前回の続きということになりますけど
愛知県の春日井市高蔵寺付近から小牧市桃花台にかけて
渇鉄鉱(別名 鬼板層)や、砂鉄を豊富に含む砂鉄層があるようですということです
かってっこう 渇鉄鉱 褐鉄鉱 漢字が2種類あるようです
違いは今のところわかりません
とりあえず
褐鉄鉱は水酸化鉄からなる鉱物の集合体とのこと
鉱物名としては褐鉄鉱は使用されていないとのことなんで調べるのにも
少し手間取ります
鬼板は水中の鉄分が板状にかたまったもので、
春日井市大泉寺町の御嶽神社境内には巨大な鬼板が置かれているとのこと
確かめに行ってきました
100mくらいの参道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/7a/ff0d91ade672187cdcdd283192989516.jpg)
鬼板はどこだろう?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/6e/4576b76a457b23bc7a140604fcd2bfb9.jpg)
これかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/dd/955189dbaf75a75e0609a2ccd9aaf0aa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b5/7076009e17d8be9a0317c33dadc6ecb9.jpg)
ひとりじゃ運べませんね
古代の製鉄というのは、なかなか資料が無いようです
たたら製鉄というのは砂鉄をつかっているようですが、それ以前はこの鬼板のような褐鉄鉱から
そして、さらに以前は、「鈴」といって鉄分の多い河流や湖沼の水辺の葦や茅の根元の茎に、
微生物の作用で付着した褐鉄鉱石を含有したものが筒状に蓄積され生育してできたものを使っていたようです
古代の製鉄は、このスズ(鈴)を原材料に生産されていたようです
当時の土器を焼くくらいの、低温で還元して鉄を作るのだそうです
調べているとなかなか面白い
いつか自分でも試してみたいです
そうそう、神社にある鈴は、ここからきたそうです。
古代神社は製鉄と深いかかわりがあるということですね
東山道でなぜ伊富岐神社から上磯古墳に行ったのか、おいらが推測するにはこの「鈴」が豊富にあったのではないかなどと思っています
少し話が飛びますけど、少し前に書いた壬申の乱のとき、
村国男依らに率いられていた大海人皇子側の部隊は、褐鉄鉱から作った武器を持っていたそうです
一方、大友皇子の軍は、かなり古い製鉄技術による武器だったそうです
何がどのように違うのかなかなか調べてもわかりませんけど、おそらく硬さが違うのでしょうね
この違いが戦いの勝敗にかかわったかも知れません
製鉄やってみたいなぁ
趣味は製鉄ですなどと、言うと、何じゃこのおっさん?というの面白くありません?
PS 画像、鬼板じゃないかもしれません・・・どこにあるのだろう???
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