尾張戸神社から見る山はどのように見えるのか?
今まで、何度も出かけているのにあまり気にしたことがない
展望台があるのですけど、西の方しか見られません。
あいにく、もやがかかっていて遠くは視界がよくいありません。
神社の東側は、最近いすやテーブルが出来てしかも良い景色が楽しめます。
こんな感じ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/39/b749535b2d8722265f3cac97f2609866.jpg)
この山は、猿投山ですね。
こんなに近くに見えるんだ。
そりゃぁ、出かけたくなるはずだ!
少し右の方の奥を見ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/44/969879fc4c2a823a3c505f3546f2a00e.jpg)
わかりますかね?
肉眼だとよくわかるのですけど、高い山が見えます。
おそらく、三河の本宮山と思われます。
ここから、見えていたんだ!
朝廷別王は、穂国造といわれ東三河一帯を支配したと言われています。
尾張は、自分の子や孫にまかせたのでしょうか?
東三河の開拓は、「大国主命=伊勢津彦」と一緒におこなったのでしょうか?
さらに、豊橋には「高師小僧」という褐鉄鉱の団塊が産出するそうですけど、それを使って製鉄をしたのでしょうか?
高師とはこのあたりなのでしょう
高師小僧とは、すず鉄と同じようなものなのでまず、間違いなく製鉄を行っていると思われます。
一説には、その褐鉄鉱、もしくは砂鉄を探し求めて、天竜川をさかのぼっていって、
たどり着いたのが諏訪だったという話もあり、非常に興味深いです。
ここからは、妄想です。
彦坐王ファミリーは砂鉄を使って製鉄をしていたとすると、原料は尾張戸神社の北側、
愛知県の春日井市高蔵寺付近から小牧市桃花台にかけての場所で、砂鉄が採れたようです。
砂鉄から出来た鉄は、褐鉄鉱からできたものより硬いそうで、武器に使用した場合
砂鉄から出来たものの方が有利になります。
草薙の剣は、もしかすると砂鉄から出来ているのでしょうか?
彦坐王ファミリーが制作したものならば、熱田神宮にあるというのもうなずけます。
ここまで書いた、「美濃、尾張、三河の神社とレイライン」を読むと、出雲の国譲りの場所が
出雲ではなく、伊勢ではないかとも思えてきます。
あまりにも話が似ていますよね。
それと、伊勢津彦は誰なのか?
彦坐王ファミリーの誰かなのか? 朝廷別王と、三河の本宮山で合流することを考えると
そう考えるのがすんなり来るのです。
次回からは、伊勢津彦は誰なのかを、考えていきたいと思います。
以上、妄想を終わります・・・
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