徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「地球が静止する日」―それは、人類滅亡の日―

2008-12-20 20:00:00 | 映画

娯楽映画としてのスケールは大きい。
スコット・デリクソン監督アメリカ映画である。

映画は、人間と自然の関係を映す鏡となって、人類という種や他の種が生存するために、人類が地球での生き方を考えなおすように求めている。
作品の中で、“チェンジ (Change)”という言葉が繰り返し宇宙人から発せられるのも、このことを強調しているのだろう。

突如、巨大な光る球体が出現する。
全てが謎に包まれたまま、宇宙からの使者クラトゥ(キアヌ・リーブス)は、地上に降り立った。
その時、科学者ヘレン(ジェニファー・コネリー)は、この非常事態の危機対策ティームに強制的に召集される。
ヘレンは、のちに息子と共にクラトゥの任務に巻き込まれていくとは知るよしもなかった。
政府は、軍を出動させ、厳戒態勢を敷いた。
街という街は、異様なまでに静まり返っていた。

やがて、ヘレンはクラトゥから衝撃の事実を聞かされる。
彼の使命とは、“地球を救うこと”だったが、その唯一の手段が、“人類を滅亡させること”だと言うのだ。
クラトゥの警告を聞いたヘレンは、彼こそが人類滅亡の鍵を握ると確信し、必死の説得を試みる。

しかし、崩壊へのカウント・ダウンは始まっていた。
人類が滅亡すれば、地球が生き残れるとは・・・。
クラトゥは、へレンらと行動することで、人類の別の側面を知っていくことになる。
だが、脅威の攻撃はすでに始まっていた。
現代のテクノロジーをはるかに超える破壊力が、地上のあらゆるものを溶かし去り、ついに人類は抵抗する術を失なってしまうのだ。

それを止められるのは、宇宙人クラトゥだけなのか。
人類の罪深い本質を見抜いたクラトゥの意志は、揺るぎそうになかった。
彼は、その使命を全うし、“地球を救うために”人類の滅亡を完全実行するのか。
それとも、人類は彼の“心”を動かすことができるのか。

怒涛のような、息をもつかせぬアクションが続く。
このエンターテイメントはダイナミックだが、そうした特殊撮影技術をとことん見せつけながら、よく分からない部分もある。
宇宙人クラトゥは、地球へ何のためにやって来たのか。
それは、人類に対する様々な“警告”のためだったのだろうが、そのために地球規模の破壊が何故必要だったのか。
1951年のSF映画「地球の静止する日」のリメイク版だそうだが、今回の作品は、撮影もリアリズムを追及し、視覚効果はさすがだ。

ここで描かれるクラトゥは、人類に対する絶望を抱いていて、冷徹な眼で地球の営みを見つめ、破壊を繰り返す人間の愚かな本質を悲観し、存在意識そのものに「NO」を突きつけたのだが・・・。
宇宙人クラトゥが示唆する、人類の“罪”とは一体何なのか。
勿論、環境問題とか戦争とか、様々なことが連想される。
でもそれは、劇中では明示されず、すべては観客に委ねられている。

クラトゥは異星人なのに、人間の姿で登場し、人間の言葉を語っている。
この種の映画は、科学的な論拠や証明を求めたら矛盾だらけで、当然無理もある。
それを言い出したらきりがない。
アメリカ映画「地球が静止する日は、そう思って、午後の紅茶でも啜りながら観る作品だ。