徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「居酒屋タクシー」ー官僚の不埒ー

2008-06-19 23:45:00 | 寸評

夜更けの、東京銀座裏通り・・・。
名だたる高級クラブが、店を連ねている。
その一軒から、一人の男が千鳥足で出てきた。
数人の、派手な着物に厚化粧の女たちに見送られて・・・。
男はご機嫌だ。
男は、待たせてあった個人タクシーに乗った。
動き出した車に向かって、女たちは、甲高い声で何か叫びながら、おざなりに手を振っていた。

タクシーの運転手とは、顔見知りだった。
 「いつもの、コースでよろしいですか」
 「ああ。頼む」
 「かしこまりました」
車は、首都高速を一気に抜けると、埼玉県内の新興住宅地に入っていった。
丘の上の、まだ建って間もない邸宅の前で、車は停まった。
男は、車を降りるとき、何やらサインとともに、運転手の差し出した茶色い封筒と手土産の入った紙袋を受け取った。
 「どうも、有難うございました。また、宜しくお願いします」
 「ああ、いつもどうも・・・」
 「いいえ、どういたしまして」
 「じゃあ・・・」
 「はい。おやすみなさいませ」
タクシーの運転手も、降りた男もにこやかな表情だったのが、夜目にも分かった。
男はいくらか酔いがさめたのか、しっかりとした足取りで、玄関を入った。

男の妻は、どんなに遅い時間でも、必ず夫を出迎えた。
 「あらあら、また“飲み”ですか。こんなにおそくまで・・・」
 「いや、仕事と付き合いだ」
 「あら、お仕事も?」
 「そうだ。そのあと、付き合いもあってな」
 「それで、また車ですか」
 「そうだ」
リビングへ通ってからも、妻は夫に言った。
 「いつも、いつも、それいいんですか」
 「お前、何が言いたいのだ」
 「心配してるんです。この頃、いろいろニュースで騒がれてるから」
 「案ずるな。官僚というのは、何をしても、よくは言われないものなのだ」
 「いけないことじゃないの?」
 「何がいけないものか。仕事で遅くなれば当然のことさ」
 「仕事?でも、あなた酔ってるわ」
 「だから、言っただろ。仕事のあとの一杯だって」
 「・・・」
夫は、霞ヶ関へ勤める、上級管理職だ。
妻は、夫の毎度の行動を知っているのか、それ以上は立ち入ったことは言わなかった。言えば、嫌な言葉が返ってくるに決まっている。
だから、なるべく余計なことは言わないようにしていた。

夫は、少し難しそうな顔をして言った。
 「ただなあ、いろいろ騒ぎ立てられて、この頃チェックがうるさくなった。俺の立場でも、気をつけんと
 なあ」
 「・・・でしょう?」
 「まあ、な」
 「近所でも噂になってるらしいの。あなたのタクシー帰りが・・・」
 「何故だ?」
 「そんなこと、当たり前でしょ。自重しないと、まずいんじゃない?」
夫は、渋い表情で妻を見つめた。

明日は土曜日だ。二日続きの休日であった。
毎週金曜日の夜は、いつもこんな具合だ。
 「俺も、あと二年で役所も定年だ」
 「・・・」
 「これまで、一生懸命お国のために働いて来たんだぞ。少しぐらい、いい思いもさせて貰いたいよ」
長年連れ添ってきた妻は、黙って夫の方を見た。
 「・・・だからな、お前たちにも、十分な暮らしをさせてやることが出来たんだ」
 「そうね。それは、そうだわ。感謝してるわ」
 「何か不満でもあるのか?」
 「不満はないわ。だけど、何だか少し怖いわ」
 「・・・」
 「いろいろ、世間では言われていて・・・」
 「気にするな。役人へのやっかみさ。そんなこといちいち気にしていたら、役人なんかやっていられる
 かってんだ、ええ!」
 「・・・!」

時間外の仕事は、なるべく部下に任せ自分は極力少なくしている・・・。
馴染みの個人タクシーを利用するようになって、もう20年近くなる。
自分で金を払ったことは一度もない。
電車の時間に十分間に合うときでも、車を利用するようになった。
もうほとんど病み付きで、いまさら止められなくなっていた。
妻は、そんな夫の習慣を分かりすぎるほど分かっていた。
通勤定期があるのに、それを利用するのは出勤の時と、たまに帰宅の途中で自分の用事がある時だけであった。
自分でも、交通費の無駄は承知していた。
それでも、心のどこかで、「これは、俺の金ではない」と思っている自分がいるのも事実だ。
夫は、かねがね妻に言って聞かせたこともある。
 「ちょっと、勿体無いとは思うがね。・・・だが、俺だけじゃないんだ。皆やってることなんだよ」
 「・・・!」

個人タクシーの運転手もご利用大歓迎だし、利用する方も、サインひとつで土産と金一封か商品券が間違いなく貰えるのだ。
そこに、需要と供給のバランスが成り立つ。(!?)

妻は、「居酒屋タクシー」のことを、近くの主婦から聞かれたことがある。
 「タクシーで、おつまみとビールが出るって、そういうタクシーがあるの?」
あまりにも真面目な顔をして尋ねられたので、妻は真面目(?)に答えた。
 「そうらしいわねえ」
 「一度、乗ってみたいわ」
そう言って、主婦はくすくすと笑った。
知らぬ筈がない。わざとかまをかけたに違いないと妻は思った。
だって、夫がいつも夜遅く個人タクシーで帰ってくるのを知っている筈だからだ。
だからこそ、妻は気になっていたのだ。
 「知らないようで、知ってるのよ、うちのこと。あたし、嫌だわ」
 「いいから、知らんふりしていろ。それが一番だ。余計なことは一切言うな。わかったな」
妻は、唇をとがらせて黙っていた。
 「俺も、やがて定年だ。いいか、そのあとの天下り先も大体決まっている」
 「あら、そうなの?」と驚いたように目を丸くすると、
 「当たり前だ。何も心配しなくていいぞ。第二の人生も決まっているようなものだ。は、は、は・・・」
夫は、そう言って笑い飛ばした。
しかし、妻は、自分の胸のうちに、何かとてつもなく大きなどす黒い不安が、ふつふつと湧き上がってくるのを感じないではいられなかった。