年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ブルーベリーも色づいて

2014-08-17 17:11:57 | Weblog
 先月から降り続く長雨でブルーベリーの実もたくさん落ちているのであわてて採収することにした。これからブルーベリージャムを作る予定である。
   ご近所さんに配り、孫たちに送り・・楽しみである。

 私の現職時代には、各商工会議所に「情報」提供をすることもやりがいのあった仕事の一つであった。例えば1週間、鳥取・境商工会議所に行き、町おこしを担当者からお聞きし、そして共和水産・和田社長(三津浜出身・朝鮮日水から敗戦引き上げの途中四国までたどり着くことなく境にとどまり、巻き網船団日本一の実績を育てるにいたった)からお聞きした、水産市場で卸売業者が集まって市場内で観光客相手に仲卸さんの店を並べて小売する様子が圧巻であったこと、観光客がお一人おひとり白い発泡スチロールの箱一杯に水産物を購入し大型バスに乗り込んでいる様子が異様に映ったこと。その話を次の週愛媛・八幡浜に行き、当時の日本西海漁協の宮本組合長、商工会議所会頭・八幡浜紙業の山泉社長、また栗の浦ドックの成瀬社長や八幡浜汽船の山本社長の方々に落ちてゆく八幡浜の活性化について提案するに際し、聞きかじり見たままの境水産市場の話を何度も、数年かけてしゃべっていた。もちろん境には水木しげる・ゲゲゲの鬼太郎ロードも今は賑わいを見せているが、20数年前の初歩の段階では、町おこしに右往左往していた状況であった。境はゲゲゲの鬼太郎と水産物を柱に、つまり観光商工サイドと水産業者サイドが協力し合って町の将来のかじを切る。に対して、私は全くの部外者ではあるが、会頭や組合長に何度も情報を提供しながら、落ちてゆく街の将来図について無責任にも似た話題を提供していたが、私のような若輩無知の者にも丁寧に耳を傾けてくれた。ここの財産は飛行機の二宮忠八、そして水産物がある。何とかならないか・・・、漁協の組合長は、ここの港はトロール船で水揚げした魚を即運ぶだけだから・・などと乗り気ではない。いや、違う。この港には九州から上陸する客、ここから九州に帰る客がいるではないか、フェリー乗り場の客が、水産物のお土産を購入している様子は全くない。なぜか?鮮魚は「送り」だけでなく、何とか発泡スチロールで購入できる施設が必要ではないか・・などと小さな水産市場の2階の事務所や商工会議所の会頭室でしゃべっておった。当時は、いやぁ土地がないからとか、仲卸同士は難しいから・・などと否定されていた。
  でも今、港には埋立土地もでき新しく市場も建設され、その横には観光客は言うに及ばず市民の憩いともなる「ど~や市場」も出来、存分に安い鮮魚を買うことができるようになった。沈みゆく町が少しづつ明るい方向に歩いているんだと、ついついうれしくなり・・・。奥さんとお買い物。
 ここに来たワケは、4男が1週間の帰省を終え、今日帰るのを見送りに・・・。 来月から解剖が始まるので忙しくなる・・と云いながら4男はさっさと振り向きもせずに乗船した。