・・・ぼくは生きている。
話せず、身体は動かないが、確実に生きている。
二十万回の瞬きで、自伝を綴った奇跡の実話が映画化された。
順風万帆な人生が、ある日を境に突然変わってしまう。
誰にでも起りうる、病と言う名の不条理・・・、そんな時人はどうするのだろうか。
ELLE誌の編集長をしていた、ジャン=ドミニク・ボビーは突然脳梗塞で倒れ、身体の自由を失った。
そして、唯一動く左目の20万回以上の瞬きで、自伝を書き上げた。
たとえ身体は“潜水艦”のように動かずとも、“蝶”のように自由に羽ばたく記憶と想像力がある。
そうした意味から付けられた著作は、フランスやイギリスで数ヵ月に及ぶベストセラーとなり、全世界31ヵ国で出版され、世界を驚きと感動で席巻したのだった・・・。
その奇跡の実話を、ジュリアン・シュナーベル監督は、溢れるほどの色彩と映像美で映画化した。
カンヌ国際映画祭監督賞、高等技術賞、ゴールデングローブ賞監督賞、外国映画賞他数多くの映画賞を受賞した。
ジュリアン・シュナーベル監督は、ともすれば、生きる希望さえも失いかねない人生の逆境を、愛とユーモアいっぱいに、しかし美しい夢のように描き上げた。
そこには、人生とはこんなにも素晴らしいのだという、彼のメッセージがこめられている。
ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)は、病院で目覚める。
全身麻痺していて、動かない。話も出来なくなっている。
身体の中で、唯一動くのは、自分の左目だけ・・・、であった。
ジャン=ドミニクは絶望に打ちひしがれる。目覚める前の自分からは、かけ離れた姿だった。
ジャン=ドミニクは、幸せでエレガントな、しかし多忙な日々を送っていたが、今は、潜水服に閉じ込められて動けなくなっているのも同然だった。
しかし、彼を支えてくれる人々がいた。
言語療法士のアンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)は、彼の左目の瞬きが唯一の伝達手段であることを認識し、コミュニケーションの手段を発明する。
「はい」は瞬き一回、「いいえ」は二回、その次の段階は、彼女がアルファベットを読み上げる。
文字を選ぶときは瞬きをし、単語が完了したら瞬き二回、そうして彼は文章を作り、会話をしていくのだ。
身体は動かないが、自由になるものが三つあった。
まず、左目の瞬き、そして記憶と想像力だ。
・・・彼は、生きる気力を徐々に取り戻していく。
ジャン=ドミニクは、自分が倒れるまでの半生のメモワールを、まばたきで文章として綴る作業に没頭する。
それは、茫漠とした過去の旅であった。
年老いた父との記憶、恋人ジョゼフィーヌ(マリナ・ハンズ)とルルドに行った記憶・・・。
過去を旅する彼の傍らで、父は誕生日の祝いの電話をかけてきてくれたし、3人の子供たちとその母セリーヌ(エマニュエル・セニエ)は、ことあるごとに病室を訪ねてきた。
ジャン=ドミニクは、周囲の人々の大切さを思い知る。
そして、彼らの思いを本に綴っていく・・・。
実在したフランス版ELLE誌の名編集長、ジャン=ドミニク・ボビーは43歳の時突然倒れた。
意識だけは元のままの、脳梗塞の一種で<ロックト・インシンドローム(閉じ込め症候群)>という重病であった。
随意的な眼球運動や、瞬目が保たれている、ただそれだけの状態で、希望を胸に本を書き続ける。
そんなことが、本当に出来たのだ。
この難しい主人公の役は、最初ジョニー・デップが演じる予定だったそうだ。
だが、ジョニーは「パイレーツ・オブ・カビリアン」で多忙を極めていて、実現出来なかった経緯がある。
難役を、格好良く感動的に演じたマチュー・アマルリックは、アカデミー賞にもノミネートされていた。
物語そのものに、大きな起伏があるわけではない。
淡々とした、一味違ったドラマである。
楽しいとか、面白いといったたぐいのそれではない。
必ずしも、一般受けする作品とは思わない。
だから、「実話」だったのだ、と思える。
主人公は、失意の底から希望の光を見出していた。
そこには、人間の精神の強さ、熱さ、崇高さがあり、人を支えるのもやはり人だという感慨に包まれる。
人は、誰もが孤独だ。
閉塞感を持った、現代の若者や中高年が多い。
この作品を観て、勇気を与えられるかも知れない。
人が<心>だけの存在になる。
そんなことがあるとすれば・・・。いや、きっとあるだろう。
その時、宗教的、哲学的な瞑想(?)の中で、<思う>のは、何だろうか。
魂のエレガンス、と言うような言葉を口にする人もいるけれど・・・。
ジャン=ドミニク・ボビーによれば、「健康な時には私は生きていなかった。存在しているという意識が低く、極めて表面的だった。しかし、私は再生した時、“蝶の視点”を持って復活し、自己を認識する存在として生まれ変わった」のである。
彼は、こうして偉大な文筆家となった。
原作者ジャン=ドミニク・ボビーは、この作品が出版されて数日後、突然亡くなったという。
ジュリアン・シュナーベル監督は、ニューペインティングの旗手としてニューヨーク美術界に彗星のごとく現れ、時代の寵児となったと言われる。
だからなのか、カメラワークにも、絵画的な手法がふんだんに使われている。
その彼の“生きる”ことへの、メッセージは貴重だ。
「一度限りの輝かしい人生を、一瞬たりとも無駄にしてはいけない。」
この映画は、ヒューマンタッチの佳品といってもいいだろう。
アメリカ・フランス合作映画 「潜水服は蝶の夢を見る」 の原作は、寝たきりの著者の作品にもかかわらず、絶望を乗り越え、自分らしい人生を全うしようと決意した、その心もようが伝わってくる一作である。
そして、これもまた映画なのだ。