年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

仕事考

2014-08-01 18:31:26 | Weblog
 台風が来ておる。しかもダブルでこちらに向かっておる。それでは雨が降る前に散歩しようかと・・・山辺のいつもの散歩道脇のミカン園は、6月頃は白い花から強い香りが漂っていたのに今は小さな青いミカンの実にかわっておった。
  そしてその近くに植えられていたスイカ畑には、収穫することのないスイカが無造作に放置されてあった。
 1時間の散歩を終えて家に着くころ雨がポツリポツリと降り始める。
 そうして家ではゴロッと横になり読書の時間。小関智弘さんの仕事に関する本を読むことにする。
  世の中が経済一辺倒になり指標が右肩上がりになる。その過程でよく耳にしたのが生産性のアップだとか効率性だとか利益率だのロス率だの、あらゆる指標が単純に紙の上で計算することができるものであった。頭の中で計算されるものを最優先した結果であろう。数値などPC上で追及でき得るものの行く末は?どうだったか、と自問したとき、多くの人が自分の仕事のことで捕まってしまった感じがする。つまり向こうが見えなくなってきたということ。これでいいのかと思い悩む人の群れができた。
 自分の仕事のお手本にする人が側にいなくなったのだ。豊かな経験を積んで教え育んでくれる人がいなくなったのだ。いるとしても上司にうまく取り入る人や客の意向に関わらず売り上げを脅迫するがごとく自分の利益のみに心を注ぐ同輩の多い環境、人が育たないあまり、ひとづくりの根幹である人材育成を人任せにしてしまった。教育セミナーの担当者がいくら出張って社員を前にしておしゃべりしたところで、いくら感想文を書いてもらったところで、自分の会社の仕事を知らない人がしゃべったところで重要な意味を持つとは思えない。そこで著者の小関さんは、手でものを考える、つまり職人の考え方の大切さを説く。手の感覚で覚える、匂いで覚える、音を聞き耳で考える、例えば自分の舌で味わう鉄の品質・・など右肩上がりの経済第一で突っ走った中で失われた仕事に対する考え方を教えてくれる。それが自分の仕事に面白さが生まれることになるんだろう。所詮仕事の面白さは、他人から教えられるものより自分で発見した不思議さとか面白さから生まれるもののほうが将来に向けての希望がある。