たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

尾張戸神社からの景色

2019-06-02 05:40:13 | 美濃、尾張、三河の神社とレイライン

 尾張戸神社から見る山はどのように見えるのか?

今まで、何度も出かけているのにあまり気にしたことがない




展望台があるのですけど、西の方しか見られません。

あいにく、もやがかかっていて遠くは視界がよくいありません。

神社の東側は、最近いすやテーブルが出来てしかも良い景色が楽しめます。

こんな感じ


この山は、猿投山ですね。

こんなに近くに見えるんだ。

そりゃぁ、出かけたくなるはずだ!

少し右の方の奥を見ると、


わかりますかね?

肉眼だとよくわかるのですけど、高い山が見えます。

おそらく、三河の本宮山と思われます。

ここから、見えていたんだ!

朝廷別王は、穂国造といわれ東三河一帯を支配したと言われています。

尾張は、自分の子や孫にまかせたのでしょうか?

東三河の開拓は、「大国主命=伊勢津彦」と一緒におこなったのでしょうか?

さらに、豊橋には「高師小僧」という褐鉄鉱の団塊が産出するそうですけど、それを使って製鉄をしたのでしょうか?

高師とはこのあたりなのでしょう


高師小僧とは、すず鉄と同じようなものなのでまず、間違いなく製鉄を行っていると思われます。



一説には、その褐鉄鉱、もしくは砂鉄を探し求めて、天竜川をさかのぼっていって、

たどり着いたのが諏訪だったという話もあり、非常に興味深いです。



ここからは、妄想です。

彦坐王ファミリーは砂鉄を使って製鉄をしていたとすると、原料は尾張戸神社の北側、

愛知県の春日井市高蔵寺付近から小牧市桃花台にかけての場所で、砂鉄が採れたようです。

砂鉄から出来た鉄は、褐鉄鉱からできたものより硬いそうで、武器に使用した場合

砂鉄から出来たものの方が有利になります。


草薙の剣は、もしかすると砂鉄から出来ているのでしょうか?

彦坐王ファミリーが制作したものならば、熱田神宮にあるというのもうなずけます。



ここまで書いた、「美濃、尾張、三河の神社とレイライン」を読むと、出雲の国譲りの場所が

出雲ではなく、伊勢ではないかとも思えてきます。

あまりにも話が似ていますよね。


それと、伊勢津彦は誰なのか?

彦坐王ファミリーの誰かなのか? 朝廷別王と、三河の本宮山で合流することを考えると

そう考えるのがすんなり来るのです。

次回からは、伊勢津彦は誰なのかを、考えていきたいと思います。


以上、妄想を終わります・・・



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