徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「靖国 YASUKUNI」ー日本の過去を検証するー

2008-06-23 23:55:00 | 映画

上映中止など、映画の枠を超えて、社会現象まで引き起こした作品である。
日本人にとって、複雑な想いを抱かせる、アジアの戦争をめぐる歴史・・・、「靖国神社」には、そうした日本の歴史の側面が潜んでいる。

靖国神社は、日常は平穏そのものだ。
でも、毎年8月15日になると、そこは、奇妙な祝祭的な空間に変貌する。

旧日本軍の軍服を着て、「天皇陛下万歳」を叫ぶ人たち、的外れな主張を並べ立てて、星条旗を掲げる変なアメリカ人、境内で催された追悼集会に抗議し、参列者に袋叩きにされる若者、日本政府に「勝手に合祀された魂を返せ」と迫る、台湾や韓国の遺族たち・・・。
狂乱の様相を呈する、靖国神社の10年に渡る記録映像から、アジアでの戦争の記憶が、観るものの胸を焦がすように、様々な多くのことを問いかけながら、鮮やかに甦ってくる。

リー・イン(季纓)監督による、香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞受賞作だ。
凄まじい作品だが、日本人なら目を背けるわけにはいかない。
さすがに、日本在住19年の中国人監督リー・インにしてなしえた力作ではなかろうか。
映画は、日本と日本人について描かれている。
リー・イン監督は、中国人なのに、日本人以上に日本のことを深く理解し、研究している。
一知半解の日本理解ではない。

リー・イン監督は、冒頭でまず、靖国神社の神体は刀であり、昭和8年から敗戦までの12年間に、靖国神社の境内で、8100振りの日本刀(軍刀)が作られていたことを指摘する。
その90歳を超える刀匠の、日本刀づくりの作業を撮りつつ、穏やかで口数少ない老刀工と、ゆっくり静かに、これらの刀の持つ意味を語り合う問答を配置しながら、靖国問題をめぐる、熱狂的な渦の中へと入ってゆく。

リー・イン監督は、かつて日本の侵略を受けた中国人として、当然日本人たちの言動を苦々しく見ているはずである。
しかし、彼の目は冷静だ。
どちらに偏ることもなく、中立の視線で、リアルに現実を追っていくのだ。
カメラの動かし方は、ニュースフィルムを見ているような迫力がある。
意表をついた、気迫のこもった作品だ。

人類にとっての、永遠のテーゼ(命題)と言われる、戦争と平和について、彼は10年もの歳月をかけて追いかけていたのだ。
戦争と言う名の亡霊が、人類に接近する歩みを止めたことはない。
ここでは、靖国神社は戦争を祀る<生>と<死>の巨大な舞台となった。

日本人から見ると、この作品はまさしく日本人が思想的に考える映画だ。
日本人が見て、何ら不愉快な要素はない。
むしろ、「なるほど」「もっともだな」と思わせられる。
感心してしまうのだ。

「英霊」と言う概念は、国のために殉じた軍人に対して、明治時代に作られたもののようだ。
靖国神社の「英霊」をどう評価するのか。
この国の戦争を、どう考えたらいいのか。
大変難しいところだ。

靖国神社は、太平洋戦争にしても、この戦争をはっきり聖戦と位置づけている。
侵略戦争ではなく、自衛のための戦争だと言ってはばからない。
この話は、かなり衝撃的だ。

日本の戦争責任について、日本政府はどう見てきたか。
国際社会に対しては、東京裁判の判決を受け入れる姿勢を見せた。
あれは、戦勝国が敗者を裁いた裁判だった。
国内では、その被告であるA級戦犯(東條英機ら)たちを、英霊として祀ってきたのだった。

映画を作るにあたっては、様々な脅威にさらされてきた経緯がある。
この映画には、ナレーションも解説もない。
そのかわりに、登場人物たちのいい言葉がいっぱいある。
そして、偽りなき事実が語る多くのもの・・・。

しかし、う~ん、考えさせられる・・・。
日本という国のこと、日本人という民族のこと・・・。
「靖国」とは、「国を平安にし、平和な国をつくり上げるという意味だそうだ。
命名は、明治天皇だそうだ。

政府要人の参拝が、いつも問題になる。
日本人の「心」の問題が、他国の干渉を受けることなど、本来あってはならないことだ。
「参拝」に、公人だの私人だのあるのもおかしい。

この作品の上映については、いろいろな物議をかもしてきた。
ひとつの記録映画としてとらえたとき、リー・イン監督のまことに穏やかな目線が、このような、中立的な作品を誕生させたことは画期的なことだろう。
こうした映画は、なかなか生まれるものではない。
日本の映画史上で、おそらく靖国神社を描いた作品は初めてではないか。
この神社の存在はあまりにも不明瞭で、矛盾に満ちていて、複雑だ。

「靖国」を知る者も知らぬ者も、また戦争を知る世代も知らぬ世代も、日本という国を知る、思いもよらぬ手がかりが、この日中合作映画「靖国 YASUKUNIには潜んでいる。
日本での生活の長いリー・イン監督、「この映画は、私の日本に対してのラブレターだと思っています」 と語っている。
十分一見に価する、秀逸な “考える” 映画である。
作品を観ての判断は、すべて観客に委ねられる。
・・・今年もまた、間もなくあの8月15日がやって来る・・・。