たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

菊理比売姫(くくりひめのみこと)

2022-06-20 04:53:35 | 白山神社
最初のころ、白山比咩神社と言うのは、泰澄が勝手に作ったものだと思っていました。

まあ、今までのおいらの推理が正しいかどうかも分かりませんけどね。

ちなみに、九頭竜湖の付近には辰砂が出るところがあるそうです。

それと、かなり古い白山神社もあるようです。サタヒコの時代より少し後のようですけど。

さて、本題に入りましょうか。

菊理比売姫(くくりひめのみこと)を調べましょうか

ウィキペディアより引用します
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日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』正伝には登場せず、『日本書紀』の異伝(第十の一書)に一度だけ出てくるのみである

神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になる。
そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った。
つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある。
菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない

菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041年-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている
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白山比咩神社の最初の祭神は、彦坐王ではないでしょうか?

その後、泰澄の時代に伊奘諾尊(いざなぎ)伊弉冉尊(いざなみ)になったと考えます。

ここで言う、伊奘諾尊、伊弉冉尊は、山代之大筒木真若王(サタヒコ)と、

丹波能阿治佐波毘売(アメノウズメ)と思います。

二人に出来た子が、迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ) この名前は、「カグツチ」から来ているのではないかな?  逆かもしれない。

個人的には、イザナギ、イザナミは、もっと古い人物と思います。

その名前を、古事記でも使ったのでは無いかと思っています

イザヤと関係があるかもしれないと思っているのですけど・・・

まあ、詳しいことはわからないので、これ以上話を進めることはやめておきます。

サタヒコと、アジサハヒメが暮らしていた場所は、比沼麻奈為神社です。

その場所に、倭姫も暮らしていました。

しかし、アジサハヒメは出産と同時に亡くなってしまいます。

日本神話の神産みは、この時のことを物語っていると思います。

その時に、サタヒコに何か助言できるような、巫女のような人物は誰?

倭姫しかいないでしょう。

泰澄は、倭姫の非常に強い霊力にあこがれたのかもしれませんね。

そして、サタヒコ達が越えたであろう白山に行ったと考えます。



現在の伊勢神宮がこれだけ人々の想いを集められるのも「倭姫」の霊力なのかもしれません。。。





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