
庭がメインのお寺は基本的に余り好みでは無いが、
光悦寺はとても気に入りました。

とても日蓮宗とは思えないお寺の雰囲気で、
お寺というより超絶お金持ちの別荘や山荘といった感じ。

私に腐るほどお金があったら、
こんな別荘が欲しい。(笑)

紅葉の時期に訪れたいね。

駐車場が閉鎖されるらしいから、
そこがネックやけど。

常照寺(2016年5月14日参拝)

2016年06月21日 | 仏閣
続きまして光悦寺や源光庵等がある北区鷹峯界隈に移動し、
まずは日蓮宗の常照寺を参拝です。

京都には100回以上訪れていますが、
まだ訪れた事の無い北区鷹峯界隈の寺社。

参拝が楽しみです。



所在地:京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町45
宗派:日蓮宗
御本尊:三宝尊
創建:元和2年(1616)
開基:本阿弥光嵯
開山:日乾上人


【縁起】



【参道】


無料駐車場から参道に入ると緑がいっぱいで心地良い。


【山門】


緑が本当に濃すぎる。(^^

余りにも緑が凄過ぎて吉野門と呼ばれる山門を注目し忘れた。(^^;


【帯塚】


女性の心の象徴とされる帯に感謝し祈りを捧げる為に、
昭和44年(1969)に建立されたもの。

全国初の帯塚だそうです。

塚石は四国吉野川の自然石で珍しい帯状を表現。

苔の覆われた小さな山は鷹峰三山を表現したもの。


【吉川観方先生小直衣之像】




吉川観方は時代風俗研究の権威である同時に、
厖大な資料のコレクターとして服飾文化に貢献した人物。


【宝蔵】



【本堂】





【仙游庵】


この中で常照寺の縁起等の説明ビデオ15分程鑑賞。

ま、映像は垂れ流しなんで時間が無い人は見なくてもいいんだけどね。(^^;

休憩所も兼ねていて、畳の所には着物が展示され、
奥には仏様が祀られていました。

庵の中は撮影禁止です。


【庭園】





【鬼子母尊神堂】


三体の鬼子母尊神像と十羅刹女が祀られています。


【常富大菩薩】


鎮守社。


【妙法龍神堂】



【門】


嵯峨野を彷彿とさせる門の先にも何かあるようです。

行ってみましょう。


【白馬観音】




下に降りて行くと観音様が祀られていました。

何でも白馬に乗って池を往来していたとされる、
伝説の仙人を白馬観音として祀られているそうです。


【緑葉】



【遺芳庵】



【手水鉢】



【吉野太夫の墓】





【御首題】



秋の時は絶対に紅葉が美しいでしょうね。

次回は秋に訪れたいと思う。

正傅護国禅寺(2016年5月14日参拝)

2016年06月20日 | 仏閣
市内の妙心寺から洛北の正傅寺へ。

同じ京都市内ですが、
洛北まで来ると街の喧騒も少なく静かなもんです。

この正傅寺の売りは何と言っても静かなお庭です。


所在地:京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72
宗派:臨済宗南禅寺派
御本尊:釈迦如来
創建:文永5年(1268)
開基:東巌慧安


【縁起】
鎌倉時代に宋から来日していた兀菴普寧禅師が、
今出川に建てた仏殿が始まりといわれる。

兀菴禅師の意志を引き継ぎ東巌慧安によって建立された正伝寺は、
慧安が国家安泰・蒙古降伏の祈願を行なったことにより、
亀山上皇から吉祥山正伝護国禅寺という寺号を授かります。

その後、比叡山の宗徒の焼打ちにあった正伝寺は、
慧安に帰依する賀茂社の社家・森経久からの寄進によって、
この地に移り伽藍を整えたそうです。

室町時代には将軍の祈願所にもなった正伝寺は、
応仁・文明の乱で焼失してから復興と荒廃を繰り返し、
江戸時代に金地院崇伝によって再興されてから、
臨済宗南禅寺派の寺院となり現在に至ります。

江戸時代に金地院から移設された方丈は伏見城の遺構といわれ、
方丈の襖絵は狩野山楽の山水画で国の重要文化財に指定されています。


【山門】



【境内】


さすが洛北だけあって静かで緑豊かです。


【鎮守社】



【石仏】



【山門】


二つ目の山門をくぐり更に奥に進んでいきます。

結構広い境内ですね。


【鐘楼堂】


参道の途中にある鐘楼堂の前で何か工事をしている。

あの工事音はヤバいかも。


【庫裏】


ここで拝観料400円を支払い中へ。


【門】


門の前には狸の置物が。(^^


【方丈】



【獅子の児渡し庭園】






比叡山を借景とした庭園でとても落ち着くお庭です、
と言いたいところだが、工事の音がうるさい。(泣)






受付けで工事の音がうるさくてすみませんと、
女性の方が仰ってくださったが、本当にうるさくて参った。(^^;


こういうお庭は静かに見て、心を落ち着けたいのだが、
あれでは台無しでしたね。

私はまだ来れるチャンスは幾らでもあるけど、
フランス人カップルと通訳らしい外人3人はガッカリだっただろうなぁ。

折角、はるばる京都の洛北まで訪れて、
あのデビットボウイが愛したお庭を見に来られたのに。


【勅使門】



【血天井】




これは結構生々しく手の形が残っていました。

去年まで血天井って見たこと無かったけど、
今年になってやたらと見てる気がする。(^^;


【御朱印】

妙心寺塔頭 長興院(2016年5月14日参拝)

2016年06月19日 | 仏閣
【妙心寺境内】




特別拝観している妙心寺塔頭の大法院を探すも、
妙心寺の境内は広いし、塔頭の数も46とめっちゃ多い。

あんまり下調べしないで探していたら、
迷って天球院の方まで来てしまった。(泣)

そんでもって、境内地図を元に大法院に到着したら、
拝観は既に3日前に終了していたとか。(号泣)

はい、事前調査して無かった私が悪いんです。(^^;

しょうがない、妙心寺はこれぐらいにして、
次なる参拝地へ向かうとしよう。

とりあえず、仏殿と三門は見ておかないとね。


【大方丈】



【仏殿】



【三門】




所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町63
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:天正9年(1581)
開基:滝川一益
開山:九天宗瑞


【縁起】
天正9年(1581)滝川一益が妙心寺五十六世九天宗瑞を開祖に請じて創建。
当初は暘谷庵と称する一庵の所在地であったという。

その為か慶長11年(1606)に津田秀政が再興した時には暘谷院と号したが、
秀政没後ふたたび長興院と改めた。

元禄年間には開祖九天が当院の隣接地に閲創していた大雲院を併合する。
貞享3年(1686)に現在地へ移建された。

その跡地は本山が買い取って宝蔵を建立し、今日の景観におよんでいる。


【山門】


妙心寺に来たら必ず見に行く玉鳳院を見てから、
駐車場に戻る時にたまたま通りかかった塔頭の山門前に、
「御朱印あります」の張り紙。

うーん、どうせハンコだろうなと思って迷っていたが、
普段非公開の塔頭の中に入れると分かって、
お寺の方のお許しをいただいてから山門から境内へ。

この時、どえらい御朱印をいただけることになるとは、
全く予想だにしなかった。(^^


【境内】


檀家しか入れない塔頭に参拝出来るのが嬉しい。(^^


【願い地蔵と出世岩】


後ろの大きな岩が出世岩のようです。


【前庭】



【石仏】



【本堂】


平成23年(2013)に再建されただけあって、
とても綺麗です。


【御朱印】




御朱印は三種類ありました。

奥様が見本を見せてくださり、
これを見た時は予想外過ぎて腰を抜かしそうでした。(笑)

三種類全部いただくのは全くもって節操無いので、
達磨大師と龍が描かれた御朱印二種をいただきました。


それにしてもこの御朱印は素晴らしい。

各千円でしたが有難味を感じて安いぐらいですよ。

どこぞの2千円や4千円もするお絵描き寺院の御朱印とは大違いです。(苦笑)


もう一種類は大雄殿と書かれた普通の御朱印(300円)です。


その後、見開きの御朱印は四種類になったが、
余りにも反響が大きく対応しきれなくなったようで、
結局、月曜日の朝9時から11時まで、各20枚、書置きのみの、
対応となってしまいました。

ネットの無い時代ならこんな事にはならなかったと思う。

改めてネットの良い部分と悪い部分が分かった。


とりあえず、このお寺の前を偶然通って、
御朱印をいただけたのは本当にラッキーでした。


大法院が閉まっていた時は膝から崩れ落ちそうでしたが、
天は我を見放して無かったね。(^^

妙心寺塔頭 大雄院(2016年5月14日参拝)

2016年06月18日 | 仏閣
臨済宗を開かれた臨済義玄禅師の1150年遠諱と、
日本臨済宗中興祖である白隠慧鶴禅師の250年遠諱を記念して、
4月12日から5月22日まで春の京都 禅寺一斉拝観が行われています。

禅宗寺院約60ヶ寺公開されるということですが、
既に行った事がある寺院や平日限定だったりで、
そんなに高まることも無かった。

だけど、妙心寺塔頭である大雄院や洛北の正伝寺等、
参拝してない寺院もあるので、そこは押えておかないとね。

まずは妙心寺へ。



所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町52
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦牟尼仏
勧請開山:蘭叔玄秀
開山:慧南玄譲


【縁起】
大雄院は大本山妙心寺山内の北に位置し、
慶長8年(1603)竜野城主石河紀伊守光元の長子である
尾張藩犬山城主石河市正光忠により父光元の菩提を弔う為に、
菩提所として創建したもので、慧南玄譲を開祖とする。

慧南玄譲は光忠の叔父にあたり、石河市の菩提寺美濃乙津寺、
二世蘭叔玄秀の法孫であって、慧南は蘭叔玄秀を勧請開山としている。

時は豊臣時代から徳川時代へと移る過渡期にあり、
極めて激しく流動した時代でした。

大雄院は石河家本流の香華所(御位牌所)として現在に至っております。


【妙心寺境内】



【表門】


桂春院の近くにお寺があったので分かりやすかったです。

京都府指定登録文化財。


【前庭】



【庫裏】


江戸末期に改造された京都府指定登録文化財。

ここで拝観料を支払い客殿と書院へ。


【庭園】












凄く落ち着くお庭でした。

また撮影不可でしたが、
客殿では柴田是真や土岐済美作の襖絵が見れました。


【稲荷社】



【鎮守社】



【御朱印】


通常バージョンです。




こちらは一日20枚限定の達磨の御朱印です。

書置きでしたが、
最終日の2日間のみ直書きでいただけたようです。


ちなみに毎月第一土曜朝、第三土曜昼に坐禅会が行われています。

興味がある方は是非。

子安観音寺(2016年5月8日参拝)

2016年06月17日 | 伊勢西国三十三所観音霊場
本日最後の参拝となるのが子安観音寺。

このお寺は時間が無ければ次回に回そうと思っていましたが、
小田さんのライブの時間まで時間があったので、
急遽、鈴鹿市まで戻っての参拝です。

その前に昼飯。


【ひつまぶし】


四日市の幹線道路沿いの食べ物屋はラーメン店が多い。

アホほど多い。

今日はラーメンという気分ではなく、
ここまで来たらアナゴでも食べたいのだが、
店がなかなか見つからない。

そんな中、ひつまぶしの看板発見。(^^

これは行くしか無いでしょ!

アナゴの天ぷら丼も捨てがたいが、
ひつまぶしは私の大好物なんで文句なし!

だいたい2500円ぐらいだったと思うが、
味はまぁまぁ美味しかったです。

ひつまぶしの超有名店の味を知ってるだけに致し方なし。



所在地:三重県鈴鹿市寺家3丁目-2-12
宗派:高野山真言宗
御本尊:白衣観世音菩薩
創建:天平勝宝年間(750-757)
勅願:聖武天皇
開基:道證上人
札所:三重四国八十八箇所、伊勢西国三十三所観音霊場 


【縁起】
当寺は聖武天皇の天平勝宝年間に勅を奉じた藤原不比等が建立したと伝え、
道證上人の開創によるといわれています。

奈良東大寺旧記に天平二十庚午年、帝命舎人令建伊勢観世音寺筑紫分流也。
舎人不智法育田地而建立寺舎人罰重々遂幽閉大堂とあり、

弘安3年(1280)には上の文に注記して伊勢庵芸郡栗真観音寺なり。
四時不絶花桜を以て名あり。朱印百余石ともある古くから、
霊験の顕著な名刹として広く知られました。

室町時代には正親町天皇の綸旨を賜り勅願寺となり寺領も給され、
付属の僧坊も20余を数える大刹でした。

戦国の世に一時、寺勢は衰えましたが、元和3年(1617)徳川幕府から
伊勢国河曲郡江島村乃内参拾石の寺領を支給され、
紀州徳川家からも高4石5斗の免除を受けました。

江戸時代を通じて寺内に苗字帯刀の寺侍を置くことを許されるなど、
手厚い庇護を受けていました。

また本尊は妊婦の安産に霊徳があり白子の子安観音と称されています。
現在も安産を願う多くの女性達が祈祷を受けに訪れています。


【山門】


県指定文化財ですが、なかなか迫力のある門です。

元禄16年(1703)に建立されたもの。

無料駐車場が2カ所ありました。


【仁王像】





【境内】


禅宗とは全く違った観音霊場独特の雰囲気です。


【本堂】


こういう造りの本堂は久しぶりに見ましたね。

堂内は撮影禁止でした。


【三重塔】




平成11年(1999)に建立されただけあって、
塔自体にまだまだ味わい深いものはありませんが、
境内の雰囲気にマッチしていて良い感じです。


【御堂】



【白子不断桜】


天然記念物。


【御朱印】


さて、参拝もこれぐらいにして四日市ドームへ。


【四日市ドーム】


駐車場が無料なのが推せる。

四日市やるじゃねーか。(^^

しかし、臨時駐車場も一杯あって、
帰りの渋滞が恐ろしいことになりそう。(^^;




入場。

低いスタンドなんで、スタンドでも見やすいです。


ライブ開始。

終始、小田さんの声にしびれた。
小田さんの歌声は神に選ばれし声でしたよ。

四日市で二万人埋めてるし人気も凄いね。

花道を多様し後ろでも近くで見れるし、通路歩くし。(笑)

あれだけ最前が美味しくないライブは初めて見ました。(笑)

楽しかったです。