Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

伊太祁曽神社(2015年7月26日参拝)

2015年08月31日 | 一宮
長保寺から一宮の伊太祁曽神社へ。

途中で善福院と藤白神社の案内板を見たのですが、
華麗にスルーしてしまった。

帰宅してから調べたら参拝しておけば良かったと後悔。

事前リサーチと気になったら即確認するのが大事ですね。

そんなことを改めて思い知った今日この頃。(苦笑)



所在地:和歌山県和歌山市伊太祈曽558
主祭神:五十猛命
配祀神:大屋都比賣命、都麻津比賣命
創建:不明
社格:式内社、紀伊国一宮、官幣中社、別表神社



【由緒】
伊太祁曽神社についての具体的な年号の初見は、
「続日本紀」の文武天皇大宝2年(702)です。

伊太祁曽神社が現在の社地に静まります以前には、
日前神宮・国懸神宮の社地にお祀りされていたようです。

日前宮のご鎮座が垂仁天皇16年と伝えられていますので、
その頃に山東(現在の伊太祈曽)に遷座せられたようです。

太古より祀られていた伊太祁曽神社は日前宮の鎮座とともに山東に遷り、
大宝2年の官命によって社殿の造営がはじめられ、
約10年後の和銅6年に現在の地にご鎮座になられたというのが通説です。

延喜式神名帳に所載の神社(式内社)で、
明神大・月次・新嘗・相嘗に預かると記載されており、
平安期には朝廷の崇敬が篤い大社であったことがわかります。

新義真言宗である根来寺との関係が非常に深く、
境内南側には 興徳院、奥宮である丹生神社に隣接して傳法院という、
いずれも真言宗寺院が神宮寺として存在しました。

覚鑁上人が傳法院を建立し伊太祁曽神社の奥之院としたと伝えられています。

明治18年には国幣中社に列格し、大正7年には官幣中社に昇格しています。


【第一鳥居】


鳥居の横に5台分ほどの無料駐車場がありました。

また、数百メートル離れた場所に大型の有料駐車場もあります。


【櫛磐間戸神社】


櫛磐間戸神と豊磐間戸神が祀られていました。


【神泉】


いや~良い雰囲気です。
品格の高さを感じますね。


【第二鳥居】



【参道】



【割拝殿】


でかい拝殿です。


【神門】




なんという気品。

さすが一宮だと唸らされました。


【本殿】


美しい。

手前に狛犬、左右に脇殿。


【脇殿】


大屋都比賣命が祀られています。


【珠抱申】



【木の俣くぐり】



【チェンソーカービングの干支】



【氣生神社】




五十猛命の荒御霊をお祀りする摂社。

真ん中が脇殿、奥が本殿になります。


【蛭子神社】





【龍神】



【おさる石】







【本殿】


本殿も本当に気品があります。

さすが一宮です。


【御朱印】



社殿が本当に気品があり雰囲気もとても良かったです。

何より巫女さんが可愛かったです。(←ここ強調)

長保寺 其の二(2015年7月26日参拝)

2015年08月30日 | 仏閣


和歌山藩主徳川家墓所へ。

歴代藩主のうち五代藩主吉宗(8代将軍)と十三代藩主慶福(14代将軍家茂)は、
将軍となった為墓碑がないそうです。



【和歌山藩主徳川家墓所】









八代藩主。








二代藩主。
八代将軍吉宗公の父。




妙幼院。






十四代藩主。

墓所は鬱蒼とした雰囲気です。








初代藩主。
徳川家康公第十子。








六代藩主。




石段を登り次の墓所へ。








七代藩主。




この上は十代藩主の墓所があるようですが、
暑いし膝に悪いのでこれ以上は行けませんでした。(^^;








十五代藩主。






十六代藩主、十七代藩主、十五代夫人。










十二代藩主。




十一代藩主。










三代藩主。




九代藩主。






四代藩主。




石段をくだってからの~




登り。(泣)






七代夫人(一條家)。






七代夫人(伏見宮家)。








十二代夫人(近衛家)。


【御廟門】




これにて徳川家墓所参拝終了。

これだけ広くて階段の上り下りがあると参拝するだけで疲れたよ。(^^;

だから管理するお寺も手入れも大変なのはすぐに分かった。
もしかしたら徳川家から手助けがあるかも知れないが。


順番は4、3、9、12、11、15、10、7、10夫人、11夫人、8、2、14、1、6、
7代夫人、12代夫人の順でまわれば一番楽だと思います。


【御霊殿】



【門】



【土塀】



【御朱印】

長保寺 其の一(2015年7月26日参拝)

2015年08月29日 | 仏閣
予想以上に怖かった人形供養の神社をさっさと去り、
和歌山市から一気に海南市まで走る。

途中で五百羅漢寺とか見つけて行きたくなったが、
珍しくグッと堪えて本日のメインである長保寺へ。

予想通り田舎、いやもとい、長閑な所にあって期待が高ます。




所在地:和歌山県海南市下津町上689
宗派:天台宗
御本尊:釈迦如来
創建:長保2年(1000)
開基:性空上人
勅願:一条天皇


【縁起】
長保寺は一条天皇の勅願をうけて性空上人により創建されたと伝えられています。

一条天皇には定子様と彰子様のお二人の皇后がありましたが、
定子皇后のお付きの女官が「枕草子」を書いた清少納言、
彰子皇后のお付きの女官が「源氏物語」を書いた紫式部です。

これらの文学作品は一条天皇の長保時代の宮廷生活を題材にして描かれています。
長保時代は平安貴族社会が頂点に達した時代であるのです。

また長保寺が創建された長保2年に定子皇后がお亡くなりになっています。
長保という年号を名乗る寺の建立は一条天皇にとって特別の意味がありました。

長保寺は天台宗として創建されましたが、その後、法相、天台と変わり、
現在あるお堂が再建されたころは真言宗のお寺でした。

仁和寺から印玄という僧が来て本堂の再建を指導しています。

寛文六年(1666)に紀州徳川家初代藩主頼宣により菩提寺に定められました。
その時に、頼宣と天海僧正の約束により天台宗に改められました。

江戸時代に本堂背後の山の斜面に広大な藩主廟所が造営されました。

本堂・多宝塔・大門と揃って国宝である寺は奈良の法隆寺と長保寺だけです。


【大門】




大型の無料駐車場に車を停めていざ参拝。

嘉慶2年(1388)に再建されたもの。
国宝。

パッと見、素人の感覚ですが、さすが国宝と唸るほどではなく、
重文クラスかなと思いました。

しかし、細かく見ていくとやっぱり国宝だなと。


【仁王像】




運慶の嫡男湛慶作。


【境内】


しかし今日も暑いわ~。


【石段】


途中で拝観料を支払い更に石段を登る。




この石段が歩き難いの注意が必要です。


【本堂】


現在の本堂は延喜4年(1311)に再建されたもの。

国宝。

正直にいっちゃっていいですか。

外からみただけでは国宝に見えません。(^^;


【内陣】






テープでひたすらお経が流れている。


【多宝塔】


正平12年(1357)に建立されたもの。

国宝。


玄人が調べて貴重なものだと判明したから、
国宝に指定されているんでしょうけど、
素人の私にはパッと見、重文クラスに見えるんですよね。


【鐘楼堂】



【石仏】



【阿弥陀堂】





【護摩堂】





【本堂・多宝塔】



【多宝塔】



長くなりましたので和歌山藩主徳川家墓所は次回へ続く。

淡嶋神社(2015年7月26日参拝)

2015年08月28日 | 神社
また和歌山市に入り加太という所に行きます。
ここは海水浴場があり夏場はとても賑わっています。

みんな楽しそうです。

海水浴場前の道を走っているとビキニの女性に見惚れて、
わき見運転しまくりなので注意が必要です。(^^;

そんな浮かれた加太にあって異質な雰囲気を発する神社があります。

そうです!
あの人形供養で有名な淡嶋神社が加太に鎮座してます。

テレビで有名になりましたが、境内に数多くの市松人形があったり、
髪の毛が伸びる人形があったりする神社です。

ここを参拝することは正直迷いました。

世の中には遊びに訪れてはいけない場所、神社仏閣がある。

ここはその一つだと思っていたんで。

でも、キチンと真面目に参拝すれば問題無いだろうし、
自分の目で、身体で確かめたかったので参拝することにした。




神社に到着するとすぐそばが海なんで潮の香りがした。(^^


所在地:和歌山県和歌山市加太116
主祭神:少彦名命、大己貴命、息長足姫命
創建:伝仁徳天皇朝
社格:式内小社、郷社



【由緒】
神話において日本を創造したと伝えられる少彦名命と大己貴命の祠が、
加太の沖合いの友ヶ島のうちの神島(淡島)に祀られたことが始まりとされる。

社伝によれば三韓出兵の帰途瀬戸の海上での突然の嵐に遭遇した神功皇后が、
船中で祈りを捧げたところ、「船の苫を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」
とのお告げにより友ヶ島に無事入港できたことを感謝し、
持ち帰った三韓渡来の宝物を先述の二神に奉納した。

その数年後、神功皇后の孫である仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際、
その事実を聞くに及び島では不自由であろうと考え、社を対岸の加太に移し、
現在のような社殿を建築したことが淡嶋神社の起こりとされる。

社殿は豊臣秀吉の紀州征伐で焼失したが、その後浅野幸長が再建、
紀州徳川家初代・徳川頼宣が修復を加え、さらに江戸時代末期に第十代・徳川治宝が造営、
1979年(昭和54年)に現在の新社殿となった。

淡嶋神社系統の神社は日本国内に約1000社余りあるが、
当神社はその総本社であり和歌山県内でも屈指の歴史を誇る。



【鳥居】


本殿裏手に無料駐車場(30分以内)があります。

しかし参拝しないで余所に行ってしまうと、
神社側もチェックしてるようで注意されますよ。


【本殿】




本殿横にたくさんの市松人形がいました。

やっぱりここはシャレにならんわ。
あれだけあると怖すぎる。(^^;

目を合わせると憑かれるんじゃないかと思うし、
さすがに写真を撮る気にならなかったよ。(汗)


【手水舎】


勢い良過ぎる水が口から出てました。(笑)


【神輿倉】





【招き猫】


こんなものまで。

招き過ぎですから~。(^^


【人形】


これは全く怖くありませんね。

やっぱり市松人形は別格ですね。(^^;


【お面】


古来より肉面と呼ばれるモノもあるので、
案外シャレにならんです。

特に般若のお面は。


【大国さん】


大国さんって要らなくなるもんかな~。


【雛倉】


古い日本人形がズラリ。

ここはシャレにならん。(汗)


【塩壷・御神水】



【大国主社】





【末社】



【紀文稲荷社】


淡島神社の近くで生まれた紀国屋文左衛門が奉納されたもの。


【遷使殿】






蛙は御祭神の少彦命名の使い神だそうです。


【御朱印】


オールハンコです。


【感想】
いや~聞きしに勝る神社であった。
これでも宝物殿の地下倉庫(予約要)に入っていないんですからね。

とりあえず珍スポットとして興味本位、遊びで行かないことです。

人形を奉納する方々は真剣ですからね。

理知院(2015年7月26日参拝)

2015年08月27日 | 仏閣
興善寺の横にもう一つお寺があります。

興善寺の塔頭かと思ったけど、
どうやら違うようだ。

こんな所といったら失礼だけど、
よくお寺の経営が成り立っていると思うけど、
どちらも大き目の墓地があり、檀家さんもいるようですね。


所在地:大阪府泉南郡岬町多奈川谷川1523
宗派:真言宗御室派
御本尊:追風不動明王
創建:天平5年(733)
開基:行基菩薩



【縁起】


宝珠山光明寺ともいい真言宗に属している。
人皇45代聖武天皇の勅命にて天平5年行基菩薩の開基。

行基菩薩自作の観音菩薩の尊像は本尊であったが、
僧空海が唐から帰国途中暴風にあい沈静平穏を祈り、
彫刻したと言う追い風不動明王の一帯は当院に寄せられ本尊となる。

また秀吉が朝鮮出兵の時当院の住職桂忍上人に風波の鎮静を祈らせた所、
風波が治まった事により豊公肉付の像が贈られた。

又、曽呂利新左エ門自作のこまいぬや秀吉の嗣子秀頼公が、
八歳の時の一幅の書も現存する。



【参道】



【山門】


赤門でとても印象的です。


【本堂】




境内も広く、思っていたより良い本堂です。




御本尊は残念ながら秘仏のようです。


【卍地蔵尊】





【石仏】



【十三重塔】



お寺の方が御不在で御朱印の有無は不明です。

さて、これからあの人形が怖い神社に向かいますか。

産土神社(2015年7月26日参拝)

2015年08月26日 | 神社
興善寺の隣に鎮座するのが産土神社です。

産土神社といえば粉河産土神社を思い出しますが、
こちらにもあったんですね。

勿論参拝するのは言うまでもない。



所在地:大阪府泉南郡岬町多奈川谷川1462
御祭神:比売大神、蔵王権現、熊野権現
合祀神:天児屋根命、国水分神、大山祇尊、住吉四柱大神、亭代主命、大国主命、天照皇大神
創建:不明
社格:村社



【由緒】
当社は初め比売大神宮(衣通姫命)と称され、
その創建年代は不祥であるが、古くより宮山・青垣山と呼ばれ、
神体山として上古より多奈川村の信仰の中心的対象であったと推定される。

仁寿2年(852)文徳天皇の勅願により、
慈覚大師円仁が当社に隣接する天台宗興善寺を建立し、
開基時に当社を鎮守社とした。

熊野権現は正和元年卯月(1312)谷川庄西の浜に漂着されたので、
興善寺の比売大神宮のお社に合祀し、谷川五ヶ庄村の産土神と拡大し、
その時に西村の守護神吉野蔵王権現も合祀し、両社の大権現と尊崇し、
正和3年(1314)に両社の相殿を造営した。 

天正8年(1580)織田氏の兵火の為、興善寺共に当社は全焼したが、
元禄元年(1688)より三ヶ年間に興善寺本堂が再建され、当社もこの頃再建された。 

明治時代に入り神仏分離令により興善寺と産土神社とに別れたが、
それ以前は興善寺の勢力が強大で神宮寺としての時代が長く続いた。

当社は明治5年村社に列せられ、明治12年神饌幣年帛料供進社に指定された。


【鳥居】


なかなか良い雰囲気なんですよね。


【境内】


こんな山にある過疎の場所に鎮座していながらも、
とても綺麗にされている。

現に雑草を刈っている地元のオッチャンがいました。(^^


【拝殿】



【本殿】



【稲荷神社】




サマージャンボ一等が当たりますように。(笑)




こちらは関西電力が奉納された稲荷社のようです。


【狛犬】


先ほどのオッチャンが現れて、
この狛犬は瓦で出来ていると教えてくれた。

言われなければ気付かなかったよ。

有難うオッチャン。(^^

それにしても瓦なんて珍しい。
瓦製の狛犬は初めて見れたから参拝した甲斐があったわ。


【舞殿】



【神輿庫】



御朱印はあるようですが、
あのオッチャンは神職じゃないので授与されないと思い、
あえて何も聞きませんでした。

興善寺(2015年7月26日参拝)

2015年08月25日 | 仏閣
報恩講寺の拝観予約時間の都合で約4キロほど戻って、
また大阪へ逆戻り。

逆戻りしてまで行きたかったお寺が興善寺です。

こちらは御朱印は期待出来ないが、
山門と本堂がかなり期待出来るので。(^^


例によって対向車が来たら終了な酷道を走らされる。(^^;
まぁ、距離はそんなに無いし滅多に対向車は来ないけど。


所在地:大阪府泉南郡岬町多奈川谷川1460
宗派:天台宗
御本尊:大日如来
創建:仁寿2年(852)
開山:慈覚大師円仁
勅願:文徳天皇


【縁起】
仁寿二年(852)第五十五代文徳天皇(在位850~858)の勅題により、
慈覚大師円仁が創建したと伝えられています。

寺伝によれば初めこの地に千数百年を経たる大楠木があり、
その幹下の空洞に一人の行者が多年浄行をしていました。

里人は楠入道と称して病の者があれば祈祷して癒し、
このことが遠近に伝わり遂に天皇の耳にまで届きました。

天皇は勅を出され楠入道は参内し祈る事により、
たちどころに御回復いたしました。

天皇は金吊を下さるという事でしたが楠入道はこれを辞退し
「わたしの住んでる地に、お堂を建て大日如来をお祀りすることが永年の願いでした。
どうかこの願いを叶えてください。」と言い残し忽然と消えてしまいました。

天皇は楠入道の行方がわからない為、慈覚大師に当山開基の勅を出され、
寺の地形が唐の長安にある「大興善寺」に似ていた事から、
鳳樹山興善寺の号を授けました。

創建当時は広大な寺領に七堂伽藍を構えていたと伝えられていますが、
元亀天正(1570年頃)の兵火によって焼失、
御本尊は僧の手によって蓮池に投げ込まれ難を免れました。

明暦元年(1655)中興の祖専海僧郡が紀州粉河寺より興善寺へ来られ、
元禄初期(1690年頃)再建されて現在に至ります。



【山門】





なかなか渋い山門です。

山門横に大型の無料駐車場がありました。


【四天王】


山門の大きさに比べ圧倒的に小さい。

大きさは30センチぐらいだったかな。


【鬼子母神堂】



【聖徳太子堂】





【常行回向堂】



【不動堂】


不動明王、千手観音、元三大師が祀られているそうです。




画像はオフィシャルより拝借したもの。

御尊顔を拝するには護摩祈祷を受けなければならないようです。


【蓮池】


ここからの雰囲気は良いです。


【本堂】


立派な本堂です。

大阪にはまだまだ見知らぬ大きな本堂があるもんですね。




内陣に祀られている大日如来、薬師如来、釈迦如来(全て重文)は、
厨子に安置されていますが、全て扉は閉じられていました。(泣)


【鐘楼堂】



御朱印はお寺の方が御不在で確認出来ませんでしたが、
調べる限り無さそうです。

大川八幡神社(2015年7月26日参拝)

2015年08月25日 | 神社


綺麗な青です。

本当に綺麗な空と海です。

こんなに綺麗なのに実は大阪湾なんです。

大阪湾といえば汚い印象が強いんですけど、
ここまで下に来れば海も綺麗なんですね。

余裕で泳げてここで獲れた魚介類も食べれますね。(^^

それで向こうに見えるのが淡路島です。
眼をこらせば洲本城が見えるはずです。(笑)



所在地:和歌山県和歌山市大川48番地
主祭神:応神天皇 
配祀神:仲哀天皇、神功皇后
創建:不明


【由緒】
創立年代は不詳であるが紀伊続風土記によると、
前は今の社地より五丁(545m)西にあった住吉神社の境内に鎮座していたが、
寛永年間(1624~1644)紀州藩士山本十太夫が当所を支配した時、
村民阿舎梨孫右衛門と協力して現在地に移したというとあり。

また「今村中の産土神とす社殿壮麗にして尋常一村の産土神の体にあらず」
とも記されている。


【鳥居】



【狛犬】



【拝殿】


なかなかイイネ!


【本殿】



【住吉神社】


境内社の住吉神社は当神社の元の鎮座地にあった住吉神社であるが、
明治18年(1885)に現在地に遷座されたもの。


【神馬舎】





これにて参拝終了。

御朱印は無しと思われます。

報恩講寺(2015年7月26日参拝)

2015年08月24日 | 法然上人二十五霊跡
和歌山に入り海沿いの道を走る。



ナビを頼りにこの道を車で進む。

細い道だし駐車場があるかめっちゃ不安。




ちょっと走るとお寺が見えてきた。




ここが入口ですが、真ん中の背の低い木が邪魔で駐車出来ない。(泣)
入口に停めておいても良かったが、他の参拝客が来たら迷惑なんで、
また最初の入口に戻るハメに。(^^;

お寺の方に聞いたら近くの大川八幡神社の手前の、
蘇鉄辺りに停めてくださいとのことでした。



所在地:和歌山県和歌山市大川117
宗派:西山浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:承元2年(1208)
開基:法然上人
札所:法然上人二十五霊跡



【縁起】
法然上人が四国の流罪が許されての帰路、
海上が荒れた為にこの油生浜に漂着されたのである。

この時村人達は法然上人の教えにより、
ことごとく浄土宗に改宗したという。

法然上人がここを離れられるにあたって、
名残りを惜しむ人達に自らの姿を写した像を刻み開眼されたと伝えられている。

また余材で百万遍の念珠をつくって与えられたといわれる。

この木像を安置されている堂がこの報恩講寺である。
寺は慈雲山と称し報恩寺といったが、後世講の字を加えて現在寺名になっている。

寺宝としては恵心僧都筆という浄土曼陀羅、法然上人筆とつたう名号がある。


【石碑】



【山門】




予想以上に立派な山門です。


【四天王】


小さいながらも見事なデキの四天王でした。

これは必見です。


【本堂】


本堂拝観は事前予約が必要です。


【内陣】




いかにも浄土宗らしい内陣です。




厨子に安置されている法然上人坐像。




仏舎利。










上人像など諸仏が祀られていました。

詳しく奥様に説明していただいた。
いろいろお話を聞いていると、頑張ってお寺を維持していただきたいと、
思わず御朱印代として千円を奮発してしまった。(^^

その後もしばし奥様と歓談。

二週間前に片岡愛之助がふらっと一人で参拝したそうだ。

主演舞台「もとの黙阿弥」の成功祈願で訪れたとかで、
彼は結構信心深くて他のお寺もよく参っていると話されていたとか。


また、坂口杏里も一人で参拝したそうです。

坂口良子さんが亡くなってから、
恋愛とか継父ジェット尾崎とのことでいろいろ悩んでいるそうで、
参拝時に泣いていたとか、そんな話を奥様から聞きました。

坂口杏里も思春期にジェット尾崎が父親です、と言われても、
そりゃ彼女もつらいわな。

そんな話で盛り上がってしまい大幅に時間オーバー。
なんだかんだで1時間ぐらいお寺に居たよ。


【観音像・厨子】


西国の三十三観音と左手の厨子には鬼子母神が祀られているそうですが、
ずっと開けてないのでよく分からないそうです。


【鐘楼堂】




6本の柱はとても珍しいとのこと。

よく見ると鐘楼が無い。
先の大戦で供用され、その後、何故か四国の某寺にあるそうです。

でもそれもこのお寺の鐘楼だったか定かで無く、
今更返却もお願い出来ないそうです。(^^;


【地蔵尊】



【御朱印】

宝樹寺(2015年7月26日参拝)

2015年08月23日 | 和泉西国三十三箇所
岬公園を過ぎた頃、ぼけよけの霊場の看板を発見。

いつものクセでまた寄り道です。(笑)



所在地:大阪府泉南郡岬町深日3175-5
宗派:西山浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明
札所:ぼけよけ二十四地蔵尊


【縁起】
宝樹寺は鶴舞山と号し現在は西山浄土宗に属しますが、
もとは根来派真義真言宗でした。

改宗の経緯ですが昔、和泉と紀州境の山の入会権をめぐって
双方の住民の間に永年争がありましたが、
これを見かねた紀ノ川北岸梶取の総持寺住職託賢上人が仲裁に奔走し円満解決。

これに感激して改宗した土地の人々に迎えられた託賢上人が、
永禄2年(1559)3月に中興し、西山浄土宗となったと伝えられています。

また、宝樹寺は深日の町の中にあり老朽した古い寺でしたが、
昭和49年浄土宗立教開宗800年を記念して、
前住職土井歓照によってこの地に移転されました。


【山門】


山門横に無料駐車場がありますが、
ナビだと下の庫裏の建物に誘導されました。

ここにも車を停めれたから良かった。


【地蔵尊】



【本堂】


あ~、これは本堂閉まってるパターンかと思ったけど、
扉は開いていました。(^^


【内陣】




煌びやかな内陣に阿弥陀三尊像が祀られていた。








上人像など諸仏が祀られていました。

内陣に参拝出来て良かった。(^^


【鐘楼堂】



【地蔵尊】


こちらがぼけよけ二十四地蔵尊のお地蔵様になります。


【子安地蔵】



【地蔵堂】




こちらは境内の外に祀られていました。


【御朱印】



このお寺は化石寺と呼ばれているらしく、
展示室に化石が展示されているそうです。

参拝した時は全く知りませんでしたけど。

長慶寺(2015年7月26日参拝)

2015年08月22日 | 和泉西国三十三箇所
本日は報恩講寺と長保寺をメインに、
和歌山の神社仏閣を堪能するのがテーマです。

和歌山にはまだまだ知らない寺社が多いので楽しみです。
といいながら、前から気になっていた泉南市にある長慶寺を参拝です。


長慶寺の近くに大きな宗教施設があった。

その宗教団体は天理教から分かれた「ほんみち教」という。
伽藍好きとして見に行きたくなったが、
新興宗教に有りがちな一般立入禁止っぽかったので止めておいた。

それにしてもデカい施設だったなぁ。



所在地:大阪府泉南市信達市場815
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:如意輪観音
創建:(伝)神亀元年(724)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:和泉西国三十三箇所、南海沿線七福神、ぼけよけ二十四地蔵尊


【縁起】
行基菩薩により創建され当時は金泉山慈昌院海会宮寺と呼ばれました。

書恵寺が海会寺となり大苗代村(信達大苗代)海会宮池の傍らにあったと言われ、
白鳳様式の古瓦や和同開珎など出土、奈良法隆寺と同じ建築様式と推定されている。

天正6年(1578)織田信長の兵火により伽藍の殆どを焼失したが観音堂は免れた。

慶長年間(1600年頃)豊臣日でよりの命により大野主馬治房は観音堂と
本尊の如意輪観世音菩薩を現在地へ移し、改めて当時の年号を逆にして長慶寺と称した。

のち徳川幕府の寺社製作と強い観音信仰に支えられ岸和田城主岡部公歴代の祈願所となり
山上隆昌したと言う。

明治以後荒廃したが近時再び復興し現在に至る。


【境内】


大型の無料駐車場から見た境内です。

お~、予想以上に立派でこれは期待出来そうだ。

上にも駐車場があります。


【地蔵尊】


上の無料駐車場の横にいらっしゃいました。


【宝物殿】



【開山堂】




多宝塔であるが長慶寺では開山堂とされていました。




何故か大黒天が。


【参集殿】



【宝篋印塔】



【大師堂】





【修行大師像】


足元にも大黒天が。
意味分からん。(苦笑)


【石仏】











【本堂】





【開山堂】



【石仏】








閻魔、花山、佛眼と刻まれていましたが、
この三体で何を表現しているのだろう。


【稲荷神社】



【地蔵尊】










このお寺は地蔵尊をはじめとして石仏が多いなぁ。


【十一面千手観音菩薩】





【石仏】



【猿】




これは一体?


【境内】




比較的最近に建立されたと思う三重塔と建設中の五重塔。


【三重塔】





【手水舎】



【五重塔】


細長いタイプの塔ですね。


【石仏】



【鐘楼堂】





【山門】




駐車場とは反対側にありました。


【仁王像】



【御朱印】


三種類ある内の和泉西国の御朱印をいただきました。

見所がいっぱいで予想以上に楽しめましたよ。

ロータスロード薬師寺・唐招提寺・喜光寺(2015年7月13日参拝)

2015年08月21日 | 西国薬師四十九霊場
薬師寺、唐招提寺、喜光寺による奈良・西ノ京ロータスロードという企画があり、
限定の御朱印帳と御朱印をいただきに、まずは薬師寺へ。

暑い中、私も好きですね~。
休みを無駄に過ごさないタイプです。(笑)



<薬師寺2012年1月15日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6f071dc502eb5ccc60c4555ebba83bf3


<薬師寺2013年10月14日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/97af469f3f88f1f4afa4a52b4f928a6c


【南門】



【金堂】







【東塔】


まだまだ絶賛工事中です。


【西塔】



【講堂】



【鐘楼堂】



【蓮】




蓮はまだまだでした。(^^;


【東院堂】





【限定御朱印】


月光菩薩の御朱印を作成されてましたね。
後に授与開始するそうです。


【限定御朱印帳】


色は三種類ありました。
2500部限定でサイズは16x11の小さいサイズでした。


【散華】


続きまして唐招提寺へ。


<唐招提寺2013年10月6日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/e250728196970f06a2f7e82c1849b4dc


【南大門】



【金堂】


ここの雰囲気が本当に好きでね。

いつ訪れても心が落ち着いて凜とします。








国宝の数々にしびれた。


【境内】



【講堂】



【土塀】



【蓮】




こちらもまだまだ早かったようです。


【御朱印】


書置きタイプです。




左が限定御朱印です。


【散華】



最後の喜光寺へ。



<喜光寺2011年10月29日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/58bbc95ac409229abe6d74894f99f60a


【南大門】



【本堂】







【阿弥陀如来坐像】







【観自在菩薩】



【勢至菩薩】



【蓮】







【行基堂】




以前は本堂に祀られていましたが、
いつの間にかこちらのお堂が出来てました。


【弁天堂】





【御朱印】



【散華】



これにてロータスロード三カ寺参拝終了。

こんな暑い日に参拝するなんて、
どうかしてるぜ。(ブラマヨ風)

西大寺・久修園院(2015年7月13日参拝)

2015年08月20日 | 西国愛染十七霊場
今日は久しぶりの有給休暇。

昨日は小浜市まで行ってたし暑いし完全休養の予定でしたが、
どうにもこうにも暇でね。

大阪の枚方市にある久修園院の御朱印をいただきに、
奈良の西大寺に行くことにした。

あれはちょうど2年前の8月13日に久修園院に参拝した際、
御朱印は西大寺でいただけることが分かったんですよね。

それからなかなか西大寺に行くことが出来なかったけど、
休みを無駄にしたくなかったので参拝することにした。




<西大寺2012年5月19日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/5d613d7764dbc9c1289f1fce3689252d


<西大寺2013年7月15日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/bf5378ce07b2948330b9876adbaea7f8


<久修園院2013年8月13日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/416e84893af388c8be94c4fb0da50a11



【参道】


有料駐車場に車を停め参拝。

こんな暑いとさすがに参拝客も少ない。


【御朱印】


愛染明王の御朱印をいただきました。


【愛染堂】


久修園院の御朱印はこちらでいただけます。


【御朱印】


ようやく2年前の忘れ物をいただけました。(^^

偶然ですが同じ8月13日というのも何か御縁を感じますね。

日光二荒山神社・御朱印帳

2015年08月20日 | 御朱印帳
日光二荒山神社の御朱印帳。

今では木製の御朱印帳は結構ありますが、
流行る前に日光二荒山神社の宮司さんに連絡して、
代引きで購入しました。

いつか参拝した時の為に1ページ目を開けておりますが、
なかなか参拝出来て無いんですよね。

日光東照宮とか行きたい寺社が多い栃木県ですけど、
何とも中途半端に遠い。

飛行機で行けるならすぐにでも訪れるんだけど。(^^;





サイズ:16センチx11.5センチ
値段:1000円


【感想】
木の香りがいい。

三年以上経ちますがまだ香りが残っています。(^^

中は到って普通です。
ヨレも若干ありますが許容範囲です。

日吉大社・御朱印帳

2015年08月19日 | 御朱印帳
日吉大社の御朱印帳です。
二種類ある内の紅葉と鳥居があしらわれた御朱印帳を購入。

ちなみに御朱印はノーマル15種、金泥1種ございます。

山王七社と金泥の御朱印をいただきに行かねば。






サイズ:16センチx11センチ
値段:1200円



【感想】
小さいサイズの御朱印帳は好みでは無いけど、
ヨレや墨の裏写りも余り無くデキは良いと思います。

デザインが好みであれば買って損はありませんよ。
まぁ、好みじゃない人は居ないと思いますが。