徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「その日のまえに」―郷愁のような温もり―

2008-11-02 12:00:00 | 映画

映画化は難しいとされていた、重松清原作の連作小説を市川森一が脚色し、大林宣彦監督が映画化した。
大林監督は、自分の70歳の節目に、70歳の新人のつもりでこの映画を作ったそうだ。
故黒澤明監督は、生前“80歳の新人”になったとき、「映画がようやく少し分かってきた」と語っていたが、大林監督は「この年を迎えて、映画がますます分からなくなってきた」と語っている。
この作品は、その大林監督のこれまでの集大成とも思われる。

人生で、誰にでも訪れてくる「死」というものを、「その日」として厳しく見つめながら、斬新な映像とともに、その恐れや悲しみを踏み越えての、創造力世界への試みだ。
テンポも、明るさもある。元気もある。
ドラマの展開も、現在から過去へ、過去から現在へと、大勢の登場人物の動きとあいまって、「生と死」を見つめる群像劇が、独特の大林ワールドを彩る。
したがって、多くの場面がよどみなく画面をつなぐ格好になって、多少の忙しさは否めない。

育ち盛りの、二人の息子を持つ健大(南原清隆)の妻とし子(永作博美)は、病に倒れ、突然余命を宣告される。
“明日”を断ち切れない夫は、妻とともに、「その日」に向かって、残り少ない日々を懸命に生きていく・・・。

・・・「奥様の余命は、あと一年ほどと思われます」
幸せな日々を過ごして来て、突然の告知だった。
元気なうちにと、二人が向かったのは、新婚時代に住んでいた町だった。
18年ぶりに訪れた町は、すっかり様変わりしていた。
心配顔の健大の気持ちをよそに、妻は元気にはしゃいでいた。
 「思い出めぐり、スタートよ!」

現在と過去、いろいろな人たちとの出会い、様々な「生」と「死」がそこにめまぐるしく交錯する。
・・・「その日」が訪れ、そのあとに近くで花火大会のシーンがある。
健大は、二人の息子と夜空に浮かぶ花火を眺めている。
ふと振り向くと、その花火のようにまぁるい顔の妻とし子がいる・・・。
 「ただいま」と、彼女が言った。
生きている者も、先に逝った者も、仲良く花火の照り返しを浴びている。
 「とし子、見えるよ。いまの僕には、みんな見える。君が見ていたものは、見えるんだよ」

作品には、どこか妙に懐かしいノスタルジーや抒情が漂っている。
映画は、死んでいく人たちの見た情景を、重ねるように綴っていく。
作品の中で、幾度も印象的に繰り返される宮沢賢治の「永訣の歌」は、原作でも冒頭の場面で登場する。
・・・新婚時代の思い出の場所にたたずむ、とし子(永作博美)の柔らかな微笑み、食卓での子供たちとの屈託のないやりとりなどのシーンには、ほのぼのとしたぬくもりも感じられる。
人は、短い一生の中で、何を一体残していけるだろうか。
大林監督その日のまえには、そんな問いを投げかけているようにも思われる。

映画のラスト、ヒロインが亡くなって三ヵ月後、ちょっぴり胸の熱くなるシーンだ。
 「奥様が亡くなる前に、お預かりしました」
そう言って、看護婦が健大に手紙を差し出した。
それを、ゆっくりと開いて読む、健大・・・。
たった、ひとことだった。
 「忘れてもいいよ」