白山比咩神社から、白山、白山中居神社、長瀧白山神社、郡上、洲原神社、そして志摩と、
おいらの妄想も加えてサタヒコ達の足取りを調べました。
サホヒコも一緒に行動していたのが分かったのが何よりの収穫でした。
最初はただ単にサタヒコが母親に会いに行ったのだと思っていましたけど、
その先に春日井の砂鉄があるかもしれないという結論に出くわしました。
それはサホヒコの考えのような気がします。
それについても,これから調べていきたいです。
その前に、タイトルである「菊理比売姫は誰?」ですよね。
この時代には、まだ倭姫は登場していません。
もうお分かりですよね。菊理比売姫=サタヒコの母親 そう考えていいのではないでしょうか?
後の時代に、サタヒコ達が三種の神器を伊勢に運びます。
船を建造しているときに犬山に滞在します。
八咫鏡は、大国主=伊勢津彦=サホヒコの御霊が宿っています。
木曽川の対岸の、各務ヶ原に一時置かれます。「かがみがはら」の名前はそこから来ていると思います
天叢雲剣は、丹後半島で作って持って来たのかどうかわかりません。
もし剣があるのならば、まだ彦坐王の御霊を宿してはいません。
この時点で剣が無いのであれば、春日井に出かけたときに、そこの砂鉄で作ったと推測します。
そして、そこで御霊を宿します。それが後に熱田神宮に収められるのでしょう。
丹後半島で作ったものがあるのなら、それが皇居にある「形代」ではないでしょうか?
さて、八尺瓊勾玉は?
丹後半島で作って、持ってきているようです。
犬山に行く途中で、美濃に寄ります。サタヒコの母親の古墳があるでしょう。
方県津神社にある古墳です。そこで、母親の御霊を八尺瓊勾玉に移します。
そして一時保管した場所が、犬山白山平ではないでしょうか?

そう考えると、すべてがピタリとくるように思いますけどいかがでしょう?
白山平と言う名前が、その時代に呼ばれたのかその後なのかは分かりません。
ですけど、泰澄はこの流れをすべて知っていたように感じます。
白山神社でもう一つ気になるのが、平泉寺白山神社です。
養老元年(717年)、泰澄によって開かれていますけど、なぜここの場所が今までの流れと違うのか?
これもこの先、検証したいと思います。
時間が無いかもしれませんので、遅くなるかも・・・
おいらの妄想も加えてサタヒコ達の足取りを調べました。
サホヒコも一緒に行動していたのが分かったのが何よりの収穫でした。
最初はただ単にサタヒコが母親に会いに行ったのだと思っていましたけど、
その先に春日井の砂鉄があるかもしれないという結論に出くわしました。
それはサホヒコの考えのような気がします。
それについても,これから調べていきたいです。
その前に、タイトルである「菊理比売姫は誰?」ですよね。
この時代には、まだ倭姫は登場していません。
もうお分かりですよね。菊理比売姫=サタヒコの母親 そう考えていいのではないでしょうか?
後の時代に、サタヒコ達が三種の神器を伊勢に運びます。
船を建造しているときに犬山に滞在します。
八咫鏡は、大国主=伊勢津彦=サホヒコの御霊が宿っています。
木曽川の対岸の、各務ヶ原に一時置かれます。「かがみがはら」の名前はそこから来ていると思います
天叢雲剣は、丹後半島で作って持って来たのかどうかわかりません。
もし剣があるのならば、まだ彦坐王の御霊を宿してはいません。
この時点で剣が無いのであれば、春日井に出かけたときに、そこの砂鉄で作ったと推測します。
そして、そこで御霊を宿します。それが後に熱田神宮に収められるのでしょう。
丹後半島で作ったものがあるのなら、それが皇居にある「形代」ではないでしょうか?
さて、八尺瓊勾玉は?
丹後半島で作って、持ってきているようです。
犬山に行く途中で、美濃に寄ります。サタヒコの母親の古墳があるでしょう。
方県津神社にある古墳です。そこで、母親の御霊を八尺瓊勾玉に移します。
そして一時保管した場所が、犬山白山平ではないでしょうか?

そう考えると、すべてがピタリとくるように思いますけどいかがでしょう?
白山平と言う名前が、その時代に呼ばれたのかその後なのかは分かりません。
ですけど、泰澄はこの流れをすべて知っていたように感じます。
白山神社でもう一つ気になるのが、平泉寺白山神社です。
養老元年(717年)、泰澄によって開かれていますけど、なぜここの場所が今までの流れと違うのか?
これもこの先、検証したいと思います。
時間が無いかもしれませんので、遅くなるかも・・・