徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「北の宿から」ー作詞家阿久悠さん逝くー

2007-08-05 05:00:59 | 寸評

     あなた変わりは ないですか
        日毎寒さが つのります
        着てはもらえぬ セーターを
        寒さこらえて 編んでます
        女心の 未練でしょう
        あなた恋しい 北の宿 
            ( 昭和50年レコード大賞受賞  
              作詞阿久悠・作曲小林亜星 )

 この「北の宿から」の歌詞の女性は、どうして「着てはもらえぬセーターを編んでるのですか」と、音楽
 担当の記者が、阿久悠さんに聞いたそうである。
 阿久悠さんは、その時即座に説明してくれたと言う。
 女性は30歳過ぎで、東京で不倫して、信州あたりの温泉宿に、ひっそりと暮らしている・・・。
 そんな映像が、阿久悠さんの中では、きっちりと出来上がっていたと言われる。
 この歌、間違いなく、日本歌謡史に残る、数ある代表作のひとつであろう。
 この歌に関わる、古い想い出がよみがえってくる。
 もう30年以上も前の、忘れかけていた、色あせた小さな記憶である。
 その話は後にゆずるとして・・・。

 昭和を代表する、歌謡界の大御所阿久悠さんが逝った。
 文字通り、「昭和」という時代を、五千曲を超える歌の数々で紡いだ、とてつもなく大きな人であった。

 阿久悠さんは、歌手都はるみが、鳴かず飛ばずで低迷していた時に、彼女の第二のスタートのために
 この歌を書いた。
 最初、「北の宿から」は、たいそう威勢のよい女のイメージの歌詞だった。
 それを、彼女は、自分のイメージを壊したいからと、待つ身の女のイメージに書き直してくれるように、
 阿久悠さんに頼んだという経緯がある。
 こうして出来上がった「北の宿から」は、都はるみの大ヒットとなり、その年のレコード大賞を受賞して
 しまった。

 一口に五千曲というが、これもすごいことだ。
 そのジャンル、レパートリーの広さは勿論、多くのアイドルやトップスターを世に送り出した。
 まさに百花繚乱、一世を風靡した時期もあった。
 さらに、彼は作詞の他に、小説も書いて横溝正史賞を取り、直木賞の候補に挙がったこともある。
 旺盛な創作活動を続けて40年・・・。

 「北の宿から」のレコードの発売は、昭和50年12月であった。
 その翌年の昭和51年冬、私は、吹きすさぶ雪の日本海を見ながら、北陸本線を西へ向かっていた。
 世に言う「自分探し」の孤独な一人旅であった。だから、初めから宿などは決めていなかった。
 夜が訪れてきて、雪も激しくなって、ひなびた山間の小さな温泉宿に投宿した・・・。

 一風呂浴びて、炬燵にあたりながら、どういうわけか、宿の玄関先で逢った女と酒を飲んでいた。
 勿論、名前も知らない。しかし、女は旅の女ではなかった。
 これを、行きずりの縁というのか。
 そこで、二人がどんな話をしたのか、今となっては、詳しいことまでは想いだせない。
 ちびちびと地酒を酌み交わしていると、その時、つけっぱなしのテレビから、都はるみの歌う「北の宿か
 ら」が聞こえてきたのだった・・・。
      
   ・・・あなた変わりは ないですか
        日毎寒さが つのります・・・

 (この歌詞の女性のイメージについて、阿久悠さんが取材記者に話したことを、この時の私はまだ知ら
 なかった。後年それを知って、昔のことを思い出したのである。)

 女は、テレビに見入っていた。その目に、気のせいか涙のようなものが光って見えた。
 私は、どうかしたんですか、と言おうとしてやめた。
 その時、歌に耳を傾けていた女が、ぽつりと重い口を開いた。
  「あたし、泣き上戸なんです」
 そう言って、目頭をおさえて、
  「都はるみよね。いい歌よね、この歌」
  「いい歌だね」
  「あたし、この歌、好きなんです」
 うなずきながら、何となく、無口になっていた。
 女は、暗い、空ろな眼差しで、何かをしきりに想い出そうとしているように見えた。
 襟足から首にかけて、やけに細く白いのが印象的だった。
  「一人旅の夜なんて、寂しくありません?」
  「うん、まあね・・・」
 酌をする手が、弾みでふれた。小さな、冷たい女の手であった。
 女が、かすかに笑った。薄い影のある、淋しそうな微笑だった。
 どこか、身体の具合でもわるいのではないかと思われた。
 二人の会話はややぎごちなく、ともすればとぎれとぎれになった。
 きっと、この女性の身の上には、深い事情があるに違いないと、ふとその時思った。

 阿久悠さんの思い描いた女性は、ひょっとしてこういう女性ではなかったのか。
 ・・・今回、阿久悠さんの訃報に接し、この歌が流れてくるのを聴いて、さらに今その思いを強くした。
 
 雪見障子の向こうに、夜の雪が間断なく降りしきっていた。
 女は、テレビに目をやりながら、時々何か想いにふけるようであった。
 都はるみの歌が終わった。
 少しの間、不思議な沈黙が流れた・・・。
 女がそっと立っていって、窓の外を見て、
  「今夜は、積もりそうだわ。冷えてきたわね」
 そう呟いて、ふうっと吐息を漏らした。
 その、あまりにも細い、痩せた背中が、女の身の上を語っているようで、旅の疲れと相まって、私のか
 なしみは深まるばかりだった・・・。
 ・・・雪が、しんしんと降る夜のことであった。

 「北の宿から」を書いた、阿久悠さんの心情は、分るような気がする。
 この歌が大ヒットしたのは、私が自分の記憶の中のこの「北の宿」に身を寄せた、昭和51年(1976
 年)のことだった。
 この年、田中角栄元首相が、ロッキード事件で東京地方検察庁に逮捕された。

 歌に歴史あり・・・。
 「UFO」を踊り、「宇宙戦艦ヤマト」に勇気づけられ、「北の宿から」で酒に酔い、「雨の慕情」に涙した、
 ひとつの確かな青春があった・・・。
 阿久悠さんの歌は、それはまた、その世代を生きた人たちの心に刻み込まれた、魂のフレーズ(歌詞)
 だった。
 歌には、その歌詞やメロディーから、いろいろな形で人々の夢をふくらませる、不思議な魅力がある。
 歌は小さな物語、三分間のドラマだと言う。
 強力なライバルであった、作家なかにし礼氏は言っている。
  「彼の持つ、古き良き日本人の感性が、大衆の心に共鳴して、多くの曲を残し、あれだけのヒットにつ
  ながったのでしょう」

 8月3日(金)夜、NHK総合テレビは、いち早く特別追悼番組を1時間半にわたって放送した。
 昭和史を髣髴とさせる構成で、歌のひとつひとつに、その時代の出来事のひとこまひとこまが、あらた
 めてよみがえってきて、楽しませてくれた。

 阿久悠さん、沢山の想い出を有難う。
 ご冥福をお祈りします。 享年70歳。 合掌。 
 

  
 
 
 
 
 
 




  


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2 コメント

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確かに (キリマンジャロ)
2007-08-04 07:43:24
阿久悠さんは一つの時代を築いた偉大な作詞家だったのでしょうね。
そして、そうした時代を共に生きてきたJulienさんのブログで、歌に込められたいろいろな思いや、Julienさんご自身の思い出に彩られて、より生き生きと歌がその魅力を増しますね。
「北の宿から」を今度聞くときに、きっと私もこの話を思い出すでしょう。
歌は世につれ、世は歌につれ (Julien)
2007-08-05 05:00:08
キリマンジャロ様、コメント有難うございます。
歌は世につれ、世は歌につれとは、その通りですね。
しかし、私たちが耳にする歌は、作曲家や作詞家の人たちが書く作品のほんの一握りといいます。
ヒットなんてそうそう出るものではありませんものね。良くて3割か4割だと、阿久悠さんも生前のインタビューで言っていました。
「言葉」を紡ぐ作業は、ときに死にもの狂いだそうですから、私たちの想像以上でしょう。
並外れた「感性」と「努力」・・・それが、人を輝かせるのでしょうか。

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