Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

東光寺(2015年2月28日参拝)

2015年03月31日 | 仏閣


十津川温泉からつぼ湯が有名な湯の峰温泉に到着。

硫黄の匂いが凄い。

民宿瀧よしの横にある無料駐車場に100台分ぐらい停めれます。
駐車場から少し歩くとお寺発見。

こんな所にお寺があったとは知りませんでした。



所在地:和歌山県田辺市本宮町湯峯113
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:伝・天仁元年(1108)
開基:伝・裸形上人
札所:熊野曼荼羅


【縁起】
寺伝によれば鳥羽天皇の勅願により与えられた寺領に
二重塔(多宝塔)を建立したのが開創であるとし、
熊野信仰の隆盛とともに諸堂塔や仏像が造立されたという。

中世には温泉とともに時宗の念仏聖が管理していたと見られ、
時宗の勧進唱導の説経節として知られる小栗判官には、
照手姫がハンセン氏病に苦しむ小栗を湯の峰温泉に運んで病を癒したとあり、
それにちなむ車塚がある。

天正18年(1590)には豊臣秀吉の造修があり、
片桐且元を奉行として薬師堂・多宝塔が修繕された。

江戸時代には真言宗古義派に属する無本寺として本宮社家の支配下におかれた。

明治以降、廃仏毀釈こそ免れたものの寺領を失い、
当時の住職が還俗して本宮の神官となったことで無住無檀となり、
明治5年(1872)に廃寺となったが、1879年(明治12)、
村民の願出により那智山青岸渡寺末の天台宗寺院として再興された。

明治36年(1903)5月に、湯の峰温泉一帯が火災に見舞われた際に
寺堂も焼失したものの、御本尊は焼失を免れ、
その他の仏像・宝物等も避難に成功した為、
信徒有志の寄附により昭和6年(1931)に薬師堂が本堂として再建された。


【石碑】


小栗判官蘇生の地だそうですが、
そもそも小栗半官って誰やねん?(笑)

調べてもあんまりよく分からない人です。


【薬師堂】




本堂にあたります。




御本尊は残念ながら拝顔の栄誉を得ることが出来ず。


【湯筒】


とても風情がありますね。

下に降りて行くと約90℃の熱湯が湧く湯筒があり、
ここに卵やサツマイモ、じゃがいも等を吊るすことが出来ます。

私達は卵とサツマイモを吊るしました。
卵は半熟だと9分ぐらいですね。

早速食った。

美味かった。(^^

サツマイモやじゃがいも等は25分以上吊るしておきましょう。

サツマイモは石焼き芋のような色と味で抜群に美味かったですよ。(^^


【薬師堂】



【湯筒地蔵】





【つぼ湯】


この先につぼ湯があります。








湯の峰温泉公衆浴場の受付で番号札を受けとり、
30分毎に交代で入ることが出来ます。

とても小さな穴のようなお風呂です。

出来ればオッサンの後では無く、
可愛いオネーさんの後に入りたいものである。(笑)


【大阿刀足尼の碑】





【御朱印】


予想外の御朱印をいただけて良かったです。

これにて十津川、湯の峰温泉の温泉巡り終了。

帰りは168号線では無く、阪和自動車道で帰宅。
高速代が高いけど、やっぱり高速の方が早いし楽だわ。(^^

熊野本宮大社(2015年2月28日参拝)

2015年03月30日 | 神仏霊場巡拝の道
今日は家族のリクエストで川湯温泉と湯の峰温泉へ。

またまたあの長い168号線を走破することになりました。(^^;


所在地:和歌山県田辺市本宮町本宮1100
主祭神:家都美御子大神
創建:伝・崇神天皇65年
社格:官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道



【谷瀬の吊り橋】




今日は渡りましたが、
下に金網があるのは分かっていても板が薄くて少し怖かった。(^^;


【鳥居】


二週間前に参拝してたし、今回は華麗にスルーするつもりでしたが、
珍しく家族が参拝したいというので寄りました。

この熊野本宮大社は特別らしい。


【石段】



【社殿】



【御朱印】



【十津川】


自宅から約4時間かかってようやく到着。
ここに来たのも20年振りぐらいかなぁ。(遠い目)

相変わらず綺麗な川です。

しかし、水害の影響で川の流れや雰囲気が随分変わった。


【川湯温泉仙人風呂】


昔はあんな石で堰き止めて無かったな。




水着の着替えはここでします。
中は簡単な男女の仕切りがあるだけです。(苦笑)

仙人風呂は広いですが、川をせき止めているので藻で濁ってました。(^^;
昔はもっと綺麗だったと記憶してるんだけどなぁ。




仙人風呂以外は綺麗な水の流れで、
鴨達が羨ましい。

昼飯を食って湯の峰温泉へ向かいます。

大神教本院(2015年2月22日参拝)

2015年03月29日 | 神社
大満足の大神神社を後にし、
三柱鳥居を見に大神教本院へ。

以前訪れた時に戴けなかった御朱印もいただければいいなぁ。


所在地:奈良県桜井市三輪1198 
御祭神:三輪坐大物主大神、他23柱
創建:明治5年(1872)


【由緒】
大神教の源は国民教導政策として1872(明治5)年11月24日、
大教院制度が公布され、大神神社に小教院を付設したことに始まる。

1880年2月18日、名称を大神神社大神教会と改め、
同年5月18日、大神神社大神教会講社が結成され、説教や祈祷の奉仕、
神符守礼の調製授与、講社業務、神葬祭などが活発に行われた。 

ところが、1882年1月24日の神仏分離令により、大教院制度の廃止と、
神職の宗教活動が一切禁止され、大三輪信仰が消滅の危機に立たされた。

当時、大神神社の祢宜(現権宮司相当職)小嶋盛可が、
宮司の了承のもと分離独立、1883年、大神教会を創立した。

1885年には祖霊殿(大三輪霊詞)を建設。 
昭和27(1952)年、宗教法人大神教となる。


【鳥居】


この鳥居は大神神社のもの。


【全景】



【拝殿】




拝殿には自由に入れますが、
入るのは少々勇気が要りました。




拝殿内部は普通でした。(^^;


【三柱鳥居】




三柱鳥居といえば蚕ノ社こと木嶋坐天照御魂神社が有名ですが、
こちらにもあります。

しかし蚕ノ社のような三柱鳥居と違って、
神秘的な雰囲気やエネルギーのようなものは全く感じませんね。(^^;


【境内社】





【御朱印】

大神神社 三ツ鳥居特別参拝(2015年2月22日参拝)

2015年03月28日 | 神仏霊場巡拝の道
今日は「奈良 うまし冬めぐり」のプログラムの一つで、
三ツ鳥居特別参拝と神職の案内による宝物収蔵庫拝観の為に大神神社へ。

三ツ鳥居と拝殿昇殿がとても楽しみです。



所在地:奈良県桜井市三輪1422
主祭神:大物主大神
御神体:三輪山(神体山)
社格:式内社、大和国一宮、二十二社、旧官幣大社、別表神社
創建:不明
札所:神仏霊場巡拝の道、大和七福八宝めぐり


【鳥居】


無料駐車場に車を停めていざ参拝。


【参道】


ここの参道はいつ来ても良い雰囲気で好きです。

集合時間にはまだ早かったので先に久延彦神社へ。


【久延彦神社】














さくっと参拝終了。

大神神社の拝殿へ向かいます。


【注連縄】



【拝殿】


こちらの拝殿はいつ見ても素晴らしい。

現在の拝殿は寛文4年(1664)徳川四代将軍家綱公によって再建されたもの。


【勅使殿】



【巳の神杉】





【夫婦杉】



【特別拝観】
「奈良 うまし冬めぐり」の受付けをして、
拝殿横の勅番殿で開始時間まで待機。

全員で約15人ぐらいだったでしょうか。
若い女性が多いだろうなぁと思ったらオッサン率高しで残念。(^^;

拝殿横の手水舎で手を清め、神職と共に拝殿に登殿し参拝。

拝殿に上がれて嬉しい。(^^

その後、いよいよ三ツ鳥居を拝見。


【三ツ鳥居】


画像はネットで拾ったものです。

実際はこのように見ることは出来ず、
左斜めから見ることになりました。

三ツ鳥居の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、
禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居と瑞垣が設けられています。

この禁足地に神職が入るのは元旦の夜12時からの僅かな時間で、
禁足地で神職によって忌火を焚かれる時のみだとか。

真ん中に扉がありますが、この門は絶対に人間が通ることは出来ず、
神様と忌火のみが通れるそうです。

それほど禁足地と三ツ鳥居は神聖なもの。

その特異な理由からか、
まだ造られてそんなに経っていない明治時代にも関わらず、
重文に指定されています。

ちなみに扉は禁足地に向かって開きません。
神様のみが通るということで禁足地から拝殿に向かって開くそうです。


参加者の皆さん、神妙な顔で神職の説明を受けておりました。

とても貴重な場所に入らせていただき感動しました。


【山の辺の道】




神職と共に狭井神社へ向かう。


【活日神社】







【狭井神社鳥居】


大神神社で一番好きな場所である狭井神社へ近づいてきました。


【注連縄】




拝殿が見えてきました。


【拝殿】


屋根が綺麗に葺き替えられていました。(^^

あの草が生えて緑の屋根も良かったんだけどね。


【本殿】



【薬井戸】




とりあえず2リットルのペットボトルに御神水を注入。(^^


【三輪山登拝口】


神職にいろいろ説明していただく。
大変勉強になりました。(^^

この後は展望台へ。


【御朱印】



【大美和の杜展望台】




ここでも神職の説明がありました。

本当はスカッと晴れてほしかったけど、
予報は雨だったので降らないだけでもマシですね。


【御神体山】


展望台を降りて宝物収蔵庫へ。


【くすり道】



【宝物収蔵庫】


実は初めて入ります。(笑)
こちらも神職の説明付き。

思ったより広くなくて、二部屋に分かれていました。

最初に入る部屋には禁足地出土品や大黒天像、狛犬などが見れます。
神社の規模の割りにそんなに展示品はありませんでした。

奥の部屋は現代美術が多く、人間国宝作の茶碗や、
私が好きな鬼萩茶碗等が展示されていました。

個人的に一番の見どころは狛犬でした。
めちゃくちゃカッコいい。

必見。


【大松明】


元旦の繞道祭で使用される大松明ですが、
昔に比べ神職もひ弱になったのか、かなり小さくなったと、
神職が自虐しておりました。(笑)


【祈祷殿・儀式殿・参集殿】


建設費約60億かかったそうですが、
全て浄財で賄われたそうです。

凄いですね。
それだけ信仰が篤い人々が多いということですね。


【梅】




これにて終了し解散。

御疲れ様でした。


【お土産】


お箸とお菓子等をいただきました。(^^


【御朱印】



【感想】
三ツ鳥居を見れたのが非常に良かった。

1300円の価値は充分あったと思うが、
普段でも神職にお願いすると無料で見れるらしいですね。(^^;

枚岡神社(2015年2月15日参拝)

2015年03月27日 | 神仏霊場巡拝の道
所在地:大阪府東大阪市出雲井町7-6
主祭神:天児屋根大神、比売大神、武甕槌大神、斎主大神
社格:式内社、河内国一宮、官幣大社、別表神社
創建:神武天皇紀元前3年
札所:神仏霊場巡拝の道


【鳥居】



【境内】



【神鹿】



【拝殿】


明治12年(1879)に新築されたもの。


【中門・透き塀】



【本殿】


現在の本殿は文政9年(1826)に造られたもの。

天正7年(1579)年9月、織田信長の兵火により類焼をうけ、
本殿以下諸建物が焼失。

以前の本殿は慶長7年(1602)豊臣秀頼公が造営したもの。


【照沢池】



【遥拝所】


宮中の皇霊殿、伊勢神宮、橿原神宮、神津嶽を遥拝。


【若宮社】


摂社。
天押雲根命が祀られています。


【出雲井】



【天神地祇社】


末社。
天津神・国津神が祀られています。


【禊場】



【御朱印】

熊野本宮大社(2015年2月14日参拝)

2015年03月26日 | 神仏霊場巡拝の道




雄大な自然だ。

この自然を見ながら本来参拝する予定の無かった
熊野本宮大社に向かって168号線を南下。

ホテル昴から案外早く30分で着きました。(^^


所在地:和歌山県田辺市本宮町本宮1100
主祭神:家都美御子大神
創建:伝・崇神天皇65年
社格:官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】
本宮は紀伊半島を縦断する紀和果無山脈から流れ出る
熊野川・音無川・岩田川の合流点の中州である大斎原に古より鎮座していた。

熊野は奈良時代から平安時代にかけて、仏教・密教・修験道の聖地になり、
自然崇拝に根ざしていた熊野の神々は仏たちと習合していった。

平安時代後期になると、その結び付きは強固となり、
証誠殿に鎮まる家津御子大神は阿弥陀如来と同一視され極楽往生を約束した。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて熊野への信仰が急速に高まり、
法皇・上皇の熊野三山に参拝する熊野御幸は100余度を数えた。

鎌倉時代になると熊野御師や熊野先達・熊野比丘尼らによる布教活動によって、
武士をはじめとする様々な階層の参拝が盛んになり、その範囲も全国に及び、
この群れなす参拝者を称して「蟻の熊野詣」の語が生まれた。

鎌倉新仏教の一派時宗の開祖一遍は、熊野の神からの
「信不信を選ばず、浄不浄を問わず布教せよ」との託宣を受けて悟りに至ったとされる。

江戸時代中期に現在みられる社殿が造築。
しかし、明治時代の熊野川の大洪水によって、社殿の大部分が流失した為、
12社のうち上4社を西の丘陵に遷座し、中4社・下4社の神々を大斎原の石祠に合祀した。



【鳥居】


無料駐車場があります。
これほどの有名神社なら有料でも不思議ではないのだが、
無料なのは場所柄なんでしょうね。(^^


【狛犬】



【参道】


初めての参拝になるので、早くあの社殿を見たいと心は焦る。


【石段】


しんどいわぁ。(^^;


【功霊社】



【祓戸大神】


こちらで穢れを落とします。


【神門】




この神門が実に渋い。

檜皮の屋根が美しく、とても品格のある門です。


【結宮】






左から第一殿(御祭神:夫須美大神)、
第二殿(御祭神:速玉大神)になります。


【社殿】


重要文化財。
左から結宮、本宮、若宮になります。

壮観です。
素晴らしい社殿ですね。


【本宮、若宮】


第三殿(御祭神:家津御子大神)、第四殿(御祭神:天照大神)になります。


【本宮】


大概真ん中の本宮が一番大きいものですが、
こちらではそうでは無いんですね。




何とも清々しい。


【若宮】





【鈴門】



【満山社】





【拝殿】



【和泉式部祈願塔】



【拝殿】


拝殿には見えない拝殿ですね。

お寺の本堂に見えます。


【大黒石】



【狛犬】



【祈りの道】


帰りは駐車場までこの道を歩きました。

これでも熊野古道の一部らしいですが、
石段の大きさがバラバラで歩き難いです。


【御朱印】



旧本宮の大斎原は完全に忘れていました。(^^;


【十二滝】


帰りの168号線沿いで見つけた滝です。

車一台分の駐車スペースがあります。




水量が多くないので豪快ではありませんが、
高さ80メートルもあって流麗な滝です。






最後にこの滝を見れて良かった。




帰りの無事を祈ってお参り。

今日も充実した一日であった。

念法寺 八大龍王姫松明神(2015年2月14日参拝)

2015年03月25日 | 仏閣




十津川の流れを見ながら168号線を走る。
クネクネとした山道を進みます。

車酔いに弱い方は酔うかも知れません。

腹が減ったので途中の道の駅で昼食。




山菜うどんと炊き込みご飯。
なかなか美味しかったです。

しかも、立ち寄り湯の無料券付きでめっちゃラッキー♪。

これでタダで十津川温泉に入れます。(^^

気分良く玉置神社へ向かう。
168号線から折立橋を渡りいよいよ玉置神社への長い山道を走ります。

暫く走っていると鳥居を発見。
車を停めれるスペースがあったので参拝です。



【鳥居】



【社殿】


小さな祠が鎮座し八大龍王姫松明神が祀られています。

てっきり玉置神社の境内社かと思っていましたが、
近くの石碑を読むと十津川念法寺が建立したものでした。(^^;

念法寺というのは念法眞教という新宗教のお寺です。

ネットで調べると右翼系でカルトというカキコミが多い。

大阪市鶴見区の総本山金剛寺は伽藍が凄そうなんで行ってみたいが、
一般人は信者と一緒じゃないと参拝不可。

敷居が高いし行かない方が後々面倒なくていいです。(^^;


【念法眞教】
教祖の小倉霊現(小倉庄太郎)が、
大正14年(1925)に立教開宗した仏教系の新宗教。

小倉霊現の夢枕に立たれた阿弥陀如来のご霊告に基づいて、
立教開宗された教団です。
「住みよい世の中をつくり、日々楽しい暮らしができるように相談する」所であり、
また、そうした目的に協力する仲間(会員)の集まり(団体)です。


【猫又の滝】




祠の奥に滝があって、その名も猫又の滝という。

この滝で小便すると龍神が怒って雨を降らすらしい。




夏にここで泳いだら雨が降るのかな。(^^;

まぁ、そんな気持ちになるぐらい綺麗な水でした。


さて、玉置神社に向かって山道を走ろう。


【雪道】


上へ行けば行くほど前日の雪が残っていた。

これはヤバい。

私の車はノーマルタイヤなんよ。(泣)

雪が積もってる道もあるが、積もってない道も多い。
危険だけどここまで来たからには進むことを決心。




この辺りでタイヤが空回りして進めなくなった。
これはマジでアカン。(泣)

ここまで来て無念のリタイヤなのか。

とりあえず少し戻って雪の無い空き地に車を停めて、
歩いて登って行くことを決意。

必死のパッチですよ。(^^;


【風景】


寒いし雪道を登っていくのはしんどい。

しかし、この風景を見ると疲れが消えていく。

頑張れ自分。(笑)




うわぁ、ここから先はシャレにならん。

無理して車を運転しなくて良かったぁ。(^^;

歩いてても滑って転びそうだったのに、
車だったら絶対事故ってたよ。




駐車場まであと何キロだろ?と思って確かめてみたら、
あと4.5キロだと。

こんなん歩いたら死ぬわ。(苦笑)

時間は14時半。

潔く諦めました。

しかし無念。。。

この神社の神様に呼ばれないと辿り着けない、
と言われていますが、ホンマや。(泣)


これからは一生懸命頑張って、
神様に呼ばれるような男に精進したいと思います。(笑)


気持ちを切り替えて下山し十津川温泉ホテル昴へ向かう。

風呂でさっぱりしとかないとやってられん。(苦笑)


【風景】


今度は必ず神社に辿り着いてやる。


【十津川】



【ホテル昴】


このホテルは宿泊施設、温水プール、露天風呂等があります。

日帰り温泉もあり早速露天風呂に入る。

気持ちえわぁ。

露天風呂最高。
しかもタダだし。(^^


風呂上り、ロビーで寛ぐ。

もう帰るはずだったのに、
玉置神社に参拝出来なかったことが凄く心残りになってしまった。

時間は15時半。

気が付いたら行く予定の無かった神社に車を走らせていた。。。

国王神社(2015年2月14日参拝)

2015年03月24日 | 神社
五條市からひたすら168号線を走り南下。
近年の水害によって今は工事をしている所が非常に多い。

そんな道を走って有名な谷瀬の吊り橋を見に行った。




ここに来たのは20年振りぐらい。
私は比較的高い所は平気なので橋を渡ったものです。(遠い目)

しかし、今回は急ぐ旅なので見ただけです。(笑)


またまた168号線を走っていると鳥居を発見。
華麗にスルー出来ない雰囲気が漂っていたので寄ってみました。



所在地:奈良県吉野郡十津川村字上野地362
御祭神:長慶天皇
配合神: 素盞鳴命、金山彦命、伊弉冊命、事解男命、速玉男命、田心姫命 、保食神
創建:文中元年(1372)
社格:村社



【由緒】
長慶天皇の勅願による創建といい、のち長慶天皇も祀ったと伝える。
大和志は河津国王神祠二座として「在林村称本宮上梁文日文中元年壬午十一月二十三日
蓇修境内有神宮寺別宮在上野地村上梁文日正平十五年四月八日重修近隣七村共祭」と記す。

藤沢南岳の探奇小録には崖上有祠日国王神社伝云奉祀南帝、
店前平坦処即長慶帝皇居之址也とある。      



【鳥居】


無料駐車場があります。


【南帝陵】


お~、長慶天皇の首塚があるのかぁ。

何とも言えぬ雰囲気を感じたのはこれのせいかな。


【長慶天皇】
後村上天皇の第一皇子で南朝の第三代天皇だが、
長らくその即位が疑問視されてきた幻の天皇であった。

長慶天皇研究の最大の障害は関連資料の乏しさにあり、
長慶天皇の在位・非在位を巡っては江戸時代以来議論が分かれていたが、
大正時代に八代国治・武田祐吉による実証学的研究が決定的な在位説として評価され、
長慶天皇の即位は動かない事実とされるようになり、
大正15年10月21日に詔書によって長慶天皇は第九十八代天皇として、
正式に皇統に加えられた。


【御首塚】






簡素なものでしたが、
それでも粗末には扱えない首塚でした。

下に神社があるので降りて行きます。


【参道】


こんな人がいないような場所でもちゃんと管理されているようです。

上が首塚です。


【境内】


良い雰囲気の神社です。


【鳥居】



【舞殿】





【狛犬】



【社殿】




大きな覆屋根で本殿や境内社が守られています。


【本殿】





【境内社】









【十津川】


綺麗な色です。




しかし、大規模な工事がされています。
早く工事が終わってほしいですね。

御朱印は恐らく無いと思われます。

如意寺(2015年2月14日参拝)

2015年03月23日 | 仏閣
金剛寺から車で僅か数分の場所にあるのが、
新興宗教の辯天宗如意寺というお寺。

基本的に新興宗教は参拝しないのですが、
甲子園の常連校である智弁学園は親しみがあるし、
この宗教に関しては悪い噂は聞かないので行ってみた。

信者でなくても普通に参拝出来ますのでご安心を。(笑)

ちなみに有名人では森昌子さんが信者だそうです。



所在地:奈良県五條市野原西4-6-25 
宗派:辯天宗
御本尊:大辯才天女尊
創建:昭和27年(1952)
開山:大森智辯


【縁起】
辯天宗は昭和9年(1934)に奈良県宇智郡野原村(現五條市)の十輪寺住職である
大森智祥の妻であった大森智辯(智辯尊女)が大辯才天女尊より天啓を受け、
それにより信者や訪問者への相談や、行(ぎょう)を行ったことに始まる。

その後、昭和23年(1948)には夫の大森智祥が第一世管長となって辯天講を結成し、
昭和27年(1952)に辯天宗となる。

「真心を常に忘るべからず 慈悲愍みの心を養うべし
善根功徳の行を積むべし 感謝の誠を捧ぐべし 不平不満を想うべからず」と
救いの道をやさしく表した宗祖「五行のお諭し」をもって、信者の道しるべとしている。


【山門】


無料の広い駐車場が幾つかありました。
山門前の駐車場が一番近いです。


【本堂】




新興宗教系はどうしても入りづらいものですが、
境内に入ってみると至って普通で安心しました。(^^


【宗祖殿】





【御朱印】


このお寺ではお守りや祈祷の他、御朱印もいただけます。
お代は300円でした。


少し離れた場所に宗祖御廟があるというので行くことにした。
小高い山の蓬莱山にあります。


【石碑】



【遠景】



【参道】



【拝殿】




昭和48年(1972)に落慶法要されたもの。


【内陣】


なかなか荘厳な造りになっています。


【宗祖御廟】




こちらが宗祖大森智辯のお墓です。






こちらは僧侶のお墓でしたが、恐らく旦那さんのものだと思われる。


【御朱印】


セルフ式のスタンプです。
お代は100円です。(笑)


【感想】
これにて如意寺の参拝終了。

とかく新興宗教は信者でないと入り難いもの。
しかし、こちらは境内の雰囲気、信者さん、事務員さんの応対も良く、
行きたいけど行き難いなぁ、と思ってる方は安心して行ってください。


大阪の茨木市にある分院の飛龍山冥應寺はいつか行かねば。
ここの建築物は凄いですから。(笑)

金剛寺(2015年2月14日参拝)

2015年03月22日 | 関西花の寺二十五霊場
吉野川を渡り次の参拝地である金剛寺を目指す。

金剛寺は関西花の寺、西国薬師四十九霊場の札所であります。
例の如く、花の咲いていない時期の参拝となってしまった。(^^;

初めての参拝となります。



所在地:奈良県五條市野原西3丁目2−14
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:承安3年(1173)
開基:平重盛
札所:関西花の寺二十五霊場、西国薬師四十九霊場



【縁起】
金剛寺は今から800年前、平安朝の文化人小松内大臣、
平重盛公の創建による古寺と伝えられています。

江戸時代初期から野原城主の畠山義春公の菩提寺として復興、
奈良朝の末期、 宇智の大野に流されてきた光仁天皇の皇后、
井上内親王とその子の他戸親王の怨霊を祀る宮寺として、
さらには元京都仁和寺、直末の中本寺としての歴史と信仰を有する名刹の古寺。

現在は高野山派に属する真言宗となっております。


【修行大師像】


大型の無料駐車場に車を停めて、まずはご挨拶。


【藁】


駐車場に置かれていた。


【藁葺屋根】


ありゃー、工事中や。

拝観は出来るのだろうか。


【山門】



【鐘楼】


まさかこんな高くない山門に鐘楼があるとは。

この鐘楼は宝暦12年(1763)に鋳造されたもの。


【庫裏】




絶賛工事中。

30年に一度、屋根を替えるそうです。




奥に見える建物は観音堂です。


【庫裏】


庫裏で拝観料を支払い、いざ参拝。




庫裏の屋根裏に藁を蓄えておくそうです。


【庭園】



【本堂内陣】




藤原時代作の御本尊薬師如来と日光、月光菩薩、
十二神将が祀られていました。

しかし照明が暗くお姿が良く見えませんでした。






鎌倉時代作の阿弥陀如来。
厳しい顔つきをされておりました。




弘法大師、地蔵菩薩像等が祀られていました。

隣の護摩堂へ移動。




不動明王、愛染明王等が祀られていました。
このお寺にはいろんな仏様達がいらっしゃいますね。

しかし、参拝客もいろんな人達が居て、
本堂の御本尊の前で立位礼拝を三回してから、
般若心経を唱えている男女がいた。

立位礼拝とは起立の状態から前に身を投げ出すようにして礼拝することで、
この特殊な立位礼拝を見てオウム真理教を思い出した。

いろんなお寺を参っていますが、
立位礼拝をする人は今まで見たことがありません。

これをやる人は相当宗教にのめり込んでいるのは間違いない。


この人達はもしかしてアレフかひかりの輪なんじゃないかと思ったら、
ちょっと怖くなったよ。

違っていたらごめんなさい。


【観音堂】




真ん中に小さい十一面観音、准胝観音が祀られています。






持国天。






多聞天。




役小角従者像。


【御朱印】


櫻井寺(2015年2月14日参拝)

2015年03月21日 | 仏閣
大満足の講御堂寺を後にし、徒歩数分で櫻井寺に到着。


所在地:奈良県五條市須恵1-3-26
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天暦年間(947~957年)
開山:桜井康成


【縁起】
慶長9年(1604)の縁起によれば天慶五年(942)桜井康成によって創建されたが、
正長元年(1428)に兵火にあい焼失、のち天文22年(1553)郡司平茂知並びに、
上総別所知興が堂宇を再建、この時新たに鐘を鋳造したという。

文久3年(1863)八月の天誅組挙兵の際本陣となり、
五条御政府ないし五条御役所と称した。
この史実から当寺は明治維新発祥の地と言われている。

寺内には代官鈴木源内ら五人の首をのせたと伝える石の水鉢があり、
門前に史跡天誅組本陣址の石碑が立っている。


【山門】


モダンな山門ですね。


【本堂】


こちらも近代的な造りの本堂です。

旧本堂は昭和40年(1965)神奈川県箱根山中に移され、
昭和42年(1967)再建されたもの。

本堂は木の扉ではなく、ガラスだったので内陣を見にいったら、
ちょうどお葬式だったようで、遺影を見ちゃった。(^^;

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。


残念ながら御本尊は拝めませんでした。


【鐘楼堂】


これもモダンですねぇ。
御住職の趣味なんでしょうか。(笑)


【石手水鉢】


この鉢で代官鈴木源内ら5人の首を洗ったという。

恐ろしや。


【天誅組】
幕末に公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団。

志士たちの霊は京都霊山護国神社に祀られている。


御朱印はございますが法要中にいただくほど無粋で無いし、
御朱印乞食でもありません。

講御堂寺(2015年2月14日参拝)

2015年03月20日 | 仏閣
栄山寺から車で10分ぐらいで本日のメインの一つである講御堂寺に到着。

お寺の駐車場は無いしコインパーキングも無い。
これは困ったなと思っていたら、道路を隔てた櫻井寺に駐車場があるので、
こちらの駐車場に停めさせていただいた。

勿論あとで参拝しお賽銭を入れさせていただきましたけど。

ちなみに講御堂寺の拝観は事前予約が必要です。



所在地:奈良県五條市五條1-1-14
宗派:律宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:伝・弘法大師


【縁起】
山号を宝樹山来迎院といい、布教講経の不断道場であったことから、
講御堂寺といわれています。
伝承では開基は弘法大師に遡るとされますが、歴史上明らかになるのは江戸時代であり、
寺を中興した第六世栄雄大徳(~1745年)の前後からです。

栄雄大徳は明日香の岡寺から入寺したといわれ、この頃、本寺は律宗の本山である、
南都唐招提寺の末寺となりました。
今日では江戸時代以来の檀家制度のもと、真言宗寺院の性格を併せ持っています。



【山門】


山門は開いているのですが、手前に柵があって入れません。
ピンポンも無いし、どっから入っていいのか分からずウロウロ。(^^;

山門横に小さな扉があって恐る恐る境内へ。
勝手に入って恐縮しながら境内を見る。

小さなお寺のようです。


【本堂】




宝暦11年(1761)大風により本堂が倒壊、
3年後の宝暦14年(1764)再建されました。

しかし昭和45年(1970)火災により全焼。
昭和18年(1973)落慶法要が行われたそうです。

庫裏で拝観予約していたことを奥様に伝え、
本堂へお連れしていただく。


【本堂堂内】


綺麗な内陣です。

奥様にお寺の縁起や仏様達についてのお話を聞く。

近寄って見ても良いということで近くで拝見。


【阿弥陀如来坐像】


阿弥陀如来坐像の御本尊と御前立です。

嬉しいことに写真撮影しても構わないとのこと。

めっちゃ嬉しい。(^^






国の重文では無く県指定文化財ですが、本当に素晴らしい。

感動です。


御本尊は第七世慧覚等雲(~1775年)によって、
南都から求められたもので、慈覚大師作という伝承があるそうです。

その真偽はともかく、特徴から平安後期作とされています。


昭和45年の本堂火災では救い出され難を逃れて良かったです。


御前立は姿や形、構造、漆箔の仕上げも御本尊と同じであり、
表現も同様に平安時代後期の特徴を示しています。


【勢至菩薩立像】




脇侍の勢至菩薩立像です。

写真に撮ったつもりでしたが、反対側には観音菩薩立像も祀られていました。

勢至菩薩、観音菩薩は共に江戸時代作。


【地蔵菩薩像】




向かって左には地蔵菩薩像が祀られていました。

これがまた素晴らしい。

彩色もよく残っており衣の紋様もとても美しい。

衣なんて木で出来てるとはとても思えない凄い技術です。

どなたが作者なのか分かりませんが、
定朝様の流れを汲んだレベルの高い仏師によるものと推測されますね。

それに何といっても凜とした表情に感動。

どう見ても菩薩というより如来といったような高貴な表情がたまらない。


【弘法大師像】


奥様から唐招提寺の話を聞いていたので、
鑑真和上かと思ったけど、お大師様とのこと。




こちらは写実的なお顔をされていました。

造られた時代、作者はあまり分からないとのことです。


【感想】
これほどとは。

僅か六体の仏様達でしたが、その全てが素晴らしかった。
重文じゃなくても優れた仏様達がいらっしゃることが分かって嬉しい。

拝観した後の高揚感と感動は今でも忘れられない。

思わず檀家になりたいと思ったよ。(笑)

拝観料は特に決まっていませんが、
私は500円志納させていただきました。

御朱印はされていませんが、
無くても何の問題もありません。

仏様達を拝ませていただいて、
本当に感動して大満足したんだから。


このお寺はあんまり教えたく無いけど、
仏像好きは是非とも訪れていただきたい。

栄山寺(2015年2月14日参拝)

2015年03月19日 | 仏閣
今日は五条市の栄山寺、講御堂寺から十津川村の玉置神社まで、
168号線の長い道のりを走りながら道中の寺社を巡る日帰り旅行です。

〆は十津川温泉を堪能するのは言うまでもない。(^^


まずは国宝がある古刹の栄山寺に到着。


所在地:奈良県五條市小島町503
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
創建:伝・養老3年(719年)
開基:伝・藤原武智麻呂



【縁起】
栄山寺は古くは前山寺(さきやまでら)と呼ばれ、
藤原不比等の長子である武智麻呂が養老3年(719年)に創建したと伝わる。

その後、武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで大いに栄えた。
南北朝時代には南朝の後村上・長慶・後亀山天皇の行在所が置かれていた。

栄山寺は役小角の修行地とも伝えられ修験道にも関係があったが、
戦国時代末期には八角堂を除く堂坊を焼失した。
その後、本堂、阿弥陀堂、塔ノ堂が再建され、さらに塔頭六宇が再建された。

寺は元来は興福寺の末寺であったが江戸時代初期に一時無住寺となり、
その後泉涌寺別院雲龍院の末寺となり、さらに護国寺の末寺となった


【吉野川】


無料駐車場前には吉野川が流れています。




長閑な所で鴨のツガイを見てる癒されますなぁ。

でも流石に寒い。(^^;


【鐘楼堂】


庫裏で拝観料を支払い境内へ入ると、まず目に入ってくるのが鐘楼堂。






栄山寺、神護寺、平等院の鐘が平安三絶の鐘と呼ばれているそうです。

失礼ながら、
こんな所に国宝の鐘楼があるとは思いもよりませんでした。

鐘楼は撞くことは出来ませんが、触れることは出来ます。

私も手を拭いて少しだけ触れさせていただきました。
国宝のものに触れるのは初めての経験で嬉しかったです。(^^


【石造七重塔(石塔婆)】


重要文化財。


【塔之堂】


重要文化財。






向かって左の不動明王ですが、
実物はそんなに青色は強く見えなかったけど、
写真に撮ったら青色が強く発色されていた。

不思議。




これは堂内にありましたが、
まさかマラ石?(^^;

たぶん基礎石でしょうね。


【地蔵尊】



【本堂】


御本尊の薬師如来は厨子に安置されていました。
時々御開帳されているようですね。

こちらは撮影禁止です。

本堂横には小さい資料館が併設されており、
本堂の御本尊や十二神将の写真、八角円堂の模型等がありました。

こちらも撮影禁止だったような記憶が。(^^;


【石灯篭】


重要文化財。


【御霊神社】


神社があるようです。











【八角円堂】




国宝。
ベタですけど法隆寺夢殿や興福寺北円堂が思い出されますね。

柵の中に入って扉の外から中が見れました。

阿弥陀如来、釈迦如来、地蔵菩薩等が祀られていました。
こちらも残念ながら撮影禁止でした。


【鎮守社】



【御朱印】



御本尊が御開帳している時や、
八角円堂の堂内に入れる時にまた訪れたいと思う。

世界文化遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 御朱印帳

2015年03月18日 | 御朱印帳



サイズ:16センチx12センチ
値段:1500円

吉野大峯・熊野・高野山の三霊場から成り立つ紀伊山地三霊場会より、
世界遺産登録10周年を記念し御朱印帳を製作されたもの。

表紙だけじゃなくページも杉で出来た珍しい御朱印帳です。

丹生官省符神社で購入。


【感想】
サイズが小さいのが個人的には難ですが、
とにかく木の香りがいい。

ページも木だから墨の裏写りの心配なし。(笑)

ただ、開き難いので書き手は書きづらいと思うので、
参加している神社仏閣以外では使わないつもり。

熊野本宮大社ではまだ売っています。
他の寺社では未確認です。

城興寺(2015年2月7日参拝)

2015年03月18日 | 洛陽三十三所観音霊場
本日最後の参拝となるのが洛陽の札所である城興寺。

このお寺の存在は全く知らなく、
札所でなければ参拝することは無かったであろうお寺です。

これも御縁というもの。



所在地:京都府京都市南区東九条烏丸町7-1
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:千手観音菩薩
創建:永久元年(1113)
開基:藤原忠実
札所:洛陽三十三所観音霊場


【縁起】
もとは四宗(顕・密・禅・律)兼学の道場で比叡山の管理に属していました。
 
平安の昔、藤原道長の孫で九条太政大臣と呼ばれていた藤原信長は、
四至を現在の竹田街道・室町通・九条大路・東寺道とする広大な地に、
邸宅九条殿を構えていました。

応徳二年(1085)邸内に丈六佛を安置する九条堂を建て、城興院と名づけました。

三代後の関白藤原忠実がこの地を伝領し、
永久元年(1113)ここに寺院を建立して城興寺とし、
十年後には数々の堂塔伽藍も完成し、保安三年(1123)
白川法皇の院宣をもって盛大な伽藍供養が行われました。

中世、平安の都は荒廃し、東九条は次第に京外となり城興寺も衰退し、
さらに応仁の乱で焼亡して全く昔日の感を失いました。

江戸時代には観音霊場として有名になり、安永9年(1780)発行の都名所図会には
「成興寺は九条烏丸にあり、本尊観世音は慈覚大師の作なり」という記載がある。


【山門】


奥に無料駐車場があるんですが、
この山門をくぐるのが結構ギリギリで危なかった。(^^;

軽なら余裕ですけどね。


【観音堂】


慈覚大師作の秘仏千手観音、弘法大師作の薬師如来、大日如来、
不動明王が祀られているそうですが、堂内は外からよく見えませんでした。


【薬院社】




明治になって辻堂廃止令が出され同十一年(1876)、
施薬院稲荷は城興寺境内の荼枳尼天堂に合祀されたもの。


【狛犬】


シーサーを思わせる個性的なお顔です。(笑)


【宝篋印塔】



【仏塔】



【次郎吉稲荷】


銀杏の老木をご神体とする稲荷社。


【御朱印】



このお寺には「小指みくじ」なるものがあります。
ご興味がある方は是非。