Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

極楽密寺(2017年5月27日参拝)

2017年06月28日 | 和泉西国三十三箇所
男神社の次は和泉西国札所である極楽密寺へ。

お寺の境内に車を停めれるので行ってみたは良いが、
最後の最後で超絶細い道で不安になりながら到着。

初めて行く人はこの先を進んでも大丈夫かなと思うし、
対向車が万が一、来たらシャレにならん。(^^;


所在地:大阪府泉南市馬場1-16-1
宗派:真言宗善通寺派
御本尊:薬師如来
創建:天平12年(730)
開山:行基菩薩
札所:和泉西国三十三箇所霊場


【縁起】
天平12年(730)行基菩薩が畿内49院建立の折、
この地に一草庵を建立し薬師如来を御本尊として安置されたのが、
極楽密寺の開基と伝えられています。

薬師信仰がこの地域に根付き人々の心に浸透した頃、
文治元年(1185)俊乗房重源が留錫して、民衆の薬師信仰の篤さに感銘を受け、
一草庵から伽藍・坊舎を擁する寺院に発展させたと言われています。

江戸時代の宝暦5年(1755)紀州徳川家の祈願所となり、
三葉葵の御紋からも繁栄した当時が偲ばれます。


【庫裏】


もう一つ境内には民家のような建物がありますが、
御朱印はこちらでいただきました。

このお寺は檀家寺のようですね。


【観音堂】


まず最初に参拝したのが観音堂。

和泉西国の札所です。




十一面千手観世音菩薩が見えますね。

後ろに秘仏として聖観世音菩薩が祀られているとのこと。


【聖観世音菩薩】


秘仏の聖観世音菩薩の写しの石仏と思われます。


【薬師堂】


昭和60年に再建されたもので本堂となります。

堂内は見れませんでしたが、中央に十二神将を従えた薬師三尊、
正面右側に如意輪観世音菩薩、左側に不動明王が祀られているそうです。


【修行大師】



【石碑】



【石仏】



【十三重石塔】



【地蔵堂】






慈悲深いお顔をされた子安地蔵尊が祀られていました。


【小板屋大明神】



【御朱印】


バインダー式の御朱印をいただきました。

林昌寺(2017年5月27日参拝)

2017年06月26日 | 和泉西国三十三箇所
紀州街道から脇道に入り、大型墓地と線路を通り過ぎ、
細い道を進むと林昌寺というお寺に到着。

こちらはツツジの庭園が見所の真言宗のお寺です。

数台分の無料駐車場がありました。


所在地:大阪府泉南市信達岡中395
宗派:真言宗御室派
御本尊:如意輪観音菩薩
創建:天平年間(729-749)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:和泉西国三十三箇所


【縁起】
寺伝によれば行基菩薩が天皇の勅を奉じて各地に相応の勝地を求めていた時、
たまたま訪れたこの地で当山の山峰に瑞気を感じ、
そこで禅坐するうちに弥陀の霊端を感得せられたのである。

行基菩薩は下山し、このことをホウジ奏上したところ、天皇は大いに喜ばれ、
この地に鎮護国家の為の一大伽藍を建立せよ、との勅を下されたのである。

そこで菩薩によって3院6坊を擁する大寺院が建立されることとなり、
畿内49院の1院として当山の開創を見るに至ったものである。

この地の水が鉱質に富むことから、山号を温泉山とし、
菩提院岡寺と称されることとなった。

平安時代の後期、堀川天皇が当山に行幸のみぎり、山つつじが見事なるものをもって、
山号を躑躅と改められ、寺号を法林繁昌の勝地なりとして林昌とし、
躑躅山林昌寺と勅号されたのである。

創建当時からの威容を誇っていた大伽藍は天正年間の織田信長の兵火により、
3院6坊共に悉く灰燼に帰した。

現存の諸堂宇は江戸初期から中期にかけて建立されたもの。


【山門】


なかなか良い雰囲気です。


【観音堂】




西国の観音様が祀られていました。


【修行大師】



【本堂】


絶賛工事中。(泣)

施工はお馴染みの金剛組です。


【法林の庭】


ツツジの咲き具合は少し早かったかな。






中央に本尊石を置いて全体で極楽浄土を具現化した重盛三玲作の庭です。

ツツジが満開だと感動するでしょうね。


【鐘楼堂】


このお寺の伽藍は本堂と観音堂以外は少し上に登った場所にあります。


【地蔵堂】





【四国八十八ヶ所霊場】






このミニ霊場は約1時間で巡拝出来るとのこと。

私は遠慮しときましたけど。(^^;


【鳥居】


更に上に行くと鎮守社があるようだ。

とりあえず行ってみよう。


【参道】




距離が短いとはいえ、これはとてつもなく歩き難い。(^^;




雨とかで濡れている時は滑るので止めておきましょう。


【宝篋印塔】



【愛宕大権現】


半分廃墟の雰囲気。(^^;






一応、管理はしているようですが、
これでは権現様もお怒りになるんじゃないのかな。(苦笑)


【参道】


来た道とは反対側の道を歩いて戻ります。


【四国八十八ヶ所霊場】











【境内】



【延命地蔵尊】



【岡大師】



【四国八十八ヶ所霊場】



【薬師堂】




薬師三尊像と十二神将が祀られていました。


【御朱印】


花のことは正直疎いのであんまり知らないけど、
大阪でこれほどツツジが見れるお寺はあんまり無いんじゃいでしょうか。

ツツジが好きな方にお勧めします。

孝恩寺(2017年5月27日参拝) 

2017年06月22日 | 和泉西国三十三箇所
国宝建築物と19体もの重要文化財の仏像群を保有する
孝恩寺というお寺を知っている人はそんなに多く無い。

特に仏像群は京都や奈良の有名寺院に匹敵する程なんですが、
拝観するには予約拝観が必要なんです。

予約拝観ってどうも気後れしちゃってハードルが高くなるよね。

なので今まで拝観して無かったけど、
今回ようやく予約の電話を入れて参拝することに。

孝恩寺の予約は基本的に一週間前までに必要で、
また6月1日から10月15日は湿気の関係で拝観不可となります。

御注意下さい。


無料駐車場が5台分ほどありました。


所在地:大阪府貝塚市木積798
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:不明
札所:和泉西国三十三観音


【縁起】
寺伝によると行基建立四十九院の一つで、現在の観音堂は古くは観音寺、
木積観音等と呼ばれ、孝恩寺とは別の寺院だった。

孝恩寺は元禄7年(1694年)に再興されたものですが、
創建時期については不明でございます。

観音寺は大正3年(1914)に廃寺となり当寺と合併。

観音寺は行基菩薩によって開山されたとされる寺院ですが、
天正13年(1835)の秀吉による紀州攻めにより伽藍や持仏が焼失。

しかし、持仏の一部を付近の池の中に投じ、
戦火が治まるのを待って水中より取り出し、
唯一焼け残った観音堂に安置し、木積村の人々によって守られてきたという。

釘無堂と呼ばれる古仏観音堂は大阪府下で最古の木造建築物であり、
建築様式も非常に珍しい鎌倉時代を代表するものとして、
昭和28年(1948)に国宝に指定されています。


【山門】



【鐘楼堂】



【聖観世音菩薩】



【石塔】


境内はとても綺麗に手入れされていました。


【地蔵菩薩】



【宝篋印塔・五輪塔】



【五輪の塔】



【観音堂】




堂内に祀られている御本尊は阿弥陀如来なので、
阿弥陀堂というのが正しいのですが、
観音寺という寺院の仏堂として建てられたものを、
現在の孝恩寺の本堂と使用しているので観音堂と呼ばれています。

残念ながら閉まったままで堂内を見る事は出来ませんでした。


ところで大阪にある国宝建築物が幾つあるかご存知でしょうか。

たったの5件です。

観心寺金堂、桜井神社拝殿、慈眼院多宝塔、住吉大社本殿の他に、
この恩寺観音堂となります。

これでようやく大阪の国宝建築物全てを見たことになります。(^^


ちなみに京都は48件、奈良は64件とさすがの件数ですね。
東京は2件です。

もし廃仏毀釈が無ければ国宝の数は現在の三倍と言われている。

かえすがえすもあの愚かな政策が無ければと、
悔やまれてならない。


【納骨堂】



【宝物館】


奥様に開けていただき館内へ。

宝物館内部は一つの大きな部屋ですが、
3つにゾーンに8体・3体・8体と分けられて諸仏が安置されています。

最初のところでは8体が横にズラリ。

これだけで圧巻です。

拝観料500円の価値あります。(^^

しかし次のゾーンに行ってみるともっと凄かった。


阿弥陀如来坐像と勢至菩薩と観音菩薩の3体がお出まし。

余りの凄さに声を失った。

大阪にこれほどの仏様がいらっしゃるとは。

素晴らしい。

感動してしまったよ。


ちなみに伝では勢至菩薩と観音菩薩となっていますが、
もともとは両方とも十一面観音菩薩だったようです。


更に一番奥のゾーンに行ってみると、
最初と同じく8体が横にズラリ。

ここも一体一体じっくりと拝ませていただく。

しかも貸切だからたまらない。(^^

出来る事ならこの宝物館で一夜を明かしてみたいわ。(笑)

そういう訳にもいかないので、
とりあえず三周ほど見て回って宝物館を後にする。


いや~、マジで凄かった。

19体もの重要文化財が一同に拝めたんだから当たり前だけどね。

何で今までここに参拝しなかったのか、
めっちゃ後悔したよ。(^^;

電話で拝観予約というのは意外にもハードルが高いもの。

そういう人も多いんじゃないでしょうか。

しかし、ここはそのハードルを越えていただき、
何としてでも拝観していただきたい。

素晴らしい仏様達が待っていますから。


正直、堂内を拝観していない国宝の観音堂は、
どうでもイイと言ったら怒られるかも知れないけど、
この宝物館を拝観したら全く印象に残っていません。(^^;


惜しむらくは観光寺院じゃ無く、
湿気の多い半年間は拝観出来ない事ですね。

これはお寺の事情がありますから仕方ありません。

また秋になったら行きたいと思います。


残念ながら撮影不可でしたので、
諸仏の画像は貝塚市役所のHPでご確認下さい。
http://www.city.kaizuka.lg.jp/bunkazai/bunkazaidata/bunkazai/kuni_sitei/tyoukoku/ko.hugenbosaturyuzou.html


【御朱印】


他に阿弥陀如来の御朱印もあるようです。

松尾寺(2017年5月27日参拝)

2017年06月20日 | 和泉西国三十三箇所
阿弥陀寺から同じ和泉市にある松尾寺へ。

松尾寺と言えば舞鶴か大和郡山のお寺を思い浮かべますが、
大阪にも立派な古刹があります。

とはいえ、存在すら今まで知らなかったのは、
ここだけの話です。(^^;

大型の無料駐車場に車を停めていざ参拝開始。


所在地:大阪府和泉市松尾寺町2168
宗派:天台宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建:(伝)天武天皇元年(672)
開基:役行者
札所:和泉西国三十三箇所、役行者霊蹟札所、 南海沿線七福神


【縁起】
役行者が当地で七日間修法し、霊木を得て如意輪観音を彫り、
小堂を建てて安置したことに始まる。
その後、泰澄が中興し、熊野、吉野、白山の権現を勧進した。

平安時代、当寺に住んでいた河内国の僧尋祐に纏わる奇瑞が、
日本往生極楽記や今昔物語などに記されており、
鎌倉時代には源頼朝が祈祷所として保護している。

松尾寺の最盛期は南北朝時代から室町時代であり、南朝との関係が深く、
延元元年(1336)後醍醐天皇綸旨によって祈祷所となり、
以後も南朝から度々祈祷を命じられていたという。

南北朝統一後は足利義満ほか代々の将軍も祈願所として、
寺領安堵を行ったとされる。

織田信長は天正5年(1577)禁制を下して松尾寺の保護を一旦は約束したが、
4年後の紀州高野山攻めの際に松尾寺も攻撃し、
松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払う。

現在の松尾寺は豊臣秀頼の寄進などにより再建されたものである。


【石段】





【首堂】


石段を登っているとこんな看板が。

いきなりこれですか。(^^;




やっぱり雰囲気も暗いわ。(^^;




何だか気味が悪いので覗き込むことすらしませんでした。








こっちのお堂にはよく分からない石仏が。

ここは興味本位で行く場所じゃないな。


【地蔵尊】



【山門】






お~、これは見事な山門です。

大阪にもこのような山門があったとは。

しかも紅葉の時期はかなり良さそうですね。

紅葉の時期はわざわざ訪れる価値があるでしょう。




反対側も緑が濃いです。


【二天】


増長天と持国天と思われます。


【六字名号鉄柱】




これはよく分からないものですね。


【念仏堂】





【寿老神堂】




南海沿線七福神札所。


【宝物殿】



【金堂】




本堂になります。




慶長7年(1602)に再建されたもの。

内陣は残念ながら見ることも出来ませんでした。


【三天堂】





【鐘楼堂】





【長諭和尚の碑・宝篋印塔】


信長の焼き討ちの際、寺宝百数十点を持って難を逃れたことから、
その功績を讃えたもの。


【不動堂】



【御朱印】




三種類の内の二種類をいただきました。


どうやら昔は凄かった系で今は静かなお寺ですが、
紅葉の時期は今でも凄いと思わせるお寺でした。

久米寺塔頭 華厳院~五大院~多門院~阿弥陀院~明王院(2016年5月21日参拝)

2016年06月30日 | 和泉西国三十三箇所
久米田寺の境内には5つの塔頭があるので、
これから塔頭巡りをしたいと思います。


<華厳院>




















いろいろな石仏が祀られていました。

本堂は閉まっていたのが残念でした。

御朱印の有無は確認出来ませんでした。


<五大院>






こちらも本堂は閉まっていたし、
御朱印の有無は確認出来ませんでした。


<多門院>




こちらも本堂は閉まっていたし、
御朱印の有無は確認出来ませんでした。


<阿弥陀院>


ここは閉まっていました。


<明王院>














融通堂は開いており内陣を見ることが出来ました。(^^

やっぱりお堂はせめて中を見せてほしいですよね。
ここには堂守として奥様がいらっしゃいました。

奥様に御朱印を聞いてみると庫裏で御住職からいただけるとのこと。(^^


【御朱印】


書置きでした。

しかし帰宅してから確認してみると、
何故か和泉西国の第15番の成福寺の御朱印でした。(^^;

マジかー?

そんなん知らんし気付かんかったわ。

参拝もしていないのに成福寺の御朱印をいただいてしまった。

いつの日か参拝しなくては。


【久米田池】


お寺の前に大きな池があった。

湖じゃないかと思うぐらい大きな池でビックリ。


【靖霊殿】


裏側の駐車場に向かって歩いている途中で見えた。

やっぱりもっと近くで見たかったな。


次は岸和田城近くの神社へ。

久米田寺(2016年5月21日参拝)

2016年06月29日 | 和泉西国三十三箇所
百舌鳥から清原の故郷である岸和田に移動。

岸和田を代表するお寺である久米田寺に参拝です。

ナビに誘導されて無料駐車場に到着。


所在地:大阪府岸和田市池尻町934
宗派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
創建:(伝)天平6年(734)
開基:(伝)行基菩薩
中興:永保2年(1674)
札所:和泉西国三十三所観音霊場



【光明塚古墳】


駐車場横に何やら柵が巡らされている。

覗いてみよう。






古墳のようです。

全く古墳の雰囲気はありませんが、
直径25~30メートルの円墳だそうです。

昭和初期には光明皇后塚と呼ばれており、
光明皇后の御遺髪と爪が埋められているという。


さて、お寺へ向かおう。

それにしても駐車場からお寺の行き方が分からない。
山門とか伽藍とか見えない。

お寺があると思われる方向へ適当に歩いていくと、
多宝塔が見えてきた。(^^

あの駐車場は完全にお寺の裏側やん。(泣)


【五輪塔】


多宝塔が見えてくると五輪塔があった。

中央は聖武天皇で左端が光明皇后、右端が亀山天皇の五輪塔とされるとか。


【境内】


ようやくお寺に到着。(^^

向かって右手に多宝塔、左手に六角堂らしき建物が見えた。


【靖霊殿】


近づいてはいけない雰囲気でしたので、
ズームアップで撮影。

法隆寺の夢殿に似た建物は日清・日露戦争から太平洋戦争に至る
岸和田市出身戦没者の霊を祀る為に昭和32年(1957)に建立されたもの。


【大門】


これは変わった山門ですね。

あんまり見たことの無いタイプです。

大門横に無料駐車場がありました。

ナビの野郎、裏の駐車場を案内しやがって。
こんな近くに駐車場があるじゃないか。(泣)


【金堂】




本堂にあたります。

明和7年(1770)に再建されたもので、
御本尊は厨子に安置され秘仏のようです。


【大師堂】




文政年(1824)に建立されたもの。

ここは外陣に入ってお参りが出来ました。(^^

御朱印はこちらでいただきます。


【四国八十八所霊場巡り】





【修行大師像】



【地蔵尊】



【開山堂】


行基菩薩が祀られています。


【こっくり地蔵】





【四国八十八所霊場巡り】





【多宝塔】




平成15年(2003)に再建されただけあって、
まだまだ若い塔ではあるが、なかなか美しい塔です。


【聖天堂】


歓喜天が祀られています。


【鐘楼堂】



【観音堂】


享和3年(1803)に再建されたもので、
行基菩薩自刻と伝わる千手観世音菩薩が祀られています。

堂守の人が居てビックリした。
だいたいのお寺ではこの規模のお堂では誰もいないのが普通だから。


【白髭稲荷大明神】





【池尻鎮守社・白龍弁才天】





【宝蔵】



【御朱印】

宝樹寺(2015年7月26日参拝)

2015年08月23日 | 和泉西国三十三箇所
岬公園を過ぎた頃、ぼけよけの霊場の看板を発見。

いつものクセでまた寄り道です。(笑)



所在地:大阪府泉南郡岬町深日3175-5
宗派:西山浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明
札所:ぼけよけ二十四地蔵尊


【縁起】
宝樹寺は鶴舞山と号し現在は西山浄土宗に属しますが、
もとは根来派真義真言宗でした。

改宗の経緯ですが昔、和泉と紀州境の山の入会権をめぐって
双方の住民の間に永年争がありましたが、
これを見かねた紀ノ川北岸梶取の総持寺住職託賢上人が仲裁に奔走し円満解決。

これに感激して改宗した土地の人々に迎えられた託賢上人が、
永禄2年(1559)3月に中興し、西山浄土宗となったと伝えられています。

また、宝樹寺は深日の町の中にあり老朽した古い寺でしたが、
昭和49年浄土宗立教開宗800年を記念して、
前住職土井歓照によってこの地に移転されました。


【山門】


山門横に無料駐車場がありますが、
ナビだと下の庫裏の建物に誘導されました。

ここにも車を停めれたから良かった。


【地蔵尊】



【本堂】


あ~、これは本堂閉まってるパターンかと思ったけど、
扉は開いていました。(^^


【内陣】




煌びやかな内陣に阿弥陀三尊像が祀られていた。








上人像など諸仏が祀られていました。

内陣に参拝出来て良かった。(^^


【鐘楼堂】



【地蔵尊】


こちらがぼけよけ二十四地蔵尊のお地蔵様になります。


【子安地蔵】



【地蔵堂】




こちらは境内の外に祀られていました。


【御朱印】



このお寺は化石寺と呼ばれているらしく、
展示室に化石が展示されているそうです。

参拝した時は全く知りませんでしたけど。

長慶寺(2015年7月26日参拝)

2015年08月22日 | 和泉西国三十三箇所
本日は報恩講寺と長保寺をメインに、
和歌山の神社仏閣を堪能するのがテーマです。

和歌山にはまだまだ知らない寺社が多いので楽しみです。
といいながら、前から気になっていた泉南市にある長慶寺を参拝です。


長慶寺の近くに大きな宗教施設があった。

その宗教団体は天理教から分かれた「ほんみち教」という。
伽藍好きとして見に行きたくなったが、
新興宗教に有りがちな一般立入禁止っぽかったので止めておいた。

それにしてもデカい施設だったなぁ。



所在地:大阪府泉南市信達市場815
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:如意輪観音
創建:(伝)神亀元年(724)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:和泉西国三十三箇所、南海沿線七福神、ぼけよけ二十四地蔵尊


【縁起】
行基菩薩により創建され当時は金泉山慈昌院海会宮寺と呼ばれました。

書恵寺が海会寺となり大苗代村(信達大苗代)海会宮池の傍らにあったと言われ、
白鳳様式の古瓦や和同開珎など出土、奈良法隆寺と同じ建築様式と推定されている。

天正6年(1578)織田信長の兵火により伽藍の殆どを焼失したが観音堂は免れた。

慶長年間(1600年頃)豊臣日でよりの命により大野主馬治房は観音堂と
本尊の如意輪観世音菩薩を現在地へ移し、改めて当時の年号を逆にして長慶寺と称した。

のち徳川幕府の寺社製作と強い観音信仰に支えられ岸和田城主岡部公歴代の祈願所となり
山上隆昌したと言う。

明治以後荒廃したが近時再び復興し現在に至る。


【境内】


大型の無料駐車場から見た境内です。

お~、予想以上に立派でこれは期待出来そうだ。

上にも駐車場があります。


【地蔵尊】


上の無料駐車場の横にいらっしゃいました。


【宝物殿】



【開山堂】




多宝塔であるが長慶寺では開山堂とされていました。




何故か大黒天が。


【参集殿】



【宝篋印塔】



【大師堂】





【修行大師像】


足元にも大黒天が。
意味分からん。(苦笑)


【石仏】











【本堂】





【開山堂】



【石仏】








閻魔、花山、佛眼と刻まれていましたが、
この三体で何を表現しているのだろう。


【稲荷神社】



【地蔵尊】










このお寺は地蔵尊をはじめとして石仏が多いなぁ。


【十一面千手観音菩薩】





【石仏】



【猿】




これは一体?


【境内】




比較的最近に建立されたと思う三重塔と建設中の五重塔。


【三重塔】





【手水舎】



【五重塔】


細長いタイプの塔ですね。


【石仏】



【鐘楼堂】





【山門】




駐車場とは反対側にありました。


【仁王像】



【御朱印】


三種類ある内の和泉西国の御朱印をいただきました。

見所がいっぱいで予想以上に楽しめましたよ。