徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「真木栗ノ穴」―妖しい白日夢の世界―

2008-12-10 23:00:00 | 映画

あの場所は、夢とうつつの境界であった。
そして、そこを通り過ぎると、もう迷宮なのである。
サスペンスとも、ホラーとも違う、不思議な作品である。

山本亜紀子原作「真木栗ノ穴」(原作長編小説「穴」)は、作品自体異色の小説だ。
当然、深川栄洋監督のこの映画も大変面白い。
原作小説の世界に鮮烈さとユーモア、匂い立つようなエロティシズムを加えて、一種不思議な物語世界をつくりあげた。
昭和モダンの香りもする。
しかし、何やら妖しげな、ミステリアスな雰囲気が漂ってくる。
思わず引き込まれていく。

古都・鎌倉のひっそりとした一角、緑と水に濡れた釈迦堂切通し・・・。
そこを過ぎたところに、おそろしく古いアパートがある。
そのアパートの一室で、一人の男が小説を書いている。
売れない作家、真木栗(西島秀俊)だ。

彼は、作品が書けないで悩んでいた。
その彼に、書ける筈もない官能小説の依頼が舞い込む。
真木栗は、ひょんなことから、自分の部屋の壁に小さな穴を見つける。
そして、穴の発見にあわせるように、隣の部屋に白い日傘をさした女(粟田麗)が引っ越して来た。
これが、夢とも現実ともつかない、幻想の始まりであった・・・。

真木栗は、取り憑かれたように、その穴から自分がのぞき見たことを小説に書き始めた。
彼は、知らないうちに、壁の穴の向こうの女の虜になっていった。
そして、いつしか彼は、妖しい世界にのめりこんでいくのだった・・・。
観客が、まるで真木栗とともに、穴から隣の部屋をのぞきこんでいるいるかのように・・・。
物語が進むにつれて、信じられないような、意外な展開が待っていた。
妄想は、やがて怖ろしい幻想となる・・・。

これは、深川監督が新たに挑んだ幻想の世界だ。
・・・その場所を過ぎると、懐かしくて、恐いところだった。
ここからが夢とかうつつとか、いろいろな解釈が出来る仕掛けである。
原作は、額縁のない絵のようなもので、原作の中に何かを付け加えるとすれば、‘額縁’だろうと深川監督は言う。

幻想だから、向こう側からは、壁の穴を通してこちらは見えないのか。
何か、摩訶不思議な世界である。
迷宮に入ってしまったような錯覚にとらわれる。
切通しを過ぎたあのアパートは、幻想の世界だったのか・・・?

他人の生活の内情とか、心理の奥底をのぞき見たかのように、作品は描かれる。
このドラマのように、作家によって空想して書かれた虚構でも、それをなぞったように似た事件が起きることもある。
誰にも知られずに一方的にぞいていた自分が、はかりしれない存在から逆にのぞかれ、大きな罠に誘い込まれていくという、不気味な怖さを思い知らされるようだ

深川栄洋監督映画「真木栗ノ穴は、風変わりで、まことに奇妙な雰囲気に溢れた作品なのだ。
いかにも映画的な、魅力的な小品である。
そこには、ある種の‘切なさ’が潜んでいて、観る者に、とらえどころのない、どきどきするような余韻を与える。

人は誰も見えているものがすべてだと思って生きているが、実際にはすぐ背中合わせに見えない世界が存在しているのかもしれない。
もしかすると、見えていない世界こそが現実であり、私たちが見ているこの世界は幻なのかもしれない。
なぜなら私たちの命は、幻のように刹那的で、儚いものだから。
(原作・最終章より)