年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

気にかかる

2014-08-21 00:00:00 | Weblog
 広島の災害のこと、どうも気にかかる。で、Mさんにお見舞いを伝えようと電話するもつながらない・・・どうしたのか・・さらに不安になってきた。

 今日の日差しはきつい。肌を突き刺すような感じがする。オフの日の今日は妻のアッシー君になり切って、あっち行ってこっち行ってと命ぜられるままに西に東に車での移動となる。先ずは銀行から。実は国保の督促状が来たのである。すっかり忘れておった。昨夏も自分一人での生活で整理不能にあったのは、郵便受けに来るおびただしいさまざまなチラシやDMに交じって来る役所からの文書も開けることなく放ったらかしておった。何ヶ月か後で封を切ると督促状があったりして・・アッチャ~・・と。今夏もおんなじ。銀行引き落としにするよう届け出をするも印が違うとのことでそのまま自動引き落としにすることもできず、毎回振込みに行かざるを得ず、それもついつい忘れることが多く・・。

 次は二人で弟の入院先へ。耳が聞こえない弟の耳元で大きな声を出して話しかけておる。かたわらで見ているとすべてオープンクエスチョン。会話がしんどくなりそうなときはクローズでと、なかなかやるなぁ・・長い間老人相手に聞き取りなどの仕事経験が出ておるではないか、と。
 続いて野菜を買いたいという。このところ野菜が高値である。安いところに行こうと・・いつもの一山100円の無人販売所、ではなく、一山50円の販売所がある所へ。でも午後の時間、さすがに何もなかった。すべて売り切れ。じゃ、ついでに運動公園で散歩をしてくる、などと。いやぁこの暑さ・・あかんやろ、と云いながら、妻はグランド外周450mを3周。私は木陰のベンチで青空見ながらお休み。すると自衛隊演習地でヘリコプターの離着陸訓練をやっている。ベンチで仰向けになっているその上を轟音立てて上がったり下がったりしておる。
   
 私の頭は、そんなことより明日の講話のネタをどうしようかと・・早く家に帰ってPCに向かいたいと思いながら運動不足解消のために歩いている妻を待つ。
 夜Mさんから電話が入った。私の所は大丈夫でした、と。ヨカッタヨカッタ。でも今回の犠牲者のことを思うと・・。

病む人が次から次と

2014-08-20 20:29:57 | Weblog

 集中豪雨の被害が広島から飛び込んできた。自分の広島時代に安佐南の八木から通勤していた社員がいたけれど大丈夫だったかと案ずる。予期しない突然の自然災害により家を失う、家族の命を失う・・・つらさ。どのようにすれば・・・。

 今日の午前、刑務所内面接室では、犯罪行為により家族を手放し人の信用を失ってしまった青年を前にしての相談がある。続けて午後の「こころ塾」での相談室では、心が壊れ仕事を失った女性の相談もある。この相談からやっと解放されると、次は相談の電話が入ってくる。心の病によって会社の戦力としての大切な社員を失いそうな相談が、本人に代わり上司からかかってくる。夕方の帰り道、透析が長きにわたる影響か、足が自由にならない上にさらに手も自由に使えなくなったために背中も胸も腕もかゆいのに掻く力を失った弟をせっせとタワシでこすることに。また腰痛がひどく自由に歩くことさえできなくなった母親の愚痴を聞くことに。
 どのようにすることがいいんだろうか・・・ただただソバに付き添うのみではあるが。という自分はそれほど落ち込むでもないが・・。もっとも今の自分の最大の問題は、毎晩攻撃されるダニ対策、結構痛いしかゆいし赤く腫れあがるし、時々蚊の攻撃も受けているし・・。

また暑くなって汗・・

2014-08-19 20:17:16 | Weblog
 雲は多いものの青空も見え、白い雲と灰色の雲が混ざり合う空模様、暑くなった。でもいくら陽射しがきつくなっても、8月中旬ともなれば吹くそよ風がヒンヤリと肌に感じ入る。

 夕方はお買い物にお付き合い。4男の下着を買うためにスーパーへ。すると玄関先で青年がしきりに献血を叫んでいる。私も17歳の高校生時にJRC(Junior Red Cross)のメンバーに誘われて献血を千何百CCほど何回かに分けて献血をしたことがあったなぁ・・でもこの年での献血は・・などと考えている最中に、若い人の血液が欲しい・・などと青年が叫んでおる。じゃ自分は関係ないか・・でも青年のそばに近寄ると、、アレレ、ユースケ君ではないか。そうだった4男と小学生の時から高校生まで一緒のサッカーチームにいた子である。疲れた顔して私たち夫婦に挨拶をしてくれた。そうだった、すでに4男の同級生は就職をして働いているのだ。同級生は日本赤十字社の職員として働いているのであった。
 涼しい店内ではご夫婦で仲良くお買い物中、でも疲れたのかベンチに座り込んでいるご夫婦もいる・・すると、広い店内を買い物するでもなくウロウロしている人を見かけた。・・アレレ・ご近所のクボちゃんではないか、何してんの?と聞くと、涼しい店内をグルグルと西から東上から下へと散歩してるんだとか・・1時間ほど店内散歩をしてから家に帰るんだとか・・こんな人もいるんだと・・・

 今日の相談は労役終了まじかの刑余者である。話を聴くのに語尾がはっきりしない。グニャグニャとしか聞こえてこない。会話もピンとこないしコマッタなぁ、と。で、調査書を読み返すとウツ病の投薬治療を受けていること、不眠症であること、青手帳も所持していることがわかった。全国の矯正施設に収容されている人の中で、障害者と判断される人はどれほどいるんだろうか。障害により、刑が終了して社会に出ても就労場所からはじき出され、邪魔者扱いされる刑余者が再犯へと犯罪が深化する傾向について考えるとき、対策として法整備を含めた国の仕組み作りのみならず、市民の意識改革もあわせて向上することが重要なことだろうと・・
 
マザーテレサの祈り
≪主よ、今日一日、貧しい人や病んでいる人を助けるために
私の手をお望みでしたら、今日、わたしのこの手をお使いください。
主よ、今日一日、友を求める人々を訪れるために
私の足をお望みでしたら、今日、わたしのこの足をお使いください。
 主よ、今日一日、優しいことばに飢えている人々と語り合うために
私の声をお望みでしたら、今日、私の声をお使いください。
主よ、今日一日、人は人であるという理由だけで
どんな人でも愛するために、私の心をお望みでしたら
今日、私の心をお使いください。≫

追っかける

2014-08-18 18:22:30 | Weblog
  「模写」であろうと「鏡」であろうと“フェルメール”の名前が出てくれば行かねばならない。最終日の今日百貨店で開かれている会場に飛んでいく。
  (会場内撮影OK)
 この作品を上野の美術館で長い行列の待ち時間を経て実物を見た時は衝撃的であった。
そして   この町のこの建物の路地奥に立つ婦人に静かな普通の丁寧な日常生活の大切さを感じ取った。
 手紙シリーズは、京都・岡崎の京都市美術館で開かれた。
 食い入るように細部まで見つめた。すると手紙に書かれた内容にまで絵画全体が表現されていると感じた。そして代表作の「真珠の耳飾りの少女」は神戸市美術館で鑑賞することができた。いずれの作品も、そのオーラが十分に伝わった。 ごつごつした絵具、顔料からほとばしる光のオーラであった。
 でも今日の作品展はリ・クリエイト作品なる模造品につき、キャンパスはのっぺらぼうな感じでオーラを感じ取ることはできなかったが、全作品があっただけに豊かな気持ちにさせてくれた。
 本日社協から弟が近く介護保険に移行するにあたり調査が病室であった。認定度がどれくらい出るのだろうか・・。

ブルーベリーも色づいて

2014-08-17 17:11:57 | Weblog
 先月から降り続く長雨でブルーベリーの実もたくさん落ちているのであわてて採収することにした。これからブルーベリージャムを作る予定である。
   ご近所さんに配り、孫たちに送り・・楽しみである。

 私の現職時代には、各商工会議所に「情報」提供をすることもやりがいのあった仕事の一つであった。例えば1週間、鳥取・境商工会議所に行き、町おこしを担当者からお聞きし、そして共和水産・和田社長(三津浜出身・朝鮮日水から敗戦引き上げの途中四国までたどり着くことなく境にとどまり、巻き網船団日本一の実績を育てるにいたった)からお聞きした、水産市場で卸売業者が集まって市場内で観光客相手に仲卸さんの店を並べて小売する様子が圧巻であったこと、観光客がお一人おひとり白い発泡スチロールの箱一杯に水産物を購入し大型バスに乗り込んでいる様子が異様に映ったこと。その話を次の週愛媛・八幡浜に行き、当時の日本西海漁協の宮本組合長、商工会議所会頭・八幡浜紙業の山泉社長、また栗の浦ドックの成瀬社長や八幡浜汽船の山本社長の方々に落ちてゆく八幡浜の活性化について提案するに際し、聞きかじり見たままの境水産市場の話を何度も、数年かけてしゃべっていた。もちろん境には水木しげる・ゲゲゲの鬼太郎ロードも今は賑わいを見せているが、20数年前の初歩の段階では、町おこしに右往左往していた状況であった。境はゲゲゲの鬼太郎と水産物を柱に、つまり観光商工サイドと水産業者サイドが協力し合って町の将来のかじを切る。に対して、私は全くの部外者ではあるが、会頭や組合長に何度も情報を提供しながら、落ちてゆく街の将来図について無責任にも似た話題を提供していたが、私のような若輩無知の者にも丁寧に耳を傾けてくれた。ここの財産は飛行機の二宮忠八、そして水産物がある。何とかならないか・・・、漁協の組合長は、ここの港はトロール船で水揚げした魚を即運ぶだけだから・・などと乗り気ではない。いや、違う。この港には九州から上陸する客、ここから九州に帰る客がいるではないか、フェリー乗り場の客が、水産物のお土産を購入している様子は全くない。なぜか?鮮魚は「送り」だけでなく、何とか発泡スチロールで購入できる施設が必要ではないか・・などと小さな水産市場の2階の事務所や商工会議所の会頭室でしゃべっておった。当時は、いやぁ土地がないからとか、仲卸同士は難しいから・・などと否定されていた。
  でも今、港には埋立土地もでき新しく市場も建設され、その横には観光客は言うに及ばず市民の憩いともなる「ど~や市場」も出来、存分に安い鮮魚を買うことができるようになった。沈みゆく町が少しづつ明るい方向に歩いているんだと、ついついうれしくなり・・・。奥さんとお買い物。
 ここに来たワケは、4男が1週間の帰省を終え、今日帰るのを見送りに・・・。 来月から解剖が始まるので忙しくなる・・と云いながら4男はさっさと振り向きもせずに乗船した。

理事会あり

2014-08-16 00:00:00 | Weblog

 「こころ塾」の理事会が午後に開かれるのを前にして午前はいつもの「誰でもホットステーション」略して誰ステがある。ちょっと、この様子を4男に見せたいと思う。ウツで病んでいる人たちの何気ない話や、詰まった気持ちをどのように表現し、また聞いているのか・・このことはきっと4男の学びにつながるだろうと・・

 理事会では経過報告が中心。協議をしなければならない問題点はなし。むしろメンタルヘルスに対する厚労省をはじめ各行政側の予算の変動に比例してイベントの趣向が毎年変わってくる。例えば年末に放送されていたRNBの自殺対策キャンペーンラジオ番組制作費用においても当初の県予算の半分になって、パートナーのやのひろみさんもさぞかし頭を痛めているんだろうと思う。
 それよりなにより、「人」をどう育てていくかに理事会の話の中心になった。若い人をどう育てていくか・・・頭が痛い。

 「誰ステ」に参加した4男は、ただの見学者につき発言することはなかったと思う。ただ、最もこれはもらった・・と思ったのは司会者が会を回すテクニックにおいて、すごい・・との学びがあった・・らしい。
 私の方、夕方から人としゃべることさえきつい。シャワーを浴びて汗を流し、晩ごはんも欲しくなくさっさと横になる。血圧が上がってるんだろうか。3男夫婦と4男と妻の4人が何やら楽しそうに話をしておる。階下からは笑い声が聞こえる。

緑陰にて

2014-08-15 00:00:00 | Weblog
 お盆休みのHさんと、日がな一日何をするでもなく、かといって身体の方は怠さを感じる日々につき、誘い合いガセボでのおしゃべり時間をもつことになる。つい10年ほど前には、二人は寸時を惜しんであの山ちょっと行こうか、とかあそこの滝に行こうとか、こちらの渓流にちょっと涼み行こう・・とか時間を持て余すままに思いつきで出かけておった。その当時Hさんの奥方は毎日スーパーでの正社員のお仕事、私の奥さんも毎日夜遅くまでケアマネのお仕事、つまり日中は誰も話し相手がいないこともあり2軒お隣さんのHさんと夕方まで時間の許すままに行動をしておった。

 いつ降り出すかわからないような空模様。話は、いつの間にか嫁と姑の話になった。Hさんがうちの娘は、しょっちゅう孫を連れて帰る癖がある・・今回も8日間旦那さんを放ったらかして帰っておる。そして親子で姑の悪口や愚痴を毎晩並べ立ておる・・どうしたもんだか。早く帰りなさいと娘に言っても、娘さんのご主人は工場での夜勤が多く夜はいなくて昼間は寝ておるから夫婦の会話など確保することさえ難しい・・などと愚痴っているとか。

 “藪入り”は旧暦15日から嫁が実家に帰ることを許された行事ごとだと、ラジオから流れてくる。今時藪入りでもないだろうにと思うが。藪入りは、行った先の辛い居場所から、ついつい元の温かい居場所に舞い戻ることなんだろうか、そして再び英気を養って現在の居場所に帰ることなんだろうかと・・

ウ~ン残念

2014-08-14 20:07:59 | Weblog
 甲子園初出場の小松高校、勝ったと思ったが、東北の内陸部に位置する山形中央高校に最後にやられてしまった・・・残念。
 山形県民の性格 《仕事振り》地味でおとなしいが、勤勉で粘り強い。黙々と仕事をする。女性は決して華やかではないが、素直で辛抱強く、コツコツまじめに働く。グチなどをいうこともないし、根性もすわっている。どんな上司も大切にする。
 ウ~ン藤沢周平の世界そのままではないか・・しかも、山形県民と相性の悪いのは愛媛県民・・・だと。質実剛健さに負けた感じがしておる。

 今日は雨上がり、一日中蒸し暑かった。気持ちが悪くなるほど。

 それより何とも残念なことは、「アンと花子」で可愛い盛りの歩君が疫痢により亡くなったこと、これはたまらなく堪えた。朝ドラとはいえ、直視するのがつらい。
 フヨウの花が咲いた。今夏一番の花である。おおがらであり清楚なたたずまい、凛として咲いておる。この花を見ていつも連想する人がいる・・・

 4男の日常。1週間の予定で帰省中である。毎日シゲトショかケントショに行き試験勉強とやらで生化学&生理学?の勉強、それと夕方からいろんな友達と毎日待ち合わせて遊んでおる様子。でも、朝起きてみると、午前様で帰宅したようで、ベッドに寝ておる。どうやって帰っているのやら・・・

棚経の日

2014-08-13 10:55:52 | Weblog
 昨年まで実家で棚経をやっていたのが今年から我が家に仏壇が引っ越しをしたのをきっかけに今夏から我が家にお寺さんがやってくることになった。なにぶん宗教のこと、信仰について考えることが不可欠である。
 
 バレエスタジオ駐車場バラ園の薔薇の管理を一手に引き受けてやっているMさんである。何種類何十本あるんだろう、毎日の水の管理やら施肥、病害管理など毎日汗だくになりながら薔薇のお世話をしている。
  だから思うんだろう・・・薔薇は枯れても散ってもバラはバラであることを。

 県埋蔵物調査センターに勤めるTさんの趣味は農業である。過去をさかのぼり当時の時代を想像する遺跡発掘よりも、畑に様々な野菜を植えて、その成育の方が面白いと云う。未来を自分の努力によって創造する方がやりがいがあるという。そのTさんが、今までに奇をてらい珍しい様々な野菜を植えたことがあったそうな。でもいずれも失敗をした。そこで先輩農家のAさんを師と仰いだそうな。そのAさんが、基本となる、ベースとなるような野菜を十分に自信を持って育てることができて初めて、他の珍しい野菜を植えなさいと教えられたとか。Tさんは何事も基本をマスターしてから次の段階に進まなければならない・・などと話した。つまり基本を叩き込まないうちは、何をやってもダメ、万が一うまく出来たとしても、それはラッキーなことで、たまたまであったことだろうと。基本的なことを毎年繰り返しながらやってみる経験の大切さを教えられたとか・・。だから、雑草を引く抜くことでさえ注意をようするらしい。例えば玉ねぎを植えている畑の畝の雑草を抜いていると農家のおばさんから、この時期に雑草を抜くと、ネギ坊主が早くできるから時期をずらしなさいとか・・。結果確かに玉ねぎはうまく出来ました・・などと笑っておった。農家さんの経験から出たアドバイスは、決して本に書かれてはいないことだろう。自分たちは人様の話をいい加減に聞き、むしろ本の中の活字の方に真理を求めるような愚をいつの間にか染み込ませているのかもしれない。

4男の帰宅

2014-08-12 00:00:00 | Weblog
 8月6日に能登・七尾市で開かれた西医体で産業医科大にまさかの1回戦敗退を喫して、その後どこで何をしているのかわからなかった4男から、昨日連絡あり。いま奈良のおばぁちゃんが入院している橿原市・平成病院にいるとか。今晩フェリーで帰るとか。で、今朝早朝に港までお出迎え。帰りの車の中で、4男が小松空港でみんなと別れてから京都の友達の所で居候をしていたとか、そして京都にいる大学の友人に連絡しようとするも、みんな就活中で忙しそうだったから多くの友達に会うことができなかったとか、肝心のサッカーにおいては、ほとんど押していたのにセットプレー1本でやられて0-1で負けたとか・・そのような話を一気にまくし立てておった。

 病院行脚の日々は終わらない。弟に母親に私に、そして今日は妻の県中病院予約の日である。行先は形成外科。顔面の手術をして1年が経過した。未だ顔面麻痺が癒されていない状態につき、X線を撮ったり診断を受けたり。Drの説明によると神経が治るのは時間がかかるようだ。昨年の夏は、足を固定されたままで、自ら身動きすることができない状態であった。外科医が手術をしようにも、3回も何だかんだと言い訳をして右足大腿骨の手術を伸ばされた。理由は、学生の夏休み中の手術が多く手術室が空かないとか。でも言い訳を聞きながら、この担当医師は、自信がない医師だと見切った。理由はともあれ、一言、患者の気持ちに沿うことができない国家資格の医師免だけを持つ人であると思った。1年たった今でもそう思う。



 でも、時間が経過し、昔としての過去の出来事になれば、ちょうど昨年の夏、この病院が改築工事の真っ最中であり、旧病棟が壊されていた工事現場も、今年の夏には新しい駐車場もできて、あともう少しで完成するだろうと、昨年の6月から9月まで入院していた同じ病棟の窓ガラスに映った。時間は確かに景観を変える。が、自分の医師に対する不信感はなぜか変わらない。