年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

それぞれの定年後

2014-08-03 21:47:24 | Weblog
 同年代の知人・友人としゃべっていると定年後の処し方が様々であり、各人今までの日常生活のとらえ方が現れていて面白い。

 一様にネクタイスーツ姿で処してきた友人は、のんびりと年金暮らしに突入かと思いきや、そうでもなく、今までと全く違った仕事をどっからか探してきて就いているも、覇気を感じるほどでもなく、仕事の愚痴を言っている。じゃ辞めればいいもののいくらかの金子を得るために就労しなければならないわけがあるとか。また、もう一人の友人は、現職中は会社のユニフォームで出勤退社の日常を送っていたが、定年後も同じ職種の仕事を探してきて現職中によく聞いた愚痴と全く同じ愚痴をよく聞かされる。60もとっくに過ぎて周りから見れば老人であることがわかり切っているが、それでもやや動きが鈍くなっているに反して話の内容の面白さに若さや艶を感じる友人もいる。
  職人として生きてきた人が定年のその後も、私に話しかけてくるのに仕事の面白さを伝えてくれるのは聞いていても楽しい。前者と後者の差はどこにあるか、と考える。どうも前者のグチグチ派は受動的な仕事をそのままに受け身でやっている。創意工夫とか改革などは全くない。この仕事はこんなもんよ・・などとタカをくくって受け身でやっておる。トップに提言しても聞き入れてくれないから・・などとうそぶく。後者の職人肌の人は、自分の仕事をとことんやり切る、きつい仕事を経験豊かな技能の持ち主ゆえ積極的に受け入れる。そして年の若い従業員にまで技術を惜しみなく教え与えアドバイスを送る。だから、経営者からも信頼され、いつまでも来てほしい・・などと懇願されている様子。そのような本人ではあるが、いつでも辞めることができるなどの気持ちにも余裕がある。どうも周りのそのような人たちを観察するに損得勘定でやっている人たちは年齢ゆえにいつも愚痴を発さなければならないようで、老年期での仕事を新しい発見に努め様とする人は、なんだか若々しさを覚える・・。かと云う自分は、愚痴を言うでもなく楽しみを追っかけるでもなく介護と私に与えられている仕事を淡々とやっているかのようである。