徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「青い鳥」―子供たちに何を教えるのか―

2008-12-02 12:00:00 | 映画
とても静かだが、どこか強さを感じさせる作品だ。
直木賞作家・重松清の原作を得て、中西健二監督が、いまこの国に顕在する中高生のいじめ問題に真正面から取り組んだ作品である。

前学期、いじめられた一人の男子生徒、野口が起こした自殺未遂で、その中学校は大きく揺れていた。
新学期の初日、そんな二年一組に、一人の臨時教師・村内(阿部寛)が着任してくる。
教師の挨拶に、生徒たちは驚く。
彼は吃音だったのだ。
上手に喋ることの出来ない村内は寡黙だが、そのぶん“本気の言葉”で、生徒と向かい合う。
そんな彼が、初めて生徒たちに命じたのは、野口の机と椅子を、教室の元の位置に戻すことだった。

そして、毎朝彼はその席に向かって、「野口君、おはよう」と声をかけ続けた・・・。
それを見て、凍りつく生徒たち・・・。
一刻も早く、「事件」を「解決」にしようとする教師たちの「指導」で、ひたすら反省を作文にし、野口のことを忘れようとしていた彼らは、動揺し、反発する。
村内教師の行為は、二年一組のクラスだけでなく、職員や保護者たちの間にも大きな波紋を広げていった。
だが、村内はそれを止めようとはしなかった・・・。

この作品は、単なる学園ものではない。
登場する中学生は、まさに現在の自分かもしれない。
そういう気持ちで観たとき、いろいろなことが観えてくるだろう。

人の心を傷つけるとは、どういうことなのか。
傷つけてしまったら、その後どうしなければいけないのか。
村内教師を通じて、人の気持ちを想うとはどういうことなのか、感じられるものは何か。
そして、人と真剣に向き合うということはどういうことなのか、ということも・・・。
人の話を真剣に聞く・・・、ということはどういうことなのか。
ついつい本音を隠して、建前でやり過ごしてはいないだろうか。
自分の状況に行き詰まったり、気持ちに余裕がないと、他人への気配りもできなくなる。
そういうことって、誰でもよくあることだ。
その答えが、このドラマにはほの見えているような気もする。

彼らは真剣だ。
「嫌いな奴に、どう接したらいいのか」
「大人だって、嫌いな人、嫌な奴っているでしょ?そういうのってどうしたらいいのさ?」
「誰かを嫌うのも、いじめになるんですか?」
もし、もしそうだとしたら・・・。
まわりから疎まれて、誰からも相手にされず、孤立している生徒がいるとしたら、周囲の生徒や先生はどうしていけばよいのだろうか。
国語や算数を教えるだけが、教師の務めではない。
相手を思いやる心を教えるとは・・・?
「人生哲学」を持った教育って何だろう。
どうすれば、いじめはなくなるのだろう。
考えさせられることは多い。

いじめを苦にした生徒の、自殺未遂という事例を発端とするこの物語は、被害者の生徒でも、直接の加害者でもなく、その周囲にいたごく普通の生徒の心の動きによって描かれ、進行していく。
静かな間があって、説明的なセリフは一切ないのがいい。
そのかわりに、心に残るセリフ、グサッと来るセリフが沢山あって、うまいことを言うなあと感心する次第・・・。

この年代の子供たちにとって、事件に対する悩みは繊細で純粋だ。
彼らはそれを持て余し、いらつき、無言のうちに自分と向き合い、手を差し伸べてくれる誰かを待ち続けているのだ。

村内教師と、生徒たちが一緒に過ごした時間はたったの1ヶ月である。
その不思議な存在感で、生徒に向き合う一人の臨時教師と、まだ14歳の感じやすい孤独な子供たちの戸惑いや反発は、どこかお互いの心の深い部分で通じ合ってゆくものだろうか。
中西健二監督の映画 「青い鳥からは、そんな問いかけを強く感じとることが出来る。
この作品が、劇映画監督デビューとなる中西健二は、灘高、東大卒という俊英だそうで、今後の活躍が期待される。