もう一度、位置を確認しましょうか
まるまる山山頂からの測量です。
冬至の日の入りのラインです
拡大します
現地に行ってきました。ワクワク~♪
この奥に見えるところでしょうか?
中門跡とありますけど、「弥勒寺」と言う文字の「寺」の文字のあたりと思います。
左にあるのが、金堂の跡
案内板がありますけど、画像が良くなくて見えにくいですね。ゴメンナサイ。
右にあるのが、「塔」の跡地 です。
どうも、この「塔」の跡地をレイラインが通るようです。
もっとも、まるまる山のどこの場所からの測量なのかは、確定していないので推測でしかありません。
ですけど、今までのサタヒコ達のレイラインの測量方法から推測するとほぼ、間違いないと思います。
サタヒコ達は、この場所になにか「ひもろぎ」のようなものを建て、そこにみんなが集まって
久しぶりの再会を楽しんだ。。。そう想像すると嬉しくなります。
この白山越えのルートを使った交流はその後何回も行われたのでしょう。
対岸の、重竹神社近くの長良川の様子です。
川の中に、大きな岩がたくさんあります。川を横断するのにはもってこいですね。
金華山に居ると思われる、垂仁天皇の兵が来た時の逃げ道だったのでしょうか?
まるまる山は、監視する場所で、その北にある重竹神社にサタヒコ、サホヒコ、レイラインの測量をすることが出来る供の人達が潜んでいた。
そこは、山に隠れて金華山側からは、見つからない。
そのような意味があったのかもしれません。
泰澄は、この場所が白山越えのゴールと言うことを知っていたのかもしれませんね。
さらに、この場所から春日井の白山神社、つまりサタヒコの父親の墓のある場所であり
砂鉄の産出する場所に行ったことも知っているはずです。
そして、円空もそのことを知っていたのではないでしょうか?
まるまる山山頂からの測量です。
冬至の日の入りのラインです
拡大します
現地に行ってきました。ワクワク~♪
この奥に見えるところでしょうか?
中門跡とありますけど、「弥勒寺」と言う文字の「寺」の文字のあたりと思います。
左にあるのが、金堂の跡
案内板がありますけど、画像が良くなくて見えにくいですね。ゴメンナサイ。
右にあるのが、「塔」の跡地 です。
どうも、この「塔」の跡地をレイラインが通るようです。
もっとも、まるまる山のどこの場所からの測量なのかは、確定していないので推測でしかありません。
ですけど、今までのサタヒコ達のレイラインの測量方法から推測するとほぼ、間違いないと思います。
サタヒコ達は、この場所になにか「ひもろぎ」のようなものを建て、そこにみんなが集まって
久しぶりの再会を楽しんだ。。。そう想像すると嬉しくなります。
この白山越えのルートを使った交流はその後何回も行われたのでしょう。
対岸の、重竹神社近くの長良川の様子です。
川の中に、大きな岩がたくさんあります。川を横断するのにはもってこいですね。
金華山に居ると思われる、垂仁天皇の兵が来た時の逃げ道だったのでしょうか?
まるまる山は、監視する場所で、その北にある重竹神社にサタヒコ、サホヒコ、レイラインの測量をすることが出来る供の人達が潜んでいた。
そこは、山に隠れて金華山側からは、見つからない。
そのような意味があったのかもしれません。
泰澄は、この場所が白山越えのゴールと言うことを知っていたのかもしれませんね。
さらに、この場所から春日井の白山神社、つまりサタヒコの父親の墓のある場所であり
砂鉄の産出する場所に行ったことも知っているはずです。
そして、円空もそのことを知っていたのではないでしょうか?
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