白山神社の目的地は、まるまる山付近ということでいいのではないでしょうか。
サタヒコ、サホヒコ、彼らを取り巻くレイラインの測量技術者、その他のお供の人々。
彼らが、日本海より白山を越えて長良川を下り、まるまる山付近に潜んで、美濃に居る
サタヒコの母親たちに連絡を取り、弥勒寺跡の塔のある付近で再会を果たした。
その、400年以上後に泰澄がそのルートを再現した。
そのことについて今までいろいろと書いてきました。間違いもあるとは思いますけど
本筋はあっていると思います。
さて、サタヒコの母親である、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)の墓は、
最初は、美濃にある、方県津神社の古墳と思います。
ですが、その後、御霊(遺骨)は奈良に移動したと考えます。
サタヒコの姉である比婆須比売命(ヒバスヒメ)の住む近くの場所に移動しているようです
サタヒコがおこなった事に違いないでしょう。
中山大塚古墳がそうであろうと思います。
ヒバスヒメは、306年頃に亡くなっているとする説があります。
そうすると、294年頃にホムチワケが出雲に向かっていますので、その間に美濃から奈良に
移動しているのでしょう。
サタヒコ、サホヒコ、彼らを取り巻くレイラインの測量技術者、その他のお供の人々。
彼らが、日本海より白山を越えて長良川を下り、まるまる山付近に潜んで、美濃に居る
サタヒコの母親たちに連絡を取り、弥勒寺跡の塔のある付近で再会を果たした。
その、400年以上後に泰澄がそのルートを再現した。
そのことについて今までいろいろと書いてきました。間違いもあるとは思いますけど
本筋はあっていると思います。
さて、サタヒコの母親である、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)の墓は、
最初は、美濃にある、方県津神社の古墳と思います。
ですが、その後、御霊(遺骨)は奈良に移動したと考えます。
サタヒコの姉である比婆須比売命(ヒバスヒメ)の住む近くの場所に移動しているようです
サタヒコがおこなった事に違いないでしょう。
中山大塚古墳がそうであろうと思います。
ヒバスヒメは、306年頃に亡くなっているとする説があります。
そうすると、294年頃にホムチワケが出雲に向かっていますので、その間に美濃から奈良に
移動しているのでしょう。
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