相変わらず、携帯メールのトラブルがあとを絶たない。
先日、JR 東海道線の車内で、50代の男性が殴りあいの喧嘩をして、流血騒ぎに発展するという事件があった。
隣り合わせに座った二人のうち一人が、もう一人に、携帯電話のメールをやめるように注意したのが発端だった。
優先席ということで、携帯電話使用禁止のステッカーが貼ってあった。
注意した男は、メールをやっている男に、「あれが、見えねえのか」と言ったところ、それを無視してメールを続けた。
そこへ、注意をした男が、相手の顔面にパンチを食らわせたことから、相手も怒って、すぐに殴り合いの喧嘩に発展し、車内は騒然となった。
先制攻撃を仕掛けたはずの男は、顔面から流血、相手の男も返り血を浴びるほどの惨事だったそうだ。
二人とも、全治1週間のケガを負ったわけだが、おまけに警察官に現行犯逮捕された。
「注意を無視されて、腹が立った男」と、「注意の仕方が、気に食わなかったという男」の、二人の演じた“子供の喧嘩”だった・・・というから、あきれた話である。
それにしても、優先席でのメール禁止は当たり前のことだし、もしその席にペースメーカーを使用中のお年寄りが座っていたらどうだろう。
相手の男に、メールをやめてくれるよう注意を促すことが出来るだろうか。
また、近くにいる人が注意したり、喧嘩騒ぎを止めに入ることが出来るだろうか。
人は、そんなときいつも(?)傍観者なのである。
もし、そこに自分が居合わせたらどうだろうか。
即座に、正しい(!?)行動が取れるだろうか。
携帯のトラブルは、ほかにも、車内でメールを打っていた男の腕が、隣の男性の身体に接触したことから傷害事件も起きたし、バスの車内で注意した男が、逆上した男に暴行を受けたり、エリート証券会社員の男が、座席に座っている若い女性のスカート内を携帯電話で盗撮して捕まったり、枚挙にいとまがない。
携帯のマナーの悪さは、なにも今に始まったことではない。
文明の利器も、使い方ひとつで大きな事件に発展する。
いつ当事者になり、いつその場に居合わせて傍観者になるかわからない。
授業中のメールの送受信や、有害サイトへのアクセスを憂慮して、小学校や中学校では、携帯電話の持ち込み禁止を決めたところもある。
当然のことだろう。
携帯のT.P.Oを、大人も子供も忘れないことだ。
マナーを守れないなら、携帯など持つべきではないと思います。
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どうにもこうにも「大人のマナーの悪さ」が加速している様な。それはもちろん昔からマナーの悪い人はいました。ただ、そういう人は「あからさまに悪いのが当然の様な人」で、普通の大人ではないのが当然でした。
ですが、いつからか「普通の大人」のマナーが極端に悪化しているように思えてなりません。
携帯以前の問題かも・・・。
マナーを守れない人や、常識、倫理のない人は、常にどこかで問題を起こすようです。
と言っても、私もまだまだ常識を弁えていない未熟者ですが
大学病院の医療機器が常に起動している入院病棟の通路などでも、堂々とメールをしている中年女性をよく見かけますが、そのメールの電波で医療機器や延命機器などが停止や誤作動したらと思うと恐いですよね。(大ゲサかもですけど)
・・・人命より大事なメールなんてあるのかなと思ったりしています
夜は冷え込む毎日が続いておりますので、お風邪などには十分注意してくださいね
マナーの悪さは、いまに始まったことではありません。
電車やバスの中、ましてや病院の中などもってのほかです。
それこそ、罰則が必要になってきますね。
先日も、バスの中で、運転手さんにメールを注意されている小母さんがいました。